今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

最終回 私の子育て~徒然なるままのまとめ

2019-10-17 07:33:51 | 家族

この度の娘の受験にまつわるも記事も、今日でやっと最終回。

何だかほっとしています。

こんなに不人気だった記事は、今までに余りありません。

ブログ村の皆さまの関心の薄さがとても分かり、何だか次第に恥ずかしくなりました。

でもブログは、公開とは言え、あくまで個人日記。

そう自分に言い聞かせるようにしていましたが。

内心、INとOUTの少なさに(私の過去のブログ記事と比較してです)、ハラハラドキドキだった私です。

お読みぐるしい点がありましたのなら、お許しくださいね。

 

ここから、前回の続きです。

受験は無事終わり、長女のMちゃんは、何と受けた三校の学校すべて合格でした。

全く考えもしなかったこと。

落ちて当たり前。

でもやるからにはベストを尽くす。

そんな思いで臨んだ受験勉強でしたから。

 

Mちゃんがとても仲良くしていた、お嬢さんのお母様に言われたものです。

「コネで合格されたのでは、と思っていましたけれど・・・。

国立の学芸大付属に合格されたので、実力だったのですね」と。

そう疑われてもやむを得なかったでしょう。

余りに短い、準備期間でしたから。

良く受かったものだと、親の私も、Mちゃんの頑張りと能力に頭が下がる思いになりました。

 

 長女が中学から大学まで使用した学習机です

 

でも、私のMちゃんの勉強への協力と頑張りはそこまで。

また元のおおらかでのんびりとした母親に戻ってしまったのです。

勉強に関してはですが。

私は日ごろの生活態度や言葉遣い、身だしなみなどに関しては、結構口うるさいところがありました。

内面の成長が一番大切なことは、言うまでもありませんが。

形から入ることも、重要、と思っていましたから。

 

夫は、何もかも私任せ。

子供達を叱ったことも一度もなく、成長後は関わることもほとんどありませんでした。

幼い時は、週末には必ず公園に連れて行ってくれましたけれどね。

そんな父でしたが、パパには敬意を払い、言葉遣いも丁寧。

娘たちのその態度は、終始変わりませんでした。

 

お話が、チョット横道にそれてしまいましたね。

元に戻します。

その後も、中高の成績はトップクラスだったのかもしれませんが。

成績に余り関心もなく、通信簿を見せてもらった記憶さえあまりなくて。

恐らく、ちらっとは見ていたのでしょうが。

ほどほどの成績で、有名女子大学に入学し、幸せな結婚をしてほしい、との願いは相変わらずの私。

 

ところが、Mちゃんが、高校生になった頃からだったでしょうか。

将来働きたいと、言い始めたのは。

その当時は私の頭はまだ固くて、伝統的な価値観に縛られたまま。

猛反対したものです。

時代の流れとともに、その後、私の考えも、急速に変わっていきましたが。

 

高校一年生になり、大学受験のための塾選びをしないといけない時期になりました。

でも、Mちゃんは、至って暢気。

受験準備に取り組む姿勢は全く見えなくて。

テニスクラブの活動と友達との交流を心から愉しんでいる様子でした。

もちろん、塾にもまだ通っていなくて、模試など一度も受けていません。

 

 次女の学習机

 

さすがに私は心配に。

でも中学受験の時のように、親が関われる年齢では、Mちゃんはもうありません。

本人が目覚め、本格的な受験勉強に取り組んでくれるのを待つしかなかった私です。

塾選びや、どの講師の授業を受けたらいいか。

そういった事では、私も多少下調べをして、意見を言った覚えがあります。

さすがに私もイライラして、もう始めないと間に合わない、と何度か注意したようにも。

 

そんな暢気なMちゃんでしたが、高2の夏に初めて受けた駿台の全国模擬テストの結果は素晴らしい成績でした。

その全国の順位を見て以来のことです。

Mちゃんは、東大を目指せるのでは、と思ったのは。

 

私は早慶さえ、まったく考えていなかったのですが。

突然、心変わり。

東大合格が、現実味を帯びることに。

娘ながら、主人の後輩になれるかもしれない、と夢のような想像を膨らませ始めました。

この驚きは、中学受験の前、四谷大塚の合否判定模試を受けた時とそっくりです。

 

Mちゃんは、高2の夏から、本格的に塾に通い始め、結局、東大も受験。

でも本人は、力試し程度のつもりで受けたようです。

合格してももさほど喜ばなくて、大学選びで、私と一悶着。

国立の大学に入学してくれれば、親は大助かりですものね。

私は絶対譲歩しませんでした。

最高学府の大学に受かったのに、それを棒に振るなんて、前代未聞のことにも思えました。

 

今は社会の最前線で活躍しているMちゃん。

最近、上司として、部下の結婚式の主賓になったようです。

もうそんな年齢になってしまったのだと、Mちゃんは自嘲気味でしたが。

私が国立大学に入ることを勧めたことを、今は、感謝してくれているに違いありません。

 

 昨夜の夕食です。

 

この度の一連の記事は、今日で終わりにします。

今日で何としても終わりにしたいと思い、とてつもない長文になってしまいました、

お付き合いくださいました皆さま、本当にありがとうございました。

過去の想い出記事を綴ると、自分の文章力のなさを一層痛感します。

余りの拙文で、恥ずかしくてなりませんが、何とか書き上げることができました。

 

