今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

奥の深い日本語 

2015-10-31 07:17:24 | 日記

ブログを綴るようになり、日本語は、実に奥が深い言葉だと、ますます思うようになりました。

とは言っても、私は使用できる語彙は貧弱そのもの。

公開して文を綴っている自分の所作が、無性に恥ずかしくなることもあります。

 

そういうときは、開き直るしかありません。

ブログは文章の上手下手は、関係ない。

素直に心情を吐露し、自分の気持ちを見つめ励ます日記のようなもの、と思うようにしています。

 

私が愛読している大切な書物ですのに。
読書中にコーヒーをこぼしてしまい、ブックカバーが染みだらけに。(涙)
含蓄ある文章に私は惹かれ、最近は気が向いたところを読み続けています。

 

私が今再々読している草柳大蔵氏の著書「花のある人 花になる人」に、日記について、アミエルの言葉を引用した個所があります。

その言葉に、私は心から共感を覚えましたので、その文節を、前記事に続いてご紹介させて頂きすね。

 

<日記とはペンを手にした瞑想であるといったのはアミエルです。

中略

 「生きるということは、日ごとに快癒し、新しくなること、また自分を再び見出し、回復することである。日記は孤独なものの心の友であり、慰めてであり,医者である。毎日のこの独白は祈りの一つの形式であり、魂とその本体との会話であり、神との対話である」

ここまで自分を純化できれば、日記は反省の場になるでしょう。でも自己純化はなかなか難しいでしょう。しかし生きることは日ごとに快癒し、新しくなること。また自分を見出し、回復することはできるのではないでしょうか。いやその様な日々を送っていただきたいと思うのです。>

 

こんなに堅苦しい気持ちでブログを書いている人なんていませんよね。

ブログを綴る作業は、文章を書く能力もなく話題にも乏しい身には、苦労を伴うものだけれど、

思いを整理し、自分を見つめ直す充実したひと時であることも確かです。

ブログを書くことで、日ごとに快癒し新しくなることができれば、本当に幸せなことですね~

そのくらい価値ある、早朝のひと時にしたいものです。

 

50代のころ読んだ草柳大蔵氏の他の著書です。
両本とも、傍線がいっぱい引かれ、自分磨きの健気な努力の跡が……。(笑)

 

 最初から、文が思わぬ方向に流れてしまいました。

今日話題にしたかったことは、タイトル通り、日本語の奥の深さについて語りたかったのです。

もっと具体的に述べれば、漢字の奥の深さと言うべきでしょうか。

なぁ~て、大袈裟な表現。

身の程知らずでした。

夫婦の間で交わされた他愛ないエピソードをお話するだけに過ぎません。

 

私は毎朝、旦那さまの一通りのお世話の一回目を済ませます。

お食事を食べさせてあげ、ストマーのパウチ袋の汚物の処理、ドレーンの挿入口の消毒と滅菌ガーゼによる手当をします。

その後、20分くらい両足にマッサージを施しています。

足をさするようにそっと揉むのですが、その最中、文庫本をそばに置き、旦那さまに読んで聴かせてあげている私です。

 

Yさんは、肝臓がんの手術を行った後、目の難病が発覚しました。

それが進行し、数年前から読書もテレビの視聴も出来なくなりましたから。

 

 

意外にもYさんは、私の読み聞かせに素直に耳を傾けてくれます。

今は、新聞の連載小説になった井上靖著の小説「星と祭り」を読んでいます。

紹介分に惹かれネットで購入した中古本です。

現代の流行作家の著書より、昭和の書物や古典に惹かれる私。

感性に似たものがあり素直にその世界に入っていけ、心が、とても落ち着きます。

夫は、特別好きな作家ではなかったようですけれどね。

 

或る時は、私の読み違いを指摘され、夫の博識に改めて驚いたり、と。

いえいえ、私が非常識なだけです。

ヒマラヤ山脈の山の一つを読み間違えたところ、旦那さまに、

「マナスルだよ。この山を読み間違えるなんて、恥ずかしいことだ。

日本人が最初に登頂したヒマラヤの山ではないか」

と。

 

一方、私も、読み方に自信がない漢字は、度々夫に尋ね確認します。

夫婦揃っての、ほんの15分程度の読書タイムに過ぎませんが、私にとっては国語の学習時間にもなっています。

 

 

 つい先日の事。

私から、最近とても気にかかっていたことを質問をしました。

「あなたは、~がわかる、といった文を書いた時、わかるにどの漢字を当てるの?」

「判断の判かなぁ~、」と、旦那さまが答えました。

「あなたも、やっぱり『判』」

「実は井上靖も、わかるはすべて判を使用しているのよ」と私。

 

すると旦那さまが言いました。

「その人の好みで変わるよ。恐らく井上靖は、その字が好きなのだろう」と。

 

「好み」の意外な言葉に、漢字の奥の深さをチョッピリ理解したような気持ちになり、私なりに納得。

更に私は言いました。

「私が読んでいるカテゴリーのブログでは、理解の『解』が使用されていることが多いの。

私自身は、それを見るといつも迷うのだけれど・・・・・・。

分がどんな言葉にも当てはまる無難な使用に思えて、この字を当てること私は多いわ。

解は、ちょっと堅苦しいイメージに感じるの。

私の好みではないということかしら。

これからは、私も『判』を使用しようかしら」

 

二階の寝室と居間につながる夫の書斎。
壁面がすべて書棚になっています。

 

漢字には、すべて固有の意味がありますが、例えば「みる」を取り上げると。

これも受け売りの引用です。

<論語に『そのなす所を視、その因る所を観、その案ずる所を察(み)れば、人いずくんぞかくさんや』という言葉があるそうです。

その人が何をするか、どういう方法でするか、どうすれば満足するか、と言うように慎重に観察すれば、人間だれしも自分を隠すことができない、という意味のようです。

この文で使用されている「視」「観」「察」ですが、視よりも観、観よりも察がさらに詳しく「みる」ということになるようです。

察には、「気配を察する」「心中をお察しす」等のように、「察」には目に見えないものを見るという意味もありますが>

 

