今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

いよいよ80歳になる今の私が思う事

2024-04-22 07:34:49 | 人生
3月31日の日は、それまでの荒れ模様の肌寒いお天気とは打って変わり、素晴らしい快晴に恵まれました。
 
嬉しい!今日は待ちに待った、ホテルでの家族揃っての会食の日でしたから。
 
長女夫婦のご馳走に与かることになっています。
 
目的は、4月3日に80歳になる私の傘寿のお祝い、長女家の孫娘、桜ちゃんの成人のお祝い、次女家のK君の
大学合格のお祝い、とお祝い事が三つも揃っての事。
 
おめでたい事がこんなに重なるなんて、めったにある事ではありません。
 
 
この上なく、嬉しい集いですが、私の心境は少々複雑。
 
遂に80歳に到達。
 
先には、平坦ではない道が待っている。
 
そんな気がしてならないからです。
 
 
けれど、畏れても、もう然程遠くない先に、来るものは必ず来る。
 
そう覚悟は決めて、掛け替えのない一日一日を、今まで以上に愛おしんで大切に過ごしましょう。
 
そう思う事にしています
 
 
数か月前から、私が常に傍に置いて眺めている本に、下記の文章が載っていました。
 
いつも傍に置いている本の或るページの写真です。
本のタイトルは「いつも素敵なテーブルで」です
 
「自分のリズムで自分なりの暮らしのスタイルをクリエイトする喜び」
 
 
その通りだと思いました。
 
私も日頃、自分の生活のリズムをとても大切にしています。
 
自分の暮らしのスタイルは?
 
理想の姿は目に浮かべど、自分の気弱な心と体力勝負の日々。
 
なかなか思うようにはまいりません。
 
 
いつか親友のFさんに、
 
「あなたは暮らしの自分軸がしっかりしている」
 
と思いがけない事を言われ、嬉しかった事がありました。
 
 
確かにそうかもしれないけれど、いつも自分の弱い心と闘ってばかりで、
理想通りに暮らせたことなどほとんどありません
 
一生こんな感じで終わるのでしょう。
 
 
そう言えば、若い時からずっとそうでした。
 
自分の心をいつも見つめながら、子育てもしてきたような気がします。
 
沢山の育児書も読み漁り、常に理想の母親像を心に描き、努力は続けたものの、思い通りに振る舞えたことなど
あまりなくて。
 
 
願っていただけでも、良しとしましょう。
 
今も相変わらずですが、
 
努力するのもそろそろ限界。
 
 
最近は今のままでいい。
 
若い時に比べれば遥かに成長していますから。
 
今の私が一番好き。
 
そう思い、今の幸せを精一杯噛みしめて感謝して暮そう。
 
そんな心境に次第になってきました。
 
こんなことを思うのも、年齢の大きな節目をもうすぐ迎えるからでしょうか。
 
 
記事に相応しい画像が無いので、娘達から贈られたプレゼントを、先にご紹介。
お花のブーケはホテルからです。
詳しい説明は後日の記事で
とてもとても嬉しかったです。
本当に有難う。
 
 
私の記事は最初から脱線。
 
何だか観念的でつかみどころのない記事になってしまいました。
 
次回では、記事の話題稼ぎと思われても仕方のないようなことをまた書くつもりでいます。
 
くだらない内容と思われる方はどうかスルーして下さいね。
 
 
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最近は地震が多いいですね。
いよいよでは、と何だか不安です。
私はヘルメットと懐中電灯は一階と二階の身近なところに常に置いています。
 

 

 

 

 
 
 
 
 

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叶えられなかった私の二つの夢 

2024-04-19 07:22:08 | 人生
3月の日記
 
マイホームを建てた時、私には二つのささやかな夢がありました。
 
飽くまで夢。
 
私の性格では。恐らく実現は不可能。
 
それが分かっていましたが、夢と割り切ってでも愉しむのは、その人の自由ですから。
 
 
その夢の事を突然思い出したのは、今朝のNHKのニュースで、世界一小さい子供図書館をつくった人の事が
報道されていたからです。
 
子供しか入れない図書館を作り、親の選択から解放して、自由に書物を選んでもらう。
 
そんな内容でした。
 
子供たちが喜ぶ生き生きとした表情が、とても印象的でした。
 
 
実は、私も小さな児童図書館を家の中に作るのが、私の夢でした。
 
我が家には二階に上がると、子供部屋の前に、5畳くらいのプレールームがあります。
 
多目的スペースと言った所でしょうか。
 
 
 
 
そこに、娘達が読まなくなった児童書をたくさん置き、
 
近所のお子さんの出入りを自由にして、本を選んでもらう。
 
そこで読んでもらっても家に持ち帰っても、子供の気持ちに任せる。
 
 
この家を新築した時、次女も、そろそろ小学校の高学年に差し掛かり、絵本は卒業していましたが。
 
その当時、我が家には絵本や児童書が山ほどありました。
 
母も私も、絵本を買うことにお金を惜しみませんでしたから。
 
良い児童書を読んで聞かせたり、読ませることが、子供達のためになる。
 
それを固く信じて疑いませんでした。
 
 
ですから小さな児童図書館が開ける程に、当時は我が家に沢山の本がありました。
 
でも結局、それは実現しないまま。
 
近所のお子様たちに、貸して差し上げたことはあります。
 
 
逆の方向から撮ったプレールーム。
不要なものを置き,今では納戸化してきています。
本は、半分くらい処分しました。
 
 
そのプレールームの利用に当たって、私が描いた夢がもう一つありました。
 
それは、その場所をアトリエにする事。
 
画布を常に載せたキャンパスを置き、気ままに絵を描く。
 
そんな自分を塑像すると、心が弾みました。
 
結構真面目に考えたことです。
 
 
絵画は幼い時、母に手を引かれ、遠くまで習いに行っていました。
 
朝日新聞の全国コンクールに入賞し、表彰状をいただいたり・・・。
 
私の作品が、夏休みの練習帳の裏表紙に掲載されたり、と。
 
図工の先生にも、常に一目置かれていました。
 
 
このお話、ブログで私は何度もしていますよね。
 
自慢げで恥ずかしいですが。
 
無能で取り柄のない私が、唯一社会的に認められた、私の人生における、光栄な出来事なんです。
 
ですから思い出すと、今でも嬉しくて。
 
それで,つい書きたくなるのでしょう。(笑)
 
 
 
でもその才能の芽は伸びる事なく、いつの間にか消えてしまいました。
 
けれど、絵心だけはくすぶっていたのかもしれません。
 
ですからプレールームをアトリエにする夢を私は愉しんだのでしょう。
 
でも、それだけの事です。
 
夢は夢に過ぎなくて、実際は育児と家事に明け暮れ、忙しく日々を過ごしただけの私の人生でした。
 
 
夢は夢と割り切って考えるとしても、何時までも、ささやかな夢を胸に抱き続けて過ごす人生でありたいですね。
 
今の私の夢は?
 
