今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

遅ればせながら 祝 カープ優勝~夫はきっと、天国の特等席から観戦

2018-10-11 12:16:53 | スポーツ

広島カープセリーグ優勝!

球団史上初めての三連覇!

この言葉を噛みしめるたびに喜びが湧いてきます。

我が郷里の誇り。

そんな思いがしてしまって。

 

妹の画像を拝借

 

亡き夫に、この感動を味合わせて上げられなかったのが、かえすがえす残念です。

優勝にもう一歩といった雰囲気のペナントレースが終了し、二か月後に亡くなってしまいました。

翌年は優勝。

 

その時は、夫ととても親しかった同僚から、「カープ優勝おめでとう」のメールが私のもとに届きました。

元上司だったそのHさんも、翌々年、突然亡くなられ、たいそう驚いたものですが。

今は天国の特等席で、二人仲良く観戦していることでしょう。

生前の時と同様に、お互いが好きなチーム、カープと巨人を口悪くけなしながら。

 

 

熱烈なカープファンで、野球に詳し妹と違って、私は、野球のことは無知と言っていいほど、何も知りません。

山本浩二や衣笠などが活躍した当時は、もう少し詳しくて、選手の名前もほとんど頭に入っていたのですが。

カープが初優勝した時は、育児に追われながらも、必死で応援。

都内で社宅住まいをしていた私達でしたが、電話を握りしめ、優勝の一瞬を涙ながらに喜び合ったものです。

 

でもその強さは、本物ではなかったのでしょう。

その後は上位に食い込めないシリーズもたびたびあり、今のカープとはまるで違いました。

長年の下積みを経験しながらも、必死で努力。

その成果が実り、本物の強さを獲得。

そんな雰囲気のチームになりました

 

 

実は私は、今年は二度ほど野球観戦をしています。

上の二枚の画像は、その時撮ったものです。

でも野球用語をあまりに知らないので、妹が記事にしたら、それを参考にしながら書きたいと思っていました。

先日、妹に会った時、

「なぜ球場に出かけた時のことを記事にしなかったの?

Aちゃんが書かなかったから、私も書きそびれてしまったわ」

と言ったところ。

「そんなことないわよ。記事にしているわよ。お姉さまが料理ブログに載せた画像を借りて」

その記事をスマホで見せてくれた妹。

「あら、まあ~本当」

https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014/e/799205fd03756ad73d657747727b41b8

 

でも今更記事にするのは恥ずかしいので、最後に簡単に記しますね。

観たのは、巨人戦と横浜ベイスターズ戦。

妹がやっとの思いで獲得してくれた内野の席で、身ごたえ十分な試合を満喫。

ホームグランドでもないのに、カープファンの赤集団で、球場の半分が埋め尽くされ、郷里如何にかかわらず愛されたチームである事が、よく分かりました。

地味な地方チームのひたすらな努力。

その姿と成果は、一層輝いて人の目に映るのでしょう。

ファイナルステージでは、今度こそ日本一になってください。

 

広島カープのこれからのますますの活躍を期待し、応援し、私の余生の楽しみの一つにしていこうと思っています。

来年も、野球場に出かけようね、Aちゃん。

チケットの獲得、大変だと思うけれど、宜しくお願いします。

 

今日で10記事、更新しました。

このあたりで、また一休みさせていただこうと思います。

 

孫娘、かれんちゃんの小学校の運動会の様子など記事にしたいことは、まだいろいろありますが。

休みを入れながら、のんびりブログライフを楽しんで参ります。

 プライベート色が強い個人日記にもかかわらず、多くの方々がお立ち寄り下さいまして、温かなな応援まで頂戴し、

本当にありがとうございました。

これから日増しに深まる紅葉の秋を、お元気で心行くまでお愉しみにられますように♪

 

追記

過去のお気に入りのバナーがまた使用できると思い張り付けたのですが、その後、全くポイントが入らなくなってしまいました。

にほんブログ村のシステム障害によるものなのかもしれませんが・・・・・・。

とりあえず、また元のバナーに戻して、様子を見ることにします。

記事のPing送信もできません。

   

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝の思いを込めて記念品を購入

2018-10-10 10:35:26 | 家族

諸々の思い出の品を買取業者さんに手渡し、思いがけない金額のお札を手にしてしまった私です。

もちろん、嬉しかったですが、それ以上に遺品を手放すにあたっての心の負担が大きくて。

しばらくその後、体調を崩してしまいました。

そのくらい、重苦しい作業でした。

後で、手放すべきではなかったのでは、と後悔したものもあります。

 

 

とても迷ったものの一つに、祖父の勲章もありました。

一万円で引き取るといわれ、一度はその気になりました。

若夫婦は勲章制度そのものを蔑視しているところがありますから。

 

 

