大雪の空

46歳から始めて嵌ってしまった山歩きの記録と野球などの雑記帳。時々帰郷中の島暮らしの日常。

八甲田縦走 2000年 10月

2010年05月30日 | 東北
吉田拓郎の「旅の宿」の歌詞を作った蔦温泉旅館に
からめて縦走した。
まず南八甲田をやり、酢ケ湯温泉と北八甲田をやった後で
蔦温泉へ。
殆ど人に会わない静かな山だった。

2000年 9月30日-10月2日(2泊3日、テント、避難小屋)(単独)

1.初日
猿倉温泉口から旧道幕営地
12:30-15:45

前夜東京駅発の夜行バスで青森に入り、またJRバスにゆられてやっと猿倉温泉口に着いた。
なんで歩き出しが12:30にもなったのかよくわからん。もっと早い筈なのだが。
猿倉温泉は鄙びたよさそうな旅館で、コテージを4棟ほど新築中だった。
旧車道跡の広くて単調な平坦な道を延々と歩かされた。もちろんダートの道だ。
それにしても歩いても歩いても高度が上がらないというのは精神衛生上良くない。
山歩きでフラストレーションが溜まるなんて最低だ。
途中でV字型に折れた橋を渡る。
乗鞍岳への道を左に分けてから右手に展望が開ける。山側にはシラタマノキの白い実が
目立つ。紅葉はまだ早かったみたいでイマイチだ。
3時間近くかけてやっと幕営地に着いた。当然一人だろうと思っていたら単独のオジサンが
横にテントを張った。地元の山岳会員のN氏といってここらを刈り払ってくれていたらしいが、
環境庁から自然破壊につき止めろとクレームを受けたらしい。そのうちに藪に戻ってしまうだろう。

2.2日目
仙人岱避難小屋まで
5:10-櫛ケ峰ピストン-8:10テント場10:10-12:30猿倉温泉
14:10酢ケ湯-15:50仙人岱避難小屋

翌朝、櫛ケ峰をピストンして猿倉温泉へ戻った。朝露がひどくてズボンがビショビショ。
雨具を着て歩くべきだった。
この途中でメガネを落としたらしくガックリ。この夜の宿の小屋で気づき愕然。
幸いに読書用のだったので歩きに支障なくて良かった。
バスで酢ケ湯へ移動して仙人岱避難小屋を目指した。
途中草木の無い地獄っぽい所のトラバースがあって八甲田清水の水場に着いた。
四角い浅い井戸風の綺麗な水場だった。小屋はわずかに入った所に建っていたが、さすがに
月曜で独占した。星の観察に夜中に出ても気兼ねしないで済んだ。
トイレも綺麗に使われていて感心した。東北の避難小屋は全体に綺麗だし、トイレもあって
すこぶる良い。
地元の人達が定期的に清掃してくれているからで頭が下がる。

3.3日目
仙人岱避難小屋から酢ケ湯
6:10-7:00大岳-7:20大岳避難小屋8:00-10:00

仙人岱から大岳の登りはそれほどキツクなかった。途中の小さな池にクロサンショウウオ、
メススジゲンゴロウがいた。道の両サイドはナナカマドが続いており、赤い実だらけだ。
大岳避難小屋は新築されたばかりのログハウス調の素晴らしい小屋だった。
よく整備するなあ、よっぽど山好きな役人でもいるんだろうか。
これからは降るだけだ。植生を守る為の木道が長い。途中で下毛無岱を見下ろす長い階段が出た。
見下ろすと茶の絨毯に黄色や緑の塊があちこちにのっかているが、あまり感動する風景ではないな。
下毛無岱から下部のブナは黄色に色づいていてまあまあ。
しかしブナの黄葉にドンピシャで遭遇するのは至難の技だ。今までまだ透き通るようなブナの
黄葉に出会ったことがない。今後も無理かもなあ。
酢ケ湯の千人風呂は広いばかり、かつ混浴といっても婆さん、オバサンばかりでさっさと退散。
次に行った蔦温泉は素晴らしかった。
古い「久安の湯」が高い天井、どでかいヒバの梁と抜群の雰囲気。おまけに無色透明のお湯が
足元から湧き出しており、蔦沼巡りをした後にまた入ってしまった。
従業員もなかなかで、もし愛人でもいれば絶対に来たい温泉宿だぜ。
「浴衣の君はススキのかんざし、熱燗トックリの首つまんで......」という歌詞もすんなり出てきたんでないか。
最後に今までで雰囲気最高の温泉に入り、幸せな気持ちでバスに乗り込んだ。
コメント (1)
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権現岳から三つ頭 2009年10月

2010年05月29日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
幕営でノンビリしようと思ってでかけた。
西岳から編笠へ廻ろうと思っていたが何だか面倒になり、
一番楽なコースになった。
夜の寒さにはまいった。
翌朝の絶景で報われたが。

2009年10月11日-12日(1泊2日、テント)(単独)

1.初日 
観音平から青年小屋
11:35-12:45雲海-13:40押手川14:05-15:40

信濃境から西岳へ歩いて取り付こうと考えていたが何だか嫌になり、
小淵沢からタクシーで観音平に乗り付けてしまった。
昼飯にはいつもの「高原野菜とカツの弁当」。展望台の下で甲斐駒を見ながら食べた。
いつもの通り格好いい姿だ。眺める山ではダントツだろう。登ってもなかなか。
今日は小屋までなのであせる必要も無く気分は楽だ。
雲海とは何かよくわからない地名だなあ。次の押手川のちょっと先で中休止。
若い夫婦らしき2人がラーメンを食べていたが、この頃の若い人達はファッションが
洗練されてるよなあ。それに比べてオジン、オバンは何か同じ様な格好で光るものが無い。
まあ俺などはもっとひどいけど。
道は急登や危険なトラバ-スも無くて、幕営者御用達といったところだ。
テント場は結構賑わっていて後からも続々と到着した。今日は中年の団体までいる。
しかし夜の冷え込みは半端でなかった。あちこちから寒い寒いというのが聞こえた。
湯たんぽをつくってみたがそれでも辛かった。
次男坊と寝た黒百合ヒュッテのテン場でも凍えたのを思い出した。

