大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

思いでの山 北アルプス編 ⑦ 奥又白池

2010年04月27日 | 北アルプス

最後のステップで池に着いて上を見上げた途端、圧倒的なボリュームに押し潰された。
それこそ馬鹿みたいに「なんだ、こりゃー」「スゲェー」「・・・・・・」。
続く言葉が出てこない。
まるで怪盗ルパンがマントを広げたような、怪鳥が羽を広げ今にも襲い掛かって来るような、黒っぽい岩の巨大な広がりが、そのサメ歯のような稜線でホワイトブルーの空を切り裂き、その頂点の左斜め上空には白い円形の月が異空間の入り口然として輝いている。
その岩壁の下には黄色や赤の紅葉に縁どられた静かな池があった。
「穂高の瞳」の奥又白池だ。
池の正面から下を見れば人だらけで喧騒に包まれた上高地が小さく見える。
遠く富士や南アルプス、八ヶ岳なども見えるが皆蛇足でしかない。
長い岩稜歩きの苦労はあの最後のワンステップで驚愕と歓喜に変わり、あとは余韻に浸ってただ静かな感動に身をまかせるだけなのだ。
この一瞬のために我々は黙々と歩いて来たのだ。
できれば池の畔で静かな夜を過ごしてみたいなどと思ったりしたが、あの一瞬のあとはすべて蛇足。

30分ほど深い感動に包まれたあと、我々は幕営地の徳沢へ降りた。

2006年10月15日(日帰り)(Y氏同行)

6:45-10:40奥又白池11:15-13:50テント場

前日JRとバスで上高地に入り、徳沢にテント泊。Y氏は徳沢ロッヂに寝た。
紅葉はちょっと遅かったかもしれないがまあまあだ。
パノラマコースを右に分けて松高ルンゼ右の枝尾根に急な登りから取り付き、潅木と岩の道をひたすら歩く。

途中にデイパックがデポされており、持ち主らしきオジンとすれ違った。

ちょっとした岩場を斜め上方にトラバース気味に通過。ここが一番の難所。
あとは岩に慣れていれば何ということもない道だ。上部には新雪だろうか、薄く残っている。
最後は草付きをトラバースしてあの最後のワンステップだった。


詳しい道の情報は他のサイトの記録がいくらでもあるので、あの一瞬の感動を伝えるのに集中してみたが、まあ無理だろう。
岩に苦労しない人で、静かな空間に身を置きたい人は行って見るべし。
「大雪」「屋久島」と合わせて三大別天地と言っておこう。

次の同じくY氏との「徳本峠越え」で一応北アルプス最後の記録だ。






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思いでの山 北アルプス編 ⑥ 涸沢から奥穂と北穂

2010年04月24日 | 北アルプス

94年に山をやりだし、翌年の秋山に同僚のM氏、I氏の3人で歩いた。
槍や白山などの素晴らしい眺望、10年に一度の鮮やかな紅葉とそれまでで1番の山行だった。
M氏はもうこのブログ常連の人物だが、I氏はこの後数年して日帰りの山しかやらなくなったので初登場だ。今後南アルプスの「荒川三山と赤石岳」他に登場予定。
前夜新宿からの夜行バスに乗り、上高地に入った。

1995年9月29日-10月1日(山中2泊3日)(M氏、I氏同行)

1.初日
上高地から涸沢ヒュッテ

5:50-6:40明神7:50-8:30徳沢-9:45横尾-11:15本谷橋12:20-14:20

早朝だと言うのにこの人混みはなんなんだ。いくら上高地といってもすご過ぎないか。
なんかとんでもない夜になりそうだ。
退屈な歩きで横尾に着いて、槍に行くという昨夜のバスでM氏の横に座った中年女性とお別れだ。
M氏が「槍なんか止めて俺達と一緒に涸沢に行こうよ」とナンパしてる!
おいおいそりゃあいくらなんでもちと無理でないか。
予想通りにオヤジ三人で仲良く歩き出したが、左に屏風岩が大きい。後ろには蝶ケ岳の稜線が霞んでいる。
本格的な登りが始まる本谷橋で昼飯とするが、あちこちに食事や休憩のパーティーがいる。
色づいたなか、稜線を右手に見ながら黙々と足をあげる。石の階段が現れ小屋の近いのを知らせてくれた。小屋に着き、おでんを売っているテラスに出て文字通り絶句!
青空と岩壁の下に黄色と赤、緑の塊があっちこっちで虔を競っている。
うーん、すごいの一言。噂には聞いていたがこれほどとは。三人とも無言で呆けたように突っ立ている。丹沢の紅葉など横綱の前の取りてきみたいなもんだ。恐れ入りました。
おでんとビールで小腹を満たしながらしばしこの絶景を楽しむ。もう2度と見られないかもしれないんだから、しっかりと瞼に焼付け、脳に刻み込んでおこう。
至福の時間の後は対照的な難行が待っていた。夕食の後のフトンの割り当てで2人で1枚と言っている。「ゲェッ、汗臭いオヤジと同衾かよ」と明日の本当の地獄を露知らず、暢気なことを口走った。
まああの紅葉を見たんだから我慢するかと自分を納得させて何とか寝た。

2.二日目
涸沢ヒュッテから北穂-奥穂、涸沢小屋

5:15-8:35分岐ー8:50北穂高岳-9:30分岐-11:45涸沢岳-
12:30-穂高岳山荘12:50-13:20奥穂高岳-14:00山荘-16:00

さあ今日は楽しい岩稜歩きだ!張り切って歩き出したが、いやあー何度見ても素晴らしい紅葉だ。朝日に輝く稜線といい、天下一かもしれないと本気で思う。

北穂南稜への登り始めで短い梯子が出てきたが、この数年後だったか続けて2人の女性が滑落死したらしい。
後ろを振り向くと涸沢カールの色とりどりのテントの上にゴジラの背みたいな前穂高岳がボリューム満点。
分岐からわずかで待望の北穂頂上だ。大キレットの先の槍が鋭く天を突いている。
ここも眺望の絶景だ。真西正面に笠ケ岳、そのはるか彼方に案外と大きい白山、黒部五郎岳、槍、常念、蝶、南アルプス、富士、前穂とまあ豪華絢爛たる山岳風景だ。
北穂の小屋はこじんまりしていて混雑時は大変だろう。しかし涸沢まで2時間もあれば降りるだろうからいいか。
さて先は長いし、あまり岩が得意でない2人なので奥穂を目指そう。
分岐の先のドームを廻りこんだ先のテラス状の岩で軽く食べる。
一旦鞍部まで下り、今度は涸沢岳へ登り返す。なんともダイナミックな登下降ではある。
途中で行き違った2人組が真下で休んでいる。落石を起こせば大変だ。北穂を少し登った所で休むべきだろうがといっても始まらない。慎重に手足を動かす。
廻り込んで滝谷側に入った所で女性二人が座り込んでいる。キレ落ちたトラバースだが下を見たら恐怖で足がすくんでしまったらしい。ホールドはしっかりしているので3点支持さえやれば何でも無い所なんだがなあ。このままじゃあまずかろうと、足の置き場を教えてなんと越えさせた。片方の若いのが山慣れていなくてトラブったらしい。
いつまでもかまっていられないので冷たいようだが先行する。
奥穂の小屋が見えると今度はザレの下りだ。こっちの方が厄介なんだが、転倒もせず無事到着。
小休止して奥穂を目指すが、テント場が超狭い!こりゃスペース確保は大変だぞ。
テント派には稜線上でもあるし、ちと使いづらいテント場ではある。
登りだしてすぐの梯子で大失敗。直径5cm程の石を落としてしまった。ガラガラと派手音をたてて落ちていったが道を外れていて事なきをえた。危ない危ない。
奥穂の頂上からはジャンダルムが案外と丸っこく見える。予定では奥穂の小屋に寝て、前穂から岳沢へ下山の予定だったが明日が天気悪そうなので今日降りることにした。
ザイテングラードを降りるので小屋に戻ってみると先刻のオネエ達がいて若い方が泣いている。
緊張がとれてホットしたんだろう。頑張ってちょうだい。
岩道を一気に駆け下るが後続の2人がついてこない。横尾は諦めて涸沢小屋泊まりに変更。
これがとんでもない地獄行きの選択だったとは。まあちょっとは救いがあるんだが。
行動時間が10時間を超えていたし、まあ妥当な判断だったとは思うが、想像を絶する客の襲来だったのだ。
夕方テラスに出てみると、件のオネエ達がいた。明日は沢渡に置いてきた車で帰るというので、松本まで送ってもらうことにする。時間調整がちと難しいが、何とかやれるだろう。
さて地獄とは何とフトン一枚に4人だと!!
頭と足を入れ違い、つまりオイルサージン状態に、おまけに横になってくれだと?!
なんてこったい。トイレにでも行った日には空間が無くなってるじゃないか。まったくとんでもない事になったぞ。
この時は野宿のやり方も知らなかったし、諦めて指示通りに横になって寝たが、その後寝たのか、はたまたトイレに起きたのか、全く憶えていない。あまりの悲惨さに脳細胞が自壊したのかもしれない。

最終日の3日目はオネエ達と無事ドッキングして、沢渡から松本まで送ってもらった。
まあこれがあの地獄でチラっと垣間見えた天国の空というわけだ。

次回はY氏と歩いた秋の奥又白池。

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思いでの山 北アルプス編 ⑤ 八方尾根から後立山縦走

2010年04月24日 | 北アルプス

2005年に少しでも人が少ないだろうと9月中旬に歩いたがとんでもなかった。
この年は2週間前に黒戸尾根から甲斐駒、7月には月山から念仏が原を抜けて肘折温泉、10月の紅葉は東北一といわれる栗駒山と結構充実している。
南アルプスや東北とは違うとは分かっていたがこれほどとは。

それと久し振りの営業小屋はやっぱり満足できず、よっぽどでなければ使うまいと思った。


コースは八方尾根から唐松の小屋とキレット小屋に寝て、鹿島槍を越えて扇沢までの超ポピュラーな道。
途中の八峰キレットがちょっとしたスパイスだ。

2005年9月17日-19日(山中2泊3日)(単独)

1.初日
八方尾根から唐松岳頂上山荘 (11:50-15:30)
 
相変わらずの人の多さだが池までは殆ど観光地なのだから仕方が無い。
八方池越しの不帰ノ嶮の雪渓が大きい。これから先は少しは歩きやすくなる。
雪田の残る丸山下で昼飯にして歩き出す。さすがに小屋泊まりだと荷が軽いぞ。
着いた小屋下のテント場は棚田状で使いやすそうだが水汲みやトイレがちと辛い。
空身で唐松の頂上をピストンしたが30分もかかった。
キレットは案外面白そうだが、テントではちと辛いかもなあ。
小屋の混雑はそれほどでもなかったが、紅葉の時期前なのに結構な客だ。
食事の内容は何も覚えていないということは旨くなかったらしい。
これは翌日のキレット小屋も同様。16年前に泊った北岳肩の小屋のまずいミートボールと色がついただけの味噌汁が忘れられないのよりはましか。あそこの飯はひどかった。
夜はいつもと違って充分に寝たようだった。