娘二人、東大を卒業と知った方は、たいそう驚かれますが。

私は教育ママではなくて、意外に暢気だったこと、お分かりいただけたのではないでしょうか。

 

最後にまとめのつもりで、私の子育てへの思いを、もう少し書かせてていただきますね。

今思うに、長女は短期集中型の勉強。

一見暢気に見えましたが、陰でものすごい集中力を発揮していたのでしょう。

 

一方、次女は長女とは正反対。

ひたむきに努力をする子でした。

その姿は、痛々しく感じられるほど真剣で、常にお姉ちゃんが目標。

恐らくお姉ちゃんの数倍努力をし、時間もかけて勉強。」

そして夢がかない、同じ中高、同じ大学に入学しました。

大変な努力家ながら、間の抜けた行為が次女のMちゃんには実に多くて。

私はフォローが大変でしたけれどね(笑)

 

勉強姿勢が全く違う娘達。

でも二人とも、成績が優秀、

そんな娘を育てられた私は、母親冥利に尽きる幸せ者だったのかもしれません。

 

自分に厳しく、他人に優しい人になるように。

自分に甘く、他人に厳しい人にだけは絶対なってはいけない。

一生懸命何事にも誠実に取り組んでほしい。

その過程を何よりも大切にしてほしい。

結果は神様が決めてくださることだから、心配しないように。

これが私の口癖でした、

 

勉強しなさい、と言った覚えはほとんどありませんが、

受験の準備期間中は、精いっぱい気を遣いました。

 

小学生の低学年の頃、テスト用紙のペケ印を見せられても、あまり気にしなかった私です、

理解度や、その時の調子で、色々あって当然、

そんなおおらかな母親でしたが、漢字テストを間違えた時だけは、私の顔が曇りました。

努力さえすれば、漢字テストは必ず百点が取れるはず、と言って、子供に努力することの大切さを教えたものです。

 

就学前に、お勉強と、何事にも一生懸命取り組むことの大切さを教え、褒める教育をしたことが、一番良かったのかもしれません。

叱ったこともよくあったのですが、妹には、「お姉さまは子供を褒めてばかりいた」と言われたことがあります。

 

今の娘たちは、私が描く理想の女性像に近い、と言えるほどに成長してくれています。

私が持ち合わせない、賢さ、体力、精神力、全て兼ね備えていて、本当に羨ましい。

良きお婿さんにも恵まれ、心優しい母親、妻として、職業人として、私の期待以上の生き方をしてくれています。

 

でも私は卑屈にはなってはいませんよ。

母親の威厳は保っているつもりです。

飽くまでつもり。(笑)

 

人生において、私の夢が叶った二つの内の一つは、これで終わりとします。

もう一つ叶った、大きな夢。

夢を追って数年間、方眼用紙にひたすらマイホームの見取り図を描き続けた私。

その通りに我が家を建築してもらった時の楽しくも苦労がいっぱいあったお話。

このことについても、またいつか語らせていただきますね。

 

延々と続いた同じ話題記事にお付き合いくださいました皆様、本当にありがとうございました。

次回の記事では、この度の水害についての私の思い。

それが原因ではと思えるような珍事に我が家が見舞われ、次女家を巻き込んでひと騒動があったこと。

このお話しをさせていただきたいと思っていますが。

 

毎日、辛い報道を観ながらのブログ綴りでした。

疲れもたまっていますので、しばらくお休みさせていただきたく思います。

その間に、気持ちをリフレッシュして、またブログ綴りを始めるつもりです。

その節は、またお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

 

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当ブログは、もうしばらくお休みさせていただきます。

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続 私の子育て~大手塾の合否判定テスト

2019-10-15 06:39:46 | 家族

いつも下校ベルが鳴るまで遊んで帰宅するMちゃん。

もともと無理と言っていいような受験勉強体制でしたから、捗っているとは、とても言えませんでしたが。

楽しく明るくをモットーにして、とにかく、毎日コツコツ頑張るしかなかった私達親子です。

Mちゃんは疲れた様子もなく、一生懸命勉強してくれました。

 

そのころ、他に大きな問題が生じました。

次女が、いじめに遭い始めたのです。

余りにいじめの内容が陰湿でしたから、私も乗り出し、先生に相談し協力して、そのいじめを解決しました。

その後、またとても仲良くなった二人。

次女のことが大好きな気持ちが裏目に出たゆえのいじめだったので、解決が早かったのかもしれません。

 

日常の光景

私のお気に入りのカレンダーの10月の画像です。

 

こんな事件も起きる中、季節は巡り、秋が深まっていきました。

確か、11月のはじめではなかったでしょうか。

娘は通っていませんでしたが、四谷大塚塾で志望校の合否判定をしてもらえる模擬試験がありました。

 

その試験の判定を見るまでは、Mちゃんの学力が相対的にどの程度のレベルなのか全く分からなかった私です。

熟に通っていれば、当然クラス分けや、テストの成績の順位でわかることなのでしょうが。

孤軍奮闘の受験勉強でしたから、暢気なものでした。

 

10月の四谷大塚の模擬テストは、初めての外での勝負。

とても結果が待ち侘びられましたが。

意外にもその判定結果は、志望校合格確実。

順位もとても良くて。

私は驚きのあまり、天にも昇る心地でした。

 

でもでもです。

6月から始めなければならなかった受験勉強の弱みが、成績にはっきり出ていました。

社会と理科は、平均点以下で酷い成績。

国語と算数の成績が、四科目の平均点をアップ。

全体の順位を上げていました。

 