2.二日目
小屋から甲斐大泉
6:35-8:35権現岳-10:00三つ頭-10:45前三つ頭-昼食30分-13:10天女山-14:15

撤収に手間取ってブービーの出発。
のろし場まで結構辛い登りだが、まあいつものスロースローの歩きは仕様が無い。
のろし場に着いて仰天。とんでもない絶景が待っていた。
北が槍の先までクッキリと見えているではないか。随分昔に編笠で見た時は霞んだ南しか
見ていなかったのでこんな山岳風景が見えるとは思っていなかったのだ。
寒気で空気が締まっている秋だからなんだが昨夜の冷え込みのお陰と思えば震えながら寝た
甲斐もあったわけだ。
うーん、それにしても素晴らしい。ノンビリ歩いてこの絶景ならコストパフォーマンスは二重丸だ。
しらびそ小屋とここはのんびり、まったり歩きの秘密基地に登録しておこう。
ギボシへの登りは岩がちで歩きやすいが相変わらずスロー。後ろから若い5人組が来たので
先に行かせる。せかされると疲れが倍加する。
権現小屋のトイレは何か眺めのいい所だが危なっかしいところに建っていた。
ここらから見る赤岳や阿弥陀は月並みな言葉だが素晴らしいの一言だ。
権現岳にはヘッピリ腰のオバン2人が岩にビビッテもたもたしていた。ここからの下りも長かった。
三つ頭からの権現は鋭くてキリッとしている。前三つ頭あたりまでは稜線の道なのでまあまあだが、
樹林帯に入ると暗いし単調さにウンザリ。途中から熊笹とシラビソの中を1時間近く歩かされて
まいってしまった。
天女山からは車道を歩いて甲斐大泉に着き、パノラマの湯で汗を流した。
小淵沢から「ホリデイビューやまなし」で帰ったが快速かつ始発で使い勝手が良い。
おまけに大好物のあの弁当もゲットできるし貧乏山屋には最高。
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巻機山 1997年9月

2010年05月29日 | 関東周辺
記録が何も残っていない1997年の山。
秋山で登ったが山はあまり憶えてないが小屋で
同宿した連中が面白かった。

1997年9月27日-28日(1泊2日、避難小屋)(単独)

桜坂の駐車場に車を停めて井戸尾根を歩いた。
入り口に米子沢は入渓禁止の看板があった。良さそうな沢だが一箇所ちょっと
難しい滝があるらしい。
展望はすこぶるいい。左手に天狗岩、右手には米子沢が見えている。
ズミ、ナナカマドの実が赤く熟れていて、持ち帰って焼酎に漬けてみた。
5-6年経ったのを見たら結構いい色になっていた。
歩きの面白さはこの井戸尾根よりはヌクビ沢か割引沢の方が良さそうだ。
この時寝た小屋は古い平屋の建物でトイレは別棟だった。2-3年前に建て替えられた
新築の小屋にもう一度寝てみたいのだが、やるとしたら六日町から五十沢渓谷で
登ってみたい。ちょっと長いのが難点だがいざとなったら野宿できる水場が
途中に二箇所ある。秋の紅葉時は素晴らしいらしい。
巻機山の頂上は湿っぽくてピークのはっきりしない、まああまり締まらない代物だった。
案外とこんなのが多い。槍なんかは特別だ。
さてこのときの同宿は星の観察の若者、30代の山慣れした男、関西からの中年オヤジ
の3人だった。
若者と30代の2人とも越後三山駈けをやったらしくて、どんなもんなんだと聞いたら
2人とも二度と嫌だと言った。
とにかくアップダウンが半端でないらしい。
しかしその後、南会津の三つ岩岳で一緒になった中年女性は大好きで二度もやったとか
言っていた。まあ二度と嫌というのが普通の感想らしい。
この30男は山男ならクソは自由自在にできなければ一人前じゃないとほざいた。
しかしまあそうできれば非常に便利というか、時間の節約にはなる。
人間生理現象は似通っているので小屋の朝が大混雑には皆閉口だろう。
前夜か夜中に済ましておけばすんなりと出発できるわけだ。
山の二日前くらいからやっていればすんなりできるだろう。
この男は普通の米を持参してコッヘルの蓋に重しを乗せて上手に炊いていたし、小屋を
臭いで充満させたがキムチを振舞ってくれたりした。
デカザックを担ぎ、北アルプスの五色ケ原で1週間くらいのんびり遊んでみたいと言っていた。
紅葉の記憶が全く無いので多分あまり良くなかったのだろう。
翌朝4人でにわかパーティーを組んで井戸尾根を降りた。
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今年の夏山は大変です

2010年05月28日 | 山計画
山渓の今年の夏山特集が出たがもう愕然。

大雪、北岳、赤岳、朝日連峰他まあいい山ばかり載せてやがる。
これじゃあ今年の夏はいい山に行けないじゃないかといっても、
大雪に海の日の連休に行く予定で旭川往復で航空券を買ってしまった。
まあ、富良野岳に変更する手もあるが、目的は裾合平なので日帰りもできる。
白雲の小屋はメチャ混みは確実なので避けねばなるまい。

まったく迷惑な話だぜ。

おまけに編笠から権現まで載せているのにはまいった。
テント場が混むじゃないかよ。まあ、あのビバーグという手もあるが。
早速計画を練らねば。
中央アルプス、飯豊が穴場かも、といっても普通でも海の日は一年で一番混むからなあ。

テントでのんびりしたいなら八ヶ岳中部のしらびそ小屋での幕営がオススメ。
それも連泊しなければダメですよ。
小屋にある本に面白いのがあった。
探していたがなかなか見つけられなかった「山岳サルベージ繁盛記」という本。
谷川岳での遭難者の遺体収容の話なのだが、こんなところにあるとは思わずビックリ。

一日は中山峠に上がり、東と西の天狗をやってから白砂新道から本沢温泉へ降りた。
あの有名な露天風呂はやめて、内風呂にしたが結構いいお湯だった。
この本沢温泉のテント場もいいんだが混むのがいやだった。
しらびそ小屋は海の日でも5張りくらいで静かだった。

あとは裏岩手の縦走とか秋田駒ケ岳の避難小屋泊まりとかいいと思う。
探せば静かでいい山は結構ある。
まあ本当にいいところは誰にも言わないのが当たり前だが、
このブログで書いちまったからなあ。

短いが夏の北海道で遊べるから多少の混雑は我慢するけど。
あとは近場の山を夕方から登って、テントで寝て朝一番で下山とか。
越後三山やら荒沢岳から兎岳とか面白そうだが暑さが半端じゃなさそう。
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栗駒山の紅葉 2005年10月

2010年05月26日 | 東北
あの大地震で酷いことになった栗駒山の紅葉の記録。
下手をすると地震とドンピシャだった可能性もあったわけだ。
4,5年に一度の紅葉とかでラッキーな山だった。

