今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

旅の雨も時には嬉し

2011-08-31 10:37:11 | おしゃれ
この週末、台風が関東を直撃する懸念があるようです。
妹はアラスカ行き旅行の出発日に当たるとのことで、大変心配していますが・・・・
前日から、成田空港近くのホテルに宿泊することも考えているようです。
 
折角の旅行も、不運だと、時に雨に見舞われ、悲しい思いをした経験は、どなたにもおありでしょう。
 
京都でしたら、雨の風情も素敵で、いにしえの情緒を一層かきたててくれるかもしれませんが・・・・・・
しかしこれは例外。
 
小さなお子様連れの家族旅行では、雨は風情どころではありませんね~。道中が大変になるだけ。
子供は、山、海、その他自然の懐で、思い切り駆けまわるのが、旅行の醍醐味でしょう。
ですから、それを満喫できないとなると、むずかる事も多くなり、親御さん達は手を焼くことになります。
 
私も、幾度か家族旅行で、雨に遭い、ひたすら晴れることを願いながら、空模様を気にしつつ、旅行を続けたこと
があります。
 
でも雨が幸いし、旅の感動を一層味わえたことも、度々ありました。
幾つかあるそのような思い出の内、一番印象に残っているのは、嫁ぐ前の次女と共に、北海道への家族旅行へ
出かけた時のこと。
一生忘れ得ない、素晴らしい光景に巡り合うことができました。
 
それはそれは、感動的でした。
今もその心躍るような劇的な一瞬は脳裏に焼き付いていて、離れません。
鮮やかに蘇ってさえきます。
 
文章への苦手意識は相変わらずですが、自然描写は、特にそう・・・
その時の光景を、皆様にうまく伝えることは私の筆力では、到底叶いそうになく、残念です。
 
この時の北海道旅行は、悲しいかな、雨続きで、その不運を嘆きはしましたが・・・・・・
 
私が、今、再度訪ねたい、と一番思って止まない富良野での事。
家族で、観光バスに乗りました。夜中に振り続いた雨も次第に小振りとなり、確かホテルを出る頃には上がって
いたと思います。
 
雨に洗われ一層鮮やかに目に映る緑、果てしなく続く緩やかな丘陵、可愛いお花畑。
まるで天国のように美しく平和な情景でした。
 
バスの車窓から、うっとりとその景色を眺めていると、ガイドさんのひときわ弾んだ声が耳に飛び込んできました。
「みなさん!空を見上げて下さい。大きな二重の虹がかかっています。私達のバスが、虹のアーチを通り抜け
ま~す。」
正にその通りになりました。
 
その七色の虹は、遮られるものが何もなく、地平線から地平線へとかかり、見事な全景を宙に描いていました。
 
更におまけまで。少し遠方に目を向けると、まるでおとぎの国から飛び出したような可愛い電車が、野原を抜けて
行くところでした。
 
不運のはずの雨が上がり、私達に授けてくれた思いがけない雨による幸運。
 この幸運は、富良野だけでは終わらなかったのです。
 
摩周湖に向かう時も、途上のお天気は土砂降り。
100%憧れの湖は見られない、とあきらめの境地でしたが・・・・・・
案の定、到着した時は濃霧に覆われ、それらしき陰一つ、目にすることができませんでした。
しかし間もなく、神風のように一陣の風が吹いたようです。
一瞬にしてその霧が晴れ、透明感あふれる神秘的な摩周湖の全景を、眼下に見下ろすことができました。
 
幾度目かの摩周湖への訪れで、ついに出会うことができた私。
その感激は、言うまでもなく・・・・皆様のご想像にお任せします。
 
同じ感激を然別湖で、もう一度。
到着した日は雨で、全く見えませんでした。
でも、翌朝、ホテルのカーテンを開けると、薄靄のかかった幻想的な湖が、深く青い豊かな水をたたえ、広がっていた
のです。
 
学生時代に感激した然別湖との久しぶりの出会いでしたが、私の期待を裏切らない、早朝の幽玄な美しさでした。
 
そして、その日はお天気も晴れ。
雨に洗われ一層輝やきを増した自然を、私達は満喫することができました。
 
そのほかにも、やはり嫁ぐ前の長女と二人で出かけた上高地、高山旅行も台風直後でした。
上高地の渓流は、濁流で、散策道が途中、危険なところも。
それを押して、散策に出かけた私達。
その時は、ちょっとした冒険も、心ときめく楽しさで、無事にホテルへ戻ることができました。
まだ若くて元気だったから、できた事。
今となっては、大変懐かしい思い出です。
 
このように振り返りますと、雨も決して不運とは限りませんね~
 
妹、夢路の間もなくの旅立ちも、良いお天気に恵まれることを、ひたすら祈っています。
 
最後に一言お詫びとともに昨日の文章の訂正のお知らせをさせていただきます。
野田首相の生い立ちに触れ、農家の末っ子などと書いてしまいました。
私の間違いです。
ご両親が、そのようでいらっしゃり、野田首相のお父上様は、自衛官でいらしたとの事。
 
軽率な文章で、皆様にご迷惑をおかけしました事、、心よりお詫び申し上げます。
 

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メンテナンス中でしたので、ヤフーで下書きしコピーを貼りつけたところ、字がこんなに大きくなりました。
この大きさも見やすくていいですね。
これから病院に出かけてきます。

 

 
 
 
 
 
 

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心に灯りがポッ、ポッ♪

2011-08-30 10:04:28 | 日常

民主党代表選で、ついに新しい首相が決まりました。野田佳彦氏。
それにしては、ブログ村のシニアー記事でそのことに触れておられる方が少ないのに驚かせられました。
ここ半年、政治の醜態を見せ付けられ、もうだれがなっても同じ、とのあきらめの境地でいらっしゃるのでしょうか。
私の心境もさして変わらないものでしたが・・・・・・

私は書く事に迷いを覚えた時、自分に、次の様に言い聞かせます。
自分の日記なのだから、他人に迷惑さえかけなければ、素直な気持ちで率直に自分の思いを語ればよい、と。

世間知らずの専業主婦の分際もわきまえず、また政治について感想を述べる厚かましさを、ご看過下さい。

私には、昨日は、心にポッ!ポッ!と灯りが二つ燈った嬉しい日でした。

一つの灯りは、日本の首相に野田氏が選ばれたこと。

もう一つの灯りは、夫がとても元気だったこと。

二番目の灯りの方が遥かに嬉しいことでしたが、最初の灯りも捨てた物ではありません。(笑)
身内のことは、後で述べることに致しましょう。

端的に私の代表選の感想を申し上げるなら、野田氏に決まって、本当に良かった。まずは一安心!といった心境です。

実は、昨日は代表選の演説終了後、投票が始まる前に、最後まで見届けたい気持ちを振りきって、病院へと向かいました。
しかし、結果を早く知りたい気持ちが治まらず、次女に、途中経過を、メールでもいいから知らせてね、とお願いしておきました。

最寄りの駅に到着した時に、第一報が入りました。
「決選投票は、海江田氏と野田氏になったわよ」と。
私はやっぱり、と心から納得。演説の内容が素晴らしく、心から感動したからです。

私は、次女に言いました。
「恐らく野田氏に決まると、ママは思うわ。海江田さんの演説は、つまらなかった。」

それに対し、娘の答えは、
「確かに良い演説だったけれど、海江田さんが首相は変わらないんじゃ~ないかしら・・・」と。

都心の駅に到着し、ホームに出るなり、また着信の音。
「ママの言った通り、野田さんに決まったわよ~」と。
私は嬉しさがこみあげました。娘に得意気に、
「私の予想間違っていなかったわね~。」と言いました。(笑)

今後も民主党政権が持続するなら、日本は何も変わらない、と一昨日の日記で、生意気にも言い放った私ですが、野田氏が首相に
なられるなら、多少は期待します。
おおいに期待すると言った方がいいかしら。
小沢派や野党が、相変わらず足を引っ張り、政局争いにうつつを抜かさなければのお話ですが。

演説の言葉のみで、その人の、なりと人間性を判断することはできませんが、彼の言葉を実証する物があります。

ここ数カ月の醜い政局争いの中で彼が示した姿勢です。
長くなるので、詳しく書くことは控えますが、彼は、政局に巻き込まれることなく、悠然とした態度をとられました。
我が道を行くと言った、肝の据わった行動力には、常に一目を置いてきた私です。

