音楽の喜び フルートとともに

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家庭の空気

2023-09-09 22:07:00 | ロマン派
昨日は母の健診。心臓の手術をして2年。元気ですが、血液をサラサラにするお薬や、血圧の薬など、毎月チョコチョコ頂いています。

そしてあれこれ年なりの失敗も。
9:30の血液検査に連れて行こうと思ったら、実家は8:30に出なくてはいけません。うちからは30分。8:00に出て母を乗せて、「マスクは?」「持ってる」と、さあ、出発。

5分ほど行くと「あ!忘れてた!」
保険証。
Uターン禁止区域を「そこで戻ってきて!」とか無茶言ってくれます。
車一切運転できないのに、娘だと思うと言いたくなるのかなぁ?

そりゃ、すごい運転得意では無いですが、交差点の真ん中で「あ!あっちの道がよかった!」とか言われたら安全確認の他にもう一つタスクが増えるので、危ないじゃないですか。
仕方なく逆らったら「なんで?そっち」と食い下がられ、今度は、説明しながら…。

まあ、取りに帰ってなんとか検査に間に合いました。

京都医療センターは緑が多くて素敵です。
整備された駐車場が満車だと、こんなところに停めることになります。
遠いとまた「なんで?」と言われるので、「今日は、満車でそこしか無かった。」と、布石を打っている私。




数値はよく。
病院の食堂でかき揚げ冷うどん頂いて帰りました。
帰りもイオンに寄って、銀行寄って、薬局でお薬買って…。
イオン銀行の使い方がわからないみたい。マイナポイントのために作ったけれど、松井山手でつかえるのは、ヤマヤだけ。口座にお金を入れられないので1回は自力で振り込んだらしいけれど、今月もまた。
気になるけど今日は、時間切れ。
家でレッスンだからまた今度。
ふーっ…。忍耐、忍耐。

リヒャルト・シュトラウス(1864-1949年)バイエルン王国ミュンヘン生まれ、ドイツ連邦共和国バイエルン州ガルミッシュ バルテン キュルヘン没

ミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者であったフランツ シュトラウス


の子どもとして生まれました。

シュトラウスは幼い時から父親によって徹底して保守的な音楽教育を受け、早い時期から作曲を始めました。
ミュンヘン大学に入学し、フランツ フォン ビューローの補助指揮者の地位を経て、ビューローが辞任するとその後を継ぎました。
その頃までの作品は父親の教育に忠実で保守的なものでした。

新しい音楽に興味を持ったのは、ワーグナーの姪と結婚したアレクサンダー リッターと出会った時です。それ以来、革新的な傾向になりました
「多くの仲間から狂人扱いされていない芸術家など誰もいなかったことを十分に意識すれば、私は今や自分がたどり着きたいと思う道を進みつつあると知って満足しています。」と書いています。

「テイル オイゲン シュピーゲル」や「ツァラトゥストラはかく語るき」なので成功し、1894年「タンホイザー」をバイロイト音楽祭で指揮します。

その時、エリザベートを歌っていたソプラノ歌手のパウリーネ デ アーナ
1900年パウリーネ
と恋におち結婚しました。
シュトラウスは恐妻家として有名です。

マーラーが彼らの家を訪問した時、パウリーネについて
「ありとあらゆるつまらぬ話を豪雨のように浴びせかけ、私に質問の矢を話し、疲れ果てて眠っているシュトラウスの部屋へ私を両手で掴んで有無を言わせず引っ張っていき、かな切り声で『起きてちょうだい!グスタフが来たのよ。』と言い、リヒャルトは受難者めいた顔つきで苦笑しながら起きると、パウリーネに土曜日の昼食を一緒にすることを約束させられました。」
と書いています。

家庭生活に着想を得た作品として歌劇「インテルメッツォ」と「影のない女」の詰め物師の妻もバウリーネがモデル、そして「家庭交響曲」があります。

1910年頃リヒャルト、妻パウリーネ 長男フランツ
「家庭交響曲」op53は1902年から1903年にかけて作曲されました。
初演は、1904年カーネギーホールで作曲者自身の指揮でニューヨーク交響楽団により行われました。

第1部  家庭の主人の主題が提示されます。発想記号に「ゆっくりとのんびりと」や「夢みるように」と書かれていて、この人物の性格を描写しています。

その後、妻の主題が「極めて活発に」という発想を記号で提示されます。子ども、そして叔父叔母が登場します。

第2部 子どもが遊び、母親の子守歌に眠る様子が描かれます。

第3部 子どもが寝る中、仕事をする夫と妻の気遣いの様子が描写されます。そして、愛の交歓も。

第4部 子どもが起き、両親は子どもの教育方針をめぐって喧嘩を始めます。
子どもが泣くほどに激しいものとなりますが、やがて落ち着き、2人は歌を歌います。そして高揚しクライマックスに入ります。その後、賑やかな家庭生活が描かれて幕を閉じます。

こどもの前で喧嘩をするというのは、今ではこども虐待になりますが…。

「家庭交響曲余録 」OP 73は左手のためのピアノ協奏曲として作曲されました。「家庭生活へのパレルボン」などの翻訳も用いられます。
パレルボンは付属作品、副産物を指します。
腸チフスにより重体に陥った息子フランツを巡る体験がテーマになっています。この曲は「家庭交響曲」の子どもの主題が引用されています。
1924年から1925年にかけて作曲され、1925年ドレスデン交響楽団により初演されました。

シュトラウス自身は「とても複雑で、とても女性的で、少しひねくれていて、少しコケティッシュで、決して自分らしくなくて、毎分、一瞬前の彼女とは違う」と言っています。

結婚生活は幸せで、彼女は「フォー・ラスト・ソングス」までの作品において夫にとって大きなインスピレーションの源となりました。