 日常の光景

子供部屋に飾っていたポスター絵画です。

それ以来です。

私の気持ちに急激な変化が起きたのは。

模擬試験で、私の気持ちが大きく動くといった事は、大学受験に際しても起きたのですが、このお話は後日に。

理社の科目さえ、最後の追い込みで頑張れば、合格はもう間違いないと。

 

模試を受ける前に、受験校を決定しなければなりませんでしたが。

そのお話もさせていただきますね。

Mちゃんには申し訳なかったけれど、ここで親のエゴが丸出しになってしまった私です。

本人の希望を聞いても、応えるのは無理だったでしょう。

帰国したばかりで、まだまだ幼い所もあったMちゃんですから。

 

今でも思う事があります。

考えもしなかった中学受験に臨むきっかけを作ってくださったのは、親友のKさんです。

その彼女が薦めてくださった学校に何故しなかったか、ということ。

その学校は、プロテスタント系のJ学院。

でも私は学校訪問をして、やはり御三家と言われたカトリック系の違う学校を選んでしまいました。

ツタが絡まる格調高い学園の雰囲気と、セーラー服姿の学生たちの印象があまりに良くて。

 

そしていよいよ受験の日がきました。 

次回に続きますが、何とか手短にまとめて最終章にしたいと思っています。

 

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続 私の子育て~子供のやる気を育て自主性を重んじる

2019-10-13 07:00:19 | ちょっと一服の記事

受験勉強にまつわる私の子育ての記事は、そろそろ終わりにしませんと。

読者(out)も次第に減ってきていますから、もう読むのに飽き飽きしたわ、と言われているみたいで。

何だか恥ずかしくなってきました。

 

でもここまで書いてきたからには、もう少し頑張りませんと、中途半端な内容で終わってしまいます。

それも何だか残念。

娘たちも、私のブログを読んでくれています。

この度の記事を読んで、中学受験当時の私の苦労を理解してくれることでしょうから。

 

妹に昨日感想を聞くと、

「すべて知っていることだから、さっと斜め読みしている」

と言われてしまいました。

あと二回くらいで終わるつもりでいますが、興味のない方はスルーしてくださいね。

中高一貫の進学校に入り、最高学府のT大学に合格するまでは、私は何もせず、ほとんど娘たちにに任せ切りでした。

ですから、書くことも余りありません。

簡単な記事で終えるつもりでいます。

 

では昨日の続きに入ります。

 

 私が憧れているブロガー様のお一人が、お孫さん達が使用された木製の玩具の画像を記事に載せておられました。
それに惹かれ、私も同様の画像をアップさせていただきますね。
子育ての期間中、私が子供たちに買い与えたおもちゃも、ほとんど木製。
画像のおもちゃは数年間かけて私が贈ったもので、孫の一番のお気に入りでした。

 

 

家庭教師も決まり、いよいよ本格的な受験勉強体制に突入した私と娘。

これは少々オーバーな表現ですけれどね。(笑)

でも私は、やるからには、「ベストを尽くして天命を待つ」。

これが私の大好きな言葉でしたから、いい加減な気持ちで取り組みたくありませんでした。

とは言っても、半年で帰国子女が一流校を望むなんて、余りに無謀。

落ちて当然と思っていました。

ですから、気楽なところもあって、我が子が受験勉強の期間中、私はストレスはほとんど感じませんでした。

 

秋の個人面談で、担任の先生が言われたことがあります。

「お宅のお子さんは、下校ベルが鳴るまで、いつも校庭で元気に遊んでいます」と。

よく遊び、よく学んでほしかったので、本人の自主性を、何よりも私は尊重しました。

おやつの用意をし、夕食の準備も早めに済ませ、帰宅したらMちゃんの勉強に協力できるように心がけたつもりです。

 

  

受験勉強を本格的に始めだした頃のこと。

「四谷大塚」という有名塾があることを知ったのは。

確か週末にテストを受け、その後数時間の授業がある。

そういったカリュキュラムではなかったでしょうか。

もしかすると、他でも授業があったのかもしれませんが。

その教材がとても優れていると耳にしましたから、5、6年生の教材を早速購入し、そのテキストと応用自在を併用したように記憶しています。

熟には、最後まで通うことなく、親子で協力して勉強。

(次女も、長女同様、塾には通いませんでしたが、週末の四谷大塚の試験だけは毎週受けていました。)

 

そしてMちゃんが解けなくて、私も理解不能な問題だけ、家庭教師の先生のご指導を週一回仰ぐ。

主導権は私が持つようにしました。

ここで大いに発揮されたのが、私の計画を立てるのが好きな性格です。

今もこの性格は変わらなくて。

毎日計画を立てて、小さな達成感を常に味わいながら暮らしています。

 

 夏休みに次女家の小3になる孫娘が、自らの発想で組み立てたものです。
見事ですね~
何だか片付けるのがもったいなくて、仏間の和室にずっと置いたままにしています。

 

私は半年間で、受験用の教材や問題集がこなせるように、綿密な計画を立て、その日のノルマを達成できるように親子で励みました。

でも計画通りになんて行くものではありません。

調整日を週に一回設け、何とか計画につじつまが合うように努力しました。

  

先日次女が私に話したことがあります。

親しくしている会社の同僚のお子さんが今小5で、孫息子が通った有名塾の生徒で、トップクラスとのこと。

でも最近、塾や学校に行くのを嫌がると言って、悩んでおられるようでした。

 