一時は中立の立場を取る人達は、小沢票狙いがあるのでは、といったうがった見方もしましたが、彼の演説内容から、それは誤解であった、
と反省しました。

ご両親は、お二方とも農家の大家族の末っ子。野田氏も、つましい庶民の家庭で育ち、地味な暮らしの中、、努力と自己研さんを積み上げ、
今の地位と人格、風貌を備えられたことにも、私はいたく感動。二世議員とは違います。
弱者の立場に思が至る、心深き人、との印象を強くしました。

その上、財務にも強い方であることは、厳しい昨今の世界経済情勢の中にあって、財務大臣として堂々と活躍されてきたことからも、わかります。

私は、日本の将来を、この方にかけてみよう。意外と長期政権になるやもしれず・・・

野田氏がおっしゃるように、泥臭い政治で結構です。
頑張って、日本を立て直して下さい。
私は期待しています。

杉良太郎さんはじめ、他の俳優さんが長い年月に渡ってテレビ番組で演じた遠山の金さんや、忠臣蔵の大石内蔵助が適役に見える風貌ですね~
ミーハーおばさんの私は、そんなところも気に入っています。(笑)
日本代表の顔としては、なかなかふさわしいではありませんか。(笑)

政治のお話が長くなってしまいましたが、私にとり、一番嬉しかった昨日の出来事は、やはり夫がとても元気で、上機嫌であったこと。
上機嫌だったからと言って、にこにこする人ではありませんけれどね。(笑)

長年連れ添った妻の直感で、病室に入り、夫の顔を一目見るや、体調が、非常に良いことが分かりました。

「娘達の話を聞き、心配しながら来たけど、とても元気そうね~痛みはどう?」と尋ねました。

「今日は痛みは治まっているよ。」との夫の返事。

良かった!良かった!まずは一安心です。

夫と、しばらく代表選の感想を述べ合い、その後、夫に頼まれた数品の買い物をするために、階下のコンビニへ。

三時間位は共に過ごしたでしょうか。

もう帰ってもいいよ、との夫の言葉に背中を押され、病院を後にしましたが、夫が点滴棒をガラガラ引きながら、エレベーターの前まで、私を
見送ってくれました。
照れ屋の夫は、めったにこんな行動はとらない人ですが・・・・・・
痛みが和らぎ、余程ホッとしたのでしょう。

私がエレベーターの中から、手を振ると、かすかに手を上げて応えてくれました。

昨夜は、うれしい出来事二つの余韻に包まれ、快い疲労感のうちに夜の家事を軽く済ませ、床に就きました。

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私の週末 思いいろいろ

2011-08-29 09:32:41 | おしゃれ

この週末は、娘達が病院へ出かけてくれましたので、私は幾分のんびり過ごすことができました。
でも主婦の悲しい性で、夫は留守でも、相変わらず主婦業が多忙。
泉のごとく湧いてきて、家事に終わりはありません。

昨日は、家の外回りと玄関ポーチを掃きましたが、秋でもないのに、落ち葉の多い事。
掃いても掃いても、コバナランタナの黄葉でなく、緑の葉が、ハラハラ落ちて、道路に積ります。
多忙な日々の私には、少々目障りで、情けない。

これには訳があります。
先日、塗装のためトレリスを取り外しました。
その時、それにからまり、我が家の擁壁を覆うようにうっそうと茂っているいるコバナランタナの一部を業者の方が刈りこみました。
その枝が完全に取り払えず残ったままの状態になっているからです。
手も届きませんから、年末、いつもお世話になる植木屋さんに、短く刈り込んでもらうまで、この落ち葉は、我慢しなくてはならなそう・・・

いよいよ、今週ガーデナーさんも見え、本格的に、我が家の庭のプランニングが始まることでしょう。

でもできれば、支出はできるだけ抑えたい。
人件費は固定費でどうすることもできませんが。

来ていただく回数を増やすごとに、人件費は割安になっていきます。
一月に一回が理想ですが、さすがにそんな贅沢は、年金暮らしではできません。
ですから、春、夏、秋、冬の4回にしました。

http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/chelsea/

チェルシーガーデンのサイトです。
ご興味のある方はご覧下さい。

できることはできるだけ自分でこなせば、あとは定額制でないため、支出を抑えることは可能ですし、手のかからない丈夫なハーブ系と
、宿根草を多く植えていただくようにもお願いしています。

始めるにあたって、庭の掃除や、枯れ枝の処理など少々根を詰めて行ったところ、首の症状が、また悪化。
息苦しくなる一歩手前、といった感じでした。
でも以前に比べると、痛みも息苦しさも緩和され、良くなってきているのが分かります。

それに今は、自分の病を気にかけている心の余裕がなくて・・・・・・
夫のことが、頭から離れません。

歳を重ねるにつれ、私は夢はほとんど見なくなりましたが、最近は怖い夢ばかり見て、よく目が覚めます。
潜在的なストレスは、相当なものなのかしら。

自分の割と楽観的な性分が、こういう時は幸いします。
たとえどんなに落ち込んでも、立ち直りが早く、よい方向に考えを向けることができるからです。
ですから、今回も、夫が元気になることを、一抹の不安はあるとはいえ、信じて疑いません。

けれども、この二日間、夫を見舞った娘の話によると、体調が余り芳しくないようで、なんだか心配です。
今日は会えますので、夫の話をよく聞き、場合によっては先生にお話を伺ってみようと思っています。

手術の箇所の痛みがかなりひどく、幻覚症状にも悩まされているとのこと。
国際試合くらいしか見ない夫ですが、幻覚でサッカーの試合が見えてくるのだそうです。

手術後に良く見られる症状のようですが、頭がよく冷静な主人に限っては、あり得ないこと、と思っていました。
ですから、とても心配です。

今回は切り口も大きいので、昨年の手術の時より痛みが大きいのは仕方ないことかもしれません。
但し弱音など吐いた事がほとんどない夫が、訴えるからには、余程辛いのでしょう。

「二度目の手術と聞いた時は、精神的ダメージが大きかった。」

「こんなに痛むとは…手術を甘く見過ぎていたな~」

等と、娘達に語ったようです。

私が慰めるより、最愛の娘達の励ましの方が数倍、夫を元気づけたに違いありません。

今日は、元気になった夫に会えることを祈りながら、もうひと働きして、また病院に出かけてきます。

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政治の行く方に思いを馳せつつ・・・

2011-08-28 11:59:54 | 政治

未曽有の大震災に見舞われ、日本中が茫然と立ちすくんでしまった3月11日から、もうすぐ半年になろうとしています。
そして、今なお我が国は、復旧と復興の途上にあります。
他の国に比べれば、災害からの復興の進捗は驚くべき早さで、日本企業のサプライチェーンの復活も順調のようです。

この国難の最中にありながら政治は国民に、混とん極まりない醜い状況を見せ付け、震災の恐ろしさの唖然さに匹敵する程の絶望感を
私達は味わいました。

その政治が、紆余曲折の末、新しい展開を、今迎えようとしていますが・・・

ここ数カ月の世論を巻き込んだ国会内の醜い政局争いは、いったい何だったのかしら、と、虚しさと呆れかえる気持ちだけが、私の心中で、
いつまでもくすぶり続けています。

辞任を決意された菅首相には、心からお疲れさまでした、と申し上げたい気持ち。
辞めろ、辞めろの大合唱、身勝手な責任追及、鳩山氏の感情的な諸々の批判や意見、最後には一部の執行部の背信までも・・・・・・
その艱難辛苦にもかかわらず、自分の意志を貫き通し、めどがたった今、自分の意志で身を引かれる。
今までの総理のように、周りの非難囂々に耐えられず、総理の職務を投げ出すようなこともなく・・・・・・

今後総理になられる方にとり、ある意味、模範となる態度だった、と私は思うのですが。
執行部の背信がなければ、民主党の値打も多少は上がって、菅内閣の終焉も、今日の空のように爽やかな気持ちで迎えることができたの
ではなかったでしょうか。理解しがたいことも多々あり、本当に残念でした。

私は大勢の世論に逆らい、菅内閣を応援してきたことに、今は、自分なりに納得しています。
批判は、いろいろあることを覚悟の上での私の感想ですが・・・・・・

私の理想は、菅首相がお辞めになる時に、衆議院を解散することでした。
そしてこの混沌に乗じて、政界再編が起き、同じアイデンティティーや政治理念を共有する人たちの政治集団がいくつかでき、もっとまともな
政策論争をしてほしい、と願っていました。

このまま、民主党が政権を維持し継続しては、日本は何も変わらない。
もし小沢支持派が政権を取ろうものなら、小沢氏の考えのもと、増税反対、子供手当復活といった、選挙勝利優先の政策がまた執られ、
日本の財政は奈落の底へと、突き進んでいくに違いありません。