2.二日目
頂上山荘から五竜岳を越えてキレット小屋

5:30-9:30五竜岳9:55-11:45北尾根の頭-12:10口の沢のコル-13:50

朝一番は岩場の下りから始まったが、身体のキレがなく案外とぎこちない。先行するオバン達も苦戦している。
付き合っていられないので早々に追い抜いて先を急ぐ。
五竜岳がドッシリとしていて何か風格がある。

途中で俺が住んでる町に自宅がある伊勢崎に赴任中の単独行と知り合い、何やかやと話しながら歩いた。五竜山荘で別れてまた一人で歩き出す。


見上げると岩壁が覆いかぶさってくるようで迫力がある。

登りが列をなしているのが見える。
さすがに人気のルートだけはあるが、行き交いやら、追い抜き、追い越されとせわしない。
それにしても若い女性、それも単独が結構いるのには驚くやら感心するやら。
東北や北海道、南アルプスとはえらい違いだ。

婚活で苦戦中の山屋さん、北アルプスの人気ルートを歩いて嫁さん探しした方がよさそうですぜ。
さて五竜の頂からは双子峰の鹿島槍が稜線の先にスッキリした姿で鎮座している。
右手には剣岳が大きい。しばし絶景を眺めながら軽い食事でガスの補充をする。

下山開始するが、行く手の稜線の左サイドの明るい緑と右サイドの黒っぽい色の対称が美しい。
岩大好き派にとっては最高の道なんだが、ザレの下りは要注意だ。

十分膝を使わないと一瞬で転ばされる。
八峰キレットがあるので歩く人間が少ないだろうと思ったがハズレだった。

百名山が二つやれるし、なかなか気分のよい歩きができるんだから当たり前かもしれない。


キレット小屋は何というところに在るんだとあきれるくらいだが、手前の岩場のトラバースがちと厄介で一番緊張した。

3.3日目
キレット小屋から鹿島槍を越えて扇沢

5:50-8:00鹿島槍南峰-9:15冷池-11:15種池-13:15扇沢バス停

予想通り朝から小雨が降っている。八峰を歩くのには悪条件だが、まだ風が無いだけましだ。
岩はしっかりしており、ホールドもあるのでそんなに問題は無いが、一箇所だけちとむずかしいところがあった。
クサリが殆ど印象に残ってないくらいだからそう難しくないが、下りに使うのは敬遠した方がいいかも。
鹿島槍の吊り尾根に飛び出しても小雨とガスで、北峰はパスして南峰へ。
途中冷池山荘あたりで合羽を脱いだ。鹿島槍を越えたらどっと人が増えた。
ピストンのツアー客も続々とやってくる。

何だかクソ面白くない爺ガ岳の道を辿り種池山荘着。


後は扇沢への下りだけだ。石畳みたいな道をノンストップで降り、車道を右に歩いてバスセンター。
トイレで汗を拭きサッパリしたが、入ってきた連中が露骨に嫌な顔をしていた。
得意のヒッチハイクもここでは無理で、おとなしくバスに揺られて信濃大町に出た。


駅で食ったキレット小屋のウナ弁の不味かったこと。

薬の味がして後味が悪いったらない。
中国産のクスリ漬けウナギだったのだろう。

旨かったなどと書いてあったHPがあったがどういう舌なんだ。


さすがに面白いコースだったが人の多さが玉に瑕というのは酷か。
いいコースだから俺みたいな奴でも歩くんだもんなあ。

北アルプス編も残り三つとなった。
山をやり出した翌年に歩いた秋の涸沢からの「奥穂と北穂」。
Y氏と歩いた「奥又白池」と「徳本峠越え」の三本。







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思いでの山 北アルプス編 ④ 白馬大池から蓮華温泉

2010年04月22日 | 北アルプス
以前に書いた奈良の大峯奥駈道を歩いた後、2001年に発症した持病の喘息が悪化して三ヶ月休養。
その再起第一弾に選んだのが白馬大池でのテント泊。調子がよければ白馬岳でも行こうと出かけた。
しかし予想以上に足が上がらずに途中でリタイアしてしまった。

2006年8月4日-5日(山中1泊2日)


1.初日
栂池自然園から天狗原 (13:30-15:15)

青春18キップで延々と各停に乗り、栂池自然園を歩き出したのが13:30。
あの重荷を担いでの所要時間の法則でも楽々17:00には大池に着くだろうと考えたが大甘だった。
10KGも無い軽い荷なのに足が上がらぬこと甚だしく、まあ抜かれること抜かれること。
「オジサン格好つけてザックなんか背負っちゃ駄目だぜ」とダメだしされてもおかしくない体たらく。
くそー残念ながらこりゃー大池どころか天狗原まででも一杯一杯だぜ。
何とか早く辿りついてゆっくり休みたい。「ヨイショ、ヨイショ」と一歩毎に声を出しながら足を上げる。
ああ、情けないなあ。山をやり出して最低、ナンバー10の歩きだ、チクショー。
やっとこさ辿り着いた天狗原の木道の小広い所に、文字通りザックを投げ出した!
本当に地獄の歩きだったが時計を見ると15:15!!
1.15時間の所を1.45時間なので重荷の法則内だが、疲労感が半端じゃない。
明日は大池から蓮華温泉下山へ即予定変更だ。
観光客の母娘に「このオジさんこんな所で何してるんだろ」という目で見られたがシカト。
2人がやっと帰ってくれたので早速設営し、マットに横たわる。暫くマグロ状態。
やっと落ち着き定番のカレーを食べて寝た。

2.二日目
天狗原から白馬大池、蓮華温泉へ

5:30-7:15乗鞍岳-8:00白馬大池8:30-雷鳥坂の頭ピストン10:00
10:15下山開始-11:25天狗の庭-13:15

木道を風吹大池分岐まで歩き、左に道をとり岩っぽいところを登りだした。
いつもならペースが上がる岩なのに今朝は普通の歩きだ。途中でまだ残る雪渓を2ヶ所横切り、
乗鞍岳に着いたがあまりピークらしくない。さっさと通過して池への緩やかな下り。
岩の上を飛びながら(やっと調子がでてきたのかよ)山荘に到着。
テント場は広くて結構張れる。ここなら普通の到着でもスペースは有りそう。
なんとか我慢していた朝の儀式をやれてホットする。天狗原なんかで野糞はとんでもない。
空身で雷鳥坂の頭まで歩き出したらあの見慣れた小男の有名オジンのグループが降りてきた。
ふーん、マナーだけはまあまあじゃん。それにしてもちっちゃいなあ。
周りはチングルマの花畑だ!これが見れたからまあいいか。
途中にリンネソウがあったがあまりに小さすぎる。
雷鳥坂の頭からは稜線近くまで雪が残る大雪渓が見える。今年の夏は異常に雪が多い。
山荘に戻り下山開始。途中でツアーの一団とすれ違うが、最後尾に空身の婆さんがいて
座り込んでいる。その後ろに婆さんの荷も背負ったオネエが突っ立っている。ご苦労さん。
天狗の庭は岩っぽい場所で眺めがよかった。雪倉岳あたりだと思うが紅葉がよさそう。
歩きやすい道だが登りの連中が多くていつもの日除けの傘がつかえない。
山荘に着いて風呂に入ろうと申し込んだらザックは外に置けときた。盗まれたらどう責任を
とるんだと出かかったがそんな酔狂な奴はいないわなー。
風呂上りにウドンを食って、バスに乗り込んだ。
本当に疲れた山というか池だった。何か情けない。
しかしこんな体たらくだったのに2週間後に前述の中房からの北燕岳周遊、その翌週は
妙高-火打と華麗(?)に復活した。

花の記録

チングルマ コマクサ ミヤマキンバイ ハクサンイチゲ コイワカガミ ミヤマカラマツ
イワイチョウ ゴゼンタチバナ ミヤマダイコンソウ ミツバオーレン ヒオウギアヤメ
ミヤマコウゾリナ ハクサンフウロ マイヅルソウ リンネソウ ハクサンシャジン 
ミヤマアキノキリンソウ イワギキョウ オトギリソウ 
 
次回は八方尾根から五竜、鹿島槍の後立山縦走。
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思いでの山 北アルプス編 ③ 一の沢から常念岳

2010年04月21日 | 北アルプス

常念への登りの中で最も楽な道だろう。沢のツメは急登が普通なんだがそうでもない。
貧乏山屋としては珍しくタクシーを一人で独占して登山口へ乗り込んだ。
相乗りする人間を電車の中から物色していたがいそうも無く、豊科でも穂高でも一人も降りなかった。
4,700円もかかってしまったが、延々と車道を歩く代わりなら仕方ない。
当然テント担いでのノンビリ山行だ。

2008年9月14日-15日(1泊2日)(単独)


1.初日
ヒエ平から常念小屋テント場

10:40-11:40王滝ベンチ12:10-13:00エボシ沢-14:30最後の水場-15:30

高尾6:14発松本行きに乗り、岡谷で長野行きに乗り換えると松本発の快速「安曇野」9:42に間に合う。
豊科より穂高の方がタクシーが少し安い。
入山口はもう降りてきた人も結構いて賑わっている。登山カードを書いてからノンビリ山行の始まりだ。
一の沢といえばあの「いまだ下山せず」が思い出される。冬山で遭難した仲間の遺体を必死で探す話だったが、表紙の雪煙の中を歩く遭難する3人の姿が切なく物悲しい。
道は沢沿いで涼しく斜度もきつくなく、テントを背負った身体には随分と優しい。
王滝ベンチでお昼にするが、30分で切り上げて歩き出す。
唯一の難所といわれる「胸突き八丁」は何ということも無い高巻道で、奥多摩の川苔山の百尋の滝先の高巻みたいなもんだ。なんでこんな所で続けて滑落事故が起きたんだろうか。
まあしかしこんな所だから事故るんだよな。恐怖心の湧く難所は緊張感満杯で歩くから滅多に事故ることはないのだ。
最後の水場は水量豊富で近くにビバーグの適地もあった。ここから斜度が増したがまあ「勘弁してくれ」とボヤクほどでもない。稜線に飛び出してわずかに降りたらテント場だ。
設営して空身で常念山頂を目指すが、何だか足が上がらない。結構キツイじゃないかよー。
コースタイム1時間は無理だろう。1時間20分程度が妥当な線ではないか。
やっとこ辿りついた山頂はまあ何と狭いんだ。こりゃー夏山やら紅葉やらの最盛期にはパンダが来た時の上野動物園状態で足なんか止められないんでないかと思ったくらい。
しかし眺めは大キレットを正面に左に穂高、右に槍とまあ豪華絢爛だがあまり感激しない。
富士を見ても感激しないのと同じで、写真やらネットやらで何度も見ているからだろう。
ウェストンが徳本峠に上がって見た明神岳とは驚きの深さが違いすぎる。
下りはノンストップで降りたが50分かかった。コースタイムがちと厳しいのかも。
テント場も結構混んでいたが、小屋は超満員で布団1枚に今日は1.5人、昨日は2人だった由。
紅葉時期はとんでもないことになりそう。

