音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

リラの花

2023-09-07 21:07:00 | 近代
レッスンのときに、「庭のお花とってきました!」と、頂きました。

野甘草(ノカンゾウ)

ジニア

ランタナ
可愛くてきれいで癒やされます。
ありがとうございます。


セルゲイ ラフマニノフ(1873-1943年)ロシア帝国ノブゴロド州セミュノヴォ生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズ没

が作曲した「12のロマンス」 OP 21の第5曲が「リラ(ライラック)の花」です。

1902年の4月末にラフマニノフのいとこナタリア アレクサンドロブナ サーティナ


と結婚します。旅行費用を得るために出版社のゲイトヘイル社と契約。

1902年4月初旬にラフマニノフは1人でイワノフカに出かけ、2週間で OP 21の作品をかきあげました。
第1曲のみは1900年作曲です。
1913年頃ピアノ曲に選曲しました。 

ラフマニノフは
「これらの曲は急いで書かれたもので、かなり未完成で美しくありません。しかし、これ以上いじる時間がないので、ほとんどこのままにしておく必要があります。7月1日までにこの汚い仕事を全てを終わらせて、何か新しいことに取り組めるといいですね。」
と友人のニキータ モロゾフに書き送っています。

そうは言ってもライラックをラフマニノフは汚い仕事とは感じていないようでした。同じ頃ライラック色の花の束を「幸運が生きる場所」とも表現しています。

この曲のおかげか、1908年頃から匿名のファンからライラックの花束を受け取り出します。世界のどこに出演していようと、全てのコンサートやリサイタルに届きました。

1918年フェルカルソー夫人が名乗ります。匿名で続けたかったようですが、ロシアの政治情勢に鑑み名乗り出ました。しかし、ラフマニノフが2度とロシアに戻らないことを告げると花束は途絶えました。

12のロマンス作品21
1運命ベートーベンの交響曲第5番に寄せて
2新しい墓の前で
3夕暮れ
4彼女たちは答えた
5リラの花
6ミュッセからの断章
7ここは素晴らしい
8まひわの死に寄せて
9メロディ
10イコンの前に
11われは予言者にあらず
12なんと苦しいのだろう

「リラの花」の詩は、
エカテリーナ べケートワ(1855-1892年)
が書きました。
モスクワ貴族の娘で植物学者アンドレイ ベケートフの娘。詩人で作家、翻訳家でした。医学的に強制された中絶手術の後、子癪のために亡くなりました。

リラの花
朝早く、
明け方に 露に濡れた草を踏み
私はすがすがしい朝の空気を
吸いに行く
かぐわしい木陰、
リラの花が咲き群れている木
陰の中に私は自分の幸福を探しに行く
一生のうちにただ一つの幸福に
めぐり合うのが私のさだめ
そしてその幸福は
リラの花の中に住んでいるのだ
緑の枝、かぐわしい房に、
私のささやかな幸福が花開いているのだ
(和訳:伊東一郎)

ピアノ編曲版でも。