海江田氏の人柄には好感を持てますが、小沢さんがいる限り、指導権は彼が握って、今後の行政が動くでしょう。
国民にとっては、それは耐えがたいことです。
もう何としても、鳩山さんと共に、政界を引退して頂きたい、と。

そうなれば、、日本の政治は多少でも、健全さを取り戻すに違いありません、

日本の政治は長年、小沢さんの行動に振り回され、まとまるものもまとまらないで、混迷した政治状況が続いてきたように思います。
偏見が強すぎるでしょうか。

菅氏を陰で支えた政治家も大勢おられました。
先日、菅首相が退陣表明をされた時の江田五月議員の首相に向けられた眼差しが、とても印象的で、心打たれました。

批判する人たちの喧々囂々とした言動ばかりがメディアで目立ちましたが、どちらの意見が正しかったは、今後の歴史が物語ってくれることでしょう。

追記

解散、総選挙が私の理想でしたが、通貨危機の現状では、それは無理ですね~
政治空白の間に、世界経済危機の今、何が起きるかわかりませんもの・・・・・・

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襲いかかる不安を乗り越えた今の私

2011-08-27 12:31:11 | 健康

時折、暑さがぶり返すも、秋の気配が、日一日と忍び寄るこの頃・・・・・・

高層階のICU(集中治療室)から見渡せる空は果てしなく広がり、空の移ろいが、顕著に分かります。
昨日は、病院に出かけるときはとても良いお天気。
しかし夫のもとで過ごしているうちに、みるみる空が暗くなり、大空を切り裂くような稲妻と共にスコールのような雨。
相変わらず不安定なお天気が続いています。

実は、医師のお話では、昨日中に、夫は一般病棟に戻る予定でした。
しかし、それが本日に延期。
その訳は、昨日の夕方再手術になってしまったのです。

一昨日、ICUを訪ねた時、大手術の翌日にもかかわらず、夫の元気いっぱいの明るく輝いた表情に、私はびっくり。
ベッドから降りて、歩行練習を始める直前でした。
5~6分の歩行の後、ベッドに戻りましたが、自力でベッドに上がろうとする夫の動作に、看護士さんも、感嘆の声。
こんなに元気な患者さん、初めてですよ! と。

昨日は、夫はむろん、夫婦で安堵に浸りきっていました。
それだけに、朝、副主治医から電話が入り、再手術と伺った時は、かなりのショックでした。

夫も同じような気分だったのでしょう。
ICUで出会った夫の顔は、昨日とは打って変わり、沈んで緊張した面持ち。
しかし最初の電話でお聞きした内容も、手術直前に伺った説明も、決し不安になる事ではないようでした。

肝臓がんの術後、15%の患者さんに見られる、胆汁の胆管からの漏れ。胆汁漏

ドレーンを入れたまま、数週間から、数カ月以内で自然に治まることのようです。
しかし、夫は肝機能が非常に良いため、再手術により、胆管に管を通し、その胆汁を一気に体の外に出し、できるだけ早く回復するよう、
積極的な処置で臨むとのことでした。

一回目も、肝臓の3分の2を切除すると言った大手術。
肝移植の際の健康な方の肝臓の切除に相当する分量。
この切除に踏み切られたのも、夫の肝機能がC型肝炎にもかかわらず、正常値に近いところまで回復しているために、採れた選択とのこと。
手術の前日の先生のお話しでした。

肝機能が、こんなに回復したのも、奥さんの食事の力が大きいです、とまた言われましたが、マジョリンさんに、先日お褒め頂いた時と同じ
ように、穴があれば入りたい心境。(笑)
私の食事管理は実にいい加減といいましょうか・・・・・
栄養価やカロリー計算など全くした覚えがなく、ただ日々の献立と味のメリハリ、彩りへの気配り。
そしてお野菜を豊富に頂くように努めているだけ。

神経質にならなくとも、この三点に気を付けていれば、おのずと食生活は、健康的になるのかもしれませんね~

夫の、この度の思いがけない肝機能の回復は、夫の実に冷静な自己管理と、先生方の治療のお陰と、ひとえに感謝しています。
先生方への感謝の思いは、海よりも深く、山よりも高しの心境です。

そのようなわけで、二度目の手術も無事に終了でしたが・・・・・・。
看護師さんは、手術は1時間ほどで終わる、と言われました。。
ですが、2時間が過ぎ3時間近く経っても、私に声がかかりません。
私は二度目だけに、却って不安が大きく、時間の予想外の経過とともに、その気持ちが募る一方でした。
術後に先生がおっしゃるには、手術の機材などいろいろ準備するために結構時間が取られるとのこと。
看護師のいい方は、間違っていますね~心配をかけました、と言われ、私は恐縮の極み。
ひたすら頭を下げて、お礼を申し上げ、夫のそばでしばらく過ごし、家路につきました。

体の疲労は極限に達し、足取りが重く、無事に家にたどり着けるかしら、と心配になるほどでした。
タクシーに乗りたい誘惑にかられましたが、すでに三回利用。無駄遣いは、これ以上できません。
三回も利用せざるを得なかったのには、理由がありましたが。

横浜の我が家から、高速を利用してほぼ一万数千円。
その距離に都心の病院があります。

この距離を日々、病院まで往復は、私の年齢ではさすがに疲れますが、私はこういう時、とてつもない力を発揮する人種。(笑)
頸椎症の病もまだ回復途上ですが、家族のためとあらば、自己犠牲も何のその・・・・・・
でも後が怖い・・・・・・
今度は私が倒れる番でないことを祈りましょう。

実は、ここ一週間の内に、とんでもないハプニングが、他にも我が家で起きました。
孫までが、山の上の別荘から、救急車で、下界の病院へ搬送されたのです。

その話を聞かされたのが(すでに過去形でしたが)、夫の手術前夜のことでしたから、私の心は鋭利の如く研ぎ澄まされ、心は張り裂け
んばかりでした。

今では、孫はすっかり元気になり、救急車に乗ったことが、思いがけない楽しい思い出と喜びに変身。
元気に毎日を過ごしています。

妻として祖母としての抱えきれない程に襲いかかった心配事も、何とか落ち着き、昨日は10時に帰宅。
その後、ゆっくり休みことができました。

今週の中ごろには、塗り替えられたトレリス(一部新品に変更)が、お庭に設置されます。
いよいよ年に四回の自庭チェックの管理も入れた、ガ―ニングも開始する予定です。

三越のチェルシーガーデンさんの助言ですから、ガーデニングに興味のおありの方は、宜しければ、参考になさって下さいませ。
でもそれでもなお、自信が持てない私。

私にガーデニングをする体力があるかしら・・・
前かがみの姿勢が、今の私の病には一番良くないようですから。

夫の病も回復し、穏やかに優しく時が流れ、ほどほどにガーデニングも楽しめる、素敵な秋を迎えられますよう、ひたすら祈りましょう。

この週末の二日間は、娘達が私に替わり、病院に出かけてくれます。
私は、ここ数日間の緊張を解きほぐし、また来週に備え、疲れを癒すつもりです。

ブログを書いていません時も、応援下さる方々がおられ、恐縮しております。
頑張ってね!と励まされているようで、とても嬉しく感謝いっぱいです
拙い私のブログをご覧下さるすべての皆様のお気持ちも有難く、心からお礼を申し上げます。

今後とも変らぬお付き合いのほど、宜しくお願い致します。

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先程、携帯に電話がありました。娘と思いきや、局番が03・・・
又病院と、緊張が走りました。
更にICUと言われ、夫に異変と確信。

しかし、内容は、「無事に先程一般病棟に移りました」との連絡でした。
心から安堵!良かったです♪


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私事ながらご報告

2011-08-25 08:48:49 | 健康

妹が伝えてくれましたように、9時間に及ぶ夫の大手術は、お陰さまで無事に終了いたしました。

マジョリンさま、バラさまはじめ、ご心配下さった皆様、ありがとうございました。

その時の状況を、詳しくお伝えしたいのですが、今は緊張から解き放たれた脱力感で、朝にもかかわらず眠気が襲い、

デスクワークに臨んでも、全く先に進めません。

数日間の休養を取った上で、心機一転、ブログを再開させていただくつもりです。

とは言え、私のこと、あすにも書き始めているかもしれませんが…(笑)