「みる」の漢字も、綴る人の好みで、使用頻度が変わってくるのでしょうね~

 私は恐らくふさわしくない漢字、あるいは間違えて、当て字を使用している事もよくあるに違いありません。

恥ずかしいことかもしれないけれど、ブログでは、他の方の記事でそれに気が付いても、私は特別気になりません。

私は、他のブロガーさんに間違いを幾度か指摘されたことがありますけれどね。(笑)

私は指摘するほど、自分の言葉の使用に自信もないし、その辺は自他ともに、実におおらかです。

 

文才を認められている旦那さまが、私のブログ記事の言葉の使用の間違いを見たらどうでしょうか。

ヒマラヤの山の名称をの間違いを指摘された時同様に、「日本人として恥ずかしいことだ」と言われてしまうかも。

幸いにも、私の夫は、ブログに全く興味がない人。

開設後、私のブログを一度も覗いたことがありません。

この幸運を喜びましょう。

 

徒然なるままに、私の思いを、勝手に書きましたが・・・・・・。

ブログを綴るときは、日本語を大切に扱う心がけを、多少でも常に忘れないようにしたいもの、とも思っています。

 

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夫のその後の病状と幸運な巡り会い 

2015-10-30 07:17:15 | 病気

介護暮らしをしていると、その大変さが身に沁みます。

冷え性の私は、寒さには滅法弱いので、秋以降、介護の苦労の荷が一段と重くなりそうですが。

夏同様、病人にとっては、なおさら厳しい冬。

何とかを無事に乗り超えてほしいもの、と祈るような気持ちで今からいます。

 

夫の病状には、癌以外に、放射線の副作用による腸の穿孔があり、その回復はもう望めない状況のようです。

その患部には、菌も巣くっているため、その穿孔部分のみならず、大腸の癌除去の手術もままならなくなってしまいました。

その菌が、体全身に回ると、恐ろしい感染症や敗血症に陥り、あっという間に命を落とす懸念があるからです。

手の施しようがなくなってしまっているのが悲しい現実のようですが・・・・・・・。

半面、治療の効果も十分出ている夫の体です。

 

 

去年の春には、腫瘍マーカーの数値は27でしたが、その年の秋には正常値3に回復しました。

大きく成長していた大腸がんは、縮小し小さく固まったままで、今日に至っています。

数値が高くなった時認められた、肝臓に転移した四個の癌は、その後すべて消滅。、

ところが、何という不運でしょう。

春先に、ペットで全身の検査をしたところ、背骨への転移が発覚しました。

しばらくは、その疑念あり程度でしたので、私は間違いであることをひたすら願いましたが、その希望は断たれ現実に。

 

その後しばらく経ってから、骨の癌による痛み出始め、その痛みが急速に強まっていきました。

そして忍耐が限界に至ってしまったのでしょう。

何事にも冷静に臨んできた旦那さまでしたのに、まるで人格が変わってしまったかのように、感情の抑制が効かなくなりました。

私は対応に戸惑うことばかり。

悲しい現実を凝視することしかできませんでした。

 

最近は、その後受けた放射線治療と医薬用のモルヒネ(オキノームとオキシコンチン)で、痛みも以前に比べると随分緩和されてきているようで、多少ホッとしています。

骨の癌は、命には別条はないので、その点は喜ばしい事ですが、今後ひどくなると、本人はむろん、介護者も、苦労に対する相当な覚悟がいるようです。

緩和ケア病棟へ、いつかは移ることになるのかもしれませんが。

できることなら、元気を取り戻し、穏やかな日々を自宅でいつまでも送ってほしい、とひたすら願っています。

 

 

今は週に三度の看護師の訪問を受け、最近、在宅医による月二回の診療も開始しました。

入退院を繰り返している病院の担当医や看護師さんは、我が家を訪れる医療スタッフさん達とも、密に連絡を取り合いながら治療に臨んでくださっています。

 

最初の頃は、お世話下さる方とはいえ他人が頻繁に我が家に出入りすることに、私は抵抗がありました。

マイペースの暮らしができなくなり、気を遣って疲れてしまうのではないか、と。

そのうえ、全くの偶然かもしれませんが、訪問看護師さんが訪れるようになって以降、夫の体調は、急速に下り坂。

急変の事態にも幾度も見舞われ、そのたびに救急車で病院に搬送されました。

その都度、いろんな疑問が湧き、私は悩みもしました。

 

このように、紆余曲折がいろいろありましたが、今はすっかり私の心は落ち着いています。

介護はますます大変になってきましたけれどね。

訪問看護師さん、ケアマネージャーさんのお人柄が素晴らしい事もあって、今では信頼しきって週に三度のお世話をお任せしています。

約二時間ほどですから、訪問のない日はむろん、訪問日もその前後に同様の手当てを私はしなけれんばなりませんが、人工肛門のパウチ交換をしなくていいのは、やはり助かります。

でもその後、パウチがよく漏れて、私が一番取り付けが上手だった、との自負は相変わらずなんですよ。(笑)

私が取り付けていたころは、めったに漏れませんでしたもの。

 

如何なることにも、多少の不満はつきもの。

今は小さな事には目をつぶって、有難さ一杯の心境でいます。

 

 

 

 一時は命が危ない事態にもなりました。

そのことの詳細は、またいつか綴れるといいのですが。

早く書きませんと、記憶が薄れてしまいそう。

ショックな出来事は、忘れてしまったほうが精神衛生上は好ましいことかもしれません。

頻繁に投稿する身であれば、当然のように書いていた事ですが、今となっては、記録として残すことにはためらいもあります。

簡潔にご報告するなら、白血球と血小板の数値が、抗がん剤の副作用で異常に下がってしまったということです

 

時に、医師と看護師で、夫の治療方針への対応への言動が不一致だったりして、困ることもありました。

看護師さんに、これ以上抗がん剤の治療を続けると危険と言われたり、と。

そんな時、私は割とはっきり自分の意見を述べてきました。

四六時中、夫の様子を見ている私には、夫の体が何を望んでいるか、第六感が働くような気がするからです。

度々の緊急事態を乗り越え、夫の症状が落ち着く度に、先生からも適切な判断でした、とお褒めの言葉を与ったりもしました。

 

 

夫の枕元の絵画です。
大空に飛翔する鳥の姿に、少しでもあやかって欲しいものです。

 

