今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

一年間有難うございました。今日をもって、今年のブログ綴りおさめと致します。

2014-12-24 18:26:07 | 家族

いよいよ今年も残りわずか。

年末の慌しい最中でも、抗がん剤治療のための夫の入退院があります。

そのため、ずいぶん早くから年末年始の準備を始めたつもりでしが・・・・・・。

とてもとても計画通りに進んでいるとは言い難く、気持ちは焦るばかり。

でも如何に焦っても、限られた時間内にできることは、知れています。

大掃除を完璧にこなさなくても、新年はやってきます。

無理をするより、万全な体調で、健やかにお正月を迎えることの方が大切。

開き直りの弁。(笑)

そう思い、マイペースで、合理的に何事も済ませましょう。

 

 

余りに多忙なため、ブログ綴りは、前回の記事をもって終わりにしようかしら、といった怠け心が幾度も心をよぎりました。

けれど一方、それでは、私の拙いブログにお立ち寄りくださったり、応援までしてくださった皆様に、あまりに申し訳なく失礼では、との気持ちにも。

ですから、もう一度だけ書いて、今年の綴りおさめにさせていただきます。

 

この一年、いえ数年にわたり、私の暮らしは、不安事が常に付きまとう、精神的負荷が大きい幾年でした。

私のブログを長い間ご覧下さいました方々は、申し上げるまでもなくご承知でいらっしゃいますでしょう。

夫が癌との闘いで、入退院を繰り返してきたからです。

 

 

私もその心配からか、自律神経失調症気味となり、一時期ひどい体調不良に悩まされたりしましたが、何とか今日まで無事に過ごすことができました

夫の病は、今も楽観を許されない状況ですが、私は、家族や妹夫婦、そして皆様の温かな応援に励まされ、思いの外、元気に過ごしています。

感謝の言葉は、とても言い尽くせません。

 

時に弱音や愚痴も私は吐きますが、それが長い間、尾を引くことはありません。

気分の入れ替えを速やかにするようにしています。

心身ともに、自分を追い詰める暮らしは、辛いだけですもの。

ブログ名通りに、「今が一番素敵」と、自分に言い聞かせ、苦労も心の糧にしたいもの、と。

でもこれは、あくまで私の理想です。

理想通りにはなかなかまいりませんが、その様でありたい、と常に思い、努力を心がけてきました。

 

さて前置きが長くなりましたが、一年を通して私の暮らしのメインとなった、四つの事を、手短に述べたいと思います。

今年の私の暮らしを一番色濃く彩ったこと、と言えるでしょう。

旦那さまの介護が、一番の優先事項であったことは言うまでもありません。

春先に、ストマー(人工肛門)を初めて見せられた時は、その生々しい臓器の姿に目を覆いたくなりました。

私がパウチを交換するのはとても無理、と感じたほどです。

私の様子から、その気持ちをすぐ汲まれたのでしょう。

介護士派遣の手続きのために、医師と看護師が直筆の紹介文書を二通、私に手渡してくださいました。

けれど、すぐ気を取り直した私は、自分ですることに決め、今日に至るまで、一人でそれをやり遂げてきました。

 

人工肛門のパウチ袋とそれを取り付けるための医療用品の一部。

ガーゼなど、病室に置いてあり、欠けているものが数品あります

 

しかし、突然私が寝込む事態に見舞われないとも限りません。

その時に備え、先日妹の花水木がブログ記事に書きましたように、具体的な手続きを地域の介護ケヤプラザーと区役所の福祉課窓口で済ませました。

その安心感をよりどころにして、来年もできるだけ平常心を保ち、淡々と、夫の介護に一人で励むつもりでいます。

楽しいことではありませんが、一番重要なことですから、私の責任は重く、疎かにはできません。

 

これからは、私の暮らしを潤してくれた楽しい出来事の紹介です。

まず最初に取り上げたいのは、家族そろってのイベントです。

お正月、お誕生日、ひな祭り、クリスマス等、そして学校や保育園の行事は、体調と時間が許す限り、心から楽しんで来ました。

一つ一つの出来事が、今年も心に刻まれ、忘れられない思い出となっています。

数十年、いえ我が子が誕生の若かりし頃から、大切にしてきた私の人生の楽しみ方です。

年を重ねるごとに、家庭の姿は当然のように変貌を遂げてきました。

けれど、家族の絆には全く変わりはないと、私は思っています。

 

 

 

私からのプレゼント。歴史の漫画は、ママが選んでくれました。

 

今年も昨日、我が家でクリスマス会を開きましたが、旦那さまは、残念ながら、入院予定が早まり留守。

次女家では、Mちゃんが何と珍しくインフルエンザにかかり、寝込んでしまいました。

かれんちゃんまで熱をだし、その看護で忙しいお婿さんんも欠席。

K君だけ、一人でやってきました。

長女家も、お婿さんは仕事の催しから抜けられず欠席。

今までは、家族全員そろって続けてきた年中行事でしたが、止むを得ない事情ゆえ、仕方ありません。

 

家族行事に次いで、私の心の支えと励みななったのは、お料理でしょうか。

義務的なところもある三度の食事の準備は、必ずしも楽しいこととは言えないかもしれませんが、私の場合、1日の大半を占めている調理時間。

これを楽しむか否かで、私の幸福度はまるで変わってしまいます。

ですから楽しまないと、余りにその時間がもったいな過ぎます。

来年は、更に手際よくやり、もっともっとエンジョイしたい、と願っています。

旦那さまは、抗がん剤を打っている割には食欲旺盛なんですよ。

ですから、作り甲斐もあります。

 

 

 

 

鶏の丸焼きを初めて作りました。
大成功!
とても美味しかったです。

 

 さて他にも、楽しみはいろいろありますが、ここで取り上げたい四番目は、やはりガーデニングです。

この恩恵は、計り知れず、私の不安な心が、どんなに癒されたことでしょう。

暑い夏の盛りや厳しい冬の作業は、年を重ねた身には、結構な負担に。

けれどそれを差し引いても、私の心の慰めと励み、そして喜びになりました。

 

 

けなげな草花の姿に、私の愛しさは募る一方ながらが、体調が悪い時に、その可憐な草花の世話を怠り、苗の元気がなくなるといった冷淡なしうちも数知れずしてきた私です。

年齢に甘え、時には、それも止むをえないことにしましょう。

草花には申し訳ないですが、ほどほどの世話で、負担にならないことを来年も心がけながら、楽しむつもりでいます。

 

ユリオプステージなど、既存の後方の草花を生かして、最近寄せ植えをしました。

 

今年の私の年賀状は、私の趣味のガーデニングとお料理を皆様にご紹介するデザインにしました。

年齢に似合わず、華やかで少々にぎやか目の賀状になりましたが、長女に

「とても素敵!」

と褒められ、気を良くしています。(笑)

 

 

来年も、優先事項の第一は、旦那さまの介護と看護であることに変わりありません。。

それに家族揃って過ごす至福の時、料理、ガーデニングを我が家の暮らしの三本柱にして、友人との交流も大切にしながら、よき日々を紡いでいきたい、と願って居ます。

 

一昨日、旦那さまからの電話で、思いがけない吉報が。

抗がん剤の効果で、肝臓の癌が少し小さくなっているとのこと。

クリスマスの贈り物など、一度もしてくれたことがない旦那さまですが、私には初めて受け取るこの上ないプレゼントになりました。

夫の声も、心なしか穏やかで嬉しそうでした。

本当に良かった。

この一報のお蔭で、良き新年を迎えられそうです。

 

 

皆様も、清々しいお気持ちで、新らしい年をお健やかにお迎えになられますように。

来る年のご多幸とご健康を心よりお祈り申し上げます。

 

つたないブログにもかかわらず、お訪ねくださり、温かな応援まで頂戴し、本当にありがとうございました。

来年も引き続き、宜しくお願い申し上げます。

 

 

          

  にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 

 

  メリークリスマス!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスはもうすぐ ♪

2014-12-17 07:17:27 | 家族

クリスマスが、目前に迫ってきましたね。

最寄りの駅前の商業ビルにも、大きなツリーが飾られ、そのイルミネーションのきらめきと美しい飾りつけに、しばし見とれてばかりの私です。

クリスマスは、私が年間で一番好きな行事、と言っていいでしょう。

夫の赴任で、アメリカに5年近く在住し、その傾向が一層強くなりました。

 

我が家のツリーのオーナメントの大半は、その当時に購入したものです。

木製のオーナメントは、代官山のクリスマス用品専門店でも、数が少なく、とても高価。

ですから、今では我が家の貴重品と言えそうです。

 

 

ロス在住時は、生木のモミの木を購入し、居間に飾ったものでした。

モミのかぐわしい香りが部屋中に立ち込めました。

今我が家にあるツリーは、むろん、人工ツリー。

それも、アメリカから持ち帰った、繊細な作りの物は幹が折れてしまい、二代目です。

それも針葉が飾り付けるたびに床に落ち、褐色の枝の色が目立ち薄汚くなってきました。

来年こそ、丹念に選んで、心にかなったツリーを見つけたいものです。

 

