私は政治家らしくない政治家と思い、頭脳も明晰な西村大臣には期待をかけてきました。
話し方も論理明快で、専業主婦の私にもとても分かりやすかったからです。
裏表のない誠実な人。
そんな印象でした。
今日の意見は働いたことが一度もない世間知らずの私の感想に過ぎません。
実は、次女のMちゃんに話したところ、呆れた顔をされてしまいました。
「ママの言うことは、全く理解できない」と言った雰囲気で。
ですから、適当に聞き流してくださいね。
飽くまで個人的な私の思いです。
取引先の銀行員が注意をする。
それがそんなにいけないことでしょうか。
メディアでも呆れた政府の発想。
飲食業者への脅しと変わらないと言っていますから。
もしかすると、本当に政府の魂胆はそういうところにあったのかもしれません。
でもすでにせっかく書き上げた記事ですから、このまま投稿させていただきますね。
最近写真の撮影からすっかりご無沙汰
載せる画像がありません。
それで、私の好きな衣服のコーデを。
日常着です。
銀行員が注意すると脅しになる。
この言葉が、私にはしばらく理解できませんでした。
確かに力関係では、銀行の方がはるかに強いことは明らかですが。
銀行員は紳士的な人が多いです。
人柄も誠実で穏やか。
そんな印象です。
そいえば私の夫も結婚数年後に、大阪支店の国際部から、郷里のお店に転勤となった時のこと。
貸付業務の仕事をしていたようです。
夫の実家は、中心の繁華街から5分もかからないところにありましたが。
その通り道にある飲食店の融資の案件の作成をしていたことがありました。
なぜかその事が、私の記憶に今もしっかりと刻まれています。
夫とは、仕事の話など全くしたことはなかった私ですのに。
もしかすると、そのお店の前を通る時にでも、夫が話題にしたのかもしれません
私はそれを知り、そのお店が繁盛すればいいなぁ~、と思ったものでした。
お店が規則を破りお酒の提供をし、取引先の銀行が注意することになったとしても、融資を取りやめるなどと脅したりするでしょか。
私には、そんな行員を思い浮かべることがなかなかできません。
恐らく、規則を破ってでも営業を続けざるを得ないお店の事情を察して・・・。
お酒を提供しなくても何とか経営が成り立つ方策を、お店の人と一緒になって考える。
そのような行員の方が多いのではないかと。
融資をしたお店が潰れては、銀行も困りますものね。
もし私がまだ若く、その銀行員の妻の立場なら、そのようなお店を何とか救て上げてほしい、と頼むでしょう。
西村氏は、その対策を頭に浮かべられたとき、銀行員が脅すといったイメージは、恐らく抱いておられなかったのでは。
もっと前向きな提案ではなかったかと。
あなたの考えは甘い甘い?
世間の厳しさが、まるで分かっていない。
そう言われそうです。
ハイ!その通りかもしれません
どうか笑って聞き流してください。
一目で私の衣服が見られるように最近写真を撮り始めました。
その中の画像です。
今後も私は西村氏を応援していきます。
私の寝室から仰いだ日の出前の今朝の東の空です。
PVポイントのみ参加しています.
貴重なお時間を割いてまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
先日妹と、夫の勤めていた会社のOBや現役の行員で編成されたオーケストラの演奏会に出かけてきました。
できるのなら、その演奏種目の感想を綴りたいのですが、音楽はずぶの素人。
それを語る資格などまるでなく、一番綴るのを苦手な分野。
たまたま目にした新着記事の「フィルハーモーニ―管弦楽団兵庫公演」の感想を読ませていただき、只々感心。
音楽を聴くとは、こういうことなのだと思い、益々語る自信を無くしてしまった私です。
スターバックスで妹と1時間以上おしゃべり。
楽しかった!
ですから今日の記事は、演奏会は心から愉しめたものの、内容は徒然なるままの雑感にさせていただきますね。
何と言っても一番楽しかったのは、その前後の妹とのおしゃべり。
レストランでのお昼食と、スターバックスでのお茶のひと時でした。
今年になって初めて会いましたが、妹の存在のありがたさを改めてしみじみ思った私です。
1週間ほど前でしたかしら。
妹から電話があり、
「お姉さま元気にしてるの?何だか心配になっちゃった。だって四日間音沙汰なしなんだもの」と。
恐らく娘たちは、二週間電話をかけなくても、私のこと、心配はしないでしょう。
性格も、野球観戦以外、趣味も全く違う私たちですが、こんなに仲のいい姉妹も珍しいのでは、と自負しています。
妹の有難さを思わないではいられません。
妹もブログを書いています。
感性だけで綴っている私と違い、論理的な文章が書け、いつも感心ばかりしています。
読みごたえもあります。
ブログ名は、「世界に一つだけの姥花日記」です。
https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014
応援宜しくお願いします。
立ち姿が素敵な女性は妹です。(笑)
何だか最初から大脱線の記事に。
今日の記事の趣旨である、企業オーケストラを聴きに出かけたことを綴りたいと思います。
場所は、川崎駅前の音楽ホール。
川崎駅に出向いたのは初めての私。
大都会でびっくり。
そんな私がおかしかったのか、妹に、
「今人気が高い武蔵小杉は川崎市だし、お兄さんが入院していた病院も川崎だったのよ」
と。
川崎駅の西口にあった旧国鉄変電所のモニュメント。
新旧の建物の調和の景観も見事でした。
駅前の音楽ホールがある建物も、現代建築を象徴するようなモダンさ。
この建造物の設計に当たった方々の情熱と苦労に、頭が下がるような壮観さでした。
エスカレーターで上階の音楽ホールに到着。
全自由席でしたので、開演1時間前から並んだ私達。
そのお陰で、指揮者の真正面のとても良い席に就くことができました。
建物もさることながら、音楽ホールも実に見事な設計と内装で、私は目を見張りました。
私の周りには、私達と然程年齢が変わらない感じの良いご夫婦を多く見かけ、何だかちょっと羨ましくなってしまった私です。
ご主人様は、おなじ職場で働いていた方々かもしれない。
旦那様がお元気でいいなあ~、と珍しく、ちょっぴり感傷にも浸り・・・。
そしていよいよ開演。
演奏種目のうち、二曲は、私も学生時代好きでよく聴いた「白鳥の湖」とベートーベンの「運命」
感動したのは言うまでもありません。
中学生の頃、クラシックに関心を持ち、父母にステレオを買ってもらい、音楽全集も揃えてもらいました。
でも私は音楽は大好きながら、実に気まぐれな興味の対象。
今は、我が家では三台目に当たる音響機器は故障中。
音楽にはとても飢えていました。
ですから生の素晴らしい演奏に、心から感動したのは言うまでもありません。
夫が働いていた頃は黄金時代でしたが、今働く行員の方々は心労も多いことでしょう。
そんな苦労を背負いながら、ご趣味とは言え、オーケストラの楽員となり、研鑽に励まれる情熱と努力に、心から敬意を表したい気持ちになりました。
心を打つ素晴らしい音楽を提供して下さり、本当にありがとう!