現状の判断は、そばで介護する身の直感は、割と当たったりしますが、今後の見通しとなると、どうでしょうか。

モルヒネが切れ、痛みが襲うと人が変わったようになってしまう旦那さまを見るにつけ、何もしてあげられない自分の不甲斐なさが辛くなるばかりです。

夫の症状の見極めで、今までは、私の第六感は割と冴えてはいましたが、偶然の幸運のようにも。

さほど当てにはならず、今は神様に祈る心境でいます。

 

最近(投稿時)、また旦那さまの症状が思わしくなくなり、私の心が休まるいとまがありません。

実は、数日前(10月27日)も、救急車でまた搬送され、今入院中です。

採決の結果、強度の感染症にかかっているとの在宅医の診断の報告を受けての緊急入院でした。

夫の様子から、そこまでひどい状況とは思えなかった私です。

ですから割と落ち着い対応で臨み、病院に救急車で向かいました。

私の思った通り、誤診だったようです。

けれど食欲が退院後、全くなかったため、今も入院を継続中です。

 

一進一退を繰り返しながら、家族のために頑張ってくれている旦那さまに、心からの感謝を捧げ、

介護に誠心誠意で尽くしたいもの、と思っています。

 

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無慈悲な庭主

2015-10-29 07:07:19 | ガーデニング

爽やかな、秋の時候となりました。

(十月の初旬のころの書き出しです。投稿時の今は秋も深まっています)

とは言っても、天高く馬肥ゆる秋にふさわしい、清々しい澄んだ青空はなかなか仰げなかった当地ですが。

最近は、やっと秋らしい気候が連日続くようになってきました。

酷暑の頃とは、心身の軽やかさが随分違います。

お庭に出て草花を愛しみ、手入れに励む心の余裕が、私に多少は生まれてきたでしょうか?。

 

 

異常な暑さ、背骨の圧迫骨折、その他の体調不良、夫の介護と、三重苦のかなり厳しい暮らしだった今夏。

ガーデニングを愉しむ、心のゆとりをなかなか持てませんでした。

草花は生き物ゆえ、それを理由に世話を怠ると、たちまち命が絶え、枯れてしまう。

十分そのことは承知していたはずですのに。

細々とでも、世話と手入れをやっていたつもりでしたが・・・・・・。

無残な姿が、お庭のあちこちに見られ、心が痛みます。

 

後悔先に立たずですね~

今更どうすることもできません。

修復には、相当の支出を覚悟しなければならなくて、悩みの種です。

 

 

 

数年、家族の一員の如く私と共に暮らし、さりげない姿で私を元気付け励ましてくれた植物の死は、とてもショック。

自分にはガーデニングをする資格なんてないのかもしれない、なんて感じ、かなりの自己嫌悪に。

けれど、今に始まったことではありませんでした。

毎年の思いです。

 

ポーチの階段下のコニファー、玄関横フェンスのアイビーの一部、そばに置いた鉢植えのアジュガ、庭の花壇のアクセントとなり私のお気に入りだったエレモフィラその他数種。

今はすっかり哀れな姿となり、蘇りは絶望的。

酷暑も理由の一つですが、エレモフィラは毎年、梅雨の加湿に耐えられないようです。

そのような場所には、新しい植物を植え替えることになりますが、経済的無駄の現実思考も、頭をよぎり・・・・・・。

 

多忙極まる生活ゆえ、年を重ねた今、庭の手入れまでは無理な所があるようです。

けれど、その苦労が報われるに十分な喜びが味わえ、心を潤おしてくれるのもガーデニング。

まだしばらくは、止められそうにありません。

細々とでも、続けていきたい。

私の理想の庭を目指して・・・・・・。

 

近影の花壇お様子です。

 

テクスチャーの異なる常緑の葉物を多くして、手のかからない庭を目指したい、と。

出来れば可憐な花が、ある時期には咲き、私の心をときめかせてくれるものがいいですね~

多種多様な変化に富んだカラーリーフの中に、季節の草花を多少取り入れましょう。

緑とお花が素敵なハーモニーを奏でてくれる、そんなしっとりした雰囲気の花壇にしたいものです。

 

色彩の強い華やかな花壇は、私の理想からは程遠くて。

野趣を帯びたナチュラル感漂う庭になってほしいものですが、夢を追うばかりの私。

まめな作業が伴いません。

 

我が家は南東向きですが、花壇の奥行きがなく、樹木とフェンスに絡む植物のために、ほとんど半日陰状態。

そこに、好きな植物を、適性も考慮しないで勝手に植えつける、無慈悲な庭主の私。

期待通りに育ってくれないのは当然です。

猛省ばかり。

 

 

一方、怠け者の庭主にお構いなく、今夏の厳しい暑さをいつもと変わらない趣で、元気に乗り越えてくれた植物たちも結構ありました。

そんな草花たちへの有難さと愛しさは格別。

枯らしてしまった草花には、心からごめんなさい。

一方、元気に乗り越えてくれた草花には、心からありがとう、を言いたい気持ちで一杯です。

我が家の家族の一員になり切り、今後も私の暮らしを見守り続けてくれることでしょう。

 

夫が私の父のように、植物に心を寄せる人であったなら、庭が、闘病生活の励みと潤いになったことでしょう。

庭のテラスが、心を癒すこの上ない空間になったに違いありませんが。

そんな趣味からは縁遠い人なのが、とても残念です。

 

せめて、私の介護暮らしの励みと暮らしの潤いのために、毎日たとえ数分でも、一度は庭に出て、草花に声をかけましょう。

日々の怠らない手入れの継続が何よりも大切、と改めて痛感するこの頃です。

 

 

 

下にご紹介した文は、私が若い時ファンだった草柳大蔵氏の書物からの引用です。

最近、また再読しました

下記の引用文の如く、私も草花のさざめきが聞え、時には花壇のお花たちと語らうことができる感性を身につけたいものです

 

「獅子文六さんが遺言代わりに書いて、机の引き出しにしまっておいた作品に『牡丹』という小品がある。
獅子さんは自分の病気がどうやらガンらしいと分かって、毎朝、庭に出てゆっくりと花を眺めるようになる。そうすると、
『牡丹が口をきいてくれるのです』と、獅子さんは言うのです。牡丹と獅子さんが、朝の庭でひそひそと話しあうということでしょう。

                中略

文芸評論家の小林秀雄さんは、獅子さんの『牡丹が口をきいてくれるのです』という言葉に打たれて、『そのように、花の声が聞こえるというのを文学者というのです』と私に語ってくれたことがあります。なぜか小林さんも私も涙ぐんでしまいました。」

 

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深呼吸のまほう

2015-10-09 07:52:21 | 健康

今日は、私が心から納得し、是非今後も実践したいと思っている、体質の改善法のお知らせです。

既に、実に気まぐれながら心がけ中。

何て、少々大袈裟な書き出しで、恥ずかしくなりますが・・・・・・。

多くの方々は特別、努力をなさらなくても、元気にお過ごしでいらっしゃるのかもしれません。

 

私は、前々記事で述べましたように、不安な症状の原因を突き止めるべく、最近、精密検査を幾つか受けました。

その限りでは、私の体は、差しあたっては異常なしの健康体だったのですけれど。

その改善法とは、以前にもお伝えしたことがある、腹式呼吸を意識して、まめに行うことです。

 

私は寝付は、いつもアッという間。

眠れないといったことはめったにありません。

けれど、60代の頃から、夜中に何度も目が覚め、時にしばらく寝付けないことも。

質の良い睡眠とは、とても言い難いものでした。

 

 

ところが、去年の暮の頃、床に就いた直後しばらく吐くことに時間をかける深い腹式呼吸を行うように心がけました。

すると、さほど日が経過しない内に、睡眠の質がみるみる改善されていったのです。

時々、夜中に一度も目が覚めないで朝を迎えられる日もあり、そんなときの感激は、相当なものでした。

 

今はどうかといえば、以前ほどの熟睡はできていないかもしれません。

次第に、その心がけが薄れてきているからです。

でも、昨日(この文章を綴っていた時の昨日で、かなり前の事です)は、夜中に一度も目が覚めることなく、6時間熟睡できました。

病院から夜が更けた9時頃に帰宅。

その後、娘たちに、見舞ったパパの症状についての心配事を相談しました。

体は疲れ切っていたものの、心は高ぶったまま床に就いた私です。

その心を鎮めようと、腹式呼吸をしばらくして寝たところ、それが良かったのでしょう。

よく眠れ、今日は体が、割と軽やかです。

 

 

これまでの私は、腹式呼吸は、睡眠の改善法としてのみ受け止めているところがありました。

それを心がけるようになって以降、睡眠の質が良くなり、一時体調もすこぶる良好になったからです。

眠りの質は、今は以前に比べると格段に良くなったものの、今年の夏の暑さは異常だったせいでしょうか。

疲れやすい体に、また戻ってしまいました。

その疲労感が、あまりにひどいと、軽やかな介護生活はままならなくなります。

 

そして、その頃、私は旦那さまに、よく話したものです。

「私って、なぜすぐ疲れてしまうのかしら???

最近、その理由で思い当たることがあるのよ。

もしかすると、私は一般の人より、肩に力を入れ過ぎて家事をしているのかもしれないわ。

もっと、すべての事にリラックスして臨むように心がければ、疲れないのかもしれない」と。

万事に、そういう傾向があるような気がしてきた私です。

 

その様な思いを抱くようになり、しばらく経過した頃、近くの大型書店で素晴らしい本に出合いました。

まるで、私が上述した思いを、心から肯定してくれているような内容だったのです。

その書物の題名は、「深呼吸のまほう」というものです。

 

 

この本の序章に、下記のような文が載っています。

 「私たちが一日約3万回繰り返す呼吸。

この命を紡ぐ営みに少しの意識を傾け、その質を向上させるだけで、

今抱えている慢性不調、そして未来に発現するかもしれない

病気の芽をスッパリと断ち切ることができるのです。

痛みや不調のない、真に健康で幸せな体へー

さあ、あなたにも「深呼吸のまほう」をかけていきましょう。」

 

この言葉にとても感銘を受けた私です。

読み進む間も、その本に綴られた一言一言に、心から頷きました。

「確かにその通りかもしれない」と

 

私は日ごろ、緊張して物事に当たったり、集中して臨む時、確かに浅い呼吸をしているように思いました。

例えばブログ記事を記述しているとき、自分の呼吸を意識すると、ほとんど息を止めたような状態になっていることも。

この浅い呼吸が体の慢性不調の原因のようです。

 

妹に、この話をしたところ、山登りの時は必ず吐くことに時間をかける腹式呼吸を実践しているとのことでした。

そういえば、私も急な坂道を上るときは、昨年末頃から腹式呼吸を意識的に行うようにしています。

それまでは、息が切れ、何度も途中で立ち止まってしまった私ですが、

このお陰で、休むことなく、割と楽に上り切れるようになりました。

これは、腹式呼吸をおこなうようになり、私が睡眠と同様に体験した改善のほんの一例です。

 

 

本の内容を要約し詳述すると、よく理解していただけて、皆様のお役に立てるのかもしれませんが。

いつも感性だけで綴っているような、私のブログ。

その様な面倒なことは、横着者の私が苦手とするところなので、お許しください。

詳しいことがお知りになりたい方は、是非上でご紹介した本を手に取ってみて下さいませ。

 

まだ最後まで読み終わっていない私ですが、これまで目を通したところで、心に刻まれた文章をいくつか取り上げ、ご紹介させて頂きますね。

 

「とりあえず死なない程度に息を吸えてていればOK!]
このような、深呼吸とはほど遠い浅い呼吸を繰り返しているひとがほとんどではないでしょうか。

「大切なのは、普段の呼吸をどれくらい丁寧におこなえているか、そのことにかかっているのです」

「よい呼吸とは、吸えて吐ける事です。息を吐くのが苦手なままの呼吸ではどんどん浅く表面的になってしまいます。ぜひ吐く息も強化していきましょう」

「一瞬クッと体を硬直させ、それとほぼ同時に息も止まっているはずです。

些細な緊張もいの1日何回、何週間、何か月、何年も積み重ねていけば、体はいつの間にか四六時中緊張していることが当たり前の緊張体質になっていきます。

何気ない日常動作の中にあふれる緊張が、呼吸を浅くし、未来の病気の芽を育てているのです」

「息を吸っているとき、体幹部分だけでなく、頭、背骨、肩、腕、骨盤、股関節、足首までもが動いていることがわかるでしょう。これは、呼吸の通り道である全身の関節が開いたり閉じたりしている動きです。こうやって、呼吸のエネルギーを全身に送り出しているのです」

「私たち人間が特別な補修をしなくても毎日元気に生きていけるのは、呼吸が休むことなく体を循環し続けることによって、筋肉、関節、血液、リンパ、免疫、自律神経など健康を司る各種機能がスムーズに働くよう自動調整してくれているからです」

 

書籍『深呼吸のまほう』のほんの一部の引用に過ぎませんが、お読みになられた皆様のご感想はいかがでしたか?

深い腹式呼吸を繰り返し、リラックスした体で、今日の日課に元気に臨みたいものですね。

「今日が一番素敵」な思いで・・・・・・。

 

昨夕(10月8日)のお夕食です。

介護用に松花堂弁当の器を買いました。
介護ベッドのテーブルでいただいた夫です。
呆けては全くいないしっかりしたYさんですが、最近すっかり甘え体質に。
私が食事も、毎度食べさせてあげています。

 

追記

最近はますます介護に時間を多くとられるようになってきました。

例えば、昨夕の夕食時の私の介護は、パウチの汚物の処理、食事を食べさせてあげ、ドレーンの挿入口の洗浄と滅菌ガーゼの交換、足のマッサージ。

二時間近くかかりました。

こんな事を毎日数度繰り返しています。

このような暮らしのため、ブログ綴りは、重荷と息抜きの楽しみが交錯するひと時です。

長く細く続けるために無理をしないことが大切。

一週間分を投稿する予定でしたが、少々疲れてしまいましたので、途中で打ち切り、しばらくまたお休みさせていただきます。

たくさんの温かな応援、本当に有難うございました。

またお会いできる日まで、ごきげんよう♪

 

 

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心身ともに弱い私ながら、生きる目標は高く 

2015-10-08 06:58:04 | 日記

前々回の続編です。

既に大雑把な下書きをしてあったのですが、読み直すと、前の記事と重複したところがあまりに多くて、投稿する心が引けてしまいました。

けれど、書き直すのも面倒くさくて、そのままの文章で、推敲のみして公開させていただきますね。

お読み苦しい点は、お許しください。

 

私の疲労の原因は?

今はむろん夫の介護でしょう。

しかし似た疲労感を、私は長い人生、日常茶飯事のように嘗め尽くしてきました。

濃い疲労に見舞われても、子供が幼い頃は休むこともままならなくて・・・・・・。

這ってでも、家事をこなさなければ、との悲痛な思いがしたものです。

前回の記事でも書きましたが、よくそれを「魔の時間」、と私は言っていました。

 

「這いたいほどの疲れ」の言葉に、妹は首を傾げたものです。

信じられないといった面持ちでした。

そして、「私は疲れをを感じたことがない」と豪語。

私には「豪語」という表現がぴったりの、驚きの言葉で、羨ましい限りでした。

年を重ねた今は、妹もさすがに疲労を感じるようですが。

 

 

この体質は、幼い時からで、小学生の高学年の頃、病院で検査を受けたところ、「無力体質」との診断を受けました。

母も私に似ていて、日中でもよく体を横にしていました。

けれど、気力で頑張る働き者だった母。

私の暮らし方も、母に似ているのかもしれません。

前回と重複した文章が続きますけれど、悪しからず。

ごめんなさい。

 

そんな疲れやすい体質ながら頑張り屋で、向上心だけは人並み。

常に暮らしと精神の充実を人一倍心がける性格でした。

若い頃は、頑張りたい気持ちが空回りばかりして、私はさぞ非効率な暮らし方をしていたことでしょう。

要領のいい性格ではありませんでしたから。

試行錯誤が連続の我が人生でした。

 

夫が転勤が多い職業柄、海外を含め、転居を数度繰り返した私たち家族です。

 その度に私は、尊敬できる素晴らしい友人たちに恵まれてきました。

その方達の影響を存分に受け、私は少しづつでも成長することができたと思っています。

 

 

若い時に比べれば、曲がりなりにも成長した自分に、幾分でも満たされる思いがしている昨今の私です。

育児書その他、修養書、自己啓発本の類が大好きでした。

ロサンゼルス在住中は、4年間、熱心に教会にも通い続けました。

そのおかげも、多少はあるでしょうか。

 

妹に、60代の始め頃、言われました。。

「今のお姉さまは別人のよう」と。

おそらく心身ともにひ弱で繊細だった娘時代の私と比較しての言葉だったことでしょう。

 

若い頃の自分より、今の私が好き、と言えるのは確かだけれど・・・・・・。

死ねまで、不断の努力を怠らないで、成長し続けることが、私の目標であり、生甲斐。

人生の目標は、常にそこに定めてきた私です。

観念的で抽象的過ぎる理想ですね~

きれいごとを言って恥ずかしい限りですけれど、思いだけはその通りでした。

 

その割には、余り成長していない自分に落胆もします。

満足なんて、まだまだ程遠い未熟な私。

 

 

このように、前向きの心構えで暮らしてきたのは事実だけれど・・・・・・。

体が思うようについて行ってくれないもどかしさは、相当なものでした。

夫を介護するようになってから、その不甲斐なさが、一層身に沁みます。

如何なる時も、笑顔で優しく接してあげたいと思っても、ひどく疲れていると、つい心も曇りがちに。

恐らく、私は少々不機嫌な顔になっているのでは・・・・・・。

介護を尽くすには、元気な体が不可欠。

その元気を何とか身につけたいと、私なりにいろいろ努力中です。

 

そして、最近、その努力の一つが間違っていなかったことを証明してくれる書物に出合い、心から納得。

本に書かれていることを、すでに私は去年の暮から、時々実行してきましたが。

けれど、習慣として身に付けるのは並大抵ではありません。

その心がけとは?

