薬屋のおやじのボヤキ

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「後期高齢者」の次は「終期高齢者」その次は「末期高齢者」となりゃせんか

2023年12月23日 | やがて訪れる死に備えて

(別立てブログ“一日一楽日記”に昨日投稿した記事をこのブログに再掲しました。)

「後期高齢者」の次は「終期高齢者」その次は「末期高齢者」となりゃせんか

 65歳以降を「高齢者」というが、いつからこのように言われるようになったのかを、Bingチャットに聞いてみたら、次のようであった。
 65歳以上を「高齢者」として区分することは、1956年に国際連合が提出した「人口高齢化とその経済的・社会的意味」という報告書によるものです。
 ついでに「後期高齢者」という言葉についても聞いてみた。
 2008年(平成20年)に施行された「高齢者の医療の確保に関する法律」を根拠法とする日本の医療保険制度である「後期高齢者医療制度」の創設とともに生まれました。

 今度はウイキペディアで「高齢者」を見たら、なんと聞いたことない言葉が出ていた。
 65~74歳を前期高齢者(准高齢者)、75~84歳を中期高齢者と呼ぶこともある。

 となると、狭い意味での「後期高齢者」は85歳以上を言うことになるのか?
 これじゃあ、ややこしい。
 「高齢者」と「後期高齢者」の年齢がいくつなのかは、世間一般に知れ渡っているのだから、年齢階層別の呼び名はすっきりと分かりやすいものにしたい。

 人生100年時代になったのだから、「後期高齢者」は75歳もいれば85歳もおり、95歳だって随分といるという世の中になる。小生のように団塊世代ともなると、あと20年生きて95歳になる輩は今の倍になりゃせんか。
 実に厄介者である団塊世代。今は75歳前後で、まだまだ元気な輩が多く、介護を必要とする御仁は少数派だが、たいていの者は医療費をけっこう使い始める。小生とてそうだ。
 10年後、20年後はどうなるか。考えるだけで末恐ろしいが、少し考えてみた。
 75歳「後期高齢者」ともなれば、たいていは隠居生活となり厄介者となるから、“はよう死ね!”と言われても文句は言えない。
 85歳ともなれば、介護を必要とする者がうんと増えて、“いつまで生きとるんや!”と叱られても文句は言えない。このころからボケ老人がぐーんと増えるから始末が悪い。
 95歳ともなれば、たいていは寝たきりとなり、施設への収容もままならず、“いいかげんに逝け!”と罵声を浴びせられても文句は言えない。

 こうしたことから、年齢階層別の呼び名は次のようにしてはどうだろう。
  75~84歳 後期高齢者
  85~94歳 終期高齢者
  95歳~  末期高齢者

 今75歳前後の団塊世代は長生きせんほうがええ。「後期高齢者」という言葉のイメージは悪い、そう年寄りどもから言われ続けて久しいが、10年後、20年後にはもっと悪いイメージの言葉が誕生せやせんか。それを先取りした呼び名が頭に浮かんだ次第。
 
 人生、経験すべきことは、何事も早いに越したことはない。人より遅れると貧乏くじを引かされるのがおちである。特に団塊世代は人数が多いから、ことごとくそうであった。
 “早いもん勝ち!”なのである。現世からおさらばするのも“早いもん勝ち!”
 あの世行きの便に乗り遅れると…その後を考えるとゾッとする。  

 先日、義弟の葬儀に行ってきたが、彼は76歳であった。親類縁者に悲しまれ、“ありがとう”の言葉もかけてもらえ、彼は幸せだった。これも“早いもん勝ち!”であったからだ。
 小生も85歳になる前に逝きたいものだ。「終期高齢者」になる前に。そうすりゃあ、滑り込みセーフでぎりぎり“早いもん勝ち!”の部類に入りゃせんか。「前立腺がんと共に生き、がんと共に死ぬ」とばかり、無治療でいくと決め込んでいるのだが、前立腺がんは進行がとんと遅いから、どうやら“早いもん勝ち!”となれるのは随分と怪しいものとなりそうだ。弱った!

 今日は、泌尿器科のかかりつけ医へ、まだ小便の出を良くする薬が残っているも、年末は混むだろうからと、早めに行ってきた。また、12月1日にM総合病院の医師に「前立腺がんはなんら治療せず」でお願いしたいと要望し、それが認められ、その旨をかかりつけ医に手紙を書いておくとのことであったから、かかりつけ医にも、それをお願いしたいこともあって、今日、行ってきたところである。話は1分で終わり、「前立腺がんはなんら治療せず」でいくことが決定した。
 これで、一区切りついた。「がんと共に生き、がんと共に死ぬ」という方向性が決まったところで、以上のとおり「終期高齢者」「末期高齢者」という言葉がフッと頭に浮かんできた。年齢階層別の新たな呼び名ができる前に“早いもん勝ち!”したいものである。

 小生の座右の銘は、ガンジーの言葉「明日死ぬと思って生きなさい。(この続きがあるが省略)」であり、日々の心構えは「赤秋(せきしゅう:青春に相対する言葉)時代を坦々と生きる」としている。蓮如上人の御文「白骨の章」で「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」とあるように、早々にピンピンコロリと逝きたいものであり、“まだ死にとうない”などと決して悪あがきしてはならないのである。
 しかしながら、生老病死は四苦(苦は「苦しみ」という意味ではなくて「自分の思うようにならない」)であるからして、お迎えは遠い遠い未来に先延ばしされるやもしれぬ。如何ともし難いのが死の訪れというものだ。

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広がりを見せてきた在宅医療看取り。これに大活躍しておられる小笠原文雄医師

2023年07月23日 | やがて訪れる死に備えて

広がりを見せてきた在宅医療看取り。これに大活躍しておられる小笠原文雄医師

 当店のお客様から「在宅医療看取りで大活躍しておられる小笠原文雄という医師が、当地の近くで在宅ケアクリニックを開業しておられ、本も書いておられる。」と教えていただいた。その本は「なんとめでたいご臨終② 最期まで家で笑って生きたいあなたへ」(2023年3月刊)である。
 著者のプロフィールを調べてみると、どうやら高校の同級生であることは間違いなさそうなのだが、記憶がおぼろげで、いたような、いなかったような…、もう忘れた。よう分からん。もう60年近く前のことだから。
 それはそれとして、興味をひかれた本ゆえ、早速に購入して読んでみた。

 小笠原氏の名前「文雄」は「ふみを」と読むのではなく「ぶんゆう」と読ませる。つまりお寺の生まれだ。ずっと二足のわらじで、医師の仕事が主だが、週一で住職の仕事もやっておられる。何かとお忙しそうな方ではあるが、今年、後期高齢者となるも毎日走り回っておられるようだ。
 在宅医になって33年、看取った患者さんは1800人。これほどの経験の持ち主はそうはいないであろう。加えて、本の表題にあるとおり、本人も遺族もご臨終は明るく、楽しくであって、ご臨終直後にご遺体の前で遺族が“笑顔でピース”の写真を撮影されたケースが50件以上にのぼるというから、驚きだ。

 「在宅医療看取り」ともなると、家族の負担がそりゃ大変で、病院に放り込んでしまえ、と通常は考えてしまう。小生のおふくろの場合は、おふくろが動けなくなって往診に来ていただいた、かかりつけ医は、もって3日とおっしゃったが10日もった。おふくろの希望で自宅での看取りをすることにしたが、10日のことであったから、小生や女房に大した負担にはならなかったものの、これが1か月、2か月ともってしまうとなると、病院に放り込んでしまえ、と、したくなる。
 もっと早く小笠原文雄氏を知っておれば、おふくろが死ぬ半年ほど前から体力がかなり落ちてボケ症状も出てきていたから、彼に在宅医療看取りを頼んだものを、ではあるが。
 なんせ、在宅であっても家族に一切負担がかからない方法があり、このほうが患者が気持ちよく過ごせるというのだから、これも驚きである。介護素人の家族が世話すると、当の本人も家族も苦痛を味わうだけで、ここはプロの介護士等に任せた方がいいようである。
 加えて、何もかも医師や介護士等に全部任せたとしても、在宅医療看取りのほうが入院加療よりも、うんと割安につくケースが圧倒的に多いとのことでもある。具体的な事例を幾つも上げて詳しく比較対象しておられる。へえ~そんなに安く上がるの?と思わせられるほどであるが、本当のようだ。
 何よりも、当のご本人(患者)が苦しむことなく、ご臨終の直前まで楽しく、明るく生きていられるケースがほとんどである(例外は心不全であるが、彼は、高度な医療法でそれも克服もされた)というから、これまた驚いた。だから、先に紹介したように「ご臨終直後にご遺体の前で遺族が“笑顔でピース”の写真を撮影」なんてことにもなるのだろう。

 で、これからの時代、在宅医療看取りがどんどん進んでいってほしいところであるが、現にそうした傾向が出てきているも、小笠原氏のクリニックのような経験豊富で介護士等のスタッフが充実したところばかりではなさそうで、けっこうピンキリがあるようだ。その見極め方も、本書に詳しく書かれている。

 なお、この本で、在宅看取りが不可能になる、興味あることが書かれていた。それは次のとおり。(以下引用)
 (在宅医療看取りに興味を持った患者さんからの「救急車に電話してもいいのかい?」という質問に対して)
 「…救急車は呼ばないほうがいいと思うよ。誤解している人が多いけど、救急車を呼ぶのは延命治療を望むっていう意思表示だからね。どんな手段を使ってでも生きたい人ならいいけど、そうでない人が呼んでしまうと、『家で死にたい』っていう願いが叶わなくなることもあるよ。」
(引用ここまで)
 こうした例は小生の親戚でもあった。自宅で介護していた、よぼよぼになってやっと歩ける状態の90歳過ぎのお年寄り(男性)がバタッと倒れたので(後で分かった原因は脳梗塞)、家族が救急車を呼んだところ、病院でしっかり延命治療し、胃ろうまで進み、それを断ろうとしても「救急車を呼ばれたということは延命治療を希望されたということですから、胃ろうをしないわけにはいきません。」となり、もう3年も寝たきり状態。世の中、こうした単に生かされているだけの病院(あるいは施設)入院患者がいかに多いことか。
 救急車は呼んじゃいかんですね、やっぱり。バタッと倒れても、ベッドに寝かしつけ、かかりつけ医に往診に来てもらい、「家で死にたいと言っていました」と告げて、毎日往診に来てもらうよう頼みこむといいんじゃないかなあ。水も飲ませなきゃあ、1週間か10日で気持ちよく旅立てますからね。

(関連記事)
「救急車を呼ばないようにしてもらう」ことに関して
 2013.9.10  延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く
「1週間か10日で気持ちよく旅立てます」に関して
 2014.12.29 
「自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想

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年寄り同士諸君、そろそろ新型コロナウイルスで旅立つことを考えましょうよ

2021年04月01日 | やがて訪れる死に備えて

年寄り同士諸君、そろそろ新型コロナウイルスで旅立つことを考えましょうよ

 1月8日に「コロナの話はもう止めにしましょう、年寄りがちゃんとした死生観を持てばいいだけのことです」と題して、新型コロナウイルスについては記事止めしたのですが、その後、書き漏らしたことについて2つ記事にしました。
 コロナ感染予防はやはり腸内環境改善が一番、わけても酪酸菌がものを言う
 新型コロナウイルス・ワクチンを打つべきか打たざるべきか

 さて、緊急事態宣言が解除されてホッとしたのもつかの間、ここへきて今度は「まん延防止等重点措置」を適用するという。1日の感染者数がたったの2千なり3千人、重症者数が3百なり4百人という“極めてわずかな数”で何を騒いでおる、と言いたい。(もっとも、フランスではここのところ1日3万なり4万人の感染者が出ており、人口が日本の約半分だから、これだけの数となると、少々騒々しくなるのはうなづけるが。)
 コロナにはもうウンザリ。腹も立ってくる。そこで、1月8日に「年寄りがちゃんとした死生観を持てばいいだけのことです」として簡単に書いたが、もう少し詳しく(表題のとおり「年寄り同士諸君、そろそろ新型コロナウイルスで旅立つことを考えましょうよ」と)記事を書くことにした。なお、小生も年寄り(72歳:団塊世代)であるゆえ、「年寄り同士諸君」とさせていただいたところである。