2005年10月8日-10日(2泊3日、避難小屋)(M氏同行)

山中2泊したのだが、初日と最終日は雨で中日だけが晴れた。
わざわざ遠征するのだからできれば1泊よりも2泊の方が良いに決まっている。
可能な限り複数泊にしてリスクを減らすべし。

2日目(散策)
7:30-8:40栗駒山-10:05虚空蔵山-15:00

朝一番はガスだったが幸いに晴れてきて7:30から歩き出した。
一旦昨日歩いた道を須川方面へ戻り、東栗駒へ向かうつもりが行き過ぎてしまい産沼まで
歩いてしまった。
着いた頂上はといえばマジで”人だらけ”だった。それこそ新宿とまでは行かなくても
ちょっとした地方都市の繁華街など真っ青の人の波で、紅葉どころではない。
2人してさっさと湯浜コースを虚空蔵方面へ逃げた。やっと静かになり、ゆっくりと
周りを見れば素晴らしい紅葉だぜ。涸沢と違って緑の海に紅、黄の島々が混在する東北の
紅葉その物なのだがボリュームがすごいのだ。うーん、東北一というのも本当かも。
その夜の小屋で同宿した仙台からの沢屋が4,5年に一度の良さと言っていた。
虚空蔵の十字路からの登りは草が被りあまり歩いていない。誰もいない頂上でノンビリとランチ。
ヘッドランプ忘れ、ガスの燃料切れと恥ずかしい失敗、おまけに霧で出発がおそくなったりで散策になってしまった。
帰りは御室経由で帰ったが結構辛かった。地獄の頂上と続々と登りが上がってくるいわかがみ平からの
東栗駒コースから避難小屋方面への道に入った途端に人がいなくなるんだから素晴らしい。
何だか手品でも見てるような劇的な変化が面白い。
一年に一度、紅葉の時期に大観光地に変身するというか、この時期だけしか登山の対象にならない
不遇の山なんだろうか。
朝の道に合流した時に確認したら沢から登るのだった。地図を見たら一目瞭然だったのに見落としていた。
宿の笊森避難小屋は新築の綺麗な小屋だ。2日目の夜は産女川を遡行してきた仙台の沢屋達や
東京の女性中心の山岳会の連中とかがいて賑やかだった。
翌日は隣りに陣取っていた水戸からの単独中年に一関まで乗せてもらった。
ただではあんまりなので2人でガソリン代2千円渡した。
一関から平泉まで足を延ばして、金色堂やら義経の遺跡などを見物してから帰った。
行きは夜行バス、帰りは新幹線だった。


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妙高から火打 2006年8月

2010年05月25日 | 北アルプス
なかなか良さそうな大谷ヒュッテ(避難小屋)とテントで妙高と火打をやった。
花には遅すぎだったが結構楽しめた。
最終日の朝のキジ撃ちの顛末は「山雑考②」参照。

2006年8月25日-27日(2泊3日、避難小屋とテント)(単独)

1.初日
赤倉スキー場から大谷ヒュッテまで
13:20-15:40

妙高までの長旅も当然ながら18キップ。家から7時間かかった。タクシーで乗りつけ、
ゴンドラで空中散歩としゃれ込んだ。
スキー場の横の案外と雰囲気のいいブナ林を登り、本格の登山道に入ると涸れ沢を横切って
根曲がり竹の繁茂する場所を抜ける。途中にコシアブラもあったがあまり採らないらしい。
他に旨い山菜が沢山あるからとか帰りのバスの運転手が言っていた。うらやましい。
コンクリートの道に出てしばらくで大谷ヒュッテだった。水場は2-3分のところで、
トイレもあり、最高の避難小屋だぜ。
車で乗り着けられるとはあの湯ノ沢避難小屋みたいに混むのじゃないか、との心配は全くの
杞憂だった。
同宿は火打までピストンして8時過ぎに帰ってきた変なオジン一人だけだった。
普通なら笹ヶ峰に抜けるんだがなあ。よくわからん。
しかしこんないい小屋を使う人間が少ないなんて最高。混んだ小屋はうるさくてかなわん。
オジンは1階、俺は2階をそれぞれ独占して別に話もせずにさっさと寝た。

2.二日目
妙高から高谷池テン場、火打ピストン
5:35-9:00妙高南峰-10:10長助分岐-11:15大倉乗越12:30
-12:50黒沢ヒュッテ-14:30高谷池15:00火打ピストン18:30

朝一番の天狗平まではわずか30分なのだが、シンドイ。燕温泉からの人が2人到着。
ここから3時間かかったが雰囲気の良い道だった。山頂手前で白馬方面を一望する岩場に出た。
皆、眺望を楽しんでから山頂を目指すが、そのあとも景色は付いて回る。
南峰から北峰に着いたら結構な人が群れていた。さっさと下りるが急下降が続く。
登る人が多いが急登なので向こうが待つのが多い。まあ自然な流れではある。
降りついた湿っぽい長助分岐から大倉乗越を目指す。
この道で結構疲れさせられるとは予想外だった。
トラバース気味でそんなに急な登りでもないのに何故か疲れる登りだった。
やっとこ登りついたところで食事にし、大休止とした。
黒沢ヒュッテから茶臼山を越える道ではウメバチソウが一番目立った。よそのよりも結構大型だ。
池の傍やら稜線やらといろんな環境の道を歩いたので、当然ながら花の種類は結構あったが
旬の物は少なかった。
テント設営してからピストンした火打への道にあったウサギギクはすでに盛りをとうに過ぎており、
何ともいいようがなかった。
火打の山頂からは登山禁止の焼山が何とも登高意欲をそそるが、ここからは遠いぞ。
その先には雨飾山だ。(今は焼山も登れるらしい)
帰りの道で天狗の庭で火打の眺めを楽しんだ。
帰り着いたテント場は結構混んでいてうるさくてウンザリ。
おまけにトイレに行ったら紙は持ち帰りだと!
翌朝のことを考えるとちょっと心配。笹ヶ峰までなら我慢できそうだがなあ。

翌日3時間近くかけて笹ヶ峰に下りたが途中の出来事は「山雑考②」の通りであまり思い出したくない。

この大谷ヒュッテは気に入ってこの年の秋山でも使って燕温泉で汗を流した。
ちょっと遠いのが玉に瑕なのだが、静か・トイレ・水場と3拍子揃った良い小屋だ。
初夏の根曲がり竹の頃にも行ってみたいんだがなあ。

花の記録

ウメバチソウ ミヤマカラマツ モミジカラマツ ツマトリソウ イワイチョウ カニコウモリ
アオノツガザクラ トモエシオガマ ハクサンコザクラ ヨツバシオガマ イワカガミ トウヤクリンドウ
ヤマハハコ ミヤマシシウド ワタスゲ ミヤマトリカブト ハクサンシャジン ミヤマリンドウ 
ウサギギク ミヤマキンポウゲ ミヤマアキノキリンソウ ミヤマコウゾリナ タカネニガナ
オタカラコウ マルバダケブキ イワオトギリ
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蓼科山と北八ケ岳 1999年11月

2010年05月24日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
11月末だったが双子池に幕営して、蓼科山と北八ツを歩いてみることにした。
ピラタスロープウェイを使い、挙句に特急で帰る贅沢な山だった。

1999年11月20日-21日(1泊2日、テント)(単独)

1.初日
ピラタス山頂駅から双子池
11:10-12:40北横岳13:15-15:20

2.二日目
双子池から蓼科山、山頂駅
6:30-7:20蓼科登山口-9:30蓼科山10:20-11:40大河原峠
-15:00雨池峠口-15:30雨池峠-15:50

北横岳からの眺めは南八ケ岳の硫黄から編笠までのデコボコが目立ち、その先に甲斐駒、
右に仙丈、左奥に北岳、間の岳が連なっている。
大きく右を見れば中央アルプスや北アルプスまで見えている。
北横から先は岩がゴロゴロした道で楽しい道だった。
岩に氷が付いているのがあり、足を乗せようものなら一発で大怪我だ。
途中でカモシカとにらめっこした。左前方に黒っぽい大型の動物がいてビックリ。
こいつは逃げないんだよなあ。しばらく見つめあった後どちらからともなく別れた。
双子池のテント場は池の傍でちょっと湿ってそうだったが雰囲気はいい。
夜中にパチッパチッという音がするので何だろうと思ったが、氷の張る音だった。
初めて聞いたが全く予想もしていなかったので驚いた。

蓼科山は途中から岩山となるがそれまでは樹林帯だ。
この樹林帯の道が単調で結構シンドイ。
岩なら適当に選んで歩けるから楽なんだが。
眺めは昨日の北横岳とほぼ同じグルリ360度の大展望だ。
しかし同じ様な景色を何度も見ればさすがに感動も薄れるわなあ。
降りは大河原峠めがけて下りてから双子山を越えてテント場に戻った。
撤収の後雨池方面への林道を歩いたが、岩がゴロゴロして殆ど道の態をなしていない。
山を壊しただけで何の意味も無い。
ただ金を出すためだけに環境破壊を平気でやる小役人の気が知れない。
こんな連中のせいで日本中の山が荒らされているのだ。
特に山梨はやたらと不要な林道が目立つよなあ。
雨池峠まで登り、山頂駅には最終の10分前で危なかった。
北八ヶ岳は針葉樹林帯、笹の原、池、苔、岩と南のアルペン的な光景とはうって変わった光景で
又違った魅力がある。
まあどっちかというとやっぱり南の方が歩いて楽しいけれど。
随分昔に山口耀久の「北八ッ彷徨」を会社の後輩からもらってあるのだがまだまともに読んでいない。
氏が歩いていた頃は今の何倍も雰囲気が良かったろうなあ。
さすがに11月は遅すぎだった。展望はいいが夜が寒すぎる。
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八ヶ岳南部縦走 1995年8月

2010年05月23日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
会社の同僚4人と渋の湯から入り、小淵沢へ抜けた。
山やり始めで結構ツルンで歩いている。
初めての八つで赤岳と阿弥陀が格好良かった。

1995年8月18日-20日(営業小屋泊り)(同僚4人同行)

1.初日
渋の湯からこまくさ荘(現:夏沢ヒュッテ)
11:00-17:00

2.二日目
こまくさ荘から赤岳を越えて青年小屋
6:15-7:15硫黄岳7:30-11:20赤岳12:00-13:30キレット小屋
-15:10権現分岐-16:10

3.三日目
青年小屋から編笠山を越えて小淵沢


初日は大した登りは無いが、いつものように歩き始めはペースがつかめずスロー。
道は大きな岩の上を歩くので結構楽しいのだが。
黒百合ヒュッテはなかなか風格のある小屋だ。中山峠からは結構登るが左右の眺望が開けて
楽しみができた。
東天狗から西天狗へはパスして先を急いだ。
根石岳付近にはコマクサが残っていたが、植えつけたのが増えたらしい。
樹林帯を少し歩いて夏沢峠に飛び出した。道は二つの小屋の間を抜けている。
今日の宿は右側の「こまくさ荘」だ。
左はやまねで有名な「やまびこ荘」。2軒隣り合っているとは驚いた。
小屋の客は我々の他は3組と超静かだ。小屋番によれば学校の集団登山が多いらしい。
涸沢ヒュッテで働いていた30前後の小屋番でキビキビしていた。

二日目は硫黄への登りがハイライト。それほど急ではないが朝一番なのが辛い。
しかし右手に北アルプスが見えているぞー。素晴らしい大展望だ。槍がはっきり見えている。
中央アルプス、木曽の御嶽、浅間山まで見えている。
この大展望に慰められてゆっくりと登る。
登りついたらだだっ広くてケルンがあちこちに立っている。東側は爆裂火口の跡で切れ落ちている。
本田勝一の友人が誤って滑落して死んだとか読んだことがある。
しかし赤岳から中岳、阿弥陀岳の姿はなかなかのもんだなあ。本当に絵になってるぜ。
横岳の岩場は結構難儀するとか書いていたが、なんと言うことも無いじゃないか。
しかし岩に慣れていないといやかもなあ。
頂上には小屋があって驚く。あんまりじゃないか。丹沢の塔の岳とは違うぜ。
こんな狭い所に小屋はないだろうに。なんで許可がおりたんだろうか。
眺めは富士と南アルプスが加わって又豪華になったぞ。
うーん、いつまでも見ていたい景色だがそうもいかない。
キレットめがけて岩くずの降りだ。ここは下手な奴から降りさせないと落石でえらいことになる。
やたらとヘリが飛んでいたが、あとで15日に滑落死亡事故があり、その遺体がこの日に発見され
その回収の為だったとわかった。
そういえばキレットからの道は結構崩れやすい岩のヘツリが多かった。
途中に垂直の長い鉄梯子まで出てきてウンザリかつビビル。
とにかく半端じゃない長さで下をみたら落ちたら一発即死。ビビルなあ。
おまけに支柱が外れているのまであるぞ。ちゃんと整備しといてほしいなあ。
なんとかやっつけて権現分岐までたどり着いた。何故か権現岳には行かずに、青年小屋に急いだ。
そうとうに疲れていたんだろう。普通は権現のピークは踏むよなあ。
青年小屋は相当に古い建物だったがゆったりと寝られた。
晩飯のアジフライが絶品だった。夜は小屋主の竹内氏と一緒に酒を飲んだり歌ったりして楽しんだ。

最終日の編笠山は甲斐駒、北岳、鳳凰三山が正面で距離が近くて迫力があるが少し霞んでいる。
この時は気づかなかったが北アルプスや中央アルプスも見えるらしい。
単調な降りを終えて長い林道を駅目指して歩いている途中で、頂上で一緒になったオジサン
グループが乗せてくれた。

近くて案外といい山だった。小屋の多いのには驚いたが。
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焼石岳 2002年 6月

2010年05月22日 | 東北
会社の同僚2人と2泊3日で遊んだ。
銀名水避難小屋に連泊して花を楽しんだ。
ハクサンイチゲはちょっと遅くて瑞々しさが無かった。
花のタイミングは難しい。

2002年6月28日-30日(2泊3日、避難小屋)(Ka氏、M氏同行)

中沼登山口までタクシーで乗りつけた。こんな時は仲間に感謝。一人だととんでもない。
尿前沢まで歩き、食事して戻った。ここから金名水避難小屋への道があるらしい。
ヒオウギアヤメが結構咲いていた。中沼は余り花が目立たないぱっとしない沼だ。
沼を廻り込んでなんだか水っぽい道を緩やかに登る。
ツブ沼コースの合流点で右に直角に曲がるが、黄色のリュウキンカがやたら目立つ。
大柄で結構綺麗な色をした花で、案外と好きだ。
銀名水避難小屋は新築で快適な小屋だった。Ka氏が有名人が来てるぜと言うので誰かと思ったら
あの石井光造氏だったが、この人はとんでもないチェーンスモーカーだった。
この当時はタバコのみだったが、さすがに呆れてしまったのを思い出す。

二日目はノンビリと散策だ。連泊の最大のメリットだが不思議とあまりやらないのはやっぱり時間を
惜しむ気持ちが強いからだろう。
60過ぎたらこんなノンビリした優雅な山をやった方がいいなあ。
ハクサンイチゲの瑞々しさは無いがいろんな花があって楽しめる。
東焼石岳にはムシトリスミレの肉厚の黄色い花が多かった。
秋田側へ降りた焼石沼にはミヤマキンポウゲの群落があった。
横岳ではミヤマシオガマが目立った。
豪雪の山だけあって残雪が多い。小屋まで雪慣れた地元の人は直接降りているが、我々は
もと来た道を引き返した。
小屋手前はちょっとした雪原状態になっていて、慎重に降りた。
時間がたっぷりあって二人は携帯用の囲碁セットで遊んでいる。
小屋の前には派手なベニバナイチゴがある。くすんだ赤紫の花で背が高い。タカネバラ風だが
ちょっとあだっぽいかな。

つぶ沼コースで下山して水沢江刺へ戻った。あの蝦夷の英雄「アテルイ」の像が鎮座していた。
横暴な大和朝廷に反抗して殺されてしまったが、平和に暮らしているところによそ者が攻めてきたら
反発するのは当然だよな。
噂どおりの花の山だったが、単一種の大群落というのが無かったのが物足りなかった。
ハクサンイチゲやチングルマがそうだったんだろうが残念ながら時期を逸していた。

花の記録

ミズバショウ リュウキンカ ヒオウギアヤメ カラマツソウ シラネアオイ マイヅルソウ 
ミツガシワ ハクサンチドリ コバイケソウ サンカヨウ ショウジョウバカマ ミヤマキンポウゲ
ズダヤクシュ ベニバナイチゴ イワイチョウ ヒナザクラ キスミレ ハクサンイチゲ チングルマ
ミヤマダイコンソウ イワカガミ ホソバイワベンケイ ヨツバシオガマ シナノキンバイ
サラサドウダン ヤマツツジ オオカメノキ タムシバ ミツバツツジ ウラジロヨウラク
ミネザクラ
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雨飾山 1999年 10月

2010年05月21日 | 北アルプス

お馴染みのY氏と知り合った雨飾山の記録。
手帳の記録は味も素っ気も無いので可能な限り思い出してみる。
これ以来ずっと付き合っているのだから山の出会いとは面白い。
今は季節列車となってしまった夜行急行とタクシーで入山した。

1999年10月22日(夜行日帰り)(単独)
7:00-8:30荒菅沢8:50-10:00稜線-10:30山頂11:45-12:30昼食13:00-14:30

木曜の夜行に乗っている。普通は金曜日の夜だろうに、さすが遊び人の面目躍如。
しかしそのお陰でY氏と知り合ったんだからスゴイといえばすごい縁ではある。
まあ多分良く寝てないままに歩き出したのだろうが、うまいことタクシーに4人相乗りできたのは幸運だった。
入り口の休憩舎で充分寝られるのはちゃんとチェックしている。再訪する際の参考にするつもりだったらしい。
道は沢沿いをちょっと歩き枝尾根を乗り越して荒菅沢に下り、
稜線を目指したと思う。沢の中に沢グルミやら柳の大木があった。
この枝尾根の登りでほぼ同じペースで歩く単独行の男性にどこから、何で来たのかと聞くと
八王子、車との返事。こりゃ好都合と、早速帰りの同乗を打診すると快諾してくれた。
道々山の話をしたのだろうが情けないことに全く思い出せない。ダメな脳細胞なり。
荒菅沢からは布団菱が格好良かった。それと雪が削り取った長い溝があちこちにあって変わった景色だった。
稜線への途中でやたら渋滞しているところがあったが、たどり着いてみると2Mも無さそうなちょっとした岩場だったので呆れた。
さすが百名山だけのことはある。笹平も人の波だ。金曜日でこの数なんだから明日はとんでもないだろう。
紅葉は全体にくすんだ色でイマイチだったが、ちと遅かったらしい。
南峰で2人の記念写真をとってもらうが、初対面なのに違和感も無かったらしい。
2人して白馬から槍までの絶景をスケッチしたり、のんびりして下山した。そのスケッチを
見ると、唐松岳の右の不帰キレットの上に剣岳、左にどっしりした五竜岳、双子峰の鹿島槍、爺ケ岳、その先に槍が見えている。中腹を雲海が洗っている。なかなかの眺望だ。
降り着いて無料の共同浴場で汗を流して帰ったのだった。