でもめったに戴けるものではない、祖父の人生の業績の証を、他人の手に渡していいものだろうか。

そう思うと手渡す勇気が今の私には、まだありませんでした。

 

 

複雑な心境で、重い作業だった遺品の整理。

その結果手にしたお金の使い道は、私はあまり迷うことなく決めました。

なんとなく使ってしまいたくない。

感謝の心をいっぱい込めて記念品を買い、一生大切にし、娘たちにも、その思いを継承させたい、と。

 

 

そんな気持ちで購入したのがバカラのグラスとボウルです。

透明なガラス食器は、清らかさに通じ、この度の記念にはぴったりの品物に思えましたから。

 

 

大切に使用し、将来は娘家に手渡すつもりでいます。

私の夫と両親への篤い感謝の思いを受け継いでくださいね。

お父様、お母様、あなた、本当にありがとう。

主人と両親から贈り物をいただいたような気持ちで今はいます。

 

 

9月28日記の日記

園芸日記

昨日は、昼食抜きで、なんと5時間もガーデニング作業に没頭してしまいました。

長時間の集中は、首を痛め、取り返しがつかない疲労感に襲われることが分かっているはずなのに。

案の定、その通りになりましたが。

購入した草花を一気に植え付けて、一安心です。

どうか我が家の環境に慣れ、逞しく成長してくれますように。

下の写真は、植え付け完了直後の画像です。

 

 

 

   

 

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信用に値する業者さんに遺品を手渡した日 

2018-10-09 07:02:33 | 家族

昨日の続きです。

ポストに入っていた朗報の広告紙。

それを目にしたとき、私な悩み続けてきた遺品の行き先を、やっと見つけることができた。

そんな思いと嬉しさが込み上げてきました。

その広告の差出人とは?

大手百貨店の本店です。

 

背広を着用した爽やかな雰囲気の社員が載っていて、買取をいたしますといった文面でした。

一目見て、私の心は決まりました。

遺品の回収はここにお願いしよう。

見知らぬ人に手渡すより、はるかに安心です。

 

早速電話を掛けました。

良い品物でも、買取業者さんは、二束三文でしか買ってくれないということは、親しい友人から聞いていました。

ですから期待はまるでしていませんでしたが。

丁寧に扱かってくれるであろうデパートの仲介業者を通して、他人の手に渡り、役立ててもらえうのであれば・・・・・・。

どんなに安価でも、私は不服など全くありません。

 

 

そしていよいよ、遺品を手渡す日が訪れました。

私の期待通り、とても感じの良い方が、玄関先に。

居間には前もって、夫と母の衣類他、思い出の品々を所狭しと思えるほどに並べてのお迎えです。

ところがその方は、衣類には全く興味を示されません。

 

私の買い物の方針は、上質のものを数少なく、長く使用するですから.

夫の外出着もそのようなものばかりでした。

クリニングにも出していて一見、新品にも見えます。

それでもだめ。

ゆえに、母の物にも、もちろん全く関心なし。

 

そんな具合でしたが、思いがけず大きな額のお金をいただいてしまいました。

その金額は、6万5千円。

何だか恐縮してしまった私です。

 

その内訳は、恥ずかしいので伏せますが、一例だけ挙げますね。

私が長年愛用したルイビトンのスーツケース。

さすがにもう古くなって使用不可と思っていた物の買い取り額は、一万円。

そんな感じです。

 

結局、私が一番処分に困っていた衣類は、一枚も引き取ってもらえず、なんだかな~といった複雑な気持ちでした。

これでは、私の目的は、ほとんど果たせていませんから。

 

 

ところがその数日後、デパートではなく、また同業の方から、電話がかかってきたのです。

「もう値打ちのあるものは、デパートに引き取ってもらいましたから、期待に添えるようなものはありません」

と答えたところ。

それでも構わない、とのこと。

この類の電話は、すべて断ってきた私ですが、今の流れの勢いに乗って、つい訪問を承諾。

阪神方面の方で、実にユーモアがあり愉しめたのですが、やはり衣類には全く関心を示されなくて。

 

でも高額の値を付けて下さったものが数点ありました。

夫の大島紬の着物と、居間の壁の隅に飾ってある絵画。

百貨店の方にも、私の所持品で、とんでもない高い値をつけてくださったものがあります。

何と、云十万円。

でも手放す気はもともとなく、すべてお断り。

 

欲しかったわけでは全くなく、ある事情で買わされた感じのバッグ。
さりげなく普段使いするのがお洒落、と言われましたが、とてもとてもそれは無理。

気後れしてしまい、使用したのは、二十数年間に数度だけ。
この買い取り額は、云十万です。

 

母が私の夫のために用意してくれた大島紬の着物

 

このような経過をたどって、結局今も、遺品の多くは、そのまま我が家に置かれたままです。

今回は大島紬の夫の着物以外、和装物はほとんど見せていません。

再度、いつか他の着物の鑑定もお願いしようと思っています。

 