 

次女宅では、本物のモミの木を育て、そこに飾り付けをしています。

子供たちの成長に合わせて大きくなっていくツリー何て、とても素敵ですね~

 

我が家の庭でも、モミの木を一本育てようかしら。

モミの木が大きくなるにつれ、私は年老いていくのでしょうけれど・・・・・

それもまた素敵なことかもしれません。

私が死んでも、モミの木が身代わりになって成長していく。

想像するだけで、心がときめきます。

そのためには、少々奮発しても、姿の美しい枝ぶりの良いものを買わなくては・・・・・・(笑)

 

 

 

 

21日に、我が家で家族揃って、恒例のクリスマス会をする予定になっています。

久しぶりに、私が腕を振るいご馳走を振舞うことになるでしょう。

長女宅でも、幾度か開いてきたクリスマス会。

しばらく訪れていなので、出かけたいところですが、旦那さまは、病院以外、遠方の外出を好みません。

そのため最近は、家族のイベントは次女宅か我が家、と決まってしまいました。

 

孫たちと主人のクリスマスプレゼントは、何にしましょう。

日が迫っているのに、まだ何も用意していない私。

最近の子供たちの興味や好みが全く分からなくて、選ぶ自信がありません。

そのため、最近は親に選んでもらって、私は支払うだけの合理的ともいえる贈り方をよくします。

味気なくて横着な方法ですけれどね。

 

 

春先に長女家の孫娘のさっちゃんのお誕生日会が開かれた時のこと。

お誕生日プレゼントは、自分で選んで贈りました。

ところが、喜びようが今一つだったのですよね~

私が自分の価値観で選ぶと、一生にわたって値打ちの落ちないものを、なんて思ってしまうところがあって。

その時は、リヤドロの子会社の陶器のお人形を贈りました。

 

玩具では、私が好むのはいつも木製品。

多少値が張っても、木製のものは、孫の代まで使用できることは、我が家では実証済みなんです。

それに木製のおもちゃは散らかっていても、目障りに不思議となりません。

木の温もり感のせいでしょうか。

お部屋に溶け込んで、インテリアになってしまうようです。

 

 

 そういえば、私の母も、娘たちが大きくなっても、郷里からクリスマスプレゼントを送ってくれていました。

素敵なクリスマスカードに、達筆な美しい文が添えられて・・・・・・

手袋だったり、ジュエリーだったり、と。

長女のNちゃんが、「私が心から欲しいものだった」と、贈り物を手にし、おばあちゃまのセンスに大感激。

大層喜んだことが、懐かしく思い出されます。

確か小粒のパールが先についたネックレスではなかったかしら。

 

幼い時は、手編みのセーターが毎回、他のプレゼントと一緒に。

大変器用な母でしたから、手の込んだ絵柄が編み込まれ、私も感嘆の声を上げるほどの出来栄えでした。

 

 

 

さて、皆さんは、お孫さんにどんなプレゼントを用意なさっておられるのでしょう。

奥様へのプレゼントを準備されている優しいご主人様も、中にはいらっしゃるのでしょうね。

羨ましい~!

私は、クリスマスプレゼントを旦那さまから貰ったことは結婚以来、一度もありません。

そんなロマンチストには、縁遠い人ですもの。

 

でも私は、去年も贈りましたよ。

下の画像のナイトガウンです。

ついでに、私のお気に入りのガウンの写真も一緒に載せてしまいます。

 

 

まだ少々気が早いですが、皆様、どうぞ素敵なクリスマスをお迎えくださいませ。

 

         

  にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 

  

花のように泉のように

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

責任を知る~我が家の献立・はりはり鍋・ふろふき大根他~私の徒然なる思い

2014-12-16 07:27:05 | 料理

 

東山魁夷作 曙

 

 

責任を知る

 

自分にまったく関係ないところで、自分に全く関係ないと思うことが起こって、だから自分に全く責任がないと思うことでも、

よくよく考えてみれば、はたして自分に全く責任がないと自信をもっていうことができるだろうか。

 

人と人とが、かぎりないまでにつながりあっているこの世の中に、

自分とは全然関係ないといえることが、本当はあるとは思われないのである。

 

キリストは、その時代の身も知らぬ人びとの責任も、すべてわが身に負い、

そのうえに、後の世につづく数知れぬ人びとの責任をも、その気高いまでの魂で、一身に引きうけた。

 

おたがいに、そこまで求めるのはとてもムリ。

キリストなればこそである。

しかしせめて、自分に責任があると思うことまでも、他人のせいにすることだけはやめにしたい。

犬や猫は、自分が悪くても、自分の気に入らなければ、平気で同類にかみつき、傷つける。

 

人間と動物とは、天地自然の理によって、ハッキリちがっている。

そのちがっていることの尊さを、みずからけがすことだけはやめにしたいと思うのである。

 

松下幸之助著 「道を開く」より

 

 

我が家の夕食の献立

 

はりはり鍋・ゆず味噌のふろふき大根・春菊の胡麻和え・かきごはん

 

はりはり鍋




<材料>2人分



水菜・・・・・・・・・・・・・・・・・1わ(約200g)
豚薄切り肉(しゃぶしゃぶ用)・・・・・・150グラム
油揚げ・・・・・・・・・・・・・・・・1枚
生しいたけ・・・・・・・・・・・・・・4枚
昆布(長さ5㎝のもの)・・・・・・・・・1枚
ゆず(又はかぼす)のしぼり汁・・・・・・大匙2
大根おろし・・・・・・・・・・・・・・200グラム
しょう油・みりん・塩・七味唐辛子


<作り方>


① 水菜は、長さ6センチに切ります。しいたけは石づきを切って4等分に裂きます。油揚げは熱湯を回しかけて油抜きし、端から幅1.5㎝に切ります。

 ☆ 小ぶりのしいたけでしたので、私は2等分にしました。

② しょう油大匙2にゆずの絞り汁大匙2、みりん大匙1をを加えてポン酢しょうゆを作ります。大根おろしは軽く水気を切ります。


③ 土鍋に水4カップ、昆布、塩小匙1/2、しょう油小匙2、みりん大匙3を入れて中火にかけます。煮立ったら油揚げを加えて5分ほど煮ます。しいたけを入れ、豚肉を一枚ずつ広げて入れます。肉の色が変わり始めたら、水菜を加え、さっと煮ます。


④ ポン酢しょうゆに大根おろしを加え、七味唐辛子を少々振ったものを添え、つけながら頂きます。

 

  

ゆず味噌のふろふき大根

 

<材料>2人分


大根・・・・・・・・・・・・・・・・・10㎝
米・・・・・・・・・・・・・・・・・・約大匙1
昆布(10×10㎝のもの)・・・・・・・1枚
ゆずの皮・・・・・・・・・・・・・・・少々


 白みそ(西京みそ等)・・・・・・・・・大匙3
 砂糖・・・・・・・・・・・・・・・・大匙11/2
 ゆずの皮のすりおろし・・・・・・・・少々

みりん・しょう油・塩


<作り方>


① 大根は長さを四等分に切ります。皮は厚めにむき面取りをします。切り口の一方の断面に、厚みの三分の一くらいまで、十字の切り込みを入れます。(十字に切りこみを入れるのは、火の通りを良くし味をしみやすくするためです)

② 包丁を入れた面を下にして、かぶるくらいの水を注ぎ、米約大匙1を加えます。中火にかけ、煮立ったら弱火にして10分程煮て、そのまま置いて粗熱を取ります。

③ 鍋に、みりん大匙3、しょう油大匙1、塩小匙1を入れて中火にかけ、煮立ったら水3カップ、昆布を加えて大根を並べ入れ、ペパータオルなどで落としぶたをし、弱火で竹串がす―っと通るまで30分程煮込みます。

④ ゆずみそを作ります。ボールにAを混ぜ合わせ、1の大根の煮汁大匙1~2を加えて、弱火でよく練り込みます。

⑤ 昆布を食べやすく切り、大根、煮汁適宜とともに器に盛ります。ゆずみそとゆずの皮を表面を薄くむいて載せます。

 

かきご飯

 

かきご飯


<材料>3~4人分


かき(むき身)・・・・・・・・・・300グラム
米・・・・・・・・・・・・・・・2合
塩・酒・しょう油
ねぎ


<作り方>


① 米は炊く30分程前にとぎ、ざるに上げて水気を切ります。かきは塩水で洗って水けを拭きます。浅目の鍋を中火で熱し、かきを重ならないように並べ入れ、酒大匙2、しょう油大匙21/2を振ります。煮立ったら蓋をして、弱火にして5分ほど煮ます。かきの身を取り出して、煮汁と分けておきます。