しばらくは、集中治療室にいる夫のもとで、様子を見て過ごすつもりです。

やっと秋の香りが心なしか漂い始め、ほっとするこの頃。

皆様には、素敵な日々をお過ごしになられますように♪

取り急ぎ、ご報告まで。

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自然の恩恵

2011-08-22 06:18:50 | 日常

先日までの酷暑が信じられないような涼しさですが、このまま秋の到来とはまいりませんでしょう。

秋が訪れると、次は寒い冬。冷え症で冬の寒さが人一倍堪える私は、この涼しさが有難いだけでなく、早くも冬を案じ、心もとない気分になります。

暑いのは嫌だけれど、寒いのもいや!
人間とは、我儘な生き物ですね~(笑)

でも日本には、緩衝地帯のシーズンもあります。
初秋、天高く馬肥ゆる秋、晩秋、早春、春爛漫、晩春といった得も言われぬ良い季節も巡ってきます。

この季節のメリハリある変化と移ろいは、日本独特の気象現象で、その恩恵にあずかって、日本人の文化も、風土も育ち、更に精神風土まで
養われた、と言っていいのではないでしょうか。

日本人が賢くなったのも、もしかすると、この気候の変化のお陰かもしれません。
時候に合わせ、私達はその季節をいかに凌ぎ、快適に暮らすことができるか、古今東西の人達の連綿としたたゆまぬ努力と工夫の積み重ねが
今日の日本を築き上げたと言えるかもしれません。

その上、美しい山並みや川の風景、小川のせせらぎ、無数の清澄な湖、そして豊饒な土地と豊かな海、他にも限りなく自然の繊細な魅力に
溢れた国です。

しかしその美しい自然が、今回、なぜか理不尽な狂い方をし、日本人に襲いかかりました。
これが何を意味するのか、理解できないまま、さらに原発、風評被害といった人災までが、被災地の人達を苦しめています。

昨日でしたか、たまった新聞の切り抜きを読んでいる時、1755年に起きたリスボン地震は、それまでの歴史を根幹から覆すような恐るべき災害
だった、と書かれた記事が目にとまりました。。
神が人間を見捨てたのではないかと考えざるを得ない程のショックを人々に与えたと。
その絶望から、近代科学や啓蒙思想が生まれたのだと・・・・・・

今回の災害も、それに匹敵するほどのショックでした。
神様が私達を見捨てたとは思いたくありません。
きっと、全人類に向かって何かを啓示されたのではないでしょうか。

それが何であるかは、いくら自問自答しても、私の頭では、到底分ろうはずがありません。

被災地の人達は、絶望から立ち上がり、復旧と復興のためにひたすら忍耐し、たゆまぬ努力を続けておられます。
その真摯な姿が、世界の人達の心を動かし、今後の人類が進むべき道標になる、と信じます。。

ここまで綴ったものの、自分の思いを十分語り尽くせないもどかしさ・・・・・・私の語彙不足と知識のなさを、いつも情けなく思います。

その自信のなさを顕著に表していることが、私のブログにはあります。
朝投稿した文章が、夜、読み直されますと、かなりの部分校正されています。

皆様お気づきでしょうか?
昨日の文章もそうでした。

いつも自信がなく、ただ素直に自分の感情を吐露することだけが私の取り柄と思い、書いています。

それにもかかわらず、大勢の方がご覧下さり、応援もして下さいまして、本当に嬉しく感謝の気持ちでいっぱいです。
有難うございます。

今日は、また夫のもとへ出かけ、私も整形外科の診察も受けます

PCは、少々大げさな表現でした天与の場所で、今も打っています。
そのお陰で、首の病も随分良くなってきました。

夫婦そろってもうひと頑張り・・・
素敵な秋を迎えたい、と心から願いつつ・・・・・・

きょうはこれでPCを閉じ、出かけるまで家事に専念します。
料理ブログの記述は無理そうですが、こちらも勝手ですが宜しくお願い致します。

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ご近所付き合い

2011-08-21 07:41:07 | 日常

遠い親戚より近くの友、と言われるように、ご近所づきあいは大切な事かもしれません。

この度の震災で、絆の大切さが説かれ始め、家族の絆とともに、いざっと言う時の御近所の助け合いと協力がいかに大切かを再認識する
こととなりました。

しかし、ご近所付き合いは、個人主義が行き渡り、プライバシーを尊重する風潮ゆえか、私達が幼いころに比べると、随分淡白となりました。
他人と深くかかわりたくない、と思う傾向が強くなってきたように思います。

私は、子供が小学生のころまで、長年社宅暮らしをしていました。

いつも広大で緑豊かな敷地の中に社宅が数棟建っている、といった恵まれた環境で暮らすことができたおかげで、近所づきあいも活発。
似た者同士の奥様方とのお付き合いは、とても楽しく、有意義なものでした。

有吉佐和子さんの著書、夕陽丘三号館のような同じ会社の奥様方ゆえのトラブル、といったことなど皆無。
実に穏やかでした。
その時親しくなった友人達とは、最近お会いすることはめったにありませんが、いつも私の心の内にあって、敬愛できる友としての輝きを今なお
放っています。

数回の転居で社宅も変わり、その後、海外転勤となった私達家族。

異国の社会では、また一層楽しく有意義な交友関係を紡ぐことができました。
その時代に巡り合った友人は私の生涯の宝物、と言ってもいいでしょう。
近所づきあいというには余りに在住するブロックが離れていましたが、そこは車社会のこと。

お互いに何なく行き来でき、助け合いの精神が、異国の寂しさを補うに十分でした。
私も、いかに多くの友人に助けられ、支えられたか分かりません。
Kさん、Nさん、Aさん、Iさん・・・・・・

私にはもったいないような素敵な方々ばかり。
皆さん、良妻賢母でいらっしゃり、私は今でも、心から敬愛しています。

アメリカから帰国後しばらくたって、一戸建てのマイホームを構え、そこでまた、新しいお付き合いが始まりました。
そして今、ご近所にも、心から信頼できる友、お二方に恵まれて暮らしています。

閑静な住宅地で、日中は人通りも全くないようなところです。
目と鼻の先のお宅の友人達でも、お会いすることはめったにありません。

それでも、いざとなれば、心から信頼し、お互いに打ち明け話が何でもできる間柄のFさん、Iさん達
昨年は、その方達と、お昼食をともにし、二度ほど近況を伝えあい、主婦のネタ話から政治まで、時間のたつのも忘れ、語り合ったものでした。
その時、もちろん夫の肝臓の病についても打ち明けました。

しかし去年の暮れに、おしゃべりしたのが最後。今年はまだ、その集いを開いていません。

我が家にお招きしたく思いながらも、夫のこと、その他、気がかりな事(家の建具の補修)をすべてかたずけてから、と思うと、なかなかその思いを
実現できないでいます。

しかし、今回の救急車のサイレンで、みなさんにご心配をかけることとなりました。

「私達は夜も遅くまで起きているから、いつでも何かあった時には、声をかけてね。車を出すから」とおっしゃって下さる、Iさん。

「日常のお買い物を、いつでも遠慮なく頼んでね」とおっしゃって下さる、Fさん。
Fさんは、私より一回りお若くて、若い時には海外留学も経験なさいました。
英語が堪能で、実にしっかりされた明るいお方。
立派に成長された三人のお子様がいらっしゃいます。
震災の時には、開店前に成城石井のスーパーの前に立ち、いつも何か買うものありませんか、とお電話をかけて下さった奥様です。
つい数日前、ご近所づきあいの悩み事で、相談のお電話を頂きましたが、今精神的に頼っているのは、お若くても私の方。

この方の存在は、私には、どんなにか心強いことでしょう。

そんな素敵な方でも、ご近所付き合いに悩みがあられるように、私もマイホームを構え、永住の地を得て、初めてご近所のトラブルに巻きこまれる
経験もしました。

気の遠くなるような長いお付き合いになるわけですから、深入りせず賢く振舞って、みなさんと仲良くが私のモットーでしたが、班長になった時に、
その精神を守り通すことができなくなりました。

何かトラブルが起きることにより、多様な意見が生まれます。
それを調整するのが班長の役目ですが、時に余りに身勝手な意見だったり、、我がままな意見だっりすると、私もさすがに困り果てました。
班長ですと、このような時、個々のお人柄の把握が、容易になります。
とは言っても、その方のすべてが理解できたわけではありませんから、良いところを認め合い、さりげなく挨拶を交わす気持ちのいいお付き合いを
末長く続ける努力は欠かせませんね。

但し、うわさ好きの方達には、近寄らないのが賢明。
私の処世術です。(笑)