 今般のコロナ感染で、死ぬのは年寄りばかりであると言ってよく、我々年寄りは、いずれにしても、この先幾ばくもなく、あの世へ間もなく旅立つのであるからして、決して悪足掻きしてはならぬのである。また、あらかたの年寄りは、周りの者たちに迷惑がかからぬよう、ピンピンコロリと逝きたいと願っているのであるからして、コロナでピンピンコロリも、その選択肢の一つなのである。なぜならば、発症して1週間もすれば、運良く、コロリと逝けるであろうから。
 これが結論となってしまうが、あまりにも平和ボケしている日本人社会においては、死生観をまともに論ずることは滅多にないし、死生観を考えもしない年寄りが多すぎる。その点、有史以来、侵略と虐殺が絶えなかった欧州人は、まっとうな死生観を持っていると言えよう。
 このブログの過去記事のなかから、死生観に関係する部分を抜粋(一部要約)して、ここに紹介することとする。
 年寄り同士諸君、これを機会に自分の死生観を確立しようじゃありませんか。

2019.5.14 人生100年時代の到来って本当でしょうか
日本人の平均的死亡年齢予測の推移
 厚労省の生命表によれば、65歳まで生き延びた人は、戦前なら70歳台後半で死に、今は80歳台後半で死ぬ。つまり10年長生きするようになりました。さらに80歳まで生き延びた人は、戦前なら85歳ほどで死に、今は90歳前後で死ぬ。つまり数年(男4年、女7年)だけ長生きするようになりました。
 このように、今と昔を比べると、年齢が高くなるほど、死ぬ年齢の開きが縮まります。これは、人の寿命というものは、どんなに元気な、どんなに質実剛健な人であっても自ずと限界があることを物語っていましょう。
 ところで、健康寿命がどの程度か、です。
 想像するに、今と昔の差はグーンと縮まりましょう。80歳の人の平均余命を見たとき、明治時代と昭和50年に大差ありません。それが平成時代になってから伸びだしてきています。これは、老人病院のベッドで“生かされている”人が増えてきたことを物語っていましょう。

2020.11.29 食の進化論 第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
第8節 姨捨山思想の復活
 日本には寝たきり老人がものすごい数にのぼる。寝たきりになっても点滴をし、鼻から流動食を流し込み、それができなくなっら腹に穴をあけて胃ろうをし、これでもかとばかり寝たきり老人の延命措置に手を尽くしに尽くす。西欧人は、この日本の現状を老人虐待という。彼らの世界には、今でもちゃんと姨捨山思想がしっかりとある。車椅子を自分で動かせなくなり、食事も自分の手で食べられなくなると、もはや神に召される日は近いと観念し、飲食を断つ。周りの介護者もそのような状態になったら手助けをしないのである。そうして飲食を断って1週間か10日すれば、静かに旅立つのである。日本でもこうしたやり方で寝たきり老人を一掃せねばいかんだろう。西欧にはそしてアメリカにも寝たきり老人は基本的に存在しないのであるから。
(それに対して、日本人社会で目立つのは)
寝たきり老人の増加。高度成長後しばらくしてから肺炎死が一直線で増加傾向にあるのだが、その大半は寝たきりによる誤嚥(ごえん)が元での肺炎の発症によるものである。やれ点滴だ、胃瘻(胃ろう)だ、人工心肺だ、といった無駄な延命治療で命を引き延ばされているのが現状である。こうした延命治療は、日本に特有なもので、欧米にはない。

2016.9.19 高齢者の仲間入りをしたら死に方を考えましょうよ 
 死にざまが物凄い御仁が明治時代にいました。それは山岡鉄舟です。52歳で胃がんで没。

 1888年(明治21年)7月19日朝、鉄舟は「腹痛や 苦しき中に 明け烏(がらす)」と歌いながら朝湯につかり、上がると白装束に着替え、左手に数珠、右手に団扇を持って座りました。やがて、見舞いに来た勝海舟としばらく世間話をしていましたが、鉄舟はおもむろに「只今、涅槃に入る」と告げました。それを聞いた勝が「左様か、ではお心安く御成仏を」と言って辞去すると、鉄舟はそのまま座を崩さず、皇居の方角に向かっていつの間にか息を引き取っていたそうです。
 死に際にその人の生きざまが凝縮されるとするならば、まさしく山岡鉄舟こそ「ラスト・サムライ」といえるのではないでしょうか。
 山岡鉄舟、いやあー、恐れ入ります。
 とても人間業とは思えません。そんなこと絶対に不可能だ、となってしまいそうですが、どっこい小生の身近にそれに近い方がいらっしゃいました。

 その方は、80歳で肝臓がんで亡くなられたのですが、死の近くまで農作業をされ、「もうあかん、動けん」と言ってから20日後に息を引き取られました。がんだと分かっても誰に言うこともなく、医師の手当ても受けず、そして自分の死期を悟られたことでしょう。

2015.6.12 高齢者は死を恐れるなかれ。死はこの世の卒業式みたいなもの
 ヒンドゥー教の僧侶は、自分の死期を知るとパーティーを催して別れの挨拶をし、瞑想に入ってそのまま亡くなるのが一般的だそうです。
これを「マハーサマーディー」といい、人間はこのような死に方をするときは脳内麻薬が分泌され、至福のうちに旅たつことができ、最も自然な死に方と考えられているとのことです。
 死生観を持っているかどうかということに関しては、世界で一番の“後進国”といえる日本です。そろそろここらで真剣に考えねばいかんでしょうね、特に団塊世代(小生はその真ん中)は。そうしないと、いい年こいて“まだ死にとうない!”と、宣ふ(のたまう)往生際の悪い年寄りで日本中があふれ返り、後世に「日本の歴史上、最低だった集団は団塊世代」との汚名をしっかり残すことになりましょうぞ。

2014.12.29 「自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想
 いよいよお迎えが来たという状態になって何日であの世へ逝くかですが、中村氏は次のようにおっしゃっておられます。以下、引用します。
 点滴注射や酸素吸入は、本人が幸せに死ねる過程を妨害する以外の何ものでもないと考えていますので、私は原則として、行いません。…
 では、点滴注射もせず、口から1滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの日数がどれくらいかといいますと、7日から10日ぐらいまで(最長で14日間)が多いようです。…(死に際には)38度前後の、時には39度5分くらいの体温上昇をみることがあります。…この時点で、本人はスヤスヤ状態なので、何ら苦痛はありません。…
 よく「点滴注射のおかげで1か月生かしてもらった」などという話を耳にします。しかし、良く考えてみてください。点滴注射の中身はブドウ糖がわずかばかり入った、スポーツドリンクより薄いミネラルウオーターです。「水だけ与えるから、自分の体を溶かしながら生きろ」というのは、あまりに残酷というものではないでしょうか。…
 「脱水」は、意識レベルが落ちてぼんやりした状態になり、不安や寂しさや恐ろしさから守ってくれる働きをすることは、すでに述べたとおりです。それなのに、たとえ善意にしろ、せめて水だけでも、と無理に与えることは、この自然のしくみに反し、邪魔することになるのです。…ひどい仕打ちだとは思いませんか。
 たしかに、見殺しにするようで辛い、何もしないで見ているだけなんてことはできないという気持ちも、わからないではありません。しかし、こちら側の都合だけで、何かをするというのは、「エゴ」といっていいと思います。その行為は誰のため、何のためなのか、やった結果、どうなるのかを考える必要があります。
 本人は嬉しがるか、幸せに感じるか、感謝してくれるか、あるいは自分だったらしてほしいことなのかなど吟味してみなくてはいけません。
 たしかに私たちは、何もせずに見守ることになれていません。辛いことです。
 だからといって、自分が苦しさや辛さから免れるために、相手に無用な苦痛を与えてもいいという道理はありません。「そっとしておく思いやり」もあるのです。
 また、たとえ延命したとしても、悲しみはなくなりも減りもしません。ただ先送りするだけなのです。
 フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら、医師の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事です」といわれているそうです。…
 もっとも、かくいう私も病院勤務時代に、…何とかしてほしいと頼まれ、いろいろ工作し…た経験が、いくたびもあります。
 片棒を担いで、死にゆく人間を無用に痛みつけたわけですから、もし地獄というものがあるなら、当然地獄行きでしょう。皆さんの中にも、身に覚えのある方が結構おられると思います。地獄行き、ご一緒しましょうね。
(引用ここまで)
 いかがでしょうか。中村氏は、ここでフランスの例を持ち出しておられますが、これはフランスに限らず、欧米諸国皆ほとんど同じ対応が取られており、点滴注射も胃瘻も原則として行っていないのが実情であることは、このブログで「寝たきり老人をなくす術(三宅薬品・生涯現役新聞N0.239)」で記事にしたとおりです。
 日本人は、やれ点滴注射だ、やれ胃瘻だと、なぜに利己主義的対応を取るのでしょうかねえ。日本人ならば、仏教の教えにより、ちゃんとした「死生観」を持ち合わせていて良いように思うのですが、残念でなりません。

2013.9.10 延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く
 「1日で治る患者を1日で治す医者は病院を首になる。1日で治る患者を1年引き延ばせば院長になれる。」というブラック・ジョークがあります。医師の間では知られたことのようでして、これ、まんざらウソではなさそうです。
 もう一つのジョーク、『「最近「予防医学」が全盛ですが、その実態は「“患者を呼ぼう”医学」。医者の“おいしい”お客様にならないよう気をつけましょう。』と言っておられるのは
近藤誠医師で、氏は慶応大学医学部“講師”の肩書きのままで、孤軍奮闘40年間頑張っておられましたが、病院を首になっても仕方がない行動を取っておられました。
 そして、氏曰く:医者を40年やってきた僕が、いちばん自信をもって言えるのは「病院によく行く人ほど、薬や治療で命を縮めやすい」ということです。…「信じる者は救われる」と言いますが、医者を簡単に信じてはいけない。
 そして、「本書では、医療や薬を遠ざけ、元気に長生きする方法を解説していきます。」と、表紙の裏面で言っておられます。その本は「医者に殺されない47の心得」(2012年12月 アスコム)です。
 近藤誠医師は、本書を執筆するにあたって、巻末でご自身のリビングウィルを紹介なさっています。その少し前の部分から引用しましょう。

どんな延命治療を希望しますか?
 リビングウィルのことが、最近よく話題になります。自分の死のまぎわにどういう治療を受けたいかを、判断能力のあるうちに文書にしておくことです。
 日本では、リビングウィルにはまだ法的な力はありませんが、書いておくことで、意識を失ったあとも、家族や医師に、延命治療についての自分の意思を伝えられます。「鼻腔チューブ栄養のような、強制的な栄養補給は一切不要」「人工呼吸が1週間続いて意識が戻らなかったら装置をはずしてほしい」…など、自分で説明できなくなったときの「どう死にたいか」の希望を、なるべく具体的に書いて、身内の同意をもらい、毎年更新していきます。
 よい機会なので、倒れて病院に連れ込まれたとき用のリビングウィルを書いてみました。家人や知人がわかるところに保管します。あなたも、書いてみませんか?(引用ここまで)


 ところで、ここに紹介したブラック・ジョーク(まんざらウソではない)、これは、日本に特質的な薬漬け医療を言っているのであるが、下記の過去記事に如実に現れている。

2017.5.31 日本の抗がん剤、脂質降下剤、タミフルの投与量、みな世界シェア70%?!
 米国の健康保険は民間会社が運営しており、庶民が一般に加入しているエコノミークラスの健康保険においては、その投薬指針として“血圧が常時180を超える場合においてのみ、それも安価な降圧剤(保険適用薬の限定)を処方してよい”となっているところもあるようですから、この種のタイプの健康保険加入患者には医師は日本のようにやたらめったら降圧剤を出せないのです。そして、65歳以上の高齢者となると、政府が掛金の大半を負担する健康保険に加入できるのですが、この健康保険は恒常的に飲み続ける生活習慣病の薬は保険対象外となっていますから、そうした薬が欲しい場合には別の健康保険にも加入せねばならず、これは掛金が高額なものとなり、そうした健康保険にも加入している高齢者の割合は1割程度にすぎないようです。
 こうして、米国では、保険制度上で薬漬けが防がれています。


 いかがであろうか、年寄り同士諸君。これを機会に、自分の死生観を確立しようじゃありませんか。で、「コロナでピンピンコロリもいいもんだ」と、思うようになりませんでしたか、年寄り同士諸君たちよ。


 ことはついでですから、新型コロナに感染した重症者数が、単位人口当たり欧米の30分の1程度である日本で、医療崩壊の危機到来だと、ずっと騒がれているのはどうしてでしょうか。イタリアでは感染拡大初期に、たしかに医療崩壊の危機が訪れたのですが、その後は乗り切っています。
 これは感染症に対する危機管理がしっかり構築されているからですが、その背景には、西欧では有史以来、民族間紛争が絶えず、相互侵略・殺戮が繰り返され、近代にあっては生物兵器が開発され、東西冷戦下にあっては高殺傷力のある細菌ばら撒きの恐れもありました。今日、ソ連が崩壊しても、その危険性は拭い去ることはできず、いざというときに備えての感染症病棟がしっかり確保されており、医療スタッフも充実していることです。
 平時において、医師や看護師など医療スタッフは余裕をもって仕事ができる体制が整っており、今般のような感染症に対しても、臨機応変、他分野の医療従事者を感染症部門へ人員を大量に振り替えることができるのです。
 ちなみに、日本の人口千人当たり医師数は2.4人で、OECD(経済協力開発機構)の加盟国平均は3.5人です。
 そして、日本は、高齢者医療費の増大(無駄な薬漬けと無駄な老人病棟の拡充)をいたずらに放置し続け、その財政負担を少しでも和らげようと、ほとんど発生しない感染症の対処費用をばっさばさと切り捨て、欧米のような感染症に対する危機管理はどんどん外される傾向にあったのです。
 感染症対策の切り捨ては、結核患者の減少を理由に〝感染症の時代は終わった〟として、1996年の橋本政権による構造改革路線によって本格化し、2001年に発足した小泉政権以降、公費投入の抑制のため病床削減や病院の統廃合、医師養成数の抑制を、医療の市場化・産業化と一体で、精力的に進められてきました。
 その結果、全国の感染症指定病床は1998年に9060床あったのですが、その後の20年で1869床(2019年 4月現在)まで減少しました。また、
重症の感染症患者の治療が可能なICU病床数(人口10万人当たり)は、ドイツは29.2床と世界的にトップクラスで、医療崩壊が起こったイタリアでも12.5床あります。それに比べ日本はたったの4.3床しか使えない。加えて、医師・看護師の絶対数が不足していて、臨機応変に感染症対応に人員を振り替えることも難しいことが、緊急医療体制の弱体化を招いています。
 このように、日本の医療体制は、なんともお粗末な状態にあるのです。どうでもいい医療に力を注ぎ、肝腎な医療を放棄している、と言っていいでしょうね。今般の新型コロナ対策で、政府は単に付け焼き刃的な施策をとるのではなく、抜本的な医療制度改革に目覚めてほしいところです。

 ものすごい長文となりましたが、読者の皆様方には最後までお付き合いいただきまして有り難うございます。どれだけかの参考になれば幸いです。

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人生100年時代の到来って本当でしょうか

2019年05月14日 | やがて訪れる死に備えて

人生100年時代の到来って本当でしょうか

 政府は、らしい根拠もなく、人生100年時代構想会議を立ち上げ、平成29年12月に中間報告を出し、平成30年6月に「人づくり革命 基本構想」を発表したりしています。
 本当に人生100年時代が到来するのでしょうか。
 平均寿命あるいは高齢者の平均余命の伸び、それが単にこのままずっと続くと仮定すると、そういうことも起こり得ましょうが、しかし、これは机上の空論です。
 この構想が発表される少し前に小生が書いた次の記事
(2017.7.20)平均余命は伸びる?それとも縮む?
(2016.9.19)高齢者の仲間入りをしたら死に方を考えましょうよ
のなかで、そうは寿命が延びないことを書きました。
 つまるところ、高齢者(65歳)となったら、大雑把に言って、
 男であれば、余命はあと20年、85歳まで。90歳であらかた死ぬ。
 女であれば、余命はあと25年、90歳まで。95歳であらかた死ぬ。
といったところ、というものです。

 巷では、昔は早死にして年寄りはどれだけもいなかったと言われますが、案外長生きしているのが実態です。これは、平均寿命と平均余命をごっちゃにしてしまっているからです。平均寿命とは0歳児の平均余命を言い、昔は乳児死亡率が高かったですし、エキリなどの感染症で子供が死ぬことが多く、成人しても肺結核で命を落としますし、妊婦が出産後に亡くなることも多かったです。そうした危機を乗り越えて30歳を過ぎると、そうそう死ぬことはなかったようです。もっとも年寄りとなると、かなり肉体的に無理をしてきており、80歳、90歳と長生きする御仁は確かに少なかったでしょうが。

 そこで、日本人は平均して幾つまで生きられるのか、その期待値を昔から現在まで、0歳児、30歳、50歳、65歳、80歳の平均余命から算出したのが次の表です。
(厚労省:生命表、簡易生命表より、大正年間を飛ばし、概ね20年毎の比較。小数点以下四捨五入)

 日本人の平均的死亡年齢予測の推移
<男>   M24-31年 S10年 S30年 S50年  H7年  H29年
 0歳児     43   47  64   72  76   81
30歳の人  63   64  70   74  78   82
50歳の人  69   69  72   76  79   83
65歳の人  75   75  77   79  82   85
80歳の人  85   84  85   86  87   89

<女>   M24-31年 S10年 S30年 S50年  H7年  H29年
 0歳児     44   50  68   77  83    87
30歳の人  64   67  73   78  84    88
50歳の人  71   72  76   79  84    88
65歳の人  76   77  79   82  86    89
80歳の人  85   85  86   87  89    92 

 この表をよーくご覧になってください。
 最も驚かされるのは、時代が新しくなるにしたがって、どの年代の人であっても死ぬ年齢にほとんど差がなくなることです。おぎゃあと生まれた赤ちゃんと50歳の人を比べると、死ぬ年齢は1、2歳の違いしかないというのが今の日本人の姿なのです。いかに若死にしなくなったかを物語っていますし、これが平均寿命を押し上げている最大の要因です。
 そして、65歳まで生き延びた人は、戦前なら70歳台後半で死に、今は80歳台後半で死ぬ。つまり10年長生きするようになりました。さらに80歳まで生き延びた人は、戦前なら85歳ほどで死に、今は90歳前後で死ぬ。つまり数年(男4年、女7年)だけ長生きするようになりました。
 このように、今と昔を比べると、年齢が高くなるほど、死ぬ年齢の開きが縮まります。これは、人の寿命というものは、どんなに元気な、どんなに質実剛健な人であっても自ずと限界があることを物語っていましょう。
 ところで、問題は、この表では出てきませんが健康寿命がどの程度か、です。
 想像するに、今と昔の差はグーンと縮まりましょう。上表の80歳の人の平均余命を見たとき、明治時代と昭和50年に大差ありません。それが平成時代になってから伸びだしてきています。これは、“生かされている”人が増えてきたことを物語っていましょう。
 今のご時世、いかに寝たきりが多いか。100歳超が7万人になりましたが、そのうち自立生活できている方ははたしてどの程度か。寝たきりなんて欧米には基本的にないですし、昔の日本だってそうでした。残念なことに、今日の日本の医療産業が、そしてその家族が、動けなくなった年寄りを“生かさず殺さず”の状態にして、単に長生きさせているだけのように思われてしかたありません。

 さて、今の日本人は後期高齢者(75歳)前後の年齢になるとバタバタと死んでいきます。間もなく団塊世代人がそうなります。小生はまさに団塊世代ですが、我々は幼少期から青年期までとても健康的な生活をしてきていますから、前の世代そして後の世代に比べてかなり丈夫に育っています。よって、その分平均余命が伸びるかもしれませんが、しかし戦中派よりも生活習慣病を患う期間が長くなってきていますから、余命にブレーキが掛かるかもしれません。加えて、血管系疾患(昔は粗食で血管が破れ、今は飽食で血管が詰まる)が多発し、ピンピンコロリとは逝かず、寝たきりの恐れが高まりましょうから、少なくとも健康寿命は延びないと考えたほうがいいでしょうね。
 冒頭の余命を、団塊世代人が間もなく迎える後期高齢者に置き直して下に記します。
 後期高齢者(75歳)となったら、大雑把に言って、
 男であれば、余命はあと10年、85歳まで。90歳であらかた死ぬ。
 女であれば、余命はあと15年、90歳まで。95歳であらかた死ぬ。

  高齢者諸君、100歳時代なんて来やしない。通常、男なら85歳で死ぬ、女なら90歳で死ぬと心せよ。それまでボケることなく、介護不要の自立生活を全うされたし。
 そのためには、ピンピンコロリと逝く方法を自分なりに編み出すことじゃ。
 下記の関連記事をご覧あれ。

(関連記事)
(2015.6.12)高齢者は死を恐れるなかれ。死はこの世の卒業式みたいなもの
(2014.12.29)「自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想
(2013.9.10)延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く
(2011.12.28)“老いは病”か”病は老い”か? 癌は老化現象であり、“真っ当な死生観”を持ちたいものです 

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ついに古希を迎えた小生、人生の考え方がまたひとつ変わってきました

2018年09月10日 | やがて訪れる死に備えて

ついに古希を迎えた小生、人生の考え方がまたひとつ変わってきました

 今日は小生の誕生日。年を食うのは実に早いもんです。
 
ぼけぼけしているうちに、小生は今日、とうとう70歳になってしまいました。完全な「年寄り」です。69歳なら、“まだ年寄りの仲間じゃない”と言えるのですが、やっぱり70の大台に乗るとなると、“俺も年寄りになったわい”と、しみじみ感じます。

 ずいぶん昔のこと、まもなく25歳の誕生日を迎えんとなったとき、“四捨五入すれば30歳。青年とはもう言えないじゃないか!”と感じて、ギョッとしました。
 最初に年を感じたのはこのときです。
 次に年を感じたのは40歳を迎えたときです。この少し前に四十肩を患い、それがずっと続いたものですから、“俺もとうとう中高年の仲間入りかあ、もう若くはないんだなあ”と、一抹の寂しさを覚えました。でも、仕事の面では脂が乗り切った年齢であり、体力もまだまだ十分あって、中間管理職としてバリバリ仕事をやり、とても充実していました。
 45歳で県職員を中途退職し、親父(そのとき70歳)が起業した薬屋の跡を継ぎました。人生の一大決心です。当時、県職の仕事はとても充実しており、やる気満々で、とても辞める気など生じませんでしたが、辞める1年前から親父がアップアップの状態になり、“親父を殺してまで県職を続ける意味があるのか?”これを1年間、自問自答し続け、その結論として“おやじ、あしたから楽せえ”の道を選びました。
 退職するにあたり、世話になった先輩に挨拶に行ったら、「体力がもつのは50歳まで。50を過ぎたら体がついていかなくなる。これから5年間しゃにむに薬屋稼業に邁進せえ」と励ましの言葉をいただきました。薬の「く」の字も知らない、経営の「け」の字も知らない役所上がりの小生ですから、最初の1年間は徹夜もいとわず、がむしゃらに働き、勉強もしました。そして先輩の言葉を思い出しだし、50歳までばりばり働いて経営を軌道に乗せ、どれだけかは様になる薬屋の店主として接客にも自信が持てるようになりました。
 さて、こうして迎えた50歳ですが、“人生50年”という言葉があるも、それは昔のことで、なおかつ平均寿命という概念は無意味であると考えていましたから、“長寿の家系なんだから俺の余命は50年、今、人生折り返しの50歳”といった捉え方しかできませんでした。なんせ薬屋稼業に入ってまだ5年経っただけで、これからいかにして商人として自分を成熟させていったらいいのか、それしか眼中になく、気持ちは若造気分で、“精神年齢28歳、まだまだ青春時代”とうそぶき、年を思うなんてこととは無縁でした。

 25歳で年を感じ、40歳でまた年を感じ、その次、3回目に年を感じたのは、還暦を迎えたときです。60歳定年が定着していましたから、“ばりばり働くのはこれまで。あとは第2の人生をぼつぼつ歩もうぞ。”といった考え方が大勢を占めていました。小生も薬屋稼業に就いて15年、だいぶ板についてきたわい、と感じていたところです。
 でも、“赤いちゃんちゃんこで還暦祝い”を家族が企てているのを知ったとき、“ばかにするな、俺はいつまでたっても体力年齢58歳、精神年齢48歳だ。それ以上には年は食わん。還暦祝いなんぞ無用だ!”と、いきり立ち、一切のお祝いを拒否しました。
 このとき、“俺はだいぶ背伸びしているなあ。60の大台に乗ったことを素直に認めろよなあ。”という、もう一人の自分の声が聞こえてきましたが、その頃は、趣味で研究していた懸案の長大論文「犬歯の退化」(人類進化仮説)を執筆中で、“脳の働きはまだまだこれから冴えていく、何が還暦だ。”という思いが強烈で、還暦になったことを否定したい気持ちがめっぽう強かったです。しかし、そう思うというのは、年をとったことを感じた裏返しの感情でもありましょうから、何とも複雑な気分でした。
 ところで、薬屋稼業への力の入れ方となると、けっこうな共済年金をいただくようになったがために、“食っていけりゃいい。そんなに稼いでどうすんの。”という気分にされられ、利益を上げようという気力がなえてしまい、お客様にいかに感謝されるか、いかにして感動していただくか、ということに重点が移行してしまいました。
 なお、ブログ「薬屋のおやじのボヤキ」を立ち上げたのが62歳になったときです。

 還暦から5年経って高齢者の仲間入りである65歳を迎えました。このときは特別な感情は起きませんでしたが、第2就職した同級生の多くが次々と辞めてしまって隠居生活に入ったものですから、一抹の寂しさを覚え、定年のない自営業者との付き合いを意識的に深めていったところです。
 この頃から1年があまりに早く過ぎ去っていくのをしみじみと感じ、“残りの人生はそう長くはないんだから「飛ぶ鳥跡を濁さず」を少しは頭に置いて日々行動せねばいかんだろうなあ。”と思うようになりました。そこで、ある程度の身辺整理を行ったところです。
 なお、ホームページ「生涯現役をサポート 三宅薬品のHP」を開設したのが66歳になったときで、自分で無理せずできる社会奉仕活動として、無料健康相談に力を入れることにした次第です。

 そして、高齢者の仲間入りをしてからあっという間に5年経ち、とうとう70の大台に乗った今日、冒頭で申しましたように、“俺も年寄りになったわい”としみじみ感じました。
 60代は“まだまだ若い”と感ずるのですが、70の声を聞くと途端に“老人”という言葉に抵抗感がなくなります。不思議な心変わりです。
 “もうばりばり仕事をしようなどという気は全く起きないし、その必要も一切ないではないか。かといって楽隠居を決め込むのは性に合わない。人生に定年なんてぇものはないんだから、死ぬまで一生、生涯現役で通したい。薬屋稼業と百姓仕事に、決して背伸びせず、自然体で、毎日、余力を持って精を出すか。これに限るわい。”
 という心がしっかり固まったところです。これは、2か月ほど前に、3つ年下の女房が治療法がない慢性心不全とわかり、今のところ日常生活にさほど支障はないものの、もはや全く無理が利かない体になってしまったことも大きく影響していましょう。
 なお、女房の体力低下は前からあり、女房が高齢者の仲間入りをした2年前に店の定休日を週2日(日、月曜日連休)としたところです。何年か経てば週休3日、遠い将来には営業日は週1日とするかもしれません。同業者でそうした店がありますゆえ。
 女房も、無理が利かない体と上手に付き合いながら、“暇つぶし”と“ボケ防止”に店をやっていこう、そして店は気の合ったお客様との楽しいコミュニケーションの場、という考え方に変わってきていますので、この先、夫婦で細く長く店はやっていけることでしょう。

 さて、残りの人生を小生はどういう心構えで生きるか。先に申しましたように小生は長寿家系の生まれ、おふくろもおばあさんも100歳近くまで元気でして、最期はピンピンコロリと逝きましたから、自分の余命も30年、現役で通せるのも30年、と考えねばいかんでしょう。
 日本人が世界に誇っていい「武士道」の精神文化に「一瞬に生きる」というものがあります。武士道を極めた剣術の達人ともなれば、刺客にいつ襲われてもおかしくなく、いつなんどき瞬時に命を奪われるかもしれぬ、そうした宿命を背負って日々を過ごしていくことになりましょうから、「一瞬に生きる」ということになるのでしょう。
 これに関しては、不治の病の病床に就いた正岡子規が見つけた武士道の解釈として「生への執着もなく、諦めもなく、生かされている今という一瞬一瞬を、平気で生きること」というものがあり、子規は残り少ない命をそうした心構えで日々過ごしたといいます。
 この文化は、万人に受けいられるかどうかは別にして、少なくとも小生は素直に従うことができ、この年になって、残りの人生はこれしかない、とつくづく思うようになりました。もっとも、「一瞬に生きる」「一瞬を生きる」となると、緊張感が高まって息が詰まりそうになりますから、ここはうんとゆったりした時間感覚を持ち出し、言葉を変えて、人生は「今
、ここを生きる」「一日一日を坦々と生きる」、その繰り返しでいく、そう観念したところです。
 なお、ブログ記事は気が向いたときにぼつぼつ書き、健康相談もそれなりに受け、読者の皆様にどれだけかはお役に立てたらうれしい、そんなふうに思っております。

 さーて、この先、5年はあっという間に過ぎて、直ぐに後期高齢者となります。そのときに、またまた年を感ずるのか否か、今時点では何ともわかりませんが、今日、心したことを大事にしていきたいと思っております。

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老い、赤秋に生きる

2016年11月19日 | やがて訪れる死に備えて

老い、赤秋に生きる

 うちは、真宗大谷派、俗に言う“お東”、東本願寺の門徒でして、毎年11月に小冊子「真宗の生活」が配布されます。3分法話が12掲載されているので、これをパラパラッとめくって面白いなと感じた法話を昨年の今時分に紹介しました。それは“坊主もたまにはいい話をする”と言っては失礼に当たりましょうか。ゴメンナサイ。」にあります。
 今年もその配布を受けましたので、早速見てみました。
なるほどと感じたものが1つありましたので、まずそれを紹介させていただきます。

 「老い」で見える世界(佐賀枝夏文:大谷大学名誉教授)
 お釈迦さまは、今から2500年前、現在のインドの小さな国の王子さまとして生まれられました。
 あるとき、お城の外へ出かけようと東の門から出ようとすると「老人」に、南の門から出ようとすると「病人」に、また
西の門では「死人」にと、人生において逃れることのできない「老病死」に出会われました。そして、北の門ですがすがしい出家僧に出会い、出家されたといい伝えられています。お釈迦さまが29歳のときでした。
 「老い」は、そのテーマである「老病死」のひとつであり、人間にとって逃れることのできない、じぶんの意思では叶わないことのひとつです。
 「老い」に至る人生の歩みは、どれひとつも「夢」ではなく「事実」です。老いの道中は、「叶わない」「意のままにならない」ことのなかで、苦汁を味わい、また、悲しみのなかで、ひとはみ教えを聞き、正しく観ることを知ることになります。それは、「あきらめ」ではなく、「正しく観る」ことで、他人事ではなく、「じぶん」のこととしてみえてくるのだとおもいます。
 ボクは樹木からさまざまな教えを聞いてきました。樹木は、陽春に芽吹き、新芽が育ちます。まるで赤ちゃんが育つかのようです。次第に季節が初夏に向かえば、新緑の葉っぱは立派に育ちます。そして、季節が移ろい秋になり冬に向かいはじめ寒風が吹き始めると、広葉樹の樹木は、錦秋の彩りをみせてくれます。「老い」の輝きが艶やかにさえみえます。ひとびとを、「もみじ狩り」に足しげく向かわせるのは、錦秋の彩りに秘められた多くの物語と出会うからではないでしょうか。その背景には、春の桜にはない、「人生の趣」を感じるからのようにおもいます。
 そして、落葉の季節を迎えます。しかし、枯れ葉の後には、すでに新芽が準備されていることは、驚きです。「老い」は単独であるものではなく、「起承転結」のなかにあり、それは、「いのち」の連なりでありバトンタッチのときでもあります。また、大地へ還ることは、「いのち」の源である樹木を肥やす滋養となるのですから、「老い」のはたす役割は「尊い」ものであるといえます。
 「老い」もこのように考えてみると、「老い」をじぶんのものと独占していることが間違いであることになります。じぶんの「老い」から、開放されて「つながり」のなかで考えてみてはいかがでしょう。大きな「つながり」のなかに、「連綿とつづく」なかに「いのち」があります。そのなかに、おひとりおひとりの「老い」があるということです。
 このように「老い」も、じぶんの手元から開放されてはじめて、「衰えること」から意味が転じて、大きな「いのち」として「よみがえる」という世界がみえてきます。
<『すべてが君の足あとだからー人生の道案内ー』(東本願寺出版)より>

 いかがでしたでしょうか。
 小生は、この法話の中で2つのことを感じました。
 一つは、「自分はやがて枯れ葉が落ちるごとく死にゆき、取るに足りない人生を歩んできたであろうものの、それが、周りの者たち、特に我が子の肥やしに必ずやなっているであろう。樹木の葉っぱのごとく。」であって、導師がおっしゃる『「老い」のはたす役割は「尊い」ものであるといえます。』というお言葉をうれしく感じたところです。
 もう一つは、導師がおっしゃる「季節が移ろい秋になり…錦秋の彩りをみせ…「老い」の輝きが艶やかにさえみえます。…春の桜にはない、「人生の趣」を感じる…』という、今や我が世の春という老年生活の捉え方です。これにはワクワクさせられます。

 そこで、思い出しました。2つ目に感じたことは、これは「春」つまり「青春」ではなくて、「赤秋」なんだと。この言葉を知ったのは、つい最近のことです。
 
韓国人キム・ウク氏(86歳)のエッセイの翻訳文で知ったのですが、その一部を紹介しましょう。(出典:ブログ「天安からアンニョン」 ブログ管理人の日本語への翻訳文)

 私がこの韓国では一番老いぼれの翻訳作家だと思う。そんな関係もあってかときどき聞かれることがある。「日本語の中で一番好きな表現は何ですか?」。私は躊躇なく答える。赤秋(せきしゅう)っていうことばだけど聞いたことある?って。日本語が朝鮮半島から渡っていったということは多くの人々が知っているけれど、「赤秋」ということばは韓国語にはない。ことばそのまま「赤い秋」という意味だ。何がそんなに赤いといういうのか。紅葉だろうか。あるいは夕日がしばし立ち止まる広大な草原だろうか。
 「赤秋」ということばは、日本では高齢者の青春という比喩で用いられている。物質と出世という世の束縛から逃れ、これからは自分の好きなことを自分勝手にやれるという自由を手にしたということなのである。
 老年期に差しかかった人なら誰でも共感する話だ。青春が青い春の日だとすれば、赤秋は赤い秋だ。春夏秋冬の四季の中で春と秋は対称をなしている。満開の夏を準備する春が青春とするならば、もう一度土に返る冬を準備する時期が秋、すなわち赤秋だ。冬が残っているからまだ終りではなく、それに結実の時でもある。豊かで美しい紅葉はおまけだ。(引用ここまで)

 いかがでしたか。
 キム・ウク氏は「豊かで美しい紅葉はおまけだ。」とおっしゃっていますが、「赤秋」の本命はここにあり、ではないでしょうか。
 季節はこれから「もみじ狩り」最盛期となります。赤い秋を満喫し、「人生の趣」をじっくり噛みしめ、やがて来る結実そして冬に備えましょうぞや。

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高齢者の仲間入りをしたら死に方を考えましょうよ

2016年09月19日 | やがて訪れる死に備えて

(本稿は2016年05月11日アメブロに投稿したものですが、このブログで再掲することにします。)
高齢者の仲間入りをしたら死に方を考えましょうよ

 人は必ず死にます。太古の昔から一人の例外もなく。
 
高齢者(65歳以上)の仲間入りをすると、思いのほか死期は近いです。あと何年生きられるか。その平均余命は、平成26年簡易生命表によると次のとおりです。
 
ただし、95歳は平成13年生命表から継ぎ足しました。(小数点以下、四捨五入)
            男        女
   65歳  19年(84歳)  24年(89歳)
   70歳  15年(85歳)  20年(90歳)
   75歳  12年(87歳)  16年(91歳)
   80歳   9年(89歳)  12年(92歳)
   85歳   6年(91歳)   8年(93歳)
   90歳   4年(94歳)   6年(96歳)
   95歳   3年(98歳)   4年(99歳)

 平均寿命は男81歳、女87歳となっていますが、これはオギャーと生まれた赤ちゃんが平均して何歳まで生きるかという数値でして、高齢者にとっては全く無意味なものですから、平均寿命の数値は忘れていただいたほうがいいです。
 知っておきたいのは、上の表の数値でして、全部覚えるのは無理ですから、数字を丸めて、次のことを頭に置いておかれるといいでしょう。
 高齢者(65歳)になったら、男は平均してあと20年、85歳まで生きられる。女は平均して男より5年長生きし、90歳まで生きられるだろう。
 
10年生き延びて後期高齢者にたどり着いても、余命は2、3年延びるだけ。以下同様で、せいぜい男は90歳、女は95歳であらかたがあの世に逝くことになり、幸か不幸かここまで生き残れるのは5人に1人だけ。

 もっと簡単に言えば、高齢者となったら、
 男であれば、余命はあと20年、せいぜい25年しかない。
 女であれば、余命はあと25年、せいぜい30年しかない。
と、なります。

 長いようで短い。でも、ボケのことを考えると短いようで長いです。後期高齢者ともなるとボケを心配せねばならなくなり、ボケが始まってから5年も10年も生き続けるとなると家族に大迷惑をかけることになり、いっそ早く死んでしまいたいとう心境になります。しかしながら、ボケてしまうと何も分からなくなり、迷惑を迷惑と思わなくなりますから質が悪いです。これを思うと、死ぬことよりもボケになることのほうが怖いですよね。何とかしてボケずに、立つ鳥あとを濁さずで逝きたいものです。
 これを心して、じゃあ最期は自分はどんな疾患で死ぬことになろうか、それを考えてみましょう。

 年齢別死亡原因のベスト5は次のとおりです。
(平成21年人口動態統計による。ただし、4位の半分にも満たない5位の死亡原因は掲載省略)

<男>  1位   2位     3位    4位    5位
75-79 がん(39%) 心疾患(13%) 脳卒中(10%) 肺炎( 9%)
80-84 がん(32%) 心疾患(14%) 肺 炎(13%) 脳卒中(11%)
 
85-89 がん(24%)  肺炎(16%) 心疾患(16%) 脳卒中(11%) 
90-94 肺炎(20%)  がん(18%) 心疾患(17%) 脳卒中(11%) 老衰( 6%)
95-99 肺炎(21%) 心疾患(18%) がん(13%) 老衰( 11%) 脳卒中(10%)

<女>  1位   2位     3位    4     5位
75-79 がん(35%) 心疾患(16%) 脳卒中(11%) 肺炎(7%)              
80-84 がん(27%) 心疾患(19%) 脳卒中(13%) 肺炎(10%)
85-89 心疾患(24%) がん(16%) 脳卒中(16%) 肺炎(11%) 老衰( 6%)
90-94 心疾患(22%) 肺炎(14%) 脳卒中(14%) がん(13%) 老衰(10%)
95-99 心疾患(22%) 老衰(17%) 肺炎(15%) 脳卒中(13%) がん( 8%)

 男であれば85歳(せいぜい90歳)まで、女であれば90歳(せいぜい95歳)までしか生きられないのが一般的ですから、この表で下線を引いた行が、大方の人の死亡原因となりましょう。もっとも、これは今現在のもので、20年先、30年先は、どれだけか死亡原因が変わるでしょうが、大勢に変化はないと思われます。
 若干の順位差はありますが、男は①がん、②心疾患、③肺炎、④脳卒中、⑤老衰の順になり、女は①心疾患、②脳卒中、③がん、④肺炎、⑤老衰という順番になります。
 そして、男女とも年を食うに従って、がんで死ぬ率が落ち、心疾患と肺炎の率が増えていきます。脳卒中は年齢で大差なく、老衰はまず望み薄と言えます。

 それぞれの疾患による死亡ついて、当人の苦しさなり、家族に迷惑がかかるかどうかを考えてみましょう。(死亡原因の%表示は丸めた数値で小生の勝手な将来予測を含んでいます。)

がん(男:約30%、女:約15%)
 高齢者のがん治療となると、手術は若干減るものの、抗がん剤や放射線治療は相変わらずの感がします。当の本人には大変な苦しみとなりますが、たっぷり治療を受けて不幸にも(運よく)早々にこれで一巻の終わりとなれば、家族に迷惑がかからず、これまたよし、となります。ただし、幸いにも(運悪く)生き延びた場合は、寝たきりになる恐れがあって、家族に迷惑をかけることになりかねませんから、がん治療は遠慮してもらわねばいかんでしょうね。
 こうしたことからも、「がんはホットケ」でして、高齢者のがんは放っておいても日常生活にさほど障害にならず、また、放置がん死は大して苦しまずにホトケになれます。
(参照記事:別立てブログ)
→「楽に死ぬには、がんに限る。がんは放っておけばいい!

②心疾患(男:約15%、女:約25%)
 平成25年人口動態調査によると、80歳以上で心疾患が原因して亡くなった方のその内訳は、心不全44%、急性心筋梗塞17%、その他の虚血性心疾患15%、不整脈及び伝導障害14%となっています。やたらと難しい用語が並んでいますが、簡単に説明しましょう。
 ・心不全:心筋が縮まなくなり、血液が肺や全身に送れない
 ・急性心筋梗塞も虚血性心疾患の一種:心筋の血流悪化で心筋が動かなくなる
 ・不整脈及び伝導障害:心臓の電気系統が故障し、心筋が縮まなくなる
 これらが単独で発生して死因になることもあれば、複数が絡んで発生することもあるようです。高齢の女に心疾患が多いのは、男はがんで若死にするから心疾患死が目立たないだけでして、がんにもならずに長生きすれば、あとは心臓にガタがきて心疾患になる、といったところでしょう。
 ところで、小生のおふくろは10日間寝込んだだけで97歳で他界しましたが、医師の判定は老衰なるも、死ぬ1週間前からひどい不整脈となり、死ぬ2、3日前は心臓に異常な鼓動がありましたから、その様を見ていて、いよいよ心臓のポンプが壊れれるかと思わせられました。こうしたことから、超高齢となって老衰と判定される場合も、けっこう心疾患であることが多いのではないんじゃないでしょうか。
 さて、存命中にどれだけか心疾患の傾向が出てくると、大なり小なり心臓の働きが弱まるのですから、血流が悪くなって酸欠になり、息苦しくなります。ときには心臓に痛みも感じましょう。
 でも、体のあちこちが痛いの痒いのというのは、年を食えば食うほど誰でもそうなりますから、心疾患の傾向が出てきても、ここは愚痴をこぼさず、重たい体を休み休み少しずつなんとかかんとか動かしておれば、自分のことは自分でできるという自立した生活が可能でしょう。
 しかし、病態がだんだん進んでいきます。容易には体を動かせなくなりましょうが、そこは気力です。そして、いよいよ何ともならない事態の訪れを察知すれば、気力も萎え、あとは早い。何らかの心疾患であの世に逝くことになります。
 できれば、急性心筋梗塞が望まれます。急に倒れて意識を失う。正真正銘のピンピンコロリ!でも、死因が急性心筋梗塞なのは、心疾患のうち17%(全死因の3~4%)ですから望み薄です。

③脳卒中(男:約10%、女:約15%)
 平成25年人口動態調査によるによると、80歳以上で脳卒中で亡くなった方のその内訳は、脳梗塞70%、脳内出血22%、くも膜下出血6%となっています。
 これはわかりやすいですね。血管が詰まるか切れるか、どちらかです。高度成長期前は栄養事情があまり良くなく、血管が切れるほうが圧倒的に多く、比率は逆転していました。今は、飽食、運度不足で過栄養となり、詰まることが多いです。将来、この傾向は強まるでしょう。
 いずれのケースも、普段は自立した生活ができていて、家族と楽しく過ごせていたことでしょう。そうしたなかで、ある日突然、急に倒れて意識を失うことになります。家族の誰かに“倒れた!すぐ救急車だ”と、早速に救急救命病院へ運ばれてしまうと、運悪く助かってしまうことがあり、たいていは半身不随だの何だので、要介護となってしまいます。
 ここは、“しばし待て!安静にして寝かせておいてくれ”と言いたいところですが、意識がないですから止めることはできません。この場合は、(参照:別立てブログ)→「
リビングウィルを書いておき、家族にも知らしめておくことです。
 脳卒中の場合は、運よく一巻の終わりとなるケースが多いですから、一番望まれる死に方です。
 ピンピンコロリ運動で有名な長野県のお年寄りの合言葉が「95歳で脳血管障害でコロリと死のう!」というのも、うなずけます。ぜひこうありたいですね。

④肺炎(男:約15%、女:約15%)
 肺炎というと、「風邪をこじらせて肺炎菌に侵されて死ぬ」と一般的に思われていますが、高齢で免疫力が大きく落ち込んでいると、たしかにそうしたことも起きますが、誤嚥性肺炎が多いです。食べ物だけでなく、寝ている間に唾液が気管支に入り、唾液に含まれる雑菌が肺の中で増殖して肺炎を引き起こすこともあるのです。
 どちらのケースも、その多くは寝たきりになっている重度の要介護者です。肺炎が死因ということは、長く寝たきりであったと言えましょう。御免こうむりたい死に方です。
 ところで、寝たきり老人がいるなんて日本ぐらいなものです。安易に寝たきりに甘んずる年寄りが悪いとも言えますが、家族が寝たきりにして生かしておきたがるという、家族の見栄丸出しの利己主義的文化をうまく利用して医療介護業界が成り立っているとも言えます。(参照記事:別立てブログ)
寝たきり老人をなくす術
 お年寄りも家族も、延命治療を拒否する勇気をぜひ持ちたいものです。なお、欧米では、延命治療は老人虐待という考え方をもっていますから、寝たきりがほとんどない大きな要因になっています。日本人の平均寿命が世界一となっている最大の要因は、死ぬべき老人が延命治療で生かされているから、と言って過言でないです。
 ところで、入院していったん延命治療が始まると、それを中止することは安楽死させることになりますから、容易なことではないです。そのためにも、健康なうちに「リビングウィル」を書いておくことでしょうね。

老衰((男:約2%、女:約8%)
 体全体が平均的に弱ってきて生命維持ができなくなって死亡したときに老衰と判定されるのですが、持病があったりするとそれが死因とされることが多いですから、老衰死の実態は定かでないと思われます。
 85~89歳の死因で老衰死は、男2%(?)、女6%となっているのですが、なぜか男の老衰死は極端に少ないです。
 いずれにしても、老衰死の場合は、死ぬまでのしばらくの間は床に伏すことになります。その期間はどれくらいかとなると、心疾患の場合と同様に、本人が気力でどれだけ体を動かし続けてきたか、にもよりますし、延命治療の程度で大きく違ってきます。
 自力で飲食ができなくなれば、欧米では何もしないのが原則で、水も飲まないのですから1週間か10日で確実にご臨終となります。
 小生のおふくろは老衰死と判定されましたが、最後の1か月間ほどは気力を振り絞って97歳の体を動かし続け、とうとう動けなくなって床に伏し、そのときには自力で飲食ができなくなっていて、小生が口元へ水やジュースを運んであげたのですが、日に日に飲む量が減り、10日間で逝きました。
 その母親、うちのお祖母さんの場合も老衰死と判定されたのですが、間もなく98歳というときに風邪を引いたのが原因で床に伏すようになり、起き上がれなくなって栄養点滴を受け40日間生き長らえましたが、点滴はけっこう苦しいようですから、何もしなかったほうが良かったようです。
 おふくろもお祖母さんも、珍しく自宅でともに老衰死したのですが、その要因は、これといった持病はなく、ヨボヨボになっても毎日庭の草引きをしたりして、百姓で鍛えた骨太かつ筋肉ある体を何とか維持し、何度か転倒しても骨折することなく、加えて関節痛もさほどのことはなかったですから、早々に寝たきりになるような事態にならなかったことが幸いしたと言えます。
 よって、今年68歳となる小生としても半農半商の生活を生涯現役で勤め上げ、最後は老衰死を望むのですが、そうは調子よくいかないでしょうから、でき得ることなら十分に自立生活ができているうちに、ある日突然、脳卒中でピンピンコロリと逝きたいものです。
 くれぐれも、死亡診断書に肺炎なんぞと決して書かれないよう、残された余生20年余を心して自立した生活をするんだと腹をくくっています。
 その余生が運悪く30年になっても、最後の数年間は気力でもって体を動かし続けることをここに宣言して。

 と書いて、ここで終ろうかと思ったのですが、考えてみるに、団塊世代の20年後、30年後は、どこの介護施設も満タンで、入りたくても入れない状態になっていますから、必然的に気力でもって自立生活することを余儀なくされます。果たしてそれに耐えられるかどうか、宣言した小生とて怪しい。
 残された方法、自分で唯一選択できる死に方、そんなエッと思わせられる方法がありますので、最後にそれについてもふれておきます。
 自分で唯一選択できる死に方、それは「断食往生」です。これも悪くはないです。実は小生も密かにそう願っているところです。
 中村仁一著『「自然死」のすすめ』から、中村氏ご本人が望んでおられる「断食往生」のやり方について、抜粋して紹介します。

 …現在の、死に際に医療が濃厚に介入する「医療死」ではなく、子どもの頃に接した年寄りの死に方、何百万年と続いていたご先祖様の死に方、「自然死」(注1)が希望です。…
 そこで、タイミングがむずかしいのですが、完全にぼけ切る前に、…「断食往生」ができないかを考えています。
 …西行さん(注2)のように「死に時」が察知できれば、非常に楽だと思います。できるだけ体内サインに敏感になれるよう、できるだけ自然に任せて様子をみるというトレーニングを積むようにしています。
 中村流「断食往生」の具体的工程
 一、五穀絶ち 7日間
 二、十穀絶ち 7日間
 三、木食    7日間(木食は木の実だけを食べること)
 四、水絶ち   7日間
(引用ここまで)

(注1)自然死(同著より抜粋):自然死の実態は…「餓死」(「飢餓」「脱水」)です。一般に、「飢餓」「脱水」といえば、非常に悲惨に響きます。空腹なのに食べ物がない、のどが渇いているのに飲み水がない。例えば、砂漠をさまよったり、海を漂流したりする状況は、非常に辛いものと想像されます。しかし、同じ「飢餓」「脱水」といっても、死に際のそれは違うのです。いのちの火が消えかかっていますから、腹もへらない、のども乾かないのです。
(注2)西行(さいぎょう):平安時代末期に武家に生まれ、出家して歌人となり、鎌倉時代初期に断食往生。中村流のそれは、これを模したもののようです。

 いかがですか「断食往生」。
 実は小生は毎日ミニ断食をしています。1日1食の食生活です。そして、年に1回は2日断食(断食前後の肉断ち少食を含めると1週間)をすることにしています。その目的は、病気したときには動物皆そうですが断食して自然治癒させますので、それに備えての訓練として始めたものですが、最近、これは長期の断食による「断食往生」の訓練でもあると捉えるようになりました。

 ところで、「断食往生」、それは自殺と捉えられてしまいますが、中村氏は、自殺とは「いっそひと思いに」といった形のもので、このように1か月もかけてというものは、よほど強靭な精神力が必要となり、自殺の範疇に入らないのではないかと言っておられます。
 なお、留意点として、これは自然死も同様ですが、医師の往診を受けずに自宅で死亡した場合は、検死が行われ、場合によっては家族が「保護責任者遺棄致死の罪」で取調べを受けることにもなります。その対処法についても本書で具体的に書かれています。
 
よって、今後は、年に1回行う断食日数を3日、4日さらには1週間と延ばしていき、断食慣れすれば、すんなり「断食往生」に入れるのではないかと。
 さあ、今年は「断食往生」に備えて3日断食を決行しよう!
 できるかなあ?

(追記)
 2016年05月11日のアメブロ投稿時以後に知ったことですが、死に様が物凄い御仁が明治時代にいました。それは山岡鉄舟です。52歳で胃がんで没。
 「みやざき中央新聞8月1日号 先人に学ぶ生き方の極意 その8 (著者:白駒妃登美)」からの抜粋
 1888年(明治21年)7月19日朝、鉄舟は「腹痛や 苦しき中に 明け烏(がらす)」と歌いながら朝湯につかり、上がると白装束に着替え、左手に数珠、右手に団扇を持って座りました。やがて、見舞いに来た勝海舟としばらく世間話をしていましたが、鉄舟はおもむろに「只今、涅槃に入る」と告げました。それを聞いた勝が「左様か、ではお心安く御成仏を」と言って辞去すると、鉄舟はそのまま座を崩さず、皇居の方角に向かっていつの間にか息を引き取っていたそうです。
 死に際にその人の生き様が凝縮されるとするならば、まさしく山岡鉄舟こそ「ラスト・サムライ」といえるのではないでしょうか。「ラスト」には、「最後の」という意味のほかに、「永遠に続く」という意味もあります。(引用ここまで)

 いやあー、恐れ入ります。とても人間業とは思えません。そんなこと絶対に不可能だ、となってしまいそうですが、どっこい身近にそれに近い方がいらっしゃいました。
 その方は、80歳で肝臓がんで亡くなられたのですが、死の近くまで農作業をされ、「もうあかん、動けん」と言ってから20日後に息を引き取られました。がんだと分かっても誰に言うこともなく、医師の手当ても受けず、そして自分の死期を悟られたことでしょう。
 やっぱり「楽に死ぬには、がんに限る」ですなあ。

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高齢者は死を恐れるなかれ。死はこの世の卒業式みたいなもの

2015年06月12日 | やがて訪れる死に備えて

高齢者は死を恐れるなかれ。死はこの世の卒業式みたいなもの

 「死」は、怖い、苦しい、何とか避けられないものか。いい年こいて年寄りになっても、このように死を恐れるのが日本人の一般的な思いのようです。
 “俺はまだ死にたくない!若き女房と年端もいかない子どもたちを路頭に迷わすわけにはいかん。余命幾ばくもない不治の病を宣告されて、こんな怖いことはない。”といった働き盛りの方であれば別ですが、高齢者ともなれば子供は皆とっくに結婚して孫までいるのが普通です。
 人も動物。動物は皆、子が一人前になればお役御免となり、子造りが無理な年寄りになったら、あとは死ぬるばかりよ、と観念します。例えば草食動物の例。彼らはたいてい群を作っていて、肉食獣に襲われると逃げまくります。年寄りもそうしますが、だんだん逃げ足が悪くなり、もうダメだと観念したら、“子や孫たちを食わずに、さあ、俺を食え。”と、立ち止まって、肉食獣に腹を向けます。あるいは、走ることがままならなくなると、静かに群を離れ、自分の体を肉食獣に捧げるのです。
 動物もののTV番組では、こうした場面を滅多に放映しないのですが、自然界の姿はこれが一般的なようです。こんなのを度々放映したら、“動物の年寄りって立派ね。それに比べると今の人間の年寄りはどうなの。”となってしまいます。年寄りが実権を握っている世の中ですから、こうした場面は“カット、カット!”となるのでしょうね。

 人はいずれ必ず死にます。古今東西、いまだこれに例外はありません。
 人は社会的動物で、家族だけではなく他人とも絶えず関係を持って生きています。人同士は草食動物の群以上に深い強い絆で結ばれているのです

 であるならば、人は死の間際まで多くの人たちに何かとお世話になっているのですから、そのお返しに何らかの形で社会貢献し続けねばいかんでしょう。
 死ぬまで「はたらく」(働く=傍を楽にする)ことです。これが美徳というものです。
 体が動かせなくなっても口ぐらいは動くでしょう。長年の経験で智恵を蓄えているでしょうから若者に何かしら伝授できるでしょうし、少なくとも家族や仲間の幸せを祈る言葉そして笑顔は投げかけられます。

 さて、それもできなくなり、目も開けていられない、顔の筋肉も動かせない、となったら、飲食もままならなくなりますから、最期は近いと自覚できましょう。
 そうなったら、過去記事『「自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想』の中で紹介しましたように、飲食を断てば1週間かそこらで何の苦しみもなく、いや、かえって心地の良い至福の一時を楽しみながらあの世へ逝けるのですから、全く心配ないのです。皆さん、へたに延命治療なさるから、死に際で苦しまねばならないのです。

 しかし、いずれにしても死ぬのは怖い、という悩みを抱えておられる方が日本人にはあまりにも多いのですが、心理カウンセラー衛藤信之氏が“ここは「ものの見方」を変えてみることです”と、おっしゃっておられます。氏の著「幸せの引き出しを開ける こころのエステ」からその一部分を紹介しましょう。(以下、引用)

 …死んだらどうなるか? それは誰にもわかりません。
 心理学では、私たちが子宮の世界から追い出される「誕生」は、「死」と同じストレスだと言います。そうすると死はどこかの誕生かもしれないですね。
 あなたは胎児のときに悩みましたか? 新しい世界のことをあれこれと心配して苦しみましたか? 私たちは生まれてきて知ったのです。この世界の広さや自然の美しさをね。
 江戸時代の禅僧、良寛さんが言いました。災難のことは災難に遭ったときに考えなさいと。遭う前からそのことで苦しんでいるのが、一番災難だと。不幸を引き寄せ虫眼鏡で拡大している人は不幸ですが、まだ起こっていないことを望遠鏡で想像している人は、もっと不幸大好き人間なのです。生きながらあの世に浸っているのです。ご愁傷様。
 私ですか。あの世はよいところだろうと思ってますよ。当然じゃないですか。だって誰も帰って来た人がいないほど居心地がよいところだからですよ。
 悩みは、ものごとの受け止め方、ものの見方を変えることで、軽くなったり、なくなったりするものです。(引用ここまで)

 もう一つ紹介しましょう。“心温まる、勇気をもらえる、感動した!”と形容して、当店のお客様に一部の記事を毎月紹介している「みやざき中央新聞」、このブログで久し振りの紹介となりますが、次の記事です。
 心理療法家、川畑のぶこ女史の「ココロが喜ぶ カラダが喜ぶ」シリーズVol.7 「死は忌み嫌うものではなく、学校で言えば卒業式みたいなものと考えてみる」を、下に画像で貼り付けました。クリックしてご覧ください。
(画像が開いたら、もう1回クリックして拡大してお読みください。)

 どうでしょうか。ここで紹介されたバリ島のように葬式がお祭になって「おめでとう」とまではいかなくても、ヒンドゥー教の僧侶の場合は、自分の死期を知るとパーティーを催して別れの挨拶をし、瞑想に入ってそのまま亡くなるのが一般的だそうです。
 これを「マハーサマーディー」といい、人間はこのような死に方をするときは脳内麻薬が分泌され、至福のうちに旅たつことができ、最も自然な死に方と考えられているとのことです。これは、マハーサマーディー研究会代表の天外伺朗氏のお話です。

 ここまで、死に関して幾つかの例をあげてきましたが、“こんなん、どれも特殊なもので、一般的じゃないわ”と捉えられる方が多いかと思います。
 でも、欧米諸国では、これが一般的です。自力で口から飲食できなくなったら、回りの者は決して無理やり食わせたり飲ませたりすることはなく、まして点滴など打ちません。
 このことについては過去記事「三宅薬品生涯現役新聞N0.239:寝たきり老人をなくす術」で紹介しましたので、ご覧になってください。
 また、日本は医者も家族も延命治療させたがり、なかなか死なせてもらえない状況にありますから、かかる事態を想定して、これも過去記事で紹介しましたが、「
延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く」という準備をなさっておくべきでしょう。

 死生観を持っているかどうかということに関しては、世界で一番の“後進国”といえる日本です。そろそろここらで真剣に考えねばいかんでしょうね、特に団塊世代(小生はその真ん中)」は。
 そうしないと、いい年こいて“まだ死にとうない!”と、宣ふ(のたまう)往生際の悪い年寄りで日本中があふれ返り、後世に「日本の歴史上、最低だった集団は団塊世代」との汚名をしっかり残すことになりましょうぞ。

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「自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想

2014年12月29日 | やがて訪れる死に備えて

「自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想

 この本の表題は、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」でして、見出しに掲げたものは副題で小さな文字で書き添えられているだけです。本の表題というものは、えてしてこうしたもので、この本も著者が言いたいのは「自然死のすすめ」でして、全編にわたりこれが貫かれています。たぶん出版社が、これでは余りに暗くて売れないから、なにかいいキャッチフレーズはないかと考えて、そうしたことでしょう。

 この方、小生より8歳上の昭和15年生まれで、この本を書かれたのは3年前、71歳のときのものですが、語り口めいた文調やその内容からすると、80歳を超えた御仁の手によるような感がしました。これは、きっと特別養護老人ホームの常勤医師になって12年にもなり、年配者と日常的に接してこられたからかも。小生には、そのように思えました。

 中村氏に共感した点が、本題とは直接関係ないことで2つありました。
 一つは「認知症」という言葉が好きになれないという点。氏曰く、

 私は、本書の中で、「認知症」という言葉は一度も使わず、“ぼけ”とか…と表現しています。…介護現場では、「認知が進んで」などと使われる場合があります。「おいおい、それだとよくなっているんじゃないか」と突っ込みたくなります。いずれにしても、「認知症」はわけのわからない言葉です。

 小生も全く同意見でして、滅多に「認知症」という言葉は使わず、「ボケ」でなんで悪い、これで通しています。
 もう一つは「生活習慣病」です。氏曰く、

 …この生活習慣病という呼び方には問題があります。よく、糖尿病になったのは甘い物を食べすぎたせいなどといわれるように、悪い生活習慣が原因のすべてであるかのような錯覚を与えます。しかし、いくら食べても素質のない人間は、糖尿病にはなりません。このように、病気の原因が個人の責任に転嫁されやすい側面を考えると、以前の「成人病」(老人病)という呼称の方が、年寄りへの圧力のかかり方は、少なくすんでいたのではないかという気がします。

(※)これについても全く同意見でして、小生は、「生活習慣病」というよりか“高度文明病”と呼ぶべきと思っていますが、そんなことを言う人はだれもおらず、「生活習慣病」という呼び名を、止むを得ず妥協して使っているところです。
 なお、蛇足になりますが、「生活習慣病」では生ぬるい、“自己管理欠陥病”と呼ぶべきで、これは非常に厳しい言葉ではあるが、自分できちんと管理すれば未然に防ぐことができる、とまでおっしゃる新谷弘実医師(内視鏡手術の世界的権威者:中村氏より5歳年長)のような方もいらっしゃることを申し添えておきます。
(※)この段落は2015.2.7に、“高度文明病”と“自己管理欠陥病”について書き添えました。

 いずれにしましても、こうして中村氏とは何だか脈が合い、「自然死」の考え方に引き込まれてしまいました。加えて、最後のほうで、氏は、自分も「断食往生」を希望していると書かれていますから、たまったものではありません。実を言う小生、8年前の58歳のとき、それを強く思い、今もその気持ちに変わりはないからです。

 前置きが長くなってしまい、申し訳ありません。
 さて、これより本に書かれている内容について、以下、引用要約します。

(豊かになった日本社会においては)これまで医者たちは「年をとっても健康でなければ何にもなりません。健康ほど大切なものはありません。だから、健やかに老いましょう。」と脅迫し続けてきました。年寄りも若さにこだわり、近代医療に過度の期待を持ち、「年のせい」を嫌って、これを認めようとせず、「老い」を「病」にすり替えています。
 「病」には回復の可能性があるのに対し、「老い」は一方通行で、その先には「死」が待ち構えています。「死」を認めようとしない、「死」を恐れるという風潮です。
 考えてみてください。この世に生まれ出た者は、全員がいずれは死ぬ運命にある「死刑囚」なのです。年寄りの不具合は、全て老化が原因です。今さら医者にかかって薬を飲んでみたところで若返らせることは不可能ですから、どうなるものでもありません。
  故障箇所 全部老化で 片がつき
 年をとればこんなもの、年をとればどこか具合の悪いのが正常、というものです。
 「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけることです。
 医療に頼りきりになっている今日は“長寿地獄社会”になっています。
 死に際の苦しみには医療による“虐待”があるばかりでなく、それに先立つ介護による“拷問”もあるのです。
医療は、死にゆく人間にいたずらに薬を投与したりして無用の苦痛を与えますし、介護は、食いたくもないのに無理やり口の中に食べ物を放り込みますから、これも苦痛以外の何ものでもないです。
 「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」ことになってしまうのです。

 正しくこのとおりでしょうね。小生の自論として、まだまだ若くどこも悪くないと思っている40歳でどこか1か所悪くなり、50歳で2か所、60歳で4箇所、70歳で8箇所、というふうに10年経つと倍々で故障箇所が増えていき、80歳で16箇所、90歳で32箇所、100歳で64箇所となり、あまりの故障箇所の多さでこの年代になると順次命が絶えていく、そのように思っています。よって、110歳まで生きる方はオバケであり、120歳ともなると、さばを読まないことには生存は有り得ないことでしょう。
 じゃあ、何も治療せず放っておいたら、人は何歳で死ぬか。これは個人差が有りすぎて何とも言えないというしかないです。
 でも、今まで元気だった、かなり高齢の人がだんだんと動きが鈍くなり、とうとう寝込んでしまったとなると、死期は近いと皆が感ずるようになりましょう。小生のお祖母さんは97歳でそうなり、自宅にて老衰死であの世へ旅立ちました。自然死です。
 そのような自然死の予兆、つまり“枯れる”時期を正確に判断できるかどうかですが、中村氏は次のようにおっしゃっておられます。以下、再び引用要約します。

 当施設でたくさんの自然死の年寄りを見てきますと、何となくわかるように思います。枯れかけているように見えても“肥料”をやったら持ち直すことが間々あるではないか、たしかに見当を付けにくいことは事実です。
 でも、
病院などで使われている栄養評価方法の主観的包括的評価法の中の高度栄養障害の部分が充分に利用可能です。例えば、食が細って食事量が減り、1か月に5%以上といった体重減少があり、歩けなくなったり、立つことができなくなったり、といった日常の生活動作に障害が現れてくることなどです。
 このようなことが見受けられた場合、“
枯れ始めた”と考えて、あまりはずれることはありません。私は、この時点で家族に話をすることにしています。私は勧めないけれども、今は「胃瘻(いろう)」という“強制人工延命装置”があり、家族で話し合って結論を出すように伝えます。なぜこの話をするかといいますと、この手続きを踏んでおかないと、後で家族からどうして教えてくれなかったのかと大変な騒動に巻き込まれることがあるからです。

 中村氏が携わっておられる施設では、こうして自然死で亡くなられる方が他の施設に比べて圧倒的に多いようです。そして、自然死の場合、皆さん「とても穏やかそうな死に際である」ことが氏の脳裏に焼き付いているとのことです。
 なぜに自然死の場合、かくも穏やかなのか、これについて、中村氏は次のようにおっしゃっておられます。以下、少々長くなりますが引用します。

 「自然死」のしくみとは
 自然死の実態は…「餓死」(「飢餓」「脱水」)です。一般に、「飢餓」「脱水」といえば、非常に悲惨に響きます。空腹なのに食べ物がない、のどが渇いているのに飲み水がない。例えば、砂漠をさまよったり、海を漂流したりする状況は、非常に辛いものと想像されます。
 しかし、同じ「飢餓」「脱水」といっても、死に際のそれは違うのです。いのちの火が消えかかっていますから、腹もへらない、のども乾かないのです。
 人間は、生きていくためには飲み食いしなくてはなりません。これはあたりまえのことです。ところが、生命力が衰えてくると、その必要がなくなるのです。
 「飢餓」では、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持ちになって、幸せムードに満たされるといいます。
 また、「脱水」は、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりとした状態になります。
 以前、病院勤務の頃、独身の息子のところに身を寄せていた寝たきりの母の様子がおかしいと、病院に運び込まれてきたことがあります。会社員の息子が、朝の出がけに老母の枕元にお茶と握り飯を置いて出かけていたのですが、夏の暑い盛りで老母が充分に飲み食いしなかったため、3日目には昏睡の一歩手前まで意識レベルが落ちていました。
 そこで、薄い(浸透圧の低い)食塩水をじゃんじゃん点滴して、濃くなった血液を薄めたところ、3日目に意識が戻りました。
 意識が普通になったところで尋ねると、直近の数日間のことは何も覚えていないとのことでした。つまり、苦痛を全く感じていなかったということになります。
 もし、あのまま手当をしなければ、何の苦痛も感じないままあの世に移行していたということになります。
 それから死に際になると、呼吸状態も悪くなります。呼吸というのは、空気中の酸素をとり入れて、体内にできた炭酸ガスを放出することです。これが充分にできなくなるということは、一つには酸素不足、酸欠状態になること、もう一つは炭酸ガスが排出されずに体内に溜まることを意味します。
 酸欠状態では、前述のように脳内にモルヒネ様物質が分泌されるといわれています。柔道に絞め技というのがありますが、あれで落とされた人は、異口同音に気持ちよかったといっています。酸欠状態ではモルヒネ様物質が出ている証拠だと思います。
 一方、炭酸ガスには麻酔作用があり、これも死の苦しみを防いでくれています。
 このように、死というのは自然の営みですから、そんなに苛酷ではないのです。痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行することだと思うのです。
 年寄りの“老衰死”には、このような特権が与えられているのです。
 だから、無理をして傍についている必要はありません。大声で呼びかけたり、身体をゆすったり、手を握っているなど無用です。たとえ傍にいたとしても、何もせずに、じっと見守るだけで充分。“そっとしておく”のが一番の思いやりです。
 “看取る”とは“見とる”ことなのです。

 いかがでしたでしょうか。小生の親父(数え78歳で死亡)は死期が近づいた頃に、肺が弱くなって酸素交換能力が落ち、ずっと酸素吸入をしていたのですが、あるとき酸素濃度が高すぎたがために血液中に炭酸ガスが溜まって意識を失うということがありました。その時は救急車を呼んでから、吸入装置を外し、何とか着替えを終わらせたところで、突然目を覚まして“気分良かった”と言っていましたから、やはりこれは酸欠による“効果”であったことでしょう。なお、救急車には理由書を書いて帰ってもらいました。その1か月ほど後、親父は検査入院3日目の朝、痰が喉に詰まっての窒息死。そのときは、のたうち回る苦しさであっただろうなあ、と思っていましたが、この本を読んで、夢うつつの気持ちいい、穏やかな死であったと知ったところです。

 次に、いよいよお迎えが来たという状態になって何日であの世へ逝くかですが、中村氏は次のようにおっしゃっておられます。以下、引用します。

 点滴注射や酸素吸入は、本人が幸せに死ねる過程を妨害する以外の何ものでもないと考えていますので、私は原則として、行いません。…
 では、点滴注射もせず、口から1滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの日数がどれくらいかといいますと、7日から10日ぐらいまで(最長で14日間)が多いようです。排尿は、亡くなるまでの日数が短ければ当日まである場合もありますが、少なくとも2~3日前まではあるようです。…
 また、「脱水」の状況下では、38度前後の、時には39度5分くらいの体温上昇をみることがあります。…
 この時点で、本人はスヤスヤ状態なので、何ら苦痛はありません。…
 よく「点滴注射のおかげで1か月生かしてもらった」などという話を耳にします。しかし、良く考えてみてください。点滴注射の中身はブドウ糖がわずかばかり入った、スポーツドリンクより薄いミネラルウオーターです。「水だけ与えるから、自分の体を溶かしながら生きろ」というのは、あまりに残酷というものではないでしょうか。…
 「脱水」は、意識レベルが落ちてぼんやりした状態になり、不安や寂しさや恐ろしさから守ってくれる働きをすることは、すでに述べたとおりです。
 それなのに、たとえ善意にしろ、せめて水だけでも、と無理に与えることは、この自然のしくみに反し、邪魔することになるのです。赤ん坊が、眠いのにいろいろちょっかいを出されて、眠らせてもらえないのに似ています。ひどい仕打ちだとは思いませんか。
 たしかに、見殺しにするようで辛い、何もしないで見ているだけなんてことはできないという気持ちも、わからないではありません。しかし、こちら側の都合だけで、何かをするというのは、「エゴ」といっていいと思います。その行為は誰のため、何のためなのか、やった結果、どうなるのかを考える必要があります。
 本人は嬉しがるか、幸せに感じるか、感謝してくれるか、あるいは自分だったらしてほしいことなのかなど吟味してみなくてはいけません。
 たしかに私たちは、何もせずに見守ることになれていません。辛いことです。
 だからといって、自分が苦しさや辛さから免れるために、相手に無用な苦痛を与えてもいいという道理はありません。「そっとしておく思いやり」もあるのです。
 また、たとえ延命したとしても、悲しみはなくなりも減りもしません。ただ先送りするだけなのです。
 フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下でき
なくなったら、医師の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事です」といわれているそうです。…
 もっとも、かくいう私も病院勤務時代に、…何とかしてほしいと頼まれ、いろいろ工作し…た経験が、いくたびもあります。
 片棒を担いで、死にゆく人間を無用に痛みつけたわけですから、もし地獄というものがあるなら、当然地獄行きでしょう。皆さんの中にも、身に覚えのある方が結構おられると思います。地獄行き、ご一緒しましょうね。

 いかがでしょうか。中村氏は、ここでフランスの例を持ち出しておられますが、これはフランスに限らず、欧米諸国皆ほとんど同じ対応が取られており、点滴注射も胃瘻も原則として行っていないのが実情であることは、このブログで先日「寝たきり老人をなくす術(三宅薬品・生涯現役新聞N0.239)」で記事にしたとおりで、欧米諸国の考え方によると、延命措置を取ることは倫理的に問題であるし、老人虐待であるとさえ言われているのです。
 日本人は、やれ点滴注射だ、やれ胃瘻だと、なぜに利己主義的対応を取るのでしょうかねえ。日本人ならば、仏教の教えにより、ちゃんとした「死生観」を持ち合わせていて良いように思うのですが、残念でなりません。

 最後に、中村氏が望んでおられ、小生もそう願っている「断食往生」について、氏の見解を紹介しておきます。

 …現在の、死に際に医療が濃厚に介入する「医療死」ではなく、子どもの頃に接した年寄りの死に方、何百万年と続いていたご先祖様の死に方、「自然死」が希望です。…
 そこで、タイミングがむずかしいのですが、完全にぼけ切る前に、…「断食往生」ができないかを考えています。
 …西行さんのように「死に時」が察知できれば、非常に楽だと思います。できるだけ体内サインに敏感になれるよう、できるだけ自然に任せて様子をみるというトレーニングを積むようにしています。
 中村流「断食往生」の具体的工程
 一、五穀絶ち 7日間
 二、十穀絶ち 7日間
 三、木食    7日間(木食は木の実だけを食べること)
 四、水絶ち  7日間

(注) 西行(さいぎょう):平安時代末期に武家に生まれ、出家して歌人となり、鎌倉時代初期に断食往生。中村流のそれは、これを模したもののようです。

 ところで、「断食往生」、それは自殺と捉えられてしまいますが、中村氏は、自殺とは「いっそひと思いに」といった形のもので、このように1か月もかけてというものは、よほど強靭な精神力が必要となり、自殺の範疇に入らないのではないかといっておられます。
 なお、留意点として、これは自然死も同様ですが、医師の往診を受けずに自宅で死亡した場合は、検死が行われ、場合によっては家族が「保護責任者遺棄致死の罪」で取調べを受けることにもなります。その対処法についても本書で具体的に書かれています。

 高度成長期以前は日本でも主流であった「自然死」、今でも欧米諸国はしっかりと「自然死」へ導いていること、これらを踏まえ、人間の尊厳についてよーく考えたいものです。

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延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く

2013年09月10日 | やがて訪れる死に備えて

延命治療を受けないためのリビングウィル(死の間際にどんな治療を望むかをあらかじめ示した書)を書く
(最新更新 2018.12.4)

 「1日で治る患者を1日で治す医者は病院を首になる。1日で治る患者を1年引き延ばせば院長になれる。」というブラック・ジョークがあります。医師の間では知られたことのようでして、これ、まんざらウソではなさそうです。
 もう一つのジョーク、『「最近「予防医学」が全盛ですが、その実態は「“患者を呼ぼう”医学」。医者の“おいしい”お客様にならないよう気をつけましょう。』と言っておられるのは、小生と同い年(昭和23年生まれ)の近藤誠医師で、氏は慶応大学医学部“講師”の肩書きのままで、孤軍奮闘40年間頑張っておられますが、病院を首になっても仕方がない行動を取っておられます。
 そして、氏曰く:医者を40年やってきた僕が、いちばん自信をもって言えるのは「病院によく行く人ほど、薬や治療で命を縮めやすい」ということです。…「信じる者は救われる」と言いますが、医者を簡単に信じてはいけない。
 そして、「本書では、医療や薬を遠ざけ、元気に長生きする方法を解説していきます。」と、表紙の裏面で言っておられます。その本は、「医者に殺されない47の心得」(2012年12月 アスコム)です。

 本書の内容については、このブログで、その一部を引用しながら、2013.5.6『「免疫力ではがんを防げない」とおっしゃる近藤医師、でも…』で記事にしましたので、興味がお有りな方はご覧ください。
 その記事の中でも少し触れましたが、近藤誠医師は、本書を執筆するにあたって、巻末でご自身のリビングウィルを紹介なさっています。
 その少し前の部分から引用しましょう。

どんな延命治療を希望しますか?
 リビングウィルのことが、最近よく話題になります。自分の死のまぎわにどういう治療を受けたいかを、判断能力のあるうちに文書にしておくことです。
 日本では、リビングウィルにはまだ法的な力はありませんが、書いておくことで、意識を失ったあとも、家族や医師に、延命治療についての自分の意思を伝えられます。
「鼻腔チューブ栄養のような、強制的な栄養補給は一切不要」「人工呼吸が1週間続いて意識が戻らなかったら装置をはずしてほしい」「植物状態になっても、できるだけ生き続けたい」など、自分で説明できなくなったときの「どう死にたいか」の希望を、なるべく具体的に書いて、身内の同意をもらい、毎年更新していきます。
 よい機会なので、倒れて病院に連れ込まれたとき用のリビングウィルを書いてみました。家人や知人がわかるところに保管します。あなたも、書いてみませんか?

近藤誠のリビングウィル
 いっさいの延命治療をしないでください。
 私は今日まで、自由に生きてきました。
 64歳まで、好きなことに打ち込んで、幸せな人生でした。
 そして、自分らしく人生を終えたいと思っています。
 今、私は意識を失っているか、呼びかけに少し反応するだけだと思います。
 すでに自力では、呼吸もほとんどできないかもしれません。
 このまま命が尽きても、何も思い残すことはありません。
 だから、決して救急車を呼ばないでください。
 すでに病院にいるなら、人工呼吸器をつけないでください。つけられているなら、はずしてください。
 自分で飲んだり食べたりできないなら、無理に、口に入れないでください。
 点滴も、チューブ栄養も、昇圧薬、輸血、人工透析なども含め、延命のための治療を何もしないでください。すでに行われているなら、すべてやめてください。
 もし私が苦痛を感じているようなら、モルヒネなどの、痛みをやわらげるケアは、ありがたくお受けします。
 今、私の命を延ばそうと力を尽くしてくださっている方に、心から感謝します。しかし、恐れ入りますが、私の願いを聞いてください。
 私はこの文章を、冷静な意思のもとに書き、家族の了承を得ています。
 いっさい延命治療をしないでほしい。
 この最後の願いを、どうぞかなえてください。
 決して後悔しないことを、ここに誓います。

 2012年12月7日
              住所
               自筆署名          歳  印
               証人署名

 

 さて、小生と同い年の近藤氏がこのようなリビングウィルをお書きになったのですから、小生も誕生日が来て65歳の「老人」になった記念すべき日に、リビングウィルをしたため、女房に証人署名してもらい、その写しを娘と息子に渡しておくことにしました。
 その文面をどうするかですが、基本的には近藤氏のそれを真似させていただき、次のとおりとしました。

(以下の書は長すぎるし、目に着かないとの指摘を受け、2018年版から表題に「一切の延命治療をお断りします」と書き加えることにしました。)

 三宅和豊のリビングウィル「一切の延命治療をお断りします」
 今、私は意識を失っているか、呼びかけに少し反応するだけだと思います。
 既に自力では、呼吸もほとんどできないかもしれません。
 でも、このまま命が尽きても、何も思い残すことはありません。
 だから、決して救急車を呼ばないでください。
 1時間程度様子を見て、何とか反応したら、私の言うことを聞いてやってください。
 無意識、無反応が続くようでしたら、近所のお医者さんに往診に来てもらってください。
 くれぐれもお願いしますが、決して病院へは搬送しないでください。
 いかなる延命治療も、一切受けたくないのです。
 
 既に病院に搬送されているなら、お医者さん方にお願いがあります。
 一切の延命治療をしないでください。
 人工呼吸器を付けないでください。付けられているなら、外してください。
 点滴、昇圧薬、輸血、人工透析なども含め、延命のための治療は、一切何もしないで
ください。既に行われているなら、全て止めてください。
 そして、栄養点滴、チューブ栄養など、一切の栄養補給を行わないでください。
 ただし、もし私が苦痛を感じているようでしたら、モルヒネなどの痛みをやわらげるケア
は、是非お願いします。

 今、私の命を救おうと懸命に頑張っておられる方々に心から感謝します。
 しかし、恐れ入りますが、私の最後の願いを聞いてください。
 「延命治療につながることは一切しないでください。」 
 私はこのリビングウィルを、年に1回、冷静な意思のもとに書き改め、家族そして私の
子供たちの了承を得てきています。
 
私は還暦過ぎから今日まで、いつこの世からおさらばしても良いように生きてきました。
 それから10年、70歳まで好きなことに打ち込むことができ、実に幸せな人生でした。
 そして、できることなら、このままピンピンコロリと人生を終えたいと願っています。

 関係する皆様方に対し、私を延命治療しないがために、私が早々にあの世に逝くこと
になっても、私の臨終に家族や子供たちが立ち会うことができなくても、決して私は後悔
していないことをここに誓います。

 2018年9月10日
               
住所 岐阜県羽島郡岐南町三宅5-246
               (電話 本人*** 妻***)

               自筆署名          (70歳) 印

               証人署名 妻             

 写し配布先:住所氏名  娘   東京都杉並区***
                         ****

                 息子 埼玉県川口市***
                         ****

 これを今日の誕生日にしたためたところですが、この文面ですと、近藤氏も同様ですが、毎年書き改める必要があります。少々面倒ではありますが、何年も前に書いたリビングウィルでは効力が弱まりましょうから、誕生日には、これまで生かされてきたことに感謝しつつ、リビングウィルを作成し直すことを年中行事にしていくつもりです。

(2018.9.10 追記)
 もう5年もこれを毎年更新し、女房もこの記事を書いた翌年からリビングウィルを作成してきています。少々面倒になってきましたが、やはり毎年更新せにゃいかんでしょう。
 なお、女房の分は病名「慢性心不全」を冒頭に入れ、より分かりやすくしました。

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“老いは病”か”病は老い”か? 癌は老化現象であり、“真っ当な死生観”を持ちたいものです

2011年12月28日 | やがて訪れる死に備えて

“老いは病”か”病は老い”か? 癌は老化現象であり、“真っ当な死生観”を持ちたいものです

 癌(がん)を含め生活習慣病は、どちらの立場に立てばよいでしょうか。

 ろくなニュースが載っていない最近の新聞ですが、たまには、らしいことも書いてあります。随分前のことで恐縮ですが、2008年11月30日の中日新聞に考えさせられる内容の記事が出ていました。書かれた方は、拓殖大学の学長、渡辺利夫さんです。かなり難解な文章でしたから、小生なりに言い換えたり要約したりして以下に紹介します。

 私どもは、早期発見・早期治療という思想をボツボツ疑ってかかる必要があるのではないか。例えば、癌は、食べ物や空気などを通して体内に入り込んだ発癌物質が原因することが多い。これに長期間さらされ続けることによって、癌に罹る確率が高くなる。
 従って、長命な人ほど癌を患うことになるのは当然のことである。
 高齢になれば、誰もが脳や心臓の調子が悪くなってくる。癌もこれと一緒で、単なる老化現象であるものを、“癌は病気だ”と思い違いして、これと闘おうとすることほど愚かなことはないと言いたい。
 老化を食い止める医療が存在するはずはないからである。
 癌というものは、発見不可能な、1ミリにも満たない塊の段階で転移が進み、1センチ以上の大きさになると…これを早期発見というのだが…転移する力は既に弱まっているとの有力な臨床実験データがある。
 運命の分かれ道は、癌細胞の生成の直後であって、検診によって発見されてから対処するのは、無駄以外の何物でもない。もし、転移しないのであれば、命に別状ないのだから、放って置けばいいだけのことである。
 現在の医療は、“老いは病である”と見立てて検診を繰り返し、癌の塊を発見するやいなや、直ちに手術を施し、その上、抗癌剤を投与して、徹底的に患者の心身を痛め付けてしまう。
 このようにして収益を上げねば経営が成り立たないという、現在の医療体制は、どこか怪しい。団塊の世代という大集団が間もなく高齢化に至るのだから、検査や医療の改革は必須だが、私どもの方も考え方を改めねばならない。
 “真っ当な死生観”を持たねばならないのであり、そうしないことには、多少なりとも幸せな老後を送ることが困難な時代がやってくると言わざるを得ない。

 いろいろ考えさせられる内容の記事ですね。
 厚生労働省や医師会など、治療する側で医療改革をやってくれれば助かるのですが、これはどだい無理な話です。残された道は、高齢者やその予備軍である団塊の世代が、現代の医療に頼り過ぎないこと、これしかありません。
 文明が高度に発達したことによって、我々は、あまりにも他人や文明の利器に頼り過ぎてしまい、高度な医療を受けることによって不老長寿になれると錯覚しています。
 いくつになっても、“まだ死にとうない”と悪あがきするのは、その証拠でしょう。でも、不老長寿は有り得ません。誰しも齢を重ねることによって体の部品が少しずつガタついて、老いるのです。
 “病を老い”とし、これと上手に付き合う道を探すべきでしょう。
 心は体と違って、いつまでも若々しく保つことができますから、新しい考え方、新しい生き方を模索することは、十分に可能なのですからね。
 そんなお手伝いが少しでもできれば嬉しいと思うようになった、この頃の小生です。

(この記事は、当店「生涯現役新聞」2009年2月号を、一部修正したものです。)

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