② かきの煮汁に水適宜を加えて2カップ弱にします。(380~390ml) 炊飯器の内がまに米とともに入れ、普通に炊きます。炊きあがったら、かきの身をのせて5分ほど蒸らします。全体をさっくり混ぜ、小口切りの青ねぎを散らします。


☆ かきは水2カップに対し塩小匙2が目安で、中で泳がせるようにしてそっと洗います。水を2~3回取り替え、汚れを落とします。

 

春菊の胡麻和え

 

<材料>


春菊・・・・・・・・・・・・小1わ(約200g)

白いりごま・・・・・・・・・大匙3
塩・砂糖・しょう油



<作り方>

① 春菊は根もとの固い部分を切り落とし、冷水に付けてパリッとさせます。鍋にたっぷりの湯を沸かし、塩適宜(湯1ℓに対し小匙2が目安)を加えます。春菊は根元から入れて立てるようにして2秒ほどおきます。菜箸で葉を押さえて湯に沈め、30~40秒茹でます。すぐに冷水にとって冷まし、水気を絞り長さ4cmに切ります。

② いりごまをフライパンに入れて中火にかけ、香りが立って色づくまでフライパンを揺すりながらいります。ペーパータオルの上に取り出して冷まし、包丁で細かく刻みます。ボールにゴマと砂糖を、しょう油各小匙2を混ぜ、春菊を加えてあえます。

 

       


 私ほどに年を重ねると、責任を負うことが少なくなってきたようにも思いますが・・・・・・

なんといっても子育ての責任から解き放たれたことが大きいですね。

けれど今は、旦那さまの介護といった責任が重くのしかかっているわが身です。

 

私も他人に責任を擦り付けるのは好きではありません。

責任転嫁、といった言葉で、よく表されますが。

他人ののせいでこうなった、というほど、恥ずかしく、自分を卑しめる言葉はないようにも。

 

でも家族間ではどうでしょう。

甘えもあり、ついそのような言動を、知らず知らずのうちに吐いているのかもしれません。

明るい物言いのジョークなら、全く問題ありませんけれど。

 

このたびの選挙に当たり、つい愚痴を述べたくなるのが、自民党の責任。

長期政権だった時代に、我が国の財政事情が急変し、一気に坂道を転げ落ち、借金が火だるま式に増加したのですから

その責任は大きいです。

それを肝に銘じて、日本の財政と経済の立て直しを懸命にやり遂げてほしいものです。

 

私達国民にも責任の一端はありそう。

ですから、子、孫の世代の幸福社会を祈り、痛み分けを積極的に受ける態度が好ましいのかもしれませんが、

収入が増えない年金暮らしの身には辛いのは当然です。

意識の変革のためには、もっともっと納得のいく説明を聞かせてもらいたいものです。。

今回のような理解に苦しむ選挙の浪費はやめていただきたい、と。

行政がもっと、とことん無駄を省く取り組みをすべきではないでしょうか。

 

維新の党の江田憲司氏が、

歳出削減を徹底的にやり、公共事情と公務員の人件費の無駄を省けば、明日から10兆円が出る、と言っていました。

夢のような話。本当かしら?

説得力のある彼の弁ですと信じられそうで、希望が湧いた私です。

是非、そうしてほしいものです。

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように





 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の私の読書

2014-12-15 08:02:04 | 読書

ここ、しばらく読書が進み、誠に遅い速度ですが、数冊を読み上げました。

少し前の記事で、もう先も長くないでしょうから、できる限り良書を読みたい。

その読み方のスタンスは、古典と近年の新刊書を交互に読みたい、と綴りました。

今も、それを実践しています。

そして、新潮文庫百選の本を買うようにしています。

 

実は、新刊書では、他に読みたい書物があるのですよ。

娘と変わらない年齢のブロガーさん(臨床心理士さんです)の記事が大好きで、愛読している私ですが、その方の読後の書評が素晴らしくて・・・・・・

紹介された本は、すべて手にしたくなってしまいます。

 

 「星の王子さま」の挿絵

 

書店に行くと、書物の数は膨大で、棚には所狭しと並んでいます。

そこから選び、手に取り、カウンターまで持っていくには、小さな勇気を、私はチョッと必要とします。

おそらく文庫本なんて、1日であっという間に読み上げてしまう方もいらっしゃるでしょう。

しかし私には、今それだけ、一つのことに集中する時間的余裕は、なかなか取れません。

三度の食事の準備、お洗濯、庭の手入れ、お掃除、夫の介護、あげればきりがないほど気になる事があります。

その合間を縫っての読書です。

ほかのデスクワークもそう。

 

ですから、掛け替えのない、とてもとても貴重な時間に、私には感じられてきます。

できればその時間を無駄にしたくない。

心から読んで良かった、と思えるような素敵な本に巡り合いたい。

ゆえに、選ぶのにも、慎重さと勇気を必要とするのですね~

 

 

笑われそうですが、私は4冊の本を紐解き、今並行して、読書中です。

私は、このようなスタイルの読み方を、若い時から割と好んでしてきました。

けれど、読書家といえるほど、たくさんの本を手にしてきたわけではありません。

新聞が好きで、興味が少しでも湧くとその記事は必ず目を通さないと気が済まない性格の私。

どちらかといえば、こちらに膨大な時間を費やしてきました。

ですから読書に時間を取られ過ぎると、未読の新聞が積み上がり、気になって仕方ありません。

家事などほったらかして、自分が好きなデスクワークに打ち込みたいのですが、そうはいきませんものね~

 

さて先ほど記した4冊の本についてですが、

一冊は料理本、二冊は、40代の頃、読了したことがあるハウツー本。

傍線がいっぱい引いてあります。

ハウツー本は、ここでご紹介するのは、なんだかちょっとためらわれます。

でも、私の人生と文章に多大な影響を与えていることに、読み直し、改めて気付かされています。

いつか、またの機会に、題名と内容を詳しくお知らせするかもしれません。

 

文学書は最近、朝吹真理子著の「きことわ」を読み上げました。

新潮百選の四冊目。

堀辰夫著「風たちぬ」、角田光代著「さがしもの」、三島由紀夫著の「潮騒」、朝吹真理子著「きことわ」の順です。

「風たちぬ」と「潮騒」は、ところどころの情景が、まだ目に浮かんでくるほど、その余韻が心に残っています。

「さがしもの」は感動するほどの内容では全くなくて、荒筋さえも、あまり覚えていません。

読書が好きな若者たちの本との出会いと縁が、テーマだったようにも・・・・・・

「きことわ」も、文章は平易でも、非常に難解で、興味が余り湧かず、途中で幾度も投げ出したくなりました。

自分の読解力のなさが情けない。

最後の解説を読むのも好きな私ですが、これがまた難解。

終わりの2~3ページを読んで、やっと「きことわ」のテーマがおぼろげに解りましたました。

 

 

この後、読むつもりで購入した井伏鱒二の「黒い雨」はしばらく放置することに。

「風立ちぬ」「潮騒」と同様に、若い頃、一度目を通した書物ですが、再読したくなり、先日買ったばかりです。

が、年末年始にはふさわしくありませんものね。

それに代わって、今読書中なのが、サン=テクジュペリ作の「星の王子さま」。

私が大学生の頃の愛読書です。

新潮文庫の本は買わないで、我が家にある単行本を手にして読んでいます。

 

実は、この本には、忘れられない良き思い出があります。

大学二年の秋に早々と婚約した私ですが、三年生の頃だったと思います。

「星の王子さま」は、フィアンセだったYさんに私が贈った、最初の書物です。

Yさんは、若い頃から大変な読書家で、大江健三郎の書物を片手に提げて、デートをするような人でした、

 

その彼に、この書物をプレゼントするのは、相当の勇気を必要としたことでしょう。

でも私は、プレゼントしないではおられない程、内容に感動したのだと思います。

 

読み終えてYさんが、私への手紙に綴った感想の言葉を、今でも記憶しています。

うろ覚えで正確とは言い難いですが。

二日酔いの朝飲んだ、サイダーのような味わいだった、と。(レモンスカッシュだったかな~?或はお水だったかしら?)笑

 

今また読み始め、感銘の最中にあります。

挿絵も、本当に素敵で可愛い。

来年、この王子さまが、いつも私の心に住み着いて、いろいろ質問を投げかけてきたら、私はうろたえてしまうかもしれません。

年を重ねるごとに、純真な子供心を取り戻せたなら、本望ですけれど。

 

 

来る年は、せめて百選の50冊くらいは読み上げたいものです。

毎日、5~6ページの積み重ねで、車中などで、時に集中すれば、期待以上にたくさんの本が読破できそう。

来年は、どんな書物との出逢いがあることでしょう。

どうか、素敵な良書に巡り合うことができますように。

 