2.二日目
テント場からヒエ平 8:20-11:00

いやにノンビリした出発時刻で? 寝過ごしたわけでも無さそうだし、よく分からない。
ひょっとしたら朝一番で再度頂上をピストンしたのかも。
水場までは30分程度で到着している。王滝ベンチからも登りとあまり変わらない1時間近くかかった。
この王滝ベンチで知り合った滋賀から来た人の車で穂高まで送ってもらった。
駅で身体を拭く時間が無かったので松本駅で拭いた。
小淵沢で手に入れたいつもの「高原野菜とカツの弁当」で蛋白質を補給して、16:31に高尾に着いた。各駅停車で約6.5時間かかった。
花の記録も残していないが、時期ハズレで目立ったものが無かったのだろう。
真夏に一泊二日でどこか眺めのよいとこに、という時にピッタリかもしれない。
水がいたるところで補給できるので荷物が軽くて済むし、沢沿いなので涼しいのが嬉しい。
できれば土日を外すのがいいと思う。海の日の連休とその前後の土日はとんでもなく混むので避けたが無難。

次回は白馬大池から蓮華温泉

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思いでの山 北アルプス編 ② 笠新道から笠ケ岳

2010年04月19日 | 北アルプス

2002年7月末に何だか急に行ってみたくなった笠ケ岳に笠新道から
登ってみる事にした。
当然登りに使うとするとバス派としては初日にわさび平小屋での幕営が決定。
他には3張りで随分と静かだった。
なにせ8年も前の事なので断片的な思い出しかない。

2002年7月25-26(山中1泊2日)(単独)

1.初日
わさび平から笠ケ岳

5:10-10:35杓子平(昼)-15:00(テント場)

前夜の泊りのわさび平小屋から登山口まで戻り、5:10に登りだした。
案外というかすこぶる歩きやすい道なのにビックリ。階段がいい塩梅の高さで造られている。
これが高かったり、低かったりすると歩き辛くて疲れるのだ。
時間はかかるがノンビリ歩けば何とかなるだろう。
すぐにでかくて白い派手な笹ユリが出た。ちょっと派手すぎてこちらが恥ずかしくなるくらいだ。
岩階段なので気分的には楽なのだが荷物も重いしペースは上がらない。
途中休んでいると下から上がってきているのに降りようとするジジババがいて、
「待ってやれや、登り優先だろうが」と余計なことを言ってしまった。
原則はそうだが登ってる身としてはさっさと降りてくれたほうがいい時が多いなあと後で反省した。
さすがに下りは結構いて挨拶が面倒くさい。どうにかこうにか杓子平にたどり着くと広くて気持ちのいい原だ。

約5時間もかかったが重荷の時の「コースタイムx1.5倍+休憩」の法則だと大体いいとこか。
何の木か忘れたが陰を見つけて昼にした。向かいの団体がソーメンを旨そうにすすっている。
贅沢なもんだがついでにスイカでも担ぎ上げてふるまってくれれば最高なのに。
いろんな花が咲いていて楽しいが(殆ど忘れてる)ミヤマクロユリが目立つ。
背が低くて案外かわいい。色もコーヒー色でなかなかいいじゃないか。
水は雪解け水で旨くない。

稜線に出て何ということもない岩の割れ目の抜戸岩を過ぎると30分くらいでテント場に着いた。
小屋は相当に賑わっており、後からも続々とやってくる。
とりあえずテントを張っていると隣の若い衆が、「いやー大混雑でスタッフもテントなんかかまってられないみたいです」といったのでお邪魔するのは止めた。
冷静に考えれば500円ポッチの客なんか屁みたいなもんだもんな。
この日は何と350人(定員100!)も泊ったらしい。そりゃ地獄だったろう。
とりあえず山頂をピストンしたが、槍と穂高を裏側から見るのが新鮮。ジャンダルムが
意外に鋭い。
明日が早いのでさっさと寝たと言いたいが、実は山では余り寝られない。うとうとするくらいで、
熟睡などあまり経験が無い。それでも翌日の歩きには影響ないのでいいんだが。
南会津の三つ岩岳で一緒になった女性が「それは疲れすぎてるからよ」と言っていたがまあ当たりかも知れない。
アルコールがいいのだろうが、少しでも荷を軽くするために持たないからなあ。

2.二日目
笠ケ岳から新穂高温泉

2:50-4:10笠新道分岐-7:50弓折岳-8:30鏡平山荘-13:00

13:40発のバスに間に合わせるために2:00に起床。といっても殆ど寝ていないので
何ということもないのだが。
パンと紅茶の軽い食事で済ませてさっさと撤収。隣の名古屋の小屋番経験者(冷池、種池)が
動き出したくらいで皆寝ている。(当たり前だろう)
月明かりでヘッドランプもあまり必要ないくらいで、スピードはでないが快適に歩けた。
夜明け直前の槍と穂高が素晴らしい。いい写真が撮れたんだがこの後ハードディスクが
壊れて消えてしまった。
弓折まで気分のよい稜線漫歩。どでかい薬師岳や黒部五郎岳のほかに加賀の白山も見える。
稜線近くまで雪が残っているので花の種類も多く結構楽しめる。
ハクサンイチゲとシナノキンバイの大群落があった秩父平周辺の花畑が一番よかったが、
人の多さにはウンザリ。双六岳からの道が合わさるとますます人が増えてきてゲンナリ。
撮影ポイントといわれる鏡平も食指は動かず先を急ぐ。
一昨日寝たワサビ平小屋のトマトやキュウリを横目でみてバス停へ。
13:00に着いて無料の温泉で汗を流したが、発車時刻を勘違いしてあやうく乗り遅れるところだった。
山を始めて2年目に行った涸沢から奥穂、北穂以来の北アルプスだったが、やっぱり東北や南の方が静かでいい。

花の記録

ゴゼンタチバナ シモツケソウ コバギボウシ ササユリ ハクサンシャジン タカネニガナ
オトギリソウ ミヤマウイキュウ ミヤマアキノキリンソウ ニッコウキスゲ クルマユリ
ミツバオーレン ツマトリソウ タカネスミレ オオバキスミレ ハクサンフウロ
ミヤマカラマツ ミヤマダイモンジソウ シナノキンバイ チングルマ ハクサンイチゲ
コイワカガミ ミヤマダイコンソウ バイケイソウ ミヤマキンバイ ミヤマクロユリ
ミヤマキンポウゲ ベニバナイチゴ イワカガミ シコタンソウ ハクサンチドリ
ショウジョウバカマ ミヤママンネングサ ミゾホウヅキ タカネヤハズハハコ

次は一の沢からの常念岳

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思いでの山 北アルプス編 ① 中房から北燕岳周遊

2010年04月18日 | 北アルプス
たまにはメジャーの北アルプスの記録でも書いてみよう。
まず野宿で歩いた北燕岳、それから 笠ケ岳、常念、白馬大池、後立山連峰、奥穂と北穂、奥又白池、
徳本峠越え を順にアップする事にしよう。

2006年8月19日-20日(山中一泊二日)(単独)

1・初日
中房温泉から富士見ベンチ 15:50-18:00

合戦尾根途中のベンチでビバーグするため、八王子9:45発の「ワイドビューやまなし」で
ノンビリ出かけた。
ベンチだとグランドシートも不要なのでザックもすこし軽い。
中房温泉を15:50に歩き出したがさすがに降りてくる人も少ない。
第一ベンチの水場でタップリ汲んでゆっくり登る。案外と歩きやすい。
あちこちの登りを経験したが丹沢の大倉尾根みたいな嫌らしい登りは余り無い。
下りに使った前白根から湯本へのルートだけはものすごい急登で特別だが。
30分毎にベンチが出てきてわかりやすい。今夜の宿の富士見ベンチには18時着。
食事してさっさと寝るといってもなかなか寝られるもんじゃない。
結局寝たのは23時過ぎだったろう。
闖入者に驚いたのか頭上で鳥がうるさく鳴いている。

2.二日目
富士見ベンチから中房温泉

4:30-5:20合戦小屋5:40-7:00燕山荘-8:00北燕岳-8:50下降点
-9:50東沢乗越-12:30

合戦小屋で朝の儀式を済ませゆっくり歩いて稜線に飛び出した。目に飛びこんできた槍が
なんか鈍重な姿をしている。槍よりも烏帽子といった感じだ。
やっぱり蝶から常念の稜線が槍の展望地としてはダントツだろう。
朝早いのに結構降りてくる人が多い。さすが人気ルートだけある。
燕山荘のテント場は超狭いぞ。これでは午前中にでも着かなければ確保できないんでないか。
北燕岳までの道は白砂に奇岩が林立して面白い。コマクサもあちこちにあるがどうでもいい花。
下降点までは稜線の東サイドをトラバースする。花がどんどん出てきて花派としてはうれしい道だ。
ここらから東沢乗越先の沢源頭までが花畑であるが結構な種類が出てきた。
最後の花の記録を見てほしいが、途中で見たウサギギクの一株が素晴らしく、多分一生忘れないだろう。
瑞々しく透き通るような黄色は今まで見た中で最高のものだった。
こんなタイミングで見れたのは全くの僥倖で、これだけでもう大満足だ。
オジン達には「ローマの休日」のヘプバーンといえばその美しさがわかるだろう。
この下りで昼食を摂った筈なのだが記録していない。
さて道は途中で水流の中を少し歩き、左岸に上がり小さなアップダウンに消耗させられて中房温泉だ。
人だらけでとても一風呂なんて雰囲気ではない。さっさと退散するに限る。
トイレで体を拭いてからタクシーに4人で相乗りして穂高へ戻った。

花の記録

ウサギギク ミヤマキンポウゲ イワオトギリ タカネニガナ マルバダケブキ ミヤマアキノキリンソウ
ミヤマコウゾリナ ミヤマシシウド トウヤクリンドウ モミジカラマツ トモエシオガマ
ゴゼンタチバナ ミヤマコゴメグサ センジュガンピ タカネツメクサ ハクサンイチゲ
チングルマ カニコウモリ ウメバチソウ ヤマハハコ ハクサンフウロ ヨツバシオガマ ハクサンチドリ 
タカネナデシコ ミヤマトリカブト ミヤマリンドウ ハクサンシャジン イワギキョウ 
クガイソウ イブキトラノオ コマクサ