救急車で夫が運ばれる時も、早朝にもかかわらず、奥の方から眺められる方、お隣さんが玄関から出られるる気配も感じました。

翌々日、外のお掃除をしている時、お会いしたIさんには、夫のことを詳しくお伝えしました。
そして、家に戻ろうとした時、奥から眺めておられたお方が寄ってこられ、どうなさったの?と尋ねられました。
もちろん私は、多くを語ることは控えました。
ほんの数人ですがうわさ好きの方がこの地区にもおられます。
うわさのネタにされては、困りますもの。(笑)

「お騒がせしてすみません。大したことではありません。夫が倒れてびっくりし、一応救急車を呼んだだけです」とお応えしました。

その奥様が言われるには、「消防自動車まで来ていたわよ。何ごとかと、思いましたよ。」と。
私が外に出た時にはその車は姿を消していましたが、緊急救急車と言われる車だったようです。

カーテン越しに遠慮がちに見ておられた方々は、他にもいらっしゃったに違いありません。
お騒がせし、ご近所のみなさまにご心配をかけ、心苦しい限りです。

Iさんからは、お互い様だから、と温かな言葉を頂き、二人で励まし慰め合いました。

Iさんのご主人様も、前立腺がんを患われ、胆石により胆嚢の手術もされ、お近くの病院でここ半年足らずの間に、入退院を5~6回
繰り返されたとのこと。
奥様も、一昨年、ある病に見舞われ、ご入院も経験されています。

一回りお若いHさんも、去年から今年にかけ、お舅様の介護で神戸と横浜を頻繁に往復され、最近看取られました。

人生とは、いつまでたっても心休まることがないようです。
歳を重ね、静かな隠居生活とはまいりませんね~

病、連れ合いや友人との死別等、と言った悲しみや苦難を乗り越え、余生をいかに充実させるか、本当に難しい課題を背負いながら暮らすのが
私達の年齢の宿命、と思うと、なんだ悲しくなりますが・・・・・・

この苦難は、すべての人達に平等に与えられています。

ですから不幸とは思わず、一つ一つ丘を乗り越え、美しい背の風景に、思いを馳せたいものですね。
そして、しっかり前を向き、凛とした心構えで、毎日を素敵に暮らせる人でありたい、と願います。

又、最後に、きれいごとを書いてしまいました。。言うは易く行うは難し、と心から思っています。

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今日もお立ち寄り頂き有り難うございました。
皆様も、素敵なご近所付き合いをお楽しみくださいね。


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天与の場所

2011-08-20 06:57:26 | 家族

涼しくなりましたね~

久しぶりに熱いコーヒーを朝食ですすり、一息つける喜びをかみしめています。
私には、人生最高の暑さでは、と思えるような連日の炎暑でしたから。

夫の出来事も重なり、ここ数日の燃えるような暑さを、忘れることはないでしょう。

入院している母を介護するために、午前と午後に分け妹と交代で病院に通い詰めた十数年前も、やはり昨今に似た酷暑の連日でした。

介護ノートの連絡帳まで作り、母の病床での様子を日記風に書き、姉妹で報告し合ったものでした。
暑い暑いと喘ぎながらも奮闘の日々。
両親の介護。夜も寝られないようなある意味壮絶な毎日でしたが、妹の強力な援助に助けられ、乗り越えられた事でした。

その時の苦労と比較すれば、子育ても卒業した今の大変さは、大したことではありませんが・・・・・・
私の体力に雲泥の差がありますからね~

私も病を抱えながら、今回は孤軍奮闘。もちろん娘達の協力にも助けられています。

昨日は、首のだるさもほとんどなく、体調は良好。
その理由は、自分が首を庇いながら、デスクワークにも集中できる良い場所を、見付けられたからかもしれません。
私には、それに気が付いた事は、神様のお恵みに思えるほど嬉しいことなんです。

その場所は、写真に写したスペース。

キャノンのカメラを数日前に落下。その衝撃で、故障してしまった見たいです。(涙)
修理に出します。修理後、まともな写真に入れ替えますね。

ここに腰かけ、背と首を壁で支えてもらっています。
そして、以前伊東屋で購入した、小さな膝置きデスク?(この表現は、私の造語)を使用。

この上で家計簿をつけたり、新聞を読んだり、と、日々のデスクワークの日課をこなすことにいたしました。
今も、体を壁にもたれ、のけぞるようなお行儀の悪い姿勢で、ブログ記述を行っています。

数日前、寝たままで作業をしているとお知らせしましたが、いくら首は庇えるとは言え、少々無理がありました。
精神的にも辛い姿勢でしたから、今回のやり方の方が、素敵な暮らしからかけ離れない動作で、私には納得できます。

首のコルセットは、昨今の暑さでは、とても装着などしていられませんでしたから。
それに精神的な負荷もかなりなものです。

今の私には、この窓辺は天与の場所かもしれません。
昨日朝焼けに触れましたが、この窓辺は東向き。我が家は高台にあるため、遠景まで見張らせ、心がのびのびできます。
こんな素敵な場所がファミリール―ムにあるのに、何故か私はほとんど利用せず、家族用のダイニングテーブルが落ち着き場所になって
いました。
これからは、毎日利用するぞ~と、心弾ませています。(笑)

昨日は、朝、雷雨とともに土砂降りの雨。
病院へ出かけるのは無理かしら、と、迷い戸惑っていましたが、次女家族が蓼科に行く前に、昨夜お洗濯をした主人のパジャマを届けると聞き、
それに便乗し、最寄りの駅前で降ろしてもらいました。
電車を降り、そこからバスで、10分足らずでで病院です。

夫は、とても元気。
まるで私のブログを読んで反省したかのように、いつになく穏やかな口調。
もちろん、読んではいません。
妹の旦那様と同じように、ブログには全く関心がない人。
私のブログは絶対読んでいない、と確信をもって断言できます。

夫の話では、手術は予定通りに行われるようです。
左の肝臓は順調に育っており、すでに50パーセントくらいの大きさになっているとか。
右側は、栄養が絶たれ日に日にしぼんでいるようです。

お隣のベッドには夫より多少若い患者さんがおられます。
50代の時に肝臓がんを初めて患われ、16年の間に四回手術をされたとのこと。
今回が五度目。でもとてもお元気そうでした。

夫の病との本格的な闘いは、まだ始まったばかり。
これからも予断を許さない余生となるのでしょうか。

でもむやみに心配してストレスを抱えて生きるのが、一番体には悪いことですね~
夫には、今まで通り無愛想でいいから、私には一切気を使わず、気ままにマイペースで暮らしてほしいと、願っています。

今日は家計簿を集中してつけなければ・・・・・
1週間分くらいレシートがたまってしまって、さぁ~大変。

仕事がお休みの長女が、今日は病院に出かけてくれますので、私は主婦業に専念します。

皆様も、しのぎやすくなった今、御自愛の上、夏のお疲れを回復し、新しい英気を養われますように。

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昨日は、信じられないような大勢のご訪問と応援を頂き、感激でした。
有難うございます。
今後とも、宜しくお願い致します。


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無愛想な旦那様だけれど・・・

2011-08-19 04:54:46 | 家族

昨日は、次女家族が蓼科の別荘で過ごす予定を一日延期し、私に替わり、家族で病院へ。
そのため、私は、一昨日の極度の緊張から解き放たれ、心休めることができる日となりました。

けれども、体は、鉛のように重たく、首の異常な張りと、息苦しさにまた見舞われ、炎暑も重なって、何とも情けない日でした。
とは言え、家事は気力で何とか頑張り、予定の半分程はこなせ、ほっとしています。

その活力の源は、朝かかってきた夫の元気な声。
前日早朝の40分近い救急車の疾走の悪夢がウソのような、穏やかな落ち着いた声でした。

この調子であれば、手術も予定通り、行われることでしょう。
心配事は、一日も早く終わってほしい。そんな気持ちでいます。

思い起こせば、ここ一年半近く、私の生活は、夫の病が脳裏から離れることがない、ストレスを抱える日々でした。
しかし、夫はその数倍のストレスの中で、暮らしてきたに違いありません。

元気な頃は、定期券を買い、週に3~4回は、都心へ出向いていた夫。
そして学生時代から趣味の、映画を鑑賞するのが常でした。

しかし肝臓の病を患い、目の難病も抱え、視野が狭くなった今、近隣の街のお散歩以外、出かけることもほとんどなくなりました。
でも日頃の態度は、以前と全く変わらず、愚痴や弱音を吐くこともなく、実に淡々と過ごしています。