選挙が終わりましたね。

まだ今朝は新聞もテレビの報道もほとんど見ていないので、詳しいことを知りませんが、自民の大勝のようですね。

私は昨日、投票どころではありませんでした。

投票場に出かけようと思った、三時過ぎのこと。

旦那さまにまた異変があり、先生の指示に従い、救急車で病院に向かいました。

診断の結果は、抗がん剤の副作用で血小板が減少気味以外は異状なしで、ほっとしましたが・・・・・・

心配事の連続で、さすがに心が折れ、待合室で夫を待つ数時間の間、放心状態になりました。

でも今朝は意外にも爽やかな目覚めて、諦めていたブログの投稿ができることに。

 

やはり私の体調は明らかに変わっている。

腹式呼吸を、病院でも時々行って、心を落ち着けていました。

夫は入院はせず、帰りはタクシーで一緒に自宅に戻り、今は安らかな寝顔で眠っています。

 

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の想い出

2014-12-14 07:32:35 | 日記

今日は、私の父のこと、父にまつわる想い出話をいくつかお話しさせていただきますね。

何故、それを思い立ったかといいますと、

大学時代の親友のことを記事にした際、その当時のアルバムを、久しぶりに紐解き、私と父のツーショット写真を目にしたからです。

母のことは折に触れ、話してきましたが、父の事はほとんど話題にしませんでしたから。

 

私の父は、関東出身の人でしたが、ある偶然から、広島勤務となりました。

電力会社に勤めていました。

原発問題以来、渦中で苦労が多い会社ですね~

父が生きていたら、どんな感想を述べたことでしょう。

 

本社から転勤が発令され、広島に勤務している時に、NTTのような分割が起き、広島支社が中国電力になりました。

それが理由で、父はそのまま中国電力勤務の社員になった、と聞いています。

 うろ覚えですので、事実と多少違うところがあるかもしれません。

 そして父は、やはり関東在住で遠縁だった母をめとり、その後、家族が被爆という運命をたどることになります。

私は一歳でした。

 

被爆した当日、父は、九死に一生を得るような幸運に恵まれました。

前日出張だったため、出勤を30分遅らせてよかったからです。

まともな時間に出かけていれば、私は父なし子になっていたに違いありません。

その幸運をものともせず、被爆当日、爆心地から1キロ弱のところにある会社に、その様子を見に赴いた父。

焦土と化した街中を黒い雨に打たれながら、帰宅した父。

それにもかかわらず、81歳という天寿を全うすことができました。

 

 

父と母が存命の頃、私は両親の性格は正反対だと思っていましたが・・・・・・

今思うと、似たところも多々あり、その共通点で一番思い出すのは、凛とした佇まいでしょうか。

ところが父は、酔うと形無しで、少々不機嫌になりましたけれどね。

その印象は強いものがありますが、そのお相手は娘時代、いつも私。

何故か、私が相手をすると、上機嫌になる父でした。

 

日頃は、大学教授のような厳格な雰囲気で、その父に声をかけるとき、私の声色は変わってしまうほど。

丁寧な口調で話をしたものです。

雰囲気通りに、いつも書斎にこもり、読書をしたり勉強に励んでいた父。

六畳の北向きの書斎と共に、その父の後姿も忘れられません。

 

また一方、なかなかのスタイリストでもあったお父さま。

勤め人のころは、背広の胸には白いハンカチをのぞかせ、一時香水も愛用していました。

それにしては、眼鏡がずいぶんお粗末だった、といった変な記憶が私にはあります。(笑)

 

スタイリストの父は何事も形からマスターするようなところがあり、研究熱心も手伝って、スポーツをする姿は実に様になっていました。

小学生の時、先生と父兄のソフトボール対抗戦があった時のこと。

父の活躍と格好良いプレーに、私は内心嬉しくて、得意になったものです。

 

研究熱心で努力家の父のエピソードは、他にも幾つかあります。

立場上、人前でよく挨拶をすることも多かった時期の頃。

父は、その前に念入りな準備をし、練習までしていました。

 

我が家の今の花壇の光景。

退職後は、明けて暮れるまで、庭作業を趣味にして愉しんでいた父でした。

 

会社全体の家族会のような催しが、市民ホールのようなところで、芸能人なども招き、盛大に催されたことがありました。

その時、父が締めの挨拶をしたのですが、その前、練習に励み、自分の挨拶を録音テープに吹き込んだり、家族に聞かせたりと。

「喜びも悲しみも幾年月」の映画が話題になっていた頃のことです。

その映画の内容を一部取り上げ、父らしいなかなか味のある挨拶だった、と記憶しています。

ところがその挨拶は、余興後の余韻漂うにぎやかなホールの騒々しさにかき消され、よく聞こえませんでした。

一生懸命練習し準備した父が、私は何だかとても可哀想に・・・・・・

またある時は、バーナードショーの語録を引用した挨拶を、新聞記者に褒められた、と得意になって話したりと・・・・・・

今この記事を綴りながら、久しぶりに思い出しました。

 

中年過ぎてからは、一時期ゴルフに夢中になり、庭にネットを張り、早朝よく練習をしていた姿も忘れられません。

これから掲載する二枚の写真は、電力会社の取引先の接待を受け、宿泊したホテルで撮ってもらったものです。

なぜか、大学一年生の私も招かれました。

翌日、ゴルフ場を一緒に回った思い出と、前日のディナーの優雅な雰囲気を所々ですが、今も鮮明に覚えています。

父のゴルフのプレー姿が、ご一緒した三名の方達の中で、一番美しかったことも。

 

 

 

スポーツ万能だった父は、大学時代はテニス部の主将もしていました。

 その母校の界隈を、父に案内してもらいながら、二人で散策したことがありました。

私が、京都の大学に在学している時のことです。

吉田山のふもとの住宅地を指して、「あのあたりに大学生の頃、下宿していた」と教えてくれたものです。

帰り際に、四条の交差点のデパートで、豪華な刺しゅう入りのアンサンブルのセーターを買ってもらい、その後大切に愛用しました。

その後の私の人生で、父との一番良き想い出になりました。

 

 

退職後は、園芸一筋で、朝から日が暮れるまで、庭に出て作業をしていた父。

庭の植え付けセンスはまるでないガーデナーさんでしたが、研究熱心で勉強家の父の庭仕事は、本格的。

朝顔の盆栽仕立て、菊の懸垂仕立ては見事で、今も強く心に残っています。

夏の朝、お茶の間に入ると、棚の上に置かれた清々しい幾輪もの朝顔が、いつも私たちを迎えてくれたものです。

「父は作る人、母は見る人」と私達はよく言っていました。

 

園芸は退職後の趣味でしたが、私の旦那さまと違い、なかなか器用だった父。

まだ戦後の物が豊かとはいえなかった時代、「暮らしの手帳」を愛読し、日曜大工を愉しんでいました。

その頃にしては斬新な型の棚類や、その他の日用品を、父が完成する過程を、子供心にわくわくした気持ちで見つめたものです。

台風の予報があると、家の周りをくまなく点検し、その備えのために朝から日が暮れるまで働いてもいた父

ですから幼い頃、台風を怖いと思ったことは、私は一度もありませんでしたね。

父が必ず守ってくれる、と信じ切っていましたから。

 

 父が庭作業時にかぶっていた麦わら帽子。

 後で心を込めて撮り直し、もう少し雰囲気を出しましょう。

 

今思い出すと、父の良い面ばかりが浮かんできます。

想い出とはそういうものですね~

 

この記事を書いて良かった!

父が草葉の陰で、喜んでくれているに違いありません。

親不孝の多少の償いになったかしら。(笑)

 

今日は、いよいよ選挙投票日。

父は、棄権はしなかったでしょうけれど。

夫の介護に日々追われる私は、選挙投票場に赴くことを、少々億劫に感じています。

どうしましょう・・・・・・・。

 

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多量の出血に何度も仰天したことがある私 

2014-12-13 07:21:37 | 日記

大量の出血、という言葉から私が連想するのは、「死」

書き出しから、大変重たい文で申し訳ありません。

年末にも、ふさわしくありませんね。

クリスマスも近いというのに。

できればこのような場面に遭遇したくはない、とどなたも思われることでしょう。

 

しかし、高所恐怖症でもあり、人一倍臆病な私が一番苦手とするこのような場面に、数回出くわし、その度に心が震えるほど仰天。

何とか気を取り直し、その血の始末をしてきたものでした。

つい最近(11月20日のことです)も、夫の身にその様なことが起こり、私は驚愕。

救急車を呼ばなくては、と大層慌てました。

ところが、旦那さまは割と平静で、「出血は止まっているから、もう大丈夫」と言って、私のうろたえた態度を鎮めようとします。

しばらく私は、出血の箇所のドレーンの挿入口を凝視しました。

確かに、止血しているようです。

 

旦那さまが、夜中にお手洗いに行った際、突然起きた出来事でした。

しばらく私を起こさず、自分で止血のための適切な対処をしたようです。

 

