今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

麦さんへ~かれん桜と花水木より

2017-04-14 05:59:14 | ブログ2(1)

麦さんへ~かれん桜と花水木より~最近の追記あり

2017-04-14 05:30:46 | 麦さんへのお返事

この記事を新たなカテゴリーとして最近載せたわけは、

麦さんが、今も詭弁を繰り返し、相変わらず私の誹謗中傷を繰り返しておられるからです。

誰よりもまず最初に麦さんに何度でも読んでいただきたいです。

そして過去の出来事を正確に思い出してください。

よろしくお願いします。

今も、散々同様の事をなさっておられるのに(コメント欄でも)、誹謗中傷したことは一度もない、

などとなぜ仰られるのか理解に苦しみます。

 

麦さんへ~かれん桜と花水木より

2017-04-14 14:25:00 | ブログ2

 

麦さん、質問にお答えします。

そして私の今回のこの記事に対し、いかなるお尋ねにもお答えしかねますので御了承ください。

以下細字の部分は麦さんのコピペです。太字の部分が私かれん桜の文です。

 

かれん桜 さん ( )2017-04-14 01:45:51

私は、いつのころからか、貴女のブログを、お訪ねし、しかも遡って読むようなことはありません。
貴女への返信に記してあるのは、貴女の記事から引用したのではなく、過去の経緯を要約して書いてあります。
私の表現は違っても、貴女の言動との食い違いはありませんよね?

> お相手の方の逆鱗に触れ

確かに、おっしゃってますよね。

> このブログを見つけて戦慄が走った。私は、このブログ主に誹謗中傷された。
これも引用ではありません。

 

私の文言を、勝手に語気を強め、まるで違う響きの言葉のように変えていいものでしょうか
読まれる方々の誤解を招きかねません。

 

私に 誹謗中傷された、と言うことは、今現在も認識して居られるのですよね?

 

申し訳ないですが、今もそのように認識しています。
後で詳しく私の気持ちをお伝えしますが、麦さんが、と言うより、貴女のブログそのものが、といったほうが正しいかもしれません。
N
さんの個人情報の露呈に加担された行為も、誹謗中傷に当たるのではないかと思っています。

 

> 過去の愚か者の戯言のブログに次第に似てきているようで、本当に恐ろしいです。
そうでしょうか?
「愚か者の戯言」 が立ち上げられても、貴女は、それまでと変わりなく、一つのブログが消えたことへの負い目も責任も感じられない様子で、平穏なブログの更新を続けられていました。

 

私はkanmoさんのブログ上でも、自分のブログ上でも丁寧にお詫びをしました。
それでは足りない、ブログを自粛して、しばらくお休みをとるべきだった、とおっしゃりたいのでしょうか。
私のコメントが、ブログ2の3番目(今の私の思い)の記事に載っています。
その私のコメントを、もう一度お読みになって確認してください。
自分のブログを自粛しなければならないほど、ひどい内容とは思えないのですが。

再三申し上げておりますが、逆鱗の言葉もお詫びの中で、丁寧に使用しているに過ぎません。

またブログ綴りは、つらい状況の中で私を励まし、支えてくれるものでしたから。

 

貴女が、コメントを下さったのは、立ち上げて から、いくつかの記事を更新したあと、初めてNさんのコメントがあったときです。

その後、私には強気な貴女が、Nさんに対しては控えめな様子が見受けられ、過去を持ち出すことを拒否なさる雰囲気を感じたので、なんとなく

、過去の出来事には、貴女サイドの落ち度があるようなイメージを抱きました。

 

当時私はブログ村の村民になり、心機一転、新しい世界で頑張ろうと思っていました。
ところが突然、麦さんのブログにNさんが現れ、彼女の執拗さに恐怖を覚えました。
私はかなり強い口調で、彼女に抗議したはずです、

 

申し訳ありませんが、今後、私とは無関係のNさんとの関りは、貴女とNさんとのブログで話し合っていただけませんか。

 

私は、彼女と、今更関わりを持ちたいと思いません
彼女が何をおっしゃろうと、私は年に数度、自分の疑問点を投資の掲示板上で、正直にお伝えしただけです
掲示板上での意見交換は当たり前のことでした。
悪意など、私にはみじんもありませんでした。
彼女からも、厳しい批判を度々私は受けました。 

また彼女の個人情報を晒したなどということは決してありません。

このことについては明日の「Nさんへ」に記しますのでお読みください。

 

ここでの私の目的の根底は、貴女が、私に誹謗中傷された、と言う妄想のような勘違いを、改めていただくことです。
貴女の言葉を撤回し、謝罪の言葉を求めているのではありません。
なぜなら、私は、貴女を誹謗中傷したことはないですから。

k●●●oさんが、逆鱗に触れた様子は見受けられなかったから、貴女の発言に疑問を感じて、貴女に、貴女の思い違いを気付いてほしいための、

「愚者の戯言」 だったはずです。

 

「逆鱗に触れた」の言葉はお詫びの中で使用したのですよ。

2013年1月30日の記事です。

>
私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで問いかけさせていただいただけだったのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。
翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・
今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。

ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません。
何度も申し上げましたが、それに関しては、彼女のブログ上でも、私のブログでも謝罪しました。
ですのに、その逆鱗の言葉が、そんなに許せないことでしょうか。

 

貴女を、どのような言葉で誹謗中傷したのか、それを、今、貴女に、お尋ねしている段階です。

 