若いころから、無口で無愛想。夫の心は、妻の私にも見通せず、計り知れない事がいっぱい。
私には、それはさびしくもあり、辛いことでもありました。
恐らく、同じ気持ちを、娘達も抱いてきたことでしょう。

でもそんな夫が、社会的地位も得て、私達の信頼を裏切ることもなく、ひたすら家族を養い、支えてくれました。
そして、今なお、その恩恵に預かり、恵まれた日々を、私は過ごさせてもらっています。
文句なんていえる立場ではありません。

今の夫の苦境にあって、私は精一杯の恩返しをしなければいけない、としみじみ思うこの頃です。

普段、よく夫への不満を娘達に吐いてきた私。
この文章を読んだなら、私の、いつもと違う殊勝な心根に、苦笑いするのでしょうね。(笑)

これもブログの素晴らしい利点!書くことにより、自分を見つめ直し、本心を素直に出せます。
そうです。この気持ちが、私の夫へのいつわらざる心境なんです。

でも、きっと又、私は、傷ついたり腹を立てたりするに違いありません。
でも、ここ十数年、喧嘩をしたことはありませんよ。
旦那様は、全く他意もなく、自然にふるまっているだけなので。
ですから、私が傷つくと、いつも驚いている風なんです。

前回の入院時、私も体調が最悪だったにもかかわらず、一時間以上かけ、ほぼ毎日病院へ出かけました。
そんなある日のこと。

今では、もう思い出せないほど些細なことなのですが・・・
私の日参の努力と心配をよそに、夫の余りに無愛想な態度に内心傷つき、心を落ち着かせようと、一旦席を立ち、病室を出ました。
院内のコーヒーショップで一服し、気分を入れ替え、夫の元に戻ろうと、エレベーターを出たところ、前のホールをうろついている夫の姿が、
目に飛び込んできました。

「あなた、何してるの?」と思わず尋ねた私。

その答えは、「お前を探していたよ。」

私の、少々乾き、ささくれ立った心に、温かな物が一気に注がれた感じでした。
こういう表現を、態度で示すことはめったにない夫ですから、私には、思いがけないこと。
とても嬉しくて・・・
夫の冷淡に見える態度は、そのように見えるだけ。
新婚当初から、なにも変わらない。だから気にするのは止そう、と改めて思いました。

この落ち着きどころの心の整理を、私は妻として数百回してきたのではないかしら…(笑)

最後にまた夫の愚痴・・・・皆さん聞いて下さいね。(笑)

一昨日のハプニングで病院に運ばれ、夫が元気を取り戻した時の夫婦の会話。

私 「あなたは、私が救急車を呼んですぐ対処できたから良かったけれど、このような事態になった時、一人暮らしの人は、どうなるのかしら?」

それに対する夫の答えは、「すぐ意識が戻るよ」ですって!

何て想像力の働かない人!私がどんなに大変な思いをしたかわからないのね~
「心配かけたね」の一言くらいあってもいいのに。

もちろん心の中で叫んだだけです。

他意など全くない人と、また自分に言い聞かせましたとッサ。(笑)

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ピンクに染まった朝焼けがとてもきれい!心なしか秋の香が・・・・ 
多少でも凌ぎやすい日でありますように。
今日も、宜しくお願い致します。

 

 


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仰天!早朝からパニックの私

2011-08-18 07:09:16 | 健康

昨夜は、夏とは言え、尋常とは思えない寝苦しい熱帯夜。
異常な暑さに耐えられず、真夜中にもかかわらず、クーラーを付けました。
こんなこと、十数年久しくなかったことです。
余りの暑さで、空気が薄くなってしまったのでは、と思われるほど。
蒸せるような暑さがまとわりつき、横になっているにもかかわらず、息苦しく感じられてくる程でした。

皆さま方の所は、如何でしたか?

私の場合、この寝苦しさの訳は、もしかすると、違うことに起因するのかもしれません。
まだ、心が静まりきっていないのかもしれないと・・・・・・

昨日の早朝のこと、私は大変なショックで、パニックに陥りました。
そして、数十分後には、夫と共に救急車に乗り込み、ひたすら行き付けの病院目指していました。

この間の出来事は、あまりにリアルで生々しい出来事だった故、記述はあえて致しません。
ご想像にお任せします。

救急隊員さんは、大事をとり、とりあえず近くの病院に行くことを勧めてくれました。
しかし、主人の症状が落ち着くのを見て、私の要望通り、都心のN病院まで夫を搬送して下さいました。

病院にたどり着いた後、そのようにお願いしてよかった、とどんなに思ったことでしょう。
私は、少々オーバーな表現ですが、安住の地の懐に抱かれたような、安堵と、心の安らぎを感じることができました。

結局、即入院となったのですが、21日の予定が、3日早まったに過ぎません。

御想像にお任せします、と申しましたが、やはり簡単な状況説明を。
実は夫が、昨夜の夕食らしきものを、早朝に戻しました。

落ち着いてきたのを見計らって、私は、階下で家事を始めたのですが・・・。
ところが上で、、異常な物音が。
私は、夫のもとに駆け付けました。
何と、夫が寝室のドアーの前で、硬直したような体の状態で意識を失って倒れていたのです。

私が最初に思い浮かべたことは、肝臓の機能低下による病状の悪化。
死さえ連想してしまいました。

しかし、病院でのあらゆる検査の結果は、単なる急性腸炎で戻したことによる脱水症状との診断。
手術の経過はとてもよく、左側の肝臓は実に順調に育っていてなんの心配もありません、とのことでした。

私が、如何に安心したかは、皆様にも容易にご想像していただけますでしょう。。。

私も脱水が心配で、夫に飲むよう注意を促し、大きなコップになみなみ水を注いで枕元に置いたのですが・・・・・・

腸炎は、生もの、風邪の菌に因るなどいろいろで、原因の究明は困難とのこと。
夫は、インターフェロンの副作用で、一時的に白血球が少ない状態のため、菌に過剰に反応してしまうようです。
腸炎程度のことで済み、本当によかった。

まだ、予定日に手術をするかどうかは、夫の体力の回復次第のようですが、このまま入院となり、私は心からホッとしています。

それにしても、昨日の早朝五時過ぎのハプニングへの私の対応は、あまりに冷静さを欠いていて、我ながら思い出すと、少々情けなくなります。

私達の年齢では、だれにでも起こり得る事態。
今後はその備えと覚悟を常にしていなければ、と改めて痛感しました。

私の場合、電話の不手際で、妹夫婦に大変迷惑をかけてしまいました。
私は、光電話の場合、119番と110番は、そのままの番号では通じない、と取り付けた業者さんから聞かされ、ずっとそのように思い込んでいました。
いつか、調べて、何が起きてもすぐ対処できるようにしておかなければ、とば、と思いつつ、それをしないまま、この度のことに遭遇してしまいました。

そのため、連絡のしようがないと判断した私が、とっさに連絡した先は、なぜか娘宅ではなく、妹夢路でした。
いざ!となると、私が一番頼りにしているのは、どうも妹のようです。

「プラチナのように輝いて」のブログの読者の方は、私が申し上げるまでもなく、その理由をご理解いただけるでしょうが・・・・。
小さな子供を抱える若夫婦より、機動的に対処し、適切な助言を与えてくれそうな気がするのですね~

人生経験の重みが違いますから、いたしかたないこと。Nちゃん達、気にしないでね。(笑)

電話口にでてくれた妹の旦那様が、てきぱきと私の要望に応えてくれました。

心からお礼を申し上げます。

病院から帰宅後の話で、妹がBBフォンも私は通じないと、以前聞いた事が確かあるけど、きちんと通じたわよ、とのこと。
妹のところは、NTTと思い込んでいた私でした。

二度と同じ迷惑をかけないようにと、私が、その確認のために採った行動は・・・

厚かましくも、用事もないのに、119番へ電話をかけちゃいました。
即応答。ふくよかな落ち着いた声が返ってきました。

「119番です。何かありましたか?」
「110番です。何かありましたか?」

これはうろ覚えで、全く正確ではありません。

私の返事は、「何もありません。光電話が通じるかどうか確認させていただきました。御迷惑をかけ、申し訳ありません」

「通じますよ。安心して下さい」

「はいわかりました。ありがとうございます。」

相手の迷惑も考えない、まことに恥ずかしい行為でしたが、電話口に出られた方の声のなんと穏やかで優しいこと。

どんなパニックに陥っても、一瞬心いやされる一瞬ですね~

救急隊員のお仕事と共に、やりがいのある清らかなご職業だな~と、単純な私は、また感動で、感謝溢れる思いでした。

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今日もご訪問有難うございました。
皆様も、熱中症と脱水症状には、くれぐれもご注意くださいませ。
私の涙ぐましい必死な対応に、励ましの応援を頂けますとよ、疲れが癒され、大変感謝です。