最近、夫が入院した頃の、大学構内の光景

 

実はその一週間ほど前、人工肛門のパウチ交換を始めたときにも、同様の出血が突起した人工肛門の際から突然始まり、大層びっくりした私です。

昼下がりの事でしたので、病院にすぐ電話をかけました。

先生は、出血する箇所を、「ガーゼ等で強く圧迫して様子を見るように」と言われました。

そうすると確かに割と早く止血し、その後は病院に行くこともなく、平穏に過ぎました。

 

この経験から、旦那さまは今回の出血の際、すぐ同様の圧迫をしたようです。

その処置で、止血はしたものの・・・・・・

私が起こされ、トイレを見たときは、まさに刑事現場といった、血なまぐさい恐ろしい光景でした。

洗面台、床、便器すべてが真っ赤な血で染まり、目を覆いたくなるほど。

 

「あなた大丈夫?」

「貧血になっていると思うわ。」

「今のところ、顔色は悪くないけれど。」

「水分を十分摂らなくては」

「すぐ救急車を呼びましょう」

と、私はいろいろまくしたてたように思います。

 

でもおそらく旦那さまは、気分が特別悪くなかったのでしょう。

実に平静で、「この程度の出血は大したことではない」と言い、そのまま着替えを済ませ、眠りに就きました。

私は明け方まで寝ることはできなくて、旦那様の顔色と様子を幾度も窺い通し。

そして、九時に病院に電話をかけました。

 

T大病院の全景。奥に新館があります。

 

「止血したのなら、心配ありません。

恐らく、ドレーンが臓器に触れ、毛細血管から出血したのでしょう」

とのお返事でした。

その後は、いつもと変わらない様子で、一週間後に、また抗がん剤治療のために入院、7日に退院しました。

このためでしょう。

今も造血剤を服用しています。

 

他でも似た、血なまぐさい出来事が、私が60歳の時にありました。

旦那様の鼻血が一向に止まらず、真夜中に数度最寄りの救急センターに駆けつけ、診察を受けたことが。

いつも帰宅するのは、明け方で、その頃は私はまだマイカーを運転していましたから、車で往復。

年末の多忙時で、クリスマスが目前でした。

私は年末年始の準備と夫の突然の異変による心労と疲労でダウン。

急性腎盂炎になり、大みそかの前日まで入院。

そのあと、長女の家で、一週間静養して我が家に戻りました。

冬の乾燥した時期には、たまに起きる症状のようですが、いつまでも止まりませんと、脳内からの出血ではとか、要らざる不安に襲われるものですよね。

 

大学構内のこの道を、私は数えきれないほど通り抜け、病院に向かいました。

季節の移行とともに、彩を変える自然に、私の心は、どんなに慰められ励まされてきたことでしょう。

 

長女家の、今、中三になる孫息子のR君も、小学生の時、似たことが起き、私は大層驚き、心配したものです。

インフルエンザにかかり、学校をおやすみし、寝込んでいるときの事でした。

私は早朝家を出て、出勤の若夫婦を送り出し、R君の看護をするために、娘宅にいました。

やはり鼻血が止まらず、浴室の脱衣場の洗面ボウルが真っ赤に染まりました。

止血しても、何度も同様のことを繰り返し、そのたびに、炊事をしていた私を、孫が

「おばあ~ちゃん!」

と絶叫口調で呼びつけます。

 

心配の余り、長女に電話をかけると、実に冷静な声で応答が返ってきます。

「鼻血は良く出るRだから心配いらない」

と応えるだけ。

「そんなこと言っても、その出血がただ事でないの。

帰宅して様子を見てくれないかしら」

という私に、娘の返事は変わらず、平静そのもの。

「私がこんなに心配しているのに」と、その状況を見ようとしないで、落ち着き払った態度で応じる娘に、いらいらしたものでした。

娘の言う通り、次第にその鼻血は収まっていったのですけれどね。

 

 

大量の血を見ると、心が震え、悪いことを想像してしまうのは、私だけでしょうか。

とても心配になるのは、やむを得ないことのように思うのですが。

人の全身を巡る血液は、私には命そのもののように感じられます。

占いは全くと言っていいほど信じていませんが、血液の性格判断だけは、偽りとは思えない私です。

日本人に一番多い血液型は、A型だそうですね~

家族で、B型なのは、私だけ。

夫と次女はA型、長女はAB型で、血液型による性格判断の内容に、いずれの性質も、とてもよく合っている気がします。

 

この度の、主治医のお話で印象的な言葉がありました。

「血は、無駄にはできないから」と。

 

今後また、同様のことが起きたなら、まずは「出血の箇所を強く圧迫する」。

その処置の仕方をしっかり心に留め、冷静に対応したいものです。

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後も、感動的な体調の変化が続いている私♪

2014-12-12 06:35:23 | 健康

皆様、年末年始の準備は捗っていらっしゃいますか?

何かに追い立てられるような気分で、主婦は気ぜわしく過ごすこの時期。

我が家は、病人もいて、12月も入退院を繰り返すことに変わりはなく、気持ちが今一つ盛り上がってくれません。

でも、年のせいで多少せっかちになってきた私は、割とこの準備を早くからスタート。

ですから順調といえるほうかもしれませんが、でもやっぱり、かなりのプレッシャー。

 

何事もせっかちになってきたのには、理由があります。

先日、「自分が信じられなくなってきた」と、私は旦那さまに話したばかり。

たとえ、前もって予定を組み、行動するつもりでいても、自分がその通りにできるか、心配でならない最近の私です。

 

孫たちの発表会に二度ほど出かけた時も、会場の最寄り駅に、呆れるほど早く到着してしまいました。

迷って遅れては申し訳ないと、取り越し苦労が先に立ち、早々と家を出てしまうのですね~

 

最近は、うっかりミスも頻繁です。

わが身の行動のお粗末さに、呆れ返ってています。

「いよいよ、私は可笑しくなってきたかしら?」

と、旦那さまに、よく笑いながら話します。

自ら、このようなことを言っている間は、まだ多少の余裕があり、大丈夫なのかもしれませんが。

 

先日も夫の入院日、病院のカフェに携帯を置き忘れ、病室で荷物の整理をし、一段落付いた時に気が付きました。

大層慌てたのは、言うまでもありません。

携帯を、他所に置き忘れるなんて、初めての事。

 

家の中では、探し物は日常茶飯事。

その度に、「また!」と、呆れ返り、何だか自分にゾッとしてしまうのですよ。(笑)

 

 地味目の花壇ですが、風にそよぐ野の花のような、楚々とした草花が好きな私です。

 

こんな具合で、私の頭は次第に弱くなっていく一方、体調は相変わらず、すこぶる良好です。

十歳くらい若返った心境で、毎日、その喜びと感動に、今なお浸り続けています。

前の記事でご紹介した、「吐くことを丁寧に」を心がけた腹式呼吸のお蔭であることは、言うまでもありません。

 

あれほど毎日、私を悩ませた疲労感や気持ちの悪さがまるでなくなり、軽やかになった体。

キツネにつままれているだけ。

この喜びを裏切られる日が訪れるのでは、と未だに心配してている私です。

 

ここで一言、お断りして置きますね。

私は、虚弱体質気味のところが確かにありましたが、そのせいで暗い日々を送ってきたわけではありません。

娘時代は、幾分そういったところがあったかもしれませんが・・・・・・

嫁いでからは、気力が体力に勝るように次第になりました。

体質と諦め、タイマーを使用し、目先に小さな目標を立てることで、その気分を乗り越え乗り越え、元気に明るく日々を過ごしてきたつもりです。

タイマーは、生活のリズムをとってくれる正にタクトの役目をしていました。

そういえば、栗原はるみさんが、タイマーを使用して家事をなさっているとの記事を目にしたことがあります。

 

とはいえ、計画通りに物事がはかどったことはほとんどありません。

残念には思いこそすれ、それを気にする性格ではなく、ずぼらなところも、私には大いにあります。

ですから日々のストレスは、さほど大きくなく、上手に付き合ってきたつもりだったのですが・・・・・・

 

俯き姿のクリスマスローズ.

