今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

南禅寺と懐かしい母校巡り

2016-09-27 08:02:10 | 旅行

京都旅行の記事の最終回に、やっと辿りつけました。

毎回月並みの表現で、面白くもない文章を書き連ねてしまい、お読みくださった方々は、少々退屈でいらしたことでしょう。

気の利いたことを書くには、私の素養は貧弱過ぎです。

申し訳ありませんが、もう一記事、お付き合いくださいませ。

 

永観寺を後にし、次に向かったところは、京都観光スポットとしても、特に名高いな南禅寺です。

高校の同窓会でも訪ねた思い出深いところです。

その時は、南禅寺境内を巡った後、近くの由緒ある食事処のお座敷で、湯豆腐を頂いたものでした。

その思い出を辿るように、境内の同じ場所を訪ねた私です。

観光慣れしていない私は、それが一番無難、と思いました。

広い境内には、何か所も寺院が点在し、目移りしてしまいそうでしたから。

 

個人旅行ですと、よほど綿密な下調べをして観光に臨みませんと、見落としてしまうところがありますね。

後で気が付き残念に思っても、後の祭りです。

くまなく見て回る意欲など、私にはもともとなく、下調べもいい加減。

見たいお寺に無事にたどり着き、その雰囲気に浸れたなら、もう80パーセントは満足。

そんないい加減なところが、私にはあります。

旅行記の記述も、私の受けた印象を綴る内容が大半です。

そのお寺の史実など、いつもはあまり触れませんが、今回は、その点の記述でも、多少は努力をしたかしら。

 

お天気が良すぎて、山門が、濃い影で真っ黒。
私の未熟な撮影の腕では、仕方ありませんね~

圧巻の巨大な南禅寺の山門
日本の三大名門の一つに数えられているそうです。

 

さて南禅寺で、同窓会の時は経験しなかった、ちょっと勇気の要ることに、私は挑みました。

石川五右衛門が発した、「絶景かな 絶景かな」の感慨の言葉を身をもって味わいたいと思った私。

有名な山門の楼上に実際に上りました。

その階段の何と急だったこと。

恐る恐る、こわごわとでしたが、何とか無事に上にたどり着けました。

回廊からの眺めは、期待通り、素晴らしいものでした。

 

 

回廊は一周できます。

 

私も、石川五右衛門同様、「絶景かな!絶景かな!」と言いたいほどの感動でしたが・・・・・・。

その気持ちが一気に吹っ飛んでしまうような、緊張感を、その後味わう羽目に。

階段を下るときの事です。

上り以上にもっともっと大変。

階段は、ほとんど垂直に下に落ちている感じに見えました。

一瞬泣きそうな気分になりましたが・・・・・・。

下りないわけにはいきません。

柵と縄を頼りに、一歩一歩、必死でした。

無事に下にたどり着いた時、、どんなにホッとしたことでしょう。

 

次に、私の心に、同窓会の時と同様、強烈な印象を与えたのは、赤煉瓦のアーチの橋、水路閣です。

哲学の道の傍らを流れていた疎水はこの南禅寺に通じています。

昭和の始め、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路。

物語性が漂う、絵になる実に魅力的な光景です。

映画の撮影場所としても、よく利用されるとのこと。

境内の中に、近代的な構造物を通すには、おそらく反対者も多かったことでしょう。

けれども、異質なその水路の橋が、お寺の境内に、今ではしっくりと溶け込んで、非情に趣きのある景観になっています・

南禅寺の観光スポットとして、今では、一番人気が高い所ではないでしょうか。。

 

 

次に訪ねたのは、国宝の枯山水のお庭と、狩野派の代々の画家執筆の襖絵のある小方丈へ。

枯山水のお庭は、奥が深すぎて、とても私の浅い人間性では理解は難しいけれど、相対すると、心がとても落ち着いて無我の境地に近づけたような気持ちにちょっぴりなれました。

この頃には、疲労が濃くなってきつつあった私です。

静逸なお庭の雰囲気が、幾分でも、その疲れを癒してくれたことでしょう。

 

 お寺で、枯山水のお庭はよく見かけますが、南禅寺の庭は、国宝級でとくに有名なようです。

 

京都観光も、いよいよ終盤に差し掛かりました。

最後に、どうしても見ておきたかったのが、私と父の、大学の母校です。

私の人生最後の見納めのようなつもりでした。

南禅寺観光後は、タクシーで回ることに

タクシーの運転手さんを待たせ、途中下車をして、思い出に一瞬浸るといった気忙しいものでしたが。

 

まずは、父の母校へ。

私が大学時代、所要のついでだったっと思いますが、父が京都に寄ってくれたことがあります。

その時、父が母校の大学の界隈を案内ししてくれました。

 

経済学部を卒業した父でしたが、なかなかの文学青年のロマンチストだったようです。

一方、スポーツも万能で、背が高く、すらっとした体形で、さらに美男子。

さぞもてたことでしょう???(笑)

こんな事をブログに綴ると、天国の父が、「そうだそうだ。その通りだよ」と言って、喜んでくれるかしら(笑)

テニス部で活躍し、主将も務めたようでした。

 

 

吉田神社の近くだったと思いますが、吉田山に登る坂道当たりの住宅地を指して、「あのあたりに下宿があった」と教えてくれました。

その時の親子の光景は、今になっても、生き生きと蘇ってきます。

私には忘れられない懐かしい、父との良き想い出です。

散策の後、四条河原町の交差点にあるデパートで、豪華な刺しゅう入りの白のアンサンブルのセーターを買ってプレゼントしてもらいました。

長い間それを愛用したものです。

 

この思い出を、ずっと心に温め懐き続けてきた私。

ですから、その懐かしい場所を、いつかまたぜひ再訪したい、と思っていました。。

その願いが、この年になってついに叶い、本当に幸せでした。

 

次に向かったのが、私の大学の母校です.

車を待たせての思い出巡りでしたから、落ち着いて、見て回ることはかないませんでしたが。

五十数年前の校舎が、全く変わることなく同じ佇まいでキャンパスの中にありました。

本当に感激してしまった私です。

悲しいけれど、変わったのは私だけ、そんな感じでした。

 

但し、横の奥に通じる道のあたりを見ると、近代的な建物が立ち並び、雰囲気が変わって見えました。

その道を行くと、私が下宿するまでの二年間を過ごした学生寮があるはずなのですが・・・・・・。

最初の感動が消えてしまうのが残念でしたし、待たせているタクシーの事も気になりましたから、それ以上は歩を進めず、礼拝堂と昔さながらのの赤レンガ風のの校舎にしばらく見惚れ、それを胸に焼き付けて、車に乗り込みました。

 

 

 

旅の最後を私の青春時代の思い出巡りで締め括るることができたこのたびの旅行。

満足以外の何物でもありませんでしたが、体は暑さに耐えかねて、かなり疲労気味でした。

この後、ホテルにもう一泊し、翌日の朝早く広島に向かいました。

その後のお墓参りは、東京から日帰りの強行軍で駆けつけてくれた、しっかり者の長女が同伴。

心強くて、本当に助かりました。

お盆の記述は、先に済ませましたので、、今回の一連の記事は、これで終了にします。

 

やっと書き終わりました。

だらだらと書き連ねてきた私です。

最後までお付き合いくださいました皆様には、恐縮の至りです。。

貴重なお時間を割いてまで、お読みくださいまして、本当に有難うございました。

今回は三記事を投稿したのみですが、またしばらくお休みさせていただきます。

 

サンマの塩焼き・じゃが芋とちくわの煮物・茄子の田楽・きゅうりの酢の物・冷奴・お味噌汁
お味噌汁は、恥ずかしけれど、インスタントでした。

一人ごはんにしては、ちょっと頑張った一昨日の夕食です。

 

私のブログは、日常の出来事を徒然なるままに綴る、ただの日記に過ぎません。

ですが次回からは、新しいカテゴリーの趣旨に多少は添えるように、私のライフスタイルの紹介を、時には記事にできるように努めたいと思います。

今後とも宜しくお願い致します。

 

秋らしい爽やかなお天気が待たれますが、まだ気候が不順なようです。

皆さま、くれぐれもお体をご大切に、よき日々を、お過ごしくださいませ。

 

  
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京都の旅 二日目 ♪ 

2016-09-26 07:21:08 | 旅行

昨日は、旅行記の続きを書くつもりでしたのに、ふと心に浮かんだ思いを書くうちに、文がまとまってしまい、それを一記事にしてしまいました。

今日は、また京都旅行の続きに戻ります。

他人の旅行記なんて、読んでも退屈でいらっしゃることでしょう。

宜しければ、せめて画像だけでも見て、楽しんでいただければ、幸いに存じます。

 

二日目の旅程を、今日はまず最初にお知らせしますね。

銀閣寺~哲学の道~法然寺~永観堂~南禅寺~私の母校の大学~父の母校の大学

こんなルートで、順調に観光を終了し、午後の5時過ぎには、ホテルに戻りました。

 

一日目の観光を終え、ホテルの和食処へ向かうとき、目に留まった生け花です。

 

昨日は、余りの人混みで、それに酔ってしまい、清水寺の印象が、必ずしも良いものではなく、スタートから少々つまずいた私ですが・・・・・・。

二日目、最初の観光スポット、銀閣寺(正式名称は、慈照寺)は、どうだったでしょう。

意外にも、観光客は少なく、とても静かな境内でした。

東山文化のわびさびを代表する、室町時代の建築物。

奥が深すぎて、私が十分理解できたかどうか疑問ですが・・・・・・。

風流人でありながら戦乱の世を生きなければならなかった、足利義政の苦労を思いながら、広い境内を巡りました。

 

銀閣寺を代表する建物が銀閣(観音殿)です。
現存する唯一の室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築で、下層は書院造りで住居風の「心空殿」、
上層が禅宗様式の「潮音閣」となっています

 

 

本堂の前には砂を波形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)があります。
白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や向月台が、月の光を反射して銀閣を照らし、向月台の上に座って東山に昇る月を
眺めたと言われています。
画家の岡本太郎もこの庭を愛した一人で、銀沙灘や向月台は「私の発見したよろこびの、もっとも大きなものの一つだった」と、
この庭をとても気に入っていたそうです。


 

東求堂

現存する日本最古の書院造

画像の説明文は、ネットによる紹介記事からの、すべて引用です。

 

銀閣寺は、その筆頭とはいえ、どこの古寺名刹の庭園も、本当に素晴らしい。

どこから見ても死角がないといっていいくらい、実に美しい姿で、私の目に映ります。

造園に携わった方々に頭が下がり、日本人のすぐれた美意識を、改めて私は誇りにに思いました。

 

銀閣寺を後にして、次に向かったのが哲学の道です。

寺院を出ると、ほど近い所に、その道の入り口があります。

出口まで二キロの散策路。

心から魅されました。

その風景に目を遊ばせ、旅情に思い切り浸りながら、自分の徒歩ペースで、散策することができた私です。

 

清廉な緑に、心が洗われるようでした。

しばらく、その道なりの画像をたくさん載せます。

ご一緒にお散歩をどうぞ♪

 

 

 同じような景色が続くようでいて、微妙な変化を醸し出す、その地点地点の情緒に心打たれます。

そのたびにシャッターを押し続けました。

 

 

人影がほとんどないのも幸いでした。

このあたりにお住いで、お散歩を日課にしている方が、本当にうらやましい~、と。

哲学の道ですから、思索にふけりたいところですが、夫のことを思いながら歩いた程度でしょうか。

もし夫と歩いた想い出があれば、この道の雰囲気の影響で、私の心は感傷的になり、涙が止まらなかった事でしょう。

そのような想い出がなくて、私は随分助けられました。

 

 哲学の道を逸れ、法然寺へと。

 

哲学の道の途中で、法然寺に立ち寄りました。

こじんまりした古刹でしたが、立派な寺院ばかり見てきた私には、却ってそれが新鮮に映り、味わい深いものがありました。

 

法然寺

浄土宗元祖の法然上人ゆかりの土地に建てられた念仏道場のようです。
まるで山中にあるような俗気の少ないこのお寺の閑寂さを、多くの文人や学者たちが愛したとのこと。

 

 

法然寺を出て、また哲学の道を散策です。

道なりに流れる疎水は、これから向かう南禅寺に通じています。

 

 

 

この道を抜けて、しばらく歩き、たどり着いたのが永観堂です。

 

永観堂の正式名称は禅林寺。浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。
開基(創立者)は、空海の高弟の僧都です。
また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つ。古くから学問(論義)が盛んでな所です。。

 

想像以上に、大きくて立派な寺院でした。

複雑な回廊が至る所にあります。

傾斜の地形を生かし、非常に巧みに築かれた名刹といった感じでした。

 

 

庭園の繊細な枝姿の楓の緑が目にまぶしく輝き、その美しさはたとえようがないほど。

私は、我が家の庭も、草花を植えるのはやめて、もみじの林にしようかしら、と一瞬思ったほどでした。

 

 

秋になると、この樹木の林が見事な紅葉に彩られるのでしょう。

「紅葉の永観堂」と言われているほどですから、その美しさは見なくても、十分想像がつきました。

その季節に、いつかぜひ再訪したいものです。

 

 

この後、観光は南禅寺、私と父の母校と続きます。

間違ったことを書いてはいけないと思い、紹介した寺院の由来を調べ直すのに、結構手間がかかりました。

それでも、誤った説明があるかもしれません。

齢に免じて、お許しくださいね。

このあたりで、また打ち切らせていただきます。

 

 
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清廉な緑に、心が洗われるようでした。

しばらく、その道なりの画像をたくさん載せます。

ご一緒にお散歩をどうぞ。

 

 

 同じような景色が続くようでいて、微妙な変化を醸し出す、その地点地点の情緒に心打たれます。

そのたびにシャッターを押し続けました。

 

 

銀閣寺以上に、観光客はまだらなのも幸いしました。

来てよかった、と心から思え、このあたりにお住いで、お散歩を日課にしている方が、本当にうらやましいと。

哲学の道ですから、思索にふけりたいところですが、夫のことを思いながら歩いた程度でしょうか。

もし夫と歩いた想い出があれば、嗚咽してしまうほど、私の心は、この道の影響で感傷的になってしまったことでしょう。

そのような思い出がなかったことで、私は随分助けられました。

 

 

 

道なりに流れる疎水は、琵琶湖から惹かれたもので、南禅寺に通じています

哲学の道の途中で、法然寺に立ち寄りました。

こじんまりした古刹でしたが、立派な寺院ばかり見てきた私には。却ってそれが新鮮に映り、味わい深いものがありました。

この説明も、画像の下に簡単に書き留めましたので、宜しければ目を通してくださいね。

 

 

この道を抜けて、しばらく歩き、たどり着いたのが永観堂です。

想像以上に、大きな寺院で、回廊が至る所にあり、丘陵の地形も生かし、非常に巧みに築かれた名刹といった感じでした。

 

庭園の楓の緑が目にまぶしく輝き、その美しさはたとえようがないほど。

私は、我が家の庭も、草花を植えるのはやめて、楓の林にしようかしら、と一瞬思ったほどでした。

秋になると、この楓がみごtに紅葉するのでしょう。、

紅葉の永観堂と言われているほどですから、その美しさは見なくても、十分想像がつきました。

その季節に、いつかぜひ訪ねたいものです。

この後、観光は南禅寺、私と父の母校と続きますが、なんだか買気付かれてしまいました。

このあたりで、また打ち切らせていただきます。

他人の観光の話なんて、さぞ読んでいても退屈でしょう。

申し訳ありませんが、日記ゆえ、記録として書き留めないわけにはいかず。

私自身は、綴ることで、その時の情景を思い出し、旅情に浸り直しているところがありますが・・・・・・。

 

溢れる思いを走り書きしているだけで、表現もありきたり。

ボキャブラリー不足の私ゆえ、どうしようもありません。

も一回、旅行の記事がありますが、どうぞ皆様は、スルーでお願い致します。

もっと短く、行間に思いが込めた雰囲気のある文章がかけないものかしら。

努力して、短文記事を目指し、実現したいものです。

 


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旅行記は一休み 雑念を徒然なるままに

2016-09-25 07:13:29 | 旅行

毎回の事なのですが、新しい話題でブログを書きはじめる前は、

学校の作文の宿題を目の前にしたようなストレスが、必ず私には付きまといます。

「上手くまとめられるかしら?なんだか不安で、まるで自信がないわ」

そんな気持ちです。

自らの語彙不足、一般教養不足の認識ゆえでしょう。

書くことが大好きだったら、ブロガーライフは、もっともっと気楽で楽しいものになるはずにちがいありません。

そういう方々も、いらっしゃるはずです。

本当に羨ましくて。

 

それなのに、相変わらず長文ばかり綴り、苦労をしている私。

変な人ですね~(笑)

 

但し、自分でもとても意外にいつも思うのですが、綴り始めると、割と早くキーを打つ手が動きます。

頭で考えている間は、文は一向に浮かばなくても、書き始めると、思いが溢れてくるところが私にはあるようです。

 

最近、読み終えた「村上春樹雑文集」のお蔭で、文章を書くときの心構えが、ほんのちょっぴり、わかったような気はしているのですが。

この方の本は、5~6冊読んだけれど、私が惹かれる本ではありませんでした。

でも雑文集を読んで、村上春樹氏の人柄は、私が外見で受ける好印象そのままの人だとわかり、書物はともかく、なんだかファンになってしまったみたい。

とてもいい方ですよね。

世界的に評判が高い文豪に向かって、こんな表現は失礼かしら。

ごめんなさい!

いつかもう一度、読み直してみようなんて、今思っています。

小説のストーリーを、もっと深く理解できるかもしれません。

 

 銀閣寺の庭園の山道。ここを登り切ると、素晴らしい眺望が開けます。

 

実は、この一両日の間に、強く自分の心に誓ったことがあります。

またお話が旅行記からか脱線しますが、重大報告ですので・・・・・・。(笑)

長文とは、きっぱり決別し、残り二つの旅行記を投稿し終わったなら、その後は短文を目指します。

今その地ならしのため、すでに四つ記事の下書きをしてみたりしています。

今度こそ、といった思いでいます。

ですから、今回投稿する残りの記事は最後の長文になるかもしれません。

 

私は、長文が悪いといっているわけでは全くありません。

私の場合、そのために、日々の貴重な時間の割り当てが、ブログに対して多すぎて、他の事が犠牲になっていることが大きな問題!

ずっとその悩みを抱き続けてきましたから

 

その疑問と悩みを解消するには、短文に切り替えるしかないと思うようになりました。

出来れば千字前後が、今のところ目標です。

短文にするためには、溢れる思いを凝縮し、言葉を選ぶ意識を一層強く持って、ブログに臨まなくてはならないのでしょう。

そんな才能が自分にあるとは、とても思えませんが。

 

「ブログなんて、ただの日記に過ぎないわよ。真面目に受け止め過ぎじゃない」

と言って皆さんが苦笑いなさっているかもしれません。

本当にその通りですね。

気楽に臨んで愉しめばいいだけ。

そうしたいものです。

 

今日投稿のつもりだった旅行記を綴る前に、ふと頭をよぎった雑念を文にしたところ、まとまった記事になりましたので、今日はこれで終わりにします。

残りの旅行記二編は、急遽変更して、明日に回させて頂きます。

 


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夫のお墓参りと祇園 

2016-09-24 07:23:26 | 旅行

京都旅行記の途中で、余儀なく更新を中断してしまいました。

未完成の残りの記事が、まだ数編ありますので、それを投稿し終わったなら、しばらくまたお休みしたい、と思っています。

ここ数日の間に、秋のお彼岸のお墓参りで、郷里の夫の菩提寺に、また出かけてきました。

49日の法要を入れると、今年四回目の帰広になります。

いつもその時は小旅行も兼ね、往復の新幹線代を、有効利用するように心がけている私です。

 

今回は二泊三日で、神戸の旅を愉しみました。

感動の数日間でした。

本当に楽しい旅行を満喫できたと思っています。。

二日目は嵐の中での観光といった、おもいがけないハプニングに見舞われましたが、それもまた楽し。

今では良き思い出となっています。

高齢者らしくない、自分の無鉄砲さ振りに、少々呆れてもいますが・・・・・。(笑)

 

二泊三日の神戸旅行の後、郷里に戻り、夫の墓参。

二時間くらい、菩提寺の境内で、いろいろな思いに浸り過ごした私です。

遺族年金暮らしとなり、以前に比べますと、節約に心がけ、かなり切り詰めた生活を送っています。

でも、不自由なく、心豊かに日々が送れる私。

これも、夫のお蔭以外の何物でもありません。

家族みんな元気で過ごしていることを報告し、溢れるようなありがとうの気持ちを胸に、いろいろ語りかけてきました。

その間、涙で目が潤んで仕方なかった私です。

家にいる時も、夫の存在をいつも感じながら過ごしている私ですが・・・・・・。

お墓の前に行くと、特別な感情が新たに湧いてくるものですね。

夫の息遣いさえ聞こえてきそうな近さを感じます。

 

思うだけでなく、多少無理をしてでも感謝の気持ちを行動で表したい、と願う私。

夫がそういう人でしたから。

不愛想で寡黙だった夫の本当の優しさについて、いつかもっと具体的に語りたいと思います。

 

そろそろ、お休み期間の思い出綴りは、このくらいに今回は留め、京都旅行の話に戻ります。

前回は、高台寺の観光を済ませたところで終わりました。

高台寺の後、向かったのが八坂神社。

京都らしい趣きある古い土塀が連なる道を通り抜け、八坂神社に到着。

 

この神社は、全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社の総本社で、通称として祇園さんとも呼ばれるそうです

7月の祇園祭(祇園会)でも知られる寺院です。(Wikipediaより引用)

 

手前が、舞殿。奥が本殿です。

 

私は、八坂神社は、裏側から境内に入り、表門から、懐かしい通りに出たと思いこんでいました。

ところが、どうも私は勘違いしていたようです。

八坂神社の事を調べ直すうちにわかりました。

最初に潜り抜けた南楼門が正門で、頻繁な交通がある大通りに面した画像の門は西楼門に当たるようです。

 

感慨が込み上げてくるような懐かしい通り。

学生時代、この界隈を幾度も歩いた記憶があります。

このころには夕闇が迫ってきましたので、八坂神社の観光は簡単に終え、学生の時はまったく興味がわかなかった、花街の祇園へ。

今の私は、興味津々です。(笑)

 

八坂神社に突き当たる大通りの次の信号を左に曲がると、まさにそこが祇園。

祇園花見小路の入り口の角に、大石内蔵助や西郷隆盛、その他の有名人が出入りしたといわれるかの評判高いお茶屋さん、一力亭があります。

舞妓さんの接待も当たり前で、さぞや、お値段が張るのでしょう

私には、全く無縁のところですが、私の父方の祖父は、幾度か出入りしたようでした。

京都人ではありませんでしたから、所用で出かけたときに、接待を受けたのでしょうか、

 

左の建物が、一力亭です。

 

そのお茶屋さんの影響が、私が生まれ育った実家の家に、色となって表れていました。

その家は、祖父から、両親が譲り受けたものでしたが。

英国留学から帰国後、知り合いの設計士に依頼し、建てられたその住まいは、昭和初期にしては、斬新でモダンなところが一部にありました。

応接間は、三角屋根で天井がとても高く、窓は上下に上げ下ろしする西洋風の作りでした。

台所も広くて、ダイ二ング並みでした

更に斬新だったのが、柱がすべて黒塗りだったこと。

西洋風な応接間とのちぐはぐさは、否めませんが。

 

実は、この黒塗りの柱は、祖父が一力亭の建物の意匠に惹かれ、その柱の色を真似たとのこと。

私は学生の頃から、この話は知っていて、一力亭の前を通るたびに、祖父の事を思い出したものです。

その一力亭の横を通り過ぎ、花見小路をのんびり散策。

はんなりした独特の雰囲気で、京情緒が一杯でした。

 

突き当りに所在する建仁寺まで足を運びましたが、このあたりで体力はもう限界。

ホテルに戻りたぁ~い。

切実に、そう思いました。

そのため、建仁寺は、ちょっと中まで入りかけましたが、鎌倉の建長寺にとてもよく似ていて、なんだかとっつきにくいお寺の印象。

俵屋宗達の有名な襖絵が見られるようだけれど、もう歩く元気がない、と諦め、Uターン。

元の入口に向かいひたすら黙々と歩いている時、なんと幸運にも舞妓さんに巡り会えました。

カメラのシャッターを慌てて押した私です。

 

この通り以外に、もう一か所、みたい祇園の街並みが私にはありました。

同窓会の時、案内された「祇園の白川」です。

柳の緑と、川と、そこにかかる京情緒あふれる石橋や町屋風の建物が一体となって私の目に飛び込んできました。

これぞ京の花街。

華と清々しい妖気が漂っている感じがその時しました。

大袈裟にいえば、次元の異なる小社会を見たような感じと言えばいいのかしら。

その光景が、私の心に焼き付いていました。

 

ですから、是非ゆっくりと散策したかったのですが、もう私には体力が残されていなくて。

タクシーを拾い、その場所を通ってもらっただけでした。

けれど、既に日が暮れて薄暗く、車窓からでは、その良さを感じることは、ほとんどできませんでした。

降りて、しばらく散策したいのは山々だったのですが。

そのままタクシーで、ホテルへ直行。

食事の予約の時間が迫っていましたから、身なりを整え、「入船」と言うお食事処で、京会席のコース料理をいただきました。

 

 

明日のために疲労を回復しなくてはなりません。

入浴し、すぐ床に就きましたが、余程疲れていたのでしょう。

満たされた心で心地よい眠りに、すぐ就くことができました。。

 

 「今日もありがとう! 」と、旦那さまに語りかけながら・・・・・・。

 


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京都の旅 高台寺から祇園まで 

2016-09-17 07:44:15 | 旅行

今日は「ねねの道」を歩き、高台寺を訪れたところから始めます。

私は「ねねの道」は高台寺の山門に通じる、細い石畳の場所を言うのだと思っていました。

ですからその趣ある参道を、感慨深く踏みしめながら歩いたのですが・・・・・・。

この記事を書くにあたって、ガイドブックを読み直したところ、幾分私は勘違いしているような気がしました。

もっと広い範囲の道を指すようです。

慣れない一人旅で、不勉強な私の事。

間違った記述がいろいろあるかもしれません。

お許しください。

 

 

高台寺の山門に通じるねねの道

可愛いお子さんから目が離せなくなってしまった私です。

 

 もう一枚。帰りにまた会えました。可愛い!

 

「ねね」との愛称で親しまれている豊臣秀吉公の正室、北政所に対して、悪い印象を抱く方は、あまりいらっしゃらないのではないでしょうか。

歴史には詳しくない私ゆえ、私の思いに自信は全くありませんが。

個人的には、とても良いイメージのねねさまが、秀吉公が亡くなった後、その死を弔うために、建てたといわれる高台寺。

北政所様は、出家後、法名は高台院湖月心尼となり、このお寺で、晩年を過ごされたようです。

敵方だった徳川家康は北政所を手厚く扱い、この寺院の建立への協力を惜しまなかったとのこと。

 

 

このような予備知識をもってこのお寺を観光しましたが・・・・・・。

何かそこには、優しく温かな霊気が漂っているような印象を受けました。

清水寺とは違い、とても心惹かれた私です。

何故か観光客も少なくて、静かな境内を、ゆったりした心持で観て回ることができました。

遊び心のある庭園が、印象的でした。

 

 

外は炎天で、うだるような暑さでしたが、このお寺の境内は、常に爽やかな風が吹き抜けていて、気温は数度低いといった感じ。

まさに別天地といった印象です。

風の道など、いろいろ細やかな配慮がなされたのかもしれませんね~

 

 

とてもとても気に入った寺院でしたのに、悲しいことに、自分の感想を詳しく述べられるほどの細やかな記憶は、すでに消えています。

お寺は、どこも似た景観で、際立った個性はありませんもの。

でもこの度の旅行で訪ねた古寺名刹の中では、特に気に入ったお寺であったことは確かです。

私が好きな歴史上の人物、ねねさまの生涯に思いを重ね、わたしは感無量になりました。

 

観月台
この観月台から北政所は亡き夫 豊臣秀吉を偲びながら月を眺めたと伝えられています。

 

戦乱の世の中ながら、あまり敵を作らず、豪気且つ微細な心配りで世の中を渡り、敵味方を問わず、多くの人から敬愛され、生涯を終えたねねさまは、ある意味私の理想の女性像かもしれません。

若い武将を育て、イエズス会の宣教師たちにも理解を示し、政治力、交渉力にも優れた、賢明な女性だったようです

 

歴史が得意とは言えない私ゆえ、この記事を書くにあたって、今朝、束の間の時間、復習もしました。

ねねの名称が、最近は「おね」に変わりつつあるようですね~

 

開山堂

 

いろんな感慨を胸に、散策した境内でした。

最後に、お庭の中にあるお茶屋さんで、お抹茶と和菓子で一服。

時間も余り気にせず、周りへの気兼ねもなく、のんびりできたひと時。

一人旅の良さを、またしみじみ思いました。。

 

 

秀吉と北政所を祀る霊廟が、外の通りに面してありました。

恐らく高台寺で必見の重要な建物なのでしょうが、私はちらっと横目に見ただけで、頭も下げず、通り過ぎてしまいました。

写真も撮らず・・・・・・。

そのため、その画像を載せることができません。

こんな見落としは、他にもいろいろあったでしょう、私の一人旅です。

 

この後向かったのは、八坂神社と祇園花見小路ですが、長くなりますので、今日はこのあたりで一旦打ち切ろうと思います。

 

八坂神社

 

明後日から、秋のお彼岸のお墓参りで、小旅行も兼ねた帰郷をまた致します。

多少風邪気味で、体調が万全とはいえません。

旅立つ朝まで更新して、この旅行記を終える予定でしたが、明日からのブログ綴りはよして、休養に努めることにしました。

途中のままで、申し訳ありませんが、お許しください。

 

私の実家と一力亭の関連性とは、そのお茶屋に出入りが多少あった祖父が、その意匠が気に入って、家を建てる時、その一部を取り入れた、と言ったことに過ぎません。

思わせぶりなことを書いて、そのままお休みしては、失礼ではと思いましたので、一言、簡単にお話させていただきました。

詳しい事は、またブログの更新を再開したときにでも。

 

思いがけずたくさんの応援をいただき、新しいカテゴリーにもかかわらず、ランキングが一気に一位に上り詰めてしまい、恥ずかしくて仕方ありません。

シニアーのカテゴリーに参加している時、温かな応援をしてくださった方達が、引き続き、心に掛けて下さっているお蔭もあるでしょう。

本当に有難うございます。

私のブログの内容が、ライフスタイルのカテゴリーにふさわしくないのでは、との不安がいまだに抜けなくて。

このまま、ここにいさせていただいていいのか、悩んでいます。

 

色々迷いもありますが、旅行中は、ブログの事もすっかり忘れ、非日常の空間で夫を偲びながら、良い時を過ごして来ようと思っています。

気候不順の折、皆様も、ご自愛の上、良き連休をお過ごしになられますようお祈り申し上げます。

 

追記

大切なことを書くのを忘れていました。

明日は、義弟の白内障の手術の日です。

無事に終わり、成功しますように。

ひたすら祈るのみです。

妹のブログに経過報告があることでしょう

旅先に滞在中の時は、電話による報告を待っていますから、随時伝えて下さいね

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京都の旅 清水寺から祇園の花見小路まで 

2016-09-16 07:05:47 | 旅行

ホテルでチェックインし、できるだけ身軽な荷物で、いよいよ京都観光のスタートです。

近所の書店で準備したガイドブックを、ある程度読み込み、私なりに観光ルートを決めています

ホテルマンに見送られ、タクシーに乗り込みました。

まず最初に向かったのは、清水寺。

余りにも有名なこのお寺を最初に選んだ理由の一つ。

それは、数か月前に読了した浅田次郎の書物で、このお寺が絶賛されていた事かもしれません。

 

日本有数の観音霊場として平安時代から栄えた清水寺

 

他にもに、清水寺周辺の観光では、私には忘れられない良き思い出があります。

十年くらい前のことになるでしょうか。

高校の同窓会が京都で開かれました。

その時、清水寺を訪ねたのですが、その後、お寺近辺の小路を、京都に大変詳し方の案内で、幾つか通り抜けました。

如何にも京都らしい風情と趣きで、とても魅了された私です。

その時は友人達とお喋りしながらの散策でしたから、心行くまでその良さを味わう気持ちのゆとりは持てませんでした。

そのため、またいつか再訪したいと、思い続けていた私です。

その願いがこの歳になって、ついに叶いました。

 

仁王門

赤門とも呼ばれる清水寺の正門です。

 

ところが清水寺は、大変な混み様。

私は、人に酔ってしまった感じで、そのお寺の良さを味わう心すらどこかに吹っ飛んでしまいました。

三重塔、本堂、地主神社、音羽の滝などの観光スポットを一巡ましたが、坂道がきつくて。

有名な舞台の上に立っった時も、思ったほどの感動はなく・・・・・・・。

早々に清水寺を後にした私です。

 

下から見上げた舞台。

ケヤキの柱を並べ、懸造りと言う釘を使わない手法で建てられているとのこと。

京都旅行の写真は、未熟な私の腕では、お天気が良すぎた事が災いしたようです。
満足できる画像が少なくて。

この写真のように、白っぽく映ってしまったものが多くて。
レンズのフードは、好天の日は必須ですね。今回の旅行では、それを忘れてしまいました。

舞台から遠方を望む

妹(ブログ名 世界にただ一つの姥花日記)の話では、音羽の滝を通り抜け、奥まで散策すると、
清水寺の舞台の全貌が眺められ、
素晴らしいそうです。

 

日本人のみならず、欧米人、中国人、その他の観光客で溢れていて、日本観光の人気の高さを身をもって感じることができました。

浴衣姿の人達が多いのにも驚かされました。

会話に耳を澄ますと、ほとんど日本語ではありません。

日本的な浴衣を身にまとい、日本観光するのがブームになっているのでしょう。

その人達が、日本旅行を心から愉しみ、我が国の魅力を知って、親日家がますます増えてほしいものですね~。

私は旅行中、欧米人の方々とは時々目が合い、お互いに笑顔で会釈することも、再々ありました。

 

さて私の本来のお目当ては、清水ではなく、そのあとの散策にありました。

清水寺を出て参道の清水坂をしばらく下りながら歩を進めると、右側に産寧坂、二年坂の標識が目に入ります。

石畳の階段があるかなり急な坂ですが、ここからは下り坂。

私の期待通りの、京情趣あふれる小路。

町屋が軒を連ねます。

まるで、一昔前の時代に身を置いた感じ。

心までしっとり、はんなりして、着物を着ていないのが不自然に思えてくるほどでした。

 

 産寧坂

 

相変わらず人は多かったのですが、浴衣姿の人たちが、その街並みに、実にしっくりと溶け込んでいました。

いろんな名産や工芸品らしきものを売っているお店が立ち並んでいたけれど、買い物には全く興味がなかった私。

その分、通りの街並みの雰囲気を、しっかり味わいながら、産寧坂と二年坂を、のんびりと通り抜けることができました。

 

 二年坂

 

その道すがら、同窓会の時案内され、心に焼き付いて離れなかった小路も私は見落とさずに済みました。

高級なお茶屋さん風の町屋が、軒を連ねている所です。

不思議な品格が漂っていて、京都のハイレベルな場所を垣間見た思いがします。

けれど、一般の観光客は、ここまでは観光の目が行き届かないようです。

この道を行き交う人は、数名に過ぎませんでした。

 

町屋の石垣がまるで石塀のように見えることから、石塀小路と呼ばれるようになったようです。

 

産寧坂と二年坂を通り抜けると、ひろい大通りに出ます。

次の私のお目当ては、高台寺です。

ガイドブックを頼りに確信を持てないまま、やはり京都らしい町並みの広い通りを進んでいきました。

左側沿道に時代を感じさせる町屋風の古い木造の家屋が立ち並び、その屋根越しに、五重塔が見えました。

八坂の塔のようです。

 

 

本当はその塔の傍を通り抜けて、高台寺に向かう予定でした。

私はどこかで道を間違えたのでしょう。

ちょっと残念。

でもこの程度の失敗は、止むを得ないことと思いましょう。

慣れない一人旅を、高齢の私が頑張っているのですから。

まだこれから、ねねの道を歩いて、北政所が秀吉の菩提を弔うために建てた高台寺へと。

そのあと八坂神社、祇園の花見小路と一日目の観光が続くのですが、今日はこのあたりで、一旦打ち切り,この続きは明日に回させて頂きますね。

 

祇園の高級お茶屋さん一力亭と、私の実家の意外な関連性、といった話題もあります。

大したことではありませんが、ちょっとユニークなお話です。

 

 

 
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京都へ ホテルライフも私の愉しみ 

2016-09-15 07:08:53 | 旅行

今日は、私が一番苦手とする旅行記を綴ります。

鎌倉旅行の記事でも綴りましたが、旅先で観光している最中は、無事に予定の旅程をこなせるよう祈りながら、夢中で回ります。

心から楽しいと思う間もなく、一日があっという間に終わってしまう感じ。

無事にその旅を終え、家に戻った時、

その思い出が、ひとこまひとこまのワンシーンとなって蘇がえり、「出かけてよかったぁ~」と、心から思えるものですね。

恐らく、私はまだ、一人旅に慣れていないせいもあるでしょう。

しかし、その旅行から帰り、一月近くも日数が経過してしまった今。

その思い出の記憶も、すでにあやふやです。

苦手な旅行記を綴る自信が、益々なくなってしまって・・・・・・。

書くのに、苦労しそうだなぁ~

 

 

チェックインし、いよいよお出かけです。

 

京都に着いたのは、お昼過ぎでした。

すぐタクシーに乗り込み、ホテルへと。

お薦めホテルをJTBの窓口で伺ったところ、ホテルオークラと全日空ホテルを奨めてくれました。

全日空も、二条城に近く、大変気が動きましたが、今回はオークラに決めた私です。

期待通りの、とても落ち着く良いホテルでした。

京都では、伝統ある、かなり古い建物のようです。

前身は京都ホテルで、その事業をオークラが継承したようでした。

客室からは、東山と鴨川が望めます。

大文字の字も良く見えました。

お盆の初日に、お迎え火が、煌々と燃え盛るのでしょう。

見てみたいけれど、お盆は、家で先祖の霊をお迎えしたい私には叶わないことかもしれません。

 

客室の窓からの風景です。前方の山が東山。うすい茶色に見える所が大文字焼きの場所です。
手前の川が、鴨川です

 

私は、旅行におけるホテルライフをとても重要視しています。

その非日常の空間が大好き。

そこに身を置いて寛ぐ事を、いつもとても楽しみにします。

体力に自信がないので、旅行における休息の時間も、私には非常に重要なこと。

その場所は、できるだけ私の好みに合ったところであってほしい、と願っています。

 

 

観光はほどほどにして、半日はホテルでのんびりが、私の旅行の理想のスタイルかもしれません。

そうしてこそ、多少「ホテルライフ」の言葉がふさわしい、過ごし方になるのですが。

実際は、高い費用を払ってせっかく来たのだから、できるだけたくさん観光しなくては損、といったせこい精神が湧くのですよね。

この度も、ホテル滞在は宿泊のみの短い時間でしたが、それでも、十分私を満足させてくれました。

 

ホテルの建物の意匠を眺めるのも大好きです。

 

お料理は、二日目のフランス料理の味が素晴らしかった。

 レストランの名前は「ベルカント」

雰囲気は、とても庶民的で、ホテル独特の格調の高さは全く感じられませんでしたが。

一家族の団らんの光景が、とても微笑ましく感じられたのですが、声が大きくて・・・・・・。(笑)

 

運ばれた一皿一皿のお料理の盛り付けは、とても美しく、お味も最高でした。

心から美味しいと思えました。

一方、その前日いただいた、和食処の京料理の会席は、今一つだったかなぁ~。

でも盛り付けは、京の雅を感じさせるとても素晴らしいものでしたが。

 

一品一品の画像は、料理ブログに載せるつもりでいます。

 

関東方面では目にしない、はものお料理をたくさんいただけたのも、嬉しい事でした。

本当は、川床料理をいただきたかったのだけれど、一人でその願いを叶える勇気も、意欲もわかなくて・・・・・・。

 

私は一流レストランのお料理の味を評価するほどの味覚は持ち合わせていません。

美味しいとか美味しくないとか言える柄では、全くなくて。

美味しいの基準は、私の好みの味だったといった程度の事ですので悪しからず。

 

 二日目の洋食の前菜です。

 

思いがけずホテルの説明に、時間をかけてしまいました。

明日から、観光した古寺名刹の説明に入りたいと思います。

一番苦手とする分野、どうなりますことやら~何だか書く前からストレスが高い私です

 

 
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お坊さまとの少々可笑しくも意義ある会話

2016-09-14 07:37:58 | 家族

お盆シーズンになると毎年、お坊さまが、8月12日に、我が家に見えます。

数年前までは、強面の住職さまがおいでになりました。

とても大柄で貫録があられ、一見、そのご風貌は弁慶のよう。

私は大きな目を向けられると、ちょっぴり緊張してしまい、少々苦手なお坊さまです。

 

ところが、数年前から、その住職様に代わり見えるようになったのが、跡継ぎのご長男さん。

数年前にご結婚もされました。

お若いのに、とても人間ができた立派な青年です。

お顔立ちは、私が心から敬愛して止まない住職の奥様、すなわちお母様似でいらっしゃいます。

眼差しが、とても優しくて柔らか。

私がいつも感心するのは、お若いのに、なかなかの聞き上手でいらっしゃること。

じっと耳を傾け、最後まで私達の話を聞き、適切な答えを、いつも提供してくださいます。

 

私は、娘や妹に、私が死んだ時は、住職様でなく、息子さんに葬儀のお務めをお願いしてほしい、と言っているほどです。

ミーハー的な言い方をするなら、私は、このお坊さまの大ファンなのです。

 

 

住職様がおっしゃるには、

「~さんのお宅の人達はみんな優しいから、息子にお願いすることにしたのですよ。

『何故住職が来ないのだ』と文句を言う人が結構多いのです」

とのことでした。

理由は何であれ、私は大ファンの息子さんのお越しを大歓迎です。(笑)

 

この度のお盆でお見えになられた時も、お茶のひと時に、このまだ若いお坊さまから、とても有意義なお話をうかがうことができました。

年甲斐もなく、私は頓馬なことを尋ね、恥をかいたも同然だったのですけれどね。

 とは言っても、お話は、結構厳粛な内容です。

 

実は、私はいまだに、旦那さまの分骨を手元に置いています。

むろん、本骨は、四十九日の法要後に、郷里の菩提寺に埋葬しました。

そしてはじめは、間をおかず、分骨も当地のお墓に埋葬予定だったのですが・・・・・・。

住職の奥様が、

「急ぐ必要はありません。しばらく傍に置いておかれた方がいいんじゃあないですか」

とおっしゃって下さったのです。

 

私には思いがけない言葉でしたが、とても嬉しくて、素直にその通りにしました。

けれど、桜の咲く頃には、さらに夫のお誕生日の頃には、と埋葬の時期を、次第に延ばしていきました。

手放したくなくなってしまったのです。

夫の遺骨が傍にあるだけで、私は何だかとても心強くて、寂しさが和らぎます。

 

お食事は、私がいただく前に、必ず夫に供えています。
お腹が空いていると、忘れることも多くて、そのたびに「ごめんなさい!」って言って謝ってばかり。

この画像は、お昼食時のものです。

 

けれど、私には、その状態を心からよいと思えない、何か不安な気持ちがが常に付きまとっていました。

分骨を埋葬しないでいると、夫の霊が、落ち着きどころを見失って、安らかに永眠できないのではないかしら。

住職様に、この点をいつかしっかりお尋ねしようと、思っていたのです。

 

その前に、その不安な気持ちを、幾分か安心させてくれるような新聞記事が、目に留まりました。

ニュースコメンテーターとして長い間活躍された、田原総一朗さんのお話です。

彼は、愛妻家で知られた人でしたね。

田原氏は奥さんを失われて、もう何年になられるのでしょうか。

未だに埋葬はしないで、奥様のお遺骨を自宅に置いておられるとのこと。

彼ほど高い学識のある方が、そのようにされているのであれば、人の道を外れた行為ではないのでしょう。

私は、そのように思い、少し安心しました。

 

そして、お盆におけるお坊さまのお話をさらに伺い、不安な気持ちがすっかり無くなった私です

「ずっとそばに置きたいのであれば、そうしても一向にかまいませんよ」

とのお言葉だったからです。

 

 

但し、もう一つ、とても不安に感じていることがありました。

私は、よくその骨壺の入った桐の箱を、夫の書斎に運びます。

何故なら、旦那さまは元気な頃、何よりもその書斎の居住空間を愛した人だったからです。

でもそのお遺骨は、分骨にしてはとても重いのです。

もし万一、大地震に見舞われたなら、私はそれをもって避難することは不可能に思え、とても不安でした。

 

ですから、どうすればいいのか、その点も、お坊さまに尋ねました。

すると優しい笑顔で、

「その時は御位牌をもって避難してください。遺骨は置いたままでいいですよ。

大切なのは御位牌です。

御位牌には、亡くなった人の魂が込められているからです。

お寺では、火災などに遭った時、すぐ避難させるべきものは過去帳なんですよ」

とおっしゃいました。

 

私は時々、夫の遺骨を書斎に運んでいるといったところ、笑いながら、おっしゃいました。

「転んだらどうしますか。遺骨ではなく、御位牌を置くようにしてください」

「本当にそうですね~。転ぶと、夫の遺骨が散乱しかねませんものね~」

同席していた、次女家族や妹も、納得した顔で、笑っていました。

 

恥ずかしくて仕方ありませんでしたが、お坊さまのお話を伺い、心から安心した私です。

いつまでこのようなことを続けられるか、自分でも分らないけれど、今の私は、旦那さまの分骨をいつまでも身近に置いておきたい、といった気持ちでいます。

私が亡くなった時、一緒に埋めてもらうのが理想だけれど・・・・・・。

 

            

昨日の私のお料理ブログの記事は、レシピ付き献立です。
個々に紹介させていただいたお料理を献立としてまとめたものです。
私なりに、彩、味付け、お料理の形状など、似過ぎないように、メリハリをつけることを心がけているつもりですが・・・・・。
数日に一回程度、まともなお料理を作り、後は残り物だったりと、実に適当です。

ブックマークに私の料理ブログを載せています。

 

  
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わが家のお盆の過ごし方

2016-09-13 07:34:37 | 日記

私たち家族は、大きなイベントがある度に、必ず全員、集合して、一緒に過ごすことが、今までの常でした。

お正月、クリスマス、孫たちのお誕生日などが、それに当たります。

その場合は、すべて家庭料理を囲んでの団欒です。

それ以外にも、なんとなく用を見つけては集まり、外食を愉しんでいます。

季節ごとに数回くらいはあるでしょうか。

すべてをブログに綴ってきたわけではありませんが。

先週の週末も、家族全員そろってイタリアンレストランで共に夕食をしました。

 

但し次女家は、それ限りではありません。

我が家から近いので、数え切れないほどの行き来があります。

夫が亡くなってからは、週末はほとんど夕食を共にしてきました。

 

次女宅で 手巻きずしをご馳走になった日の食卓風景です。

 次女宅です

さて、今回の新盆に当たっては、どうだったでしょうか。

私の願い通りではなく、少々不服な所もありましたが・・・・・。

娘達は超多忙の中、精いっぱいの気遣いを、お盆に示してくれたと思うことにしましょう。

 

郷里が地方ですと、家族が全員お盆には里帰りし、親元で過ごすといった風習が日本には少なからず残っていますよね。

そのために、このシーズンは交通機関は大変な混み様です。

けれど、若い人たちに、祖先の人たちを迎え弔うといった意識が、果たしてあるのでしょうか。

夏休み休暇を、郷里でのんびり過ごす、そんな感じかもしれません。

 

でも私はさすが新盆ともなると、それを強く意識しないわけにはまいりませんでした。

夫が、我が家に戻ってくるのだから、家族全員でお迎えして喜んでもらいましょう。

お盆の期間は、娘達には、ぜひ実家に滞在してほしい、と。

 

でも実際はどうだったでしょう。

長女家族は、13日から何と、家族旅行で米国へ。

グランドテトン~イエローストン~サンフランシスコなどの旅程で10日間の自由観光を愉しんで帰ってきました。

夫婦の仕事の都合、子供たちの合宿などの行事の日程を考慮すると、この期間しか休みをとれなかったようです。

 

小さな白い蓋つきボウルが、今回のお土産です。
手前はイタリア、左奥はフランス、スイス旅行のお土産。
こんなお洒落な器にふさわしいお料理を、もっと頑張って作らなくては。

いずれも、飾り用の置物としても、十分使用できそうですね~
今後はそうしましょう。

 

一方、次女家族では、婿のHさんは、この期間、出張でやはり海外へ。

結局、夫が戻ってくる13日に、我が家にいたのは、私と次女と、孫のK君とかれんちゃんだけでした。

人数が少なくて、旦那さまに少々申し訳ない気分にもなりましたが。

次女のMちゃんのお蔭で、お盆の数日を、とても楽しく過ごすことができました。

迎え火も焚いて、夕食は娘の手料理。

 

 お線香用のライターで、迎え火用の薪に点火です。

 

私は京都旅行、郷里の菩提寺の盂蘭盆法要への参列と墓参を済ませ、前々日の夜遅く帰宅。

翌日はお坊さんを我が家にお迎えするといった慌ただしさで、かなり疲労気味。

けれど、一泊して我が家でお盆を共に過ごしてくれた次女と孫たちのお蔭で、その疲れも和らいだ思いがしました。

その後も、その疲労を引きずり、8月の下旬まで体調がすぐれなかったのですが。

無理が祟ったようです。

 

わが家ながら、次女の手料理でお盆の初日を過ごしました。

 

次女ばかりでなく、長女のMちゃんも、気を遣って、娘としてのお務めをそれなりに、頑張ってくれました。

海外旅行に行く前々日、早朝家を出て、日帰りの強行軍ながらパパの菩提寺の法要とお墓参りで、私に同伴してくれました。

 

娘の付き添いが、私にはどんなに心強かったことでしょう。

13日から、海外旅行と聞いた時は、なんという非常識、と少々気分を害しましたが、墓参に同伴してくれたことで、その苛立ちもすっかり消えてしまいました。

長女とは、広島行きの新幹線は、何と偶然、同じ「のぞみ」。

娘は、大阪で乗り換えるルートでしか、切符は入手できなかったようですが、本当にすごい混み様でした。

指定席の車両にもかかわらず、自由席の人が所狭しといった感じで立っていました。

こんな光景を見たのは、私は初めてです。

 

私はお盆までには、家に帰りませんと、夫が戻ってきたとき誰もいない留守宅では、あまりに可哀想。

菩提寺でMちゃんとお盆法要の参列とお墓参りを済ますと、飛んで我が家に帰りました。

 

スマホに記念画像を収めるMちゃん

 

広島駅の駅ビルは、球場へ向かう、赤ヘル集団が凄かった。

夫もさぞ喜ぶであろう、心弾む光景を垣間見ることもできた私たちです。

 

帰りの指定乗車券は、幸いにも私の隣の席が取れたMちゃん。

むろん行きと打って変わり、車両はガラガラ状態。

人の流れが、東京に向かって一方通行であることを思い知らされた日でもありました。

 

家に帰宅したのは、夜の十時を過ぎていました。

帰りは長女と一緒ゆえ、気楽でしたが、疲れたぁ~

でもまだ気を抜くことはできません。

翌日は、実家の菩提寺のお坊さまが、お経を上げに来てくださいます。

禅宗派独特の精霊棚が、次女のMちゃんの手で すでに出来上がっていた我が家。

仏花も整い、一安心です。

翌日、妹、次女家族と共に、お坊様をお迎え。

無事に、我が家での法要は終わりました。

その翌日は、前述のように、お迎え火を焚いて、夫を迎え、次女と孫たち四人で、だんらんを過ごした我が家です。

 

 お迎えの残り火に、じょろのお水をかけるKくんとかれんちゃん

 

その次女家族も、翌々日には、ご義父母様と一緒に、旅行へ。

郷里のお寺でのパパの墓参が一番の目的でしたが。

その前に、義父さまの生まれ故郷の福山に寄り、宮崎駿のアニメ映画で一躍有名にもなった鞆の浦で海水浴。

そこに二泊しして、広島に向かった次女と子供たちでした。

三人で、お墓参り後、宮島にわたり一泊したようです。

 

お盆期間、それぞれの家族が、なんと活動的だったことか。

本来なら全員が我が家に集まり。夫を迎えるのが理想ですが・・・・・・。

旦那さまはそれ以上に、家族のそれぞれの充実した生活を微笑ましく思い、安心して、天国へと、また旅立ってくれたことでしょう。

 

 

また来年も、戻ってきてくださいね。

いえいえ、私は今でも、夫がいつもそばにいてくれると思い、日々を送っています。

 

「人は亡くなった人の事を思い出す限り、その人の中では生を全うしている」

フランスの作家、パトリックモディアノの言葉です。

友人が贈ってくれたこの言葉を、私は大切にしています。

 

            

 

前々日と同じ画像ですが、今回は奥のかぼちゃ料理のレシピを昨日、私の料理ブログで紹介しました。
孫たちは、この料理の酸味が苦手のようでしたが、私はやみ付きになるほどのお気に入りです。
宜しければ、お試しください。

 

 
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新盆への思いとそのために準備したもの 

2016-09-12 07:18:10 | 家族

二回目の記事を、京都旅行にするか、夫の新盆のことを先に綴るか、迷いました。

8月9日からのお出かけ行事において、旅行は、私にとっては付随的なことでしたから、時は前後しますが、お盆の話を先にしたいと思います。

新盆の言葉の響きは、どこか悲しく清らかで、切ないものがありますね~

私はこの日を迎えるに当たり、いろいろ準備する中、改めて夫の死を、しみじみと再認識するような気持ちになりました。

日頃は、夫が書斎にいるような錯覚に私はしょっちゅう陥ります。

とても寡黙だった旦那さま。

難病の目を患う前は、いつも自分の部屋で、読書に耽っているような人でした。

 

日頃は、Yさんのことを思い出し、心残りの後悔や申し訳なさから、目が涙でにじむことはいまだによくあります。

でもそれ以上にあふれるような感謝の気持ちを常に抱き続けている私。

「本当にありがとう」、と声を遺影に向かってかけると、負の気持ちは消えて、心が、すぐ前向きに明るくなれます。

この言葉は、恐らく人の心を元気づけてくれるものなのでしょう。

心からの感謝を伝えられる夫に巡り会えた、自分の人生の幸せを、思わないではいられません。

 

長女のMちゃんが、最近供ええくれたお花です。

 

今日は、私が新盆の前に新たに購入したもの、娘達が贈ってくれたものをご紹介させて頂きますね。

私が準備したものは、「経机」です。

これまで使っていたものは、親の代からの長年の使用で、台の面が色あせてしまい、和柄の小さなテーブルセンターで覆って、目隠しにしていました。

それをこの際、思い切って新しいものに替えました。

 

ただ残念ながら、経机の色を私は間違えてしまったようです。

黒檀か紫檀、どちらにするか随分迷ったのですが・・・・・・。

紫檀は、かなり赤みが強い。

一方、黒檀は木目の茶色が微妙に出て、純粋な黒ではない。

高島屋の仏壇売り場の店員さんのこの説明を聞き、カタログだけ見て、黒檀に決めてしまった私です。

 

仏壇売り場は、高島屋、三越どちらも、一番奥の目立たない場所に、とても小さなスペースで構えています。

そのためか、売り場には実物はありませんでした。

 

 

ところが届いた経机は、墨のように真っ黒。

その色の重たさが、私の心に影を落としそうで、なんだか心配になりました。

紫檀にすればよかったぁ~

後悔しきりです。

黒檀と違い、女性的な柔らかな色合いだったに違いありません。

八畳の和室の襖の淵枠は、濃いえんじです。

たたみの淵も同様だから、紫檀の方が絶対あっていたのに。

それに何よりも、その色の方が私の心が和らぎ、気持ちに良い影響を与えそう。

 

紫檀と取り替えてもらえないか、問いあわせてみたけれど、組み立ててしまったものは、交換はもう無理といわれ、諦めざるを得ませんでした。

高価なものだけに、残念だけれど・・・・・・。

実物を見ない買い物は、ネットショッピングで、幾度も私が犯した失敗によく似ています。

軽率な買い方をしてしまった自分をとても後悔しましたが、後の祭り

でもいつまでもくよくよするのは、やめましょう。

神聖なものを冒涜するようで、不謹慎な気がしてきました。

 

 

一方、娘達から贈られたお盆の行灯は、上品な優しい絵柄で、とても気に入っています。

夫の位牌と遺骨(分骨です)の両側に置かれた行灯が、優しく夫、両親をはじめ、ご先祖様を見守っているよう。

娘たちは仕事が忙しく、なかなかわが家にはこれないけれど、その行灯には娘たちの魂が宿っている。

そんな気持ちで私はいつも眺めています。

 

娘たちは、夫はむろんですが、私の両親や義父さまに、とても可愛がってもらったものです。

特に私の母の愛情の注ぎ方は、一方のものでなく、母親の私でさえ真似ができないほど、献身的でした。

お盆は、亡き人たちへの思いが深くなりますね~。

けれど、ご先祖様に悪いけれど、今年の私は、夫への思いで心がいっぱいでした。

さて、お盆の前からその期間、私たち家族はどのように過ごしたでしょうか。

そのお話は、次回に回させていただきます。

 

 
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一月ほど前あたりまで長年、シニアーブログランキングに参加していたものです。
突然の登場で申し訳ありません。
一週間ほどの連続投稿を、短編集(?)を出すような心持で、ひと月に一回程度行っています。
内容はライフスタイルの記事にふさわしくなくて心苦しいのですが・・・・・・。
いつも丁寧な暮らしを心がけたいとの気持ちだけはございますので、このカテゴリーを選ばせていただきました。
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珍しく活動的だった、その後の私

2016-09-11 08:50:31 | 旅行

少しお休みを取らせていただきましたが、、また新しい記事を更新したいと思います。

もう少し、更新のピッチを上げなければ、と思いはすれど、どうなることでしょう。

 

私は、我が家でマイペースで暮らすことに一番重点を置き、その平凡な毎日を退屈と思ったことが一度もありません。

退屈と言う言葉は、私にとっては死語に近いです。

 

そんな私ですのに、夫が逝って後の半年以上の期間、思いがけず、外に向かって積極的に動く機会にしばしば恵まれました。

自発的にと言えないでもありませんが、いろいろな行事に合わせ、ついでのように起こした行動がほとんどです。

 

その皮切りが、四十九日の法要後の、妹との尾道・倉敷旅行。

この時は、旅行慣れした妹におんぶ抱っこで、実に気楽な旅でした。

最終日に、私はインフルエンザを発症といったハプニングに見舞われましたが。

 

倉敷の大原美術館の前で

 

二回目の旅行は、春のお彼岸の墓参のために、広島へ帰郷した時です。

瀬戸内海を望む広島グランドプリンスホテルに二泊し、宮島へ。

ホテル付の桟橋から船に乗り、久しぶりに出かけました。

その時は、案ずるより産むが易しとでも言いましょうか。

とても不安だった一人旅ながら、旅程を順調にクリヤーできました。

尾道・倉敷旅行に於ける、妹の予定表がとても参考になりましたし、幾度も訪れたことがある場所でしたから、割と落ち着いて行動できたのでしょう

雨模様のお天気でしたが、雨に濡れた宮島はしっとりとした趣き。

神社の朱色が一層鮮やかに目に映り、とても素敵でした。

 

宮島の厳島神社

 

次が鎌倉。

これはついでの旅行ではなく、思いついて出かけた純粋な旅でした。

最初は、デパートが去年開業し、運営・企画する旅行会社の日帰りの鎌倉散策に参加の予定でした。

でも、ここは旅費がとても高くて・・・・・

三泊四日の国内旅行の費用を妹が見て、この料金なら、海外旅行だってできるわよ~、と言い出す始末。

日帰りバス旅行の鎌倉は数万かかりました。

その分、サービスは行き届いているのでしょう。

特徴は、お食事が最高級の一流レストランでいただけることです

もう余生は、そんなに長くありません。

絶品の様な一流のお料理に舌鼓を打つ機会なんて、余り持てないでしょう。

この旅行会社を利用すれば、それが可能になりそうです。

 

とてもとても惹かれはしたけれど、次第に、今世間でも流行りの言葉、「もったいない」がが頭をもたげてきました。

結局、契約までしたのにキャンセル。

自信などまるでなかったけれど、日帰りを鎌倉プリンスホテル一泊の観光旅行に切り替え、自力で臨むことにしました。

 

長谷寺

 

結果的には、それは大正解でした。

観光バスに乗って旅行するのも気楽でいいかもしれないけれど・・・・・・。

気ままに自分の好きなように時間をかけて、本当に行きたい観光スポットを巡る。

誰にも気兼ねが要らない。

休息したいときに、いつでも好みの喫茶店などに入り一服できる。

鎌倉旅行で、一人旅を経験し、その醍醐味に改めて気付かされた私でした。

 

 

明月院

 

それでも京都旅行に臨むとなった時、またまた迷いが首をもたげ・・・・・・。

まさに、シーズンは炎暑の真夏。

このたびの旅行は、広島の宮島旅行のように、第一目的は、菩提寺の盂蘭盆法要に参列することとお墓参りです。

季節を選ぶわけにはいきませんでした。

厳しい気候を思うと、一人旅の自信は、また持てなくなる一方だったのです。

 

観光バスに乗ることには、どうしても抵抗があり、タクシー観光を随分考えました。

初孫のR君と夫の三人で、恒例のように出かけた夏の旅行は、ほとんどタクシー観光でしたから。

でも結構タクシー代がかかります。

遺族年金の身には、少々贅沢過ぎの感がありました。

鎌倉旅行で、一人旅の良さが幾分分かった気がしていた私です。

結局、京都旅行も、だれも頼らず、一人で臨むことにしました。

 

京都観光のスタート地点、清水寺の山門より

 

出発の日が迫った数日前、意外にも私は自然体でいられ、鎌倉の時のような緊張感を余り味わないで済みました。

多少、旅行慣れしてきたのでしょうか

さあ~いよいよ出発です。

家を出たのは8月9日。

郷里の菩提寺での盂蘭盆法要は、11日。

同じ日に私の両親の菩提寺で施食会法要もあります。

これは、止むをえない事情なので、今回は妹一人で、参列してもらうことにしました。

12日には、お坊さまが我が家に見えますし、13日には迎え火を焚いて夫を迎えます。

これらの日に留守をするわけにはいきませんから、京都旅行は、広島に行く前に日程を組みました。

 

後に、私のお務めがいろいろ控える中、何とか体調を崩さないで、無事に旅行と墓参を済ませ、帰宅できますように。

そんな祈るような気持ちで、出発した私です。

 

             

 

下の画像は、今日のお料理ブログに載せたものです。

ビールやワインのおつまみにどうぞ♪

レシピを載せていますので、宜しければ、参考になさってくださいね

http://blog.goo.ne.jp/karensakura0403

 

         

 

追記

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