音楽の喜び フルートとともに

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砧物

2023-09-04 21:01:00 | 日本
日曜日の朝は実家でレッスン。


9月に入りましたが、一向に気温が下がりません。
母は出かけていました。お稽古です。

机の上にコンサートのチラシ置いてありました。

10月15日(日)10:00〜
箏曲宮城会近畿支部演奏会
大阪日本橋 国立文楽劇場
きぬた、虫の武蔵野、秋の初風、花紅葉などなど秋の曲が並んでいます。
まだまだ、秋の気配も無いですが…。

「きぬた」砧は1928年宮城道雄(1894ー1956年)34歳の時に作曲されました。
8歳で失明、生田流2代中島検校に入門し、11歳で免許皆伝。

仁川で家計を助けるために箏曲を教えます。
1913年喜多仲子の入り婿となり、宮城姓を名乗ります。

1926年32歳で帰国しますが、すぐに、妻が亡くなります。
その2年後「きぬた」を作りました。

砧とは、洗濯して生乾きの布を台にのせて、棒や槌で叩いて柔らかくしたり、シワを伸ばすための道具のことや、その作業のことを言います。

台の方を絹板キヌイタと呼んでいたものが「きぬた」になったと言われています。1900年代半ばまで砧を打つ音があちらこちらに聞こえていたそうです。

漢詩に詠まれてきましたが、百人一首にも

み吉野の 山の秋風小夜ふけて
ふるさと寒く 衣打つなり
         参議雅経

と、読まれました。

葛飾広為「月下砧打美人」

室町時代には世阿弥の能「砧」でそのイメージが広がり、音楽や詩に「砧物」というジャンルが確立していきます。

能「砧」

都に3年いる芦屋何某が侍女夕霧に、故郷九州にもう帰るので先に行って妻に知らせて来るようにと命じます。

帰国した夕霧は妻に会います。
妻は田舎暮らしの寂しさを訴え、「すぐ帰るという夫の言葉を頼りに待つ私の心は愚かだ。」と言います。

そこに砧の音が聞こえてきます。
中国の故事に因んで寂しい気持ちを砧に託して落ち着かせましょうと、夕霧が砧を打ち、それに合わせて妻が舞います。

舞い終わりに近づいて来た時に、夕霧が、新しく来た伝言を伝えます。
「この年の暮れにもお帰りにならない」と言うと、妻は「ああせめて年の暮れにはと、苦しい心をいつわって待っていたのに…。」と病にふせってやがて息絶えてしまいます。

芦屋何某は、知らせを聞いて故郷に帰ります。
しかし時すでに遅く、梓弓(古くから霊を呼び戻せる巫具と思われていました)を鳴らして死者の声を聞こうとします。

すると妻が亡霊となって表れ、「恨みは葛の葉の…。」と舞い始めます。
「夜寒の砧を打ったのにうつつにも夢にも思い出してくれたでしょうか」と恨みごとを言います。

夫が心から悔いて、合掌すると妄執が晴れ、「打ちし砧の声のうち、開くる法の華心、菩提の種となりにけり」と謡い、妻の霊は成仏して終幕となります。