大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

檜洞丸から宮ケ瀬 1994年4月

2010年06月21日 | 丹沢

遠出の山は書き終わったので、山に嵌ってしまって3年間ほど通いつめた丹沢の主な歩きをアップしておく。
93年の暮れから始めた山だったが、渋川へ単身赴任するまで地元でもあり殆どが丹沢だった。
翌年の春に蛭ケ岳山荘に泊って、檜洞丸から宮ケ瀬まで歩いた。
初めての小屋泊まりで、当時は結構強面で有名だった蛭ケ岳山荘の小屋番夫婦(先代)だったが、そんな悪くも無く普通だった。

1994年4月16-17日(1泊2日、営業小屋)(単独)

1.初日
西丹沢自然教室から蛭ケ岳山荘
8:25-10:20展望園地-12:10檜洞丸12:40-14:35臼ケ岳-16:15


新松田から西丹沢まで桜が満開だったが、緑はまだまだ。檜洞丸までなかなかいい雰囲気。
ただしきつい登りで途中中休止2回。展望園地からの富士は近くてデカイ。
冬の展望は素晴らしいだろう。檜洞丸から蛭ケ岳まではアップダウンが急で疲れた。
金山谷乗越はそんなに危険でもなかったが、蛭への急登がザレておりいやらしかった。

西丹沢は静かでいいのだがバス代が結構高いのが難点。
ツツジ新道を使っているがルートとしては箒沢から石棚山経由の方がブナの雰囲気がよい。
また犬越路にある避難小屋を使えば色々と遊べる。
檜洞への初山行がツツジの時でなかったという事はあまり研究してなかったのだろう。
しかし頂上付近のバイケイソウの緑が新鮮で結構感激したのを思い出す。
新芽の出始めはキューピーの頭みたいな結構カワイイ姿をしているのだ。
途中の臼ケ岳は静かなピークで、一度ユーシンから登って寝てみたかったが結局やらずじまいだ。
蛭ケ岳の小屋番夫婦は結構評判が悪かったのだが(特におばさん)普通の応対だった。
あの農鳥小屋のオヤジは評判どおりの奴だったが。

檜洞丸はシロヤシオで超有名になってしまい、5月中旬から下旬はとんでもない事になっている。
花の時期だけ混む山としては4月の坪山と双璧かもしれない。
シロヤシオは清楚といえば聞こえはいいが、やっぱり地味な花で、どっちかといえばミツバツツジのピンクのほうが好きだなあ。
一度6月初めに雨模様の中を登ったらシロヤシオは当然終わっていたが、ミツバツツジが満開でガスの中の色合いが何ともいえず良かった。
頂上のあの大木はまだ元気だろうからそのうち見に行ってみよう。

2.2日目
蛭ケ岳山荘から宮ケ瀬
6:10-8:10丹沢山8:35-9:50円山木の頭-10:25本間の頭-13:30

蛭ケ岳山荘の夕食はカレーライス、朝食はおでん。丹沢の山小屋の定番らしい。
丹沢山からの降りで会った有閑マダム(古い!)が泊った尊仏山荘も同じだった由。
このマダム(60歳)は毎月海外旅行してる由。但し今日の丹沢三峰の降りは危険な所も多く、無事下山できたか少々心配。
蛭ケ岳から丹沢山の間はブナも多く雰囲気は良いがゴミが多すぎる。
山荘前からの朝まづめの眺めはまるで墨絵を見ているようで幽玄そのものの素晴らしさ。

昔は殆どの小屋がカレーとおでんだったのだが今はだいぶ違っているみたいだ。
丹沢山のみやま山荘も違うし、あの有名な鍋割山荘は昔から違っていたし、木ノ又小屋も違う。
蛭ケ岳山荘と尊仏山荘は昔のままだろう。花立山荘は分からない。
まあ殆ど寝ることも無いのであまり関心が無く自信ない。泊りたい人は自分で確かめてください。
ルートは山荘からわずかの鬼ケ岩がちょっとした岩場だがそう危険でもない。
丹沢三峰下部の北面のトラバースが一番危険だろう。
十数年の歩きになるが一番嫌なのはザレたトラバース道だ。
滑れば一発でジ・エンドなのだから、三点支持で登る岩場よりも厄介だ。
三峰のアップダウンは相当にタフでここの登りは丹沢でも最強だとおもう。
この時にたまたま会った登りのパーティーが年に一度は登ると言うのに物好きだなあと返したが今なら彼らの気持ちも少しは理解できる。キツイがそれに見合った充実感があるし、静かでいいルートだと素直に思える。
毎年登る気は起きないがたまにはツツジの時に登ってみたいと思う。
当然丹沢山から塔ノ岳経由で下山の日帰りで歩く。


このルートで檜洞を歩くなら晩秋の頃が眺望も良いし、客も少なくていいだろう。
間違ってもシロヤシオの時には歩かないように。
秋の涸沢並みの混雑で地獄をみますよ。
しかし何でこの有閑マダムをエスコートしなかったんだろうか。
今なら絶対一緒に降りているだろうに、若かったからなんだろうか。

コメント
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