次回は笠新道からの笠ケ岳。
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思いでの山 東北編 ③ 飯豊連峰

2010年04月18日 | 東北

遠征友達のM氏との山。
この時は運悪く台風の後で花は雨と風で相当落ちてしまった由で、飯豊らしい規模のはまったく見ることができなかった。
しかし手帳を見てみると花の種類だけはさすがにと思わせる。
できれば再訪して飯豊らしい大群落を見てみたいものだ。
梶川尾根から登ったがあまりの暑さに2人ともゲンナリしてしまった。
ここに限らず東北や会津の中級の標高の夏山は工夫せねば脱水症状になってしまう。
野宿、早朝や夕方歩き、はては夜歩き、未明歩きなどで移動して、昼間は小屋で昼寝がベスト。

しかし花が見れないか。
とにかく梶川の登りで水を搾り取られて、辿り着いた五郎清水の美味しかったこと!
登り着いて出てきたイイデリンドウは予想よりも小さかった。
他には門内小屋でのゲロ騒動、雷、下山の長かった事などが印象に残っている。
記録はコースタイムと花の名前しか残していない。記録するのが面倒になったのだろう。
しかし飯豊の記録を残さぬなんて考えられないんだがなあ。
そういうわけで全て記憶を辿らねばならない。

2004年7月24日-26日 山中2泊3日 (M氏同行)

1.初日
梶川登山口から門内小屋まで

9:10-12:20滝見場-13:40五郎清水-17:10扇の地神-18:00

前夜発の夜行バスで米沢、それからJRで小国まで。
橋の傍の登り口からとりついたが、のっけから両手両足を使う急登でないか!
すぐに汗みどろになってしまった。

ひたすら難行苦行の登りに喘ぎながら、最初は急登、次は暑さが半端でない中を黙々と歩く。

左に廻り込んでやっと風の抜ける湯沢峰に到着した。しばし風に打たれ眺望を楽しむが霞んでおり、ダイグラ尾根もかすかにしか見えない。
滝見場に着くと下草の刈り払いに来た人が2人お昼を摂っていた。ご苦労様です。

梅花皮大滝は水量が少ないし、あまりに遠くて迫力が無い。
中休止の後また暑さの中を歩き出したがペースが上がらない。
やっと辿り着いた五郎清水に降りて頭から水をかぶる。

何という快感。

生き返るとはこのことか(ちとオーバー)。しかし本当にメチャクチャに暑かったのだ。
いつもの通りに「サッポロ一番みそラーメン」で腹ごしらえして先を急ぐがすぐにスローダウン。
ここは水分の補給をこまめにやらねばペースは上がらないだろう。
水はタップリと持って上がろう。五郎清水で確実に補給できるのでその点は楽だ。

中アの空木から木曽駒へ縦走した時の水切れを思い出す。木曽殿乗越で1.5Lしか補給せず、島田娘手前でわずか200CCを残して切れてしまったのだ。最後の水を宝剣手前で飲み干したが、木曽駒へは10歩毎に休む体たらくだった。

梶川峰を越えてから待望のイイデリンドウのお出ましだが、案外と小ぶりで色が濃い。
まあまあだがそれほどの花でもない。
尋常でないタフネスを誇るM氏もさすがにペースが上がらぬらしい。いつもと違って姿が見える距離にいる。
何とか門内小屋に辿りついて2人ともほっとするが、小屋はさすがに混んでそう。
すぐに管理人の若い衆が集金に来た。小屋前の小さな別棟に寝泊りしているらしい。
役場の若いのが交替でやっている由。1階が満杯だったので2階に陣取る。

さて晩飯を済ませてノンビリしていると突然「ウギャー」「何これ」と叫び声が下から聞こえた。
何事かと下を覗くと5-6人が立って騒いでいる。「キャー。ゲロじゃないの」
俺達の左サイドで飲んでいた連中の一人が下めがけてゲロったらしい。
そういえば直前にバタバタとした後にオエッと聞こえたような気もする。
てんやわんやの大騒ぎの中、犯人は外に出て行きちょっとした遭難騒ぎのおまけがついた。
まああの状況じゃ居られませんわなー。
即座に「門内ゲロ騒動」と命名した。吐くまで飲むんじゃねーよ。馬鹿丸出し。
そんな大騒ぎも暫くすると静かになった。暑さで皆疲れきっていたのだろう。
あのゲロも暑さで痛めつけられたのが一因かもしれない。

2.二日目
門内小屋から飯豊本山を越えて本山小屋

4:20-5:50北股岳-6:15梅花皮小屋6:50-8:00烏帽子岳9:00-
9:45御手洗池10:00-10:45天狗の庭-雷襲来-12:30御西小屋13:50
-15:10飯豊本山-15:25本山小屋

4:20出発。この後あの日本全国で猛威を振るって、あちこちの山で犠牲者を出した雷界に襲われるのも知らず。
いやーさすがに記憶が殆ど無いのにはまいった。
途中の北股岳でザックに入れた容器からチューブで水を飲んでる若者を見て面白い道具だなあと感心したのは覚えている。
それと北股が案外と急だったこと。梅花皮小屋は綺麗でその前から覗いた石転びの雪渓はメチャ急でとてもつかう気にならない。
大体がいつ石が飛んでくるか分からない滑りやすい道を歩くのは真っ平ゴメン。
少々暑かろうが距離も時間もかかろうが安全な道を歩く。
事故る確率が格段に低い道をとり、まだまだ元気で遊びたいから。
そういう意味では大キレット、西穂から奥穂、剣のかにの横ばい、縦ばいなどは多分やらないだろう。

ちゃっちい御手洗池を過ぎて天狗の庭の先まで歩いた時に雷が鳴り出し、大荒れとなった。
道の途中でツェルトを被った中年の女性が入れと手招く。さすがにこれはヤバイと飛び込んだ。
気仙沼から来たとかで旦那は亡くなったとか言っていた。仕事の関係でそんなには山はやれないらしいが、なかなか大したもんでないか。

感謝!感謝!
すぐに雷は遠ざかり礼をいって別れたが、未練たらしく振り返った俺と違い、彼女は振り返りもせず颯爽と梅花皮方面へ歩き去った。

御西の小屋でM氏が待っていた。あの雷では歩く馬鹿はいない。
時間もあるし大休止することにする。水場は少し降ったところにあった。
小屋は古くて小さかったがこの後すぐに建て替えられ綺麗になったらしい。
三国小屋も建て替え中だったし、門内や頼母木の小屋も建て替えられたと思う。
もうちょっと涼しい6月中旬位に再訪してみたいもんだ。チングルマやハクサンイチゲの大群落と残雪を楽しんでみたい。

小雨とガスの中を黙々と歩き、山頂らしくない飯豊山のピ-クを踏んで本山小屋へ急いだ。
本山小屋もトイレを改築中だったが、何か特別な予算でも付いたのかもしれない。
髭のオヤジが管理人で平気でタバコを吸っているのに怒!アホである。
何か消化不良の歩きだったが、ちょっと楽しい雷騒動もあったし、まあいいか。
何か水場は案外と遠いらしいが、御西でタップリ汲んできたので用はない。
明日に備えてさっさと寝る。長い下りが待っている。

3.最終日
本山小屋から川入まで

4:10-5:40切合小屋6:35-7:00七森-7:50三国小屋-8:20剣ヶ峰8:30-9:45笹平
-10:25中十五里-11:00下十五里-11:30御沢

さあ、ながーい下りの始まりだ。小屋を出てすぐに岩っぽい下りになった。やった!
大好きな岩だが、M氏は大の苦手なのだ。久し振りに彼を置いてさっさと先行するが、姿の見える距離を保つことはきっちりと守ってだ。
見上げるとノンビリと降りてきているのが見える。別に死ぬような所でないのでそのまま先行。御秘所というなんだか艶かしい場所に着いたが、何ということもない小さな岩場だ。
ちょっと先でM氏の御秘所の通過を見守る。変なコース取りだが無事に越えたのを見届けて先を急ぐ。

沢沿いの花の多い道を下り、雪田を抜けると切合小屋到着。小屋前に水がタップリ出ている。
M氏を待って昼食・大休止だ。この小屋は米を持参してカレーを食べさせてもらうらしい。
なんか懐かしいようなシステムだが、本当に今現在もそうなんだろうか?
持参のレトルトカレーとアルファ米の2食目。朝が軽かったので朝飯みたいなもんだ。
ゆっくり休んで三国小屋を目指す。稜線上に小さな小屋が建築中だった。眺望が良く水場が近いなら機会があれば泊ってみたい。
御西に泊って大日岳をピストンしてからこの小屋で寝るのがよさそう。

案外と高度感のある剣ヶ峰を越えて行く。水場は確認しなかった。
まだ半分も来ていないのだからノンビリできない。陽射しを避けるため左右が切れ落ちていない安全な道では折りたたみ傘をさして歩いた。山歩きで傘を使うのはここが初めてだったかもしれない。
雨でも日除けでも使えて重宝しますよ。一度お試しあれ。
大雪の天人峡への下り途中では、道の真ん中で傘で陽射しをさえぎって食事を摂った。
中十五里の水場で小休止。ここで話した人が御沢から車に乗せてくれて温泉へ直行。
蕎麦とビールで乾杯して長い山旅を終えた。

花の記録

ミツバオーレン シロバナニガナ ミヤマコゴメグサ コバイケソウ ミヤマリンドウ 
アザミ タカネツメクサ ニッコウキスゲ タカネナデシコ シロウマアサツキ(?)
コキンレイカ クルマユリ ミヤマウスユキソウ イブキトラノオ クガイソウ タテヤマウツボグサ
ミヤマシャジン オンタデ ミヤマキンポウゲ シナノキンバイ ウサギギク ショウジョウバカマ 
ヒメサユリ シラネアオイ イワイチョウ ゴゼンタチバナ オオカサモチ ミヤマセンキュウ 
チシマギキョウ ヨツバシオガマ ハクサンコザクラ イブキジャコウソウ ミヤマコウゾリナ 
イイデリンドウ タカネマツムシソウ ハクサンシャジン ハクサンフウロ オタカラコウ
ミヤマクルマバナ コイワカガミ ハクサンイチゲ チングルマ キンコウカ イワオウギ
オトギリソウ タカネニガナ ミヤマホツツジ 

記録を写してみてびっくりした。なんという種類の多さだろう。
うーん、もう一度行ってみたくなった。
初日に大熊小屋で寝て、朳差岳から南下して大日岳をピストン。川入へ下山でやってみるか。

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思いでの山 東北編 ② 朝日連峰

2010年04月16日 | 東北

前年の浅草岳で花に目覚め、同じく6月中旬に東北の朝日連峰をM氏と歩いた。
花なら飯豊の方だと思うが、何故か朝日だった。
この時は今は無いムーンライト越後を利用して鶴岡まで行き、タクシーで泡滝ダムまで。

1999年6月11日(金)-13日(日) 山中2泊3日

1.初日
泡滝ダムから大鳥小屋まで

のっけからタニウツギだらけで期待が高まる。すぐに昼食としたが、そこらじゅうにあるミズ(ウワバミソウ)をラーメンに入れて食べた。
途中で七つ滝コースが分かれたが、見送って安全な一般ルートを歩いた。
急登も無く、歩きやすい。浅草岳と同じく深山の趣たっぷりの静かな道。
辿り着いた大鳥池の小屋は案外と立派だった。伝説のタキタロウはまあいないだろう。
釣り客も結構多いらしく、2人が釣り糸を垂れていた。
夜行だったので夕食の後さっさと寝た。

9:30-14:00

2.二日目
大鳥小屋から狐穴小屋まで

爽やかな朝の空気の中をオツボ峰目指して歩き出したがすぐに急登が待っていた。
本当に目の前に登山道がある感じの急さだが、ブナ林が救いと言えば救いだ。
途中からミツバオーレン、カタクリ、稜線に出て、イワイチョウ、イワカガミ、チングルマアオノツガザクラ、ハクサンイチゲなどが出てきた。
以東岳山頂ではミヤマダイコンソウが主役だ。
眼下に熊の毛皮みたいな大鳥池が見える。
はるか南には三角錐の大朝日岳が見えている。どの山も残雪が良いコントラストになっている。
その残雪に黒いワッカ状の模様があるのが面白い。
頂上からの下りではミヤマキンバイのオンパレード。これでもか、これでもかといった感じで出現する。こんなのは今までで初めてだ。
残雪と花畑は関東周辺ではなかなか見ることが出来ないので感激もひとしおだ。
それにしても風が強く、首にかけていたタオルを一瞬で持って行かれてしまった。
道脇の峰桜が東側へ90度ひん曲がっており、強風と豪雪を物語っている。
辿り着いた狐穴小屋は新築で水洗式だったがまだ使用不可で、通常のを使うようになっていた。
2階に陣取って夕食にしたが、バーナーのコックを目一杯開けているオヤジがいて、ゴーゴーとうるさい。まったくの無駄なガス浪費なのに。

5:30-9:40オツボ峰10:30-11:50以東岳13:00-15:30

3.三日目
狐穴小屋から大朝日岳を越えて古寺鉱泉

今までで一番長い行動時間となった一日は小屋前の雪壁(3Mも無かった筈だが)のキックステップから始まった。
雪に慣れていないので案外と恐怖感がある。無事登り終えてホットした。
昨日すれ違った2人組から聞いていたキヌガサソウは北寒江山への登り始め、東側雪田の縁に群落をつくっていた。初めての対面で即写真を撮るがピントがずれていた。
まあしかし葉も花も大きすぎて何か可憐さがない。
あちこちに残雪があるが、あのヒメサユリは全く咲いていない。ここでは7月上旬かららしい。
一方シラネアオイは盛りを過ぎており、ちょっと損した気分だ。
金玉水のテント場は遠目には少し斜めになっているように見えた。
大朝日岳をピストンした後大朝日小屋で昼食。頂上からは歩いてきたコースが以東岳まで見えていた。本当によく歩いたものだが、この後まだまだ歩き、ちと危ない目にも遭うとは夢にも思いもしなかった。
銀玉水の水場は出ていたがその下からは雪田上を50M程歩いた。小朝日岳手前にはハクサンチドリが群生していた。
疲れる直登をゼーゼー喘ぎながらこなして、やっと小朝日の山頂だ。
でかい大朝日を眺めながら暫し休憩。もう出発から10時間もかかっているが、まだまだ下りがコースタイムだと2時間ある。
しかし実際はプチ遭難もあって何と3時間40分もかかってしまったのだ。
古寺山から先の雪田からの降り口をロストしてしまったのだが、先行するM氏の足跡とおもわれる
のをたどると急な雪の斜面に出てしまった。しかし何となく降りて行ったような跡も見える。
こんなところ降りるはずがないがと思いながらももうちょっとと降りかけた途端に滑落。
あっという間に下にあった根曲がり竹のブッシュに飛び込んだ。まあこのブッシュがあるから降りてもいいと判断したのだが、ものの見事な滑落ではあった。
竹薮を廻り込んで下を見てもM氏の姿はない。どうもこれは違うなと引き返す気になった瞬間に急に恐怖心が湧いた。即座に6本爪の軽アイゼンを装着して気を落ち着かせた。
雪の斜面を慎重に戻り、右手のほうを見ると降り口があるではないか!アイゼンを脱ぎ先を急ぐがなかなかペースが上がらず、古寺鉱泉朝陽館に着いたのは何と17:40分!!。
M氏は風呂に入り、ノンビリとビール。あげくに「遅かったねー」とトドメの一発。
竹の子尽くめの夕食とこじんまりした、家庭の風呂をちょっと大きくした程度の鉱泉風呂でながーい一日の疲れを癒した。

4:00-7:45竜門山-8:55西朝日岳9:10-11:00大朝日小屋 
山頂ピストン 昼食12:20-14:50古寺山-17:40
現在でも最長記録の13時間40分の行動時間だった。

花の記録

シラネアオイ ヒメサユリ(朝陽館) ミヤマキンバイ ハクサンチドリ ハクサンイチゲ
キヌガサソウ ミヤマキンポウゲ ミヤマダイコンソウ イワイチョウ ミツバオーレン
カタクリ イワウチワ イワカガミ アオノツガザクラ チングルマ シロバナエンレイソウ 
サンカヨウ ユキザサ ニリンソウ ショウジョウバカマ ノウゴウイチゴ 
タチスボスミレ キスミレ リュウキンカ ヒナザクラ アカヤシオ ムシカリ タムシバ
ヤマツツジ ミネザクラ ウラジロヨウラク 
 

翌朝、宿の廻りのヒメサユリ(!)に見送られ、タクシーで左沢へ出た。
山形から新幹線に乗り継いで帰ったが、いろんな意味で充実した山ではあった。
次は同じくM氏との飯豊。


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思いでの山 浅草岳 

2010年04月14日 | 関東周辺

1998年6月に山友達のT夫妻、会社の先輩Ka氏の4人で登った。
前年の4月から群馬の渋川に単身赴任中だった時で、この時に平が岳、苗場山、日光白根山谷川岳など手当たり次第に登りまくった。
この浅草岳はそれまでの眺望だけが楽しみの山から一歩前進させてくれた思いでの山だ。
とにかく素晴らしい花の種類とボリュームで、一発で花に目覚めてしまったのだ。
あの時の感激は今でも鮮烈に覚えており、何度でも行きたいのだが、6年後の5月末にテント2泊で遊んだだけだ。
T氏とは丹沢の尊仏山荘で知り合って結構一緒に歩いたが、7年ほど前から彼が山に殆ど出かけなくなった。
Ka氏は自分で登山グループを主宰しており、そちらに時々飛び入り参加している。
今は老朽化で使用できない避難小屋で寝た。

1998年6月6日-7日 山中1泊2日(T夫妻、Ka氏同道)

その時の記録をそのまま書いてみよう。

ブナの大木、沢グルミの大木そしてヒメサユリ、シラネアオイ、イワカガミ、イワウチワ、ゴゼンタチバナ、ショウジョウバカマ、エンレイソウ等花も素晴らしく、今年一番の山。
登りで見える筈だった鬼ケ面山スラブはガスで見えず、又帰路の浅草岳の雄姿もガスで見えなかった。
登り途中のブナの巨木、ホウ、トチ等素晴らしい林相でさすが東北の山であった。
道の途中でピンクの大型の花を目にした時にはまさかと思ったが、やはりヒメサユリで大感激。
とにかく花の種類、量がすごい。ヒメサユリも次から次に顔を出し、シラネアオイも7-8株の群落で現れたし、ゴゼンタチバナ、イワカガミはウンザリするほどの量だった。
雪渓もあちこちに残っており豪雪の山。小屋への途中で7-8度も滑り情けなし。
秋には御神楽岳がよかろう。例年は5月中旬が花が多いのかも知れぬが、ヒメサユリは梅雨の時なのかもしれぬ。浅草岳から鬼ケ面山へはアップダウン激しく、左側が切れ落ちておりスリルあり。

とまあ稚拙な感想を書いている。おまけに花時が5月中旬などとトンチンカンなことを書いている。
雪が消えてからなのだから、当然6月初旬から7月初旬だろう。

1.初日
田子倉登山口から避難小屋まで

渋川からT氏の車で小出経由で入山した。
10時20分に歩き出し、17時に小屋着。ノンビリ歩いたので時間は参考にならない。
のっけから沢ぐるみや栃の大木が現れ、沢をわたってからはブナの大木だらけだ。
うーんなんともスゴイ。こんな山は今まで経験したことが無い。
最後の水場の大久保沢で小休止した。結構な水量で、傍に一張り位なら充分な平地あり。
ここには次に登った際にテントで寝た。
案外となだらかで歩きやすい道だ。剣が峰はそう大きくない岩っぽい場所だが後方に田子倉湖が光っている。左サイドをトラバース気味に登った。熊うち場とかいうブナの大木のある雰囲気のいい所を過ぎて鬼ケ面山の展望地だったようだが不確か。
ガスで見えなかったのでさっさと通過。稜線近くのカーブの先で、ピンクの大型の花が揺れている。ひょっとしてヒメサユリ?と小走りで近寄るとその通りで大感激。
ちょっと山の花としてはハデ過ぎの感もあるが美しい。
そのうち紫の上品なシラネアオイも登場だ。こちらも場違いな大きさと色だ。
頂上は俗っぽい看板が無粋だが眺望は素晴らしい筈なのだが明朝までお預け。
雪が大量に残り、かろうじて木道と周辺が融けており、ショウジョウバカマが出ている。
シラネアオイも次々と出てくる。
小屋は古くて小さいが4人には充分だ。ヘリを使った山スキーをやるらしく、それ用のロープなどがある。
夕食にT夫妻が摘んだコシアブラを初めて食べたがほのかな苦味があってなかなか旨い。
このあと2年位してやっと木をおぼえたが、上手く時期が合わなかったりして数回しか摘んだことがない。