この翌年に大雪に2人して出かけたのは以前書いたとおりだ。皆さん山の出会いは大事にしましょう。

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屏風道から八海山 2008年10月

2010年05月20日 | 関東周辺

体力があれば越後三山縦走といきたいがとても無理。とりあえず八海山を単独でやることにした。
前夜に六日町の駅前旅館で寝たが貧乏山屋向けのいい宿だった。
稜線までの道はどうって事無かったが、さすがに八峰の岩稜歩きはスリルあり過ぎ。

2008年10月18日-19日(1泊2日、避難小屋)(単独)

1.一日目
山口から八海山、女人堂
8:30-9:40最初の鎖場-11:00一本松11:20-13:00千本檜小屋13:40-15:00大日岳-16:15

2.二日目
女人堂から大崎登山口
5:30-1時間大休止-8:20霊泉小屋-9:00

前夜に18:00池袋発のバスに乗り、六日町の駅前の大和屋旅館で寝た。
朝飯付きで4,740円と安く、食事も質量ともに大満足。かつ下山後には無料で風呂に入れてくれた。
六日町ICから歩いている途中に迎えに来てくれたから、最初から頼めばよかったのだ。
遠慮したのが貧乏山屋らしくなかったと反省。
バスで山口まで入り、しばらくは車道歩きだ。八海山がでかい。登山口の駐車場は満杯状態。
さすがに皆紅葉のいい時を良く知っている。ネットなどでリアルな情報がゲットできるからなあ。
その紅葉は期待通りの色をしている。全山黄色とまではいかないが七合目位から上は真っ盛りだった。
道自体は岩がしっかりしており、鎖は殆ど使わなくても平気だった。降りに使うのは止したほうがよいが、
登りに使うのはそう危険ではなかろう。
七合目の先のトラバ-スが短いが一番の難所だった。そのあとは涸れ沢を登り、稜線に出たらすぐに千本檜小屋だった。
人の数が半端じゃないぞ。関西弁のオバンもいるぞ。団体できているらしい。
ごった返すなかでラーメンで腹ごしらえして岩稜歩きに備える。さすがに泊りはあまりいないみたいだ。
八峰の歩きは足を踏み外せば助かるわけは無いのだから余りお勧めはしない。
前にも書いたことがあるが危険をわざわざ買うことは無い。そういう意味ではやる必要もなかったなあと反省。
帰りは巻き道を使ったがトラバースなのだから危険は同様。結構気を使って歩いた。
女人堂は独占かと思いきや、中年の女性が一人で入ってきた。彼女は2階、俺は1階に陣取った。
ウッディーでなかなかいい小屋だった。翌朝小屋を出て10分位のところで小さな池を見下ろす絶好の場所に出た。
朝日がこの池に降りてくるまで待ったが、なかなか到達せず諦めて歩き出した。
紅葉の中、枯れ木の上に月が輝く面白い写真が撮れたりしたが、あの大休止でバスの時間が押してしまった。
何とか間に合わせようと急ピッチで歩いたがコースタイムを短縮できず、途中で諦めた。
ゴンドラは稼ぐ標高差が800M程度しかないので効率が悪い。まあ三山駈けするなら登りに使うが。
もうこの体力ではとても無理でやる気はまったく起きないが。10年位前にやっておけばよかったなあ。
大崎への道は静かで行き会ったのは霊泉小屋での5人グループの1組だけだった。
降り着いた里宮ではなにか祭りの準備中だった。歩いている途中で山口はどっちかと聞かれたので便乗して道案内して戻り、バスで六日町に出た。新潟からの紅葉見物のオジサンだったが互いにラッキー。

越後駒と中の岳、荒沢岳を2回でやるか、荒沢から1回で周遊するか。どちらにしろ早く歩いてみたい。
早く枝折峠のバスが土曜日に出るようにしてもらわないとやり辛くて仕様が無い。
毎日出る真夏は熱中症必至なので7月初めとか秋口にやりたいのだ。

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月山から肘折温泉 2005年7月

2010年05月19日 | 東北

夜行バスで鶴岡まで、それからバスで八合目に入った。
頂上まではとんでもない人の群れだったが、肘折への道になった途端誰もいなくなった。
池塘とその廻りのニッコウキスゲなどの花々が連続する最高の道のあとは小屋まで一人の嬉しいコースだった。
肘折温泉は鄙びたいい温泉だったが、屋久島の尾之間温泉には完敗。

2005年7月23日-24日(1泊2日、避難小屋)(単独)

1.一日目
八合目から念仏ガ原避難小屋まで
9:00-11:30山頂-1時間食事-16:00

2.二日目
念仏ガ原避難小屋から肘折温泉まで
7:00-8:05小岳-9:10赤沢川9:30-10:40ネコマタ沢-11:50登山口-13:00

八合目からの道は石畳の、変に整備された歩きやすい道だったが、人の多さにウンザリ。
白装束の新興宗教の連中やら職場の集まりやら家族連れやら、めったやたらな人の数だ。
さすがに信仰登山のメッカかつ百名山だけはある。あの芭蕉も登ってるらしい。
弥陀ヶ原で写真でもと、デジカメを取り出して愕然。なんとSDカードが入っていない!!
なんてこったい。あーあとため息が出たがどうにもならない。瞼に焼き付けよう。
オジンのやりそうな失敗ではあるな。反省。
さて頂上も当然だが人の波にてさっさと肘折への道に逃げる。とたんに誰もいなくなる。
こんなに激変する道も珍しい。本当に人っ子一人いないぞ。
結局小屋まで誰とも行き交わなかったのだから超静かな百名山。
賽の河原下で昼食のいつものラーメン。水は雪解け水の沢。
月山がズドーンと目の前に広がっている。頂上や稜線の喧騒とは別世界の一人だけの空間だ。
なんでこんないいルートを歩かないのかなあ。終点には渋い温泉が待ってるんだぜ。
うーん、まったく理解不能ですわ。
歩く道にやたら竹や草の切られたのが落ちているというか、なんか刈り払ったばかりみたいだ。
下手に足を置くと滑ってしまうから要注意だ。
降り着いた沢には真新しい橋が架かっていた。あの折れた橋の換りらしい。
この沢でイワナ釣りの連中が遊ぶらしいが、今夜運が良ければご相伴にあずかれるかも。
ちょっとシンドイ登りをこなして念仏ガ原に飛び出した。
木道を辿ると水場が出てきて一人が汲んでいる。今日と明日の分を汲んで小屋へ急ぐ。
写真どおりの立派な小屋で6人程の団体さんがいる。聞くと地元の人達で刈り払いに来ているらしい。
ラッキーかつ感謝だが、大変だよなあ。
飯豊の梶川尾根でも行き会ったが、こんな人達のお陰で楽に歩けているわけだ。
2階に陣取ったが残念ながら釣り師は現れなかった。

翌朝はまた夜行で帰ることだしノンビリと動き出した。
7時に出発となったが、朝の儀式で使った外トイレは大いに問題だった。
行ってみて自分で確かめてみてくだされ。
小岳まで登り、2度の渡渉で長いトラバ-スになって、登山口だった。
この道はいかにも熊さんのテリトリ-っぽくて、鈴は必携でしょう。鈴嫌悪症だがこんな環境では無条件で許す。
今朝は昨日と違って登りの2人とすれ違った。
降り着いたダートの道が右にわずかに下っていて思わずそちらへ5分ほど歩いてしまった。
しかし何か変でよく確かめると左に歩くんだった。
降り着いた肘折温泉はこじんまりした渋い温泉だった。
共同風呂は200円で、湯船の上になんか仏像みたいな物があったようだった。
お湯はまあ良かったが、あの屋久島の尾之間温泉の素晴らしさには遠く及ばない。
名物の「板蕎麦」を食べてみたが、普通の蕎麦が餅つきの時に使う木箱状の物に入っているだけ。
新庄から夜行バスで帰り、休みもせずに出社するというハードスケジュールだった。
賑やかな山でもちょっとルートを外れると、超静かな歩きが満喫できるという好例の山だった。

花の記録

キンコウカ イワイチョウ ハクサンイチゲ ヨツバシオガマ ウサギギク チングルマ 
オタカラコウ ミヤマコウゾリナ ニッコウキスゲ ツマトリソウ ミツバオーレン
ハクサンチドリ ハクサンシャクナゲ トウゴクミツバツツジ ウラジロヨウラク コメツツジ
ミヤマホツツジ トキソウ サワラン ショウキラン コバギボウシ ワタスゲ ミヤマリンドウ
ミヤマキンポウゲ ミズバショウ リュウキンカ ハクサンフウロ ショウジョウバカマ
ゴゼンタチバナ マイヅルソウ ミヤマカラマツ ミヤマシオガマ ハクサンシャジン
ギンリョウソウ ウラジロナナカマド

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野宿で三の沢岳 2007年8月

2010年05月18日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
縦走とは違ったミニ山行だったが、これで中央アルプス最後の記録なので一応書いておく。
縦走路から三の沢岳を見て、登りたいと思わない山屋がいたらそいつはモグリだろう。
それほど魅力のある立派な立ち姿の山だ。
分岐からわずかに降ったコルで野宿してピストンした。

2007年8月12日-13日(1泊2日、野宿)(単独)

メチャ混みのロープウェイだったが午後だったので何とか1時間程度の待ちですんだ。
旧盆前日なんだから当然だったが、午前中なら2-3時間待ちもザラというんだから恐ろしい。
旧盆と紅葉の時が地獄らしいのでご注意を。
4時頃から歩き出して5時半頃に丁度よい岩陰の平地の道があったのでグランドシートを広げた。
風も吹き抜けないので格好の野営地だ。
ロープウェイ駅で用は足してきたのでご心配なく。いくらなんでもこんな所で大キジは撃てない。

朝5時に歩き出して7時に山頂に着くスローペース。1時間ノンビリと食事して引き返した。
結構登る人がいて、数えてみたら17人もいたのにビックリ。
まあしかし稜線上の人の群れから見ればまだまだ静かな山だ。
花の山とかいわれているが殆ど目立つものが無いじゃないか。
道を付け替えたのじゃなかろうか。
道が稜線上にあるのだから花のある環境じゃないんだよなあ。
道は小さなアップダウンが多くて案外と時間がかかる。
しかし本当に姿のいい山だった。

あと一回歩くとすれば7月中旬から下旬にロープウェイから空木、池山尾根を駒ヶ根に下山。
稜線のコマウスユキソウ、チョウノスケソウと対面してみたい。

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千畳敷から空木岳、南駒ケ岳、越百山縦走 2007年10月

2010年05月17日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
秋山にロープウェイを使って避難小屋2泊で千畳敷から空木岳、南駒ケ岳、越百山まで縦走した。
空木岳から木曽駒ケ岳まで縦走した時に絶対やろうと誓った南駒ケ岳をやっとやった。
紅葉はちょっと遅かったが天気が良くて気持ちよく歩けた。

2007年10月12日-14日(2泊3日、避難小屋)(単独)

1.初日
千畳敷から檜尾避難小屋
12:20-13:05極楽平13:15-17:00

2.二日目
檜尾避難小屋から空木岳を踏んで摺鉢窪避難小屋
5:50-8:00熊沢岳-10:10木曽殿越11:15-13:20空木岳-15:50

3.三日目
摺鉢窪避難小屋から南駒ケ岳、越百山
5:30-6:05分岐-6:55南駒ケ岳-食事-10:45越百山-11:15小屋-15:00

初日の千畳敷からの登りで苦労する体たらくで先が思いやられた。
紅葉はちょっと遅かったみたいで色がくすんでいる。
こればっかりはどうにもならない。

天気と休みのタイミングがぴったりでないとジャストの紅葉見物はできぬ。
稜線に出たら大した登りは無いと思っていたら、濁沢大峰と檜尾岳の登りが手強かった。
といっても普通なら大したことはなかろう。
当方の体調がイマイチだっただけ。
さてこの途中で蹴つまづき大怪我するとこだった。危ない危ない!
あやうく顔面真っ赤になるところだった。

小屋に着いたら結構な数の先客がいた。
一番奥にマットを4-5枚も敷いている変なオヤジがいた。
翌朝の動きから考えると協力金泥棒だったと思う。
空木に行くと言っていたのに一人残ったし、双眼鏡で見てもそれらしき人物が歩いてこない。
多分連泊して皆が出払った後でゆっくり金を盗んでいたに違いない。
頭のいい奴がいたもんだ。自治体もよく考えないとダメだ。

2日目は恐怖の空木の登りが手ぐすね引いて待っている。
ウンザリだがこれをやらないと南駒へ行けない。
東川岳まではノンビリとした稜線漫歩なんだがそれでも木曽殿越まで4時間はかかり過ぎ。

昼食に1時間使ったがもうちょっと休んだ方が良かったろう。いつもの失敗。
先行したグループが面白かった。
神戸からの中年と30前後の男2人と大阪の20代半ばの女性2人の混成。

昨夜からの流れだと女組の一人が昨日バテてしまい、
回復しないもんだから若い男がザックを背負ってやってるらしい。
うーん素晴らしい婚活ではないか!
上手く行っていたら今頃山好きなジュニアができてるかも。

こんな風に自然体での婚活ならいいよなあ。
独身の山男や山女の皆さん頑張ってね。
それにしても2人分のザックは重かったろうに、おまけに空木の登りだぜ!

当方もへとへと、よれよれで頂上にたどり着き、大展望を楽しむ余裕も無い。
あとは大したアップダウンも無いのに2時間半もかかってやっと摺鉢窪避難小屋。
先客は4パーティーのみと静かな夜だ。
お隣は南駒から空木の縦走だった。あとは越百から南駒の周遊みたい。

南駒への登りは予想通りに足が上がらず超スロー。
登りついて見た越百山のノッペリしているのにガックリ。
手前の仙涯嶺が険しく登山道がどこにあるのかわからない。

頂上には10分もいないで先を急いだ。
他の山からじゃないと南駒が見られない。

一旦コルに降りて登り返して岩の仙涯嶺。
越百からここまで来て引き返す人が案外いた。
南駒の岩だらけの稜線が素晴らしい。
空木よりもいいんでないかと本気で思った。

それにしても越百は何の魅力も無い山だなあ。
さっさと降りよう。

この下山途中で一緒に歩いた人に最寄の駅まで送ってもらったが2時間近くも待った。
JRのローカル切捨てもすごいもんだ。
何とか念願の山をやって満足だったが体力の低下にはガックリだった。









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中央アルプス縦走 1998年9月

2010年05月16日 | 八ヶ岳・中央アルプス他
千畳敷のロープウェイが工事で運休というので空木から木曽駒へ縦走することにした。
丁度T氏が駒ヶ根に車で行くとのことで便乗する事にしたのだ。
予想通り客が少なくて静かな営業小屋だった。
しかし歩く途中で水切れとなりとんでもないことになった。

1998年9月12日-14日(山中3泊4日、避難小屋と営業小屋泊)(単独)

1.初日
登山口から池山小屋まで
11:50-14:40

2.二日目
池山小屋から木曽殿山荘
5:10-6:30マセナギ-10:00分岐-10:40空木避難小屋11:40-
13:40空木岳-16:00

3.3日目
木曽殿山荘から木曽駒ケ岳-七合目避難小屋
6:00-10:20檜尾岳-16:00中岳-16:40駒ケ岳-18:10八合目-18:50

4.4日目
七合目避難小屋から駒の湯へ
6:10-10:20

バス停で待っていると登山者が一人いて?
どこに行くのかと聞いたらロープウェイというので今年は運休というと絶句。
折角なので空木から登ったらと言ったらそうするというので一緒に歩いた。
池山小屋は倒壊寸前の物凄い小屋だったが我慢して寝た。寝袋などは避難小屋2泊なので
用意していたが、これほどの荒れようは予想していなかった。
夜は星が趣味だという東京から来たK氏に星を教えてもらった。
アンドロメダ大星雲の見つけ方やらオリオンの大星雲、夏の大三角などを教えてもらった。
花に続いて楽しみがまた増えた。食事は予備があったので分けてやった。

翌日は我慢の登りだった。K氏が先行してほぼ単独状態で歩いたが、その方が気楽でいい。
コースは難所といわれている所もどうと言うことも無く、避難小屋に着いて昼食。
それからの登りは全く足が上がらずに2時間もかかってしまった。
食事した後は1時間程度ノンビリしたほうがいいのだがどうしても歩き出してしまうのだ。
登りついたら超展望が待っていた。
北アルプス、南アルプス、木曽の御嶽などと直前に堂々とした南駒ケ岳、これから向かう
宝剣、木曽駒の稜線と三の沢岳など豪華そのもの。
しばらく楽しんでから下山に入ったが、南駒はキリリとして格好がよく、絶対に登ろうと決めた。
木曽殿越へは巨岩の間を降りたが結構花が健気に咲いていて感心した。
山荘で先行していたK氏と再会したが、明日からは別行動だ。
水は0.5リッターが300円!と言うので当然汲みに出た。5分も歩けば着く近場なのに
なんで300円なんだ。
それでも買う奴がいるんだから驚くよなあ。
さすがにあの悪夢の涸沢小屋とは違ってフトンは一人一枚でホットする。

いよいよ核心部の縦走でワクワクするが、何だか荷が重く水を1.5リッターと抑えたのが
大失敗。あとでひどい目に会うことになろうとは。
稜線にはコマウスユキソウが残っていてくれた。小振りでポッチャリした可愛い花だ。
チョウノスケソウの大群落があったが、残念ながらとっくに終わっていた。途中でラーメンを
食ったのが間違いだった。500CC以上を使ってしまい、島田娘までで300CCくらいに
なってしまいチビリチビリとなめた。
宝剣の手前で末期の水よろしく一気飲みした。
宝剣自体はホールドがしっかりしており、問題なく通過。宝剣山荘で水を購入して思う存分
飲んだが後の祭り。干からびた身体にはすぐには水は浸み込まない。
木曽駒への登りは10歩歩いたら休むという体たらく。
8合目あたりは巨岩の道で楽しかったがペースは全然上がらず、七合目の小屋にやっとこさ
たどり着いた。後は下山だけとなり一安心したが最悪の水切れだった。
小屋は新築で薪とストーブがあり、なかなかいいではないか。
ところが数年後に火事で焼けてしまいまた再建したらしい。
同宿の名古屋の人に「島田娘」が雪形からとった山名だと教わった。

最終日は下山途中で物凄い雷雨となったが樹林帯のおかげで何とも無かった。
ウンザリさせられてばかりの樹林帯もすこしはいい目をみせてくれるらしい。
びしょぬれで着いた「駒ノ湯」の従業員が古新聞をくれたり、とても親切でただ感謝!
木曽福島で蕎麦を食べてから電車に乗った。

次はロ-プウエイを使い、避難小屋に2泊した越百山までの縦走の記録。




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