それを聞いて、私は言いました。

「あなた達は、そんなこと全然なかったわよ。

自主的に一生懸命勉強してくれたから、ママは協力しがいがあった」と。

 

振り返って思う事は、子供のやる気を幼い時から育て、その子の自主性を何よりも重んじる。

一番大切な子育ての秘訣だと、私は思います。

 

娘の受験勉強は、順調に捗っているとは、とても言えませんでしたが、親子で愉しんでいました。

そして晩秋の頃、初めて模擬試験にMちゃんは挑戦。

四谷大塚の合否判定テストです。

その結果はどうだったでしょう。

続く

 


この度の台風の緊迫した報道が続いている時でも、この玩具に目をやると心が和みます。
載せる画像が思いつかなくて。
孫の他の玩具も、今後もアップさせていただくかもしれません。

 

追記

当地は台風無事通過で胸を撫で下ろしています。

怖くて、七時過ぎにもう床に就いちゃいました。

眠ってしまえば、こわいもの知らずでいられますものね。

結構熟睡し、12時半に目を覚まし、外を見ると庭は嘘のように静寂。

我が目を疑い、台風の目に入っているのでは?、と思ったほどです。

 

今回の台風は風より水害が多発しているようです。

皆様の所は大丈夫でしょうか。

被災した方々には、心よりお見舞い申し上げます。

 

妹が早朝の散歩を愉しんでいる多摩川が氾濫したと報道で知り、とても心配しているところです。

真夜中に、心配のあまりまた電話しましたが、留守電で様子を聞けませんでした。

この記事を更新したら、また電話をかけてみます。

妹のブログは下記の通りです。

https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

その内、緊迫した当時の様子を、記事で語ってくれることでしょう。

 

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続 私の子育て~家庭教師

2019-10-11 07:07:10 | 家族

前回の続きです。

 

帰国しました。

長女の受験まで半年しかありませんでしたが。

荷物の整理に追われ、私は教えるどころではなく、

娘たちも、5年振りの日本の学校に慣れるのが優先でした。

この時期のことは時系列で詳しく思い出すのは、今の私にはもう無理。

おぼろな記憶を辿って、適当に綴らせていただきますね。

 

私が娘の受験に当たって、最初に思い浮かんだことは、やはり塾に通わせることでした。

電車の中でたまたま目に留まったのが「~学院」という塾。

その熟がどの程度のレベルか調べもせず、転居した社宅に近いという理由だけで私は決定。

進学率の高い有名塾があることも知らなくて。

塾に入れば何とかなるのでは、といった私のいい加減さでした。

 

日常の光景 

最近の食卓

鮭ずし・筑前煮・ごま豆腐・小松菜ととしめじのおろし和え・芋汁

 載せる画像がなくて悩ましいです。
今後は「日常の光景」といった題にして、記事に関係なく、適当にアップさせていただきますね。

 

 

今振り返ると、呆れるばかりですが、何と運のいいことでしょう。

まるで神様のお導きではなかったか、と思うような幸運に恵まれたのです。

その塾の入塾テストは無事に通過。

半年間の授業料を納めに行ったのですが、何とその日はお休み。

私は授業料を納められませんでした。

 

 いり鶏

こんにゃくは買い忘れてたため省きました。

 

それが幸いしたのです。

安易に塾を選んでしまった私に、立ち止まって考え直す猶予が生まれました。

もう受験まで半年しかないのに、今更塾に通っても、期待するほど学力は伸びないのでは?

家庭教師をお願いして、Mちゃんに合った指導をしてもらう方が、ベストなのかもしれない。

そう思い始めました。

そして、そのようにする事に心を決めたのです。

もしその日、休校日でなく授業料を納めていたらどうだったでしょう。

恐らくMちゃんは、その塾に通い続け、有名私立中学合格は多分無理だった、と思います。 

 

まだその頃は、引っ越し直後で、家は荷物の整理中。

そんな多忙時にもかかわらず、娘の受験の準備に取り掛かれるなんて。

若かった故に出来た意欲と体力。

まるで今の私とは別人のようです。

 

いも汁

里芋とキノコ類、お揚げが入っています。

 

多少落ち着いてきた時に、ご指導いただくことになった島木先生という女性の家庭教師さんの面接もしました。

実はその日、私は頭から顎まで白い包帯をグルグル巻きといった、何とも痛ましい姿。

先生は、初対面の私を見て、さぞ驚かれたに違いありません。

  

何と、荷物の整理中に、頭上の壁に掛けた木製の重たい柱時計が落下。

鈍器で後頭部を殴られたような衝撃を受けました。

頭から大出血。

気丈にも歩いて一人で近所の病院に。

傷口が縫われ、包帯を顔周りにグルグル巻き。

普通だったら、この時点で心が折れ、娘の中学受験も諦めてもおかしくない状況でしたのに。

意外と、その後も冷静だった私です。

 

小松菜としめじのおろし和え

 

Mちゃんの思いを叶えあげたいとの一途な親心が、私を気丈にしたのかもしれません。

本人にやる気がなければ、無理やり受験させる気持ちなどさらさらなかった私ですから。

家庭教師の先生も決まり、いよいよ本格的に受験勉強が始まりました。

 続く

 

追記

大型台風が接近しているようで、いつになく緊張している私です。

一方では、リチウムイオン電池の発明による旭化成の社員だった方が、ノーベル賞受賞が決定。

日本人としての誇りを噛みしめられる、嬉しいニュースでした。

 