10:20-17:00

2.二日目
小屋から鬼ケ面山登山口

頂上は前日とうって変わって期待通りの大展望だ!
越後駒ケ岳、中の岳が大きく、荒沢岳がシャープで格好良い。守門は目の前だし、遠くには尾瀬や平が岳もボンヤリと見えている。雪道を下り、分岐を左にとって鬼ケ面へ。
のっけから花のオンパレード。ウラジロヨウラク、ベニサラサドウダン、ゴゼンタチバナ、イワカガミ、ヒメサユリ、シラネアオイなど。
コースは左手が切れ落ちる崖の縁を歩くので充分注意が必要だし、小さなアップダウンが連続する。案外と疲れる歩きで、ノンビリ歩いたとはいえ7時間もかかっている。
この時にちょっと面白いことをやった。途中ですれ違った新潟の男性と車の鍵を交換し早く下りたほうが自分の車まで帰るというもの。先方が早くて我々を待っていた。
車での山行の多い人は参考になるかもです。
鬼ケ面山は山頂らしくなかったのか印象が無い。
マイクロウェーブの建物の先のT字路を右に折れて暫くでやっと登山口に着いた。
いくらでもあるフキをたっぷりと採ってから帰った。

8:00-15:00
随分と時間がかかり過ぎている。あちこちでノンビリしたらしい。
当然この時はヒメサユリやシラネアオイ程度しか名前は知らず、花に詳しいT氏に教えてもらった。

次は朝日連峰、飯豊の記録としよう。








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思いでの山 大峯奥駈道 (洞川から前鬼)

2010年04月12日 | 八ヶ岳・中央アルプス他

2006年のゴールデンW.にどこか静かでいい山にと考えた挙句にえらんだ。
とんでもなく人が多く(縦走路は静かだったが)雰囲気も丹沢の規模を大きくした山塊といった
感じで満足にはほど遠かったのだが、途中で野宿を初めて経験してみてその快適さにぞっこんとなった。
味をしめて8月には北アの合戦尾根途中の富士見ベンチで寝て、北燕岳から中房へ周遊した。
小屋の間が離れすぎていてどうにも歩きづらいコースがあるが、そんな時にこの方法をとれば楽に歩けるのだ。
夏なら這い松の下で寝ればいいし、樹林帯でも寝られる。
京都まで夜行バスで往復して、近鉄とバスを乗り継いだ。下山して吉野の寺のユースに泊り、翌日高野山に行ってみた。何とも俗っぽくてつまらなかった。

2006年5月3日-6日(山中3泊4日)(単独)

1.初日
清浄大橋から山上ケ岳の先の小笹ノ宿まで

いかにも「女は入ってはいかんぞ」と言わんばかりの名前の橋から登りだした。
途中ですれ違う時に、「こんにちは」でない独特の挨拶をするのだが、忘れてしまった。
宗教がらみの言葉だが今更調べるのもめんどくさい。
女人禁制と言ってもさすがに女性は逞しくて堂々と入山し、おまけにキジ射ちまでやってるのもいる始末なんだから、時代錯誤の風習など止めたらと思うが。
宗教がらみなので仕様が無いか。勝手にやってちょうだい。
まあ静かな山どころか人、人、人だ!
覗きで命綱で支えられて下を覗かされ、「かあちやん大事にしまーす」などと叫ばされている。
物好きだよなー。金まで出して。よくわからん。
そんな人だらけの山上ケ岳を過ぎたとたんに人がいなくなった。万歳!
今夜の宿の小笹の宿まで頑張る。
着いた小屋にはオヤジ4人組が陣取り、「もう満杯」とぬかす。
こっちも売られた喧嘩はしっかり買うたちなので、「何言ってんだよ。詰めれば充分
寝れるだろうが!避難小屋だぞ」
きゃつらはシブシブ空間を空け、充分にシラケさせてしまったが仕様が無かろう。
幕営組が4組ほどと修験者が一名。彼は油紙一枚で寝ていた。さすがです。
水場は流水で涸れることもなかろう。

11:50-15:30山頂-16:20

2.二日目
小笹の宿から八経ケ岳先まで

5:20出発してあんまり楽しみの無い道を淡々と歩いて、大普賢岳と名前だけはすごいのを越えて行者還ノ宿に着いた。ログハウスですこぶる綺麗だ。
ここに上がってくる道があってやたらと人が増えた。聖宝の宿からの登りは丹沢の馬鹿尾根よりは歩きやすい。ところどころ昨日もあったが雪が残っている。
登りついた弥山山頂は人だらけで小屋は超満員。テント場も満杯らしい。
水を1L100円で買ってから面倒くさいのでもうちょっと歩いてから野宿する事にした。
最初から状況によってはそうするつもりだったので、フライとグランドシート、寝袋を持参している。
八経ケ岳を過ぎてちょっとの所にいい場所があった。
雨の心配も無く野宿にはもってこいだ。
晩飯を食ってノンビリとするが、うるさい幕営場とは雲泥の差だ。
こんなに快適なのに今まで何でやらなかったんだろうか。
星も寝たままで見られて最高だ!

5:20-7:30大普賢岳-11:30行者還ノ宿12:00-16:10弥山
-17:00八経ケ岳-17:20ビバーグ地

3.3日目
ビバーグ地から釈迦ケ岳を越えて深仙ノ宿まで

うーん、一人の朝は最高だ!
誰も来ないうちにやることはやってしまおう。無事朝飯とその他の決め事を片付けるとボツボツと南へ向けて歩く人がやってくる。
6:20に出発して時間があるので、途中の舟のタワで1時間昼寝。

45分で着いた揚子小屋で昼飯。水場はチョロチョロ。1時間30分ものんびりしてしまった。
孔雀岳の水場はしっかり出ていた。
全コースを通じて普通に歩けるが、釈迦ケ岳直前の短い直登はヤバかった。
土がツルツルになっており、滑ったら空中に飛び出してしまう。
1週間後に滑落死亡事故が発生したが、多分ここだったんでないか。
どうでもいい所に鎖を渡したりしてるのに、なんでこんな所に垂らさないのか疑問。
辿り着いた頂上にはガイド通りに立派な釈迦像があった。
深仙ノ宿には先客の4人組のオヤジグループ。
南の奥駈道を歩くらしいが、案外とやるパーティーが多い。
黒戸尾根が静かなブームなのと同じなんだろうか。それとも世界遺産を歩きたいだけ?
避難小屋は早く来たもの勝ちなどと言っているがシカトする。
大人は状況に合わせるもんです(日和見なだけ!)。
ここの水場は完璧に干上がっている。
夜はネズミまで出てきたが食料は大丈夫だった。

6:00-10:40揚子小屋12:10-16:30釈迦ケ岳-17:20

4.4日目
前鬼へ下山して前鬼口までの車道歩き

4:00に出て太古の辻からひたすら下りる。途中に大岩や、ツツジなどが出てくる
雰囲気の良い下りだが、最初は木道がやたら多かったような記憶がある。
この日のハイライトは前鬼からの車道歩きだった。なにせ2時間45分も歩かされたのだ。
途中で落差のあるどでかい滝を望める所があるのが救いだったけど。
覚悟はしていたがやっぱり長かったなあ。

4:00-4:30太古の辻-6:45前鬼7:00-9:45バス停

何だか山のことが殆ど無い記録になってしまったが、花も余り無いし、眺めも普通ときたら書くことも特別無い。
丹沢を大きくしたコースというのが正直な感想。
お暇だったらやってください。
バスの外人客が弥山への沢のルートが今までで一番のルートだと言っていた。

次回は花に目覚めた南会津の名峰浅草岳。こんないい山を深田が選ばなかったのに感謝!










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思いでの山 屋久島縦走

2010年04月11日 | 九州・四国・屋久島

2003年秋に念願の屋久島縦走をやった。
M氏との山行で福岡まで飛び、夜行列車で朝鹿児島。フェリーで屋久島に入った。
帰りは飛行機で鹿児島乗り継ぎ羽田。
時期はヒルの心配が無く、台風の確率も低い10月末にしたが、滞在した4日間とも快晴で運がよかった。
この時は沖縄の老婦人の遭難救助というハプニングもあった。
ガスは港近くのスーパーでゲットしタクシーで登山口へ。

2003年10月24日-26日 山中2泊3日(M氏同道)

1.初日
白谷雲水峡から高塚小屋まで(10:50-17:30)

出だしからこれぞ屋久島という幽玄な沢と森の中の歩きでこころ弾む。
鮮烈な水が大容量で流れており、苔むした倒木やら樹齢何百年の大木がヒヨッコの森なのだから雰囲気がいいのは当たり前だが。
白谷避難小屋はブロック造りで湿っぽくて外でお昼にした。
軌道敷の道までの途中にある辻の岩屋は充分ビバーグに使える。

万一の時にはあちこちにある巨岩の岩屋で寝られるのも心強い。
それと水が至る所で飲めるので1Lもあれば充分なのが楽チンだ。
軌道敷の単調な歩きが終わったと思ったら、今度は木道の階段だ。
途中ウィルソン株に立ち寄る。想像以上にデカイ。湿気てさえいなければ最高の宿なんだが。
それにしても巨木だらけなのにあきれる。なかでもヒメシャラの大木が多くて
杉よりも目立っていた。
縄文杉は根を保護するために離れたテラスから眺めるようになっていた。
あまり感動しない。

なにしろ巨木だらけだから、その内のちょっとでかくて風格のある杉の木だなあといった感じしか湧かない。
それから少しで高塚小屋。古くて暗いが次の新高塚小屋はメチャ混みの筈なのでここで寝る。
外人一人を入れて10人程度の泊りだったがそれで満杯だった。定員20名とはギシギシに詰め込んだ時だろう。

2.二日目
高塚小屋から投石平の岩屋まで(6:00-17:30)
遭難騒ぎがあったのでこのタイムは参考にならない。

新高塚小屋は予想通りの大混雑でごったがえしていた。ツアーやら大人数のパーティーが利用するので避けたほうが懸命。

単独で歩くならためらわずに岩屋で寝る。
途中で屋久鹿の子供に遭遇したが、丹沢の鹿達と違って何か清潔(?)で小ぶりで可愛い。
白いお尻を上下に揺らして逃げていった。
第一展望地に飛び出すとうって変わって笹と花崗岩の巨岩の大パノラマだ。

空のブルー、巨岩のグレー、笹のグリーンのコラボが素晴らしい。しかし表現力の無いのには自分でもあきれる。

写真も同様で景色のスケールのでかさは表現できない。このブログを見て大したことが無さそうなどと思わないこと。

本当に素晴らしい所なのだ。
深田の百名山などは真っ平だが、この屋久島だけは「山屋ならやってから死ね!」だ。
先に三本の指に入る山を挙げたが、この屋久島は番外という事にしておこう。
さて焼野三叉路手前で登山道に這いつくばっている老婦人がいて?
傍によって見たら道が凍っていて普通に歩けなかったのだ。

それにしても変だなあと思っていたら、永田岳をピストンしてもどってもまだ三叉路にいた。
永田岳は巨岩の山頂でローソク岩みたいなのが林立しているのやら海が見えてしばし楽しむ。

今度来るとしたらこの道から永田の海岸へ降りてみたい。
さて先ほどの老婦人に問いただすと疲れて歩けないというではないか。

一体どこまで行くんだと聞くと淀川までといった。

そりゃ無理だろうし、仲間はどうしたんだと聞くとにわか集めだったので皆先に行った由。後で前日から単独状態だったのが判明する。
とにかく宮之浦岳まで連れてってくれというので、M氏と交替でサポートして登りついた。
ところが案の定今度はもう歩けないときた。

まったくどうすんだよとこっちが泣きたくなる。
丁度居合わせたオヤジが携帯を貸してくれたので警察に連絡すると、何と今度は三叉路まで降ろしてくれというではないか!

勘弁してくれよといっても始まらず、また2人で降ろす始末で徒労もいいとこだ。
暫くして鹿児島からヘリが飛んできて、沖縄からきたおばさんをあっという間に連れて行った。
後日の礼状によれば沖縄からの単独同士のにわかパーティーで歩いていて遅れてしまい、道端に寝袋でビバーグしたらしい。

朝日が素晴らしかったなどと暢気なことを書いていたが、懸命な判断ではあったなあと少し感心した。
まあそんなこんなで予定の淀川小屋へはとても無理な状況となり、大手を振って岩屋に寝ることになった。
投石平の3-4人寝られそうな巨岩の下で寝たが、そう寒くも無く静かでいい夜だった。

3.三日目
投石岩屋から淀川登山口まで(5:30-8:40)

シャクナゲやら笹やらの中に巨岩が点在する開放感一杯の気持ちの良い景色の中を淀川めざしてノンビリと歩いた。

途中ちょっと道がわかりづらい湿地帯を過ぎて着いた花之江河はなんと言うことも無い小さな高層湿原だった。

小屋への下りでは屋久猿のギャーギャーという威嚇音が聞こえてきたが姿は見れなかった。
淀川小屋もこじんまりとしており、これでは金曜日の夜などは超満員だろう。
2泊3日だとこの小屋での初日が多いはずだから金曜日がメチャ込みで、土曜は少し余裕があるんでないか。
登山口からバス停の紀元杉まで20分だった。

とんだハプニングもあったが本当に素晴らしい山だった。
参考になりそうなことを書いておこう。

下山してからの宿はライダーハウスの「森の陽だまり」 0997-49-9701
素泊まりで1,890円だった。寝るだけならユースより安い。
レンタカーを借りて滝を見物したり、温泉を楽しんだり、食事にでかけて翌朝空港に乗り捨てた。
滝は千尋の滝や大川の滝があるし、温泉は尾之間温泉が100円+ロッカー100円の超安さと足元の小石の間から湯が湧き出るという、青森の蔦温泉を彷彿させる抜群の日帰り温泉だったのに驚いた。
海亀の産卵場の永田海岸の散歩もよかったし、下界のドライブも結構楽しい。
食事は「漁火」という仲の悪い夫婦の店だったが、味はよかったし、安くて満足。
「ホタ」(ウメイロのこと)の刺身が白身で淡白ながらいい味で、カマの塩焼きは適度に油が乗って旨かったし、1,500円のてんぷら定食もボリュ-ム満点。

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思いでの山 東北編 ①裏岩手縦走

2010年04月10日 | 東北
裏岩手縦走といっても後生掛温泉から八幡平に登り、それから鶴の湯までの縦走という
コース。
本当は秋田駒から八幡平までの縦走の予定だったが、秋田駒を終えたあと雨が降り出し、
翌朝も本降りだったため一旦乳頭温泉へ下山することにした。すぐに後生掛温泉へ向かい、
その夜は温泉三昧。いつ来てもいいお湯で満足。当然湯治部のオンドル部屋に寝た。
翌日からの縦走は途中の原始性あふれる静かな道が素晴らしく、後半部の嫌な気分にされた
歩きはマイナスだったが今までの山で三本の指に入るコースだった。
残る二つは既に書いたトムラウシと知床縦走。
貯まったJASのポイントで秋田に飛び、それからバスで田沢湖駅まで行き、秋田駒八合目へ。
秋田駒は以前もこの八合目小屋に寝て乳頭温泉へ抜けた事がある。
花一杯の素晴らしい山で百名山ほどではないが登山客が多い。
いろんな花が咲く花の時期はことさらだ。日帰り客が殆どで泊りは滅多にいない。

2003年7月18日、19日、21日-22日 山中3泊4日(単独)

1.初日
八合目から阿弥陀池の小屋まで

道はゆるやかで初心者でも楽に歩けるから花時は人だらけになる。丁度ニッコウキスゲの
時期であちこちで明るい黄色が揺れていた。ミヤマハンショウヅルが記憶に残っている。
小屋までの池横の木道周りはチングルマなどが咲き乱れている。
小屋に荷物を置いて散歩にでかけた。池の先からチングルマだらけの窪地へ降り、大焼砂を
横岳に登り返し、稜線を歩いて元の降り口へ戻って小屋へ。
チングルマはちょっと時期が遅かったみたいで、稜線上のハクサンシャジンのほうが印象に
残っている。いろんな種類の花が咲き乱れており、南アルプスの小赤石稜線の花を思い出した。
大焼砂ではキスミレばかりでコマクサは無かったような気がする。
小屋は予想通りに独占かと思いきや地元らしきオヤジがやってきた。
俺が片付けた灰皿を引っ張り出して吸いだした。山の中くらい吸うなよな。
トイレが水洗なのはいいが、水は一体どうしてるんだ?天水か?
水場はこの時期でもチョロチョロで8月には涸れてしまうだろう。

花の記録 (この日で殆どの花が出てきたので)

ミヤマシシウド ミヤマセンキュウ シラネニンジン ミズバショウ ミヤマハンショウヅル
ニッコウキスゲ ミヤマダイコンソウ タカネニガナ ハクサンチドリ ヨツバシオガマ
ハクサンシャジン チングルマ トオゲブキ ウサギギク ヒナザクラ イワイチョウ
ミツガシワ ベニバナイチゴ オオバキスミレ キスミレ ミヤマキンポウゲ ヤマハハコ
ゴゼンタチバナ イワカガミ コマクサイワブクロ ミヤマアキノキリンソウ ウツボグサ
ミヤマカラマツ ミヤマリンドウ オトギリソウ エゾツツジ ミヤマホツツジ コメツツジ
ウラジロヨウラク イソツツジ イワショウブ クルマユリ タチギボウシ キンコウカ
マイヅルソウ ギンリョウソウ

2.二日目
阿弥陀池の小屋から乳頭山経由田代岱山荘まで

8:50に歩き出して14:30に田代岱山荘着。
笊森山から千沼ガ原へ降りて湿原の雰囲気を楽しんで、途中の木道でお昼。
ここも湿生の花だらけで素晴らしい。雨がぱらつきちょっと心配。
稜線へ戻ってからの歩きは潅木帯なので見晴らしがよく気持ちいい。
乳頭山へは崖の縁を登るので滑落に注意が必要だが、まあそんなドジはしないだろう。
危険なところは注意するので事故は滅多に起きず、その後の何でもないところで起こる。
小屋には他には八幡平まで縦走の30前後の夫婦とあと二組程度だったと思う。
水場は裏から涸れ沢へ降り10分程度かかりちと面倒。千沼ガ原で汲んだほうが楽。
夕食後に本降りになってしまい、翌日も降り続く予報との事なので翌朝一旦下山し、
後生掛温泉へ移動して逆走する事にした。

3.三日目 乳頭温泉へ下山して後生掛温泉へ(記録割愛)

4.4日目 
後生掛温泉から八幡平を抜け八瀬森山荘まで

八幡平への登山口までは車道を歩いた。
尾根の上を歩いてるはずだが何となく涸れ沢っぽい。頂上では休みもせずに先を急ぐ。
まあ山頂らしくないし、観光客だらけでうるさいだけだ。
歩きながら左手に常に岩手山が大きく気持ちよい歩きだ。石沼あたりからは雨のせいか
道が湿っぽい。途中で田代岱山荘で同宿だった夫婦とすれ違ったが、あの雨の中を歩くとは信じられん。
何の楽しみも無いので俺は絶対にやらないが日程もあるしなあ。ご苦労様。
大深山荘は建て替え中だったし、この先の大白森山荘も建て替えたばかりだった。
東北の避難小屋はトイレが必ず付いているのが助かるが、糞尿の処理はどうしてるんだろう。
環境の為には担ぎ下ろすしかないが、大変な労力と時間がかかってしまうのに本当に実施
しているんだろうか。
三ツ石分岐からは右手の道をとって八瀬森山荘を目指す。
池塘が次々と現れニッコウキスゲが咲き乱れている。アオモリトドマツや池とあいまって
幽玄な雰囲気を醸し出しているが、その中に一本の踏み跡がクッキリとついているのが
なんとも痛ましい。道を広げないように長靴か地下足袋で歩くべきかも知れない。
小屋に着いたら先客がいた。中央大学付属高校のワンゲルで生徒6人と顧問の教師。
途中で熊と遭遇したらしいが、30メートルくらいしか離れてなかった由。
小屋には布団と毛布もあったが湿っぽい。水場はすぐ傍の流水。

5.5日目 
八瀬森山荘から乳頭温泉の鶴の湯へ

4:40に出発してすぐに曲崎山への登りでシンドイ。山頂で小休止と行動食でガスの
補給。ブナが多く雰囲気はいいが、大木が無く2次林みたいだ。
大白森山荘は建て替えられたばかりでまだ未使用状態だった。暫し休憩して、小屋前の
水場を確認するがしっかり出ていた。
この先から根曲がり竹が出てきて、ゴミが散乱しており頭にきた。
竹の子採りの連中が捨てていったものだが、缶詰のカン、軍手、弁当のプラ容器など。
熊に食われてしまえばいいと本気で思った。
せっかく気分の良い歩きを楽しんだのにぶち壊されてしまった。
期待していた湿原も乾燥化が進んでただの草原で黙々と鶴の湯を目指した。
辿り着いた鶴の湯は写真どおりで、客であふれていた。
白濁した内湯を使い、2日間の汗を流して帰途についたのだった。
11:00に鶴の湯着だったので約6時間の行動。
田沢湖駅からは秋田新幹線を使い、秋田空港から羽田。
あの三ツ石分岐からの至福のトレイルの歩きは何とも素晴らしかった。
北の山が続いたので、次はこの年の秋に訪れた遥か南の屋久島縦走の記録としよう。






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思い出の山 礼文・利尻

2010年04月09日 | 北海道
前年の知床縦走に続き2003年の夏は礼文と利尻に行くことにした。
札幌から夜行の特急で稚内に行き船で渡ったが、ゴロントシートが使えたのを知らず
座ったままで疲れた。
サロベツ付近からの海に浮かぶ利尻は写真通りの美しさ。
駅で食事をした後港まで歩き、まずは礼文へ。
利尻に渡らなければならないので桃岩まで歩いたのみで殆ど記憶に無く、記録もない。
花も余り無かったような気がする。ウミネコがやたらと飛んでおり、うるさかったのは
憶えているが。
利尻では町営の「自然の家」で寝たが、素泊まりで2,600円。こういう公共施設が
案外と利用価値ある。翌朝タクシーで登山口の見返台園地まで入り、登りだした。
終始ガスだったためアッサリとした記録だ。

2003年7月11日 日帰り(単独)
7:40-12:50利尻山頂-15:50

夜明かしの坂(小広く休憩に適地)から三眺山までが長かった!
小ピークが次から次に出てくるため疲れが倍加する。
晴れていればそうでもないのだろうが、ガスの為「やっと山頂か」と何度叫んだ事か。
親知らず子知らずのトラバースはやばかったが、背負子投げの岩場はなんとも無かった。
一番の危険箇所は鴛泊コースとの合流地点直前の短いザレの直登(フィックスロープあり)。
山頂は合流地点からすぐだったがガスで何も見えず、5分もいないで下山。
祠の後ろは切れ落ちており、そのうち祠を移動させねばなるまい。
北麓野営場まで2時間30分で駆け下りた。途中の避難小屋は以前は周りが糞だらけだった
らしいが、今は携帯トイレのおかげで綺麗だった。
町営の日帰り温泉で汗を流し、港でソフトボール大のムラサキウニを500円で食べた。
さすがに旨く、山はイマイチだったがウニには満足。
山では見なかったリシリヒナゲシがあちこちの民家の前にあるのにはガックリしてしまった。
何とも面白くない記録だが展望が何も無かったのだから仕様が無い。
温泉も循環だったし、欲求不満の山だった。

一応花の記録

ゴゼンタチバナ マイヅルソウ オトギリソウ ヤマハハコ チシマフウロ ミソガワソウ
エゾノハクサンイチゲ エゾツツジ エゾコザクラ エゾクワガタ ミヤマアズマギク
キオン キスミレ イワギキョウ ヨツバシオガマ ウコンウツギ

札幌ではススキノの「だるま」でジンギスカンを食べたがタレが甘ったるくなく、結構
旨かったのだが、あの北朝鮮への献金問題で相当に叩かれた。
いまどうなっているのか。案外と何も変わらず営業していて、開店前から並んでいるかも。

稚内空港までのチケットがとれずに、札幌から夜行の特急列車「利尻」を使ったが平成19年で
運転終了し今はない。ということは札幌からバスで稚内にいくしかないわけだ。
稚内までの飛行機が使えない時はシンドイ山になっているので早くやっていて正解だったか。
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思い出の山 知床縦走(羅臼~硫黄)

2010年04月07日 | 北海道

2002年の7月に知床の斜里岳と羅臼岳をやる予定をたてた。
ところが直前になって台風の大雨で斜里岳に入山できなくなり、急遽
羅臼岳から硫黄山へ縦走し、カムイワッカへ下山することにした。
後で考えるとこっちの方がよっぽど楽しい山だったのだから大雨に感謝。
多分斜里岳だけをやるために行くことはないだろう。
この年の6月から7月は
奥多摩酉谷小屋泊、会津朝日岳、北岳周遊、焼石岳への山旅と続き、締めが
この知床縦走と何とも充実した山をやっている。

2002年7月13日-14日 山中1泊2日(単独)

1.初日
羅臼岳から三ツ峰まで

前日釧路へ飛び、JR釧網線で清里ユースホステル泊。翌日JRとバスで
岩尾別まで行き、木下小屋前の登山口から羅臼岳へ登りだした。
斜里からのバスは単独3人で大阪からの30前後のM氏と広島からの年金おじんのK氏。
M氏とは三ツ峰の幕営場で一緒になり翌日も二ツ池先まで同道した。
羅臼への登りは楽だったが強烈なムシ暑さでたっぷりと汗を搾られた。
弥三吉清水はタップリ流れており、思わず生水をゴクゴク飲んでしまった。
エキノコックスのことなど何処かに飛んでしまっていた。とにかくとんでもないムシ暑さ
だったのだ。
その水場向かいの藪に捨ててあったミカンの皮を降りてきた若者に持ち帰るよう頼んだ。
大沢の雪渓も台風で相当融けていたがツメは階段状になっていた。
花は殆ど無く、ゴゼンタチバナとマイヅルソウくらい。
大沢上から花がポツポツ出てきた。
羅臼平はメアカンフスマ、エゾノツガザクラが目立つ。
頂上途中のあの岩清水は台風のおかげで水量タップリで美味だったし、イワウメが
生き生きとしていた。ここで水を補給すればエキノコックスの心配も無かったのだが。
エゾノツガザクラとイソツツジが多い。
頂上からは国後の山も見えたし、目指す三ツ峰は目前、その先にサシルイ岳、
硫黄山(ひょっとするとみえなかったかも自信なし)。
イギリスからの若者4人も登ってきたが東洋系の2人は完バテ状態。チョコを一個づつ
やる。話の中身は良く解らなかったが You did it! (やったね)だけは解った。
羅臼岳までは百名山のため人だらけだったが、縦走路に入ったとたんに誰もいなくなった。
幕営はオバン3人組、硫黄までピストンして19時頃帰営したオジン3人組、M氏と
俺の4組。縦走は二ツ池まで先行した2Pを入れてたったの5Pという少なさで静かな
歩きが楽しめる。
幕営場傍に熊対策の白いボックスのフードケースがあった。
水は雪渓の水で、羅臼岳の岩清水を汲んでくればと後悔したが後の祭り。

2.二日目
三ツ峰から硫黄山をかすめてカムイワッカへ下山

撤収の途中でパラパラと来たので雨具をつけたが、たいした事無くあまりの暑さに
サシルイ上部のトラバースで脱いだ。サシルイからの下りは雪渓が大きく、ためらわずに
6本爪の軽アイゼンを着けた。おっかなビックリ歩くよりは時間のロスが無い。
このアイゼンが後で大活躍するとは夢にも思ってなかった。
雪渓の末端から沢の中を歩き、途中で90度左折してからオッカバケの登り。M氏は
先を歩こうとせず、その時は遠慮深いなあと思っていたが後で考えれば俺を熊避けに
していた訳で、何ともお人よしというか、考えが浅すぎた。
サシルイ程の傾斜は無く楽だが、道がえぐれており少々歩き辛い。
途中から岩っぽくなり格段に歩きやすくなった。
二ツ池手前も岩っぽく、池周辺は道がわかり辛い。なんだか湿っぽくて三ツ峰で寝て
正解だった。
さあここでとんでもないトラブルが発生した!
まさかわが身にと驚くトラブルとは―何と靴底が剥がれてしまったのだ。
最初は左、すぐに右とあっという間に駄目になってしまい目の前が真っ暗。
この先まだ長い歩きが残っているのに一体どうすればいいのか、先行していたM氏を
呼び止め、紐をもらうがたいして役にたたない。あまり関わりたくないM氏はさっさと
先行する。しばし気を落ち着かせて考える。
要するに底を造ればいい訳で、ひらめいたのがあの”軽アイゼン”
さっそく着けて歩き出す。当然ながらすこぶる歩きやすい。
気分もすっかり落ち着きマイペースで歩き出した。南岳はどこか分からぬまま知円別分岐に
向かい、途中のシレトコスミレ、メアカンキンバイ、メアカンフスマの群生地では彼女らを
踏みつけぬように歩かねばならずシンドかった。分岐手前のチングルマの群生するなかの
かぼそいトレイルの歩きが最高だった。盛り、蕾、終わりかけなどのチングルマだらけの
なかを歩くのだから気分の良いのは当たり前なのだが。
その後歩いた裏岩手縦走時の霧にけぶる池塘とニッコウキスゲの間の道の歩きと甲乙
つけがたい。
知円別分岐には11時20分に着き(出発時刻の記録が無いが6時頃だろう)、先行の
オバン3人組と相泊まで沢で行くという若者に会う。
ここで大ボケをかまし、何時間で行くのかと聞く有様で何とも恥ずかしい。
4泊5日もかかるらしい。熊だらけの中をよくやるもんだ。
分岐からは白ザレで両サイド切れ落ちている嫌な道だがアイゼンのおかげで楽々と歩いた。
コルから雪渓の右縁(アオノツガザクラとエゾノツガザクラが埋め尽くしていた)を登って
硫黄の肩に降りたが巨岩帯でアイゼンではやばかった。
硫黄には登らずに、カムイワッカへの下山地点まで稜線の縁をエイヤーと小走りで歩いたが
湿っていたのとアイゼンのおかげで無事に辿り着いた。
下山地点からは雪渓が残っており、左上に登り出す地点まで20分から30分近くかかった
みたいだが大岩に目印がしてあった。登りきってからは這い松の根っこだらけの道でまだか
まだかと毒づきながらひたすら歩いた。
途中ウトロの女性と同道する事になり、いろいろとしゃべりながら降り、15:30に
バス停に到着。あのM氏とも再会。
木下小屋に泊り、サンダルをもらって翌日帰った。
夕食は管理人夫婦のを分けてくれて大助かりだったし、小さいが露天風呂にも入れて
良かった。

花の記録

羅臼平まで
ゴゼンタチバナ マイヅルソウ ミネザクラ エゾコザクラ ウコンウツギ チングルマ
ミツバオーレン キバナシャクナゲ エゾノツガザクラ アオノツガザクラ

羅臼平周辺
チシマノキンバイソウ メアカンフスマ コケモモ イソツツジ ナナカマド 
メアカンキンバイ

羅臼岳途中の水場に イワウメ イワヒゲ ミネズオウ

三ツ峰まで ハクサンチドリ チシマフウロ エゾヒメクワガタ エゾツツジ

南岳 シレトコスミレ (コマクサがあったらしい)

翌朝、ホテル地の涯先の無料の露天風呂に入りに行ったら、釧路からの列車で一緒だった
台湾の娘達6人が足湯をやっていた。
3段くらいになっていたが幸い娘達が一番下にいたので、一番上の風呂にえーいままよと
飛び込んだ。暫くすると一行が帰ったのでノンビリ楽しんだがあきれたかも。
それと帰りのバスに途中で乗り込んできたアイヌの娘さんの美しさに度肝を抜かれたのが
忘れられない。とにかく肌の色が抜けるように白く、オーバーではなくこの世の者とは
思われなかった。
最初の一瞥で一瞬北欧から来たのかと思ったくらいにエキゾチックな人だった。
こんな美しい女性に言い寄られたら馬鹿な松前藩の小役人共はころっとたらしこまれたろう。
殺される前にいい夢を見られて案外幸せだったかも。
何はともあれ無事に知床縦走を終え充分に満足した旅だった。
次回は礼文・利尻の記録。





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