 

思い出の品々は、焼却してしまうのが一番きれいな処分方法ではないでしょうか。

でも、それを可能にしてくれる場所は見当もつきません。

 

二人目の業者さんに、居間の暖炉を指して、

「この中に入れて燃やしてしまうことも考えているのですが」

と話すと、その答えは、

とんでもない。衣類には化学物質が含まれているものが多いので、燃やすと黒煙がもくもくと上がって、すぐに厳重な注意をうけますよ」と。

 「寄付しても、この類の衣類は喜ばれない。

お塩とお酒を振って、ごみとして処分するしかないですよ」

とのこと。

 

そうかもしれないけれど、ゴミ扱いにするのはどうにも忍びなくて、私には耐えられないところがあります。

その場合は、ぼろきれなどの回収日に出すことになるのでしょうね~

路上の晒しものにはしたくない、と悩んでいた時に、思い付いたことがありました。

 

マンション住まいの娘のところで捨ててもらおう。

娘にお願いすると、「いいわよ」と、承諾してくれました。

「持っていくのは同じ清掃業者さんよ」と言いましたが、屋内の集積場所においてもらえるだけでも、多少は気持ちが救われます。

夫や両親が一番愛用していたものだけ残し、あとは少しずつ娘宅にもっていくことで、一件落着といったところでしょうか?

良き寄付先があれば、それも検討するつもりでいます。

 

こんなことで悩む自分を見て、私は元気な内に自分の持ち物はできるだけ処分して、娘たちに迷惑をかけないようにしなければ、と改めてしみじみ思いました。

 

   

 

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重苦しい心で臨んだ遺品の整理~園芸日記

2018-10-08 07:18:29 | 家族

最近手掛けたことに、私にとっては心がたいそう重くなる出来事がありました。

その後しばらく、体調を崩してしまったほどに。

その出来事とは、遺品の整理。

両親が亡くなり、夫も居なくなり、一人暮らしの私ですが。

夫の遺品と母の衣類の多くは、そのまま手を付けず保管したまま。

 

父母が暮らしていた家は私と同居が決まり、売却を決めた時点で、更地にしました。

私は両親の介護で家を離れることができず、妹に実家の取り壊しの際の手続き、立ち合いなど、すべて一任。

更地にするために、重機が取り壊しにかかった時のこと。

想い出がたくさん詰まった多くの物品は、その時ごみと化し、一気に処分されたと妹から聞いています。

 

妹の話では、慣れ親しんだ物がほとんどゴミになってしまうのは、いたたまれない心境だったけれど。

郷里が遠隔ゆえ、どうすることもできなかった、と言っていました。

やむを得ないことだったでしょう。

私はその話を聞いたとき、せつない心情になりましたが、妹の苦労を思って、返す言葉などありませんでした。

本当にご苦労様。

そんな心境ではなかったかと思います。

 

 

 恐らく私が死んだときも、同じことが繰り返されるのでしょう。

我が家は、築三十年以上になります。

それにしては、間取りも斬新で、割ときれいなほうかもしれません。

でも長生きすれば、経年劣化で売ることはできず、取り壊しの運命になるやもしれず。

その時の娘たちの苦労を思うと、それは、想像をはるかに超えて大変そう。

 

その前に断捨離をできるだけ行い、家の中をすっきりしておかなくては。

そう思うものの、大胆に取り掛かることはなかなかできず、今日に至ってしまいました。

ぼつぼつでしたら、思いつくたびに日頃手掛けてきた作業ではありますが。

 

郷里の繁華街にある舶来用品専門のブティックでいつも仕立ててもらっていた母。
ワンピースがほとんどです。

 

断捨離にあたって、もう使用することが絶対ない両親や夫の遺品は、ゴミになる前に、少しでも丁寧に扱ってもらえるところを見つけ、手渡すことができれば、と願っていました。

買取業者と名乗って、訪問させてほしいとの電話がよくある昨今。

けれど、素性もはっきりしない業者さんに、思い出の品を手渡してしまうのは、なんだか忍びなくて・・・・・・。

ずっとためらってきました。

寄付も考えましたが、カジュアル用品よりお出かけ着が多いい我が家

そのような衣類は、あまり役立たない、と聞いたこともあります。

送っても、ごみとして処分されてしまうかもしれません。

 

夫の衣類はコーディネイトしやすいように、ほとんどバーバリーで統一していました。
Yさんはおしゃれっ気の全くない人。
私がすべて用意しました。(笑)

 

 

色々思いを巡らしたものの、遺品の扱いにベストと思われる方法がをなかなか見つけらなくて悩んでいました。

ところが最近のある日のこと。

思いがけない良き知らせの折り込み広告が、ポストの中に入っていました。

 

その広告とは、どんな内容だったでしょう。

                  続く

9月24日記述

 

園芸日記

下の画像が、最近(10月)買った草花です。

袋物の手前が半日蔭に適した植物です。
その後ろが日当たり用。

 

日当たりが条件の草花は植木鉢に植え、庭の彩を演出。

花壇は常緑の多年草で半日蔭にも適した植物を植えることを徹底しよう、と考えています。

果たして私のイメージ通りにお庭がなってくれるでしょうか?