明日の続編で、綴りたいと思います。

 

 

最後に、私が座右の書にしている稲盛和夫氏の書物「生き方」の一節をご紹介させていただきますね。

この世に何をしにきたか」と問われたら、私は迷いもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えます」

「現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を錬磨することにある」

私は、この文章を読んだとき、長い間、私が人生の目標にしてきたことは正しかった、と感じ、心から嬉しく思ったものでした。

でも現実の私の暮らしは?

疲れやすい自分の体を持て余し、身の回りの雑事をこなすのが精いっぱい。

自己中心的な暮らしを送っているにすぎません。

理想からは程遠い暮らしの佇まいですが・・・・・・。

この目標を常に意識して、残り少ない余生を送りたいものです。

 

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家族のお誕生会~徒然なるままに

2015-10-07 07:36:26 | 家族

最近の私のブログ記事の、なんと暗い事。

我ながら、少々うんざり気味ですが、綴る心は、決して暗くはありません。

今日は昨日の続編の予定でしたが、視点をガラッと変えた話題に変更します。

前回の記事の続きは、明日に回すことに致しますね。

 

思いがけない長い休暇となった、今年のシルバーウイーク。

皆さまは、いかがお過ごしでしたでしょうか。

夫が退職後は、毎日が日曜日の暮らしとなった我が身。

全く関係がないお休みに思えますが・・・・・・。

 

家事・子育と仕事の両立をこなしながら多忙な日々を送る娘たちにとっては、めったに訪れないゆっくりした寛ぎの時間。

ですから、若夫婦の休日に思いを馳せると、私にとっても、やはり嬉しい限りの連休です。

大袈裟にいえば、国民の安らぎのひと時。

陽射しがひと際明るく輝いて感じらるのも、こんな時ではないでしょうか

幸いにも、良いお天気に恵まれたシルバーウイークでしたね~

 

 

さてこのような連休の時に、我が家は家族全員集合のひと時をよく持ちます。

長女家の孫娘は受験を控えています。

次女家では孫息子のK君が、少年野球クラブの一員として、週末は土、日とも、グランドで活躍中。

ママは役員として、同様にグランドに出て、子供たちを見守り続けています。

 

お休みの週末もこんな具合で、のんびりとは、なかなかいかない娘たち。

ゆえに、大型連休の嬉しさはひとしおでしょう。

その一日を、この度も両家揃って、我が家で過ごしてくれました。

 

娘たちが準備してくれた前菜の一部。
他に揚げたてのポテトフライ、サーモンなど。

主菜はマカロニーグラタンとミネストローネスープでした。

 

老老介護でかなり厳しい日々の私には、まるで束の間の夢のようなひと時に感じられます。

闘病生活を送る旦那さまも、同様の思いだったに違いありません。

家族との至福のひと時が、私の生きるエネルギー。

「明日から、また頑張りましょう」

と、自分を励ましましたが・・・・・・。

若夫婦たちを見送った後、明日の暮らしとの落差を思い、なんだかチョッピリ複雑な心境に。

 

 

事実、翌日は、区役所の保険課、福祉課への問い合わせ、訪問看護師さん、在宅医の診療、ケアマネージャーさんの訪問、と入れ替わり立ち代わり、人の出入りがあり、目が回るような忙しさ。

一気に、現実に引き戻されてしまった私です。(涙)

 

 

今回の集いの目的は、次女家の子供たちのお誕生日を祝うことでした。

夫を励ます会でもあることも、誰もが承知していることでしたが、家族全員、いつもと変わらない振る舞いを心がけていました。

夫も、そんな態度を一番喜ぶ人。

とはいえ、優しい娘たちはさりげな気配りを常に心がけていましたけれどね。

 

横顔に笑みが♪

二度、寝室からの入場、退場(笑)を、娘たちの介添えで繰り返した旦那さまです。

 

前回、家族が集合した時より、はるかに元気で、リラックスしていた夫。

かなり厳しい症状に最近見舞われ、それを乗り越えたばかりです。

ですから、私も娘たちも、思いがけない穏やかな姿を見て、安堵に浸り、喜びをかみしめました。

 

ソファーから起き上がり、孫たちと一緒に食事をする夫。

 

夫のことが先になりましたが、

今回の集まりで同様に嬉しかった事は。

お誕生日に寄せての身内のプレゼントに、次女の子供たちが笑顔いっぱいで応える可愛い姿に、見惚れてしまったことでしょう。

健やかに、五歳と十一歳のお誕生日を迎えることができたK君とかれんちゃんです。

本当におめでとう!

働きながら子育てを頑張る、ママ、パパの苦労も思いました。

 

 

こんなあどけないお顔が見られるのも、後¡~2年でしょうか。

ちょっとオネムなってきたかれんちゃん。

 

長女家の子供たちの健やかな成長も、同様に嬉しい事でした。

さっちゃんは受験勉強を頑張っているものの、、成績が振るわず、心配の種ですが・・・・・・。

今の成績では、第一志望の中学合格は無理のようだけれど、

結果は二の次、頑張る過程が大切なこと。

受験期のみならず、私の子育ての際の口癖でした。

 

人事を尽くして天命を待つの心境に到達してくれたなら、一番喜ばしいことだけれど。

今一つ欲がなく、天真爛漫そのもののさっちゃん。

さっちゃんの素晴らしい取柄なのですけれどね。

祈る意外、何もできないおばあちゃんです。

 

明るいお姉ちゃんのお相手で大喜びのかれんちゃん

 

高1のR君は、初孫ゆえの特別な思いが私にはあります、

パパとおじちゃん三人で席についている様子を見る限りでは、決して引けを取らない、風貌になってきました。

ママには、

「R君、ますます大人っぽくなってきたわね~

もう子ども扱いをしてはダメよ。演技でもいいから敬意を表すくらいの態度で、R君には接しないと。

その様にして認めてあげることが、成長の原動力になると思うから」

と言いました。

 

手前がR君

 

ママ、パパから見ると、まだ心配が尽きない子供にしか見えないようです。

両親が優秀すぎると、子供は大変。

女性ながらママは、ますます仕事が熟練の域に到達してきたようで、全国展開の会社の商品開発部の部長代理に昇格したとか。

私には、頼り甲斐のある頼もしい娘ながら、老婆心から時に小言も言いたくなる子供たちであることに変わりありませんのに。

そのせいか、最近私への話し方が時折、ビジネスライクで上から目線。

時々カチンときます。(笑)

