今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

頓馬について

2022-08-31 06:29:17 | ブログ2(1)

相手の方が、私が頓馬と言ったことを何度も取り上げて非難されるので、

その時の状況を簡単にお話しさせていただきますね。

 

私を批判するだけの「愚か者の戯言」と言う掲示板風のブログが立ち上げられた時のことです。

最初はそのブログの管理人さんの口調は、トーンがとてもきつくて、私のコメントをうんこと表現なさり、

かなり激しいものでした。

原発の放射能の事にも非常に詳しくて、次女の科学者の婿にまで、専門的な用語を駆使して、

質問を投げかけてこられました。

そして、そのブログのプロフィールの鳥の画像は、彼女のブログで私は目にしたことが以前ありました。

見事な画像で、私はまるで哲学者のようだと思い、感心した物です。

その画像とブログの語り口から、私は管理人さんはKさんだとすぐわかりました。

 

ところが或る時、その口調がまるで変りました。

雰囲気は、それまでとは異なり、自然体の口調で、柔らかくなりました。

そして仰ることが、頓珍漢で、的から外れるように。

まるでそれまでの経緯が理解できていらっしゃらない風でした。

私は、一瞬で管理人さんが、KさんからMさんに代わったと確信しました。

 

其の時に、私は書きました。

「こんな可愛いくて頓馬な管理人さんを始めてみました」と。

するとそれから一日半くらい管理人さんがブログ上に全く現れなくなりました。

恐らく管理人の引継ぎを徹底的になさったのではないでしょうか。

 

その時の頓馬には私は意地悪な感情はなく、本当にその返答のちぐはぐさが余りにおかしくて、

正直に私の印象をお伝えしただけです。

しかし、一日半くらい経って、管理人さんが戻ってこられてからは、

私のこの考えを徹底的に否定され始めました。

私は嘘をついていらっしゃると思いましたが、美しい鮮明な鳥の画像についても、

管理人さんが交代されたことを証明する証拠は手元に全くありませんでしたから、

その事から身を引きました。

 

頓馬の言葉を使用した時の経緯は、上に書いた通りです。

「こんなに可愛くて頓馬な管理人さんは初めて見ました」

この言葉を言った時は、その掲示板風のブログのその後の恐ろしい展開はまだ想像すらしていない時で、

心に余裕がありました。

これだけの事です。

この時以外、頓馬の言葉は一度も使用していません。

 

どうでもいい、恥ずかしい内容なので、この記事は今日一日だけアップし、明日の早朝には削除します。

何度も何度も私が頓馬と言ったと非難されるので、言い訳に見えて心苦しいですが、

今日に限って説明させていただきました。

 

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U君との取り留めのないおしゃべり

2022-08-30 07:21:22 | 

病院で久しぶりに受診したことを前回で記事にしました。

この時、診察していただいた後、患者さんの相談を受ける窓口で 訪問診療のことなど、

色々尋ねるつもりだったのですが・・・。

前の記事でお知らせしたように、そんな雰囲気ではとてもなくて、長居は病院に迷惑をかけるだけ

と思い、早々に退散。

そんな日になりました。

 

最初だけでしたが思いがけない病院の冷遇に、疲労は只事ではなく、夜、カープとヤクルトの試合を見ながら、

早く床に就くことだけ考え、ボーと過ごしていると、携帯のベルが鳴りました。

久しぶりに電話をかけてくれた人は、中高の同窓生のU君。

 

そう言えば先日、私の心の友、と言える男友達は、実業家だったN君が亡くなられたので,

市政で活躍したH君だけになてしまいました、

と話したばかりでしたが、U君もその一人になるかもしれません。

U君は慶応大学の工学部の教授として、長年にわたり若い学生の指導に当たっていた人です。

孫息子の家庭教師を一時期だけでしたがお願いしたことで、一層親しくなりました。

教授何て言うと、いかめしい教育学者を想像する方が多いいかもしれませんが、そんなことは全くなくて、

実に気さくな明るい人です。

 

いよいよアップする画像がありません。
それで仕方なく、次女宅の古いインテリア画像を
雰囲気が素敵なので

 

男の人との話は、話題の視点が女性同士の会話とは少し異なり、結構私は楽しめます。

この日はコロナの話題でも盛り上がりましたが、彼は何と一度もワクチン接種を受けていないとのこと。

「何故受けないの?」と訊くと、

「体が壊れていくようで、僕は心配だから」と。

彼が言いたいことは、多少私も理解できます。

 

私も以前から度々ワクチン接種をしていると、人間が本来持っている自己免疫力が弱ってしまうのでは、

と心配していましたから。

「でも受けない勇気など、とても私にはないわ」と言いました。

 

学生時代の思い出話など、取り留めのないおしゃべりで盛り上がっている途中に、

彼が突然のように何度も言うのですよ。

「~さんは本当にやさしい人だなぁ~」と。

そんなことないわよ、と聞き流して笑うと。

僕は本当にそう思うよ、と言ってくれるのです。

ですから素直に喜ぶことにしましたが。

 

私の優しさは、本当の優しさとは違うように思います。

口調と雰囲気だけかな?

U君にそう言いました。

そんなことない、と言うU君でしたが・・・。

 

どうでしょう。

私の人生の一番のハンデイーは、体力が人並みでなかったこと。

あまり頑張り過ぎると、ぐったりしてしまい、過労で入院したことも何度かあります。

私の夫は家事全般は無論、家計も子育ても、一切合切私に任せる人でしたから。

主婦業と子育てで、私は手一杯。

他人のために一生懸命頑張った記憶があまりなくて、恥ずかしいです。

 

こんな自己中心的な暮らしにもかかわらず、私の事を心から信頼してくれる友人にも

とても多く恵まれた人生でした。

そんな話もU君にしましたが。

 

コロナ禍の前は、年に二回開かれたミニ同窓会の画像です。
この中にU君もいます

 

一方、彼は、一見優等生タイプには全く見えない人なのだけれど、高校では学年で一番。

勉強が楽しくて仕方なかったようです。

ですから学生に教えるのも大好きで喜びだった、と。

好きな学問に一生打ち込めたなんて。

幸せだったU君の人生。

羨ましい位です。

 

何気に時計に目をやると、8時前。

彼に言いました。

おしゃべりは8時までね。

床に就くのはこの時間厳守と私は決めているから、と言うと、素直にすぐ電話を切ったU君でした。

 

今日は、男友達と他愛無いおしゃべりをした、あまり意味のない記事でした。

こんな記事を最後まで目を通していただき、何だか恥ずかしいです。

平凡な日常で書くことがあまりないので、何でもありの私のブログ記事。

今日もお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

 

 

一昨日記事にした方の、その後の大人の対応には本当に助かりました。

失礼なことを書きごめんなさい。

 

それに比べ相変わらずのMさん

何時まで続くのでしょう。

今なお、くどくどと長文でもって私の批判を続けておられます。

彼女とお仲間のAさんの執拗さは、病的に私の目には映ります。

この度は、我が家のインテリアと私の服装、更には花の花瓶の挿し方に至るまで感想をいただきました。

 

妹とはこの方の批判は死ぬまで続くと言って、呆れかえっているのですが。

恐らく私の批判をする事が、Mさんの暮らしの暇つぶしになっておられるのでしょう。

 

Mさんへの私の回答は、右側のカテゴリーの最初に、「Mさんへのお返事」として載せています。

貴女は色々勝手なことをおっしゃっいますが、ここに書かれていることが本当の経緯で

私の偽りない気持ちです。

 

最後に、もう一言Mさんへ 私のブログにはコメント欄は最初から設定されていません。

誤解のなきようにお願いします。

コメント欄が羨ましかったなんて、とんでもない。

どうしてそんな発想をされるのか、

私は笑うしかありません。

 

今後又、私に文句を言いたくなられたら、ブログの右側に載っているカテゴリー一覧の最初に載せた

「麦さんへの手紙」に貴女も、何度でも目を通してください。

わたしの気持ちがすべて書かれていますから。

これからも、まだ私批判が続くようでしたら、その度に私の記事の最後に、「麦さんへの手紙」を載せる事に致します。

この手紙が、私と妹の答えです。

 

追記

人気ブロガーさん達の文を参考にさせていただき、文章の構成を今までと少し変えてみました。

読点の位置にはこだわらないで、一行のセンテンスを短くしてみました。

この方が読みやすいのでは、と思ったからです。

私は今でも短文の記事に憧れがありますが、なかなか実現できなくて。

内容のない記事ですのに、皆様にお時間を取らせ申し訳なく思います。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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相変わらず元気が出ない私~追記あり

2022-08-28 07:04:26 | 暮らし

体調が相変わらずよくありません。

今朝(25日)は人気ブロガーさんの私のブログ紹介記事を読み、また寝込みそう。

寝込みそうは、表現が少々オーバー(笑)

以前から、何度か私のブログ批判はなさっていて、気にしないように努めてきましたが。

今日の内容はかなり強烈。

皮肉、嫌味たっぷり。

 

わたしと年齢はほぼ同じでいらっしゃいますのに・・・

余りに勝手な受け止め方で、大人げない物言いでは、

と思い、多少は傷つきましたが。

ブログから受ける印象は人それぞれでしょうから・・・。

何も申し上げる事はありません。

 

このためか、今朝は、朝作った朝食が全くのどを通りませんでした。

これは、体調も悪くて、本当の話。

一言お知らせしますが、H君は議員ではありません。

公務員で市役所の職員でした、

 

私は自分のブログは純粋な個人日記と思い、真っ正直に私の暮らしや、想い出、日々の思いを綴っているに過ぎません。

自慢する気持ちなどさらさらありません。

その気持ちを素直に受け止め、応援して下さる方達もいらっしゃるので、今後もこの方針でブログライフを愉しませて頂こうと思ってます。

 

最初から余談めいたどうでもいい事を綴ってしまいました。

お読み苦しかったことでしょう。

ごめんなさい。

 

 

さて、これからが本文です。

体調は今一つだったうえ、昨夜は何故か全く眠れず、夜中も悶々としてしまいました。

私は寝付はとても良くて、こんな事、めったにない事なのですが

仕方なく、真夜中に起き、階下に降り、ブログを綴ったり家事をしたり。

 

ワクチン接種の後遺症の微熱も相変わらず治まらず・・・

その上、ここ数十年発症したことがなかった膀胱炎の不快感に数日悩まされることに。

それでお医者嫌いの私も、さすがに堪らず、重い腰を上げ、昨日(24日)は病院へと。

 

ところが病院で思わぬ出来事に遭遇。

これは今では常識的な事だと後で知り、私の非常識を恥ずかしく思ったのですが。

病院に入る時、レストランなどでも同様ですが、必ず検温しますよね。

その検温の時も、やはり微熱があり、37℃4分。

 

常設された受付カウンターではなく、防護具をまとった看護師さんがいる特別な受付が入ってすぐの所にありました。

そこで、私の体温を報告したところ、急に態度が何だか冷ややかに。

熱があるのに、病院に来るなんて非常識ですと言わんばかりの口調と態度(その通りなのですが)。

そして玄関の外に追い出されてしまいました。

 

熱があり、具合が悪い時に、病院で診察を受ける。

その当たり前の関係が、今の世の中では成り立たない事を改めて実感することに。

私は何だかとても惨めな気持ちになりました。

すでに膀胱炎を発症しているとの自覚が十分あり、病院に診察と治療をしてもらうために訪れたにすぎませんのに。

 

 

20分位外のベンチで待たされたでしょうか。

私が来た理由の事情が理解されたらしく、やっと許可が下り、診察室一番の前で待つように言われました。

尿の検査もし、やはり結果は膀胱炎。

抗生物質の処方箋をいただき、帰宅に就こうと思ったところ、

「PCR検査を受けますか?」と尋ねられ、もちろんですと応えました。

 

テレビで見る限りでは、辛そうな検査に見えましたが、一瞬の不快感だけで、それはすぐに終わり。

その結果は明日出ます、と言われたのですが、夕方には病院から報告がありました。

「陰性でした」と。

良かったぁ~!

まずは一安心です。

 

ところが実は、新たなる不安が。

次女からの電話によると、孫息子がキャプテンを務める野球部で陽性者が出たとのこと。

そしてK君も37℃4分位の熱がある、と。

これから親子でPCR検査を受けに行くところなの、との連絡が私の許に入り・・・。

体調が悪い上、こんな心配を抱えては身が持たないわ、と思っていましたが。

K君も、娘も陰性。

また、良かったぁ~!と胸をなでおろした私です

 

今日の一日を振り返っても、つくづく嫌な世の中になったものだと思いましたが・・・。

ウクライナの人たちの悲惨な暮らしを思えば、この程度の事で、音を上げては申し訳ない、とも思い、

今、気持ちを奮い立たせようと心がけているところです。

 

追記

又どうでもいい事ですが、私の思い込みが過ぎると言われてもちょっと辛いので・・・。

やはり体調がよくなくて、しばらく横になり、階下に降りて、ある方のブログを読むと、文章がかなり変えられていました。

ずるいなあ~。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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娘の世話に甘え辛いながらも幸せだった二日間

2022-08-26 06:53:09 | 家族

20日の午前中、11時半の予約で4回目のワクチン接種を受けに出かけてきました。

場所は、我が家からほど遠い集団接種会場。

三回目のワクチン接種の時は一両日、38℃以上の熱が出て、それなりにしんどかったので・・・。

不安は、結構大きくて・・・。

その上、今回は初めてモデルナによる接種です。

益々不安に・・・。

 

前日の夜、長女から電話があり、思いがけない嬉しい言葉をかけられました。

「明日泊まりに行くからね」と。

そんな事、全く期待していなかったのですが、私は素直に喜び、感謝一杯。

 

そして娘に「タクシーで出かけたほうが安全よ」

と言われましたけれど、

「そんなもったいないことしたくないわ。電車で行くから」

と言うと、

「直線距離だと、3キロに満たない位だから。タクシー代はそんなにかからないわよ。

その位、私が出すからタクシーにして」

と言い返す娘。

それで止む無く、タクシーにわざわざお迎えに来てもらい、接種会場に向かう事となりました。

 

HitoHana定期便の最近のお花

 

一回目と二回目は、次女に付き添ってもらい、私の街の区役所で接種を受けました。

其の時も、行き届いた会場の雰囲気と、看護師さんやスタッフの方達の親切な対応に、とても心打たれたものですが。

今回はすべての面において、それ以上でした。

感心しきりだった私です。

 

三回目は、個人医院でしたが・・・。

その時は、接種を希望する人たちで、医院内は大変な混雑。

環境の面でも雲泥の差と思い・・・。

これからはいつも集団接種会場で受けようと、心に決めた私です。

 

夕方の5時頃、長女のMちゃんがやってきました。

女性ながら、大企業の管理の要職に就き、細身の体を酷使して日々奮闘する娘です。

疲れていて、週末は休養を取りたいでしょうに。

申し訳なさで一杯でしたが・・・

 

 

60代に入った頃から、力関係は逆転。

家族が集まると、娘達が私を支えてくれる。

そんな関係かな。

実家の我が家に来ても、とにかくよく働くMちゃん。

見ているだけでも頼もしいです。

 

私は、接種から帰宅後もしばらくは元気だったのですが・・・

日が暮れる頃から、雲行きが次第に怪しくなっていきました。

長女が手際よくアッと言う間に、ハヤシライスとサラダを作ってくれ、共に夕食をいただいた私達。

その美味しさは格別でした。

 

他にも、桃のヨーグルト、おみかん、美味しいパン、ケーキ等々、色々と持参してくれたMちゃん。

私はここ数日間、食欲が余りなかったのですが、とても、美味しくいただけ、助かりました。

娘の温かな思いがこもったものだったからでしょうか

 

 

その後、入浴を済ませ、日が暮れる前に床に就いたあたりから、余り良く覚えていなくて、記述が正確ではありません。

翌朝と思い、目を覚ますと、まだ夜の八時過ぎだったり。

その頃、熱が次第に上がり、一番高い時は38℃9分に。

この熱が翌日の午前中まで続き、午後から次第に下がっていきました。

Mちゃんが帰宅する頃には、一旦は熱も平熱近くになり、一安心。

Mちゃんに心から感謝の言葉を述べ、元気に見送った私ですが・・・。

 

半日、38度台の熱が出た時は結構辛くて、情けない思いを味わいました。

年取って体の反応も鈍くなっているせいでしょう。

発熱したことなど、ここ十数年、接種の時以外ありませんでしたから。

たかがワクチン接種のために、こんなつらい思いをするなんて、割に合わないなあ~と思い・・・。

娘にそのように話すと、

「副反応が強いのは。体がまだ若いっていう事なのよ」

と言われ、少し気分をよくした私です。

 

娘の行き届いた優しい看護と介護に、甘えっぱなしだった二日間。

もの柔らかな口調と、私に一切気を遣わせないゆとりのある態度。

 

 

長女の優しい世話に身を任せていると、何だか十年先(私は88歳に)の予行演習をしているような気分に、

そして、長い時間、ベッドに横になったままでいる事のしんどさをも痛感しました。

一日半、寝ているだけで、背中や腰が痛くなり、体がどんどん衰弱していくような不安にも襲われ・・・。

改めて寝たきりにならないで済むように、あらゆる努力をしたいもの、と。 

そのためにも、いつかリクライングベッドを買いましょう、と再度、心新たにして思いました。

 

長女家族はつい最近、石垣島へ家族旅行をしたようで、その動画もたくさん見せてもらい。お土産ももらいました。

もうコロナの事は余り気にしないで暮らしていると言っていましたが・・・

私は自分以上に若夫婦家族の健康を祈っていますから・・・

油断は禁物!よ、と改めて釘を刺して置きました。

 

翌日の夕方帰宅に就いたMちゃん。

長女の優しい態度と笑顔に、ワクチンで少々弱った私の心身は十分に癒されたのですが・・・。

 

何と、もうひと苦労することに。

次回に続きます。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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鍵の110番 

2022-08-24 06:51:30 | 備え

前回の記事の続きです。

一応家には入れたものの、鍵の行方は気になったまま。

誰かの手に渡ったのであれば、その鍵でいつか我が家に侵入。

そう思うと、今日の夜さえ、枕を高くして眠れそうにありません。

 

妹に相談すると、チェーンを掛ければ。

サブキーも付いているでしょ。

両方を掛ければ、とりあえず安心できるでしょ、と。

ところがです。

何故かチェーンもサブキーも、ずっと前から調子が悪くて、使用するのを諦めていました。

もう何十年も不良品と思い込んで。

使用しなくても、特別不自由に感じませんでしたから。

実は不良品でないことに、今回初めて気が付いた私です。

この話は後述とします。

 

 

妹に、長い間使用していない旨伝えると・・・

困ったわねえ~

今のままでは不用心だし、と言って、私と一緒になって心配してくれている様子でした。

 

一度電話を切りしばらくすると、また呼び出し音が鳴りました。

「Aさん(義弟)が、鍵の110番に電話を掛けて相談すれば、と言ってるわよ」と。

鍵の110番、聞き慣れない言葉ではあるけれど、そんなお店があることを私も思い出しました。

 

下がサブキーです。

 

確かにそうすべきかもしれないと思ったものの、また不安が頭をもたげ・・・。

鍵の110番は、鍵を紛失したとき、その鍵を再製造するのがほとんどの役割では?

この度の我が家の状況は、それとは事情がかなり異なります。

もしかすると、差したままの鍵が盗難に遭ったのかもしれません。

そうだとしたら・・・。

鍵穴をその鍵では開けられないように、改めて加工し直してもらわないといけないからです。

 

不安で一杯でしたが、とりあえず鍵の110番に電話を掛けました。

そして我が家のドアーの鍵穴の状況も詳しく説明しました。

ヤマハの無垢の重厚なクラシックドアで、錠穴の雰囲気も、とても高級なものに見えます、と。

すると、電話口の店員さんが言われました。

話を聞く限りでは、恐らく5万は下らない。

10万以上費用がかかる可能性も十分あります、と。

 

それを聞き、私はもうがっくり。

自分の愚かな行為のしりぬぐいのために、そんな高額の支払いをしないといけないなんて。

余りに馬鹿らしくて情けない。

 

それで、すっかり長年にわたって使用することを諦めていたドアーのチェーンとサブキーが使えないものか、ともう一度試すことに。

ところが何とそれが使用できたのです。

正に火事場の馬鹿力。

力など入れたわけでは全くないのですけれどね。

ドアを外側に向けて強く押したままでサブキーのハンドルを回すとスムーズに鍵がかけられました。

チェーンも同様。

狐につままれたような心境でしたが、正にこれは神様の導き。

そう思い、大感激!

どんなに嬉しかったことでしょう。

 

 

この様な結末のお蔭で、サブキーを作ってもらえば、外出時の不安は解消します。

出かける時はメインとサブキーの両方のカギを書ければいいわけですから。

やっとこれで一件落着。

すべて妹の適切な助言で解決できたこと。

感謝しかありません。

Aちゃん、本当にありがとう。

 

それにしても私の頓馬な行動は相変わらず。

益々頻度が多くなってきたようにも。

如何にそのしりぬぐいをしながら、素知らぬ顔をして軽やかに暮らしを享受するか、結構な難題です。

 

追伸

4回目のワクチン接種を受けてから未だに体調が今一つです。

今朝も、一時的に37℃7分まで熱が上がりました

お医者嫌いの私にしては珍しく、病院に出かけてきます。

一生のかかりつけ医になってもらおうと、最近決めた中堅の病院なので、

ついでに、今後の事も、いろいろ相談に乗ってもらうつもりでいます。

結果報告は、近いうちにさせていただきますね。

皆様におかれましては、くれぐれもお気をつけて、お健やかな毎日をお過ごしになられますように。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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とんでもないハプニング 

2022-08-22 07:22:51 | 暮らし

今回の墓参は、余りに相応しくない表現だけれど、地獄ロードのお務め。

それ程に厳しい苦行でした。

妹も同様の感想を書いています。

歳相応に、体力相応に振る舞う - 世界に一つだけの姥花日記 (goo.ne.jp)

炎天下、遮るものがない墓地の気温は、一層高くて。

墓石の照り返しもあるからのようです。

恐らくそこの気温は人間の体温は超えていたでしょう。

私より遥かに体力が勝る妹でさえそうでしたから、私のその時の辛さは相当なもの。

でも両親のお墓参りですから、気持ちだけは前向き。

そのお陰で、倒れる一歩手前ながら、持ち堪えられたように思います。

 

 

バスに乗り、最寄り駅に戻ったときは、やっと一息つくことが出来、駅に隣接した喫茶店で一服することに。

抹茶ラテの美味しさに感動。

何とか息を吹き返し、それぞれの交通機関で家路に就きました。

 

私はバスに乗車して5分もすれば、我が家からすぐの停車場に到着。

喫茶で一息付けたものの、疲労感は只事ではありませんでしたから・・・。

帰宅したら入浴を済ませ、すぐ横になるつもりでした。

ファミリーレストランで、食べ過ぎ位の量を、お昼にいただいていましたから。

 

そしてドアの前に到着。

鍵を手にしようと思い、バッグの中に収めたポーチを取り出しました。

その中にキーホルダーが入っているからです。

ところがどうしたことでしょう。

次女宅の合鍵はありましたが、我が家の鍵が見当たりません。

 

このポーチは次女からプレゼントしてもらったものですが、
私の一番の愛用品の一つですです。
高齢者用パスとキーホルダーを私はこのポーチの中にいつぃも入れています

 

 

他のものもひっくり返し、バッグの中をくまなく探しましたが、どこにもありません。

気持ちが次第にパニック状態に。

すべて洗いざらい探しましたが・・・。

やはりありません。

次第に悲壮な気持ちになっていきました。

死にそうに疲れているのに、家に入れない。

こんな最悪なことがあるでしょうか。

 

十年くらい前に購入したエトロのバッグです。
リバーシブルになっていて黒のバッグとしても使用できます。
このバッグの中に入れていました。

 

そして心に浮かんだことがあります。

ドアの鍵をかけ、出かけてすぐ、私は日傘を忘れたことに気が付きました。

そのため、慌てて引き返し、日傘を手にして、また家を出ました。

バスの時間が迫っていたので、かなり焦っていた私です

 

実はこの状況に身を置いた時、必ずと言っていいほど犯す、間抜け行動が、私にはあります。

忘れ物を取りに家に入る時、私は又すぐ出かけるので、鍵穴に鍵を挿したままにします。

そして、その忘れ物を手にし、バスに乗り遅れると大変と思い、慌てるあまり・・・

その鍵を鍵穴に挿したまま出かけてしまうのです。

この失敗を私はもう何回も、すでに繰り返してきました。

ですが、これまでは帰宅すると、必ず鍵は鍵穴に挿さったままで無事でした。

この私の失敗を長女も次女も目撃したことがあり、いつも開いた口が塞がらないと言った呆れた顔をするのですが・・・。

癖はなかなか改められません。

 

ホルダーにキーを取り付けていれば、
このような落ち度はもしかすると回避できたのかもしれませんが

私は中に放り込んだままでした。

 

しかし今回はその鍵が見当たりません。

人を疑っては、本当に申し訳ないのですが・・・。

家族以外出入りのほとんどない我が家に、この日は2名の方がドアの近くまでいらっしゃいました。

生協の配達員の方と、ガスメーターを新しいのに取り替えるための作業員の方です。

もしかすると不用心と思い、その鍵を預かったり、見えにくい場所に置き換えて下さっているのでは。

そう思った私は、その営業所にすぐ電話を掛けました。

 

担当の人に問い合わせてみるとのことで、返事はすぐいただけそうになかったので・・・。

暫く経ってからの返事は、全く気付かなかった、というものでしたが。

まだ会社であろう次女に電話。

合鍵は持っているけれど、帰宅は七時頃になるとのこと。

まだ2時間もあります。

疲れ切っている私はそんなに待つ気力も残されていなくて、何だか絶望的に。

 

するとMちゃんが言いました。

「H(旦那様)が持っているかもしれないから聞いてみるね」と。

その後すぐ返事がありました。

彼も合鍵を持っていたとのこと。

なんと、用意周到なのでしょう。

感激!

 

その上、更に私は自分の運の強さを思い、心から喜び安堵したことがあります。

それは、翌日だと、次女家族は義父母様の蓼科の別荘に行き、留守だったからです。

合鍵を手にする事さえできませんでした。

 

ししかHさんはアキレス腱を切り、もう数週間経過しますが、まだ車が運転できない様子、

それで仕方なく送迎のタクシーを呼びました。

タクシーで往復し、彼から鍵をもらい、やっと家には入ることが出来た私です。

しかしこのままでは、何だか不用心。

もしかすると、その鍵を手にした人が、侵入してくるかもしれないからです。

 

私は心の落ち着きを何とか取り戻し、妹に相談。

妹の妙案で、良い対処が一時凌ぎですができる事に。

長くなるので、この続きは、明日とさせていただきます。

 

追記

20日に4回目のワクチン接種を受けました。

その反応が余りに強烈で、一両日ぐったりの私。

長女が泊まり込みで看護してくれ、今朝はすっかり元気になりました。

このお話は、いつかまた、させていただきますね

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お盆のあれこれ 

2022-08-19 07:04:56 | 暮らし

お盆の記事にやっとたどり着きました。

最近は、出来るだけ下書き済みの記事をため込んで、更新しなければといったストレスを抱え込まないで済むように心がけています。

そのため書いた順に更新すると、日時の大きなずれが生じます。

お読みぐるしいかと思いますが、何卒ご了承ください。

 

お盆になると、我が家はお寺さん関連の諸事に振り回され、次第に疲れが溜まり、終わるとほっとする。

そんな感じで・・・。

ゆっくり故人を偲ぶ心のゆとりさえ失ってしまいそうですが。

それは単なる言い訳。

お盆の中日を迎える頃には、私も落ち着けます。

 

 

但しコロナ禍の前は、もっと急がしかった私。

両親の菩提寺における盂蘭盆大施食会を済ませ、その翌々日にはいつもご住職様が我が家にお出迎え、

お棚経を上げていただきます。

この時、家族が集まります。

そして、その翌日には帰郷。

夫の菩提寺のお墓参りとご住職様へのご挨拶。

そんな感じでした。

 

 

今はコロナ禍で、大施食会は、法要料を納めにお寺に伺うだけ。

お棚経も今は中止ですから、時間に随分ゆとりができましたが。

コロナ禍が収まったとしても、その当時と、同じことが私にまたできるでしょうか。

もう限界のような気がしています。

せめて年に一回は帰郷したいと思っているのですが。

数年前までは、春、夏のお彼岸、とお盆で、夫の菩提寺に行くために三回帰郷していました。

 

実は、最近ずっと悩んでいた私の実家と夫のお墓の問題について。

私が亡くなったら、その後どうするか・・・。

両家のお墓とも後継ぎがいませんから。

けれど、先日の親友Fさんのお話で、すっかり迷いが消えました。

その事について、いつか娘に付き添ってもらい、広島のご住職様の所にご相談に伺いたいと、今思っています。

その内容については、またいつかお話しさせていただきますね。

 

母が亡くなった後、郷里のお墓をこちらに移転しました。
墓地を買い墓石も新しくし、多額の費用が掛かりました。
そのための手続きもとても煩雑でした。
けれど、このお墓の跡を継ぐ人がもう誰もいませんし、
娘達にこれ以上負担をかけたくない、と今思っています。

 

そして、この度のお墓参り。

今年の夏は、例年に勝る、命にかかわるような炎暑。

お墓参りの日の気温も確か35~6度。

ですと、恐らく墓地の気温は、陽を遮るものが何もない上、墓石の照り返しで、私たちの体温より高かったことでしょう。

私も妹も、もうフラフラに。

腰かけられるところを見つけては、何度も休憩。

やっとの思いで、お墓のお掃除を済ませました。

そして、日頃のご無沙汰を詫び、感謝の気持ちを精一杯伝え、お墓を後にした私たちです。

 

 

バスを降り、そこからそれぞれの交通機関で帰途に就く前に、喫茶で一服。

生き返ったかのようにひと息が付けました。

ところが帰宅すると、とんでもないハプニングが待ち構えていたのです。

次回に続くとさせていただきます。

 

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コロナ禍にあって友の有難さが身に染みる

2022-08-17 07:02:16 | 

お盆の話をするのが、時系列的にはふさわしいのですけれど、この話題は後回しにいたします。

実は、おっちょこいの私は、大失敗をしでかしてしまったからです。

その事は、簡単に語れることではありませんので。

きょうは、友の事から先に。

 

コロナ禍で家の中に閉じこもり、友達との交流もままなりませんが・・・・。

メールや電話、時に手紙で安否と近況は知らせ合っているのが現状です。

 

お盆の前には、珍しく男友達からもメールをいただきました。

市政で活躍した人ですから、メールの内容も豊富で、実に興味深くて・・・。

 

彼は知識の泉のような人です。

その上、俳優も顔負けする程にハンサム。

もちろん、ただの友人です。(笑)

でも心から尊敬しています。

 

この電話を使用することはほとんどありませんが、今でもスマホは苦手な私。
通信がデリケートで、音声が聞こえなくなったり、色々なトラブルに相変わらず悩まされています。
最近アップする画像を探すのに大変苦労します。
記事に関係ない画像でごめんなさい。

 

そして、お寺に行く前日には、近所のお付き合いが数十年に及び、親友になったFさんからも嬉しい電話が、都心のマンションからありました。

けれどその時、私はお盆前のため、その準備に追われていました。

郷里にある夫の菩提寺のご住職様にお手紙を認めたり・・・。

他にもいろいろ果たさなければならないことがありました。

 

私は要領が悪いため、気ばかり焦ってしまい・・・。

落ち着いてゆっくりメールのお返事を書いたり、電話でのおしゃべりを愉しむ心の余裕がなかったので。

お盆関連の諸事を無事に済ませてからにすることにしました。

親友のFさんにも、その旨お話し、私からの電話を待ってもらうことに。

 

こうゆう時に限って、アメリカ在住以来の長年の親友、Kさんからも素敵な絵手紙が。

このお返事もできるだけ早く書きたいと、焦る一方の私ですが・・・。

色々同時に手早くできない私ですから、順番に落ち着いて臨むしかありません。

 

絵手紙はシンプルですが、水彩画は本格的なKさんです。

 

男友達とは、このブログにもたびたび登場していただいた、小学校以来仲良しだったH君。

彼からのメールでした。

彼は若い時はテレビも自宅には置かない人で、むろんパソコンも携帯電話も不要と言う人でした。

それでいて、郷里の市政では要所,、要所の局長として大活躍。

一時は市長候補とまで言われた人でしたが。

 

携帯も持たない彼から、突然メールが届いた時には、本当にびっくり。

最初は不振メールではと疑い、開けるのが怖かった私ですが・・・。

送り主の名前を見ると、確かに友の名前。

それで恐る恐る、そのメールを開きました。

 

追伸ですぐ、驚かせたお詫びのメールが届きました。

そこに書かれていたお話によると、息子さんにスマホを強く勧められ、ついに持つことにしたとのこと。

それで私にメールを下さったようです。

 

市政に携わった彼らしく、平和式典のすぐ後でしたので、その感想が簡潔に述べられていました。

その時はすぐ私も、その感想を書いて、H君に返信をしました。

下記の文章が、彼のメールです。

差し障りのない内容なので紹介します。

 

暑中お見舞い申し上げます。~です。
一昨日は77回目の原爆の日を迎えました。平和祈念式典において、広島市長、県知事、国連事務総長が「喫緊の課題として」
核兵器の廃絶に取り組む姿勢を表明したことが、今までと大きく異なったという印象を、小生は持ちました。

現下の世界情勢に鑑み、核抑止力が幻想であり、核兵器の存在そのものが、人類存続の、さらには地球にとっての、危機であるという認識が、
ようやく拡まったという感じです。

小生は、これに加えて、この度、砲撃の標的となった原子力発電所も、廃絶すべきと考えています。核兵器廃絶ではなく、
「核廃絶」でなくてはならない………(年寄りのつぶやき)。

あんなこんなで、一昨日夕はいろんな思いを抱いて、灯籠流しを見ることでし

 

友撮影の広島の精霊流しです
遠方に見えるのは原爆ドーム

 

大学は夫(中高も)の後輩、娘達の先輩に当たります。

もう一人の親友のN君は、急性白血病で亡くなられてしまったので、私にとっては心から信頼できる唯一の男友達になりました。

 

この度の彼から届いた二回目のメールには、原爆の式典意外にに、先日亡くなられたファッションデザイナー三宅一生氏の想い出が語られていました。

彼は広島出身なのだそうですね。

私は知りませんでした。

H君のお母様とも懇意で、家にご挨拶に見えたこともあったとのこと。

とても優しいお人柄の方だったようです。

 

中央が三宅一生氏。左端が友のHさんです。

 

お盆関連の事を無事に済ませ、私から電話を差し上げたFさんとの語らいののひと時も、とてもとても有意義でした。

彼女が冗談で、~さんは話題が豊富だから、話していて本当に楽しい、と言われましたが・・・。

その話題は、いつも私の失敗談ばかり。(笑)

今回は、施食会の法要料をお寺で納め、お墓参りから帰宅後のとんでもない私の大失策の話でした。

心から信頼している彼女には、なんでも包み隠さず話せる間柄なんです。

 

私より一回りお若くて、今小さなお孫さんのお世話に追われ、日々多忙でいらっしゃるのですが、社会経験も豊富で、とてもしっかりした方。

長年にわたり、彼女にはとてもお世話になりました。

今回も実に的確なアドバイスをしていただき、助かった私です。

跡を継ぐ人が居ない、お墓の問題が、彼女のお蔭で一気に解決が付き、今はとても気持ちが晴れやか。

 

絵手紙を届けて下さったKさんも、お人柄はFさんにそっくり。

私は家事一筋で面白味のない人間なんですが、なぜか親しい友人には、社会で活躍する才能豊かな人が多いです。

そして人格が麗しくて、尊敬して止まない人達ばかり。

 

前回の記事で、私は人生運が強かったと書きましたが、友達でも同様の事が言えそうです。

彼女とは、7月に梅の花で昼食を共にしておしゃべりを愉しむ予定にしていましたが・・・。

コロナ禍が異常な状況で、私は四回目の接種をまだ済ませていなかったので、今回は中止。

日を改める事にしました。

 

コロナが一向に収まらず、慎重な私は、友とも家族とも交流は極力控えていますが・・・。

固い絆は変わることなく、その存在を思い出すだけで、何だか安心していられます。

とは言っても、今の世の中の状況は、余りに厳しくて悲しい。

一日も早く、心から安心して住める世の中に戻ってほしいものですが。

その明るい兆しは一向に見えませんね。

 

異常気象にによる風水害、地震の多発、この度のコロナ禍。

人間の自然を無視した傲慢な振る舞いの付けかもしれないと思うと、それなりに納得してしまう私です。

不平不満を言っても、どうなることでもありませんから・・・。

身近なささやかな幸せを抱きしめて、元気に過ごすことにいたします。

 

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四回目のワクチン接種への不安

2022-08-15 06:52:43 | 備え

四回目のコロナワクチン接種の予約がやっと取れました。

私の住む地域の個人医院にも当たりましたが、上手くいかず、市の予約センターを頼り、結局、集団接種会場で受ける事に。

場所は、我が家からは少々遠い。

電車の乗り換えもあります。

その上、今回はファイザーでなくモデルナの接種。

何だかとても不安な私です。

 

三回目の接種の時は、後の副反応が結構きつくて、辛かった私ですから。

一両日熱が高くて、時間の感覚が全くなくなり、夜だと思ったら朝だったり、お昼だと思ったら真夜中だったり・・・。

副反応が割と軽いと言われるファイザーでさえそうでしたから。

二回目の接種後には、湿疹が両腕に出て、未だにその箇所の皮膚はざらざらしていて、以前とは異なったままです。

 

 

何時まで私たちは、このワクチンを打ち続けなければならないのでしょうか。

私は自己免疫力と自己治癒力の信奉者で、極力お薬に頼らない生活をしてきましたのに、今の接種を繰り返していると、私の今までの努力が台無しに。

薬漬けになり、本来の体の免疫力が低下してしまうのでは、と不安で仕方ありません。

 

だからと言って受けない決断をする勇気もなくて。

気持ちはいつも、中途半端なままの私です。

 

国が経済重視に大きく舵を切り、行動制限などをまるでしなくなりましたが・・・。

高齢者は何だか見捨てられたような気分になりますよね。

岸田政権の支持率低下が、年配層で特に顕著なのは、このあたりに原因があるのでは。

お年よりは見捨てられた。

そこまでひがむのも嫌ですけれど。

 

 

このままウィズコロナの世界になり、インフルと同じ対応になるとしても、何かがインフルエンザとは違って見え、私はとても怖いです。

見えないウイルスに怯えながら、人生を愉しむのも、なかなか大変。

勇気のある人とそうでない人で、暮らし方がまるで変りそう。

私は勇気がないので、今後も外出は控えめになるでしょうが、おうち大好き人間で、本当に良かった。

家の中にいても、友達との交流は意外に盛んな私です。

次回では、そのお話をさせていただきます

 

紳士用のパジャマも種類が豊富です。色々な柄で三枚お買い求め下さいました。

 

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続 我が家の家計

2022-08-13 06:56:40 | 暮らし

前回の記事の続きです。

恐らく、遺族年金だけでしたら、貯金は無理でしたでしょう。

統計によると、年金収入の暮らしだと、毎月の生活費が5万円位赤字になると言われていますものね。

 

私も年金のみで暮らす老後が待っていると思っていたのですが、思いがけず、被爆者の健康保険手当の給付が毎月受けられるようになり・・・。

更に夫が亡くなってからは、アメリカ遺族年金の支給も始まりました。

アメリカ年金は今の円安で、受給額が一万円くらい増えています。

 

Aが遺族厚生年金 Bが私の国民年金 年金Aがアメリカ遺族年金 年金Bは被爆者の健康保険手当ににしています
雑収入は、ドル建ての終身保険の利息などです。
毎年この利息が、9月に振り込まれますが。
私は今までは、収入AとBだけ暮らしてきました。
今後もひたむきにこの方針を貫くか、もう少し贅沢な暮らしを良しとするか、とても今迷っています。

 

アメリカ年金が夫婦それぞれに支給されるなんて、夫が年金暮らしになる直前まで、二人共、全く知らない事でした。

夫の赴任で米国に在住以来、ずっとお付き合いが続いている、親友のKさんが教えてくれました。

これを聞き、同じころドイツに滞在していた妹は、ドイツ年金もあるのでは、と調べたようですが、ドイツ年金はなくて、とてもがっかりしていました。

 

被爆者の健康保険手当を受けるようになったのも、年金暮らしになってしばらく経ってからの事。

私は被爆者ですから、一生、保険が適用される医療費は無料なのですが・・・。

この制度の利用を始めたのは、マイホームに転居した40代前半の頃から。

被爆者手帳を再発行してもらってからです

それまでは、結婚後ずっと医療費を払い続けていた私。

今思うに、呆れるほど無欲な私でした。

 

ところが、齢を重ねるうちに、金銭感覚も次第にシビアになっていきました。

被爆者の健康保険手当も、審査が通る期待何て、全くゼロだったのですが・・・。

我が家からは遠く離れた病院に出かけ、診察を受け相談した所、すぐOKが出ました。

その先生はその審査をする一員でいらしたので、その受給の確信をその場で得られた私です。

何事も最初から諦めないで、当たって砕けろの精神で臨むことがとても大切。

その時、しみじみそう思ったものです。

 

一方では欲にかられ、株式投資を始め、ひと財産を失うといった、いくら後悔しても後悔しきれないような禍根を人生に遺すことになってしまい。

矛盾だらけの私です。

 

当座帳の8月2日の記帳です。
食料品はすべて副食の項目に割り当てています。
この日は5キロのお米を購入しましたので、食費が高くなりました。
このお米の量で、二か月半位は持ちます。

 

失敗はさておき、妹には時々羨ましがられます。

「私はAさんが亡くなると、収入は年金だけだから、お姉様のような余裕のある暮らしは絶対無理よ。

貯金を下ろしながら暮らすことになると思う。

と言います。

 

この点からも私が思う事は、私の人生は常に強運に恵まれていたということです。

何故って、私は優柔不断で、とても慎重なところがある一方、どこか抜けていて、娘達にもよく笑われますが・・・。

人生における選択と決断には、間違いがあまりなかったようにも・・・。

 

そのもっともたるものは、帰国した時、六年生だった長女の、中学入学における選択と対応、不動産の購入とマイホーム建築に当たっての選択と決断です。

このことを説明するとなると、結構大変。

私の文章力でうまくお話できるか、自信はありませんが。

又いつかお話してみたいです。

 

と、少々得意げに書きましたが・・・。

私は人生の選択で驚くほど幸運に恵まれたことが、私一人の力で成し遂げられたこととは、どうしても思えません。

神様が導いてくださった。

そう思い、感謝の気持ちを忘れないで過ごさなければ、といつも思っています。

 

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我が家の家計

2022-08-11 07:09:35 | 暮らし

妹の指導を受け、婦人の友のデジタル用、「クラウド家計簿 kakei+」にしてからは、月単位、年単位でも、一目で我が家の家計収支が解かるようになりました。

去年の7月からスタートしたので、年収支はやっと丸一年になります。

それ以前は、30代の後半くらいから、やはり婦人之友の手書きの家計簿を使用していましたが。

使い勝手と便利さはまるで違います。

デジタルの方が、遥かに素晴らしいです。

 

 

 

非常によくできた家計簿なので、手書きの家計簿より、記帳も簡単なはずなのですが,・・・。

まだ完全には理解できてないところもあり、時々妹の指導に頼っています。

教えてもらうにあたり、私の家計の費目と予算、諸々のカードのインターネットサービスのログイン番号、インターネットバンキングの暗証番号までも、ほとんどすべて妹に伝えました。

妹は最初、知ることを躊躇しましたが・・・。

絶対的に私が信頼しているAちゃんですから。

そうしたお陰で、私の記入ミスをすぐに指摘してくれたり、修正してくれたり、時には記帳まで、妹が先にしてくれます。(笑)

私は大助かり・・・。

 

私達の夫は仕事が同業種で、収入もほとんど変わりませんでしたから、このようなことも平気で出来てしまうのだと思います。

年金収入も変わらなかったのに、今は格段の差。

わたしは遺族年金暮らしの身。

妹がちょっと羨ましいですけれどね。

 

先日も、遅く東急カードに連絡が入るドコモの請求金額を、妹が記帳しておいてくれました。

皆さまはスマホ料金はどのくらいになられるのでしょうか。

我が家はいつも一月で12000円前後です。

これが高いのか、安いのか見当もつきません。

もっと削ることは可能なのでは。

とても気になる出費のひとつです。

 

HitoHanaの長女からの定期便のお花です。
いつも本当にありがとう。
そしておめでとう♬
これについては、まだ最終決定ではないので、ブログ上の記述は控えます。

 

今年も、割と順調に、収入の一部を積み立てる事が出来ています。

夫が亡くなってからは、毎月の貯金額を決め、その目標が実現できなかったことは、余程の大きな臨時出費がない限りありませんでしたが。

最近は、目標達成が叶わない月が出てきて、私は焦って、悩ましい気持ちに時々陥りますが・・・。

妹が言うには、月単位の収支を気にするのではなく、年単位の収支を見るように心がけないとだめ、と。

確かに年収支で見ると、ほぼ目標は達成できているようにも。

 

手書き家計簿の時は、固定資産税などは、月割にして記帳していましたが、今は4期の支払いの額をそのまま付けていますから。

目標達成ができない月があるのはやむを得ない事なのでしょう。

固定費の中では、固定資産税の負担が、我が家は一番大きいです。

 

更に今年から、住宅総合保険を倍額にしたので、今までより、目標達成が厳しくなって当然なのかもしれませんが。

年間収支の残高を見ると、我ながらよく頑張っていると・・・。

自分に努力賞を上げたい気分かな。

 

とは言ったものの、私の遺族年金の家計の収支は余り自慢できることではありません。

長くなるのでこの続きは次回とさせていただきます。

 

ニシキのネグリジェと紳士用のパジャマをお買い求め下さった方がいらっしゃいました。
有難うございました。ネグリジェは、見本の二番目の柄です。
この柄でしたら、エプロンをかければ室内着としても通用しそう。

 

この紳士用のパジャマもお買い求め下さった方がいらっしゃいます。
お役に立ちますように。

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多くの訃報に接し・・・

2022-08-09 07:31:52 | 人生

私には尊敬して止まない叔父叔母が幾人もいましたが、ほとんど全員旅立たれてしまいました。

敬愛して止まなかった友人にも、先を越され、逝ってしまった方達が何人もいます。

寂しい限りですが、これは世の常ですから・・・。

私がその日を迎えるのも、然程遠いことではないでしょう。

 

その訃報が届く度に、お通夜やお葬式に、時には新幹線で向かったり・・・。

都内や近隣県であれば、慣れない道のりをやっとの思いで辿り、通夜や葬儀に参列してきました。

幾年たっても、忘れ得ぬお別れの儀式ばかりでした。

 

 

友人と親戚のみを時系列に辿ると・・・。

私の大学時代の大親友あっちゃんの告別式があったのは、私がまだ50代の頃のことでした。

クリスマスシーズンで、瞬くイルミネーションがとても美しいカトリック教会の大聖堂で執り行われました。

信者で心がとても清らかだった友に相応しい式に、強く胸を打たれたものです。

 

お見舞いの内祝いに添えられていたカード。
今も私の宝物で、大切にしています。

 

松山で、正岡子規の博物館の館長となり、ご活躍された、高校担任のH先生の松山にての葬儀。

この時は訃報が届いた翌々日には、私は松山へと。

私が一方ならずお世話になった恩師でした。

 

そして、高校時代の親友、Iさんの葬儀。

親友と言っていいほど親しかったママ友さんTさんIさんの葬儀。

ママ友さん達は同じ沿線にお住まいでしたので、季節ごとにお食事会。

そんな仲で、彼女たちの麗しい人柄は、今も懐かしくて・・・。

まだ亡くなられたことが信じられないくらいです。

 

更に、小学校時代からの幼友達で、名前で呼び合えた男友達N君の盛大な告別式。

そしてコロナ禍になる少し前に、亡くなられた従兄のSさんと叔母のTさんの葬儀等々。

 

葬儀の写真は撮ったことはありませんが、上の画像は、
名前で呼び合えた幼友達N君の葬儀の前に撮影した珍しい画像です。

希望が平服とのことでしたので、インナーはシルクの柄のブラウスにしました。
実業家でいらっしたので、広島のリーガーロイヤルホテルの大広間を貸し切っての立派な式でした。
彼は、爆心地から一キロの所で被爆。
お母様は熱風に耐えられず、お宅の前を流れる川に赤子のN君を抱きしめて飛び込まれたようです。
それでも74年の生を全うし、活躍
そして最後は被爆が原因だったのでしょう。急性白血病で亡くなられました。
前の記事にも関連するので取り上げました。

二人で中学時代に家庭教師をしていただいたK先生を訪問した時の写真です。
先生は兵庫大学の名誉教授でドイツ文学が専門でいらっしゃいました。
先生も7~8年前に亡くなられ、その後ふたりでまた、弔問のためにこのお宅を訪ねました。

 

こんなことを綴っていると、何だか胸に迫るものがあり、悲しくなってきます。

自分の年齢を考えれば、当然のお別れだった人もいますが・・・。

皆さん、とてもお世話になった方達ばかり。

私は何か一つでもご恩返しができたかしら、と思うと、悔やまれることだらけです。

 

最近では、二年前に亡くなった従兄のSさのお別れも、惜別の思いがし、とても悲しい出来事でした。

私にとって憧れの人でしたから。

私が婚約時代の事。

Yさんとデートするために、徳川家の旧お屋敷を通り過ぎたすぐ先にある、目白の叔母のお宅に、度々泊めていただいたものですが・・・。

ご長男だったSさんがあまりに素敵で、浮気してしまいそうなくらいでした。(笑)

 

まだ乙女の頃からの憧れのお兄様で、一時は、私との結婚話も出たくらいでしたが・・・。

血縁関係で血が濃すぎるとかで、その話は進まなかったようです。

それだけに、Sさんの訃報は相当なショックだった私です。

 

 

最近届いた訃報もそれと同じくらい、ショックな出来事だったようにも・・・。

父の妹に当たる叔母さまの訃報です。

年齢は88歳になられていたので、驚くような報せではないのかもしれませんが。

郷里の広島では、娘時代、結構交流がありました。

祖父母の家に遊びに行くと、良く会いました。

 

国立大学で学んだ声楽を生かして、音楽の教師に。

とても聡明で明るくて、何故か、清少納言のような女性、と言われていた時も。

とても賢くて、ウイットに富み、話術が巧みでいらしたからでしょうか。

顔は私に似ていて、でも性格は妹にそっくりかな。

退職してからも、医療ボランテイア始め、多岐にわたって色々活動されていたようです。

 

専業主婦一筋の私と違い、高い能力を備えた叔母様を私は尊敬していました。

4年前、お姉さんに当たる叔母が99歳で亡くなられた時の事。

その葬儀で、広島から上京されたH叔母様に、私は久しぶりにお目にかかることが出来ました。

その時の私の印象は、年齢よりはるかに若々しくみえて、とてもお元気そう。

声楽で鍛えた通る声は相変わらずで、笑顔が美しいおばさまでした。

ですから、この度の突然の訃報はとても信じられなかった私です。

 

眠るように亡くなられたと伺い、随分心が慰められましたが。

コロナ禍でなければ、新幹線に乗り、妹と駆け付けていたことでしょう。

それが叶わず、妹ととりあえず弔電と、妹との連名で大きめの供花をお届けしました。

 

葬儀の時は、妹が色々手配してくれたので、四十九日におけるお悔やみのお手紙は私が認める事に。

妹との連名のお香典を添えて。

 

お手紙を認めるのに、時間がかかりました。
想いが溢れ、お悔やみの手紙なのに長文になってしまいました。

 

とてもお元気そうに見えた叔母の訃報に接し、妹も私も最初は言葉を失い・・・。

妹に、弘子お姉様(私たちはこう呼んでいました)と同じ年に亡くなるとしたら、お姉様は後十年の命よ、と。

そんなに長く生きられるかしら?

なんだか、死が急に近づいた気持ちになりましたが・・・。

今の私にとって大切なことは、残り少ない日々をいかに充実させ、悔いなく過ごすことが出来るか。

ある方のブログのタイトル、「だんだんと美しくなる人生」。

この言葉、大好きです。

そうありたいですが、私にとっては。あまりに高すぎる理想かな。

先の死を意識しても仕方ない事。

その日は、神様の御心に委ねることと致します。

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原爆の日 奇跡的に命拾いした両親と私

2022-08-07 07:22:17 | 人生

8月6日の原爆記念日を、わたしは今年も元気に迎えることが出来ました。

私がこの世に誕生し、一年半後に起きた壮絶な悲劇でした。

この日を迎える度に思う事は、生死を分けたこの日の我が家の命運です。

父の事は、少し前の記事でも触れましたが。

前日まで出張に出かけ、その翌日は30分出社を遅らせて良かったために、奇跡的に助かりました。

 

画像はすべてテレビの映像を撮影した物です

 

同様の事が母にも言えます。

我が家の後ろの通りの奥様たちは、全員亡くなられたようです。

何故なら、勤労奉仕の順番の日だったからです。

もし8月7日が、原爆投下の日であれば、我が家は全滅でした。

父は定時に出社し、母も私を背負って勤労奉仕に出かけていたでしょうから。

 

 

その当日、焦土と化した市内を通り抜け、会社まで出かけた父の脳裏には、その悲惨な状況が頭にこびりついて離れる事は、一生無かったでしょうに・・・。

私が物心ついてからも、父も母も原爆の日の話を詳しく語ることは、全くと言っていいほどありませんでした。

たまには話して聞かせてくれたのかもしれませんが、私の記憶に余りありません。

 

それが教育上、正しかたかどうか?

それは何とも言えませんが・・・。

私は聞かされないで育ったことは、幸いな事だったのかもしれない、と思っています。

その負い目を感じないで、成長できましたから。

 

幼い時から、虚弱体質の所があり、よく熱を出し学校も休みがちでしたが・・・。

その時も、被爆のせいと思ったことは一度もなくて。

心に被爆者の意識が影を落とすことなく、成長することができました。

 

 

ところが、ある時から、自分は被爆者で、放射線の影響をもろに受けている人間、と強く思うようになりました。

その契機は、東日本大震災です。

SNSが普及し、誰でもネット空間で自分の思いや意見を語れる時代ですから、やむを得ない事と思うのですが・・・

その当時は、専門家だけでなく一般の人も声高に放射線の恐怖を叫ぶようなりました。

東京脱出と言う人もいる程でしたから。

 

それを目や耳にするたびに、福島を始めその近隣県に住む人たちの不安を案じないではいられなかった私です。

専門家の分析に任せ、もう少し声を落として語れないものかと。

被爆者である私自身も、そのせいで、とても複雑な気持ちに、当時はなりました。

 

 

幸いにも、次女のお婿さんは、科学者でしたから、私は彼の話を聞き、随分不安が和らいだものです。

でもそれ以来、私は3キロの地点で被爆した人間といった意識は以前より遥かに強くなり、今日に至ります。

もし今、被爆が原因で癌などの病を患っても、もう十分人生を生きながらえられましたから、被爆者の負い目を感じる事は全くありませんが。

 

昨日の平和式典は、かってないほど真剣に視聴した私です。

今ほど、将来の平和に確信が持てないことは、今までにはなかったからです。

子供達、孫たちの代まで、核兵器の使用は無論、戦争のない平和な世の中がはたして続くでしょうか。

平和への願いに包まれた平和式典を見ながら・・・。

平和の鐘の音に耳を傾けながら、

 

 

今の穏やかな暮らしが、孫の世代になるまでも、ずっと続きますように、と真剣に私は祈りました。

今後も被爆国の日本は、核兵器廃絶の実現のために一層尽力していただきたいと、強く願っています。

 

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過ごしやすい今年の夏~エアコンのクリーニング

2022-08-05 07:13:59 | 暮らし

今年の夏は例年より過ごしやすい、なんて書くと、皆さんに意外と思われそう。

それを覚悟で、私の今の心境を綴ります。

今ではありません。

8月2日までの気持ちと言うのが正確かな。

何故なら、8月2日の夜、私は初めて熱帯夜を経験したからです。

 

それまでは、クーラーのない元子供部屋で、私は寝ていました。

余談ですが、私は若い頃は、子供部屋にクーラーを取り付けるのは子供を甘やかしすぎになる。

そう思っていました。

その頃は今ほど暑くありませんでしたから。

それが良かったのでしょうか。

辛抱強くて、とても丈夫な子に育ちました。

 

最近また睡眠が浅くなってきたようで、長くても6時間足らずしか眠れませんが・・・。

アイスノンを抱きしめて就寝すれば、暑くて寝苦しいと思ったことは一度もありませんでした。

毎日、テレビでは危険な暑さと言った表現で、注意を喚起する報道をよく耳にしますけれど。

でも、私の感想は、例年の夏よりも、今年は過ごしやすいだったのです。

もう一度繰り返しますが、8月2日までの事です。

 

事実、電気の使用量を去年と比べると、今年の方が少ないです。

私は東京ガスから届く、前日の電気、ガスの使用量を必ず大学ノートにメモしています。

そして昨年の使用量と比べています

7月は、電気の使用量が昨年より多少多かったのは一日だけ。

妹にその話をすると、驚かれました。

 

 

恐らくその理由の一つとして挙げられるのは、久しぶりに業者さんに来てもらい、エアコンの掃除をしてもらったからでしょう。

とは言っても、クリーニングをお願いした当初、我が家の床置き式エアコンの場合、壁掛けのように本格的な掃除をすると、費用が5万以上かかると言われ、私はびっくり。

それで、安い料金で出来る範囲の簡単な掃除で満足することにしました。

 

格子戸の戸を開けると設置されたエアコンがあります。
業者さんに、使用する時は、戸は全開してくださいと言われました。
半開きだと冷暖房の効率がぐっと下がるそうです。

 

棚の上に置いてある、蚊取り線香立てです。
毎日使用しています。

 

居間の二つのダイキンのエアコンは、意外にもとてもきれいだったようで、料金も半額にして下さいました。

一方、私が一日のほとんどを暮らすファミリールームの日立のエアコンには、思わぬ盲点がありました。

正面の二枚の大きなフィルターは、時々洗っていたのですが・・・。

それ以外に床と平行に取り付けられた小さなフィルターがあることに、私は長い間、全く気が付かなくて・・・

そこが埃で目詰まり状態でした。

そのために、空気の流れがとても悪くなっていたようです。

 

そこを掃除したことが良かったのでしょう。

昨年の夏より、クーラーの調子がとても良く、お部屋の温度が設定した27~8度にすぐなり、とても快適。

その上、消費電力量も、明らかに去年より少ないです。

今は二週間に一回、必ずフィルターの掃除をするようにしています

 

ファミリールームの日立のエアコンです。

 

けれど、一昨夜(8月2日)は初めて熱帯夜となり、とても寝苦しかった私ですから。

今後の電気代は、去年の範囲内では収まらないかもしれませんね。

ちょっと不安だけれど、どんなに暑くても、私は冬よりはましな人間。

夏女ということにしておきます。(笑)

でも体調は、ネット上で色々あり、その上暑さのせいもあって、最近は今一つ。

嫌な倦怠感が襲ってくることが多くて・・・。

 

そういう時は、惜しまず、ニ十分横になるように心がけています。

時には、一日2~3度横になることもありますが、その後は一気に息を吹き返し元気になれる私ですから。

この短い仮眠は、私の暮らしにとってのゴールデンタイム。

これからも大切にするつもりです。

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2枚のワンピースの悲喜こもごも 

2022-08-03 06:55:25 | おしゃれ

今日は他愛無いお話で、少々恥ずかしいのですが・・・。

こんな事、断る必要なんてありませんよね。

私のブログは純粋な個人日記。

いつもプライベートな他愛無いお話ばかりですから。

 

今日は、二枚の私のワンピースの、悲喜こもごもの出来事を話題にします。

私は、数か月前位からでしょうか。

突然、二キロくらい痩せました。

ダイエットの意識は皆無だったのですが・・・。

とは言っても、体重は52キロ前後。

一時的に50・5キロまで落ちました。

結婚した当初は41キロ。

夫の海外赴任で米国に渡る頃は、46キロ。

帰国時はすっかり肥えて、何と56キロに。

そして両親を介護している時は色々大変で、体重が48キロまで落ちました。

 

そして今、私は、自分の理想体重は48キロ、と思っている節があります。

何故って、その頃、親戚や妹にも、よく褒められたからです。

両親の葬儀で数十年ぶりに会った従兄たちには「相変わらず~だねえ~」とか、

妹には「どうしたの?今日のお姉様、とてもきれい」とか。

入院のお見舞いに妹が来た時も、素顔なのに、似た感想を言ってくれ、嬉しかったものです。

 

いくら年を重ねても、その言葉で褒められると、女性は、お世辞と分かっていても、嬉しいものですよね。

でも今は、二キロ痩せたのだけれど、そんな褒め言葉をかけてくれる人は、もう誰もいません。

 

  

このグレーのワンピースです。
アンサンブルになっていて横の組み合わせがその画像です。
フォーマルな雰囲気なのでめったに着る機会がありませんでしたが、
ワンピースはとても重宝します。

 

但し他に、とても嬉しい事がありました。

今まで長い間、着れなくなっていたワンピースが、突然体にぴったり合うようになったのです。

何故かそれまでは、いつも背中が膨れてしまい、体に合ってくれませんでした。

ブランド品なので、仕立ても良くて、シルエットもとても素敵。

ですから、使用できなくなり、残念で仕方ありませんでしたが・・・。

このワンピースが着れると、色んな組み合わせができ、洋服が4~5枚増えた感じに。

思わず、嬉しい!と叫びそうになりました。

 

 

こんなコーデも愉しめそう。

片隅に置いたバッグ、何だか嬉し気で恥かしいですが・・・。
去年の暮れに、ブランドバッグを三つ買い取ってもらい、その代金で購入したものです。
カジュアルな雰囲気で気軽に持てるので、とても気に入っています。
愛用できるバッグは、これだけになってしまいましたので、一生大切にするつもりです。

 

ところがです。

まるでその喜びを台無しにするようなことが、また違うワンピースで起きました。

グレーのワンピースは、確か50代の頃、購入したもの。

私の物持ちの良さは、我ながら凄い!と思うのですが・・・?

良いものを数少なく持ち、一生使用する。

これが私のモットーで、流行は全く気にならない性格ですから。

 

一方、新たに悩ましいことが起きたワンピースは、コロナ禍になる二年位前に購入したばかりの物。

そのお店は、高島屋デパートの中にあり、グレーのワンピースを求めたところと同じでした。

体重は今より多少多目と言った感じ。

その時、9号の商品は、全国のお店をくまなく当たってくれたものの、すべて売れ切れ。

それで、7号も何とか着れたので、腰のあたりを少し広げてもらい購入しました。

 

そして、ひと月ほど前の事。

妹と会う日に着用しようとしたところ・・・。

一応着る事は出来たのですが、背中のファスナーがどうしても途中から上に上げられない。

後10センチのところで、どんなに頑張っても、それ以上ファスナーを引き上げることが出来ません。

それでも一時間位格闘し、やっと上まで到達。

 

 

その日はいつもより体が硬くて、手が回らなくなったのでしょうか?

齢を重ねると、体が次第に不自由になり、若い時には簡単にできたことが難しくなる。

その一例を実感したような気分になりました。

 

    

ワンピースはいろんな組み合わせが愉しめて、とても重宝します。

 

それで、また後日、同じ服を着て出かけたいと思った時は、出かける前に慌てないで済むように・・・。

早朝から、そのワンピースを着て過ごすことに。

何故か、その日は問題なくすぐ着用出来たのですけれどね。

 

どんなに頑張っても、背中のファスナーを、自分では上まで上げられない。

そんな日が訪れるのは、もうそれほど遠くない事なのでしょう。

訪れる不自由な暮らしを、少しでも快適に過ごせるように、今からいろいろ工夫しておきたいものですが。

何をどうすればいいのか、今のところ、よく分かりません

 

朝のラジオ体操は、ほとんど欠かさず毎日行っていますが・・・。

将来の事を考えると、やはり不安。

自立した一人暮らしをいつまでもが、私の理想なのですけれどね。

 

この画像は、随分前に撮りました。
今は男性の方が二名メンバーの中にいらっしゃいます。

 

デザインも気に入って、私がとても愛用しているピッチャーです。
いつも麦茶を入れています。
もう一本欲しいのですが、まだ買っていません。
冷蔵庫のドア側のラックにも収まりが良く、とても重宝しています。
一生大切にするつもりです。

 

先の事をくよくよ心配しても詮無い事。

「今日が一番素敵」の思いで、掛け替えのない一日一日を大切に過ごす。

私の願いはそれに尽きますが・・・。

それが結構難しい。

体調にも左右され、リズムが狂うと、理想とは程遠い一日になったりもよくします。

せめて、前向きの気持ちだけは失わないで、心映えを明るくして過ごしたいものです。

 

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