経費のあまりかからない庭を目指していきます。

 

その大きな方針替えのために、この度は、いつになくたくさん苗を購入しました。

園芸費は、私は、毎月貯めている余裕費から捻出しています。

   

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

           ↧

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

団扇とお扇子~園芸日記

2018-10-07 09:09:22 | 暮らし

今日の記事は、一休みといった感じで、できれば短く終えたいのですが。

望んでいるわけではないのに、長文になりがちな私のブログ記事。

こんな長い文章を毎日書いていては、すぐ疲れてしまうのは当たり前ですね~。

過去の記事は、もっともっと長くて、支離滅裂。

時折読むと、赤面してしまいます。

 

分かっていても、私が理想に描くような短文が綴れないのは、行間に含蓄がある、詩的な文章を書く才能が、私には全くないからです。

ボキャブラリー不足と教養不足も大いに影響しているでしょう。、

でも、今の年齢では、もうどうすることもできません。

 

 

長いとはいえ、理屈っぽい独りよがりな文章はあまり好きではないので。

単純明快を心がけ、読む方が理解しやすい文を綴りたい。

そう願い、努力しているつもりですが。

あくまでつもりです。(笑)

こんな駄文にもかかわらず、目を通してくださる閲覧者の皆様には、感謝の気持ちしかありません。

本当にありがとうございます。

 

 

前置きが長くなりましたが、本文にはいります。

今日は短くと思っています。

私は九月に入ってから、ぼつぼつですが、年末の大掃除を意識した家事にも励むようにしています。

作業のいくつかの項目の中に、収納の整理というものがあります。

 

その家事に臨んでいるとき、夏の風物詩の小道具と言える風流なものが二つ出てきました。

お扇子と団扇です。

長い間使用していませんでした。

まるで懐かしいものに出逢えたような感慨に浸り、しみじみと眺め、手で触って、その感触を楽しんでしまいました。

 

 25年以上前の事。
母の介護にあたって、鳩居堂で求めたものです。
その頃よく使用しました。

 

今では時代錯誤と言ってもいいような小道具ですが。

こんなものに、無性に愛しさを覚えるのは、齢のせいでしょうか。

来年の夏には、時々使用して、優しい風にあたり、潤いのあるひと時を過ごしたいものです。

9月25日記

 

庭の点景

今後は、記事の最後に時折、園芸日記として、我が家の庭の光景をご紹介できれば、と思っています。
数日前、デパートの屋上園芸店で、ご相談に乗っていただき、半日蔭でも育つプランツを厳選していただきました。
でも届いた苗を見て、ちょっとため息。
植えるのが重労働になりそう。
明日は購入した草花の写真をアップさせていただきますね。

 

追記

早朝、皆さんのブログを読んでいる途中、パソコンの画面が突然見られなくなってしまいました。

如何に試行してもダメ。

機器に弱い私は、こうなると「ネットの神様」と思っているNTTのリモートセンターに電話するしかありません。

ところが急に思い付き、ルーターの電源を切り、10分位、放置。

 その後、再度電源を入れ直すと見られるようになりました。

何故こんなことが、突然起こるのでしょうね~

このために一時間近く、貴重な朝の時間を無駄に過ごしてしまい、何だか悲しいです。

パソコンのトラブルは、私が一番嫌なこと。

昨日もでしたが、今日は午後からお出かけで忙しいので、自分のブログ記事を投稿したらパソコンは閉じて家事に専念いたします。

新しい掛け替えのない一日を、お互いに今日も、大切に過ごしてまいりましょうね。

 

  

 

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋のお彼岸~次女がお墓参りへ

2018-10-06 07:15:15 | 家族

秋のお彼岸がやってきました。

暑さも寒さも彼岸までといった言葉通り、当地も一気に涼しくなりました。

夏が、「私の務めは終わった」と言って、潔く去っていったような感じ。

でもおそらく、このままでは、夏は終わらないでしょう。

名残惜しそうにまた後ろを振り向いて、残暑を残しそう。

私はそのくらいの季節の移行の方が、情趣があって好きです。

 

妹と父母のお墓参りに出かけた21日は、長袖の白い薄手のカーデガンを羽織っていましたが。

それでは肌寒くて、風邪を引いてしまいそうな天候でした。

一気に晩秋が訪れたかのような趣。

冬嫌いな私は、長い冬は勘弁して、そうお願いしたい気持ちです。

 