 

 

間もなく部長昇格の試験も受けるようです。

最初は喜ばしいことと受け止めたものの、心配のほうが大きくて。

そんな地位に就くと、責任が重くなり、家事と仕事の両立がますます大変にならないかしら。

細身の体が耐えられるかしら、と。

 

次女も、マネージャーの職で頑張っています。
お婿さんの絶大なる協力があり、姉のMちゃんは、いつも羨ましがっています。

 

若夫婦両家とも、よく頑張って、幸せな家庭を紡いでいるようだから、いろいろ取り越し苦労の心配はしないようにしましょう。

私は、夫の介護と家事の両立が精いっぱいの身ですから。

 

忙しい毎日ながら、娘たちは、とてもよく私に協力もしてくれます。

最近の夫の退院日には、長女がお迎え、次女はK君の野球試合終了後、我が家で数時間、パパの世話をしてくれました。

心強い限りで、感謝しています。

若いとはいえ、娘たちの逞しい生活力に、ただただ感嘆!

 

でも、健康第一です。

無理はし過ぎないように、お仕事はほどほどに。

 

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私の体は、意外にも健康そのもの 

2015-10-06 07:26:23 | 健康

私は、意外感で一杯なのですが・・・・・・。

私の体は、年齢の割には健やか。

さしあたって問題になるような所見は、今のところ見当たらないようです。

 

夏の終わりに強度のめまいに襲われ、駅前の交差点で、不覚にも倒れてしまった私。

その後、救急車でかかりつけ医の総合病院に搬送されました。

その不甲斐ないお話を、前回の一連の記事の中で致しましたが、その後心配となり、いろいろ検査を受けた私です。

ところが、全く異常なし。

 

 

実は、このようなすこぶる良好な診断結果は、今に始まったことではありません。

2~3年前に体調を崩し、頸椎の痛みとだるさ、息苦しさ、のどの異常な渇き、食欲不振と、次から次へとかって経験したことがない症状に見舞われました。

夫が肝臓がんの手術をし、ネット上で訳の分からない辛い出来事に遭遇した頃に重なります。

その時は、息苦しさで声も出なくなった私の様子に、妹が驚き、一日家事を手伝に来てくれたり。

娘たちも心配し、医者嫌いの私に同伴し、総合病院に連れていってくれたり、と。

そしていろいろと検査を受けましたが、その時も全く異常なし。

唯一診断名が下されたのが、「頚部脊椎症」でした。

 

採血は、わが町の個人医院のみならず、総合病院で本格的な検査も受けましたが。

幾分貧血気味以外は、すべて正常。

最近、数回受けた検査結果も同様でした。

 

 

この度は、数年前とは違う症状でしたし、数か月前、背骨の圧迫骨折もしています。

ゆえに、検査対象も異なり、脳と脊椎が中心でした。

24時間ホルダーをつけ、心電図の細かいチェックもしていただきました。

狭心症に似た発作で、20年間に亘り、怖い思いを幾度も経験している私ですから。

時折ニトロを服用しています。

特に、ここ数週間は頻繁にかなり強い発作に見舞われている私。

ストレスの一言で片付けてしまっていいものか?

何だかとても不安な気持ちがしています。

 

ところが、24時間監視の心電図も、多少の不整脈はあるものの、心配するようなものは見当たらないとのことでした。

発作は、一時的な痙攣によるものでしょう、と。

脳のCT、MRIでも異常は見られず、他の部位の超音波の検査でも、全く問題なし。

骨密度も、この総合病院で測り直しましたが、私の年齢層の平均値より高く、若い人の86パーセント並み。

骨粗しょう症の治療の必要はない、とまで言われました。

 

実は前に通った整形外科医院で勧められた自己注射の治療は、とっくに挫折してしまった私です。

そのストレスは相当なものでしたから。

介護暮らしの最中、毎日二年間、自ら注射を打ち続ける自信は持てなくて。

骨を丈夫にする効果は非常に高い、良薬のようですが、もっとゆとりのある暮らしになってから再度検討することにします。

 

妹(ブログ名 世界の一つだけの姥花日記)が旅行先から届けてくれたお土産品の数々です。
いずれも滋養が高く、感動するほど美味。
義兄の回復を祈る気持ちが伝わってきて、感謝一杯でした。

 

妹に最近、この診断結果を報告したところ、

「きっとお姉さまの方が長生きするわよ。

骨密度も、私よりいいじゃない」と。

 

私には信じられないような喜ばしい診断結果ですが、幼い時から虚弱体質で、よく熱を出し、学校を休んでいたのは事実。

疲れやすい体質は、物心ついてからずっと私に付きまといました。

まさに私の人生の弱味、あるいは泣き所とでも言えばよいかしら。

とても働き者だった母も、私に似た体質でしたが、

被爆体験など、如何なる困難にも気力で立ち向かい、乗り越えた気丈な人でした。

私も、気力は人並みで働き者の方でしょうから、母に似ているのかもしれません。

 

今後は、もっと自分の体に自信を持ちたいものです。

けれど、幼い頃からの私の疲れやすい体質を変えるのは至難の業。

そのために、タイマーを使用したり、計画を立てた暮らりしを心がけ、自らを鼓舞して元気づける努力をしています。

 

 

但し私には特技(?)があります。

心まで疲れ切ってしまうことは、ほとんどありません。

若い頃は、そのような状態に陥り、親に随分心配をかけた私ですけれどね。

これは内緒。

高校時代、数か月登校拒否状態に陥ったこともあるんです。

向学心は人並み、それ以上だったかもしれないけれど・・・・・・。

体力がなくて集中力が持続できず、そのうち自信喪失の自暴自棄に。

公開でしゃべっては、内緒になりませんね~(笑)

ですから弱い心で悩む人たちの気持ちは、とてもよく理解できるつもりです。

その反省から、娘たちには、優しくて逞しい心の持ち主になってほしい、と願いながら子育てをしました。

その願いは期待以上に叶い、親冥利に尽きるほど幸せな事だと思っています。

 

 

こんな具合で、娘時代までは、弱い心身を持て余し、悩み多き日々でしたが・・・・・・。

結婚後、尊敬できる良妻賢母の良き友人に恵まれ、その方々の薫陶を受け、私も驚くほど逞しくなりました。

心身が疲れ果てても、心は割と早く元の元気を取り戻せるように。

この特技で、私は長い歳月、如何に救われてきたかわかりません。

最近の数年にわたる息苦しさは、相当なものでしたが、心はいつも前向きでいられたので、乗り越えられたのだと思います。

よく夫に、少々自慢げに、「心の弱い人だったら、この息苦しさは堪えられないと思うわ。鬱になって当然ではないかしら」といったものです。

 

上に挙げたような症状には見舞われませんでしたが、毎日の疲労感は、若い時はもっとひどかったようにも。

私は「魔の時間」と言っていましたもの。

這ってでも、家事と育児を頑張らなければならない心境だったからです。

 

その疲労感は、今も相変わらずですが、最近、自分を度々襲う疲労の原因を、多少なりとも突き止めたような気持ちになっています.

ある書物に紹介されていた、その原因と改善法。

それを読み、心から納得はした私です。

ですけれど、言うは易く行うは難しの方法なんです。

このお話は次回に回させていただきます。

 

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痛みを乗り越え、病と闘う夫 

2015-10-05 07:22:49 | 病気

夏の名残は跡形もなく消え、すっかり秋の趣となりました。

日本の四季の移ろいに、我が国の風土の情趣を思い、この国に生まれて良かったとの感慨に、私はよく浸ります。

そんな季節が巡る中、私の暮らしは変わりなく、夫の介護に明け暮れています。

季節感に浸る心の余裕も失ってしまうほどの日々ですが・・・・・・。

どんなに大変でも、夫にこの移ろう季節を肌で感じながら、幾年も生き抜いてほしいと、願って止みません。

 

 

癌を患い、痛みが出始めたころからの夫の性格の変わりようには、私は戸惑う事ばかり。

時に傷ついて、落ち込むこともあります。

元気な頃は、夫が腹を立てたり、いらいらする姿を私は見たことがほとんどありませんでした。

皆無といっても、大げさではないほど。

60代後半頃から、老いの現象か、多少短気になりましたけれどね。

娘たちは、父に叱られた記憶はないでしょう。

私も、文句を言われたり注意を受けたことは、ほとんどありませんでした。

 

とは言っても、特別優しい人でもなかったです。

若い時から、家族に気遣いの言葉をかけたり、冗談を言って家族の団らんを盛り上げたりたりするような人ではありませんでしたから。

でも不思議。

会社では、気の利いたジョークを飛ばせる、遊び心がある人で通っていたようです。

 

 

そして、頭脳明晰、教養も豊か。

私の知識なんて、夫の足元にも及びません。

けれど、暮らしの知識や知恵にはまったく疎いところがある、旦那さまですけれどね。

そして、大変な読書家。

読書にまつわる面白いエピソードが、最近ありました。

介護タクシーで我が家に戻った時、運転手さんが、書斎兼寝室まで夫を介添えしてくれました。

そして部屋に入るなり、

「ご主人は、作家さんですか?」

と。

私も夫も、笑ってしまいました。

書斎は狭いため、膨大な量の本を古本屋に二束三文で売り、処分してきた旦那さまです。

大した量でははありませんのにね~

 

我が家では、いつも寡黙だったYさんですが。

娘たちが成長し嫁ぎ、お婿さんが我が家の一員になってからは、次第にお喋りに。

家族が全員そろった時は、大人の会話を心から愉しんでいる風でした。

長女のお婿さんが言うには、夫の話題はユニークで、興味をとてもそそられるとか。

でもやはり、一番無口であることには変わりありませんけれど。

 

そんな旦那さのの様子が次第に変わって行くのを見るのは、堪えられないほど辛く悲しい事です。

 冷静だったYさんでも、癌による痛みには堪えられないのでしょう。

「痛いよ~痛いよ~」と悲痛な声を、一時期よく上げました。

 

 

娘達には、

「これまでのパパの暮らしからは、まるで幼子のような叫び方をする態度が信じられない」

とよく私は言いました。

痛みはもしかすると、人間にとり、一番辛い苦しみなのかもしれません。

人格まで変えてしまう、恐ろしい現象。

私にはその痛みの幾分でも想像できる経験があります。

 

背骨の圧迫骨折をした時の事です。

レントゲン撮影をするために、寝台に横にさせられました。

看護師さんが、無造作に幾度も私の体位を変えようとします。

その度に、火柱が全身を突き抜けるような激痛に見舞われ、

「止めて下さい!止めて下さい!」

と、叫びに近い呻き声を発してしまいました。

起床するときにも同様の痛みに襲われ、床を離れる時の緊張は相当なものでした。

その時の私に似た痛みが時折ではなく、間断なく夫を襲うのであれば、叫び声を上げるのは無理からぬ事に思えます。

痛がって、感情の抑制が効かなくなった旦那さまに、私はうろたえながらも必死で対応し、子供をなだめるように接するしかありません。

 

三月頃、大腸がんの背骨転移が判明しましたが。

その箇所に放射線を照射する治療を約二週間にわたって8月の半ばに施しました。

そのおかげで、痛みが随分緩和されているようです。

多少ホッとしている今の私です。

 

 

しかしこれで安心は全くできません。

骨転移すると、病人も介護者も、相当の覚悟がいるようです。

今度の対応を娘たちと、時々話し合っています。

旦那さまに、少しでも楽な暮らしをさせてあげたい。

穏やかな日々を送ってもらい、できる限りの天寿を全うさせてあげたい、と熱い思いで一杯の私です。

私の今後の生きがい、と言っていいかもしれません。

 

 人格が変わってしまった如くの振る舞いが多々見られた旦那さまでしたが、

最近は、元の平静で穏やかな接し方も、時々私にしてくれます。

しかし、私の献立の七割がたは食べてくれるほど、食欲があった旦那さまですのに、

数週間前あたりから、その量が激減。

今はそれが一番気がかりです。

 

私は、夫の余命いくらと言われようと、希望は捨てていません。

人の命を医師とはいえ、宣告するの不遜な行為ではないでしょうか。

今後数年間、あるいはもっと長く、この人と一緒に暮らせる幸せを思い、

いつまでも長生きしてほしい、と心から願っています。

 

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