余りに現実的で恥ずかしいですけれど。
 
 
毎日を「今日が一番素敵」の想いで、自分らしく、精一杯、素敵に時間を紡ぎ、
 
大好きなこの家で、自立した暮らしを最後まで全うす。
 
そして、家族に迷惑はかけないで、老衰で眠るように人生を閉じる。
 
 
このくらいしか、もう夢は無くなってしまいましたが。
 
このささやかな希望がかなえられるように、これからも頑張るつもりでいます。
 
 
      
 
庭の点景
 
下の画像は昨日撮りました。
 
 
先日載せたポーチ前の寄せ植えが、まだこんなに元気です。
 
 
その内、鳥かごの中の植木鉢にも、何か植えたいです。
 
 
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80歳の壁

2024-01-14 07:01:07 | 人生

今年はどんな年になるのでしょう。

未知の世界に、足を一歩踏み入れる。

未知とは少々表現がオーバーですが・・・。

4月に80歳になる身には、そう思えてしまいます。

 

「80歳の壁」と言う書物がよく売れたのは、去年の事でしたかしら。

この年齢に近づくと、否が応でも、自分が高齢者であることを意識しないわけには参りませんが。

私はその意識が割と薄い方かもしれません

ブログにも、あと数か月で80歳になりますと、最近はよく書きましたが。

私自身はその年齢を強く意識して、日々を送っているわけではありません。

 

最近はさすがに寒い。早朝のブログ綴りの手がかじかんでいます。
菜の花が咲く季節がとても待ち遠しいです。
数年前に撮影した画像です。

 

肉体的には、年相応の衰えを感じてはいます。

けれど、私は若い時から、体力不足の悩みに向き合ってきた人生でした。

ですから、その頃との落差があまり強く感られなくて。

却って今の方が、自分の体と上手に付き合えている。

そう思う程です。

 

今一番悔やまれるのは、両親と旦那様の介護の事かな。

今の私だったら、賢く合理的に時間を使い、もっともっと良い介護ができたかもしれない、と。

その時は、それが精一杯だったのでしょうが。

 

菜の花って、私には80代のイメージに近いものがあります

 

両親を介護している頃は、軽いメニエル(いえいえ、天井が急速回転する結構重い症状でした)、

軽い帯状疱疹、頭皮の皮膚病等々、色々患いました。

いずれもストレスから発症することがある、と後で知りましたが。

その症状でくよくよしたり寝込むことはなく、最後まで介護をやり遂げました。

 

だんな様を介護している時は、駅前の賑やかなスクランブル交差点のど真中で、強度の目眩に襲われ

倒れ込んでしまったことも。

直ぐ近くに交番があり、お巡りさんが救急車を呼び、病院に搬送されました。

こんな具合でしたから、その頃は私の体力の限界まで頑張ていたのでしょう。

 

ですのに、もうすぐ80歳になる身の私が、今なら、もっともっと尽くしてあげられるのに、と思っています。

身の程知らずの甘い考え。

その通りかもしれませんが・・・。

体力は、その頃より明らかに衰えていても、心は成長している。

ですから、介護も、その頃より今は上手にできるはず。

そう思ってしまうのです。

 

 

前よりは多少成長した、今の自分が一番好き、

と言っても過言ではないかもしれません。

そのせいか、数か月後に80歳になる身ながら、気持ちの上では、以前より充実感があります。

 

多少無理がありますが、今が一番幸せ、と言っておきましょう。

ですから今後も、、今まで通りの暮らしを、気負うことなく、淡々と送るつもりです。

一生、勉強と思い、自分磨きにも努め、80代も良き日々にしたいです。

 

何年か先に、体力の限界を、なにがなんでも思い知らされる時が必ず来ます。

それまでの、数年、あるいは十数年の日々をできるだけ愛おしんで、丁寧な暮らしを心がけたい。

その後はなるようにしかならない。

運命に身を任せ、抗うのは止して自然体で。

今は、そう思っています。

 

最近は四冊の書物を並行して読んでいます。

まず、その一冊をご紹介しますね。

 

昨年、夫の菩提寺のご住職様から贈られた歎異抄より、文章が平易でとても分かりやすいです。
これなら、私でも理解できそう。

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覚悟と諦め 

2023-10-17 07:03:59 | 人生

10月5日記述

昨日の夜、突然、倦怠感が体から消えている事を実感。

とても嬉しくて、心からホッとっしましたが・・・。

でもまだ安心はできません。

一時的にそのように感じただけのことかもしれませんから。

この事については、後日もっと詳しく書かせていただきますね。

 

今は翌朝の、まだ床の中。

心配した、体調は今朝も悪くないようです。

最近、早朝は、床の中に半起きし、ブログをしばらく綴る暮らしが復活。

ブログに関わる作業は出来るだけ早く済ますように心がけています。

ブログ綴りの負担も、疲労の原因かもしれませんから

 

わたしは暮らしのリズムが整うと、元気が出てきます。

そのくらい、暮らしのリズムは、私にとっては大切な事なんです。

どんなリズムか、お話ししてもいいのだけれど、これはきっと私の独特の思い。

どなたもよく理解はできないでしょうから、語るのはよします。

それに迷ってばかりで、常に変貌自在。

定まることのない、私の暮らしのリズムですから

 

壁に添ってある白いコードの先には、東京ガスの警報機が取り付けられています。
ガスの消し忘れがあると、ここから警報が鳴ります。
直接電話でお報せを受けたことも幾度かある怪しい(笑)私です。
この話をすると、娘達はとても心配します。

 

日々の暮らし方、子供の育て方、その他どんなことでも、当人が一生懸命であれば、それを批判するのは不遜というもの。

良し悪しなんてないと思います。

私は、迷いながらも日々を誠実に送っていらっしゃる方達のブログはみんな好き。

心を込めて応援のクリックをするようにしています。

私自身も、迷ってばかり。

毎日、自分の弱さと向き合い、闘い、乗り越え乗り越え暮していますから。

 

それにしてもこの度の体調不良は辛かった。

たかがインフルエンザに過ぎませんのに。

がんを宣告されたら、私はどんな精神状態になってしまうのか、自信が持てなくなりました。

もっともっと心を鍛えなければと改めて思いました。

 

歳を重ねるということは、出来ない事が次第に多くなっていくこと。

既に、若い時には簡単にできたことが難しく、時間がかかるようになっています。

 

今後は、覚悟と諦めが必要。

「覚悟と諦め」

この言葉は、東日本大震災の時に出逢ったものです。

とても感動し、忘れることが出来ない言葉になりました。

 

何が起きようとも、日々を前向きな気持ちで過ごすにはどうすればいいか?