ガーデンテーブルの上に載せると、
毎日、その凛とした愛らしい花姿を正面から見つめられ、私はとても喜んでいます。

 

ところがこの度、腹式呼吸により、体調が驚異的に改善しました。

肩こり、首の痛みやだるさも、ほとんど感じられない程に、緩和されています。

私はこの変化に驚くと共に、いかに自分が精神的負荷の大きい暮らしを送ってきたかを、思い知らされたのです。

 

確かにここ4~5年は、夫の重い病や、訳の分からない中傷を、数人の方からネット上で受けるといったことがありました。

ですからそのストレスで、体調が狂って当然だったのですが。

でも私はそれを体質からくる原因不明の症状と半ば諦め、特別暗い気持ちにはなりませんでした。

夫の病のせいにしたことも、ネットトラブルのせいにしたこともありません。

他人のせいにすると、正に本物のストレスとなり、心が暗くなっていったことでしょう。。

「気にしない、気にしない」と自らに言い聞かせ、できるだけいつもと変わりない生活を送るように努めました。

 

首のだるさと痛みには、その後もよく見舞われましたが、息苦しさ、異常なのどの渇き、食欲不振などはすっかり収まりました。

でも疲れやすい体質だけは相変わらず。

朝から気分がすぐれないこともあり、そんな体を励ましながら家事をするのが当たり前の日常でした。

 

我が家のシンボルフラワーのハーブ系コバノランタナ

17年間、四季を通して咲き続けてくれています。

 

ところが、丁寧な腹式呼吸を日々心がけることにより、 その体調から、きっぱりと抜け出して、ほぼひと月になります。

この嬉しさを、何にたとえましょう。

神さまの、少々早いクリスマスプレゼントと、自分で勝手に思い込み、感謝して暮らしています。

 

夫の入院日、朝早くから出かけ、その後デパートにも寄り、戻ったのは八時過ぎでしたが、全く疲労感がなく、本当に信じられないようなことでした。

庭に出て、数時間休みなくガーデニング作業を行った時も、同様です。

首の懲りも、肩の凝りもほとんどなく、奇跡に近いことのように驚き、感動しました。

戸外にいるときも、思い出したように時たま腹式呼吸を行っている、私です。

 

いつまでもいつまでも、この体調が続きますように。

この調子ですと、きっときっと来年は、良い年になることでしょう。

夫の病への心配は尽きませんが・・・・・・・。

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生かし合う~我が家の夕食の献立 野菜たっぷりのミートローフ・サワークリーム入りのポテトサラダ・スープ

2014-12-04 06:47:35 | 料理

 

東山魁夷作 冬華

最後に、松下幸之助氏の言葉への私の思いを綴っています。

 

生かし合う

 

人間の生命は尊い。

尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。

ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことは忘れがちである。

ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ。

つまり、自分にとらわれるということで、これも人情としてやむをえないことかもしれない。

 

しかし、これではほんとうに、おたがいに相互の繁栄は生まれないであろう。

人間本来の姿は生かされないであろう。

 

やはりある場合には自己を没却して、まず相手を立てる。

自己を去って相手を生かす。

そうした考えにも立ってみなければならない。

そこに相手も生き、自己も生きる力強い繁栄の姿がある。

尊い人間の姿がある。

 

自己を捨てることによってまず相手が生きる。

その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる。

これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。

そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる。

 

おたがいに、ひろく社会の繁栄に寄与するため、おたがいを生かし合う謙虚なものの考え方を養いたい。

 

 

我が家の夕食の献立

 

 

野菜たっぷりのミートローフ

お野菜がたっぷり入り、栄養価が高く、しっとりしたとても美味しいミートローフです。

 

 <材料>

牛ひき肉・・・・・・・・・・・・・・500g
 ☆合びき肉で、十分美味しいです。
卵・・・・・・・・・・・・・・・・・1個 
にんにく・・・・・・・・・・・・・・1/2コ 
玉ねぎ・・・・・・・・・・・・・・・1/2コ 
ピーマン・・・・・・・・・・・・・・3コ
赤ピーマン ・・・・・・・・・・・・1コ
人参・・・・・・・・・・・・・・・・適宜  
生椎茸 ・・・・・・・・・・・・・・適宜
パセリ・・・・・・・・・・・・・・・三枝
パン粉・・・・・・・・・・・・・・・1/2カップ 
塩 こしょう

<作り方>

① ニンニクからパセリまで、すべてみじん切りにする。
  
② ボールに、みじん切りしたすべての野菜、ひき肉、パン粉1/2カップ、卵1個を入れて、塩コショウを振り、混ぜこねます。

③ オーブンの鉄板にクッキングペーパーシートを敷き、ナマコ型にしたお肉を入れオリーブオイル大匙3をかけます。

④ 下段、250度で35分焼きます。


ソース

トマトケチャップと中農ソース1:1
            
水とコンソメスープの素

私はケチャップと中農ソースは各カップ1/2、水大匙2~3 スープの素小匙1/2位にしましたが、水とスープの素は、適当な加減です。
孫用の時はケチャップを多目にします。

サワークリーム入りポテトサラダ。

サニーレタスが大きすぎて、盛り付けのセンス、まるでなしですね!(笑)

 



サワークリーム入りポテトサラダ

<材料>2人分
 

 じゃが芋・・・・・・・・・・・3個
 きゅうり・・・・・・・・・・・1/2本
 紫たまねぎ(または玉ねぎ)・・・1/4個
 ハム・・・・・・・・・・・・・2枚



  レモン汁・・・・・・・・・・小匙1
  サワークリーム・・・・・・・大匙2
  塩、粗びき黒こしょう・・・・各少々

塩・・・・・・・・・・・・・・少々
マヨネーズ・・・・・・・・・・大匙2~3
粗びき黒こしょう・・・・・・・適宜


<作り方>

① じゃが芋は皮つきのまま洗い、水気が付いたまま一個ずつラップで包み、電子レンジ(600W)で柔らかくなるまで約6分加う2熱します。

② じゃが芋は熱いうちに縦半分に切り、ふきんかペーパータオルに包んで持ちながら、手早く皮をむいてボウルに入れます。Aを加え、へらなどで粗くつぶします。

③ きゅうりは薄い輪切りにし、紫玉ねぎは横薄切りにします。それぞれに塩を振って、しんなりするまでもみ、水洗いして水気を絞ります。ハムは1㎝角に切ります。

④ ②が冷めたら、③、マヨネーズを加え、ざっくりとあえて器に盛り、好みで黒こしょうをふります。


コーンポタージュスープ

コーンポタージュといえば、長年このレシピでこしらえています。

 

コーンポタージュスープ

<材料>2人分

コーン・・・・・・・・・・・・・・・・・150g
玉ねぎ・・・・・・・・・・・・・・・・・中1/4個(50g)
バター・・・・・・・・・・・・・・・・・大匙1
小麦粉・・・・・・・・・・・・・・・・・大匙1
煮汁
  水・・・・・・・・・・・・・・カップ1
  固形スープの素・・・・・・・・1個
  牛乳・・・・・・・・・・・・・カップ11/4
  塩、こしょう  各少々
浮き実     
 生クリーム   大匙1
 食パン     1/4枚
 サラダ油     大匙2

☆クルトンは私は市販のものをよく使用します。

<作り方>

① 食パンのみみを除き、5mm角位に切ります。フライパンにサラダ油を弱火で温めて、パンを入れます。フライパンを傾けて油とパンを片寄せたまま、混ぜながらゆっくり弱火で炒めます。

② 全体が薄茶色になったら、ペーパータオルの上にとって、余分な油をとります。
☆ 私は市販のものを、よく利用します。

③ コーンはざるにとり、冷凍なら熱湯をかけます。玉ねぎは、繊維に直角に薄切りにします。

④ 厚手の鍋にバターを溶かして玉ねぎを入れ、弱めの中火で色づかないように2~3分炒めます。(甘みとうまみが出ます)

⑤ コーンを加え、1分ほど炒めてから、小麦気を加え、弱火で焦げないように約1分炒めます。(小麦はとろみのもとになります。バターをなじませ、粉臭さをとります。クリームコーンの場合は、コーンを炒めずに⑥で加えます。)

⑥ 分量の水カップ1と、スープの素1個を入れて混ぜます。強火にし煮たったならアクを取って、中火にします。

⑦ 蓋をずらしてのせ、野菜が柔らかくなるまで約8分煮ます。火を止めて、少し冷まします。

⑧ ミキサー、またはクッキングカッタ―に⑦を入れ、約2分かけます。

⑨ 鍋に万能こし器をのせて、⑧をこしながら戻します。牛乳11/4カップから少量をミキサーに入れてもう一度かけ、中をすすぎとって鍋に入れます。

⑩ ゴムべらでこします。こし器に残ったコーンの皮は捨てます。ほかの野菜の場合も同様にします。

⑪ 鍋に残りの牛乳を加えて、ゆっくり混ぜながら温めます。味みをして、塩、こしょう各少々で味を調えます。器によそって、生クリームとクルトンを飾ります。

 

鍋物の季節を迎えましたので、最近こしらえた鍋物の献立も、一緒にのせておきますね。

いつも多忙時には、鍋物で乗り切る私です。

少々具材も少なく、なんだか寂しい食卓に見えますが、老夫婦には、十分です。

 

 
すき焼き

 
はりはり鍋


タラチリ

 

       

 

松下幸之助氏の箴言を読むと、現実の暮らしに思い当たることが、今までは何かありました。

それに私の思いを載せ、感想を率直につづらせていただいたつもりですが、

今回の文章は、内容が深すぎて、その感想が具体的に、すぐ浮かんできませんでした。

 

幾度も読み返し、心に浮かんだことを少々無理して綴ります。

お互いの繁栄といった表現から、思いついたのは、国同士の対立です。

日中、日韓のぎくしゃくした関係も、小さな事から、時に自己を捨て、譲りあう精神が生まれることで、

次第にわだかまりが解け、よい関係となり、共存共栄にならないものでしょうか。

こんな陳腐なことを書いても始まりませんけれど。

 

「歴史は、中国人の宗教」といわれるほどの国。(中国人学者の弁です)

ですから、その特別な意識と中国人のアイデンティティーを察して、まず日本が自己を捨てて、

歴史問題を一気に解決するなんてことは無理なのかしら。

この問題のために、いつまでも睨み合っているなんて、なんだかとても愚かなことのように思えてしまう私です。

 

私は被爆者ですが、両親がアメリカへの恨み言を言うのを聞いた覚えが全くありません。

私も、そんな心境になったことは一度もありません。

ですから、中韓の態度には理解に苦しむ事も多々ありますが。

 

 

夫婦に関していえば、私たちはある意味、お互いに自己を没却して認め合ってきた夫婦かもしれません。

旦那さまは、すべて私任せで、私を徹底的に生かす精神の人だったようにも。

いえいえ、ただの放任主義で無関心。(笑)

「同じことを何度も訊く」と、最近は、些細なことで時に文句を言われ、私は傷つくことも。

でも、私へまともな不平不満を吐いたことが、旦那さまにあったかしら?

恐らくないです。

派手な言い合いも、結婚して数度。

一つ一つ思い出せるほどです。

 

一方、私も、「もっと穏やかな口調で話してくれないかしら」といった、いつも同様の文句は折々で訴えてきましたが・・・・・

基本的には、旦那様の行動を縛ることは一切せず、Yさんの自由を尊重してきましたから。

そういった意味で、お互いに自己を捨て、相手を生かし合ってきた夫婦かもしれません。

 

こういうと、何だか聞こえがいいですが・・・・・・

夫婦らしい温かなか愛情がいつも通い合う密度の濃い間柄とは、言い難いですね~

 

いろんな受け止め方が何事にもあります。

その受け止め方次第で、心模様もまるで変わりますもの。

ですから、自分が一番幸せに思える理解に努めることにしましょう。

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆様は、電氣家計簿をご存じですか?

2014-12-04 05:41:26 | 暮らし

今年の晩秋は、割と凌ぎやすい日が多く助かりましたね~

しかし、12月の師走を迎え、今後は日に日に寒さが募っていくことでしょう。

昨日の午後から、当地はかなり冷え込んでいます。

冷え性で冬が苦手の私は、心細くもありますが。

病人がいる我が家ゆえ尚更で、厳しい冬をつつがなく乗り越えたい、との思いでいっぱいです。

 

年始年末の準備にも、精を出さなくては。

その点は、割と順調なのかしら?

年賀状は写真を選んで、「年賀家族」に申し込み、ファミリールーム以外、収納の清掃と整理整頓はすべて完了済みです。

ガラス拭きも、ぼつぼつ始めています。

けれど、まだ、ツリーの飾りつけもしていませんし、やらなければならない家事が山積。

でも何よりも一番重要なことは、夫の体調管理です。

 

 

 

さて冬といえば、家計を守る主婦の頭を悩ますのは、光熱費ですね~

それが、跳ね上がりますもの。

事実、11月のガス代が10月の二倍になっていて、少々驚きました。

一瞬疑問が湧き、私、お風呂の消し忘れでも度々したかしら、と思ったほどです。

 

何度か触れた、5年間の貯蓄目標達成のためにも、光熱費が無駄払いにならないように、心がけてはきたつもりですが・・・・・・

とても、優等生とはいえない身。

旦那さまは無頓着もいいところで、いくら私が注意しても改める様子がなく、私は諦め状態です。

 

ところがです。

我が家の消費電力は、他のお宅に比べて決して多くないことが最近判明し、ちょっぴり得意な気分になりました。

しかし、その自慢ができる期間は、春、夏、秋のシーズンだけです。

何故か1月、2月、3月の電気代は、平均値を超え、突出している我が家。

お正月は家族が全員揃い、15~6畳ある吹き抜けのリビングをや他の部屋も、エアコンをフル運転するせいかしら?

それに、私がいくら節約を心がけても、、旦那様の書斎では、十畳用のダイキンエアコンが、日中、運転し続けますから、止むを得ないことなのかもしれません。

 

去年の3月は、一昨年に比べても異常ですね。特別な事情があったのかもしれません。

 

暖房機を使用しない時も、自慢にはならないかもです。

我が家は今、入院のために夫が不在の日が、毎月ほぼ10日ほどあります。

そのせいで、電気代が以前より多少安くなっているのでしょうし。

 

もっと、無駄を省く心がけに努めないといけませんね~

でも私なりに、いろいろと光熱費削減のための対策は講じてきました。

できれば、経費をかけないで、お部屋を暖め、快適に暮らしたいと、どなたでも願うことですよね。

 

私は、今のところ、自分が常時居るファミリールームのエアコンを点けたことは、まだありません。

多少肌寒くなってきたころは、電気座布団で凌ぎました。

 

 

そして今は、十数年以上前に購入した、輻射式の遠赤外線暖房機を使用しています。

型が旧式で垢抜けず、汚れも目立ち、そろそろ新しい製品に取り替えたいと思いはするものの・・・・・・

長期間にわたり故障することなく働き続けてくれたものです。

捨てるに忍びず、今冬も使用することになりそうです。

電気代は、自動運転モードで8時間使い続けても約98円と、最近の広告では謳われています。

私のはかなり古いものですから、自動運転の設定はできませんが、この暖房機を使用するようになって以来、冬の苦手意識がかなり薄れました。

暖房特有の、嫌な空気感がなく、太陽光の温もりのような自然の温かさに包まれて過ごすことができます。

エアコンと違い、省電力には相当貢献してくれていることでしょう。

さらに昨年の夏、省電力化のために講じた対策が、お部屋のダウンライト他、白熱灯はすべてLEDに替えたことです。

 

 

 

私なりの対策が功を奏したのか、あるいは先ほど申し上げた夫の不在が理由なのか、その点はなんとも言えませんが、

我が家の電気使用量は、居住面積が我が家に似たお宅の平均的使用量より、多少低目。

 

何故それが判明したかといいますと、

東京電力のホームページに載っている、我が家の「電氣家計簿」に表示されたグラフを見たからです。

「電氣家計簿」

この言葉を、皆さんご存知でしょうか。

私は知りませんでした。

 

ひと月ほど前になるでしょうか。

光熱費をカード支払いにすると、ポイントが結構付き有利と知り、電氣、ガス、水道代はむろん、NTT、NHK等の料金もすべて一つのカードにまとめて引き落とすように最近手続きを済ませました

その際、記入欄に分からない箇所があり、電力会社に問い合わせをしたところ、この電氣家計簿を教えて下さったのです。

是非皆さんも、会員登録をし、電力会社のホームページをご覧になってみてくださいね。

そこで簡単な手続きを完了すれば、数日後から我が家の電気代の使用量の変化が一目でわかる折れ線グラフや棒グラフが見られるようになります。

我が家と同程度の住環境でお住いの方々との使用量の比較もできます。

 

 

他にもいろいろな提案がされていて、勉強次第では、もっと節約の良い方法が身につきそうです。

私は今のところ、概略を撫でた程度なので、詳しい説明ができなくてごめんなさい。

私が説明するより、早速会員になって、ご覧になることをお勧めします。

電氣家計簿を眺めていると、他のお宅に負けないように、もっともっと電気の節約に心がけなければ、といった気持ちが、自ずと湧いてくるようです。

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神さまからの贈り物では? 体調が蘇った呼吸法

2014-12-02 06:48:50 | 健康

前回の記事で私は、「見違えるほど元気になった」とお伝えしましたが、誇張したお話では決してありません。

ですけれど、突然の変化に、狐につままれたような思いがし、どこか半信半疑のままです。

元気になった理由が、あまりに簡単な行為でしたから。

 

これから申し上げることが、すべての方に通用するかどうかは分かりません。

おそらく自律神経のバランスが崩れている方には、もしかすると最善の治療法では?