今私の家から二軒先に旭化成にお勤めの若いご家族がマイホームを建築中です。

挨拶に見えた時の印象があまりに良くて、このブログにもそのことを記しました。

そのせいか、この度の報道は、とても身近に感じられた私です。

 

 お重箱に詰めて娘宅へ

 

地球の温暖化で、今後台風の勢力がますます大きくなるのでは、と言われています。

その防止に大いなる力を発揮する。

そんな新発明を日本人がして、ノーベル賞をまた受賞してくれないでしょうか。

 

我が家は見晴らしはいいのですが、風当たりがとても強いです。

一人暮らしのせいもあり、心配を通り越して、今は怖くて、ビクビク、ドキドキ。

無事に通過してくれますように。

皆様もくれぐれもお気を付けになってくださいね。

 

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続 私の子育て~中学受験の動機付け

2019-10-09 07:13:56 | 家族

今日はまだまだか可愛くて幼い所がいっぱいあった長女のMちゃんに、中学受験の動機付けに成功したお話です。

私が採ったのは、とんでもない奇策。

こんな事、だれも思いつかないのではないでしょうか。

 

海外生活をのびのびと過ごしていた、私達家族。

日本では受験生を持つ親御さん達が、塾選びに熱心になるほど、中学受験が過熱している事など、私は知る由もなく。

親子とも、受験のための予備知識は皆無でした。

 

ですから私も、娘にどのように説明すればいいのか分からなくて。

理屈っぽい話を聞かせても、Mちゃんはピンと来ないでしょう、

そう思った私が思い付いたことは、手元にあった、夫が持ち帰った週刊誌のあるページを見せることでした。

我が家の手元に、たまたま中学や大学の合格発表当日の光景写真が掲載された、日本の週刊誌がありました。

当時は、受験校まで足を運んで、我が子の合否を掲示板で見届けるのが当たり前だったと思います。

 

幾度も通ったデイズニーランドで買ったクマのプーさん。
抱きしめて帰路についた時の娘たちの顔が、今でも懐かしいです。

 

私は、その写真を小学校の六年生になったばかりのMちゃんに見せました。

「受験って、Mちゃんは何のことか分からないでしょうね。

入学したい学校を目指して一生懸命勉強して、その学校の試験を受けることなの。

そして合格すると、この写真のように、親子で抱き合って大喜びするのよ。

Mちゃんは、この写真を見てどう思う?

受験してみたい?」

 

その写真をじっと見つめた後、Mちゃんは、すぐ答えました。

その時、まだあどけなさが残る顔が結構真剣な表情になり、きっぱり言ったのを今でも覚えています。

「受けたい」と。

私が中学受験の動機づけに成功した一瞬でした。

  

でも、手元に、受験用の参考書も問題集もありません。

早速、母に連絡し、「応用自在」と「力の5000題」という受験向きの問題集を二冊送ってもらいました。

確か最初「力の5000題」から始め、途中から「応用自在」に切り替えたようにも。

問題集の名称はじめ、いろいろ間違っている所があるかもしれません。

何せ、遠い過去のお話ですから。

その点は、ご了解くださいね。

この分厚い問題集を半年間でやり遂げるなんて、とても無理と思いましたが、Mちゃんは結構真剣。

その日にやると決めたページに一生懸命取り組み始めました。

 

 ロスで購入した思い出の品
親友のKさんの案内で訪れたお店で。
私は娘たちのために求めましたが、大人向けのバスケットバッグのようです。

 

3月に辞令が出ましたが、帰国は6月の予定。

4月からは、通う学校は日本人学校だけにしましたから、日中は自由時間がたっぷりできたMちゃんです。

どの程度勉強したのか、今となっては記憶にありませんが、私は帰国の準備でてんやわんや。

その合間を縫って、教えた程度だと思います。

 

ある光景を今でもはっきり覚えています。

私が体調不良でベッドに横になっている時のことでした。

薄暗い部屋に置かれたベッドの枕もとに来て、勉強を始めたMちゃんの姿があったことを。

Mちゃんの中学受験をして合格したい、の気持ちは、本物だったのでしょう。

私は気楽に臨めばいいと、当初は思っていたのですが。

お勉強を自主的に頑張り始めたMちゃんを見て、この子の気持ちをできる事なら叶えてやりたい。

次第に、そう思うように私はなりました。

 

でも私は協力するどころではありません。

帰国は6月でしたから、時間的余裕は多少ありましたが、でも日々多忙を極めましたから。

 けれど、自習に取り組むMちゃんの健気な姿を見ると、私もほってはおけなくなり、

帰国の準備の合間を縫って、協力をするようになっていきました。

 

間違えた問題を、二人でおさらい。

その問題には、後で復習できるように印を必ず付けました。

信頼できる問題集が、全部解けるようになれば、実力が付いた証拠。

私は単純にそう思い込んでいましたから、反復学習を心がけていこうと。

この取り組み方は、受験の直前まで続きました。

帰国してからも、塾には通いませんでしたから、なお更、それを徹底しました。

 

Kさんのお陰で、米国滞在の日々が、どんなに充実し楽しいものになったことでしょう。
その上、娘たちの進路まで決めてくださるような言葉まで掛けて下さったのです。
いくら感謝しても感謝しきれない思いでいます。
今はラグビーのワールドカップで、ボランティア活動をなさっています。

 

今も、とても不思議でならないのは、私にどうしてMちゃんの勉強が指導できたのだろう、と言うことです。

今の私では考えられません。

小三の孫娘かれんちゃんの勉強だって、もう見る自信は全くありませんから。

でもその時は、算、国、社、理、すべての科目に、私は目を通し、それなりに理解できたのです。

若さゆえの意欲と柔らかな脳のお陰だったのでしょうか?