 

いつもですと、今日あたり、私は郷里に新幹線で向かっています。

今年の秋のお彼岸は、次女のMちゃんが私に代わって、夫のお墓参りをしてくれることになりました。

年に一回くらい、娘たちが墓参したほうが、夫も喜ぶのではないかしら。

そう思い、まず近くに住む次女に、私が提案したことでしたが。

Mちゃんは即座に快諾。

 

でも、全面的にお任せでは何だか申し訳なくて。

要らない、と断られましたが。

新幹線の片道代とお寺さんに収めるお布施は、私が出すことにしました。

今日出発予定です。

お土産話が楽しみ。

夫のお位牌前でその報告もしましたが、Yさんの嬉しそうな顔が目に浮かぶようでした。

 

さて話を、妹と過ごした日に戻します。

待ち合わせたのは私が通う整骨院。

妹も、数か月前から、一時間ほどかけて、この整骨院に通っています。

長年患っていた肩の痛みが随分よくなり、厚い信頼をこの医院に今は寄せているようです。

この度の施術は、骨折の回復をよくするためのようでした。

 

私は墓参後、整骨院に寄る予定にしていましたので、妹の施術が終わると、近くの中華料理店で昼食を共に。

お盆の施食会の前後に二人揃って怪我をして以来、久しぶりの再会です。

 

 

二人揃って、痛めた体を気にしながらのおしゃべりでしたが、心は共に元気一敗。

愚痴めいた話にならないところは、私たち姉妹の取り柄でしょうか。

今後は絶対転ばないように気を付けようね。

私の脳の影は、脳腫瘍では絶対ないわよね。

そんな前向きの会話で終始しました。

数週間後に、海外旅行を控えた妹夫婦です。

Aさんにしっかりエスコートをしてもらい、絶対転ばないでね、と釘を刺しておきました。

 

そしていよいよ両親のお墓参り。

最寄り駅からバスで7~8分の所に父母の菩提寺があります。

冷たい雨の降りしきる中では、墓石を洗い清める作業もままならず、適当にやり、供花を手向けました。

お線香をあげ、二人でお祈り。

両親は、最近の出来事を天上から見守りながら、さぞ心配していたに違いありません。

意外に元気な二人の姿を見て、胸を撫でおろしてくれたことでしょう。

「心配をかけてごめんなさい。その後元気に日々を過ごしています」

そんな言葉をかけて、お墓を後にしました。

 

 

まだ夕暮れまで少し時間がありました。

おしゃべりがまたしたくなり、妹所望のお汁粉を求めて、レストランに立ち寄りました。

けれど、季節限定の商品とかで、そのお汁粉にはありつけず、コーヒーとケーキで一服。

その後、

「これからは、絶対転ばないようにしようね」

と再度固く誓い合って別れました。

 

皆様も、転倒にはくれぐれもご注意くださいね。

私たち姉妹の骨密度は年齢の平均値より高いのですが。

シニアともなると、棒切れがポキと折れるが如く、容易に骨折してしまうようですから。

この度の痛い経験で、私達はつくづくそのように思いました。

9月23日記述

 

 

  

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一か月後の検診で、とんでもない病名が? 

2018-10-05 07:33:10 | 病気

転倒により頭に怪我を負ったとき、最初に出かけた脳神経科病院は、とても信頼のおけるところです。

ところが、そこで診察を終えた時は、今後の注意事項が羅列された紙を一枚頂いただけ。

次の予約はありませんでした。

冷静に今振り返ると、その後、怪我の後遺症が万が一出たなら、その時すみやに対応すれば良いだけのことだったのかもしれません。

脳にメスを入れる手術をした義弟は、まさにその通りで、今はすっかり元気になりました。

 

でも私は、散歩から帰宅直後に、玄関で倒れ込んでしまった義弟。

その後の手術についての妹の話が頭に焼き付いていました。

Aさんと違って、私は一人暮らし。

何か起きると大変です。

 

怪我を負ったときは、その数日後に夫の墓参旅行も控えていましたし。

ですから、異常はないとの診断を受けても、その翌日も頭痛が収まらないのは、とても不安なことだったのです。

病院で頂いた一枚の紙に書かれた注意事項のトップは頭痛でしたから。

この時のことについては、過去の記事で詳しく書きましたので、今回は省略します。

 

頭痛が心配で二度目の診察を近場の病院でまた受けた時、そこでは、一か月後に再度MRIをとることを勧められ予約。

そして、その日がやってきました。

 

ながあ~い前置きでごめんなさい

昨日と同じことを、繰り返して書いただけですね。

ここからが、今日の記事の主旨になります。

 

 八重のインパチェス

 

MRIを受け、十数分経過。

診察室に、また呼ばれました。

私の画像を見つめながら、先生がおもむろに話されたことは、余りに思いがけないこと。

ショッキングな内容でした。

 

一か月前に撮った画像と見比べながら、次のようにおっしゃいました。

「前回の画像はきれいですが、今回は明らかに違っているのが分かりますか?

ここに丸い影が映っています。

転倒による硬膜下血種とは、形が少し違うのですよ・・・・・・。」

首をかしげるような素振りをされ、次に告げられた言葉の、何と恐ろしい事。

「脳腫瘍の懸念も否定できないけれど、まだ何とも言えないので、ひと月、様子を見ましょう」

 

私にとっては、こんな恐ろしい病名はありません、

でも、その時は意外にも冷静に受け止められた私です。

信じ難いことだったからでしょう。

 

 

 

整骨院で、病院の帰りに施術も受けました。

施術が終わった時、先生に話した言葉。

それを今思い返すと、私がいかに心身ともに疲れ果てていたか、とてもよく分かります。

その言葉とは、

「このままここで、朝まで寝ていたいです」

 先生は、

「さぞ疲れておいでなのでしょう。家に帰って、ゆっくり休むといいですよ」と。

 

帰宅すると、不安が次第に大きくなっていきました。

私は広島で1歳の時、爆心地から三キロの地点で被爆しています

ですから、心の片隅で、いつかがんを患う日が訪れても仕方がない、との覚悟はあります。

けれど、脳腫瘍だけは、想像が及ばないことでした。

 

ネットで検索すると、末期症状の解説が目に入りましたが、数節読むと、すぐ消してしまった私。

恐ろしい言葉の羅列だったからです。

それを目にしただだけで、私は落ち込んでしまって・・・・・。

こんな心配を抱えて、一か月も様子見で過ごすのは耐えられないと思いました。

 

翌朝、まだ心身ともに疲れた体を鞭打つようにして、また病院に出かけました。

セカンドオピニオンを求めて。

行き先は、けがを負った直後、最初に受診した脳神経外科では有名な病院です。

 

前日受けた病院より、MRIの機器ははるかに大掛かりなものでした。

ここで同じ診断を下されたなら、もう覚悟を決めるしかない。

そんな心境でいました。

 

私のマスコット。
オウム返しでおしゃべりをし、私を元気づけてくれます。

 

ところが、先生のお話は、前日とはまるで違っていました。

画像を一枚一枚ご覧になりながら、どこにそんな影が映っていますか?

と言って首を傾げられる先生。

数枚目の画像を手にされたとき、私は目ざとく、その影を見つけました。

「この陰です」と指差して、先生にお伝えしました。

 

すると先生がおっしゃいました。

「これは脳腫瘍ではありませんよ。転倒による硬膜下血種でしょう」と。

私はその時点で、どんなに安堵したかわかりません。

けれど、一言、次のようにもおっしゃいました。

「脳腫瘍だとしても、良性ですよ」と。

 最後の言葉が気にならないでもないけれど、セカンドオピニオンを受けた後の私は、すっかり平常心に戻ることができました。

 

10月に入ると、ミニ同窓会と、お食事会も控えています。

出席できるかどうかは、次回のMRIの結果次第。

出欠の返事は、当日でも構わないよ、とのことでした。

 

どうか無事に次回のMRIの検査をクリアできますように。

今は祈るような気持ちで、その日を待っています。

 

9月22日記述

 

  

 

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セカンドオピニオンの大切さ

2018-10-04 07:00:01 | 病気

セカンドオピニオン。

この言葉に、以前の私は、何となく抵抗感を覚えていました。

患者さんの体に一生懸命向き合おうとしている先生を、裏切る行為。

このように思え、失礼なことと、感じてしまって・・・・・・。

 

でも最近では、セカンドオピニオンは、当たり前のことなのでしょう。

夫が肝臓がんを患った時の事。

c型肝炎の治療で長い間通院していた総合病院の医師に、セカンドオピニオンを恐る恐る申し出たことがあります。

ところが先生の、あまりの快諾振りに、拍子抜け。

そのまま肝臓がんの名医で知られた医師のいる病院に、夫は転院しました。

 

 

 

セカンドオピニオンは、真実を知るうえで、とても大切なこと。

安堵感、あるいは覚悟をもたらし、患者の気持ちを落ち着かさせてくれる、何にも代えがたい行為。

そのように確信するに、今の私は至っています。

 

このような気持ちをさらに強くしたのは、ここ1、2年の間に経験したいくつかの出来事があります。

セカンドオピニオン、といった表現が適切かどうか、あまり自信はありませんが。

ただ病院を、私は右往左往しただけのようにも。(笑)

 

昨年、脊柱管狭窄症になった時は、かかりつけ医に近かった医師の埒のあかない言葉が信用できなくて。

自分からお願いし紹介状を書いてもらい、大病院に行きました。

その病院で脊柱管狭窄症が見つかりました。

 

さらに数年前の過去に遡りますと。

圧迫骨折に見舞われ、一時期、辛い思いをしました。

その時は最初、二か所の個人クリニックで診察を受けましたが、両医院とも、異常なしの診断。

私にはどうして納得がいかず、夫がその頃入院していた総合病院で、診察を受けました。

そこで検査の結果、圧迫骨折が見つかりました。

 

最近の夕食の献立
お刺身の盛り合わせ・肉じゃが・ごま豆腐・小松菜のおろし和え・ところてん

 

そして更に最近のこと。

転倒した後の診断でも、同じような経緯を私は辿っています。

この時は、病院へのアクセスが、転倒当日、タクシーで出かけた脳神経科病院は、我が家からは遠く、交通の便が悪過ぎでした。

そのために、病院を変えただけのことでしたが。

 

怪我をしたのは、お盆入り直前。

お寺さんの行事、施食会への参列、お墓参りのための帰省を控え、多忙を極めていました。

そのために、やむを得ず選択した近場の病院です。

墓参のための帰省旅行を前にして大丈夫なことを、もう一度確認しておきたくて。

怪我の翌日も続く頭痛が、不安で仕方ありませんでしたから。

 

私が一番得意とする肉じゃが
私の料理ブログの煮物のカテゴリーにレシピが載っています。
宜しければ、お試しくださいね 。

診察の結果は、前日同様、まったく異常なし。

その時、一か月後にまたMRIを受けるようにと言われ、予約を取りました。

脳の怪我は、一か月あるいはもう少し後に、硬膜下血腫という症状がよくあらわれることがあります

義弟がその症状で手術に至った記憶は、まだ新しいこと。

 

でも、異常なしの翌日の診断で、まずはとりあえず安堵。

怪我をしたこめかみ近くに、大きなバンドエイドを張り、郷里の広島に出かけ、夫の墓参を無事に済ませた私です。

 

そして、予約日の一か月後、またMRIを受けに病院へ。

ところがその時、とんでもない病名の疑いがある、と医師に告げられてしまったのです。

この時は、迷わず翌日、セカンドオピニオンをまた受けることにした私。

長くなるので、この続きは明日お話しさせていただきますね。

 

複雑な筋で、皆様には経緯がよくご理解いただけなかったかもしれませんね。

拙文ゆえの至らなさを恥ずかしく思います。

ごめんなさい。

 

9月22日記記述

  

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金正恩氏の外交術

2018-10-03 06:56:45 | 社会 政治

国内の政治や国際情勢について、私は関心ががないわけではないけれど・・・・・・。

私の思いをブログ上に綴るほどの知識はなく、書く自信は全くありません。

そんな私でも、ちょっと触れてみたいのが、北朝鮮の金正恩氏の外交術。

 

肥満のお体に、不思議なヘヤースタイルの彼の風貌は、一見頼りなく見えますけれど。

なかなか賢い外交の戦術家?

そんな印象を、私はこの頃、受けるようになりました

最近の米国と北朝鮮のやり取りを見ていると、明らかにアメリカのほうが下手。

北朝鮮にアメリカは振り回され、一見、金正恩氏がリーダーシップをとっているかのように見えてしまいます。

 

今日のヤフー記事の見出し。

「南北首脳会談 文政権取り込み、南北一枚岩でトランプ政権に終戦宣言を迫った金正恩」

またある日の新聞記事の見出し。

「急ぐ米の思惑利用か」

この記事からも、正恩氏の巧みな抜かりない外交術が見えてくるような。

 

 

私の目にはトランプ氏が今一番気にかけていることは、11月の中間選挙。

そのために実績を残したい。

正恩氏は、その焦りを見抜き、利用して対応し、米国を振り回している。

 

トランプ氏の感情論も、世界中を振り回している。

どちらもどっち。

正攻法の外交術には思えなくて。

世界中の多くの国が憧れ尊敬していたアメリカが、ここまで落ちぶれてしまったのか、と本当に情けなくなります。

 

オバマ前大統領が、11月の大統領の中間選挙に向けて、ついに立ち上がりましたね。

前大統領が選挙戦に参加するのは異例のことのようです。

居ても立ってもいられない衝動が、彼を突き動かしたのではないでしょうか。

彼の選挙運動が功を奏し、元のもっと理性的に振る舞うアメリカに戻ってほしい。

今はそんな気持ちでいっぱいの私です。

 

 

とは言っても、私には、正恩氏は中国の指示通りに動いているだけのようにも見えるのですが。

もし、彼がどんなに賢い外交術で対応してきても、過去の冷酷な行為を忘れることができない限り、信用はなかなかできません。

気に入らない側近、弟まで殺してしまうような人ですから。

悲惨な庶民の生活からも、窺い知ることは容易です。

 

けれど、人間は究極の状態に追い詰めれると、残酷なことが平気でできる。

そのことは、過去の世界の歴史が物語っています。

日本も無べなるかなですね。

ですから北朝鮮がしてきたことを一方的に責める資格は、私たちにはないのかもしれません。

大国の中国も、最近まで似たような振る舞いをしてきたのではないでしょうか。

 

 

今後も正恩氏が、私たちの期待通りに動き、非核化、核施設の完全廃棄をもし実現し、朝鮮戦争の終戦宣言に至ったなら、

過去のことはすべて忘れて、心から彼を褒めたたえましょう。

その前に、拉致問題もぜひ解決してくれないと困ります。

これからも、まだ半信半疑ながら、希望を捨てないで、経過を見守っていきたいものです。

 

それにしても、トランプさん。

もう少し、理性的に振る舞ってください。

私のように単純な人間には、ある意味非常にわかりやすい、彼の外交術ですが。

振り回される他の国々は、先が見通せなくて大変なことでしょう。

そんなことを、生意気ながら言いたくなってしまう、今のアメリカです。

ポピュリズムが台頭し、健全な民主主義が壊されていくようで、今の風潮が私は本当に心配です。。

9月20日の記述

   

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私にとって、ブログとは? 

2018-10-02 06:44:41 | ブログ

書き溜めた8月の日記を更新し終わった後も、毎日新しい記事をしばらく載せ続けました。

でもやっぱり、たちまち息切れ。

心の隅で、いつもブログが気になってしまって。

そんな暮らしは好ましくない、と思い、すぐ止めてしまった私ですが。

それで良かった!

今しみじみ、そう思っています。

 

この解放感は、どこから来るのでしょう。

いつ投稿しようと、私の気持ち次第。

気持ちが熟し、投稿したくなった時にまとめて投稿すればいい。

極端に言えば、前の年の記事をすべて、翌年に更新したって構わないのでは。

 

日記は本来、人に読んでもらうために綴るのではなく、自分自身ののために書くものですから。

そうは言ってみたものの・・・・・・。

自分自身のブログへの向き合い方を振り返ると、この表現は正しくないかもしれません。

訪ねてくださる方が多いと、やはり嬉しいですから。

 

この部屋で私は一日の大半を過ごし、ブログも綴っています。

 

では、公開の目的は何なのでしょう?

よく分からなくなってしまうのですが、ブログとは、そういうもののような気がするから。

パスワードを付けて、読む方を限定したブログもたまに見かけますけれどね。

 

皆さんが読んで下さっていると思うと、日々の暮らしも文章も、多少は襟を正して臨まなくては、と思い、自分を鼓舞できるからかもしれません。

私にとっては、ブログは前向きの世界です。

ですから他人の悪口なんて、書きたくありません。

 

愚痴は日常の暮らしでも、私は極力言わないように心がけているほうなので、ブログにはほとんど書きませんが。

ほかの方の愚痴ブログを目にしたときは、とらえ方は色々。

心から納得できる、筋の通った愚痴や文句は、読んでいても気分は全然悪くなりませんが。

 

一方、自分は絶対的に正しい、周りがすべて悪い。

そんな雰囲気の文章を目にすると、何だか読んでいて息苦しく悲しい気持ちに・・・・・・。

 

私の一番好きな木彫りのお人形。
夫が海外出張した時のお土産です。

 

とは言っても、ブログは自由な世界。

どんな使用の仕方をしようと、ひとそれぞれ。

私の思いは、そこに落ち着きます。

今日書いたことも、私個人の気持ちに過ぎません。

 

細く長く続けるためには、ブログにどのような向き合っていけばいいのか。

私は相変わらず、手探り状態です。

心からブログライフを愉しみたい、との思いはいつも変わらないのですが。

必ずしも、そうなっていないので悩みます。

 

自分の暮らしも気持ちも、ありのままに正直に綴る。

臆せず・・・・・・。

それしか能がない私ですが。

今後とも、変わらないお付き合いのほど、宜しくお願い致します。

 

9月20日記述の日記

 

            

 

10月1日記述

昨夜の台風凄かったですね~。

今年の夏は、精神的に参ってしまいそうなほど、自然災害が多くて。

それを目に耳にしてきた私は、今回の直撃予想には怯えてしまいそうなところがありました。

真夜中の二時ごろでしたでしょうか。

激しい風雨の音で目が覚めました。

 

家がびくともしなかったせいか。

意外にも、その受け止め方には余裕があって、

「何をそんなに怒り狂って、暴れ回ってているの?」と優しく問いかけたいような気持にさえなりました。

 

優しくなだめれば、風雨が多少でも鎮まってくれるといいのですが。

自然は、そんなに生易しいものではありませんから。

防災対策には、国を挙げて、もっともっと力を入れてほしいものです。

私たちも、備えと注意を怠らないようにしましょう。

   

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする