音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

フルートオーケストラと、ピアノとのデュオ

2010-12-17 20:44:03 | レクチャー、マスタークラス

昨夜は、大阪音大のフルートオーケストラの定演に行ってきました。
フルートオーケストラとは、フルート属ばっかりのオーケストラですが、フルートのほかに、ピッコロ、アルトフルート、Cバスフルート、Fバスフルート、コントラバスフルートと言う楽器があります。

モーツアルトのフィガロの結婚序曲、フルート協奏曲Gdur1楽章、大勢いるのに、細かい動きをよく合わせていました。
4回生のアンサンブル「くるみ割り人形組曲」の、アラビアの踊りが一番このオーケストラに合っている感じで、よかったです。編曲もいいのかも。
この組曲全体を通して、低音楽器群とパーカッションをうまく使いこなしているように思えました。

シュトラウスの13の管楽器のためのセレナードは、ゆったりしたロングトーンが美しかった。
ブラームスのハイドンの主題による変奏曲は、短い変奏曲それぞれに個性があっておもしろく聞けました。

アンコールのモーツアルトの「アヴェ ベルム コルプス」はしっとりと美しいでした。

フルートオーケストラは、普通に演奏すれば、弦楽器のような音の立ち上がりが、得られません。
弦は、フルートから見れば、立ち上がりが早く、かなりアクセントの効く楽器だと言うことがわかります。
バスやアルトフルートの低音楽器は、楽器が太く長くなる分、もっと立ち上がりが悪い。
しかし、マイルドな音色と、スケールや半音階のまろやかな連携と、輝かしい高音、大音量ではないけれど深みのある低音、ハモった時の美しさは、フルートの持つ大きな特徴です。これを生かした選曲が大切なんだなと思いました。

今朝は、Sさんと合わせ。
「シバの女王の入場」のニュアンスや、フォルムを合わせます。
どんなに早くなっても、16分音符四つの拍頭のテヌートを抜かないように、同じ形での動きが多いので、大変です。
「歌の翼幻想曲」の8分の6での刻みが、機械的に流れないようにお願いしました。
6拍あれば、1拍目が旋律だとすると、後の2拍は次の音をどう導き出すかというアウフタクトのような働きをします。4拍目をどう演奏したいか?と言うことに密接に関わってきます。
楽譜に書かれているテンポやリズム以上の、音楽の流れを感じなければなりません。次の小節の一拍目を演奏する前に、もうそこで、決まってしまっている時もあります。伴奏の役割は本当におおきいものです。

どう演奏するか?をSさんと話し合っていると、熱くなって時間は、あっという間に過ぎてしまいます。次が楽しみです。



古本屋巡り

2010-12-16 23:23:42 | Weblog

今日の収穫。
山下和美 「不思議な少年8」「天才柳沢教授の生活27.28.29」講談社
今市子 「百鬼夜行抄14.17.18」ソノラマコミックス 「砂の上の楽園」朝日ソノラマ
ロナルド・カヴァイエ/西山志風 「日本人の音楽教育」新潮新書

子育て仲間のMさん、Gさんとスケジュールを合わせて、古本屋巡り。
一年に何回か、古本屋をめぐるのですが、どうしても日が合わない。前回は涙を飲んで、今年は2回だけ。ちょっと無理無理。レッスンの日をずらしてもらった。ごめんなさい。

朝10時にBook off東大阪店着を皮切りに、門真教習所前、古川橋、鳥飼店を回って時間切れ。2時に帰らないと、みんな次のスケジュールが詰まっています。

漫画はあまり買わないようにしています。キリがないから。
しかし、上の2人と二宮知子さんの作品は、揃えています。
柳沢教授の最新巻29巻があったのは僥倖。でも24巻だけが、飛んでいます。どんなにさがしてもありません。2年位探しています。残念。今回も発見できず。

ハードカヴァーは、マイケル・サンデルの「これからの「正義」について話をしよう いまを生き延びるための哲学」早川書房 を探しましたが、見つけられませんでした。
図書館で頼んでも、数ヶ月待ち。やっぱり現在ホットなものは無理か。
あきらめてついに普通の書店の新刊で買ってしまいました。

私は、ひかえているので、これくらいですが、Gさんはレジ袋の大に、4袋。Mさんはそれ以上、1人でも頻回にインデックス付きのノート片手に、回っているツワモノです。

このMさんがいつも車と、順路つきシュミレーション済みの地図を用意してくれています。「ナビお願いね。」と車を運転する私が助手席に座るのですが、このナビが頼りなくて、毎回一回に付き一度は間違ってしまいます。今日もやっぱり!?

本当は頭の中でシュミレーション済みのMさんの、情報に任せた方が正解なんじゃないんだろうか?

でも、ついつい、「お願いね。」と言われると、大きな顔して座ってしまいます。
まあ、3人で、掘り出し物があるんじゃないかとわくわくしながら、わいわいしゃべっていくのが、楽しいからいいとするか。

本はこれで、しばらくもちます。




ボーンズ フォー ライフ

2010-12-15 21:58:56 | レクチャー、マスタークラス

禅僧が座禅を組むのは、自分の感覚を取り戻すため。
自分の中に問いを出して、楽しんでいないと眠ってしまいます。
赤ちゃんの頃には、みんなしていたことです。

イスラム教では、食事をする時も、沈黙して食べます。
自分の感覚に意識を集中できます。砂漠の民は、厳しい環境におかれていて、病めば、即、死ぬと言う状況でした。自分の感覚を研ぎ澄ましておかなくてはなりません。凄い知恵だと思います。


花粉症で困っている話をしたら、
どうして薬を飲まないのか?
漢方主義、西洋医学主義、自然療法主義みんな大変です。
睡眠が不足しているとずっと言い続けている人がいます。眠れなくても時間までじっと身体を休めて、元気でいれば、それで良いのに、ずっとそう言いながら生きています。それならば、睡眠薬を飲めば良いのにしない。
病いを抱えて愚痴りながら、生きると言うことを選んでいるように思えます。

薬を飲めば、症状が出ない場合の自分の身体の機能がわかります。
一日飲んでやめてみても良いし、
そのことばかり、ずっと考えて生きるくらいなら、薬をのめばいいのに。
主義のある人は、違う見方をいれれば、自分がのっとられるとか、殺されるくらいに思っているかもしれない。
それが本当に命に繋がる場合はほんの少しで、大体は非科学的。
その時だけ、違う方法を取ってみたところで、 それになってしまうわけではない。

日常の生活におけるバランス、多様性ということだと思います。
今日も目からうろこ。
自分の中でグルグル回っているだけでは、気付けないことばかり。
これだから、おもしろい。


音楽であそぼう!in子育てサロン

2010-12-14 20:35:38 | 音楽で遊ぼう

今日はいつもの子育てサロンで、クリスマスコンサートをしました。

いつもフルート一本なので、いろいろ考えます。
「きよしこの夜」を少し変奏して、メロディベルで、拍頭にカーンと鳴らしてもらいます。スタッフ4人は、普段は手遊びや、読み聞かせなどして、活躍していますが、楽器の演奏は始めてという人もいます。今日は飛び込みで社会福祉協議会さんも来てたので、「ちょうどよかった!入って、入って」とベルを持たされ、

8分の6の1拍目、3拍目に叩いて、2回目の変奏部分は6拍叩いてもらうつもりで楽譜を作っていきましたが…。

一時間の準備時間に、楽器を小学校から運び込み、会議机と椅子を片付けて、ブロックマットを敷いて壁面を飾って。
それから練習。1回叩いてもらいましたが、ちょっと難しそう。練習しようにも残念、間に合わない。

結局、1回目の伴奏を2回くりかえしてもらうことにしました。

結果は、スタッフとのチームワークの良さのせいか、少々間違いはありましたが、子ども達もお母さん達もゆったりと聞いてくれました。

他には、ヘンデルの「シバの女王の入場」と「星に願いを」を無伴奏ソロで。
大勢いるのに、静かに聞いてくれました。子ども達はとってもわかりやすい。
シバの時はビックリして、星に願いをの時は身体を緩めて聞いてくれているのがわかります。


最後には、用意してきた鳴り物、タンバリンや、鈴、ウッドブロック、カホン、ギロ、太鼓、子ども達全員にいきわたるように、たくさんもってきた楽器で、合奏。
3歳児以下の子ども達。楽器を持ってもらったことは、無かったのですが。

「段々、楽器を演奏したくなってこない?」
「今日は、みんなにも演奏してもらおうと思って持ってきました。演奏したい人はここから1人一つづつ、持って行って下さい。」
というと、全員が一つづつ楽器を持って

「あわてんぼうのサンタクロース」「チャ、チャ、チャ」って鳴らしてね、と言うと、その通り。
「ウン、チャ」と手拍子を入れると全くその通りに鳴らします。

お母さん達が手を持っているのかと思ったらそうではありません。

これには、本当に驚きました。

誰にも矯正されず、強制されずにいる時の、伝えられたことを受けとる子ども達の能力の、すごさ。

いつも行っている小学生でも、そういう意味ではもう矯められているのだということがわかり愕然としました。

子どもに関わる時には本当に、気をつけなくては。姿勢を正される経験でした。









小林泰三賞

2010-12-13 21:12:02 | Weblog

昨日はいいニュースが入ってきました。
ohshiさんの短編小説「おっぱい」が、京都恋物語 まちおこしノベルなび の小林泰三賞を受賞しました。

前回のレッスンの時に、原稿のコピーを読ませてもらっていたのですが、こんな経験は初めて。わくわくしますね。

ohshiさんも「小さな賞なんですよ。」と言いながら、うれしそう。
「踏み込んで、書かないとだめなんですよ。」
「題名と、テーマが一致していない気がして、でも、この題名がキャッチーになるのかな?と思ったりして。」と私。
「そうそう、ひっかかるのに、題名は大事だから。本当は他のも考えたんだけれど、それだとひっかけてもらえない。」

「ファンタジーとか、物語を作ろうと思って作ってもだめで、何か、腹立つこととかあって、そういうことは、そのまんま書けないんですよ。だから、ファンタジーにするんです。ハリーポッターなんか、なんか嫌なことがあったんだって思いますよ。」
「なるほど。ハリーは夢があるけれど、いじめや、教師からの虐待があったりして、わかる気がしますね。」

「今回のは、賞を取るために書いたんじゃなくて、当たり障りの無いことばっかり書いててもだめで、踏み込んで書いたんです。自分をさらすというか。」
「そうか、だから、恋愛小説の賞なのに、恋愛じゃないし、兄妹の話でしょ。」
「そうなんですよ。本当は猫が死んだ時の話なんですがね。」

小説も音楽も同じ。
自分の考えだけでは、だめだけれど、自分が無かったら書いたり、演奏したりする意味までなくなってしまう。

ohshlさん、本当におめでとうございます。



NHKで「死の国の旋律」 -アウシュビッツと音楽家たち-

2010-12-10 21:21:11 | 本・映画など

NHKで「死の国の旋律」 -アウシュビッツと音楽家たち-を見ました。
重く苦しく、暗い番組でしたが、今も戦争がこの世界から絶えることはなく、何かのきっかけで私達も加担するかもしれません。目をそむけてはいけないことだと思います。

第二次大戦の中、アウシュビッツの強制収容所のオーケストラ演奏していた人たちの証言のドキュメンタリーです。2003年に放送されたものの再放送だそうです。

収容所で、つらい労働に従事されていた人たちを迎える音楽や、ガス室に送られる人の前で演奏して、安心させ、騒ぎを起させ無いために演奏していました。
また、強制労働を免除されるために、オーケストラに入りたがったり、楽器の弾けない肉親を賄賂を贈ったりして、一員にしてもらったりしていました。

「こんな所で、音楽なんて誰が聴きたいと思うんだ」と同じ収容者からはなじられ、戦後も収容者の互助会にも入れてもらえませんでした。そのため、戦後何十年も自分を恥じ、罪悪感に苦しんだり、当時の音楽を聞くと気を失いまともな職につくことも出来なかった人もいます。
孤立して、二度と楽器を演奏できなくなった人もいます。


ある女性の証言です。
友達のマンドリン奏者の女性の兄から手紙がきました。

「ぼくは両親にぼくの出来ることをした。」

彼はガス室へ送られる人たちを世話して、安心させる仕事をさせられていた。
「両親はぼくを見てほっとした顔をしていたようだった。」
それを聞いた彼女は、「兄さんが会いたがっている。」と有刺鉄線に身を投げて自殺しようとした。私は、彼女を平手打ちにして、壁に打ちつけた、なんとか彼女に正気に戻ってほしかった。そして「私達がしている事だって同じなのよ!」と思わず叫びました。


私はオーケストラを辞めたいとゲーリングに言いにいきました。すると彼は「どうしたいんだ。強制労働か、オーケストラかどちらか選ぶんだ。」と言いました。私は強制労働は選べませんでした。私がいつ死ぬかわかりませんが、撃ち殺されるという突然の死ではなく、緩慢な死になるだろうと思いました。

「あの時から人間でいることの意味がわからなくなった。」

戦後60年を過ぎて、やっと振り返ることが出来るようになった女性の話です。
「あの地獄のような所にも究極の善意のようなものが、確実にありました。ユダヤ人の助産士で、ナチスは生まれた赤ん坊を、水に沈めて殺すように命じました。彼女は断固として拒否して、生きられないその子ども達を暖めるために、長い階段を重たいお湯を持って何度ものぼっていきました。信じられないことです。」

つらい番組でした。私は、機会が与えられれば、強制労働や、見捨てられた子どもと共にいる助産士ではなく、特別待遇のオーケストラ要員を選ぶ自分を知っています。

「究極の善意」を目の当たりにしながら、戦後60年を引きこもり、人生を罪悪感の中で無為に送ってしまった彼女の地獄を哀れみ、同意してしまう自分もいます。

「哀れみは有害です。それは、その人が人生で必要なことをやりとげる力が無いとほのめかすことになるからです。哀れみは伝染して、その人を自分を哀れまさせ、自分がかわいそうだと思い込んでやがては投げ出してしまう。」ドン・ディンクメイヤー ゲーリー・マッケイ

「罪悪感の本当の目的は、行いを改める責任をさけることなのです。つまり罪悪感を抱くと言う方法を選ぶことで、その「罪」に対する償いはしてしまったと考えるのです。」
「最悪感とは、実際には持っていない誠実さのことである」ルドルフ・ドレイカース

彼女は、戦後60年を経て、傷の中から立ち上がり、部屋から出て、TVで証言する道を選びました。この勇気を称え、学びたい思います。


タイスの瞑想曲

2010-12-09 20:50:46 | 名曲
枚方市内の小学校には必ず菊の花があります。校区の小学校の菊です。これは菊花晴舞台と言う大輪の厚物というそうです。今年は枚パーで限定で菊人形が復活しましたが、数年前に菊人形は廃止されました。菊を作る菊士さんも、3人と聴きました。後継者もいず、技術は失われていくばかりだそうです。
市内の小学校には、ボランティアで菊の作り方を教えてくださる人がまわっているそうです。
この大輪をみると、菊を愛してきた日本の伝統を感じます。

ジュール・マスネ(1848~1912年)の「タイスの瞑想曲」(1894年)は、オペラ「タイス」の間奏曲です。

マスネは、「ウェルテル」「マノン」など「世界を席巻した人気のあるオペラをたくさん書いた人です。
オペラ「タイス」は、4世紀、エジプトのアレキサンドリアの舞姫(実は娼婦)タイスを、その地を訪れた修道士のアタナエルが、肉欲的な生活から改心させようとします。尼僧院に連れ出し、説いた後、「あなたが悔い改めるのを扉の外で待っています。」とタイスを部屋に残し、アタナエルは外にでます。

そこで、この曲「タイスの瞑想曲」が流れます。

この後、タイスは悔い改め、厳しい修行にも耐えます。ところが、アタナエルは、タイスに恋してしまい、タイスのもとに走ります。
しかし、尼僧院のタイスは、病に倒れて、アタナエルの告白を聞きながらも意味をなさず、「天使達が迎え入れてくれる。」とつぶやきながら死んでしまいます。
残されたアタナエルは、タイスへの恋慕を断てずに、嘆き悲しみます。

ロマンティックで、甘い曲調に、「秘められた宗教的なエロティシズム」とヴァンサン・ダンディは揶揄し、「コウノトリか、尾羽を広げた孔雀の燃え上がる好色さ」レオン・ドーデは嫌いましたが、現代の私達からすると、まだまだお上品。

同時代にフォーレ、14歳下にはドビュッシーが続き、新しい近代音楽の潮流の中で、ほとんど忘れ去られた作曲家になりました。


ボーンズ

2010-12-08 22:09:31 | レクチャー、マスタークラス

山茶花もいろいろな種類があります。これは乙女山茶花(オトメサザンカ)です。
近所の庭に、のびのび咲いていました。

今日は、ボーンズ オブ ライフ。
小さな動きが、脳に骨盤の存在を認識させます。
胡坐をかいて、片腕を持って左右に動かす時にも、骨盤が動いているのが感じられます。

目を動かしても、身体は動きます。

動きの元はどこからきているのか?

足の裏の皮膚が床を離れない位、かかとをあげて、下ろすという動きを繰り返すと、足だけではなく、骨盤や、肩甲骨、首が連携して動いていることが、わかります。また、足が床に支えられている感覚を思い出すと、楽に滑らかに腕や首を動かすことが出来ます。

液体の袋の中に骨が浮いているのが、人の身体です。うまく動けば転がるように楽に機能します。

お腹から音を出そうとか、口先だけで吹かないとか言う言葉を、身体の方向から探求するのに役立ちます。


順応性

2010-12-07 21:28:50 | Weblog

今日は、植木の剪定をしました。本当はもっと早くしなくてはいけなかったのですが、花粉症で、外で作業するのを避けてました。バラの木を短くして、行儀の悪いアイビーを引っこ抜いて、南天を切ったらゴミ袋いっぱいになりました。
ここ枚方では、一週間にゴミに出せる植木は一袋と決められています。

アイビーと南天を、写真を撮りました。
秋のような、冬のような微妙な気温の、今を感じるでしょ。

南天の枝が固くてなかなか切れない。やっと切って、袋に入れるために小さくしようと足で押さえて折ろうとしたら、枝がしなって左手の中指にバシッとあたりました。
第一関節から上が、青紫になって腫れあがりました。
ちょっと痛いだけで、たいしたことはありませんが、滅多にやらないことをやると、こんな具合。段々順応性がなくなってきたのかなぁ?

「1月から児童会勤務を、またお願いします。」と電話がありました。
3ヶ月休むと、次の勤務が、怖いです。身体や頭がついていくかな?

ゆっくり始めて、少しづつメトロノームのメモリを上げていって、138でシバの女王を吹けるようになりました。
吹けるというのと、音楽的に演奏できるというのとは、また違って、なんだか吹いてても、録音の早送りのような感覚で、体がついていっていない感じです。
こんな演奏聴かされてもなぁ…。
やっぱり、本番はもう少しゆっくり演奏しよう。

それにしても不可能に思えた、テンポに近づきつつあるのがおもしろいです。
テンポへの順応性が上がったのがわかります。
体と脳がどれだけリンクできるのか?と言う自分の限界が広がったのを感じます。
それでも、明日同じ演奏を、ウォーミングアップ無しで、いきないりしてできるか?と言うと、まだ自信が無いレベルです。
本番それでやるかどうかは別にして、こういうことに挑戦し、どう乗り越えるかということがおもしろくて仕方ないのが、最近の私です。
一歩も部屋から出ずに、お宅っぽいけど。結構満足。


テンポ

2010-12-06 20:46:09 | 音楽

午前中ピアノのSさんと合わせ練習。クリスマス会が二つ同じ日にあります。「大変、大変シバの女王は、このテンポ無理!」

ゴールウェイ監修の楽譜に4分音符138と書いてあります。私もこの土日練習して138で、なんとか音が出るようにはなりましたが、かなり大変。現譜はどうなってるのかな?
「120くらいで、いいっか。」
「ゴールウェイは、早いの得意だからなぁ。他の人でこんな早いの聞いたこと無いよ。ゴールウェイテンポ?!」

ちなみに、帰ってからyoutubeで動画探したら、オーケストラから、木管4重奏、金管4重奏、フルート4重奏、ピアノ連弾などさまざまありましたが、大体120から125位で、演奏されています。…やっぱり。

メトロノームが発明されたのは、1816年。もちろんこの曲を書いた時、1749年のヘンデルはメトロノームを知りません。
イタリア語でleggierroと書いてあるだけ。

leggieroは、軽快に、優美に、柔らかに

これを表現できるテンポを考えればいいのです。
さて、どうしようか?考える時間は楽しいです。