今後の私の課題になりそうです。

 

涼しくなってきましたね。足元を温めてくれる履き心地のとてもいいスリッパです。
スリッパのトップブランド品ですが、その割に安くて、心からお薦めできます。
色は他にえんじ、グレーがあります。昨年から、私は愛用しています。

 

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気力で頑張りましょう

2023-07-07 07:09:44 | 人生

おうち大好きで、のんびりマイペースで暮らす事を好む私ですのに・・・。

最近は家を出たり入ったりと、何かとバタバタ忙しく過ごしています。

その度に、帰宅するとぐったり。

自分の体力の無さが嘆かわしいですが、夜の睡眠で、何とか翌日は元気復活。

時々、翌朝になってもその疲れが抜けない時もあり・・・。

どこか悪いのでは、と心配になることも。

けれど、私の疲れやすい体質は、歳のせいとは言えません。

幼い時から虚弱体質で、学齢期になっても苦労しましたから。

 

元気な庭の緑がいつも私を励まし癒してくれます。

 

しかし結婚後は、気力がそれを支えてくれるように。

その疲労感に打ち克つことも可能になりました。

母も私に似た体質でしたが、気力で頑張る人でしたから。

私も母に似ているのかもしれません。

 

元気な妹の暮らしは、時に私には超人的に見えてしまいますが。

そんな妹も、歳のせいか、最近は疲れやすくなった、とよく言っています。

 

庭のヤツデも元気一杯

 

ところがです。

クリニックで診察を受けると、いつも私の固定観念が覆され、クエッションマークで頭が一杯に。

最近、違う医院で、二度診察を受けました。

一つは、行きつけの内科クリニック。

もう一か所は、脳神経外科。

こちらも怪我をするたびに、何度かお世話になっている所です。

 

内科のクリニックに出かけたのは、数週間前に受けた採血検査の詳しい報告を伺うためでした。

採血の一週間後に、先生から、電話で簡単なお知らせがありましたが。

脳神経外科は、一月前になるでしょうか。

ベッドから起き上がった瞬間に、目がくらんで転倒。

額にあざができる程、顔面を強く打ち付け、その翌々日に、このクリニックで受診。

その時はCT検査を受けましたが、異常なしでした。

それからほぼ一月経過し、今度はMRIの検査。

恐らく事故に遭い、脳にダメージを受けると、一月後に症状が出ることがよくあるからでしょう。

 

庭の草花の元気はどれも今一つなのだけれど・・・
緑のプランツは、みんなとても元気。
頑張って!と声をかけてもらっているような気分になれます。

 

また、ところがですが。(笑)

お二方の先生による検査の結果報告は。

共に、「問題になるようなところは、全く見受けられません。

すべて良好ですすよ」でした。

このような報告を受ける度に、いつも半信半疑になる私です。

体調が良好でない時もよくあり、転倒した後も、頭痛がずっと続き、頭が重かった私ですから。

 

コロナ禍の前、違う個人内科医院に通っていたころのことです。

先生が、採血の数値を見て、

「すこぶる上々で若い人並の数値ですよ」と仰られたこともありました。

その時は、さすがに嬉しかったですが・・・。

 

最近、載せる画像に苦労します。
画像なしの記事に時々しようかな。
すると更新がもっと楽になりそうです。

 

この様な報告から察すると、私はいたって健康なんだ、と改めて思わざるを得ません。

弱い体質と思い続け、人生を送ってきましたが、意外と長生きするのかもしれない。

そうだとしたら、この扱いにくい体と、何としても上手に付き合っていかなくては。

そして、子供達に心配をかけないで、自立した暮らしをできるだけ長くやり遂げたい。

そのためには、どのような努力をすればいいのか。

日々考え、それを実践していくしかありません。

 

暮らしのリズムが快適だと、体の調子がいい事が多いので、

何時も良いリズムで働きたくて、タイマーと計画ノートを肩身離さない私ですが・・・。

いつも迷ってばかりの人生。

色々考えるから、迷う。

でも、これが私の人生。

迷いながらも、きっと少しずつ成長しているに違いない。

そう思う事に致します

 

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雨に洗われた瑞々しい緑 不安な世の中

2023-07-05 07:12:14 | 人生

梅雨もそろそろ終わりに差し掛かっているのでしょうか。

ネットで検索すると、関東甲信越の今年の梅雨明けは7月19日頃のようです。

もうしばらく日数がありますね。

去年より4~5日早くなるとのこと。

 

 

梅雨は、農家の人たちにとっては盛夏に備え、農業水を貯える大切な時期ですから、

むげに嫌ってはいけない貴重な季節なのでしょう。

私は特別嫌いなわけでもなく、よく降るなあ~の感慨くらいしかありませんが。

今年は、その感慨に浸ることが、私の住む地域は余りなくて・・・。

降っても真夜中。

雨でも、いつも昼前には一旦上がり、お出かけ時には、傘が不要な日が多かった気がします。

 

 

恵みの雨は、農家だけでなく、庭の緑も同様です。

その度に洗われ、みずみずしく輝き・・・。

最近、日課にしている庭での早朝の一服も、そのせいかひときわ清々しくて、心地良いです。

麗しの雨と言っても過言ではない気がします。

 

災害地の皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。

 

そうはいっても、地域によっては線状降水帯が発生し、甚大な被害に見舞われているところもあるようですね。

お気の毒で仕方ありません。

私の年齢になると、まして私は体力に欠ける方なので、そんな災害に襲われようものなら・・・。

立ち直る気力は、もうないのでは。

それだけに、なお更心配です。

 

せめて精神的ダメージを、少しでも少なくしたい、と思い・・・。

昨年末の更新時に、住宅総合保険の支払いをかなり多くしました

前の記事に書いた、毎月の貯蓄の目標額が達成できなくなった理由の一つは、この保険金のアップのせいもある、

と思っています。

ですから、今は火災、地震、台風も、その備えは完璧と言えるかもしれません。

どんな被害でも、すべて保険会社が補償してくれますから。

家が半壊、全壊しても同様です。

 

 

そうはいっても、そんな恐ろしい目には、できたら遭いたくありません。

自分の事より、娘家族の事の方が遥かに心配で・・・。

通勤時間、通学時間に大地震が襲ったら・・・。

想像するだけで恐ろしいです。

起こるとしたら、その前に死んでしまいたい。

人生の幕を閉じるまで、穏やかな日がずっと続きますように。

 

いつか地震に備え補強工事をすることも検討したことがありましたが。

家が大きいので見積額が数百万になりました。

いまさらそんな工事をするために大金を払うより、保険で備えたほうが合理的。

私はそう思い、更に保険金をアップしたのです。

 

 

私の地域は、大きな自然災害はもう長い間起きていないようです。

何時か(十数年前)、タクシーの運転手さんが、

「もうここで暮らして50年以上になるけれど・・・。

大きな災害を経験したことは一度もない」

とおっしゃったのが印象的でした。

 

でも私が受けた感じでは、雷は割と多い。

いつか激しい雷に襲われ、その時の落雷の影響で、我が家のインターホンが一階も二階も不通になってしまったことがありました。

台風や雪害による被害も多少はあり、これらはすべて保険会社が補償してくれました。

 

とても有難い事でしたが、そうはいっても、良い環境の中で何時までも暮らしたい。

それが私の祈りに似た思いです。

 

前方を大きく照らしてくれます。いざという時の備えに私は二本買いました。

 

けれど今後、地球の温暖化がさらに進むと、恐ろしい事態がこの地球を襲うのでは。

そう思うと、末恐ろしいです。

人類の英知を結集して、地球を守ってほしい。

子供達や孫たちのために、そう強く願っています。

 

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お誕生日を迎えて 追記あり Mさんへ

2023-04-05 07:09:17 | 人生

4月を迎えました。

3日は私の79歳の誕生日でした。

桜が咲く、この上ない良い季節に生まれた、自分の幸運に改めて感謝。

そんな気持ちに又なりましたが。

妹がブログに書いていたように、その年代では、一番年上。

 

春眠暁を覚えず 今日この頃 - 世界に一つだけの姥花日記 (goo.ne.jp)

 

ちょっと複雑な気持ちがしないでありませんもありません。

クラスでは、一番のお姉様だったのでしょうけれど。

そんな貫禄は、わたしにはまるでなかったなぁ~

 

昨日、私が毎年楽しみにしているお花見の隠れスポットに出かけてきました。
一人占めで、桜を満喫できる素晴らしい場所なのですが、
何ともう、その桜は葉桜になりかけ、実に惨めな姿に変わり果てていました。
葉桜になり切れば、それは又感動的な美しさで、私は大好きな光景です。
長女夫婦が、新婚当時住んでいた目黒川沿いのマンションに
孫のお守りで通う時、その美しさを満喫しました。
その頃、私は桜より葉桜が好きと言っていたほどです。

 

過去に撮影した同じ桜の木です。

 

最近体調はとても良好で嬉しい限りです。

睡眠時間と就寝時間を人並みの10時就寝、5時起床にしたことに因るところが大なのでしょう。

それまでは8時就寝、3時起床でした。

恐らく起床が早すぎて、自律神経が整わず、失調を来していたのかもしれません。

日が昇る頃に起床する。

それは非常に大切な事なのかもしれない。

今、改めてそう思い直しています。

 

桜がだめなら、更に遠方まで足を延ばし、里山公園へと。
新緑で英気を養いました。
日が暮れかけていたので人影が全くなく、数十分いただけ。
すぐ家路に就きました。

 

数日前、次女家で夕食を共にしましたが、いつもと違いとても元気でいられました。

78歳になった頃から、次女宅に行く機会もかなり減っていましたから。

声をかけてもらっても、夕方は疲労が濃くて・・・。

「車で迎えに行くわよ」とよく優しい声をかけてくれましたが、

夕方から出かける事そのものが億劫になり、断ることが多かったのです。

 

これからは、私の足だと30分くらいかかる娘宅までの道のりも徒歩で出かける。

それを再度はじめ、運動不足を解消したいものです。

 

79歳にしては、顔にしわがないのは、私の自慢かな。(笑)

娘に言いました。

「ママ、若い時より肌がきれいになってきたと思うの。

色白にもなってきて、とても嬉しいわ」と。

 

すると娘が言いました。

「高級化粧品のお蔭では」と。

本当にそうでしょうか。

私はブランドの化粧品を使ってはいますが、2か月で使い切るものを、3か月~4か月以上持たせると言ったみみっちさ。(笑)

果たしてその効果が大いにあるのか少々疑問。

 

 

一番大切なのは睡眠と食事と運動。

睡眠と食事は合格点がもらえても、運動は落第。

だから体力が付かないのですよね。

もっとたくさん歩いて体力をつける。

79歳の第一目標にしてもいいですね。

 

もう一つ、私が今、遣り遂げようかどうか非常に迷っているのが、カテーテルによる心臓の検査。

先日帰省しお寺にご挨拶に伺った時、ご住職の奥様のお話を伺い、私は自分の怠慢を改めて思い、

少々怖くなったからです。

 

前住職の母上は、心臓のカテーテル検査で血管のつまりが見つかり、その治療をし、見違えるほど元気になられたようでした。

カテーテル検査をしなければ、血管のつまりで命を落とすところだった、とまで医師に言われたようです。

私も採血検査では、先生が感心なさるほど、いずれの数値もいいのですが、心臓の数値のみ極端に悪いのです。

心不全の一歩手前。

本当に驚きました。

この検査は、今までの採血検査では見られないものでした。

この度、気が付いて、本当に良かったです。

 

道端に咲いていた椿が目に留まり、カメラでパチリ。

 

この原因はもしかすると、血管のつまりのせいでは?

そんな気もしてきました。

もうすぐ、一週間、心臓にホルダーを付け、脈の異常がないか検査することになっています。

その結果次第では、カテーテル検査をしても良いのかもしれませんが。

心臓に医療器具を通すなんて、やはり何だか怖くて仕方ない私です。

ですから、薦められても断ってばかりきましたけれど。

いよいよ決断する時なのかもしれません。

 

歩行、特に坂道を息切れしないで軽やかに歩けるようになれば・・・。

引きこもり勝ちの私の暮らしが一変するかもしれません。

いえ、そんなことはありえないでしょう。

おうち大好き人間ですから。

 

何はともあれ、79歳になった今、健康には一層留意して、暮らすように心がけたいと思います。。

 

小麦色さんは私のなりすましではありません。
きっぱり申し上げておきます。

また長女のMちゃんに叱られそう。
数日前、追記で相手になるのは絶対止して、と厳しく注意されたばかりですから。
この様な反論ができるのもあと数日です。

 

追記

 

娘に叱られることを覚悟で最後の追記を書きます。

くだらない事をいつまでもくどくどしく書くのは、もう止めていただけないでしょうか。

私は自分がベッドから落下した記事を書いた時、その枕の落下防止用の事にも触れています。

それを恐らく、小麦色さんはご覧になったうえでの、この度のコメントだったのでしょう。

その記事で「足枕(抱き枕)」と書いたのは、足枕にするのは無理だったので、抱き枕用に使用することになったからです。

 