でたらめの説明だらけだったかもしれませんが。

Mちゃんが間違った問題のフォロウを私がし続け、二人で勉強する受験への取り組み方は、帰国後もずっと続きました。

 

でもいい加減な私の指導だけでは、たちまち壁にぶつかり、親子で手も足も出ない難問に出くわすようになりました。

やさしい問題は、割とすらすら溶けたMちゃんでしたけれど。

難しい問題は、どうすることもできません。

すると、そこに助け人が出現。

日本人学校の先生です。

親子で協力しても解けない算数の問題の指導を帰国直前まで、週に一回でしたか、してくださったのです。

 

そして、いよいよ帰国の日となりました。

続く

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続 私の子育て~六か月の中学受験勉強

2019-10-07 07:18:09 | 家族

前回の続きです。

夫に本社勤務の辞令が出て帰国となった時、長女は六年生になったばかり。

次女は四年生でした。

滞米時、仲良くしていた日本人学校のママ友達のお一人が、今も親交が続いている親友のKさんです。

このブログにも、再々登場いただいています、

娘たちをわが子のように、それはそれは可愛がって下さいました。

英語が堪能な彼女のお陰で、充実した海外生活を送ることができたといっても過言ではないほど、お世話になった私と娘達です。

 

その彼女が、帰国の辞令が夫に出てしばらく経った時、私にさりげなく言った一言がありました。

その言葉が、娘たちの進路を決めることになったのです。

「Mちゃんは、~学院に入学出来たら、きっと楽しい学園生活が送れると思うわ」と。

私は渡米前は、東京に在住していたとはいえ、地方出身の身.

彼女が挙げた学校が、東京では御三家と言われる有名私立校であることなど知る由もありませんでした。

後で調べて分かったことです。

 

 ディズーニランドで買った思い出の本
年に数回通っていたディズニーランドは、私たち家族が大好きな場所でした。
旅行もよくしました。
長女の結婚式の写真も共に。

 

でも当時の私は、中学受験させる気持ちはさらさらなくて、区立の中学校に娘たちを通わせたい、と思っていました。

自分は、大学の付属で、小学校からエスカレータ進学し、その温室の学生生活に甘んじたばかりに、心が軟弱で苦労が多かった、と思い込んでいましたから。

娘たちは、いろんな境遇のお子さんたちがいる区立中学校に通わせ、逞しく成長してほしい、と願っていたのです。

 

でも心から信頼し、娘たちのすべてを理解してくれているKさんの言葉は見過ごせなくなりました。

試し受験といった気楽さで、受験させてみようかしら。

落ちて当たり前。

そんな気楽さで臨めば、いいだけのことだから。

日本人学校の成績はトップクラスでしたから、運が良ければ万が一、なんて・・・。

想像すらしなかった変化が、私の心に起きました。

 

  

でも本人がその気にならなければ、どうにもならない事。

Mちゃんの気持ち次第、と思った私です。

その動機付けに、私はとんでもない奇策を講じました。

                              続く

 追記

手短にまとめたいと思っていましたのに、やはり長くなっています。

一気に書き上げることもできる内容ですが、最近は体調が今一つ。

そのためかブログを書く意欲も、減退気味。

短く切りながら更新を続け、時間を稼いでいる私です

いつも気を持たせるような終わり方で、本当にごめんなさい。

 

早朝だけしか綴っていないので、さほど暮らしの負担にはなっていないはずなのだけれど。

日中も、ブログのことが、なんとなく頭から離れなくて、ストレスにもなっています。

文章を綴ることが心から愉しめる人たちが、本当に羨ましくて。

 

この度の記事は、自慢話をしているように受け止められるのでは、との不安もありましたが・・・。

多くの方が温かな応援のクリックをして下さり、ホッとするとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございます。

 

受験がテーマのブログのカテゴリーもあるようですので、そんな方たちの目に留まれば、少しはお役に立てるのでは。

時代も、遠い過去のこと。

特殊なケースなので、参考にはならないでしょうか。

まだしばらく、この記事が続きます。

興味のない方は、スルーしてくださいね。

 

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私の子育て

2019-10-05 07:14:58 | 家族

今日は、私が描いた夢や理想以上に、私の努力と思いが実を結んだ子育てについて、できるだけ手短に語りたいと思います。

未熟なところがいっぱいあり世間知らずだった私にしては、余りに出来過ぎの子育てでした。

二人の娘は、最高学府のT大学を卒業し、大手銀行と商社に勤務する、といった想像すらしない展開になったからです。

その後、転職し、今は外資系の会社に勤務していますが。

二人とも健康そのもので、頑張り屋さん。

良きお婿さんにも恵まれ、仕事と家事子育てを両立し、とても幸せな家庭を築いてくれています。

 

ほどほどの女子大を卒業し、良妻賢母になってほしい。

私は、その程度のささやかな望みしか抱いていない平凡な母親でした。

伝統的価値観の方が強くて、女性が働くことへの抵抗もありました。

その件で、高校生の頃、長女と言い合ったこともあります。

そんな母親でしたから・・・

何が良かったのか、未だによく分からないのだけれど・・・

 