これまで、医師に勧められたことは一度もありませんでしたし、失調症の診断を受けたことさえ私はありません。

1年ほど前あたりから、勝手に自分でそう思っているだけなのですけれどね。(笑)

親しい友人に、「見かけはそんな風に全く見えないわよ」

と言われてしまいました。

 

さて、今からお話することは、特別、真新しい事ではありません。

新聞、テレビなどのメデイア報道では、健康法の一つとして、再々取り上げられてきたことです。

最近では、次女のご義母様が、かれんちゃんの運動会後、昼食を共にした席で、お勧め下さいました。

 

画像はすべて今の庭の光景です。

 

前置きが長くなりましたが、ズバリ申し上げますね。

私が見違えるほど元気になった簡単な行為とは、「腹式呼吸」です。

但し、ただの腹式呼吸でしたら、今までも、私は就寝時に時々心がけていました。

しかし、そのお蔭で急に元気になった実感を抱いたことは一度もありません。

 

今、実行している腹式呼吸は、やり方が多少異なります。

思い切り吸い、吐くときに、できるだけゆっくりと丁寧に吐き続けます。

お腹がぺっちゃんこになる様子をイメージしてくださいね。

そこまで吐き続けるのす。

ただそれだけのこと。

 

「そんなこと、教えてもらわなくてもよく知っている」と、言われてしまいそう。

事実、妹の花水木には、「当たり前の事としてよく実行している」と、一笑に付されてしまいました。

だから、あんなに元気なのかしら。(笑)

当たり前のことなら、もっと早く、わたしも実行すべきでした。

その点が返す返す残念でなりませんが、それを今になって、暮らしにまめに取り入れ始めた私です。

 

そのことによる私の体調の変化は、驚異的。

肩こりと首のだるさまで、随分緩和され、それ以来、つらい思いをしていません。。

こんな喜ばしいことを独り占めするのは、あまりにもったいないですもの。

一握りの方でも、この記事を読んで実行され、私同様の改善が見られるならば、人助けとなり、こんなに嬉しいことはありません。

 

 

私は、数週間前に急に思い立ち、この呼吸法を午後の仮眠と就寝前に必ず取り入れるようにしました。

すると驚くことに、みるみる体調が良くなっていったのです。

真夜中、一度は目を覚ますものの、以前と比較にならないほど熟睡できるようになりました。

 その後もずっと体調は良好のままです。

訳の分からないだるさや気持ちの悪さが、一掃されました。

 

皆さまには、こんな単純なことが理由では、信じていただけないかもしれませんね。

当人さえ、しばらくの間半信半疑だったのですから。

 

ですから、それを証明する専門家の解説はないかと、検索で調べてみました。

すると続々と出てきました。

その中から、わかりやすい記事を適当に選んで、ご紹介させていただきますね。

体調不良の方や、疲れやすい体質の方は、ぜひ一度目を通してみてください。

 

http://nolovenoteam.com/breathing-techniques-2981.html

 

その後、この喜びを旦那さまはむろん、友人や娘にも話しました。

施設に入居している友人は、毎日その呼吸法を取り入れた体操を実行されているようです。

次女のMちゃんは、言いました。

「留学先だったベトナムや、中国でよく見かけた太極拳も、この呼吸法が取り入れた体操だと思うわ。

だからママの話には一理あり、間違っていないわよ」と。

 

 

それにしても、気が付くのが遅すぎですね~

何故、医師が、一言教えてくれなかったのかしら。

私の体調不良は、いとも簡単に解決できることだったのかも。

ひたすら辛抱し、自らを叱咤激励し頑張って、家族のために日々を紡いできたのかと思うと・・・・・・

何だか膨大な時間を、無駄にしてしまったような心境となり、情けなくもありますが。

認知症と同じように、もしかすると、これも神様からの贈り物かもしれません ♪

 

感謝して、これからの余生をもっともっと充実させましょう。

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

花のように泉のように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凛とした清々しい友たち

2014-12-01 07:22:17 | 

高校の同窓会が終わった翌々日、友人から、昼食のお誘いの電話がありました。

急な事でしたがその翌日、私の提案で、場所は家族行き付けのイタリアンレストランに決まり、楽しいひと時を持ちました。

本来なら、週末は、京都で開かれる同窓会にも参加予定でしたが、思わぬ夫の体調異変で、それは残念ながら諦めました

 

最近の私の多忙さとその行動力は、いつもの私の体力では、息切れしてしまうようなことです。

1日お出かけすると、その翌日はまだ疲労が残り、体調が今一つといった感じが多かったのですが。

ここ数週間、自分の体とは思えないほど元気で、気分も爽快。

疲労感が日中はほとんどなく、夜もぐっすり眠れるようになりました。

まるで、別人の体、と言えるほどの快調さです

 

この理由は、あることを実行した事によるものなのですが。

そんな容易いことを行っただけで、見違えるほど元気になるなんて信じられず、しばらく半信半疑でした。

けれど、日が経過するにつれ、次第に確信に変わっていきました。

このお話は、次回に必ずさせていただきますね。

 

私の大好きなウインターコスモス

 

さて、この日のお食事会の目的は、昨年の秋、突然ご主人を亡くされ介護施設に入居された友人のUさんを、夏の施設訪問に引き続き励ますこと、と言えるででしょう。

彼女は、以前にも書きましたが、重いパーキンソン病を長年にわたって患っておられます。

けれど、お見舞いといった言葉は、彼女には相応しくありませんでした。

それほど、彼女は以前と変わらない明るさで、時にジョークを交えながら、私達とのひと時を楽しんで下さいました。

お若い頃から、さりげない気配りができる、心細やかな優しい方でしたが、その雰囲気も全く変わりありません。

 

お声をかけて下さった、もう一方のTさんも、私が敬愛して止まないお方です。

Uさんにお人柄が、とても似ていらっしる、と言っていいでしょう。

私たちは他に、十数名の人達と共に、次女が中学入学以来のお付き合いを続けています。

その中にあって、彼女が一番、数多く世話役の幹事を務めて下さったようにも。

近場で、少人数でお会いするときは、いつも運転役を買ってくださり、いろいろと一方ならぬお世話になってきました。

 

 

しかし、そんな明るい彼女の身の上にも、今、聞くに忍びないような心配事がいくつも襲っています。

三番目のお孫さんの誕生に当たり、思いがけないアクシデントが起きました。

ママのへその緒からの栄養が胎児に届いていないことがわかり、なんと緊急の医療対応で、500グラムで出産となりました。

その後、保育器の中で、家族、医師、看護師たちに見守られ、赤ちゃんは必死で成長を続けています。

 

友人が携帯に撮った、そのお孫さんお写真を数枚見せて下さいました。

今、二キログラムの赤ちゃんは、おじいちゃま似の、とても美男子。

でもまだ、普通ならママの胎内にいる時期ゆえ、痛々しさは隠せません。

最近も、命が危ぶまれるような容態に一時期なり、それを乗り越えたばかりとのこと。

 

このような感動的なお話を胸詰まる思いで、彼女から聞いた私です。

けれど、その口調に暗さは全くなく、切ない愛しさを、温かい言葉で私たちに明るく語ってくださった彼女。

 

私は、この二名の方々の凛とした清々しいお人柄とお暮らし振りに接する度に、ほかの友人同様、尊敬の眼差し以外何もなく、我が身の小ささを思わないではいられません。

そして、生きる力を分けていただいたような、感謝の気持ちが湧いてきます。。

 

友人達に似て、凛とした清々しさと慎ましさが感じられてくる、クリスマスローズ

 

他にも、話題はいろいろでした。

年齢相応に、病や認知症の話が中心でしたが、最後は今回の衆議院解散とアベノミクス、日本の将来についての懸念で、大層盛り上がりました。

認知症の話題は、他の友人たちとの話でも、必ず出てきます。

そしていかに、その状態になられた方々が多いかに気付かされ、とても他人事には思えなくなってきました。

わが身の将来も、同じ運命をたどっても不思議ではない、と覚悟し始めているほどです。

 

このたび声をかけて下さったTさんは、亡くなられたお父様は認知症でいらしたそうです。

ご健在のお姉さままで重い認知症に。

ひと月ほど前に、昼食を共にした、ご近所の仲良しさんお二方のお母様も、認知症でいらっしゃいます。

私の母も、同様でした。

このようですと、人が辿る宿命に近い病気といっても過言ではないですね~

避けることの方が、至難のように思われてきました。

 

友のUさんが暮らす施設の7割りの方々も、同様のようです。

彼女が微笑んで言われました。

「私は優秀な生徒では、学生時代はなかったけれど、今の施設にいると、自分が頭脳明晰な人間のような錯覚に陥るの」と。

私達も思わず笑ってしまいましたが、それは彼女の謙遜。

とても賢い方です。

 

最後は、「認知症は神様からの贈り物のようよ」といった、それが不安視される私達高齢者には、余り慰めにはならない言葉で、そのお話を結びました。

その予防と健康に良い体操の情報を交換し合い、元気にその場を去った私達。

Tさんは、彼女を施設までお見送り。

私は、夕食の食材を近くのスーパーで買い求め、気になる旦那様の待つ家へと、急ぎ足で向かいました。

 

         

 にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご覧下さいまして有難うございました。
ブログランキングに参加しています。
足跡変わりに、バナーにポチッ!を頂けると励みになり嬉しいです

  

 

 花のように泉のように

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする