今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

私が模範とするすべての親しい友人たち

2015-08-23 07:27:25 | 

今日の記事は、昨日の続編、といってもいいような内容です。

二名の友人達と、四月に会って以来の再会を果たしたお話です。

本当は五月の連休明けに会う約束になっていましたが、一人の方が私に似て、坐骨を骨折され、延期になりました。

昨日の記事で触れた方々とは違いますが、Nさんは、同じお仲間のお一人です。

 

いつもながら、また心やすらぐ有意義なひと時を持つことができました。

いつまでも、その余韻をかみしめている私。

友人達も同様らしく、「また近いうちに会いましょうね~」が私達の別れる時の合言葉です。

 

先日出かけたところは、Uさんが入居しておられるオリックスが経営する介護施設。

昨年の春に入居されて以来、6度目くらいの訪問になります。

いつもは、彼女をお迎えに上がり、外のレストランでお食事をすることが多い私達ですが。

この度は、骨折に見舞われた彼女が、車の昇降は無理なため、施設内のレストランで会うことになりました。

 

今回はカメラを忘れ、写真が撮れませんでした。
すべて過去の画像です。

 

いつお訪ねしても、この施設への私の好印象は変わりません。

参考までに、この施設入居のための経費をお伝えしますね。

頭金がおよそ1千万円、毎月21万円の支払いのようです。

お小遣いさえ残せば、日々の暮らしに不自由しないようでした。

 

自分もこの施設なら入居してもいいかなぁ~、と。

私の希望は、最後まで自宅で過ごすことですが・・・・・・・・。

止むを得ない事情ができれば、彼女のように潔く決断したいものです。

 

 

このレストランで頂いたお料理は、薄味でとても美味。

昼食にもかかわらず、豪華でびっくり。

その日のメニューから、それぞれ違うメニューを選び、お互いに分け合って、味見までさせてもらいました。

入居しておられるUさんは、サバの味噌煮定食。

Tさんは、オムライス定食。

私は、ハンバーグ定食でした。

お野菜のソテーが添えられたハンバーグに、サラダ、ソラマメのスープ、プリンといった献立です。

 

いつもと変わらず、和やかな語らいがいつまでも続き・・・・・・。

友人達と共に過ごす幸せなひと時を、この上なく嬉しく思いました。

 

Uさんから届いたお手紙の一部です。
病状が進行するにつれ、筆跡が乱れて行きました。
不自由な手で、一字一字心を込めて綴ってくださった心温まるお手紙。
私の宝物です。

 

明るくて屈託のない私達ですが、実際は、それぞれに人生の重い課題を抱えています。

けれど揃って、割と楽観的でプラス思考の私たち。

直面する人生の課題も何のその。

多少のやせ我慢はあるものの、何とか乗り越え、前向きに元気に暮らしている、といったところでしょうか。

 

施設に入居しておられるUさん。

同様のご紹介を数度した覚えがありますが、また述べさせていただきますね。

私より三歳年上です。

彼女は、重いパーキンソー病を患って、既に十数年が経ちます。

次女の中学入学以来のお付き合いですが、お元気なころは、それはそれはおしゃれな方でした。

お尋ねしたところ、コシノヒロコさんの洋服が好きでいらしたようです。

 

今回お訪ねしたとき、ご主人様とのツーショットの想い出写真をたくさん見せて下さいました。

なんて素敵な彼女でしょう。

ご主人様は小柄ながら、ご風格があり、実に魅力的な方。

私は2、3度お目にかかったことがあります。

彼女の清らかな優しいお人柄とご主人様の温かさが十二分にうかがえる微笑ましい幸せ溢れる写真の数々。

しばし見惚れ、目が離せなくなってしまった私です。

海外旅行先の写真、お仲人をされた時の留袖姿のお写真。

十数回仲人を経験されたようでした。

気配りの行き届く優しい彼女に介添えされた花嫁さんは、緊張した気持ちがほぐされ、さぞや心強かったに違いありません。

 

Uさんから暑中お見舞いの葉書とともに届いた贈り物です。
さりげないお気遣いの数々に、私は感激してばかり。
私は彼女の誠意に応えられているでしょうか?

 

しかし、そのご主人様が、一昨年の秋、その奥様を残して、学会出席のための旅先のホテルで突然亡くなられたのです。

手となり脚となり奥様を介護なさっておられたご主人さまの突然の逝去で、境遇が急変してしてしまわれた彼女。

その悲しみは、私達の想像も及ばないほど深いものでしたでしょうに、

 

お人柄は、以前と全く変わりなく、細やかな気遣いができる、心優しい彼女。

お元気なころの颯爽としたお姿は、今は見る影もありません。

けれど、心は凛とした佇まいで、実に清々しい雰囲気のする方です。

愚痴や弱音を彼女から聞いたことはほとんどありません。

たまにあっても、すべてユーモア溢れる語り口。

そのため、楽しい話題になってしまいます。

 

見習うことがいっぱいの彼女。

私の人生の模範です。

いつも彼女を見舞い励ます気持ちで出かける私ですが、かえって私が励まされています。

 

最近届いたUさんからのお手紙。
私の体を心配し、優しいご助言が述べられています。
判読できないところもあるほど字は乱れています。
彼女の真心に心打たれ、感謝溢れる思いで、何度も拝読しました。

 

もう一方のTさんも、彼女同様、私の模範となるような素敵な方。

何処に出かけるにも、いつも大きな車を出して運転役を買ってくださる彼女。

夏の暑い日差しを避けて、手袋を運転中はなさっています。

その理由を伺ったところ、長年茶道をたしなまれていて、お点前をするにあたり、手がきれいでないといけないから、と手の日焼け予防を心がけておられるとのことでした。

 

そんな優雅なお暮らしながら、昨年誕生されたお孫さんへの心配は尽きないようです。

500gの小さな体で誕生されて以後、ご家族が必死で見守る中、保育器で命をつなぎ、やっとの思いで、この世にデビューした赤ちゃん。

今も、そのハンデイーを抱えでいるお孫さんのことを心配しつつも、目を細めて愛しさいっぱいの表情で、明るくお話なさるTさんです。

お孫さんの成長記録の可愛いアルバムも見せて下さいました。

何事も明るく前向きにとらえようと心がけておられるTさの心情が、痛いほど身に沁みてきました。。

Uさん同様、敬服するばかりの私です。

 

重いパーキンソー病ながら、激変した境遇をも乗り越え、日々を元気に大切に過ごしておられるUさん。

将来があるお孫さんの心配を抱えながら、いつも明るくて心優しいTさん。

 

その方達のの大変さを思うと、私の心労など軽く思えてきます。

 

ひまわりのように、空を仰いで・・・・・・

 

それぞれに苦労を抱えて生きている私たちですが・・・・・・。

会ってお話する限りでは、みんな明るくて元気。

弱気も強気もごちゃごちゃ。(笑)

辛い話題を、笑顔とユーモアで今のところ吹き飛ばし、励まし合っています。

 

昨日同様、友人の有難さをしみじみ思いながら、今日の記事を書きました。

 

最近は、時の誤差が甚だしい綴りの我が日記ブログ。

時々、今に戻ったりと・・・・・・。

お読み苦しい点は、ご容赦くださいませ。

 

その後、まだまだ波乱続きの我が家です。

友人と別れた日の夜遅く、夫が救急車で病院へ。

そのまま、今も入院継続中ですが、回復傾向にあります。

私自身も理学療法のリハビリテーションに通い、身体を整えながら、何とか元気に夫介護の日日を送っています。

 

また数週間のお休みを取らせていただきます。

この猛暑も、秋風が立つ日まで、もうしばらくの辛抱ですね。

夏のお疲れが出ませんように、くれぐれも自愛くださいませ。

一連の拙いブログに、わざわざお立ち寄り下さいました皆様、本当にありがとうございました。

 

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友人との約束が気になって仕方ない私 

2015-08-22 07:56:35 | 

友人との約束が、気になって仕方ない私ですが・・・・・・。

自分の事をこなすのが精いっぱいの日々。

夫が入院している間に、といつも思いはするものの、気が抜け、どっと疲労が増すのもこの時。

普段なかなかできない事を、その期間にやり遂げようと思う私です。

けれど、抗がん剤治療の五日間入院は、あっという間に過ぎてしまいます。

病院にも通わないといけません。

 

約束が二度も流れて、その後実現できないままになっている、親友、Kさんとの会食。

大変お世話になってきました。

そのお礼もかねて、お昼会を持ちたい、と常々思い続けてきた私です。

 

ところが、二回程その予定が、Kさんのお母様の具合が悪くなり、流れてしまいました。

私のみならず、Kさんも、実母と義母様の介護で大変なご様子。

そのうえ最近また、お仕事にも復帰され、その活力にただただ敬服するばかりの私です。

恐らく、優しいご主人さまが、また主夫業をこなし、以前のようにKさんを支えておられるのでしょうか。

大企業の副社長に就任。

世界を股にかけて活躍されたご経歴のある方です。

その様な方が主夫業をされるなんて、一昔前には考えられなかったご夫婦の姿ですね~

私が尊敬して止まない人たちです。

 

ここ数か月の間にKさんから届いた絵手紙です。

 

近い内に必ずご夫婦揃ってお招きし、昼食会を実現しなければ、と思っている私。

この週末(8月22日~22日)と思い、お誘いのメールを送信したのですが、数日経過した今もお返事がなくて。

前回のメールも同様でした。

絵手紙を今夏、二度もいただき、そのお返事も兼ねていたのですが、二度とも反応がないのは、私のメールが届いていないのかもしれませんね~

メールでは、よくあることで、何だかとても心配。

お電話で確認した方がいいのかもしれません。

 

気になって仕方ないもう一方は、私が親しくお付き合いをさせて頂いているNさん。

次女の中学受験の際、一緒にその待ち時間を過ごしたのがご縁で、親しくなりました。。

「よつ葉会」との名称で、他に7~8名の方達が集まり、毎年親睦を深めています。

この集いのお知らせが、まだひと月以上先ですが、最近あったばかりです。

お付き合いは、三十年近くに及びます。

 

前列の向かって左端の女性がNさんです。

過去の写真です。

 

その間にNさんとは、遠縁の親せきにまでなってしまった私です。

私が、長女婿の弟さんをお嬢様に紹介し、あっという間のスピード結婚でした。

桐朋音大を卒業された、それはそれは美しいピアニストさんです。

今は、かの有名な広尾ヒルズのマンションで、幸せな結婚生活を送っておられます。

 

このNさんからも、主人の病気を見舞う身に余るようなお見舞いを、度々頂戴しました。

最近は、娘たちの嫁ぎ先ご両家から、新鮮な果物を戴いたばかりです。

到来物の画像をほとんどアップしない私ですが。

 

そのお礼もかねて、友人のNさんとお互いの娘たちのご義母様をホテルのお昼食にお招きしたい、と常々願っていました。

Nさんと私、娘たちのご義母様三人でおしゃべりができたなら、話題は尽きることがなさそうです。

孫の成長や若夫婦の暮らしぶりなど・・・・・・。

どんなに楽しいことでしょう。

想像するだけで、心が弾みます。

とても心優しい穏やかなお人がらのお母様で、感謝に堪えない私とNさんです。

 

しかし、こちらも願うばかりで、いまだに実現できないまま。

今春には必ず、とお約束していたのですが、夫の症状が落ち着かず、私まで体調を壊し、延び延びになっています。

口約束ばかりで、なかなか実行に移せない自分に少々嫌気がさしているこの頃。

有言実行で、もっと行動力のある人にならなければ、と反省しきりですが・・・・・・。

介護疲れも酷く、時間の使い方の要領も悪いので、ままなりません。

 

写真写りがよくないですね~
夫が退院したら、早速に美味しいお味噌汁をご馳走してあげましょう。

 

ご近所で親しくしている方達とのお食事会も、しばらく行っていません。

最近Fさんからは、七年間熟成した老舗の赤みそをいただいたばかりです。

私より一回り年齢がお若い方ですが、この方の優しさと知性に頼り切っている私。

お住いが一番近い友人で、私の心強い精神的支えにさせて頂いています。

 

年を重ねるにつれ、体力は落ちていく一方。

それにもかかわらず、主婦の背負う重荷は増すばかり。

気ままに過ごせる自由時間は、日を追って減っていきます。。

ブログなど綴っているような場合ではないのかもしれませんが。

 

その多忙な暮らしに、心まで奪われては余りに悲しい。

上手な時間管路術を身に付け、もっと軽やかに優雅に日々を紡ぎたいもの、と切望して止まない私です。

信頼できる友人との語らいのひと時は、私の心の清涼剤。

この年になると、一期一会の心境で、友人とのひと時をもっともっと大切にしたいものです。

 

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ささやかなショッピングを愉しんで

2015-08-21 08:20:35 | 買い物

今年は、節約のタガを多少ゆるめて、ショッピングを愉しむことに決めた私です。

五年間、投資の損失を多少でも埋めるべく必死で節約に心がけ、ゆとりある老後(?)を暮らせる貯蓄目標額に、何とか到達したからなのですが。

既に老後の私。何を言っているのかしら?

 

今後私が目指す理想の経済感覚は、貯蓄は切り崩さず、年金収入だけで暮らすこと。

旦那さまのお蔭で、今は年金暮らしながら、貯蓄も十分できる豊かな暮らしを享受させてもらっていますが、夫に万が一のことがありますと・・・・・・。

その後の暮らしは、どうなることでしょう。

不安いっぱいですが。

今の生活レベルを落とさないでも、何とか暮らしていけそうなかな~、と。

 

 

私は今、夫の介護と病の辛さに耐えかねての夫の放言に、時に背負いきれないほどのストレスを抱える日日ですが・・・・・・。

旦那さまに長寿を全うさせてあげたい、との思いでいっぱいです

そのためには自己犠牲もなんのその、との心意気もあります。。

しかし、その思いだけでは、私がそのうち倒れてしまうかもしれません

適度の愉しみを暮らしに取り入れるように心がけたいもの、と。

 

今年は目標達成の安堵感もあり、ささやかなショッピングがそれに当たりそうです。

ショッピングとはいっても、高価な宝石を買うわけではなく、暮らしに潤いを与えてくれる実にささやかなものに過ぎません。

数少なくても、長期間使用できる良い品質のものを購入する、といったスタンスは、今も変わりありませんが。

 

 

ですけれど、元から出不精の私。

買い物のためにわざわざ出かけるのは億劫。

ですから、他の用事のついでにデパートに寄ります。

そしてまずは、ウインドウショッピングといったところでしょうか。

 

いつも買いたいものは決めていますので、衝動買いは、ほとんどしませんけれど。

商品があふれるデパートで、気に入ったものにはめったに出合えなくて・・・・・・。

買う決断がなかなか付きません。

実際に購入したものも、一目ぼれとはいかず、かなり妥協したものばかりです。

その中でも割と気に入り重宝しているものを、数点ご紹介しますね。

まずは、入浴用のサニタリー用品です。

 

 

私は大変なお風呂好きで、どんなに体が疲労困憊していても、入浴しないと気が済まない性格です。

そのうえ、幸いにも、浴室はなかなか気に入った空間。

タイルの色、柄ともに、新築時、精選した甲斐がありました。

これまで使用していた入浴用品は、その空間にふさわしいとはとても言えない代物でした。

いつか、もっと素敵なものに取り換えたい、とずっと思い続けてきました。

やっとそれが実現できたと言ったところです。

 

 

 

購入した時は、かなり妥協もしての買い物だったのですが、今はとても気に入り、入浴時間が一層楽しくなりました。

スツールは、今まで使用していたものの二倍ほどの高さがあります。

高過ぎるのでは、と大層気になり、迷いに迷いましたが、使い勝手がいいように、よく計算されているのでしょう。

腰痛を患っている身には、非常に有難い高さで、腰の上げ下ろしの時、体への負担が少なくて済みます。

入浴時間が多少優雅になり、嬉しいお買い物でした。

 

 

他には、キッチン用品の食器洗剤を入れるボトルとお揃いのコップも。

雰囲気的には浴室用品に似て、透明感のある容器です。

ところが、洗剤入れのつもりだった器は、いつの間にか介護用品に。

お湯を入れて、患部をスプレー。

洗浄するのに使用しています。

 

 

介護用品も、できる限り、美しいものを使用して、つい殺伐となりがちな暮らしに、潤いを与えるよう心がけています。

お世話になっているケヤーマネージャーさんは、とても素敵な方ですが・・・・・・。

ある時、段ボール箱の使用を勧められ、私はとんでもない、と思ってしまいました。(笑)

そんな味気ないもので済ませるのは絶対いや!、と。

 

同様に、今、とても迷っているのが介護ベッド。

レンタルでの使用を勧められています。

病院のベッドとさほど変わりありませんが、木製で、多少見映えがいいです。

できることなら、もう少し上等なベッドに、旦那さまを寝かせて上げられないものか、と。

私の捉え方が、贅沢すぎるのかもしれませんね~

旦那さまは、まだまだ長生きしてくれると信じている私。

その後は、私が使用することになるでしょうから、長期のレンタル料を考えると、購入した方が安くつくかもしれません。

いつか、デパートで見たものは、我が家と同様のシモンズベッドのリクライニング用でしたが、セールで安くなって三十万円台でした。

背もたれの可動は、健康時の使用の際も、さぞ有難いことでしょう。

 

海外旅行に行くことを思えが、、今の私には遥かに意義ある安い買い物に感じられてきます。

消耗品ではありませんもの。

残念ながら母の介護で購入した介護ベッドは、お寺さんに寄付してしまいました。

 

 

 

介護用品で他に、とても重宝しているのが、無印の布製のホイホイ袋。

介護用品を一式、この中に収めています。

実は同じものが、後二つ我が家にあります。

籐製品と、ずいぶん迷いましたが、目立たないさりげなさと、今っぽさに惹かれ買いました。

ファミリールームの二か所の片隅に置かれていて、整理上、なくてはならない必需品として重宝しています。

 

他に買ったものといえば、すでに数か月前のことになりますが、消火器です。

一本、約一万円でしたでしょうか。

東京ガスの販売店で求めたものです。

なかなか素敵なデザインでしょ。

これでしたら、お部屋の隅においても目障りになりませんもの。

以前のどぎつい赤の消火器が嫌で嫌で仕方なかった私でしたから、大満足しています。

 

 

ボヤ騒ぎで、消火器を一度使用したことがある私。

三十数年前のことですが。

この時の、緊迫した怖い思い出は、またいつの日か綴りますね。

 

こんな調子で、小物を買うのを愉しんでいる最近の私。

折に触れ、これからも続々紹介します~なんて威勢のいいことを言いましたが、相変わらず今後も貯蓄に励みたい私。

ほどほどの買い物と節約を、同時に心がけましょう。

私の人生計画では、多少勢いある買い物は、来年の終わりまでの二年間のみの予定。

一応欲しいものが揃ったなら、ソフト面の暮らしをもっと充実させたい、と願っていますが。

旦那さまの介護中は無理。

 

如何に介護を、生き生きと楽しくこなすかが、私の今の暮らしの一番の課題です。

そのための体力の増強と、身体の調整を心がけるために、ひと月ほど前から、あるところに通い始めました。

このお話は、日を改め、そのうち詳しくご報告させていただきますね。

 

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夫と孫息子R君のお誕生会 

2015-08-20 07:25:06 | 家族

今日はいよいよ本題のお誕生会について、綴りたいと思います。

初孫のR君が誕生して以来、孫たちの誕生会を欠かしたことが一度もない我が家。

60代になるまでは、家族のお誕生会、その他のイベントはほとんど我が家で行い、私が手料理を振舞ったものでしたが。

過労で倒れ、入院する羽目になったころから、場所が娘宅中心になりました。

ところが最近になり、そうもいかなくなりました。

夫の体力が衰え、移動が困難になってきたからです。

そのため、久しぶりの我が家でのお誕生会となりましたが・・・・・・。

 

この他、長女がが作ってくれたスペアリブなど・・・・・・。

旦那さまは、ソファーに横になっています。
起きると激痛が襲うので、止むを得ないのですが、早くその痛みが治まってほしいものです。
私は、ここ数日、最善の治療をしてもらうためにはどうすればよいのか?
果たして今の病院でよいのか?、とか。
あらゆることに思いをめぐらしています。

 

お誕生会には、決まりきったコースがあるため、いずれのご家庭でも、その過ごし方は似たり寄ったりでしょうね~

我が家も違わずです。

 

ですから、同じようなことばかり毎年綴っても変わり映えしないと思い、、その時、特別印象に残ったことを綴るように心がけてはいるつもりですが。

結構、それが難しいです。

 

いつもはおじいちゃまが座る特等席に、ちょこんと腰かけるかれんちゃん♪

1昨日(8月18日)保育園から電話があり、お熱を出したとかで、夫の見舞は急遽中止にし、お迎えに行きました。
頭に、冷熱シートをつけた痛々しいかれんちゃんでしたが、意外と元気。

気まぐれで、直近の出来事のお話も記事の中に、挿入していきますね

 

左の写真は、浴衣を着て訪ねてくれた時のものです。
長女がお見舞いに届けてくれた、とても美味しいと評判のアイスクリームを口にして

 

野球の腕前がどんどん上がり、真っ黒に日焼けしたK君だけれど、
読書も大好き。何と童話をすでに数品書き上げたとか。
是非いつか読ませてもらいましょう。

 

お誕生日当日は、次女の長男K君の野球合宿と重なったため、一週間遅れで開きました

旦那さまは、相変わらず原因不明の激痛にしばしば見舞われる状況でしたから、お誕生会を心から愉しむことなど到底無理のようでした。

そのせいでハプニングもあり、家族、特に年頃の高1のR君を驚かせたりと。

身内の家族で一番大人だと思っていたおじいちゃんが、痛みが堪えられず声を荒立てたのに、意外感で一杯だったようです。

 

凛々しい顔のR君。
心も、凛々しい青年になりますように。

 

バースデイケーキのロウソク点灯。

ハピーバースデーの歌を全員で歌い、おめでとうの一斉コール。

もちろんローソクの火を消したのは、元気なR君。

 

R君のお誕生日は6月29日でしたが、遅れに遅れ、おじいちゃまのお誕生日と一緒になりました。

この度の会は、おじいちゃまが主役との思いが強くて・・・・・・。

R君には申し訳ないけれど、、プレゼントすら用意していない始末。

お金を包んで渡すといった味気ないものに。

次女家も同様です。

高1のR君にとっては、気の利かない品物より、嬉しかったのかもしれませんけれどね。

 

 

 

そのR君、凄まじい身長の伸び方で、会うたびに驚くばかり。

小学生の時は、学年で一番おちびさんでしたのに、今では170センチに、あと数センチで届くほどに。

比べると、おじさんさんより足が長い。

みんなで笑い合いました。

男らしい風貌でなかなかのハンサムボーイですが、大器晩成型なのか、親の目から見ると心配なことがいろいろあるようです。

 

記事の主題からまたまた外れ余談になりますが、妹の受験生のさっちゃんは、お兄ちゃんと異なり天真爛漫。

お兄ちゃん顔負けの男勝り。

お兄ちゃんが受験の時お世話になった有名塾の入塾テストに数回落ちて、やっと合格。

最初は最下位クラスからのスタートでしたが、今では中間より多少上のクラスまで到達。

そんな中、ピアノのお稽古も、続けて入るさっちゃんです。

 

地域のオーケストラの楽団員となり趣味でバイオリンを弾いていた長女の義父さまが絶賛した、なかなかの腕前です。

 

受験のストレスは全く感じていない様子。

相変わらずの明るさで、さばさばした性格。

「アメリカに絶対留学する!」と言って譲らない積極性もあります。

志望校に合格したら、その希望をかなえさせてもらえるとかで、大きな目標が出来たさっちゃん。

勉強のし甲斐もあることでしょう。

 

でも両親と同レベルの学校は、最初から諦めているらしく、ワンランク下の共学の中学校を目指しています。

さっちゃんらしく、女子中は絶対いや。

おのずと受ける学校も絞られてしまいますが、願いがかなうことを祈るばかりです。

 

道路掃除と庭の水まきを頼んだところ、ジーンズとTシャツに着替えてそのままの長女。
お洒落してきたのに。着替えてほしかったわ。(笑)

ちょっと悲しい光景ですが、K君の弾くバイオリンの音色と旋律が、さぞやおじいちゃまの心に沁みたことでしょう。

 

わたしの旦那さまは、苦労をしないでも常に学年のトップを突っ走ってきた人のようで、今も記憶力は抜群です。

病院の看護師さん、訪問看護士さん共に、おりおりで夫の記憶力には感嘆しておられます。

 

中高時代は、進級前に新しい教科書を手渡されると、春休みの間にすべて読破して理解してしまうような学生だったとのこと。

一方私は、向学心だけはあったのですが、集中力が続かず、すぐぐったりしてしまう学生でした。

体力のなさが、私の泣き所であることは今も変わりありません。

 

時々思います。

旦那さまには、もっと頭が賢くて、夫の端的な言葉もすぐ理解し、適切な反応をする奥さんがふさわしかったのではないかしら。

夫がそこまで優秀な人との認識はなく、私は常にマイペース。

馬鹿なこともいい放題で、好きなように暮らしてきました。

そんな私に、家事全般、育児のみならず、すべてのことを任せきりだった旦那さまの度量に、改めて感心しますが。

果たして期待に応え、Yさんをを幸せにできたのか自問自答すると、自分がしてきたことに自信が持てません。

 

でも今更悔やんでも、後の祭りですから。

私なりに妻として母として、不器用ながら一生懸命頑張ってきたということで、感謝状をもらえたら嬉しいですけれど。

それは無理。(笑)

 

旦那さまが77歳の喜寿を迎えられるように、介護生活に今後も励みましょう。

「今日が一番素敵」の思いを忘れず、日々新たな気持ちで。

 

最後に、小4のK君から一昨日届いた、おじいちゃんへのお見舞いの葉書をご紹介します。

クワガタとおじいちゃんが同列なのが、子供らしくてなんとも可愛い!

胸が熱くなりました。

昨日、早速病院に持っていきました。

孫自慢、夫自慢に終始した記事で、なんだか顰蹙を買いそう。

失礼お許しくださいませ。

 

追伸

推敲をもう少ししたいのですが、今日は朝早く病院に行かねばなりません。

帰宅後、手を加えるつもりです。

 

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懐かしい想い出~家族のお誕生会

2015-08-19 07:27:35 | 家族

真夏の異常な暑さの中、久しぶりに我が家に家族全員が集まりました。

74歳を迎えた旦那さまと、16歳になった長女家の長男R君ののお誕生日のお祝いが目的です。

 

夫の誕生日は昭和16年7月20日。

日本軍がハワイ奇襲攻撃をして太平洋戦争が始まる数か月前のこと。

私の誕生日は、昭和19年4月3日。

原爆が投下される前年に、広島で生まれました

私は爆心地から三キロの地点で被爆しています。

 

今年は戦後70年の節目を迎えました。

改めて、私達夫婦誕生の数年間、日本がいかに激動の時代であったかを思わないではいられません。

そのような苦境の中、私達を育ててくれた両親の苦労も。

 

その激動期を乗り越え、70年の時が刻まれました。
残り少ない余生。
今の平和に感謝しながら、精いっぱい日々を愛おしんで、過ごしたいものですね。

 

義父は医師で、満州のハルピンに大きな病院を構え、非常に豊かな暮らしを送ったようでした。

しかし敗戦後、大変な苦労の末、帰国。

その後、人生を建て直し、私どもの郷里の目抜き通りから数分のところに開業し、78歳までの人生を全うしました。

広島の医師会の会長を務めるなど、行動力がある一方、実に教養豊かな人でもあった義父。

文学への造詣は相当なものでした。

無口な夫と違い、話術も実に巧み。

ユーモアに富み、柔和な人柄と風貌で、医師の仲間たちの中でも、いつも中心的存在だったようです。

 

意外ですが、夫も会社では、遊び心のあるユーモア人で通っていたようです。

そしてお父さまと同様に、大変な読書家、文筆家でした。

会社の会報に度々載った夫の文章を、友人は「さすがだ」と、よく褒めていました。

 

地方局のお昼のテレビドラマの登場人物のモデルにもなった事もある義父。

そのドラマのストーリーは、ある医師の奥様のがん闘病記といった実話でした。

その医師が義父ととても親しくて、常日頃相談相手にになっていたようです。

 

 

嫁ぎ先の~家は、生真面目タイプの私の実家とは漂う雰囲気が異なり、私の目には大層新鮮に映ったものです。

結婚後しばらく、~家のセンスあるジョークに慣れるのに、相当な努力を要をしましたけれどね。

 

お見合いをした時、一目ぼれに近いほど、印象が良かったYさんながら、あまりに寡黙な人でしたから、その点が気になって仕方なかった私です。

けれど私同様、Yさんをすっかり気に入った母は、

「子供は親に似るものよ。必ずそのうち、お父さまそっくりになるから」

といって、私の迷いを取り除こうと努めていました。

けれど、その寡黙さは、婚約中も、結婚後今日に至るまで変わりなく、母の押しの一手に騙された感じがしないでもありませんが。

まぁ~いいでしょう。(笑)

 

大学時代の私と社会人二年目のYさん。
大学卒業まで二年半近く待ってもらい、結婚しました。

この写真を見ると初心に帰れそう。(笑)

 

家のこと、子供の教育、一切合財任されて、私は自分の好きなように結婚生活を送らせてもらえました。

旦那さまは小うるさいことを言って、私を縛るようなことは全くありませんでした。

或る意味、自由な身だった私は、好き放題に人生を楽しんで、遊びほうけることも可能だったかもしれません。

 

しかし残念ながら、私の性格は生真面目で、貞淑そのもの?(笑)

家族のためにつくすことだけが生甲斐でしたから、その方向に流れることは全くなくて・・・・・・。

浮気一つでもして、もっと人生を謳歌すればよかったかしら。(笑)

 

結局は、経済力のある旦那さまに支えられ、その点の心配は全くしないで、私なりに人生を精一杯生きさせてもらえたと思っています。

妻として母として、後悔することはいろいろあるけれど、今更気にして悔やんでもどうしようもありません。

その後悔も心の糧にして、残り少ない余生を旦那さまのために心を尽くしたいものです。

恩返しのつもりで・・・・・・。

少々きれいごとを言い過ぎですね~

建前通りには、なかなか暮らせませんが。(笑)

 

思いがけない前置きで始まってしまった今日の記事。

これからが本題ですが、その内容は明日に回すことに致します。

 

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激しい痛みに再々襲われる夫 

2015-08-18 07:38:53 | 病気

一進一退を繰り返す夫の症状ですが、今一番辛いことは、左足の大腿部の激痛のようです。

この症状が出始めて、すでに三ヶ月以上にになるでしょうか。

新しい抗がん剤に変わり、しばらく経過した頃の事でした。

軽い腰痛を訴え始めました。

 

実は夫の症状で、ブログ上に書くことを控えていたことがあります。

年初に、ペットによる全身の検査を受けたときに判明したことですが。

背骨へのがんの転移が疑われる兆候がありました。

その部分が、ペットによる画像で、強く光っていたからです。

 

ですがいまだに、はっきりと断定的な診断が下されたわけではありません。

「ほぼ間違いないでしょう」といった口調の、担当医のお話です。

(七月の末頃、記述した文章です。その後、確定となりました)

 

そんな状況の中、夫の腰の痛みが始まり、今は左大腿部の激しい痛みへと変わっています。

当然のように、私はがんの背骨への転移のせいでは、と思い、心配は尽きませんでした。

 

 

痛みのある暮らしは、人間にとって相当なストレスであることは、言うまでもありません。

夫も同様で、そのストレスで不機嫌が一層高じて、私はいつも腫れ物に触るような感じです。

優しく声をかけても、夫には煩わしいことなのか、突然怒り出したりします。

私は極力平静さを装い、柳に風の態度を取るように心がけていますが、時に心が折れそうになることも。

前回の記事でも書きましたが、そのような時は十数分でも横になり、眼を閉じて過ごします。

たいていの場合、それで気持ちが入れ替わり、心にも行動にもオンのスイッチが入ります。

 

七月の入院時に、腫瘍マーカーの数値が上がった事があり、とてもショックを受けました。

確かその数値は6ぐらいだったと思います。

大腸がんのみならず、骨転移が進行したのではないかしら、と不安がいっぱいに。

今後の一層厳しい旦那さまの闘病生活と,私の介護生活を思わずにはいられませんでした。

 

誠に不思議なことです、去年の秋から腫瘍マーカーは正常値を保っていた旦那さまなのです。

去年の四月ごろは、20以上の高い数値でした。

 

 

ところが、最近の検査で、そのマーカーがまた正常値に戻っていることが判明。

骨転移も、小さいままの状態のようです。

放射線治療を始める予定だったのですが、中止となりました。

できるだけ小さいうちに、その治療を始めたほうが、回復も早くて良いのでは、と思うのですけれどね。

私の頭の中は、?マークで一杯となりましたが。

 

それにしても、夫に時折襲う激痛は、ただことではありません。

レントゲンやMRIによる検査結果は、骨折もなく異常なし。

足の反応も悪くないようです。

今のところ、原因が不明らしく、強い麻酔系の痛みどめを処方して、一時的緩和療法に頼っているだけの先生。

 

こんな対応では、私は納得できません。

いつまでも私の心配は尽きませんし、旦那さまが可哀想。

 

和室の床の間の掛け軸の絵。両親の遺品です。
この鯉のように、旦那さまの威厳と元気が、蘇ってくれますように。

 

いつもお医者様を絶対的に信頼し、お任せする方針で来た私たち夫婦でしたが。

今の私は、それではあまりに不安。

何だか心もとなくて・・・・・・。

この病気についての知識を多少なりとも身に着けたくて、勉強をするようになってきました。

真偽のほどもわからないネット情報に頼ることを、良しとしないところがある私ですが、検索による知識の入手が一番楽ですね~。

癌に関連した著書も、本屋の書棚にたくさん並んでいます。

読むべきか?読まざるべきか?迷うところですが。

やはりお医者様をできるだけ信じて、単細胞の頭でいたほうが、ストレスがたまらなくていいのかもしれません。

 

 さて、背骨が癌で犯されているのであれば、脊髄の神経に触れ、その影響で足が痛むのは理解できます。

私も最近、背骨の圧迫骨折で、まるで火柱が全身を突き抜けるような激痛を度々経験しましたから。

もし骨転移が明らかであるなら、早いうちに一刻も早く放射線治療をして頂きたい、と。

この治療で、、痛みが治まることが多いようです。

 

ところが「痛む場所が違う」と言われました。

夫の癌の位置だと、足先に激痛がくるのだそうです。

それに、放射線治療は同じ患部に二度、当てることはできません。
そのため、その時期は慎重に見極めないといけないとのこと。

確かに!この点には、私も納得できました。

 

 もう一つ考えられることは、大腸がんによる痛みだそうです。

近くの神経を刺激しているのかもしれない、と。.

その場合は、どうすればいいのでしょう。

 

痛みを取る方法の一つに、神経ブロック注射があると、がんの治療法が載った小冊子に書かれていました。

麻酔薬と違い、痛みの根本を取り除く前向きの治療のようにも感じましたが。

ペインクリニックの観点から、痛みを取り除く方法は、他にもいろいろあるようです。

私も、頚椎の痛みに耐えられず、一昨年でしたかしら、一度経験済みです。

でもあまりの痛さに恐れをなして、ペンインクリニックには二度と足を運ばなくなりました。

 

旦那さまは、どうでしょうか。

ひと月に数回のその注射液投与で、痛みが緩和されるなら、受け入れることにさほど抵抗はないはずです。

 

体調がすぐれない上に、最近の炎暑で、ガーデニング作業から遠のいてしまった私です。
花壇に、惹かれる被写体がなく、インテリア関連の画像も、載せることに致しますね。
居間は、家族の集いとクリスマスシーズンになるとよく登場する私のブログです。

 

 私が心配の余り、このように勝手な想像をめぐらしても、どうなることでもありませんが、

お医者様の治療は、麻酔系の強いお薬を使用するだけ。

若夫婦より数歳年齢が若い医師に、今一つ頼りなさを感じてしまう私です。

 

T大病院から、同系列の今の病院に転院してから、ほぼ八か月が経過しました。

今も、T大の助教授医師が主治医であることは変わりないらしく、若い先生はその先生と連絡を取り合いながら治療に当たってくださっているようですが?

果たして本当でしょうか?

できることならT大付属病院に、もう一度戻ㇼたいとさえ思います。

 

そして、痛みの原因を早く究明してほしいものです。

原因が分からないほど不安なことはありませんから。

 

或は一層のこと、近くの総合病院に転院する。

その病院には、大腸がんでは名医との評判が高い医師がいらっしゃいます。

大腸がんの診断が下された当初は、この病院にほぼ決めていた私でしたが。

この病院で治療を受けていたなら、放射線治療の失敗は避けられたかもしれません。

 

運命の皮肉でしょうか。

内視鏡クリニックの先生の紹介状が、T大付属病院宛てだったのです。

夫と若夫婦たちの母校ゆえ、それはそれで嬉しく、当時は、遠方ながら理想の病院に感じられた私でしたが。

 

私の頭の中でいろいろなことが駆け巡り、迷いも多い時期の記述です。

そのため、まとまりのない文章で申し訳ありません。

その後の夫の症状と、今後の対応について私が心に固く決めたことは、また何時かお伝えしますね。

病気の話ばかりでは、内容が重すぎて精神衛生上よくありませんから、明日は話題をガラッと変えるつもりです。

 

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今夏を穏やかに乗り越えられますように

2015-08-17 07:26:06 | 日記

お久しぶりです。

お盆も過ぎ、処暑ももうすぐ。

今日は、久しぶりに本降りの雨で、雨音に幾分の涼を得て、ほっとしています。

昨夜は病院を出たのが七時半で、我が家には九時ごろ戻ってきました。

私がこれからお話することは、前回の一連の記事の投稿終了後から、毎朝少しづつ書き留めたものです。

ですから相変わらず、大きな時間のずれが生じてしまっています。

その点をご了解の上、お読み頂きたく、宜しくお願い致します。

最近も悩ましいことが色々起きていますが、順序立ててこの二週間で書き留めたものから、投稿してまいりますね。

 

今年の暑さは、かって例を見ないほど異常なものになりそう、とか、

東京は40度になる日も・・・・・といった記事を、七月の下旬ころ目にした時は、これは大変なことに、と私は身構えたものでした。

病人もいる我が家のことですから。

 

夫は、弱音を吐いたり、愚痴を言う人では、もともとはありませんでしたから、暑かろうと寒かろうと、いつも淡々と過ごしていました。

病を患うようになって、性格がずいぶん変わってしまいましたけれど。

 

 

私は、年を重ねるごとに、暑さと寒さが、身に応える一方。

今年は、介護の大変さもあり、疲労が濃くなりがちです。

そのため今夏は、一層厳しい暮らしになるのでは、と心配でなりませんでしたが・・・・・・。

時に息絶え絶えながら(笑)今日まで何とか乗り切ることができました。

息絶え絶えと書きましたが、これは誇張表現ではなく、本当の事。

最近また、一昨年頃苦しんだ息苦しさの症状が再発しています。

 

首の皮が張り詰め、締め付けられているような感覚。

頸椎のだるさとともに、私を悩ませていて、腰痛よりはるかにつらいものです。

腰痛は今のところ、かなり治まり、それだけで、随分救われている私ですが。

息苦しさも、二年前ほどひどくはありません。

 

この症状は、病気ではなく精神的ストレスが原因であることは承知している私。

気にしないように心がけるしかありませせん。

 

旦那さまが、容態が思わしくなく、イラついた態度で当たってくると、私は疲れ果て、この症状がひどくなったりと。

このままいくと、共倒れしてしまうのではと、一気に弱気になることもありますけれど。

体力は情けないほどない私ながら、人並み程度の精神力はあるようです。

立ち直れないほどの心身の疲労を感じても、必ず元気を復活できます。

心の入れ替えの速やかさは、私の特技かもしれません。

この技を生かして、今後も頑張るしかありません。

 

 

旦那さまは、抗がん剤の副作用で、暮らしは忍耐一筋の日々。

最近の夫は、新たなる症状で苦しみ始め、性格の変わりようが甚だしくて、私のストレスも相当なものになってきました。

お医者様の治療方針には、私は納得できないものがあり、それがストレスを増幅。

そうなると、今までできるだけ避けてきたネット検索の知識に頼り始めてしまって・・・・・・。

良いこととは思いませんが。

断末魔のような痛みに時々襲われる旦那さまを救ってあげたいとの思いがあふれ、私は素人ドクターになりかけています。

 

さて、その苦しみとは。

次回にお話させていただきます。

 

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まるで自信が持てない私の思いですが~安全保障関連法案について

2015-08-02 07:45:51 | 日記

メディアのみならず、にほんブログ村でも、安全保障関連法案に反対の記事をよく見かけるこの頃です。

世の中が騒然としていることも、その場に居合わせなくても肌で感じられてきます。

「戦争法案」とまで言われては、さぞこの法案を成立させたい側にとっては、不服もいいところなのでしょうが。

 

安倍首相が、いつも逃げ腰の答弁ばかりでは、国民が納得できないのは当然でしょう。

逃げ腰なんて言いましたけれど、国会中継を一度も視聴したことがない私。

私はテレビはほとんど観ません。

購読している朝日新聞の反対一色の記事を読んで、なんとなく理解しているに過ぎません。

 

安全保障関連法案の是非は、外交上の問題でもあるがゆえ、奥が深すぎて・・・・・・・。

十分な理解から程遠いわたしは、軽々しく意見が言えない問題のような気がしています。

それなのに、あえて私の思いを語らせて頂く身の程知らずが、少々恥ずかしいですが。

宜しければ、聞いてくださいね。

 

 

ノーベル平和賞の候補にもなった憲法九条は、今後も守り抜いてほしいし、燦々と輝いて、私達国民の誇りであり続けてほしい。

その様に願う気持ちは、何ら変わりありません。

集団的自衛権が、その条文を犯す違憲になるのかどうか、今の私の知識ではよくわかりません。

多くの憲法学者は憲法違反と断定されているのを聞くと、やはりそのようにも思えてきます。

 

私の勝手な想像ですが、我が国は、イラク戦争の時、巨額のお金で支援したにもかかわらず、その貢献が認められないどころか、世界中から非難されました。

結果論ですが、間違った戦争であったことは、今では自明の理ですけれど。

安倍首相は、そのことがトラウマになっているのかもしれませんね。

憲法九条に違反しないであろうぎりぎりの線で、積極的平和主義外交をすすめたいゆえんなのでしょう。

 

 冷戦の時以上に、今は世界が混とんとし、紛争は至る所で勃発。

経済は資本主義化しても、体制は古いままの大国の台頭と、理解しがたい国策も、世の中の平和を乱しつつあるようで残念でなりません。

そのために抑止力、力の均衡といった問題がクローズアップされてくるのでしょうか

 

日本ほどの大国となれば、具体的な行動でもって、世界平和のために貢献するのは、当たり前のことでしょう。

とはいえ、このたびの法案を可決することが、その目標をかなえることになるのかどうか、私にはよく判りません。

戦争と安易に結び付けて非難するのには、多少の抵抗がありますが

 

 

一昔前、似たような騒動で、我が国は騒然となりました。

安保闘争です。

日米安全保障条約改正の締結反対がスローガンでした。

私の夫は、デモに加わったことはないようですが、それを目前にした学生時代を送っています。

私の従兄は、何とその学生運動の中心的存在で書記長でした。

小さい時は、寝小便小僧だったHちゃんです。

その後は研究所勤めの学者になりましたが。

 

今思うと、あの騒動はいったい何だったのかしら、と思わないでもありません。

私は、今回の問題同様、何を言う資格もないほど、当時の運動の根本的理由すらよく解っていません。

ですから、勝手な推測に過ぎませんが、日米安全保障条約を締結すると、アメリカの戦略に巻き込まれ、日本が戦争することにまたなるのでは、との不安が大きかったのではないでしょうか。

 

けれど、それは全くの杞憂に過ぎませんでしたね。

それどころか、日本はそのお蔭で、防衛の心配をしないで目覚ましい発展を遂げ、平和を享受できました。

アメリカとの間に経済戦争らしきことはありましたが、無謀な要求をアメリカが日本に押し付けるようなこともありませんでした。

 

 

今回の法案の良し悪しは別にして・・・・・・。

もし自民党がこの法案をいかにしても可決したいなら、もっともっとわかりやすい説明を国民にすべきです。

安倍首相は、安全保障関連法案のみならず、教育改革などでも、独断により性急に、自分の考えを国民に押しつけようとする言動が、甚だすぎますね。

それが国民の怒りを一層かっているような気がしてなりません。

民主主義をないがしろにし過ぎ。

国民の合意を得てもいないのに,アメリカの議会で、この法案の確立を約束するなんて、言語道断です。

 

外務大臣就任時代が長かった、高村副総裁の悲痛な決意の言葉が、私にはとても印象的でした。

記事の内容はうろ覚えのため、表現はかなり異なると思います。

その点はご容赦くださいね。

 

「国民の反対を押し切ってでも重要な法案は成立させてきたのが自民党だ。

今回も、国民の不支持の増大は気にしないで、通さなければなければならない法案は通すべきだ」と。

外交に精通した高村氏の、絶対に必要な法案との並々ならぬ決意のようなものが私にも伝わってきましたが。

 

 

最後に気にかかる点をもう一つ、述べさせて下さい。

 

もし米国が日本を見放し、自主防衛を迫まってきても、我が国は今のままで済まされるでしょうか。

核大国の米国への甘えの体質はないでしょうか。

「核の傘」といった米国の安全保障に依存したままで、理想論を述べては、身勝手な国との印象を与え、世界中から非難されないでしょうか。

 

スイスでさえ、徴兵制の軍隊は持っています。

自分の国を攻める理不尽な国が万一あったなら、国民は一丸となって闘い、自国を守り抜く覚悟だけはあるようです。

とはいえ、Natoにも参加せず、近いロシアへの協力もむろんありえない永世中立国のスイスの国の形態が、私の理想ですが。

とは言っても、徴兵制の軍隊は、断固私は反対ですけれど。

 

肉団子のトマト煮・春雨のサラダ・冷奴のにんにくソースかけ

 

今後、もしこの法案が可決されたなら、安保闘争後の日本のように、良識ある日米の政治家の下、世界平和のために最大限にこの法案が生かしてほしい、と強く願って止まない私です。。

そしてあの騒然とした世の中の雰囲気は何だったのかしら、と将来振り返って、思いたいものです。

 

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続 骨粗しょう症の治療始まる 

2015-08-01 07:11:38 | 病気

今日は昨日の続編で、私が今後続けることとなった、骨粗鬆症の治療のお話です。

この治療を勧められた時は、あまり抵抗もなく、受け入れてしまいましたが。

 

私は、電話、訪問などの勧誘やセールスは、相手に返す言葉の暇を与えないほどに、迷いなくきっぱりと断れる性格です。

けれど、相手が医師や友人の言葉となると、その助言を割と素直に受け入れてしまいがち。

私が付き合っている友達は、心から敬愛して止まない人ばかりですから、その信頼と期待を裏切られたことはまずありません。

とてもためになる助言をして下さいます。

 

けれど医師の言葉を信じていいのかどうか。

このことでは、父と母の病気でとてもつらい思いをしていますから。

いつかまた詳しくお話する機会があればいいのですが。

今はまだブログ上にその思いを、綴る気にはなれません。

 

さて今回、先生が勧めて下さった治療法は、疑念を抱くような大げさなことではありませんが。

でも結構私の心に重くのしかかています。

下記の画像が、治療のガイドブックです。

 

 

何と自己注射をするのですよ。

極細で痛くない注射針が発明されたと、一昔前の新聞記事で読んだことがあり、記憶に残っている私ですが。

まさにその針が使用されている注射器といった感じです。

 

その注射を打つ場所は、おへそ周りの腹部か大腿部。

確かに、痛みはほとんどありません。

けれど、全くないわけではなく、時にチクッといった感覚で受け止められます。

薬を注入していると途中で、痛みを感じる時もあり・・・・・・・。

ですから、すでに十数回打ちましたが、いまだにその前は緊張し、ストレスを感じます

 

この注射を、およそ二年間、打ち続けないといけないのです。

二年間なんて、とんでもない長さですよね。

注射器をセットしたり、消毒したり、冷蔵庫に保管したり、と結構手間暇がかかります。

心の片隅で、こんな事、長期間続けるなんて、介護で忙しい身の私には無理、と未だに自信が持てないまま。

私は、骨粗しょう症を患っているとは言い切れません。

私の年齢の平均より、多少ながら上の骨密度です。

ですのに、なぜこんな治療をしないといけないのでしょう。

 

注射器です

 

効き目に即効性があり、腰痛が早く治る。

一度圧迫骨折に見舞われた背骨は、それが癖になることがあるからその予防のため。

この治療をしておくと、骨が丈夫になり、老後の生活がとても助かる。

 

医師のこの三つの言葉につい納得し、素直に治療を受け入れてしまった私でした。

けれど、違和感は未だに拭いきれないまま。

 

診察後、その病院に隣接する薬局の窓口でのお話ですが。

お薬を何か他に服用されていませんか?

常備薬はおありですか?

と聞かれましたので、「何もありません」と答えました。

すると一瞬驚いたような顔をされ、

「本当に何も服用していないのですか?」

と再度尋ねられました。

「サプリメントとか?」

「はいそうです。総合ビタミン剤をたまに飲む程度です」

と答えました。

 

私の年齢になると、常備薬を持っていないことの方が珍しいのかしら、と感じてしまうほどの薬剤師の反応。

前回の医院で処方してもらった痛みどめは、数回服用しただけでやめてしまいましたから。

私って、お医者嫌いだけでなく薬嫌いでもあるようです。

 

ひまわりのように、いつも空を仰いで元気に過ごしたいものですが・・・・・・。

 

ですから、二年間の長期に亘る今回の治療に、少なからず抵抗があり、やめてしまいたい、との思いがくすぶり続けています。

幼い時から、非常に疲れやすい体質ながら、常備薬のようなもので体質改善を図ったことも、サプリメントさえ、利用したことがありません。

自然体の身体、といえばいいのかしら。

ですから、化学的な異物を体に受け入れることに、多少の抵抗があり、不安感や違和感を覚えてしまいます。

 

ここまで、生まれたままの体を維持してきた私だから、今回のことも食生活で乗り切れるのでは、と。

この記事を綴るうちに、ますますその思いが強くなってきました。

思い切って、断ってしまおうかしら。

せめて今の注射液の薬がなくなるまでの期間、およそ一月で終了にしたいものです。

ところがその後、この治療薬がどんなに優れたものであるかを耳にすること数度。

また迷い中なんです。

この治療のお蔭か、腰痛が、急速に回復してきました。

 

豚しゃぶと香味野菜のおろしポン酢・なすとピーマンの香味炒め・かぼちゃの含め煮

 

今は、薬嫌いを通している私でも、そのうち大病をして、毎日、数種の薬の服用が当たり前な生活になる時が必ず訪れるでしょう。

その時は覚悟を決めます。

 

夫は、およそ五年間に亘る闘病生活の間、すでに十数種類の薬を服用し続けています。

止むを得ないことなのでしょうか?

夫の薬漬けの暮らしが、私は心配でなりません。

せめてお野菜たっぷりの食生活で、身体を清めてあげたいものです。

 

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