 子供たちが幼稚園児の頃、夫が海外出張時寄ったスイスで買ってきたお土産です。
テレビでそのころ放映されていたアルプスの少女ハイジにそっくり。
この番組に家族は夢中でした、
明けても暮れてもハイジが離れない日々を送っていました。

 

 一番大きな要因は、生まれた時から備わっていた子供たちの資質かもしれませんね。

もう一つ挙げられる大きな事は、私の母の無償の溢れるような愛情でした。

幼い子供たちの心に、計り知れない良き影響を与えたと思います。

私も、おばあちゃまを疎かにしてはいけない、と言い続け、親より祖母に目を向けさせました。

子供たちが可愛い盛りの時、それが私の母への何よりの孝行だと、私は思っていましたから。

 

では、私の場合は、何が良かったのでしょう?

強いて挙げるなら、母親として、とても謙虚なところがあったことでしょうか。

母親としての自分に自信が持てなくて、私は子育て中、育児書を読み漁りました。

良書に巡り合うと、そこに書かれた言葉を実践しようと、一生懸命努力もしました。

でも自分の性格は、そう簡単に変えられるものではありません。

理想と自分の振る舞いのギャップに悩んだことは数知れずです。

 

その当時、育児書として一番有名で人気が高かったのは松田道雄氏の著書でしたが。

その内容には、一部納得がいかなくて。

そんな頑固なところも、意外にあった私です。

 

幼稚園に行く前は、このテーマソングを流したりと・・・。
ハイジ一色の我が家でした、

 

私の子育てにおいて、一番指針となったのは、大学の教育心理学の授業で耳にしたある箴言です。

「子育てにおいて一番大切なことは、動機付けです」

私は真面目な生徒とは言えず、授業もいい加減にしか聞いていないことも多かったのですが・・・。

この言葉は、なぜか胸に深く刻まれました。

全くその通りだと思い、深く感動したのです。

子育てをするようになったら必ず実践しようと、私は心に誓いました。

 

その後、Yさんと結婚し、二人の娘を授かった私は、その箴言を実践する努力をしたのは言うまでもありません。

~をしなさい、というのではなく、それをしないといけない理由を丁寧に、事ある毎に説明しました。

就学前から、勉強する大切さも、度々話しました。

「Mちゃんたちは、今は元気に遊ぶことがお仕事だけれど、小学校に通うようになると、お勉強というお仕事が始まるの。

そのお勉強を一生懸命すると、こんないいことがあるのよ、云々。

ママはそのお勉強への努力が足りなかったから、今、後悔していることがいっぱいあるの」

こんな具合です。

この私の自らの反省に立った言葉かけが、非常に説得力があり、良かったのかもしれません。

 

何事にも真心を込めて一生懸命取り組む事の大切さも、私は幾度も言い続けました。

結果は神様が決めてくださることだから、心配しない事。

頑張る過程が何よりも一番大切、が私の口癖でした。

更に子供たちに本を与えることに、お金を惜しみませんでした。

 

 

その繰り返しの私の言葉や読書が、育児で功を奏したのでしょうか。

家では宿題くらいしか勉強はしませんでしたが、授業は熱心にまじめに受けていたのでしょう。

長女が二年生になる直前に渡米。

日中はアメリカンスクールに通い、四時半から確か七時まで受けた日本人学校の授業の成績は、二人とも、いつもトップクラスでした。

ミッションスクールの日本人学校でしたから、信者ではありませんでしたが、土曜には親子三人で教会にも必ず通いました。

高みに目を向ける心が、健やかな成長の力にもなってくれたとも思っています。

 

その後成り行きで、娘二人とも、最高学府の大学をを卒業することとなりましたが。

もちろん私には、そんな望みも夢もさらさらなくて。

冒頭に書いたとおりです。

教育ママとは、ほど遠かった、と言っていいでしょう。

それを証明するようなエピソードがあります。

このお話は次回で。

 

良き友達に恵まれて、明るく元気に毎日を過ごしてほしい。

願うことは、それだけでした。

言葉遣いや、挨拶などの躾は割と厳しい方だったと思いますが。

 

長くなるので、この続きは明日に回させていただきますね。

次回は長女が六年生の夏前に帰国し、帰国子女枠でなく、一流校の普通受験にいかに臨んだか、その動機付けを如何にしたか。

そのお話をさせていただきます。

受験生をお持ちのお母様たちのご参考に少しでもなれば嬉しいです。

 

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人生で夢が叶った二つのこと

2019-10-03 07:00:27 | 人生

長い人生、幼い時から、色々な夢はあったのかもしれませんが、今は余り覚えていません。

少女らしく成長していく過程で、スチュアデスになりたい、との夢を一時期抱いたことがありました。

恐らくその当時、その職業は、女性にとって注目度の高い花型だったのでしょう。

でも職業婦人になる才能もなく、体力にも欠けていた私です。

それは余りに非現実的なこと。

やはり一番憧れたのは、素敵な人に巡り逢い、幸せな結婚生活を送る事でした。

 

お見合いで初めて会ったYさんは、まるで貴公子のような風貌と知的なマスクの人でした。

大学二年生だった私は、一目惚れ。

Yさんもそうだったのかなあ~。(笑)

その後、私が四年制の大学を卒業するまで、ずっと待ってくれ、その秋に結婚しました。

 

 寝室から望んだ、今日の早朝の空です。

今日も、夢と理想に向かって良き日が紡げますように♪

 

でも結婚後は、余りに無口で優しい言葉一つ掛けてくれない照れ屋の旦那さまに、物足りなさを感じたことが再々。

文句も時たま言ったものでしたが・・・。

一方、Yさんは、長い結婚生活の間、私に小言や不平を言ったことは一度ありません。

皆無と言っていいでしょう

子供を叱ったことも全くなくて。

 

山りも高く、海よりも深い。

そんな寛容な心で、私に家事子育て、マイホームの建築まで全て任せ切ってくれました。

そのお陰で、人生に於ける大仕事、子育てとマイホーム建築を、私は夢を追って、自分の思い通りに行うことができたのですが。

苦労も、人一倍したのかもしれません。

夫は、協力は一切せず、ただ見守るだけの人でしたから。

  

でもでも、その子育てとマイホーム建築が、夫のそのような性格のお陰もあってか、私が描いた夢や理想通り、あるいはそれ以上の実を結んでくれたのです。

この詳述は、次回にさせていただきますね。

 

何だかとんでもない大きなテーマが、記事の話題になってしまいました。

そのため、延々とこの話が続いてしまいそうな予感がしますが、それは何としても避けたいところ。

文章を書くとが大好きなら、それも良しですが・・・。

いつも記事に取り掛かる前は、うまくまとめ上げられるかしら、と不安を覚えてばかりの私ですから。

 

手短く切り上げて、ホッとしたい。

それが素直な、今の私の気持ちです。

あと二回くらいで、このテーマの記事は終了予定でいます。、

宜しければ、またお立ち寄りくださいませ。

 

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いつも時間欠乏症を患ている私

2019-10-01 07:07:21 | 人生

作日の続きです。

憧れのブロガーさんたちのお暮らしには、経済的な面だけでなく、心のゆとりを、とても感じてしまう私ですが・・・。

一方私はどうでしょう。

今は一人暮らしの身ですのに・・・。

時間にゆとりがなく、いつも時間欠乏症を患っています。

「退屈」という言葉は私の暮らしでは、死語と言っていいでしょう。

それなら、さぞかし毎日が充実しているのでは、と思われるかもしれませんが・・・。

そんなことは全くありません。

 

体力がない

動作が遅い

要領が悪い

 

この三点が、私が時間欠乏症に陥る、最大の要因ですから。

でも高みを目指す向上心だけは、いつもあって、色々努力は怠らないできたつもりです。

ですから憧れのブロガーさんに出逢えたことは、この上なく幸せなことなんです。

 

 孫の運動会のために準備した残り物で作った献立です。
巻きずしとお稲荷・やわらか青じそつくね・お煮しめ・ほうれん草のお浸し・冷ややっこ・かきたま汁

 

私は幼い時から、体力に欠けていました。

学校から帰ると、いつもぐったり。

しばらく横になりませんと、日常の暮らしに戻れないところがありました。

 

それが私の理想の実現をいつも妨げてきた。

そんな人生だったようにも思えてなりません。

もしかして、被爆のせい。

福島の原発事故以来、自分が被爆者であることの負い目を感じるように少しなってしまいました。

この事故が起きる前は、そんな意識を持ったことはさらさらなくて。

被爆者であることさえ、忘れていたのですが。

そういえば、母も丈夫とは程遠い体ながら、気力で働き通す頑張り屋さんでした。

そういった面は、私も母にそっくり。

 

この度の巻きずしは、私にしては大成功。
中心の具には、かんぴょう、卵焼き・あなご・高野豆腐・しいたけ・ほうれん草、キュウリ、ニンジンを使用しています。

 

でも母は、茶道、華道、習字、日本舞踊、短歌、編み物等々、上級を極める才能があり、その器用さは相当なものでした。

私は、そんな才能もありません。

でも、こんな私ですのに、理想(夢と言った方がいいかもしれません)が叶ったことが、人生に二つあります。

このお話は、次回にさせていただきますね。

 

私にしては、一日置きながら、記事の更新が思いがけず長く続いています。

でも、もう息切れ寸前。

最近は、大した用事ではないのですが、お出かけが多く、体調も今一つです。

 

昨日は、バスの営業所(この理由は、また後日の記事で)、郵便局で高齢者パスを受け取り、整骨院、次女宅へと。

この後、デパートにも消費税アップの前の駆け込みで必需品を買いに行くつもりでしたが、体力がもう限界。

買い物は、残念ながら諦めました・

今日は、午後から一年ぶりに、脳神経外科へ。

去年のお盆前、真夜中に転倒し、頭のけがを負った個所の経過観察のため、またCTを撮ります。

 

 サファイア様の真似をさせていただき、食卓に低めのお花を飾ってみました。
秋らしい色合いで、とても気に入っています。
ガラスの器は、花瓶ではありません。
ロイヤルコペンハーゲンのキャンドルホルダーです。

 

4月には後期高齢者になった私が、毎日それなりに多忙な暮らしの中、更新を規則正しく続けるのは、なかなか大変。

その対処法として、記事をもっと短くする。

その事くらいしか、思いつく良い方法がありません。

 

短くまとめて、読み応えのある文章を書く能力もない私ですが。

短く、短くと自分に言い聞かせ、更新を続けていけたらと、今は願っています。

言い訳がましいことを書き、お読みぐるしい事と思いますが、今日はこれで終わりとさせていただきます。

次回は、私の人生で、夢と理想が叶った事、二つについてお話しさせていただきます。

 

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