以前にも書いたことですが、私の責任はネット上に書いた記述にすべてがあります。

自分のブログの麦さん関連の記事と、彼女のコメント欄の私の記述のみです。

「雨あがる」もそうですが、麦さんにとって都合の悪い私のコメントが削除され、内容が編集されているのには驚きました。

Kさん、その他の方の余りに酷い内容の私向けのコメントも削除されています。

コメントを読まれる方は、この点はご承知おきください。

 

麦さんが妄想でもって、或いは故意に私を貶めるために書かれた発言には、一切責任を負う必要はないと、私は思っています、

その為に、今ブログ2(2)に私はそれ関連の記事をすべて載せるように作業中です

何時になったら終わるのか見当も尽きませんが、今はやり遂げるつもりでいます。

ですから、麦さんが今後も私への批判を続けられ、私に疑問を抱かれた方は、是非ブログ2(2)に目を通して下さい。

過去記事を読んで下さった方が早いかもしれません。

麦さんが仰るように、自分のブログの公開記事を勝手に削除したり、表現を変えるような卑怯なことも、私は一切していません。

削除する時は必ずお断りしました。その記事は残っています。

 

皆様、どうか、麦さんの事実と余りに違う虚言に惑わされないでください。

去年からもう半年以上、私の批判記事を書き続けるあなたの精神のおぞましさに、私は本当に疲れ果てました。

コメント欄の見苦しさにも呆れます。

あと数日で永久にお別れと思うと、今、本当に嬉しいです。

これをもって、あなた達に声をかけることは二度と致しません。

もっと年代に相応しい、有意義なブログライフを送られますよう、切に願って、終わりとさせていただきます。

 

最後にもう一言、二言

麦さんの名前を最近使用するようになったのは、既にあなたのブログ上で、今までに何度も私のブログ名とハンドルネームが書かれたからです。

ご承知おきください。

 

今日の声かけが本当に最後になりますから、フィルターについてもお話しさせていただきますね。

私のフィルターの使用の仕方が、色々批判されていましたから

今まで私が使用していたフィルターは、私の設定の仕方が悪いのか、パソコン上にいろいろな問題が発生し、長期で使用することは私には無理でした。

見たいサイトまで見られなくなったりしましたから。

ですから、ほとぼりが冷めるまででも良いから絶対見ないようにしようと決心し、途中からは、その不自由さも承知で、フィルターを掛けたものです。

しかし富士通が掛けて下さったフィルターは、パソコンが重くなることもなく、順調に機能してくれています。

ですからもう一生解除するつもりはありません。

 

問題はスマホのフィルターです。

一時の様に、ヤフーまで見られなくなったら情けないですが・・・。

恐らく娘がぬかりなく設定してくれるのではないでしょうか。

最悪の場合は、通話機能だけ利用できればいいと思っています。

ガラケーの時も、目のために、ネットは見られないように設定していましたから。

 

私のフィルター対応が色々批判されていましたので、少し説明させていただきました。

麦さんへの問いかけは、今日をもって本当に最後にしますから、気になることはすべてお話しさせていただきました。

お読み苦しい点は、お許しください。

 

しばらくブログは又お休みさせていただきます。

 

 

 

万年の肩こりに悩まされてきた私ですが、この錠剤を服用するようになってもう半年。
未だに肩こりが起きません。
足の痛みもすっかり回復しました。
私には、まるで奇跡のように効きました。

 

 花のように泉のように

お立ち寄りくださいまして有難うございました。

 


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続 マイホーム着工に至るまでの苦労話

2023-01-19 07:34:59 | 人生

自分が抱くイメージ何て実に千変万化。

くるくる変わるものです。

ですから決して焦ってはいけない。

この事が身に染みたマイホーム建築の体験でした。

 

数年間、住宅展示場を頻繁に見学。

買い求めた住宅雑誌は50冊を超えたと思います。

最初は住宅展示場の営業マンの話に軽く乗ってしまい、仮契約までいったことが二度ほどありました。

その時は、人任せで、余り自主性はなかったようにも、

最初に出会い、お話をどんどん進めた住友不動産のモデルハウスは、一目惚れだったのですけれどね。

我が家の柱や床の色は、それを真似、特注だったシステムキッチンも、同様の物を我が家にも取り付けてもらいましたが。

 

 

けれど、どうしても先に進めない壁が私にはありました。

その為、二度も仮契約を解約した私です。

二社とも、その一時金は確か戻りませんでした。

愚かとしか言いようのない行為でしたが、大きな買い物ゆえ、試行錯誤。

まだ若くて経験が浅かった私の未熟さが、その失敗の原因だったのでしょう。

しかし、結果的には、それは決して無駄な過程ではなかった、と思えるようになりました。

そのまま進めば、今とはまるで違う家が建っていたからです。

 

 

そんな苦労を重ねている時、M施工会社の営業マンが、百ページにわたる方眼用紙を私に手渡してくださったのです。

それを契機に、私の人頼みの心が一気に変わりました。

その後、娘の受験が終わるまで二年間にわたり、私は自力でマイホームの図面を描き続けたのです。

一時は、ノイローゼになりそうなほどのめり込んででしまい・・・。

これではいけないと・・・。

Mちゃんの中学入試の準備に協力をするために、住宅雑誌も方眼用紙も、手の届かない押し入れの奥に投げ入れたりしたこともあります。

 

私が日中過ごせる家事室のような多目的な部屋を作ったのは大正解でしたが、この和室もそうです。
将来、両親を介護する時のために、炊事する場所から和室が見えるようにしました。
これも正解で、孫の遊び場としても、大変重宝しました。

 

そんな苦労を重ね、自分で隅から隅まで描き挙げた我が家の見取り図を、自分で完成させました。。

それを、渋谷のモデルハウスを設計し、その住宅会社では一番人気が高かった設計士のYさんに見せたところ、

「申し分ありません。この図面通りに建てましょう」

と言われ、その様に建築されたのが今の我が家です。

後でYさんには、

「私が考えたのは屋根のかけ方と窓の大きさだけです」

と言われましたが。

それは、本当の事なんです

 

実は、私はYさんに一目惚れだったのですけれどね。

服装のセンスも良くて、実に格好いい優しい方でした。

営業マンのIさんも、いい方で、とてもお世話になりました。

キッチンや浴室のタイル、暖炉、その他あらゆる備品を揃える時、車でお店を紹介、案内して下さったものです。

設計士のYさんとは、未だに年賀状のやり取りをしています。

 

お風呂好きなので、タイルの選択にも一苦労しました。
野の花のイメージのこの柄が、今でも大好きです。

キッチンのこのタイルの柄も好きです。

 

二度仮契約した家は、まるで別物でしたので。

軽率に建てていたら、今の私の日々の暮らしは全く違ったものになっていたと思います。

 

私はこの経験を思い出す度に、自力で辿れた過程にはどうしても思えなくて。

大きな導きを思い、感謝しかありません。

 

マイホーム建築は一世一代の大仕事です。

業者任せで建てては余りにもったいない事。

自分の気持ちもどんどん変わりますから、熟慮に熟慮を重ね、数年くらいはかけてほしいです。

この珠玉の知恵を授けてくれた、私のマイホームの建築体験でした。

 

 

次女の話によるとマンションのリフォームをするそうです。

大掛かりなものではありませんが。

ママは、壁による閉塞感が多少気になるのだけれど・・・。

後で後悔しないように、よくよく考えて実行してね。

今日の記事は、これをMちゃんに伝えたくて書いたのかもしれません。

 

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マイホーム着工に至るまでの苦労話

2023-01-18 07:21:30 | 人生

いよいよ話題が無くなってしまいました。

私の暮らしは、実に平凡。

毎日変わりない日々が、穏やかに過ぎていくだけ。

それを退屈などと思ったことは一度もないので、奇特な人間なのでしょうか。

奇特には二つの意味があるようですが、私の場合は非常に珍しく不思議な様に当たります。(笑)

 

退屈という言葉は、私の暮らしでは死語。

平凡な日々でも、やりたいことは山ほどあるのに、それが思い通りに捗ったことなんてなくて・・・。

頑張って忙しく過ごしても、いつも消化不良気味。

要領が悪い私の暮らしは、一生こんな感じで過ぎていきそうです。

 

お出かけをもっとしたいと思うこともあるのだけれど・・・。

体力不足が私の大きなハンディー。

幼い時からずっとこのハンデイーを背負って生きてきた気がします。

後に私を見舞う疲労感が嫌で、外出は出来るだけ控えるようになってしまいました。

 

 

ですから我が家が、私のお城。

出来るだけ快適にしたいと思い、夢をいっぱい託して建てたのが今の家です。

数年かけました。

 

日中は、主人も娘達もいませんでした。
ですから、その日中、多目的ですべてがこなせる家事室のような自分の部屋が欲しい。
そう願ってこの部屋の図面を私は描きました。
それは大正解でした。

 

帰国後一年足らずで長女が中学受験。

その後、五年生になった次女の受験期も迫っていました。

その頃、マイホーム建築の目標を掲げた私でしたが・・・。

その時の優先順位は、長女、次女の受験でしたから。

娘達の受験が終わるまでは着工しない、と心に固く決めていました。

ですから、プランを立てたり考える時間の余裕が十分私にはありました。

この事については、明日、もう少し具体的に詳しく綴らせていただきます。

 

 

実はこの後もすでに、ざっと記述済みですが、短文で更新しませんと、もう連続投稿は限界になりそうですから。

しり切れトンボで申し訳ありませんが、明日に乞うご期待とさせていただきます。

 

 

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私の模範で目標だったご夫婦

2023-01-13 06:58:27 | 人生

前回の記事でお話ししたご高齢の夫婦について、今日はもう少し詳しく語ります。

昨年の春、亡くなられたようですが、私にその訃報が届いたのは喪中の葉書きによるものでした。

コロナ禍でなければ、もっと早くお知らせくださり、私は当然のように、郷里に駆け付けていたことでしょう。

コロナが流行する前は、私は毎年数度、郷里の広島に夫のお墓参りで帰省していました。

そしてお盆の帰省の時は、いつも叔父ご夫婦のお宅にご挨拶に伺っていました。

ところが夫の七回忌の時に、伺ったのが最後になろうとは、思いも及びませんでした。

 

喪中の葉書きが来たときは、とてもショックでしばらく呆然としてしまった私です。

N先生は享年95歳でいらっしゃいます。

奥様も80代の後半。

奥様は晩年、色々な病に侵され、入退院をくり返しておられました。

 

N先生はお医者さまでしたから、奥様の手術の際も、傍に立ち会われ、献身的に看護されていました。

その経緯からしても、奥様を先に見送られるのだろうと私は思っていました。

そんな奥様を遺しての旅立ちは、さぞ心残りでいらっしゃいましたことでしょう。

 

ご無沙汰に打ち過ぎ申し訳なく、精いっぱいの事をしたくて、上の供花もお届けしました。

 

何時お訪ねしても、服装を整えられ、優雅なワンピースを装われてた奥様とご一緒に、凛としお姿で私と相対してくださいました。

いつも笑顔でためになるお話を聞かせてくださった先生。

私の目標で模範のご夫婦でした。

今は心ばかりの物をお送りし、ひたすらご冥福をお祈り申し上げばかりです。

 

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願い

2023-01-07 07:03:38 | 人生

早朝の時間内に書き終えられたので、私にしては珍しい連日更新をしましたが・・・。

もういよいよ話題が無くなってきました。

去年はカメラが故障し、新しいものに取り替えたり・・・

パソコンのトラブルが悩ましかったりで・・・

年末の忙しい時にもかかわらず、書くことがそれなりにありました。

 

夫が8年前に亡くなり、一人暮らしになってからの私の日々は実に平凡ですが。

話題がなくても、自分の暮らしを退屈と思ったことは一度もありません。

家の中でも、取り組みたいことは山ほどあります。

でも暢気で、動作ものろいので、なかなか捗らなくて困ります。

 

先はもう決して長くない私。

頑張らなくては、私の思いを全て叶えるのは無理。

娘達に迷惑をかけないように、身辺整理にも、もっと力を入れたい、と思うのですけれど・・・。

 

私は余り物欲はなくて、その代わり欲しいものがあると、とことん厳選し、多少高くてもそれを購入。

そして一生大切にする。

そんな方針で暮らしてきました。

ですから家の中は割とすっきりしていて、娘にも褒められます。

 

娘家族達を見送り、居間に入った時、すぐに撮った写真です。
年末までツリーが飾られていたので、観葉植物の位置がいつもと違いますが、この配置も
なんだか気に入ってしまいました。

お正月花が素敵!
今右衛門の花瓶に生けました。

長女宅は、隔週で近所の花屋さんから、花束を届けてもらっているのですが
その花屋さんでアレンジしてもらい持ってきてくれた正月用のお花です。
これからは毎年ここにお願いしましょう。

 

とは言っても物欲がまったくなくなったわけではありません。

私の余生に夢を与え、潤いのある暮らしの手助けしてくれるものがあれば、やはり買いたい。

そう願っています。

夢は失いたくありませんから。

先の短い人生をどんな風に生きるか。

具体的な目標はもうないけれど、「一日一生」の気持ちで悔いのない日々を送りたいです。

 

私は観念的な事を書くのは苦手で、そんな高尚な人間でもありません。

実に現実的。

日々できる事に誠実に取り組む。

それが精一杯。

そんな人生を過ごしてきただけで、少々恥ずかしいのですが。

今年も良い年にしたい。

何よりも心身の健康を大切にして。

 

この歳になると邪気を抱くのは恥かしい事。

悪い言葉は口にしないで、清らかな気持ちで生きていきたい。

そう願っています。

 

もうすぐ、私にしては実に珍しい事なのですが、かなり詳しい身体検査に臨みます。

爆弾宣言があると嫌だなあ~

無事に通過できますように。

 

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狭心症の発作に又見舞われる

2022-11-12 07:23:44 | 人生

今日の記事は第三弾のトラブルなのですが、~弾の表現はオーバー過ぎて、次第に恥ずかしくなってきました。

ですからタイトルにこの字を使用するのは、今日から止しますね。

 

採血の結果が出て数日後の事です。

また狭心症の発作に見舞われてしまいました。

今回は、かってなかったほどその症状が長く続き、とても緊張した私です、

 

採血で悪い数値が出て、自分の心臓にすっかり自信を無くしてしまった私。

そこに見舞った、この度の発作。

恐らく、心因性が影響して、いつもより長引いたのでは。

そう思っています。

軟な情けない心です。

 

今迄だと、ニトロペンを二錠服用すると、必ずその発作は治まりました。

でも今回は、そうはならなくて・・・。

二錠服用しても、左胸から背中にかけて締め付けられるような違和感が続きました。

さすがに怖くなり、妹に電話をかけ相談。

救急車を呼べば、と妹はしきりに言います。

 

最近は朝食におかゆを食べるように。
胃の調子が悪くなってからの事ですが。
嗜好が変わってたかのようにパン食を、今は受け付けなくなっています。
右上の物は、前日こしらえたサラダを炒めました。

 

でも私は出来れば呼びたくない。

我が家の前に、救急車があのけたたましいサイレンを鳴らしてくれば・・・。

気が付いた近隣住民の方々は、どんなに驚かれることでしょう。

きっともう少し我慢をすれば治まってくれる。

そう思うのですが、暫くその発作が続き・・・。

15分くらい経過して、やっと元の正常な体になりました。

 

ホッと安堵し、しばらく呆然。

今日はクリニックに出かけ、診察を受けよう。

BNPの異常数値の事についても詳しく知りたいし・・・。

発作がなかなか収まらない時は、ニトロペンを三錠服用してもいいのか?

その点も尋ねてみようとも思いました。

 

東急のレーズンパンが今の私はお気に入り

元気な時の朝食はいつもこんな感じ

最近の残り物ばかりで準備した簡単夕食

 

ところが電話したところ、その日は先生は他の病院に出かけ、いらっしゃいませんでした。

翌日、先生からお電話をかけて下さるとのこと。

そして翌日の午後過ぎに、電話がありました。

 

先生の受け答えを聞いていると、思ったより淡白な印象でしたが・・・。

二錠服用しても治まらなかったら、迷わずすぐ救急車を呼んでください、と。

でも、救急車が来ると、きっと安心して私の発作は収まってしまいそう。

そうなったら恥ずかしいですものね~

呼ぶべきか、呼ばざるべきか、その見極めって本当に難しい。

同居人がいると、こういう状況の時、心強いのでしょうが。

 

膝の痛みの緩和のために求めた医薬品でしたが、その効果は今一つ。
徐々に良くなってきた感じはしていますが。

ところが肩こりと首のこりが、この医薬品のお蔭で見事とに改善。
ここひと月、色々なトラブルに見舞われ、デスクワークが多いのに、
肩こりと首のこりから無縁の暮らしをしています。
思いがけない効用に、とても喜んでいる私です。

 

私の場合、離れていても、妹が同居人のようなものかもしれません。

娘達は仕事中で、電話はしづらいですから。

妹は、時空は何のその。

それを飛び越えて、いつも私に寄り添い、いろいろ意見をしてくれますから。

これからも頼りない姉を宜しくお願いします。

世界に一つだけの姥花日記 (goo.ne.jp)

妹のブログです。

 

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第二弾~採血の或る結果数値に驚いた私だけれど

2022-11-10 07:01:45 | 人生

最近起きたトラブルの第二弾は、診察で出た採血結果の異常数値です。

BNP院内の数値は18.4以下が正常ですのに、私は132.0。

いくら鈍感な私でも、この数値には目が釘付けになりました。

先生は、採血の結果は貧血気味と出ていますが、血糖値、コレストロール値、他はすべて正常です、とおっしゃいました。

その後に、心臓の負荷率が高いようですね、の一言がありましたが。

余りに軽い一言でしたので、私はまるで気に留めなかったのですが・・・。

 

ネットで調べると、100を超えると心不全。

150を超えると、治療を要すると記されていました。

正常値は18.4以下。

私はその数値が135でしたから。

余りに高くて、さすがにショック。

 

 

でも過去に、思い当たることは色々ありました。

若い時から、階段の昇り降りは一苦労。

坂道も同様で息切れが酷くて、一気に上れない体でしたし・・・。

頑張り過ぎると異常に疲れてしまう。

夫が入退院を繰り返し始めた頃は、数年、息苦しさが続き、娘が心配の余り付き添って、診察を受けたり、と。

 

次女が中学受験が終わった直後の出来事は、私の人生で最大の危機だったかもしれません。

風邪をこじらし、暫く高熱が続きました。

臥せてしばらく経過した真夜中の事。

呼吸が虫の息になってしまい、運よくそこで目覚めた私。

夫に救急車を呼ぶように、自ら頼みました。

その時、上の血圧が30以下になっていたとのこと。

 

若し目覚めなければ、まだ小学生と中学2年生の可愛い娘達を遺して・・・。

誰にも気づかれないまま、息絶えていたかもしれません。

神様が私を目覚まして下さった、としか思えないような、運のいい出来事でした。

 

何か体に異常が生じると、何時も心臓が関連していました。

恐らく若い時から、心不全の傾向があったのかもしれませんね。

体力にはまるで自信がなくて、何時も気力で頑張ってきた人生でしたから。

 

でもMRP以外は、貧血気味を除けばすべて正常ですから。
コロナ禍の前、別のクリニックの医師に、若い人並の数値です。
余程食事がいいのでしょう、とお褒めの言葉をいただいたこともあります。

 

ですから、最近通い始めたクリニックの採血で、この数値が出たのは、今後のために、とても良い事だったのかもしれません。

妹夫婦は、私と違い、毎年人間ドッグで検査を受けていますが、その結果に、BNPなどと言った数値はなかったようです。

それから察するに、最新式の検査法なのでしょうか。

 

この検査結果で、過去の出来事も納得できて、今後注意すべきことが私なりに分かりましたから。

注意を払えば、長生きできるのかもしれませんが。

まだ三十代の時、血圧が下がり、虫の息にになってしまった時。

苦しくなくて、とても安らかな境地に居たことを今でもよく覚えています。

それ以来、あの時のような状況で死ねたらいいなあ~、とずっと思ってきた私です。

この願いが叶いますように。

 

ごめんなさい、何だか恥ずかしい終わり方になってしまいました。

笑って読み流してくださいね。

 

薬の効果は個人差があるでしょうから、心からお薦めしていいのか迷いますが・・・。
私は服用後ひと月位で効果が表れ、以前より視界がクリヤーになり、良く見えるようになりました。
この薬の効能で一生白内障から無縁でいたいものです。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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私の宝物~ご住職様から贈られた「歎異抄」

2022-10-29 07:08:58 | 人生

秋のお彼岸も、帰広しなかった私ですが・・・。

夫の菩提寺のご住職様には、認めたお手紙と共に、お布施をいつも同封し、お送りしてきました。

お布施は、ご供養していただいた後に手渡すのが、本来のしきたりでしょうが・・・。

コロナ禍にあり、遠方のお寺ゆえ、それが叶えられません。

そのため、失礼ながら、このようにしています。

 

お手紙を認める時は、とても気持ちが張り、一言一言、いつも以上に丁寧に文章を書くように心がけています。

お相手は、高尚なご住職様ですから。

でも実際にお会いすると、本当にもの柔らかな優しいお人柄で、親しみやすい御住職でいらっしゃいます。

とは言っても、私はやはり緊張してしまうのですよね。

 

無地の便箋を使用するのが礼儀に叶うのかもしれませんが、
今回、お礼状を書くに当たって、親しみも込め、この便箋を使用しました。

 

昨年、夫の七回忌で、帰広したときのこと。

娘家族は無論、妹も姪家族も参列してくれました。

法要が終わった後、私は代表でご住職様にお礼の挨拶をし、席を後にしたのですが・・・。

娘二人はその後、長い間、ご住職様と会話を交わしたようです。

そのあと、感激した面持ちで私に、「本当に立派なご住職様」と言って、只々敬服しきっている様子でした。

「そうでしょ。ママが何時も褒めている訳、納得いってくれたでしょ」

と言ったものです。

 

両親が眠っているこのお墓を、最終的には墓じまいし、両親も私も、
夫の菩提寺の墓地で眠るつもりです。

 

私の一生に於いて、このようなご住職様に巡り会えた幸運は、計り知れないものがあります。

私は、幼い時から、キリスト教に縁のある暮らしをしてきました。

大学もミッションスクールでした。

娘達の日本人学校もミッションスクールで、この時は週末には熱心に教会に通いました。

 

ところが帰国後は、教会に通う事もなく、今日に至っています。

そして晩年になった今、夫の菩提寺のご住職様と、お手紙のやり取りで、思いがけず、親しい交流ができるようになってきました。

 

私は宇宙の神様はお一人との信念があります。

風土や民族性により,宗教の形態が変わるのは仕方のない事。

宇宙の神様は、きっと寛大なお方で、それは容認なさっていらっしゃるに違いありません。

もちろん偽宗教には厳しい目を向けておいででしょうが。

 

 

母も私が幼い時は教会に通っていて、牧師さんの家に泊めていただいたこともありました。

でも最後は、両親とも、先祖の仏教の曹洞宗のお寺で今は眠っています。

では私はどうするか?

ずっと悩ましい問題でしたが、郷里の夫の菩提寺(浄土真宗)のご住職様が、私の願いをすべて受け入れて下さることになりました。

その願いとは、夫の菩提寺に新たなお墓を建てるか、あるいは永代供養でも構いません。

私と両親も、夫の遺骨と共に、そのお寺で供養してもらうことに。

 

 

秋のお彼岸の時、この件のお願いを認めたお手紙を差し上げたところ、快く承諾してくださいました。

そして、返信のお手紙と共に、歎異抄が同封されていました。

私が前からずっと読みたいと思っていた書物でしたが。

何だか敷居が高くて、まだ紐解いていませんでした。

尊敬して止まない、ご住職様が贈って下さったことで・・・。

私にはこれ以上、値打ちのあるものはない、と思えるほどの人生の宝物になりました。

聖書も我が家には数冊あって、同様なのですけれどね。

 

夫が導いてくれたのでしょう。

晩年のご住職様との親密な交流が、私の心を一層平安にしてくれています。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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人生運が割と強かった私

2022-10-04 07:02:40 | 人生

私はとても人生運が強い人間なのかもしれません。

過去を振り返ると、自分の力だけではとても乗り越えられなかった、或いは出逢えなかった、

と思うような幸運な出来事が幾多もありましたから。

小、中、高と素晴らしい担任の先生にも巡り会えました。

国立大学の付属で、小学校も6年間、中高も3年間同じ先生で、とてもお世話になりました。

前回の記事でも触れましたが、心からお慕いできるご住職様に出会えたことも正にそうです。

一番恵まれていたことは、尊敬できる素晴らしい多くの友人に出会えたことです。

私は、友のお蔭で成長できた、と本当に思っています。

 

余りに恵まれ過ぎ、それが私の人格形成に災いしたこともありますけれどね。

鍛えられないまま育ち、思春期の頃は、心が弱く結構苦労もしましたから。

今はその頃に比べると、人間が多少は成長し、随分逞しくなりました。

 

先週の木曜日に届いたHanaTomo定期便のお花です。
Mちゃん有難う。
ママはセンス良くアレンジされたこのお花たちに
とても元気づけられています。

 

三十代の後半の頃のことですが・・・。

妹家族がドイツから帰国し、その二年前に夫の海外赴任を終え、私も米国から帰国。

その私に久し振りに会った妹が、私を見て、

「まるで別人のよう」

と言ったものでした。

 

最近も、親友のFさんに、~さんはぶれない自分軸をしっかり持っている何て、言われましたが・・・。

それは少々疑わしいです。

しょっちゅう迷ってばかりいる私ですから。

でも今までは、とことん迷いながらも、選択肢を余り間違えずに人生を歩んで来れました。

未熟な私一人の力で出来たこととは、どうしても思えなくて・・・。

お導き下さった神様に、溢れるような感謝の気持ちを私は常に抱いています。

 

 

出逢い以外にも、幸運な出来事がいろいろありましたが、いつかまた、そのお話しもさせていただきますね。

今日は直近の事で、また運の強さをしみじみと感じたことをお話ししたいと思ったのですが・・・。

前置きが長くなり過ぎてしまいましたので、この続きは次回といたします。

 

お薬に頼らない暮らしがモットーの私でしたが、この度、思い切ってサプリメントを購入。
目の視力が急に落ち心配でしたから。
このサプリメントを服用し、半月経過後から視力が回復し、とても嬉しく思っています。
老化に因る目の病の予防にもなってくれると嬉しいのですが

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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