きちんとお詫びいたしましたのに、愚か者の戯言が立ち上げられ、私のコメントを「う〇こ」と汚い言葉で書かれました。その後の麦さん、kanmoさん、Nさんの、私への批判は相当なものでした。

原発の記事にコメントを入れたに過ぎませんのに、私の人間性や時には人格否定のような言葉が飛び交いました
恐らく愉快犯もいたでしょう。

「とりあえず」のブログと同様に、いろんな人が現れては消え、口汚い言葉で、私を中傷しました。
しかし麦さんはそれをいさめることなく、如何なる中傷にも同調し、すべての言葉を受け入れ頷いておられる様子でした

私のみの個人攻撃が、そのブログ上で半年以上続いたでしょうか。
その状況と執拗さは、とりあえずに幾分似ていると思いますが。
「とりあえず」より、数倍酷いものでした。私は精神的苦痛で体調を崩すほどだったのです。

 

初めて、私のブログを訪ねて来られて、貴女の連続コメントに違和感を感じられたきよさんが、それを貴女に質問して居られます。
私も、それを、お答えいただければ、先が見えるように思いま す。

 

この質問が何を指すのか、上の文章ではわかりかねます。
きよさんが、麦さんの誹謗中傷の言葉を挙げるように、再々要求しておられますが、そのことにお答えすれば宜しいのですか。

お祭りの記事の質問は、違う内容ですが。

私が一番辛かったのは、「愚か者の戯言」だと思いますが、あまりにいろんなことを言われ、今具体的には思い出せませんが。
ひどい言葉を浴びせられたことは確かです。

カテゴリー「ブログ2」を是非読んでください。

当時の生々しい記事から私の苦痛と辛さがご理解いただけると思います。

 

これまでに私が浴びた中傷の言葉は、挙げればきりがありませんが・・・・・・。

二重人格の姉妹で裏表を使い分ける。(麦さん。kanmoさんの言葉)

みゆきという人の口汚いコメント(おだてられて嬉しくてまた出てきたのね、といったような言葉でしたね)が私だ。IPアドレスで分かっている。(kanmoさんと麦さんの言葉)

何度強く否定しても言われ、私の精神的苦痛は相当なものでした。

アガサクリステーの小説(題名を度忘れしてしまいました)の女主人公が、私にそっくり。

夫に見放された哀れな主婦の物語でした。(Nさんの言葉)

下品な相場師のおばさん(kanmoさんの言葉)

 

まだまだコメント欄やブログの記事で思い出す言葉がたくさんありますが、もうやめます。

こんな言葉はいちいち羅列したくありませんでしたが、きよさんの要望が強くて、毎日のように応えるように迫られましたから、お答えしました。



私達とあなた達とが少しでも歩み寄れればと願い、この度の麦さんの問いかけに真摯に精一杯お答えしたつもりです。

 

麦さんの次の言葉に期待しています。

 

>初めて、私のブログを訪ねて来られて、貴女の連続コメントに違和感を感じられた、きよさんが、それを貴女に質問して居られます。
私も 、それを、お答えいただければ、先が見えるように思います。

 

 

麦さんへ追記(花水木)

愛犬を失くされた時の私の「なりすまし記事」に大変お怒りのようですが、なりすましたことへのご批判は素直に受けます。身内であることが分かりますと偏見をもって読まれるのではと案じ、致し方なくなりすましました。

姉が明日をもしれぬ重篤な夫の介護に明け暮れておりましたので、「死」を連想される言葉に少々感情が高ぶり、きついコメントとなりました。妹の立場としてご理解ください。

ペットを飼っておりません私は「虹の橋を渡る」という言葉が愛犬とのお別れを意味する言葉とは恥ずかしながら知りませんでした。

翌朝私の誤解であったことが分かり、謝罪の言葉を入れました。麦さんはその時は分かってくださり、その件は一件落着したと思っておりましたが・・・・。

取り巻きの方々が許してはくださらず、酷い批判を浴びました。私は本当に知らなかったのです、愛犬とのお別れを。もう一度この場を借りてお詫びいたします。

 

それからのコメント、私は一切なりすましておりません。今回の「とりあえず」でも全くコメントはいれておりません。ここで断言いたします。

 

この後は2022年9月19日に追記しました。

今も相変わらず、下記のコメントのせいで、kanmoさんがブログを閉じた。

絶対許すことはできないと言われ、未だに私たち姉妹への中傷が続いています。

いくら私が説明しても、絶対自分の持論を変えられず、とても困っています。

 

私のコメント

いつもお写真が素晴らしく、記事とともに参考にさせて頂いています。
放射能の恐怖に非常に敏感でいらっしゃるkさん。
色々なデータ―のご報告には、研究熱心なご姿勢が窺え、頭が下がります。
但し、多少矛盾も感じ、理解できないこともあります。

もしそれほどの恐怖を感じていらっしゃるのであれば、なぜ被災地に幾度もお出かけになられたのでしょうか。
放射能からいかに自分を守るか、その行動を取ってこそ、kさんのお話しに説得力が生まれてくると思うのですが・・・

私はできれば、汚染された地域の周辺に住む方々が、kさんの記事を読んで、希望がわくような前向きの内容であればいいのに、と思うことがあります

私は広島出身で、家族は三キロの地点で被爆しました。
しかし親は、運命として受け留めるしかなかったのでしょう。
被爆のことはほとんど口にせず、父は当日爆心地のすぐそばにある会社に赴きましたが、81歳まで、病気にかかることもほとんどなく命を全うしました。
最後はがんで亡くなりましたが。

今更放射能の怖さを再三訴え続けても、住み慣れた環境で暮らす事を幸せと思う人にとっては、不安を煽るだけに過ぎない記事になってしまいます。。

どのような厳しい状況下であれ、青空を仰いで懸命に生きていこうとする人がいることにも、心を留めて頂ければ、嬉しく思います。

差しでがましい事を申し上げます失礼ご容赦くださいませ。

| かれん桜 | 2013/01/23 07:23

 

このコメントのお返事に、大人への放射能の影響は微量だからです、と説明されていました。

そのお話しを伺い、私の疑問は晴れた思いがしていたのですが・・・・・・

 

最後の二行は、当時追記で書かれたものです。

kさんは、載せたコメントの文章の一部が修正されていると言われますが、そのようなことは一切していません。

 

私が、彼女のブログに関わったことも、ブログ上で触れたことも、この二つの記事以外、その後一切ありませんでした。

ところがコメントの内容を公表して確か数日後の事です。

「愚か者の戯言」と言うタイトルのブログが、Mさんによって立ち上げられました。

彼女の言葉では、「正義のために立ち上げた」とのことでした。

それから半年間、更新する記事も、コメントも、私の人間性や人格を批判するものばかりでした。

半年後に、そのブログは削除されましたが、その後も今に至るまで、延々と私の中傷が続いています。


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麦さんへ~かれん桜と花水木より~最近の追記あり

2017-04-14 05:30:46 | 麦さんへのお返事

この記事を新たなカテゴリーとして最近載せたわけは、

麦さんが、今も詭弁を繰り返し、相変わらず私の誹謗中傷を繰り返しておられるからです。

誰よりもまず最初に麦さんに何度でも読んでいただきたいです。

そして過去の出来事を正確に思い出してください。

よろしくお願いします。

今も、散々同様の事をなさっておられるのに(コメント欄でも)、誹謗中傷したことは一度もない、

などとなぜ仰られるのか理解に苦しみます。

 

麦さんへ~かれん桜と花水木より

2017-04-14 14:25:00 | ブログ2

麦さん、質問にお答えします。

そして私の今回のこの記事に対し、いかなるお尋ねにもお答えしかねますので御了承ください。

以下細字の部分は麦さんのコピペです。太字の部分が私かれん桜の文です。

 

かれん桜 さん ( )2017-04-14 01:45:51

私は、いつのころからか、貴女のブログを、お訪ねし、しかも遡って読むようなことはありません。
貴女への返信に記してあるのは、貴女の記事から引用したのではなく、過去の経緯を要約して書いてあります。
私の表現は違っても、貴女の言動との食い違いはありませんよね?

> お相手の方の逆鱗に触れ

確かに、おっしゃってますよね。

> このブログを見つけて戦慄が走った。私は、このブログ主に誹謗中傷された。
これも引用ではありません。

 

私の文言を、勝手に語気を強め、まるで違う響きの言葉のように変えていいものでしょうか
読まれる方々の誤解を招きかねません。

 

私に 誹謗中傷された、と言うことは、今現在も認識して居られるのですよね?

 

申し訳ないですが、今もそのように認識しています。
後で詳しく私の気持ちをお伝えしますが、麦さんが、と言うより、貴女のブログそのものが、といったほうが正しいかもしれません。
N
さんの個人情報の露呈に加担された行為も、誹謗中傷に当たるのではないかと思っています。

 

> 過去の愚か者の戯言のブログに次第に似てきているようで、本当に恐ろしいです。
そうでしょうか?
「愚か者の戯言」 が立ち上げられても、貴女は、それまでと変わりなく、一つのブログが消えたことへの負い目も責任も感じられない様子で、平穏なブログの更新を続けられていました。

 

私はkanmoさんのブログ上でも、自分のブログ上でも丁寧にお詫びをしました。
それでは足りない、ブログを自粛して、しばらくお休みをとるべきだった、とおっしゃりたいのでしょうか。
私のコメントが、ブログ2の3番目(今の私の思い)の記事に載っています。
その私のコメントを、もう一度お読みになって確認してください。
自分のブログを自粛しなければならないほど、ひどい内容とは思えないのですが。

再三申し上げておりますが、逆鱗の言葉もお詫びの中で、丁寧に使用しているに過ぎません。

またブログ綴りは、つらい状況の中で私を励まし、支えてくれるものでしたから。

 

貴女が、コメントを下さったのは、立ち上げて から、いくつかの記事を更新したあと、初めてNさんのコメントがあったときです。

その後、私には強気な貴女が、Nさんに対しては控えめな様子が見受けられ、過去を持ち出すことを拒否なさる雰囲気を感じたので、なんとなく

、過去の出来事には、貴女サイドの落ち度があるようなイメージを抱きました。

 

当時私はブログ村の村民になり、心機一転、新しい世界で頑張ろうと思っていました。
ところが突然、麦さんのブログにNさんが現れ、彼女の執拗さに恐怖を覚えました。
私はかなり強い口調で、彼女に抗議したはずです、

 

申し訳ありませんが、今後、私とは無関係のNさんとの関りは、貴女とNさんとのブログで話し合っていただけませんか。

 

私は、彼女と、今更関わりを持ちたいと思いません
彼女が何をおっしゃろうと、私は年に数度、自分の疑問点を投資の掲示板上で、正直にお伝えしただけです
掲示板上での意見交換は当たり前のことでした。
悪意など、私にはみじんもありませんでした。
彼女からも、厳しい批判を度々私は受けました。 

また彼女の個人情報を晒したなどということは決してありません。

このことについては明日の「Nさんへ」に記しますのでお読みください。

 

ここでの私の目的の根底は、貴女が、私に誹謗中傷された、と言う妄想のような勘違いを、改めていただくことです。
貴女の言葉を撤回し、謝罪の言葉を求めているのではありません。
なぜなら、私は、貴女を誹謗中傷したことはないですから。

k●●●oさんが、逆鱗に触れた様子は見受けられなかったから、貴女の発言に疑問を感じて、貴女に、貴女の思い違いを気付いてほしいための、

「愚者の戯言」 だったはずです。

 

「逆鱗に触れた」の言葉はお詫びの中で使用したのですよ。

2013年1月30日の記事です。

>
私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで問いかけさせていただいただけだったのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。
翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・
今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。

ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません。
何度も申し上げましたが、それに関しては、彼女のブログ上でも、私のブログでも謝罪しました。
ですのに、その逆鱗の言葉が、そんなに許せないことでしょうか。

 

貴女を、どのような言葉で誹謗中傷したのか、それを、今、貴女に、お尋ねしている段階です

 

きちんとお詫びいたしましたのに、愚か者の戯言が立ち上げられ、私のコメントを「う〇こ」と汚い言葉で書かれました。その後の麦さん、kanmoさん、Nさんの、私への批判は相当なものでした。

原発の記事にコメントを入れたに過ぎませんのに、私の人間性や時には人格否定のような言葉が飛び交いました
恐らく愉快犯もいたでしょう。

「とりあえず」のブログと同様に、いろんな人が現れては消え、口汚い言葉で、私を中傷しました。
しかし麦さんはそれをいさめることなく、如何なる中傷にも同調し、すべての言葉を受け入れ頷いておられる様子でした

私のみの個人攻撃が、そのブログ上で半年以上続いたでしょうか。
その状況と執拗さは、とりあえずに幾分似ていると思いますが。
「とりあえず」より、数倍酷いものでした。私は精神的苦痛で体調を崩すほどだったのです。

 

初めて、私のブログを訪ねて来られて、貴女の連続コメントに違和感を感じられたきよさんが、それを貴女に質問して居られます。
私も、それを、お答えいただければ、先が見えるように思いま す。

 

この質問が何を指すのか、上の文章ではわかりかねます。
きよさんが、麦さんの誹謗中傷の言葉を挙げるように、再々要求しておられますが、そのことにお答えすれば宜しいのですか。

お祭りの記事の質問は、違う内容ですが。

私が一番辛かったのは、「愚か者の戯言」だと思いますが、あまりにいろんなことを言われ、今具体的には思い出せませんが。
ひどい言葉を浴びせられたことは確かです。

カテゴリー「ブログ2」を是非読んでください。

当時の生々しい記事から私の苦痛と辛さがご理解いただけると思います。

 

これまでに私が浴びた中傷の言葉は、挙げればきりがありませんが・・・・・・。

二重人格の姉妹で裏表を使い分ける。(麦さん。kanmoさんの言葉)

みゆきという人の口汚いコメント(おだてられて嬉しくてまた出てきたのね、といったような言葉でしたね)が私だ。IPアドレスで分かっている。(kanmoさんと麦さんの言葉)

何度強く否定しても言われ、私の精神的苦痛は相当なものでした。

アガサクリステーの小説(題名を度忘れしてしまいました)の女主人公が、私にそっくり。

夫に見放された哀れな主婦の物語でした。(Nさんの言葉)

下品な相場師のおばさん(kanmoさんの言葉)

 

まだまだコメント欄やブログの記事で思い出す言葉がたくさんありますが、もうやめます。

こんな言葉はいちいち羅列したくありませんでしたが、きよさんの要望が強くて、毎日のように応えるように迫られましたから、お答えしました。



私達とあなた達とが少しでも歩み寄れればと願い、この度の麦さんの問いかけに真摯に精一杯お答えしたつもりです。

 

麦さんの次の言葉に期待しています。

 

>初めて、私のブログを訪ねて来られて、貴女の連続コメントに違和感を感じられた、きよさんが、それを貴女に質問して居られます。
私も 、それを、お答えいただければ、先が見えるように思います。

 

 

麦さんへ追記(花水木)

愛犬を失くされた時の私の「なりすまし記事」に大変お怒りのようですが、なりすましたことへのご批判は素直に受けます。身内であることが分かりますと偏見をもって読まれるのではと案じ、致し方なくなりすましました。

姉が明日をもしれぬ重篤な夫の介護に明け暮れておりましたので、「死」を連想される言葉に少々感情が高ぶり、きついコメントとなりました。妹の立場としてご理解ください。

ペットを飼っておりません私は「虹の橋を渡る」という言葉が愛犬とのお別れを意味する言葉とは恥ずかしながら知りませんでした。

翌朝私の誤解であったことが分かり、謝罪の言葉を入れました。麦さんはその時は分かってくださり、その件は一件落着したと思っておりましたが・・・・。

取り巻きの方々が許してはくださらず、酷い批判を浴びました。私は本当に知らなかったのです、愛犬とのお別れを。もう一度この場を借りてお詫びいたします。

 

それからのコメント、私は一切なりすましておりません。今回の「とりあえず」でも全くコメントはいれておりません。ここで断言いたします。

 

この後は2022年9月19日に追記しました。

今も相変わらず、下記のコメントのせいで、kanmoさんがブログを閉じた。

絶対許すことはできないと言われ、未だに私たち姉妹への中傷が続いています。

いくら私が説明しても、絶対自分の持論を変えられず、とても困っています。

 

私のコメント

いつもお写真が素晴らしく、記事とともに参考にさせて頂いています。
放射能の恐怖に非常に敏感でいらっしゃるkさん。
色々なデータ―のご報告には、研究熱心なご姿勢が窺え、頭が下がります。
但し、多少矛盾も感じ、理解できないこともあります。

もしそれほどの恐怖を感じていらっしゃるのであれば、なぜ被災地に幾度もお出かけになられたのでしょうか。
放射能からいかに自分を守るか、その行動を取ってこそ、kさんのお話しに説得力が生まれてくると思うのですが・・・

私はできれば、汚染された地域の周辺に住む方々が、kさんの記事を読んで、希望がわくような前向きの内容であればいいのに、と思うことがあります

私は広島出身で、家族は三キロの地点で被爆しました。
しかし親は、運命として受け留めるしかなかったのでしょう。
被爆のことはほとんど口にせず、父は当日爆心地のすぐそばにある会社に赴きましたが、81歳まで、病気にかかることもほとんどなく命を全うしました。
最後はがんで亡くなりましたが。

今更放射能の怖さを再三訴え続けても、住み慣れた環境で暮らす事を幸せと思う人にとっては、不安を煽るだけに過ぎない記事になってしまいます。。

どのような厳しい状況下であれ、青空を仰いで懸命に生きていこうとする人がいることにも、心を留めて頂ければ、嬉しく思います。

差しでがましい事を申し上げます失礼ご容赦くださいませ。

| かれん桜 | 2013/01/23 07:23

 

このコメントのお返事に、大人への放射能の影響は微量だからです、と説明されていました。

そのお話しを伺い、私の疑問は晴れた思いがしていたのですが・・・・・・

 

最後の二行は、当時追記で書かれたものです。

kさんは、載せたコメントの文章の一部が修正されていると言われますが、そのようなことは一切していません。

 

私が、彼女のブログに関わったことも、ブログ上で触れたことも、この二つの記事以外、その後一切ありませんでした。

ところがコメントの内容を公表して確か数日後の事です。

「愚か者の戯言」と言うタイトルのブログが、Mさんによって立ち上げられました。

彼女の言葉では、「正義のために立ち上げた」とのことでした。

それから半年間、更新する記事も、コメントも、私の人間性や人格を批判するものばかりでした。

半年後に、そのブログは削除されましたが、その後も今に至るまで、延々と私の中傷が続いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

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見舞われたとんでもないハプニング

2017-04-04 07:04:53 | 旅行

いよいよホテルを出て、昨年の夏以来の京都観光のスタートです。

前回の記事でご紹介した通り、まず世界遺産でもある二条城へ。

徳川家康が西国の諸大名に命じて造営。

最後の将軍、徳川慶喜が、この幕府に幕を閉じる決断をし、大政奉還を大名たちに告げた場所です。

江戸時代の始りと終焉の場所。

 

私は何よりも、大政奉還が知らされた二の丸御殿のそのお座敷を、見学するのを楽しみにしていました。

去年の春先に、親友のKさんと参加した谷根千ウォーキングの際、徳川慶喜の墓所に行き、なんだかとても感銘を受けた私でしたから。

 

 

ところが、ホテルの目の前の二条城の城門をくぐる前から、とんでもないハプニングに見舞われてしまいました。

お堀端沿いの道路を、ルンルン気分で歩いているときの事。

ホテルに一番近い城門前の道路は工事中でしたから、迂回して違う門を目指していました。

お堀のコーナーに差し掛かったところで、お堀と城門を入れて、写真を撮ろうと身構えたときのことです。

 

ズズズズ~ズッテン!

勇ましい勢いで地面に顔を激しく打ち付けて、転倒。

持っていたカメラが、先に投げ飛ばされました。

 

悪夢のような出来事でしたから、画像も白黒に。(笑)
転んだのは、この道路の数十歩手前のところです。

 

転んだ理由が解らないまま、自失呆然。

正に観光スポットの二条城前。

外人を交えた観光客の人だかりが、私を取り囲むようにできました。

気分が悪くなって倒れた、と思われたのでしょう。

救急車を呼びましょうと、幾度も言われました。

内心、とんでもないと思った私です。

 

夫が亡くなる半年前くらいでしたでしょうか。

わが家の最寄り駅前の賑やかな交差点で倒れたときは、強度のめまいに襲われ、立っていられなくなりました。

大事を取り、交差点の派出所のお巡りさんの言われることに素直に従って、救急車で病院に行きました。

 

この城門をくぐり、二条城に入りました。
見応え十分でした。

 

けれど、今回は目眩がしたり、気分が悪くなったわけでもありません。

救急車を呼んでもらう必要性は全く感じませんでした。

ご心配をかけてしまった通りがかりの皆様に、お詫びとお礼を言って、私はひたすら動転してしまった自分の気持ちを静め、立て直すことに努めました。

 

しばらくして、何とか立ち上がり、カメラを取り上げました。

何故転んだのかしら???

平坦な道路に見え、障害物らしきものは何もありません。

けれど、よくよく見ると,アスファルトの道路が、私が転んだあたりで、波打って、かすかに隆起しているではありませんか。

写真を撮ることに気を取られていた私は、一見見逃しそうなその起伏に気づかず、躓いて転倒したのだと、確信できました。

 

道路工事の作業をしていたおじさんが寄っていらして、「どうもすみません」と謝られました。

もしかすると、同じ場所で、私と同様の災難を被った方がおられたのかもしれませんね。

 

 

外国の方も多い日本で一番有名な観光地の京都です。

ソフト面だけでなく、ハード面の充実と気配りも徹底してほしいものです。

例えば、このような所には、足元にご注意ください!と書いた立札があるといいのに。

とはいったものの、私のような、軽率な転倒なんてめったにない事なのでしょう。

 

転んだ原因がわかって、気分がやっと落ち付いた私でした。

すると途端に、カメラの事が心配になりました。

過去に、落とした衝撃でカメラが故障したことを思い出し、せっかくの旅行なのに、この理由で台無しになってしまうのでは、と。

恐る恐る、近景を撮影してみました。

幸いにも、大丈夫でした。

どんなにほっとしたことでしょう。

 

そのまま、二条城の門を通り抜け、いよいよ京都観光のスタートです。。

実は、今日で一週間分の投稿をしたことになりますので、また息抜きのお休みを少し取らせていただきます。

中途半端な終わり方ですみません。

旅行記を書くのは苦手中の苦手なので。

これを理由に、先回しで、逃れます。

ごめんなさい。

 

 着ている水色のセーターは、夫のものでした。
イタリア製の上等な厚手のカシミヤのセーターで、とても温か。
心までほっこりします。
大きいために、着ぶくれしてる~。(笑)
男ものなので、多少でも優雅に見せたくて、二連のパールのネックレスをかけました。、
バッグには旦那さまの写真もおさめています。
転んだ時、夫もさぞびっくりしたことでしょうね~。(笑)

 

できるだけ早く更新したいと思っていますが、最近ブログに以前のように熱心に臨めなくなってしまいました。

書く意欲が薄れてしまって、1日に割く時間も、次第に減少しています。

 

けれど、ブログ綴りのの良さと効用は、私なりに十分理解しているつもりです。

細く長く続けたいとの気持ちには変わりありまん。

 

数日に一回程度、書き上がれば投稿も、いいかな~と最近は思いはじめ、迷い中です。

溜めて投稿の場合は、色々な記事に手を付けられ、それも気楽で楽しいもの。

作文を書く意識から未だに抜け出せず、苦労多きブロガーですが、拙いブログへにお付き合いを、今後とも、宜しくお願い致します

 

追々記

新しい記事を、今日(4月24日)に妹のブログに載せました。

追記

http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2008

もし宜しければ、妹の旧ブログもお訪ねください。
妹が、場所を提供してくれました、

相変わらずの不穏さが伝わってきますが、今後も相手のブログは無視を通し、見ないつもりでいます。
の件について詳しくお知りになりたい方は、私の記事のカテゴリー、ブログ2をお読みください。
お相手のコメント欄の私の過去の記述を読んでくださっも結構です。
全容がご理解いただけるのではないかと思います。
宜しくお願い致します。
関係ない事ですのに、私の件でご心労をかけている方々には、心よりお詫びとお礼を申し上げます。

 


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いよいよ出発

2017-04-03 08:00:35 | 旅行

いよいよ、出発の日になりました。

(綴り方が、順不同で紛らわしくてすみません)

お彼岸中日の日に夫の菩提寺に行く予定を立てていたのですが、三連休とあって、私が希望するホテルはどこも満室。

やむを得ず、連休が始まる前日の金曜日に発ちました。

 

朝早い新幹線に乗車し、京都には十時過ぎに到着。

家を出て初めて、旅立ちの実感が込み上げ、いつも心が弾んでくる私です。

今となっては、もう心配しても仕方ない。

なるようにしかならないのだから覚悟を決めよう。

そんな心境になり、気持ちが随分軽くなります。

新幹線に乗車し、車窓を流れる光景に目を遊ばせていると、旅情に心ゆくまで浸れ、次第にルンルン気分に。

 

京都駅に着く前、観光に十分時間を取りたくて、早々に駅弁で昼食を済ませました。
駅弁も、上品な薄味の味付けで、結構本格的。
美味しかったです。

 

京都駅のホームに降りると、まずホテルへ。

昨年の京都旅行は、東山周辺のお寺を回りました。

1日目

清水寺ー産寧坂、二年坂ー石塀小路ー八坂の塔ー高台寺ー八坂神社ー祇園の花見小路ー建仁寺ー祇園の白川

 

 

二日目

銀閣寺ー哲学の道ー法然寺ー哲学の道ー永観堂ー南禅寺ー父の母校の大学ー私の母校の大学

 

 

 哲学の道

 

ガイドブックを参考にして、自分で決めたコースは、真夏の暑さには閉口したものの、理想に近い観光でした。

京都観光の際には、皆様にもぜひお薦めしたい所です。

 

今年、私が検討し選んだコースは、東山からは離れ、どちらかと言えば北山寄り。

二条城観光の後、銀閣寺、竜安寺を回りました。

 

レトロな雰囲気の京都オークラの正面ロビー

格調高く、思わず目を見張る意匠に感動でした。

 

ホテルは、去年は東山が近くに臨める京都ホテルオークラでしたが、今年は二条城の目の前に立つ、ANA全日空ホテルに一泊しました。

旅行の際、私はホテルライフをとても楽しみにし、選択に結構こだわㇼます。

ですから、疎かにしないようにしています。

 

昨年から、色々なホテルに泊まりましたが、それぞれ一長一短がありますね。

いつかホテル考といったタイトルで記事がかけるといいのですけれど・・・・・・。

書けそうで、まだ綴る自信が持てません。

これからも、いろんなホテルに泊まるのが私の夢。

私の長年の愛読雑誌、ミセスや家庭画報の影響を受けているのかもしれません。

特集で、ホテルの記事がよく載っていますから。

 

全日空ホテルは、客室が、オークラより落着けたように思えます。
翌朝撮ったので、ベッドメーキングがきれいではありませんが。

 

 さて、そのホテルには、11時前に到着でしたから、チェックインはまだできなくて、荷物は一時預かり所に預け、いよいよ観光に出発です。

ところが、出足から、とんでもないハプニングに見舞われ、一瞬呆然自失となった私。

他にも、後悔しきりの事がありました。

その失敗は、今後のためには、とても良い経験になったのですが。

この続きは次回のお楽しみとさせて頂きます。

 


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私が大好きな郷里の雰囲気

2017-04-02 07:01:03 | 旅行

春のお彼岸を迎え、私が楽しみに心待ちしていた夫のお墓参りに出かけてきました。

新幹線で片道四時間半の往復は結構大変ですが、私が元気な内は欠かせない年中行事に、今後もなりそうです。

昨年は、四十九日と一周忌の法要もあったため、五回も帰省。

しばらく遠のいていたふる里が、また近くに感じられる状況となりました。

夫の死によるものなので、少々複雑な心境ですが。

 

その時の旅行の思い出を、これから綴ります。

郷里に戻る前に京都にまた寄りましたが、先に夫の墓参について書くことに致しました。

 

 

夫のお墓に手向けた供花の一部の画像です

 

広島は、穏やかなおおらかさがとても感じられる街で、私は大好き。

瀬戸内の温暖な気候のお蔭とは、近年は言えないようですが。

大雪や大型台風に見舞われることも多くなってきましたものね。

でも海の幸、山の幸に恵まれ、七つの川の景観が美しく、空がとても広く感じられる、住みやすい所であることには変わりありません。

 

ポーラー化粧品会社の昨年の調査によると、広島の女性が、全国で一番肌が美しいとの結果が発表されましたね。

とても頷けます。

私の母は、長年ポーラー化粧品を使用もしていましたが、

肌がとてもきれいで、亡くなるまで、皺らしきものが、ほとんどありませんでした。

 

肌がきれいなだけでなく、おしゃれな方が多いようにも。

もしかすると心もきれいな方が多いのかもしれない。

お店の方と接していても、温かな人情が伝わってきます。

市民の暮らしにも、何となく、余裕が感じられます。

 

お花の画像は、すべて夫のお墓に手向けたものです。

 

私が墓参した日は、マツダ球場でオープン戦がある日でした。

タクシーの運転手さんの話によると、黒田元選手が始球式に臨むとのこと。

赤ヘルのユニフォームを装った人たちを、駅周辺でたくさん見かけました。

カープによる市民の団結が、今年もこの町の活気を盛り上げ、市民の幸福感に貢献してくれるに違いありません。

 

今年の秋にも、このシーンを見られますように♪

 

運転手さんが、

「今年は他球団からマークされるから、かなり厳しいでしょう」

と言っていましたが。

夫は、今はは風となって、いつでも球場に行ける身。

カープの試合は、オープン戦から欠かさず観て、応援しているに違いありません。

そんなのどかな風景の中の旦那さまを想像すると、私の寂しさも和らぎ、夫の思いに心に重ねて、とても満ち足りた気持ちになれます。

 

夫の菩提寺

 

お寺に着き、夫のお墓の前に立ったとき、感慨が込み上げ、思わず涙がこぼれてしまいました。

翌日の法要には参列できないので、住職様のお住いの玄関先に、ご挨拶に伺おうとしたところ、前住職様に通路でお会いしました。

今の若い住職様の御母堂さまに当たられます。

 

大層喜んでくださり、

「遠方からよくお越しくださいました。

~先生も、さぞ喜ばれるでしょう」と。

 

夫より義父の事を懐かしまれます。

医師だった義父は、このお寺のかかりつけ医だったようですから、特別な思いが、お寺さんにはおありなのでしょう。

 

 

名残惜しく思いながら、二時間近く過ごしたお寺を後にし、広島駅の新幹線乗り場に。

旅行二日目は、少々慌ただしい行程のつもりでしたので、京都を発つときから、大丈夫かしら、と緊張の面持ちの私でしたが。

心配は取り越し苦労だったようです。

 

駅前のデパートのお花売り場で、供花を求めタクシーでお寺へ。

そこでゆっくり過ごし、お寺さんの玄関先でしばらくご挨拶と雑談。

前御住職様のお話が長くて、少々はらはらしましたが。(笑)

 

それでも駅で、1時間半以上時間を持て余しました。

新幹線に乗車し、席に着いた時は、墓参の旅行を無事に終えた安堵感で一杯。

とは言っても顔面に痛々しい傷跡といった、とんでもないお土産を持ち帰ることになった私です。

 

供花のこの黄色い花のように、ビビッドな心で元気に毎日を過ごせますように

 

思いがけないハプニングにも見舞われ、その後遺症は帰宅後も、しばらく私を悩ませたのですが。

何はともあれ、予定は何とか無事にこなした三日間でした。

 

明日は順序が逆になりましたが、途中下車して愉しんだ京都旅行のお話を致します

 

 


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いまだに旅慣れない私

2017-04-01 07:02:21 | 旅行

旅行に出かけるとき、旅慣れた方は、ふらっと気楽に家を後にし、観光を愉しまれるのでしょう。

昨年は、墓参や法要の際、その他で、小さな旅を度々経験した私ですが、相変わらず出かける前のストレスは相当なものです。

自分に自信が持てないからでしょうか。

年齢から来る不安もあるのかもしれません。

 

そういえば、私の母の旅行前の動作が、今の私に重なります。

スーツケースの中に詰めた衣類や旅行用品を幾度も幾度も、出しては入れ、また出しては入れを繰り返していました。

母のそんな動作が、私の目にはとても微笑ましく映る半面、ボケ行動の始まりのようにもみえ、ちょっと心配したものです。

恐らく娘たちが、旅行前の私の挙動を見たなら、同様の気持ちになり、苦笑いするかもしれません。

 

ホテルでスーツケースを開けた時にパチリ

 

次女はお彼岸の中日の日から、また一週間、海外出張。

国内外共に出張が多い長女と次女達は旅慣れていて、遠方のお出かけでも、お茶の子さいさいなのでしょう。

羨ましい限り。

旅慣れた妹も、そうかもしれません。

 

 私の旅行用のスーツケース

数十年愛用していたのが右のスーツケース 二年前から、左の丈夫で軽い物に移行。
修理して一生使用するつもりでしたが、修理費に5万以上かかるといわれ、諦めました。
ほぼ同価格で購入したのが左のプロテカのスーツケースです。

 

国内ですらそのような私は、海外旅行となると、行く前の準備を想像するだけで、身が引けてしまいます。

まだとても元気な50代後半から60代の始めに、数回、出かけましたが、今よりはもっとましな対応ができていたのかしら。

どのように考えても、海外に出かける自信はもうない私です。

 

私固有の旅行の特徴は、いつも発つ前と、旅行を終えた帰宅後にあります。

発つ前の私の緊張感とストレスは、前述したとおりです。

帰宅後の特徴は、異常な疲労感に見舞われること。

 

昨年、妹と某デパートの日帰りバス旅行を愉しんだ時の事です。

シニア向けらしく、スケジュールはゆったり組まれていて、サービスも満点。

ラグジュアリーなバスだけあって、乗り心地は、妹が絶賛するほど快適でした。

 

 乗り心地が良かっただけでなく、運転手さん、バスガイドさん、添乗員さんんも、とても感じがよくて。

 

高揚感の余韻のせいでしょう。

帰宅したときは、意外にも、いつもとても元気な私ですが・・・・・・。

日帰り旅行ですのに、翌日になると疲労が噴き出し、数日間は体調がすぐれません。

妹に電話して尋ねると、元気そのもの。

今から、また出かけると。

何と翌日の話です。

私には信じられないような事でした。

海外のような長い旅行だと、一週間くらい体の不調が続きます。

 

非日常の体験に浸り、心身ともにリフレッシュすることが、私の旅の一番の目的のはず。

出かけてしまえば、多少の不安はあるものの、旅行そのものは、心から愉しめるのですけれどね。

出かける前のストレスと、旅行後の体調不良に思いを致すと、そのようなお出かけが心から好きと言えない自分がいます。

 

一層の事、旅行なんてよして、その経費を日々の暮らしに使用し、多少贅沢な日常を愉しむ方が、自分には合っているのかもしれない、と、しょっちゅう思うのですが。

一方では、せめて元気なうちは、見聞を広めなければとの思いもあって、複雑な心境です。

 

 私の大好きな旅行用品
実はしばらくこのことを忘れていました。
思い出して、クローゼットの奥から取り出し、使い始めた今回。
小物の整理が一気に楽になりました。

 

墓参は旅行とは趣が違うので、問題外ですけれど、日帰りにすれば、荷物は最小限で気楽に出かけられますね。

新幹線の往復代にも割引が効き、ずいぶん安くなるようです。

途中下車すると、その割引が効きません。

一泊するとなると、それだけで準備も大変。

今回、使用した経費は、トータルで~万+1万円

 

 

プラス一万にしたのは、あまりに無駄な支払いをしたからです。

二度とこのような無駄遣いはしないつもり。

このお話は日を改めて致します。

 

この中に含まれるものは、交通費意外に、一泊のホテル代、夕食代、飲食費、タクシー代、その他もろもろの経費(お土産代など)に、お寺さんに納めるお布施、お墓の供花も入っています。

もし日帰りにすれば、かなり安くなるのだけれど。

体力的に、今一つ自信が持てなくて。

 

個人旅行は、意外と高くつく。

私は、ホテルと夕食で多少の贅沢に甘んじているところがあるため、どうしても高めになってしまいます。

旅行はツアーに特化した方が、断然安くつくことでしょう。

悩ましい課題です。

 

遺族年金の身には、この大きな出費は頭が痛いところですが。

元気なうちは、お墓参りには、幾分無理をしてでも出かけたい私。

私ができる、夫への精一杯の御恩返しと思っているからです。

限られた遺族年金の収入内で、墓参は欠かさず、旅行もして、日々の暮らしを程よく愉しむには、どうすればよいか。

課題はいろいろあります。

試行錯誤しながら、自分が一番余生を愉しめる無駄のないお金の使い道を、旅行に限らず、今後も考え続けたいと思っています。


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