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次女宅での夕餉のひと時

2011-08-16 12:28:14 | 家族

昨夜は次女宅に招かれて、共にお夕食を頂きました。
私の郷里、広島旅行のお土産話に花が咲き、懐かしい話題に、故郷を思いました。

お土産は、最近発売された新商品のもみじまんじゅう。

   

宮島には、学生時代、毎年遠足で出かけ、弥山(みせん)に登山、下山後、もみじ谷でお弁当を開いてお昼食が恒例でした。

平清盛にまつわる歴史と由来のお話は、あまりに有名ですので省きます。

朱塗りの鳥居、厳島神社が有名ですが、幼い子供達にとり、一番の魅力は、貝拾いを始め、カニやお魚と戯れることができる干潮時の遠浅の海。
海辺の周辺に放し飼いにされた多くの鹿.
ケーブルで弥山(みせん)に上り展望できる瀬戸内の景観、
更にそこで飼われているサルの集団達でしょうか。檻はあるものの、広いスペースの自然の岩山でサル社会を形成して暮らしています。

娘が幼いころ帰省すると、母とともに、必ず宮島に出かけ、2泊の楽しい小旅行を楽しみました。
時に、妹家族も一緒に・・・

私にとり、宮島は、郷里の観光スポットでは、一番懐かしい思い出あふれる場所ですが、久しく訪ねることもなく、ずいぶん遠い場所になりました。

しかし娘家族の今回の広島旅行のお目当ては、宮島ではありません。
去年落成した広島のマツダ市民球場で広島カープを応援すること。

偶然にも、次女のお婿さんのお父様の出身地も広島のため、彼もカープファン。
もちろん、孫のK君も、カープグッズに囲まれて過ごしています。

この日は、逆転劇の勝利で、見ごたえ十分、大満足だったようです。

ビデオで懐かしい街並みを目にし、私も、束の間でも郷里に戻った気分を味わうことができました。

この度の原発事故で、広島の原爆投下についても改めて考えさせられるこの頃ですが、平和資料館を見学した時の衝撃は、今なお忘れられ
ません。
私が足を運んだのは一回だけ。再度、足を踏み入れたい、とは思いませんでした。
婿の話によると、余りに悲惨な写真は取り除かれ、館内の雰囲気が随分変わっているとか・・・。
もちろん、幼い子連れの次女家族は、この度の旅行では訪ねていません。

いつか、原爆のことに詳しく触れたいと思いながらも、私は乳飲み子で、その壮絶な記憶もなく、両親も、避けていたのか、そのことを語ることは
ほとんどありませんでした。
ですから、私もブログで一度は詳しく書きたいと思いながらも、なかなか綴る気持ちになれません。

さて郷里の話は、この位にし、昨夜の娘宅で撮った写真を、載せることにいたしましょう。

その前に、ブログで語らずにはおれない嬉しいお話を。、いつか触れた次女の仏検受験の結果報告です。

旅行中に、二次試験も無事に通過で、合格通知が届いていたようです。準二級合格。
育児休暇を無駄にせず、幼子二人を抱え、よくぞ大きな目標を達成したものと、娘のひたむきな頑張りに拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。

我家では、私だけが無能で取り柄のない人。(笑)
異色の存在ですが、娘達の頑張りを励みに、残り少ない人生を多少でも有意義に過ごさなければ、と改めて思いました。

食卓の御馳走は、簡単に作れるものばかりすが、味はとてもよく、いつも感心します。
昨夜の残り物も入れて、お刺身定食とか…(笑)

  

枝豆が入ったお皿は、作家もので、娘宅のの財産だそうです。(笑)

親子そろって、インテリアには関心が深い私達。
次女がお嫁入り前、家具にこだわりのある娘の願いをかなえようと、炎天下、二人で、お店をを歩き回って家具を物色した事を、今も懐かしく
思い出します。

その代表格のいすの写真をご紹介。

                           

何でも、ニューヨークの近代美術館に展示されているようです。
いろいろ調べて、この椅子の説明書きをしたいところですが、横着な私は、それも省略。ごめんなさい。

娘のうろ覚えの名前を検索したところ、同じデザインのチェアーがありました。
いすの設計者は、イタリアの有名な建築家兼デザイナー、マリオ・ベリーニでした。
娘が購入した時より、価格が随分上がっているみたいです。

http://www.momastore.jp/bellini.asp?shopcd=11111

下の写真の子供向けチェアーも、大変人気の高いスウェーデン製のもの.
長女も使用していますが、伸縮自在で、大人になるまで使用できる便利さで、デザインもとても素敵。
お孫さんにプレゼントされると、大変喜ばれるのではないでしょうか。
後程、商品名もご紹介します。

スウェーデンではなく、ノルウェーの会社でした。訂正させていただきます。
社名は、ストッケです。ご参考までに・・・

   

   

Kちゃんに離乳食を食べさせる優しいお兄ちゃん         意思表示がはっきりし、次第に存在感が増してきたKちゃん

さて最後に、昨日のブログで、あおむけになってこの日記を書いているお話しの続き。

今朝も同じことを試みましたが、なぜか昨日のように楽には参りません。
コツを思いだせなくなってしまいました。

それで今日は、床に座り、左手を床に当て、体を反り気味にして、膝の上に載せたPCのキーを打っています。
こうすることで、手と体に重心が分散され、首の負担が楽になるのでは、と。何だかわけのわからない説明。
科学者の婿が読んだら、非科学的なでたらめな文章に苦笑いされそう。

とにかく、横になっているのが、今の私の病が回復する最善の治療法と認識しています。

でも、もともと寝ることが好きではない私。
無為に寝て過ごすのは情けないので、横になる時間を最大限、増やすとしても、その時間を最大限、有効に過ごしたい、と。

お化粧、新聞の切り抜き、それに目を通す時間、お洗濯の小物をたたむ時、その他、横になってもできる作業はすべてそうするよう心がけることに
しました。
そして患った首にできるだけ負担をかけないようにしようと・・・

一日も早く元気になりたいので、お行儀が悪くても、根気よく実行するつもりです。

そして秋には夫婦そろって元気な体になり、いよいよ十月に仕事復帰する次女と、小6のR君の受験間近い長女の多少でも手助けをしてやりたい、
と願う母ですが・・・・・・これからも、頑張ります。

明後日には、また夫と、電車に乗って病院へ。その時の診断の結果次第で、今後の予定が決まります。
もうひと頑張り、といった我が家です。

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今日は暑い上に、湿度が高いですね~
もうしばらくの辛抱でしょうか。
くれぐれもご自愛くださいますように。
勝手なお願いですが、応援クリックいただけますと、大変うれしいです。
宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 


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秋風が待ち遠しいこの頃 雑感いろいろ

2011-08-15 16:15:04 | 病気

盛夏、猛暑、酷暑、激暑

言葉が連なるにつれ、次第に暑くなる感じですが、最近の激暑、もう勘弁してほしい。
今の私の素直な心境です。元気な若者以外は、この気持ちに、皆様さほどお変わりはないでしょう。

仕方なく、クーラーも時々使用していますが、クーラーが苦手な私は、あまり長くその冷気に浸ると、却って気分が悪くなる体質のようです。
普通の体ではない夫には、「節電のことは気にしないで、書斎で自由気ままにクーラーを使用していいのよ」と伝えてあります。

でも今日は、いつもより心なしか涼しいですね~
時折、心地よいが涼やかな風がお部屋を抜け、ホッとします。。

そんな折、涼のメッセンジャーのごとく、緑濃い、丸々とした大きなスイカが、知り合いより送られてきました。

二つに割り、冷蔵庫に何とかおさめることができましたが、割った時の、食べごろに熟したスイカの鮮やかな美しい色に、しばし見とれて
しまった私です。
昼食のデザートで頂きましたが、のど越しを抜ける甘みのあるみずみずしい食感は、やはり夏には最高。

そして、マジョリンさんの今朝の日記を思い出し笑い。
ご主人様が、スイカを所望なさるお気持ち、私には、とても理解できますよ~(笑)
ザックザック、我が家では頂いています。(笑)

   

さて、暑さとスイカのお話はこれ位にして、これからが、今日の日記の本題です。

実は、一昨日、病院から電話があり、夫の入院と手術予定日の連絡が、早々とありました。

18日のCTの検査により、左の肝臓が順調に成長していることが確認できた上でのことのようですが。
ですから、まだ確定したわけではありません。

私達が予想したより早い入院に、一瞬戸惑い、驚きましたが、気がかりな事は早く終わってくれた方が、助かりますね~

私の全く存じ上げない先生からのお電話でしたから、夫に尋ねたところ、今は、院長先生、外科部長先生、それにいつもお世話下さる若い先生
と、三人体制で臨んで下さっているようです。

更に、インターフェロンでお世話になている最寄りの駅近くの総合病院の内科の先生とも、密に連絡を取り合っているとのこと。
当然なこととはいえ、先生方の患者に臨む真摯な姿勢に、心から感謝、感激しています。

夫曰く、「インターフェロンの先生は無愛想で、一言二言口をきいたらそれでいつも診察は終わりだ」と。

けれど、私の印象では、決してそんなことありませんでした。
まだ夫が入院しているころ、その先生から自宅に電話がかかってきました。
そしておっしゃるに、「退院したら、ぜひ会いたい。夏休み休暇に入る前に、その後の経過を知らせてほしい」と。
私には、とても優しく親しげに話しかけて下さり、夫の受け留め方とは、まるで違いました。

夫の体を気にかけ、全力で治療に当たりたいとの先生の篤い思いがしみじみと伝わり、私は大変有難く、心強く感じました。

きっと夫が無口で無愛想だから、先生もそれに合わせておられるだけですね。(笑)

いよいよ、二回目の手術と思うと、多少気が緩んだ気持ちを、また引き締め直さなければならず、私の体も復調したとは言えない中、この暑さも
重なり、本当に大変です。
でもきっと大丈夫。先日も書きましたが、気力は充実しているので、この調子で頑張ります。

今日は次女の家に、お夕食に招かれています。

旅行のお土産話とお土産があるようで、今から楽しみにしながら、気ままにこのブログ日記を書かせていただきました。

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被災地の方々が新盆をお迎えになられて・・・

2011-08-13 18:52:02 | 暮らし

響きが柔らかく美しい言葉、新盆・・・・・・
けれども、こんなに切なく悲しい言葉は、あまりありません。
失った大切な人々への思いが溢れ、迎える準備に、ことさら気持ちがこもる日です。

私も、両親を失って、迎えた新盆の時は、お寺さんのお経を聞きながら、涙があふれ、止まりませんでした。
感謝、追慕、寂しさ、後悔等、あらゆる感情が錯綜し、心の整理がまだできない時期でした。

被災地では、多くの方々が新盆をお迎えになられました。
自然が相手とはいえ、幸せな日常と最愛の家族を一瞬で奪われたやりきれなさと慟哭を必死でこらえ、お迎えのために、心の準備をされたに
違いありません。

老若男女、おびただしい同国民を失った私達日本人すべてにとり、この度のお盆は新盆と言ってよいのではないでしょうか。
改めて、被災地の人達の思いに心を馳せ、皆様がお元気を取り戻されますよう、亡くなられた方々の御霊が安らかであられますように、とお祈りせずにはおられません。

言葉でいくら殊勝な事を申しても、余りに多忙で、被災地の方々へ思いが至ったのは、本日が始めて。

ここ数日、夫が退院した直後でもあり、私は我家のお盆の準備に心奪われ、そのことに従事するのが精一杯でした。
とは言え、二人兄弟の私達夫婦、義姉家族は海外在住のため、お盆に訪れるのは、妹夫婦、子供たちのみです。

しかし今年は、次女家族は、旅行中。
実は、夫の退院日が決まり、旅行の日程を1日遅らせると言ってくれていましたが、新幹線の空席がなく、予定通り旅立ちました。

長女は、普段は仕事があるため子供の勉強が思うように見てやれません。
お休みの時とばかり、受験勉強中の小六のR君を特訓中です。

昨日はお寺さんをお迎えするに当たり、朝から余りに忙しく、夜になるとその疲れのせいでしょう。
首の痛みと張りがひどく、息苦しさで、大層辛い夜でした。

このブログ日記の記述も、根を詰めると、後が怖いので、2~3行家事の合間に、少しずつ書き続けています。

このような訳から、今年のお盆は、夫婦で静かに迎えることに致しました。

我家のご精霊棚の一部をお写真で・・・
お寺さんが帰られた後、お経台に果物を載せ撮りました。

仏壇は、観音開きの襖の中に納めてあります。
写真には映っていませんが、鴨居に藁ひもをかけ、五色のお盆供養幡がつるしてあります。
ほおづきや昆布をつるすこともあるようです。

細目に切ったきゅうり、なす、洗い米を混ぜた水の子をはすの葉の上に置きます。
水の子は、精霊棚に集まる有縁無縁の仏様やいろいろな霊の食べ物だそうです。

何とも味気ない食べ物ですね~
でも、お盆の供養の習わしの一つですから、その通りに、毎年いたします。

その他、亡くなった人達の好物、私は同じ食事を肉類を除いて供しています。

お盆がすめば、また夫の入院日が近づいてまいります。
退院後の夫は、今のところ、顔色も良く、食欲も旺盛。
前回の退院直後より遥かに元気です。
夫にしては珍しく、私の首の病を、チョッピリ、気づかってもくれます。

夫婦そろって余り大袈裟に構えず、自然体で次回の手術にも臨みたいものです。
信頼できる主治医、副主治医との出会いが、私達には、本当に幸運なことでした。

今年に入り、震災、夫の病、私の体調の変化、と目まぐるしくいろいろな出来事がありましたが・・・・・

何が起ころうとも、自分を見失うことなく、今を一番素敵にしたい、との思いを忘れず、丁寧に暮らせれば、と願って止みません。
体調は、まだ完全復調とは言えませんが、気力はとても充実してきましたので、この調子で頑張ります。

ブログの記述は、これからも、マイペースで、のんびり参りますが、今後も、変わらぬお付き合いと応援のほど、宜しくお願い致します。

 いつものように昨夜の夕食の献立写真も掲載させていただきます。

ねぎソースの豚肉冷やしゃぶ なすのみそ炒め、ニンニクソースの冷ややっこ、かぼちゃ


夏向きの美味しい簡単料理ですので、宜しければお試しください。
その内料理ブログにレシピも記載致します。
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最近の私の暮らしの情景アルバム

2011-08-11 14:37:05 | 家族

                               

 

退院したばかりの夫が、この献立の夕食を一口残さず全部食べ、驚き、感激でした。
無事に一旦退院。いつもと全く変わらず元気な様子で、まずは一安心です。
昨日の私は、病院に行く前に、お盆の準備のための諸品を買い求め、病院では、退院の手続き、私の整形外科の受診、帰宅後の夕食の準備、と目の回るような忙しさでした。
今日も、明日お寺さんを迎えるためのお掃除、他、相変わらず多忙です。

いつも妹と二人で参列する、8月10日恒例の、菩提寺でのお盆供養、施食会は、今回初めて私は欠席。
妹にお願いしました。

日本人の情愛がこもるお盆ですが、皆様、それぞれいかがお過ごしになられるのでしょうか。
都会の人は、田舎の人達ほど、この日への思いは篤くなく、、淡々と過ぎていく感じがします。
若い人たちは特にそうですね~
とは言え、我家でも、一応、お盆用の精霊棚は作ります。。
丁寧にお掃除もしてご先祖さまを迎え、日々供養しなければ、と思いはするのですが・・・
変わらぬ日常が流れていくだけで、いつも反省ばかり。

いろいろ思いはあっても、この暑さでは、体が、思うように動いてくれません。
気持ちばかりがはやります。

こんなわけで、今日も落ち着いてブログ日記を綴る気分ではありません。

せめてもと、最近の私の暮らしの情景を、簡単なアルバムにしましたので、もし宜しければ、ご覧下さい。

次女宅での夕食

うなぎずし、きゅうりの酢の物、焼きナス

焼きなすをポン酢で頂くのは始めってでしたが、大変おいしかったです。

  

 

表情がますます豊かになって・・・
私のキーホルダーがすっかりお気に入りのKちゃん

妹の旅行のお土産

スーパーとは格段の差の美味なリンゴジュース。

飲んだ一瞬、さわやかな清涼感が体に染み入るようです。

Aちゃん(夢路)ありがとう♪

病院の光景

幾度訪れても、素敵な病院と思いますが・・・・
でもやっぱり疎遠になりたいですね~

   

    

   

昨日の我が家の夕食

                   

    

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