私も妹も、精いっぱいの拍手を送り続けました。
終演後は、妹とスターバックスで大おしゃべり。
震えるような厳しい寒さでしたが、何もかもとても楽しくて、大満足の一日でした。
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ご訪問と温かな応援、 本当にありがとうございました.
駅は人々が行き交い、出逢い、別離、様々なドラマがある場所。
一昔前までは、その代表が、上野駅だったのかもしれませんね。
哀愁を帯びた歌が、この駅を題材にして、よく口ずさまれたのではなかったでしょうか。
人生劇場に一番似合った駅でした。
今、私が一番憧れる駅は、東京駅。
きれいに改装されて以降、観たくて仕方ないのに、結構遠いため、出不精の私はまだ出かけていません。
カメラの素晴らしい被写体にもなりそう。
そろそろ実現したいです。
観光好きのAちゃん(妹のブログ https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014)はこの界隈に詳しそう。
その内、案内してね。
横浜に転居するまでは、帰省の時は、東京駅と羽田空港をよく利用していました。
広島空港が、山中の不便なところに移転してからは、飛行機は数度利用しただけ。
マイホーム新築後は新横浜駅が割と近くなったので、飛行機を利用する気は全くおきなくなりました。
東京駅と新横浜の駅はさておいて、今日の記事で、私が触れたいのは、品川駅と渋谷駅。
先日あったママ友さん達のお食事会の待ち合わせ場所が、品川駅の中央改札口でした。
品川駅は、すでに亡き母方の叔母が住んでいたところです。
若い頃、母と一緒に出かけたことが幾度かありました。
その後、再開発されましたが、それ以降、一度も訪ねていない品川駅。
久しぶりでしたので、楽しみにしていました。
でも、降りた駅の印象は、私は今一つで、ちょっとがっかり。
結構期待していたのだけれど・・・・・・。
雑然としていて、一貫したコンセプトのようなものが感じられなくて、心惹かれるところではありませんでした。
なんて、少々生意気な物言いで、ごめんなさい。
全体像を把握しているわけではないので、間違った印象かもしれません。
期待が大きすぎたために、失望したのでしょう。
渋谷駅の画像のようですが、この場所はどこ?
記憶にないです。
まだこれから完成?
その時、すぐ比較してしまった駅が、私にとって一番馴染深い渋谷駅。
まだ改修の途上で、いたるところ工事中ですが、品川駅より、はるかにスタイリッシュ。
天井が低いのがなんとも残念ですが、これからの進捗が楽しみ。
さすがに私が尊敬する安藤忠雄氏の設計。
(後で調べたところ、安藤氏が設計にかかわったのは、東京急行の管轄のところだけのようです。)
今後への期待は大きいもの、まだ迷路のようで、苦手な渋谷駅。
ところが、この度のママ友さんのお食事会に行くとき、とても良いことに気が付きました。
これまで、気付かなかったのは私だけ?
私は今まで迷うはずです。
自分の直感で、目当てのところに行こうとしたからです。
今回は違いました。
ホームの柱のいたるところ、案内表示が貼ってあるではありませんか。
どの入り口を目指せばよいか、その案内表示を一目見れば分かるように。
JRは8番ゲートといった具合です。
以前から、こんな表示、ホームの至る所にあったかしら。
もちろん、全くなかったわけではないでしょうが。
今も相変わらず、複雑な経路で地上にすぐ出ることができない渋谷駅ですけれど。
構内が次第にすっきりしつつあり、オリンピック開会の頃になると、如何に変貌しているか、とても楽しみになってきました。
恐らく、安藤氏のセンスが随所に感じられる駅構内になるのでは、と、渋谷駅にとても期待しています。
https://www.shibuyabunka.com/keyperson/?id=63
開発するには、莫大な経費が掛かるのでしょう。
それが無駄にならないように、街ゆく人が感動し、心が安らぎ、明るくなるような場所と景観に、どこもなってほしいものと願います。
都市開発の一番の目的は、そこにあるのではないでしょうか
古い歴史的建造物を保存することも、ぜひ重要視して・・・・・・。
我が国の街並みは、国民の財産ですもの。
いずこも、絵になるような素敵な風景になっていくことを、ひたすら願います。
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ありがとうございました。
花のように泉のように
1月のとてつもなく厳しい寒さの日。
一時間以上かけて、錦糸町の隅田トリフォニーホールで催されたオーケストラのコンサートに出かけてきました。
妹に誘われてのことです。
脚の調子があまり良くなかったので、とても迷いましたが・・・・・・。
コンサートへの期待以上に、年初以来まだ会っていなかった妹に会いたい。
そんな気持ちでした。
2~3日に一回は必ず電話でおしゃべりしている、恐らく世にもまれな仲良し姉妹かもしれません。
https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014 妹のブログです。
冒頭から文章が脱線。
コンサートの話題に戻しますね。
妹は、旦那様の影響もあり、音楽にはかなり詳しいです。
私は音楽を語る資格なんてまるでないほど、知識が浅くて、何も知りません。
若い頃は、クラシック音楽にとても憧れ、CDの全集も求め、日々その心地よい旋律を耳にしながら学生生活を過ごしたり、家事をしたものです。
居間とファミリールームの天井にはボースのスピーカーが埋め込まれています。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、メンデルスゾーンとチャイコフスキーの有名なバイオリン協奏曲、ドボルザークの新世界、シューベルトの未完成等などは、特によく聴いた覚えがあります。
ところが、7~8年前に、ステレオ機器が故障すると、そのまま放置。
私の音楽への関心は、その程度なのでしょう。
私が買い求めた三度目のステレオ。
ビクターの商品で、高価ではありませんが、音の良さが新聞でも取り上げられ、一時評判に。
修理に出すか、新しいものを買い求めるか迷っているうちに、歳月が流れてしまいました。
でも、さすがに最近は音楽に飢えていました。
ですからこの度の妹の誘いは、絶好のタイミング。
痛む足を引きずってでも出かけた私です。
妹は前に出かけたことがあるホールでしたので、一番良い席に狙いを定めていました。
開場三十分前に到着し並んだ私達は、素晴らしい席に就くことができました。
演奏するのは、ある企業の社員達。
夫の後輩或いはOB、OGにあたる人たちです。
ですから、親しみも覚え、一層興味が湧きました。
すみだトリフォニーホール
会場は、内装材はがすべて木が使用され、実に落ち着いた優雅な雰囲気。
思わず目を見張る素晴らしさ。
一階も二階も三階も満席の大盛況でした。
三曲、演奏がありましたが、メインはブラームスの交響曲第一番。
さすがに巨匠の名曲。
格調の高い壮麗な旋律に聞きほれてしまいました。
しばらく眠っていた感覚が目覚めたような感じ。
クラシック音楽はいいなあ~と、私は改めて心から思いました。
長女の孫娘は、中学校の管弦楽部でサクソホーンを演奏しています。
その定期演奏会でも、いつも感動する私でしたから、この度のの演奏は言うまでもありません。
長女家の孫娘が部員として活躍する吹奏楽部の定期演奏会
ここでお断りもなく、お名前をまた出させていただきます。
申し訳ありません。
私が愛読させていただいているデ某様のブログでは、更新の度に、心の琴線に触れるような素晴らしい音楽が紹介されています。
お陰様で、記事とともに、その音楽を心から愉しませていただいている私ですが。
その一つ、2019年のニューイヤーコンサートが私の心を引き付けてやみませんでした。
見慣れた企業の元社長さんのお顔もありました。
こんな会場に身を置いて、一生に一度でもいいから名曲のクラシックを聴いてみたい、と見果てぬ夢を心に描いた私です。
来年は絶対、NHKのニューイヤーコンサートの番組を見落とさないようにしましょう。
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花のように泉のように
先日、上野の森美術館で催されていた「デトロイト美術館展」に出かけ、ゴッホ、ピカソ、ルノワールその他の名画を鑑賞してきました。
名画鑑賞は、日帰りの箱根バス旅行で妹と一緒に訪れたポーラー美術館以来、数か月振りの事です。
何と、それも最終日。
酷い混雑が予想されましたが、非日常の空間に浸って、現実から少々逃避したくて仕方なかった、そのころの私。
名画鑑賞は、その目的には、絶好の場所です。
そのため、身を刺すような冷たい木枯らしが吹く日でしたが、思い切って一人で出かけてきました。
わが家からは、結構遠い上野です。
家事を済ませて、軽い昼食をとってから美術館へと、少々遅い出発でした。
四時半閉館とあって、少し気が焦り、足早に。
それにしても、閉じるのが早いですね。
最終日だからと言うわけではなさそうでした。
二時前に到着した私でしたが、入場券売り場の行列は思ったほどの混み様でなく一安心。
ところが、その行列に身を置いた時、思いがけないご親切に出逢いました。
私と年齢がさほど変わらない素敵なご婦人が、突然声をかけて下さり、次のようにおっしゃたのです。
「お写真を撮っていらっしゃるとき、お一人のようにお見かけしました。
宜しければ、この券を差し上げます。
今日は最終日で、余ると無駄になりますから」と。
突然のご親切に、私は一瞬戸惑いましたが・・・・・・。
素直に喜び感激した面持ちで、「本当に宜しいのですか?」と言いながら、そのお言葉に甘えてしまいました。
するとさらに、「ご一緒に愉しみませんか?」とおっしゃて下さったのです。
嬉しいお言葉でしたけれど、本心は、美術鑑賞は一人で気ままにが一番望ましい、との思いでいつもいる私です。
それに、結構長い道中でしたから、化粧室に行きたくてたまらなかった私。
その前は、それなりの行列でした。
お待たせするわけにはいかず、丁寧にお礼を申し上げ、そこでお別れすることとなりました。
後で思ったことは、半額でもお支払いするべきではなかったかと、いうこと
咄嗟の事で、その様に気が回らなくて。
今でも、清々しい上品なシニアー夫人の笑顔が、感謝の気持ちと共に、瞼に浮かんできます。
上野公園の片隅の花壇に咲いていた水仙。
このお花がぴったりの雰囲気のお方でした。
館内の名画鑑賞で、一番印象的且つ感動したのは、ゴッホの自画像。
デトロイト美術館展では、一番注目の名画でした。
他では、やはり私が好きなルノワールをはじめとする印象画の画家たちの作品です。
私が割と好きな、モディリアーニの絵画も、数点ありました。
ピカソの作品もたくさん展示されていましたが、私はどうも苦手。
鑑賞力が乏し過ぎます。
実は、その美術館展の全作品が載った図録を、2000円も払って売店で購入したのに、どこかに置き忘れてしまった間抜けな私。
ですからいつものように、その画像を写して、ブログ上にアップすることができません。
そのため、少々寂しい記事になり、とても残念です。
皆様のご期待にも添えなくて、申し訳ありません。
アメリカの公共美術館で、世界的な名画を最初に購入したのがデトロイト美術館との事。
その後、市が財政破綻し、一時は運営費が賄えず、閉鎖の危機に追い込まれたこともあったようです。
けれど、市民や各方面からの支援で、立ち直り、今ではデトロイトの街で、市民の憩いの場所として繁栄しているとの事でした。
この絵画の写真の言われが解らなくなってしまいました。
確かデトロイト美術館の壁面に飾られた絵画ではなかったでしょうか?
美術鑑賞で、私が一番惹かれるのは、もしかすると、名画に囲まれた空間の非日常性と静謐な雰囲気かもしれません。
何だか、心が洗われるような気持ちになりますものね~
名画を見ても、正直言って深く味わう鑑賞力は私には備わっていませんから。
画集に載っていた名画を観られた、といった自己満足に酔っているだけかもしれません。
それで十分嬉しい私です。
その点では、今回はチョッピリ不満足。
最終日だったため、混雑が甚だしくて、名画の前にたどり着くまでにも時間がかかり過ぎ。
のびのびと、いろんな角度からゆったり鑑賞することなど許されませんでした。
人の気配の方が強すぎて、美術館の展示場に漂う非日常性の雰囲気にも少々欠けていました。
帰りに、公園内にある老舗のレストラン、来々軒で一服。
味も評判のお店、
夕食も摂りたいところでしたけれど、次女宅でご馳走になる日でしたのでパス。
私がこれまで出かけた美術館で、一番印象に残っているのは、渋谷に所在する松涛美術館のような気がしています。
小林秀雄展を催していた時のことです。
とても小さな美術館でしたが。
人も少なかったせいか、落ち着いた空間に身を置いてゆっくり鑑賞できました。
その思い出は今も鮮明です。
展示場の片隅に、カフェがあったのも、実にユニーク。
小林秀雄が収集した骨とう品などを遠目に観ながら、コーヒーとケーキで一服できた夢のような至福のひと時でした。
その感動は、今も忘れられません。
また何時か訪ねてみたいものです。
美術鑑賞は、作品だけでなく、美術館そのものが必見の価値ありの芸術的建築物の場合が多いですね。
私は、いつもそれを鑑賞する醍醐味を味わうのも、楽しみに出かけます。
そのもっともなるものが、世界遺産になった、建築家ル・コルビュジエ設計の国立西洋博物館でしょう。
何度か訪れたことがある場所ですが、世界遺産となった今、また訪問の機会があれば、改めてじっくり見直したいもの、と今から楽しみにしています。
ご訪問有難うございました。
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花のように泉のように
今日は、、随分前の事になりますが、、妹と過ごした愉しいひと時の想い出を二つ、話題にしたいと思います。
この場で、妹のブログもご紹介させていただきますね。
性格は、真逆と言っても良いほど異なりますが、とても仲良し姉妹です。
ブロガーとしては、大先輩。
ブログなるものの存在を、妹のお蔭で初めて知ったのが、7~8年前の事です。
世界に一つだけの姥花日記
http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014
今回の一連の記事も、大半が、個人的な思い出ばかり。
ライフスタイルの記事に添った内容とは言えません。
また少々、気が引けますが、これが私のブログスタイルの特徴の一つですので、ご了承くださいませ。
ひと時ひと時を丁寧に紡いでいきたいとの思いは、もしかすると、人並み以上かしら?
まず初めに、もう四か月程前のことになりますが、ルノワール展を観に、六本木にある新国立美術館に出かけてきました。
建物は、黒川紀章氏設計による建築としても有名ですよね。
久し振りの美術鑑賞でした。
今回は妹に教えてもらった交通ルートで向かいました。
地下鉄を一度乗り換え、最寄り駅に着くと地下道を歩くこと数分。
たちまち美術館にたどり着きました。
前回の時は車道沿いの歩道を結構歩いた覚えがあります。
とんでもない遠回りを、私はしたようです。
どこに出かけるときも、最短距離で行けるように、前もって道順をしっかりと調べる必要性を痛感した私です。
昨年からでしょうか。
Goo路線なるものを知って、必ず検索をするようになったのは。
時流から、いつも数十歩遅れている私です。(笑)
さてその展覧会場でも、私はボケ行動を犯しました。
いよいよ、会場に入場しようとしたところ、私の分のチケットが見当たりません。
実はそのチケットは、長女婿のHさんから貰った招待券でした。
妹には入館したところで手渡した私です。
Aちゃんに、「私の分も持ってなぁ~い?」と尋ねたところ、持ってないとのこと。
慌てた私。
きっと手渡す際、自分のチケットを落としたのかもしれません。
正に、その通りでした。
受け付けで事情を話し、落とし物がなかったか尋ねたところ、確かにありました。
けれどそれを手渡してくれるまでの受付嬢の慎重さに、少々びっくりした私です。
そのチケットが私のものであるかを、確認するためでしょう。
根掘り葉掘り質問されました。
絵画展のチケットなんて、千円程度。
そんなに慌てなくてもいいことかもしれないけれど、身内から貰った招待券でしたから、紛失してはなんだか申し訳なくて。
そのために、チョッピリ狼狽した私です。
ホッと一安心で、まずは昼食。
館内のフレンチレストランで、フルコースのちょっぴり豪華なお食事。
前置きが長くなりました。
ルノワールの絵画の感想は、私は月並みなことしか述べられませんが。
一方、個人的なエピソードにはその人となりの特徴が現れますから、読む方には、かえって面白かったりなさいませんか?
それで、お話しました。
私はそうです。(笑)
チケットも見つかり、無事に館内の展覧会場に入れた私たち。
ルノワールの絵画は、若い時から好きだったけれど、裸婦像には、ちょっぴり違和感があった私です。
何故ってあまりにふくよかすぎ、日本女性には見られない体形のように感じて、親しみが湧かないところがありました。
でも年を重ねた今だからでしょうか。
このたびの展覧会では、とても心打たれ、感動しまくりの私でした。
重いリュウマチを患い、亡くなる少し前に不自由な体で描いた大画面の絵画は特に。
水浴びできる草むらで、数人の裸婦が横たわっています。
その絵画の何と穏やかで、美しい事。
重い病を患いながらも、亡くなる数か月前のルノワールの老境の精神が、いかに満たされたものであったか、わかるような絵画でした。
この画家は、弟子たちに、「絵画は愉しくてきれいなものでなくてはならない」と言ったそうです。
まさにその通りの絵で、色遣いがとても美しく、温かで柔らかくて・・・・・・、
人々の表情も柔和そのもの、幸せに満ちています。
生きていくことの喜び、生命の輝きを謳いあげた人生の賛歌と言っていい、ルノワールの絵画でした。
まだ夫を失った悲しみを完全には拭い切れていない私には、ルノワールの絵は、大きな慰めになりました。
心が震えるほど感動した絵が、たくさんありました。
舞踏会の音楽と人々のさざめきが聞こえてくるかのよう
できることなら、新国立美術館を再訪し、もう一度鑑賞したいと願ったほどです。
こんな思いになったのは、美術鑑賞では初めての事かもしれません。
ふくよかな女性の書物に向けられた視線の、なんと柔らかなこと。
確かお盆のお墓参りと京都旅行を終え、しばらく経過した頃の事。
この展覧会の開催期日を私は調べ直しました。
ところが、なんと、最終日が、明日。
まだ旅行の疲れがj完全には抜けきれていなくて、体調がすぐれなかった私には、混雑も予想される最終日に、その展覧会場に出向く気力はありませんでした。
このような美術展に、私は今後またいつか、出逢えるでしょうか。
できることなら、そのようなチャンスに、また巡り会いたいものです
私も、ルノワールが絶筆として描いた絵画のような、柔らかで美しく温かな色彩の光景を脳裏に浮かべながら死ねたら、幸せだろうな~と思ったのでした。
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お料理ブログも、宜しければ、お立ち寄りくださいませ。
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この度の中村勘三郎さんのご逝去には、哀惜の念に堪えません。
心よりお悔やみを申し上げます。
正直に申しますと、自分がこれほどの衝撃と寂しさに見舞われるとは、少々意外感を持って受け止めているほどです。
何故なら、私は歌舞伎とはあまり縁がない暮らしをしてきましたから。
東京の歌舞伎座に出かけたのは、夫婦では数度。
他に、勘三郎さんとほぼ同じ年齢のころ亡くなった、大学時代の親友と観劇したことがあります。
その時の演目は、伊達家のお家騒動を扱った先代萩と、京鹿子娘道成寺でした。
但し夫は、若かりし頃は、割とよく歌舞伎座にも出かけていました。
私は子育てで、とても付き合うのは無理な時代のことです。
映画鑑賞が趣味で、その造詣の深さは、素人離れしている人ですが、映画に限らず、現代劇、歌舞伎などの観劇も好む人でした。
日生劇場や歌舞伎座に、しばしば出かけていたのを、よく覚えています。
今は目を患い、足しげく通った映画館にも、一切出かけなくなりましたが。
その旦那さまが、勘三郎さんの訃報が報道された日に、私のそばに来て、亡くなった事を一言、寂しそうに告げてくれました。
私はむろん、その前から知っていて、その驚きと悲しみを、夫婦で分かち合いました。
天与の才能と渾身の努力で益々輝きを放ち、大衆からも愛されておられた勘三郎さん。
歌舞伎界の発展にはなくてはならない人を失った悲しみは如何に大きいことであろうと、察するに余りあるものがあります。
近年では、観たわけではありませんが、野田秀樹氏との共作共演の話題が、とても印象に残っています。
現代劇との融合も、時には厭わない人でしたね~
更に私達の哀惜の情を強くさせるのは、お人柄の明るさ、優しさ、親しみやすさ等ではなかったでしょうか。
これも私が受ける個人的印象でしたが、逝去後の思い出を語る報道では、その通りのお方のようです。
実にきめ細やかな心配りと温かな情愛で、人に接することがができる方のようでした。
NHKの黒田アナウサーへ、携帯メールで励ましの言葉をかけられた話題を知るに及んで、ますますそう思った私です。
黒田アナウサーは、次女や婿の友人のお姉さまに当たり、大学も同じです。
それだけに、歌舞伎界の大スターの勘三郎さんが、とても身近に感じられるエピソードでした。
更に幼い頃は、天真爛漫なキャラクターで、お茶の間の人気者だった勘九郎君の幼気ない姿が、今も胸に焼き付いています。
可愛い~と、思わず言葉が出てしまうほどの愛くるしさでした。
それゆえに、その成長の過程にも思いを馳せることが、たとえ想像でも出来る私達。
余りに早いご逝去に、寂しさが募る一方です。
歌舞伎界を背負って立ち、今後も益々後進の指導に当たり、その発展のためにご尽力される方でしたでしょうに。
本当に残念です。
心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
今日もお訪ね下さいまして有難うございました。
記事の内容にテンプレートの柄が余りに相応しくないので、今日だけ元に戻しました。
一昨日は、、大きな荷物を携えて、銀座線の終着駅近くまで足を運んだことを綴りました。
実は、その大きな荷物とそれを収めた紙袋は、たどり着いたお店に預け、ほっとしたのも束の間、私にしては珍しく、さらに精力的に動きました。
もしかすると、こちらが第一目的だったのかもしれません。
稲荷町から上野は目と鼻の先。
徒歩で私の目的地に着くのも、十分可能です。
しかし、さすがに私の体力では無理と考え、タクシーに乗り込みました。
車内は、冷房がよく効いていて、ほっと一息。
私が目指すは、上野公園の中にある東京美術館で開催中のマウリッツハイス展です。
フェルメールの代表作、真珠の耳飾りの少女など、17世紀オランダ・フランドル絵画の名品50点が紹介されています
夏の間、この展覧会のことが常に念頭にありながら、炎天下の日々のため、行動に移す気力が沸いてきませんでした。
都心には数度用事があり出向きましたのにね~
所用を済ますと、そのまま引き返してばかり。
いつも私はこう。
展覧会が開催されるたびに、出かけたい気持ちは人一倍あるのに、いつも見逃してきました。
情けないことに、行動が伴いません。
ここ数年で、是非見たいと思ったのは、
ユトリロ展、クレー展、ボストン美術館所蔵の浮世絵展、セザンヌ展、ほかにも挙げればたくさん。
クレーは、私が若い頃、大変惹かれた画家でした。
セザンヌ展は、就学時前、母に連れられて観た、初めての展覧会です。
目白押しと言ってもよいほど、どこかで素敵な展覧会が開かれている昨今ですのに。
その気になれば、いつでも優れた芸術品に出逢える環境で暮らしてはいるのですが・・・・・・
けれど、一旦出かけると、非日常の静謐な空間に身を置き、時の経つのも忘れ、鑑賞に没頭してしまう私です。
これほど心が満たされる時空間は、さほど多くありませんね。
日頃の雑念から解放され、優れた芸術品と対峙し、過ごせるひと時の素晴らしさ。
いつもその余韻に浸りながら家路に向かうのですが、出かけて良かった、との思いで一杯になります。
しかし、今回も、予想通りの長蛇の列。50分待ちでした。
下の写真は、私が会場を後にする6時過ぎの館内の様子です。まだ相変わらず、大変な行列。
そして、並んだ甲斐あり、憧れの少女を、目前で観ることができました。
今年の春から夏にかけ、新聞で既に幾度も出会った、話題沸騰の、真珠の耳飾りの少女に。
しかし、感動しましたか、と尋ねられますと、ちょっと返答に困ってしまうかしら。
もちろん、やっと実物に逢えたといった喜びと感慨はひとしおでしたが、新鮮さには幾分欠けたようです
だって、新聞報道記事の写真で、何十回も既に目にしてきた絵画ですから。
その影響も多少あったのでしょうか。
今回は、真っ白な気持ちで臨むことができなくて、鑑賞の心構えが、まるでなっていませんでした。
私は、彼女の眼もとに、全神経が集中し、一体この瞳は、私達に何を語りかけているのかしら?と謎解きのような気分で観てしまったようです。
かの有名なウルトラマリンブルーや真珠の耳飾りが放つ繊細な光の美しさに心が向いていなかったようにも。
とは言え、私が受けた印象は、清冽そのもの。
ミステリアスな表情のため、親しみのもてる絵画とは言えませんけれど。
前回、渋谷のBunnkamuraのミュウジアムで観た時の印象も、似ていました。
香気漂う透明感と清冽さには、私達の心を洗い清めてくれるような清々しさがありますね~
心が、おのずと凛としてきます。
そこに、たとえようのない魅力を感じてしまう私です。
フェルメールの作品が、この展覧会の目玉であることは確かでしょうが、その陰に隠れて、渋い光彩を放っていたのが、レンブラントの自画像でしょうか。
私には、甲乙つけがたく、感じました。
心からの深い感動を味わえたのは、もしかすると、この自画像だったかもしれません。
レンブラントは、自画像を百数点描いていて、今回の作品は亡くなる年に描かれたもののようです。
人生の年輪が刻まれ、
哀愁を帯びた奥深いまなざし。
その顔の表情は、観る者の心を打ちます。
包容力のある、どっしりした趣をたたえた、この絵画を見ていると、とても心安らぐ思いがしました。
正に、フェルメールの絵画とは、好対照。
歴史画、「シメオンの賛歌」の神々しい雰囲気にも、思わず息を飲みました。
長い画家の間に、レンブラントは聖書の伝える「シメオンの賛歌」の物語を数多くの油彩画、素描、版画に表しているそうです。
描かれているのは、救世主を見ずに死を迎えることはない、と知らされたシメオンが、幼子キリストこそ待ち焦がれた救世主であると悟り、声を張り上げ賛歌を歌う感動的な場面。
同じ会場で、この三つの作品に出逢えただけでも、私は、本当に幸せ者、といった感じでしたが・・・・・・
しかし、何と間抜けな私は、上野まで足を運びながら、何とも悔いが残る行動を取ってしまったのです。
確かもう一作品、フェルメールの絵画が見られるはずでは、と、その会場でキョロキョロ見回してしまった私。
Bunnkamuraのミュージアムでは、三点の作品が飾られていました。
ところが、それは大勘違い。
その作品は、やはり同じ公園内で開催されている、別の会場だったのですね~
国立西洋美術館で催されている、ベルリン展での展示でした。
公園内を家路に向かう途上で気が付き、しまった~、と慌てた私です。。
これを見落とす訳にはいかない、と一旦、国立西洋美術館のフロントヤードに入りかけましたが、時刻はすでに、6時をまわていました。
日はとっぷり暮れています。
又数十分待たされては、帰宅時間は一体何時になることでしょう。
体力的にも、もう限界。
後ろ髪を惹かれる思いを振り切り、その美術館に背を向け、家路を急ぎました。
この機会を見逃すと、もう二度と見られないかもしれません。
残念至極ですが、又出直してみることは、もう不可能。
両展覧会とも、昨日が最終日でした。
30数点しか現存しないと言われている、フェルメールの作品。
今後の余生で、後いくつ、私は巡り逢えるでしょうか。
人生の楽しみの一つに致しましょう。
我が家には、オランダのデルフトの陶器が幾つかありますので、それもこの際、写真を載せることに致します。
私が一番好きなのは、一輪ざしの小さな花瓶です。
夫が、オランダに出張した時のお土産です。
夫が訪ねたことのある美術館は、アムステルダムの国立美術館とゴッホ美術館だと、言っていました。
そのころは、恐らくフェルメールのブームは、まだ到来していなかったのでしょうね。
芸術作品にも、ブームと流行があるのですね~
その時代に生きる人たちの心持を具現化しているようで、まことに面白い現象だと、私は思いました。
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日頃、家事にばかり追われ、出不精の私が、昨日は珍しくお出かけ。
行く先は、渋谷の東急本店のBunnkamuraザ・ミュージアムで開催されているフェルメールからのラブレター展。
近年、フェルメールほど人気上昇の目覚ましい画家はいないらしく、これは世界共通の現象とのこと。
特に日本は著しいようです
新聞記事で、目にする度に、百聞は一見に如かず。
わが目で、この絵画の素晴らしさを鑑賞しなければ、との気持ちは募る一方でした。
私にとり、セザンヌやゴッホ、他の印象派の画家ほどの馴染みはなかったけれど、一見古典的な絵画の趣ながら、繊細な光と色合が織りなす品格に満ちた絵に、何か言い知れぬ魅力を感じていました。
私が若い頃、特に好きだった色、青が話題にもなっています。
しかし、酷い咳こみは相変わらず.
他でも体調が,万全とは言えなかった昨日。
みぞれ混じりの冷たい雨が降りしきる中、その思いを、よくぞ決行したものと、我ながら、自分自身を褒めてやりたい気持ちに。(笑)
展覧会観覧後は、余りの疲労感に、我が家までの遠い道のりを思い、無事に帰宅できるかしら、と不安を覚えたほどでした。
実は、展覧会に赴く前に、11時予約の駅前の歯科医院における診察がありました。
それが、出かけついでにと、行動を起こす、きっかけにもなってくれたようにも思います。
でも、そこから駅まで足を運び、電車に乗るまでも、なんと優柔不断なことだったでしょう。
診察を済ませ、同じビル内のレストランで、軽い昼食。
シートに身をゆだね、なお自分の体調との折り合いをつけようとしている私。
やはり、この体では、渋谷まで出かけるのは無理では、といった気持に次第になっていきました。
でもその展覧会は、3月14日まで。
震災の一周年も近づき、気持ちが揺れる日も多くなるでしょう、これから。
今日こそ、実行に移さなければ、私は見るチャンスをきっと逃がしてしまうとの思いに駈られていました。
その時、とっさに思いついた事は、「そうだ、M(次女)のマンションで一休みしてから出かけよう」と。
そのまま、マンションに直行。
無論、家族は留守です。
チョット失礼。無断で侵入でした。(笑)
そこで軽く仮眠をとり、元気を多少回復。
整理整頓をしたい親心を捨て去り(笑)、やっと渋谷行きを断行する事ができました
「展覧会に行きました」の出だしで始め、館内に展示された絵画の感動を綴れたなら、ブログの内容が、もっと高尚になり、良かったのですけれど、私って、変わりものなのかしら。(笑)
誠に変な出だしで、展覧会の記述の前置きがこんなに長くなってしまいました。
本題を綴るのが遅くなり申し訳ありません。
いよいよ館内に入り、私が受けた感動を、言葉足らずな表現ながら、ご紹介も兼ねて、多少綴らせていただきますね。
恐らくパンフレットの内容をかいつまんでお話しする程度のことしかできませんので、ご了承ください。
この展覧会の主旨は、なんと申しても、17世紀のオランダ美術黄金時代に活躍したフェルメールの傑作三点、いずれも手紙をテーマにした作品を紹介するもの。
その他、同時代に活躍した画家たちの、室内の日常を描いた作品が多く展示されていました。
絵画のテーマは、いずれも、郵便制度が整い、市民社会がいち早く確立されたオランダ社会での市井の人達の日常の暮らしにおけるコミュニケーションケーションの場です。
そして、この展覧会におけるハイライトは、最新の科学技術により修復され、本来の鮮やかなブルーが再現された、フェルメールの作品青衣をまとった女。
本展に際して修復がなされ、この度の展示が、その後の世界初公開とのこと。
さて、フェルメールのお話は後程とし、ガイドイヤホンも借りて巡った時の他の作品の印象は、いずれも、顔の表情、しぐさ、小さな調度品までが、実に生き生きと描かれ、そのリアリティーに圧倒されました。
恐らく絵の対象が、貴族や宮廷ではなく、庶民であるところによるものでしょうか。
絵画の雰囲気に、取り澄ました堅苦しさなど全くありません。
それは、フェルメールの人気が高い理由の一つでもあるようです。
描かれた人物のみならず、当時の絵画は、地図や楽器、その他の小道具までが、寓意となり、絵の物語性をや精神性を高める意図になったようです。
さて、館内をそぞろ歩きで巡るうちに、いよいよフェルメールの作品が、中ほどのブースで登場です。
今までの展示と異なり、三方の壁に一点ずつ。
観る者との距離感は、微妙に遠くなりましたが。
そのブースの空間の中央には、一休みしながら遠くから鑑賞もできるようにシートまで置かれ、実に恵まれたゆったりとした環境です。
悪天候のせいか、混み具合も、心配した程ではありませんでした。
まず最初の作品は、手紙を書く女。
割と小品で、一見地味な印象。
でもじっと見つめていると、作品の気品と香気に包まれるよう・・・・・・
何か語りた気な女性の表情に、次第にひきこまれていくようでした。
中央の壁に飾られた二点目の作品が、本展のハイライト、手紙を読む青衣の女です。
先程も触れたように、青の色に注目です。
しかし私が最初観た時には、全くそのことは念頭になく、柔らかな光に包まれ、手紙を読むことに没頭する妊婦の姿に、言いしれず魅了されました。
庶民の暮らしのありふれた光景ながら、静謐な光と精神性に満ち、まるで聖母のような趣です。
この絵画のために使用された青色は、マリンブルーと称される、非常に高価なラビスラズリという貴石が使用されているとのこと。
伝統的には、聖なるものを表すために使われてきた貴重な顔料のようです。
しかし、フェルメールは、これを庶民の絵を描く際に惜しげもなく使ったようでした。
その色に注目し、最新の技術でもって、本来の鮮やかな色に再現されたのが、今回の絵。
私は多少複雑な気持ちになりましたが・・・・・
目にあてられないような、今後に影響を与える欠落や欠損が作品にあれば、修復も止むを得ないことでしょうが、建築と異なり、保存次第では、絵画の現状維持が、今は可能な時代です。
果たして、その必要が本当にあったのか。
描き手の尊厳を傷つけることにならなかったかしら、などと・・・・・・
少々考え込んでしまった私ですが、そんなこと、きっと心配するには及びませんね。。
専門家により、あらゆることが検討された上での、判断だったことでしょうから。
いよいよ最後の三点目。
手紙を書く女と召使。
手紙を読む女と共に、既に一度、来日したことのある絵画のようです。
でも私は見るのは初めてでした。
フェルメールのこの度の三点の展示品の中で、私が一番気に入った作品に当たるかもしれません。
絵画に漂う清々しい空気感が、観る者の心を、実に心地よくしてくれます。
窓からさす光線が、絵の対象の一つ一つの輪郭を実にくっきりと浮かび上がらせ、その印象を際立たせているようでした。
召使の女の意味ありげな表情。
床に打ち捨てられた手紙。
興味をそそる、物語性にも事欠かない作品です。
私は長い時間、想像を膨らませながら、じっと見つめ続け、この絵を堪能することができました。
会場を後にしたのは5時過ぎ、日も暮れかけていました。
私は多くを語りすぎてしまったでしょうか?(笑)
これからお出かけになる方達には、私の言葉など、悪影響以外の何物でもありません。
私の勝手な個人的感想ですから、どうかお忘れになって下さいね。
そしてお暇のある方は、ぜひご覧になり、それぞれの思いで新たな感動に包まれ、この展覧会を心行くまで楽しまれますように。
心に焼き付き、私と同様、一生忘れない素敵な作品となるに違いありません。
今後まだ二回ほど、フェルメールの絵画がみられる機会があるようです。
特に、映画化までされた、真珠の耳飾りの少女は楽しみこの上ないですね。
30点しか現存しないフェルメールの作品を、生きている間にあと何点見られることでしょう?
すべての作品を観覧する事を、今後の人生の目標の一つに入れましょうかしら。(笑)
さて、帰途は、正直申して、足が何度もふらつきそうでしたが、何とか無事に我が家に辿り着きました。
夫にはなだ万のお弁当を買い求め、私は残りもので軽く夕食。
もうすべてを投げ出し、入浴後即、床に就きました。
出かけて良かった。
目的を果たした満足感でいっぱいです。
でも、昨日は朝から息苦しく、非日常の楽しみが、体の癒しになっていないようで、トホホ・・・・・・
でも心はリフレッシュし、元気づきましたから、素敵な想い出を紡げ、本当に良かったです。
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タイトルの言葉は、1948年(昭和23年)ヘレンケラー女史が日本を巡回した際、聴衆に呼び掛けた言葉だそうです。
あなたのランプの灯をもう少し高く掲げて下さい。見えない人々の行く手を照らすために。
タイガーマスク現象で、多くの国民の心に、小さな灯が燈ったかのような昨今、女史の言葉の優しさと重みを、改めて噛みしめています。
一昨日は、ヘレンケラー女史来日を記念して発足したヘレンケラー協会主催の創立60周年記念チャリティーコンサートに友人のお招きを受けて、行ってまいりました。
昨日の日記でご紹介した建物の中にあるホールが会場です。
出演された五人の演奏者は、皆様全盲の方々ばかり。
視覚障害を持つ児童・生徒の音楽家の登竜門と言われるヘレンケラー記念音楽コンクールで上位入賞され、健常者の方々と変わらない活躍をしておられます。
韓国人のピアニストの方も、参加されました。
出演者のお一人、和波孝よしさんは、映画、いつか来た道で山本富士子さんの弟役になられた方。ご記憶の方も大勢いらっしゃるのでは・・・
映画の印象はおぼろげながら、子役の和波さんのお顔は、今でも思いだされるほど、心に刻まれている私。恐らく感動したに違いありません。
その後の活躍も、経歴を見て驚きました。
そして今は、年配の風格あるご紳士で、今なお活躍中の音楽家。
他の四人の演奏者と共に、ハンディキャップを背負いながらも、ひたむきに生きてこられた方々の人生の重みを、感ぜずにはおられませんでした。
昨年、アメリカの音楽コンクールで優勝された辻井伸行さんも全盲の音楽家でいらっしゃいますね~。
演奏は、素晴らしかった!の一言。お部屋のBGMとして軽い気持ちでクラシックを日々聴いている私。
詳しい感想なんて述べられませんが、澄んだ優しい音色に、ただただ聴き入り、心が洗われるようでした。
演奏も多彩で、チェンバロンに始まり、ソプラノ歌手の歌唱、バイオリン、フルート、ピアノ演奏、と私達観衆のの心を陶酔させてくれました。
数年振りに聴いた生の音楽。
またコンサートに足を運びたい、としみじみ思った私です。
演奏の合間に、司会者によるインタビューもありました。
演奏者の方々の、芳しく清々しいお人柄が、受け答えにも、態度にも、感じられ、またまた感動。
お話される声も、ホールに響き渡るような、美しい柔らかなお声でした。
この方達は、目が見えない分、内面を見つめる時間が多く、研ぎ澄まされたように人間性が磨かれていかれたのでしょう。
それに比べ、私は、外界ばかり気にし、物質的貪欲さにとらわれ、内省的思考をいかに疎かにしてきたことか。
この年になって反省しても、時すでに遅し、の感がして、少々悲しいです。
演奏会の帰り途、喫茶店に寄り、お招き下さったご夫婦と、ロスでお別れ以来、三十数年振りに再会した友人との楽しいおしゃべりに時が経つのも忘れてしまいました。
非日常の優雅な時間が、今では夢のよう・・・
今年は、香り高い文化に触れ、心行くまで楽しむ時間をもっと増やしたい!
そうだ、これを今年の二番目のモットーにしよう、と思った次第です。
1番目は、先日のブログにも書き、心に誓った、友人を大切にすることです。
今年は、まれにみる充実した良い年にしたい!と思う私。
ブログの効用をひしひしと感じています。
今日も青空がいっぱいに広がり、日差しには、心なしか早春の気配が・・・
柔らかな陽を浴びて、今日こそ花壇の掘り起こしに励みます。
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