薬屋のおやじのボヤキ

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高血圧の話はもう終わりにしませんか、そして高血圧の薬を飲むのは止め!

2016年03月30日 | 高血圧

高血圧の話はもう終わりにしませんか、そして高血圧の薬を飲むのは止め!
                                                       (2016.8.13改題)

 このブログで最もアクセスが多い記事は高血圧に関する記事でして、コメントも数多く寄せられ、またメッセージなどからの相談も度々入ってきております。 
 そうしたことから、高血圧をテーマにした記事を今までにこのブログで11本(まとめや改訂で実質7本)も書いてきました。
 しかしながら、高血圧というものは、つまるところ測定数値の大小で一喜一憂させられるだけのことでして、血圧がどんなに高くても何ら支障ないと言い切っても、まず問題にならないと、ますます最近思えるようになりました。
 そこで、このブログでまだ紹介していない戦前の古典的な適正血圧の捉え方を本稿で紹介し、 これでもって高血圧の話を終わりにしたいと思います。
 なお、以下の記事は、先日、別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」に2回に分けて書いたものを再編集し、松本光正著「高血圧はほっとくのが一番」を参考にするなどして一部書き添え、まとめあげたものです。

<戦前の古典的な適正血圧の捉え方(その1)>
 下(拡張期)の血圧[最低血圧]は上(収縮期)の血圧[最高血圧]の11分の7が理想的なようです。これは、昭和9年頃に健康医学の大家、西勝造氏が提唱され、力説されていたことです。しかし、今日、これを支持する医学者は残念ながら誰もいないようです。
 ところで、なぜに11分の7なのか。その説明は手持ちの書には書かれておらず、どうしてだろうと疑問を持ち続けていたところ、先日、それにハッと気が付きました。
 西氏の弟子として有名な甲田光雄医師(故人)の古いラジオ放送がYou Tubeで流されており、それを聞いていたら、少食を第一とする健康生活を送っておられた甲田氏が、“自分の血圧は、ずっと上が110で下が70だ”と言っておられました。
 なあんだ、そうか。これを聞いて、類まれなる健康体であれば皆そうなるのだし、110と70ということは、比率は11:7で、「下の血圧は上の血圧の11分の7」になる、という簡単な算数です。これに気付くのがとんと遅い小生。
 粗食で毎日動き回っている狩猟採集民の血圧は、上が110で、下が70であるし、軽いジョギングを続けていると、だんだん上110、下70に近づいていく傾向にあるという臨床データもあります。このことについては、このブログで既に紹介(「ゆっくり走って治す高血圧…」)しているし、自分でもしっかり記憶できてもいるはずです。
 それにもかかわらず110と70が11分の7と表現されると、全く別のものに思えてしまって、同じことを言っているのがいつまで経っても分からなかったのは、いかに小生の脳が硬くなっているのかを示しています。お恥ずかしいかぎりです。
 ところで、文明生活にどっぷり浸かっていると、過食が元で動脈硬化が進み、血圧は年とともに必ず上がっていきます。これは常識であり、間違いないことです。
 そして、西勝造氏の言によれば、過食傾向にあっても、その食事内容が正しく、適度な運動を毎日していれば、血圧の上下とも同じ比率で上がっていき、つまり下の血圧は上の血圧の11分の7が保たれるといいます。加えて、この11分の7が保たれている限り、上の血圧はのちほど紹介する年齢を加味した「正常なる最高血圧」の2倍あっても差し支えないとまでおっしゃっておられます。つまり、血圧は200数十あったって何ら問題はないということも往々にして有り得るというもの
です。これには小生もたまげました。でも、西氏であれば、数多くの臨床データからの解析結果に違いなく、信頼できる発言でしょう。
 西氏が力説されていることは、次のことです。
 注意せねばならないのは、血圧がごく普通の数値であっても、最低血圧が最高血圧の11分の6を下回ったり、逆に11分の8を超えたりした場合です。
 戦前の日本人は、これが7を下回る(平均では6.4)傾向にあり、その原因は手持ちの書だけでははっきりしないものの、どうやら白米の多食によるビタミンB1欠乏が第1のように思われるのですが、7を超えるのが米国人(平均では7.4)であり、その原因は肉や乳製品の多食にあることははっきりしています。
 さて、小生はいかに。測ってみたら、上137、下84。11分の6.7と出ました。11分の7に近いとはとうてい言えない数値。でも、白米の多食はないし、白米といっても七分搗きであるし、かつ、ビタミンB1を多く含む豚肉が食卓にのぼることが多いから、ビタミンB1欠乏ではないでしょう。すると、原因は別のところにありそうなのですが、残念ながら真の原因はとんと分かりません。
 さてさて、久し振りに血圧測定したその翌日は外食したのですが、小生の11分の6.7という数値からして中華料理店に行き、ご飯を少なくし、酢豚をたっぷり食べ、グルメを満喫しました。そして、これからは野菜も大事だが、しっかり肉食もしていれば、血圧が理想的な11分の7に近づきはしまいか。年寄りは肉を食いたがるのは自然の流れであると、つい最近、別立てブログで記事「年寄りは肉を食え」にしたばかりだし。
 こうした口の卑しさに対して屁理屈をこねて正当化しようとする意地汚さに我ながら辟易するのですが、この年(67歳)になると、ますます何よりも食うことが最大の生きがいになってきていて、我が煩悩のなせるままにするしかないでしょうね。

<戦前の古典的な適正血圧の捉え方(その2)>
 ここからは、上の血圧について述べることにします。
 上の血圧が幾つなら正常なのか、あるいは理想的なのか、そして危険なのか。これについては、戦後の日本において医学界はどんどん低い数値を基準値に設定し、改定を繰り返しています。ということは、その医学が正しければ、日本人は高度文明社会に別れを告げて順次狩猟採集民生活へ逆戻りしていることを意味します。
 現実は逆です。狩猟採集民、農耕民、文明社会人と進むにつれ、血圧が高まってくるのは医学界でも常識であり、医学界がまっとうであるならば、戦前より戦後は血圧の基準値を上げねばならないのですし、高度成長後はもっと上げねばならないのですし、車社会になってからはまた一段上げねばならないのです。
 飽食して運動不足が重なれば、これによって血圧が上がっていくのは因果の法則に基づくものですし、平和が続き文明が高度化すれば、必然的にこうなり、これを認めずして基準も設定のしようがないのです。
 さて、すこぶる健康で理想的な血圧は、先に書いた狩猟採集民の上110、下70で、人間の理想値はこれ一つで不動のものです。ヒトと同程度の大きさの健康な大型犬の血圧は上90で、ヒトは四足から二足直立したがために頭へ血液をポンプアップする必要が生じ、20アップして110となったのです。
 ということは、すこぶる健康な寝たきり老人(有り得ない存在ですが)の上の血圧は90が理想値となります。
 血圧がいつも高めに出て、お医者さんに脅されることが多い方は、緊張感もあって定期健診などで測ってもらうと、より高い値が出がちです。そんなときは、“緊張しちゃって…。横になるとリラックスできますので、そこのベッドで横になってから測っていただけませんか。”と申し出られてはいかがでしょうか。お医者さんに嫌がられるかもしれませんが、これで20下がります。こうした申し出をしたときにクスリと微笑めば、緊張感も抜けて、それ以上に下がるでしょう。血圧低下の一番の薬は“クスリと笑う”ことなのですからね。
 今どき上110、下70という理想的な血圧の持ち主は珍しい存在です。でも、小生は還暦前あたりまでは、上110台、下70台前半でした。それが維持できたのは、1日1食(夕食のみ)で肉少々・野菜たっぷりの食事とし、店や畑仕事で毎日体をよく動かしていたからです。
 それが今は前日に測定したように上137、下84となってしまいました。10年ほど前に比べて上20アップ、下10アップです。1日1食生活を続けているも、以前に比べて腹いっぱい苦しいほどに食べるようになりましたし、店や畑仕事での体の動かし方も減ったからです。また、加齢も原因していましょう。
 この小生の上の血圧をどう評価するかですが、ちょうどピッタリ当てはまる基準値がありました。これまた西勝造氏が昭和9年頃に提唱された「正常なる血圧」の項で示された「正常なる最高血圧」でして、これは次の算式で求められます。
 男子 最高血圧=115+(年齢ー20)/2
 (
婦人に対しては男子より一般に5ミリ低いのを正規とする。)
 これに小生の年齢(67歳6か月)を入れて計算すれば、約139となり、極めて「正常なる最高血圧」となります。“どうだ、立派だろう”と威張りたくなります。少なくとも昭和初期の時代の人と同等の食生活や体の動かし方をしていると言えるのだからと。
 小生も日本人、こうした数字にとても弱いです。検査測定値に一喜一憂させられます。今回の血圧測定で上137と出て、昔の正常値が139とあるから、大喜びしているのですが、測り直せば140と出ることもありましょう。そうすると、たったの1超えただけですが、がっかり、しょんぼり、悔しーい、となってしまいます。
 冷静になって客観的に判断するに、西氏が提唱された「正常なる最高血圧」は昭和初期の人たちに適用されるのであって、今日の高度文明社会人に適用するのは無理がありましょう。より飽食時代になり、より体を動かさなくなっているのですから、戦後の高度成長期頃に言われた次の算式が「
正常なる最高血圧」となりましょう。
  最高血圧=年齢+90
 これによれば、小生の血圧は157あってかまわないのです。
 そして、今は当時に比べ、段違いの車社会となりましたから、さらに血圧は高くなり、「正常なる最高血圧」は、もっと単純明解な次の算式で示してよいのではないでしょうか。
  最高血圧=年齢+100
 非常に分かりやすい基準値です。小生は167あってしかるべき。それが137と30も低いのは、あまりに時代遅れな原始人だ、ということになります。考えてみるに、小生が1日1食でずっと通していると言うと、皆、目を丸くしてびっくりするし、店の暇を見つけては野良仕事をしているのですが、よう動くなあ、と感心されます。自分ではマイペースでそうしているのでして何も無理していないのですが、傍目からはそう映るのであり、どれだけか原始人的ではありましょう。
 文明は後戻りせず前へ前へと進みます。これから10年20年経てば、世の中はよりグルメになり、指先だけを小まめに動かすだけの生活となるのは必至で、小生が唱える単純明快な“正常血圧式”が正しいものであるとして評価されてほしいものです。
 平和で豊かで便利な社会、これが何と言っても誰にも最優先で求められるものでして、これによって人々は幸せを満喫できるのです。誰も狩猟採集民に戻りたいとは思わないです。おらの村には電気もねえ、車もねえ、こんな村にはとてもじゃねえが住めたものじゃねえ、です。そう思いませんか、皆さん。
 それと引き換えに脳梗塞、脳溢血、心筋梗塞といった血管の詰まりや破れによる病気に罹る確率が増えていくのですが、電気もある、車もある、コンピュータもある、グルメも満喫できる、そうした高度文明の恩恵に浴しているのですから、これは必然でして、血圧測定の数値を見て悪あがきしても全く無駄なことです。血圧が高くても低くても、こうした疾患は皆、等しく発症する危険性を同程度の確率で持っているのが現実ですし、それよりも、数値の大小にかかわらず、加齢によって循環器・脳血管疾患の危険度はグングン増すのであって、これは防ぎようがない性質のものなのです。

 話はちょっとずれますが、簡単に健康測定できるものに何があるでしょうか。一つは体重計ですが、秤に乗らなくてもメタボかどうか見当がつきますから、なくてもいいものです。2つ目が体温計ですが、これもおでこに手を当てれば見当がつきますし、測ってみて39度もあればびっくりしてあわてふためくだけで、意味をなさないです。3つ目が血圧計です。小生がそうですが、血圧測定して一喜一憂させられるのですが、どんな数値が出ても、実際のところ、これまた何の役にも立たないのです。
 ただし、体温が40度もあれば何か手を打たねばならなくなるのと同様に、血圧が300にもなれば何か手を打たねばならないでしょう。もっとも、戦後初期に対米交渉を行った吉田茂首相は、交渉時には血圧が常時300になったといいますから、風邪をひいて38度の熱があってもけっこう仕事はできるのですし、血圧が300であっても仕事をして差し支えないとも言えます。安静にせねばならない血圧が幾つ以上なのか、それは小生には分かりませんが、とんでもない高い数値になれば、体が異常を感じて生体反応が働き、横になってじっとしていたくなるでしょう。そうなったときに、血圧を測ってみて、とんでもない数値が出たら、何とかなる場合は何とかなるでしょう。ただ、それだけのことです。
 血圧に関して困った問題は、医学界が適正血圧なるものを低めに設定し、事あるごとに血圧を測定させ、一度でも基準値を超えたら降圧剤を飲ませたがることです。これは日本の医療制度に大きな欠陥があるからでして、薄利多売の商売をせねばならないようになっているからです。医者は数多くの患者を創りだし、薬漬けにしないことには食っていけないのです。結果、世界中の降圧剤の生産高の何と5割を日本人だけで消費させられているのです。これには、うんざりさせられます。ようもこんなに毒を盛るとは、です。
 簡単に健康測定できる血圧計というものがこの世にたまたま存在するから、こうなったとしか言えないのではないでしょうか。血圧計の発明者を恨みたくなります。
 ちなみに、死亡原因が高血圧性疾患とされる割合は、65~79歳で0.3%、80歳以上で0.7%にすぎません。(平成25年人口動態調査)

 実に恐ろしい世の中になったものです。じゃあ、どうすればいいかというと、いずれは循環器・脳血管疾患で死ぬ確率が極めて高いのですから、「ピンピンコロリ」運動を展開してみえる長野県では、お年寄りたちの最新の合言葉は、これが一番苦しまずに死ねるからでしょうが、「脳血管障害で95歳で死のう!」となっているようです。もっとも、救急車を呼んでもらっては困りますが。長野県民は長寿、一人当たり老人医療費もベッド数も全国一少ない、その長野県民は、死を恐れず、悪あがきせず、死を受け入れて、さあどうする、という発想法でもって対処しているから、きっと健康でいられるのでしょう。

 ここまで、とりとめもないことを書き綴ってきましたが、小生思うに、血圧というものはヒトの体の原始性を測る道具にすぎず、それが低ければ原始人に近い生活を自ら望んでやっているだけのことであり、それが高ければ高度文明生活を十分に堪能なさっているのであって、どっちが良いの悪いのと決めることはできない性質のものでしょうね。
 小生の血圧が大方の人より低いのは単に原始人の生活が好きなだけのことですし、女房は最近血圧がぐんぐん上がってきたのですが、仕事が楽になって立派な高度文明生活をエンジョイしまくっているだけのことです。小生はそのように理解しているところです。
 健康で長生きしたかったら、食養生と適度な運動そしてこころのストレスの上手な抜き方、この3つをバランス良く、無理しない範囲で、自分なりにうまく見つけ出すことでしょう。いずれも相当に難しい課題ですが、これをクリアするしか他に方法はないと、つくづく思うようになったこの頃です。

 最後に、「高血圧はほっとくのが一番」を著された松本光正医師は、「血圧測定なんかいらない、血圧計は今すぐ捨てなさい」とまでおっしゃっていられます。
 ということは、小生に対して“ぐだぐだと血圧のことをこれ以上は
書くな”というご忠言をいただいたことにもなり、真摯にこれを受け止めて、表題の「高血圧の話はもう終わりにしませんか」とした次第です。

 本稿を最後までお読みいただいた読者の皆様には、長時間無駄話に拘束してしまい、誠に申し訳ありませんでしたが、この駄文が皆様の血圧に対するご理解にどれだけかでもお役に立てれば幸いです。

(2016.8.13補記)
 最近、話題になっている週刊現代・週刊文春の対抗記事より、血圧の薬(降圧剤)についてポイントだけ要約して引用します。
<週刊現代7月16日、一部7月23・30日号>
 高血圧には2つのタイプがあります。血管が外側から締め付けられるギュウギュウ型と、血液量が増えて起きるパンパン型です。日本人に多いのはパンパン型で、ギュウギュウ型は少ない。原因は塩分摂取量が多いこと。
 パンパン型には利尿薬とかカルシウム拮抗薬といったタイプの薬がよく効きます。ところが、ギュウギュウ型に効くARB(ディオバン、アジルバなど)ばかりが処方されている。
 カルシウム拮抗薬は長く飲み続けると交感神経が緊張し、心臓に負担がかかります。
<週間文春7月28日号>
 高血圧薬は成人の28.1%、70歳以上だと51.5%が服用している。(平成26年 国民健康・栄養調査)
 高血圧薬の中で、多くが第1選択としてあげるのがカルシウム拮抗薬。一番安全で使いやすく、たぶん最も飲まれています。
<備考>
 2つの週刊誌で、相矛盾する説明がなされているところが、週刊誌らしいですね。
 よって、どちらも信頼性に欠けますが、参考にはなりましょう。
 いずれにしても、高血圧の薬(降圧剤)は飲んだところでどれだけの効果もなく、かえって害になることのほうが圧倒的に大きいのですから、飲むのを止めるべしです。

(2017.9.2追記)
 もう血圧の記事は新たには書くまいと決めていたのですが、最近、180超えの女房を目の当たりにし、また、280くらいもあるお年寄りの例をある方の講演録で知ったものですから、次のとおり記事を1本起こしたところです。
 最近、高血圧の薬を飲むのを止める方が増えてきた感がします

 

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4月5月は目まぐるしく季節が変化します(三宅薬品・生涯現役新聞N0.254)

2016年03月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.254:2016年3月25日発行
表題:4月5月は目まぐるしく季節が変化します
副題:春(~4/15) 土用(4/16~5/4) 夏(5/5~)

漢方五行論より解説
春=肝=怒、土用=脾(胃)=思、夏=心=喜
このように、季節・臓器・こころの在り様には密接なものがあります。
それをこころして4月5月を乗り切っていいただきたいです。
(1年前の焼き直し記事でしてゴメンナサイ。)

(表面) ↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。
 

(裏面)瓦版のボヤキ
表題:ツクシ採り
啓蟄から旬となるツクシ、これを毎年おいしくいただいていますが…

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漢方五味と主要5ミネラルの味の関係

2016年03月23日 | 漢方栄養学

漢方五味と主要5ミネラルの味の関係

 中医学(漢方)では何もかも5分類する「五行論」の世界です。
 よって、漢方に登場する味は、酸味、苦味、甘味、辛味、塩味の5つの基本的な味だけです。そして、それぞれの味がそれぞれの臓器に対応し、順番に肝、心、脾、肺、腎と密接な関係にあるとするものです。酸味は肝が喜ぶ、苦味は心が喜ぶ、といったぐあいです。また、季節とも対応し、春、夏、土用、秋、冬との関わりが深いものとなり、春は酸味、夏は苦味、といったぐあいです。

 冬は塩味を求め、これを美味しいと感ずるのは、腎がそれを求めていることもありますが、食塩(塩化ナトリウム)をたっぷり取ると体がぐんと温まることが大きく影響していると思われます。東北地方において高度成長期以前は塩分摂取が多かったのですが、これは寒さしのぎで高塩分になっていたのではないでしょうか。
 なお、漢方では夏は塩味を控えよとなっていますが、これは夏に高塩分食をとると体に熱がこもり、熱中症になりかねないからと言えます。

 春になると酸味を求め、それが美味しいと感ずるのは、いったいなぜでしょう。
 小生思うに、これは身体がカリウムを求めているのかもしれません。
 カリウムイオンの味は、塩味っぽかったり多少苦味がかっ
たりするようですが、どうやら酸味がかった味がするようです。
 春にカリウムが必要なわけは、考えてみるに、冬場の摂取が食
塩つまりナトリウムイオンに偏向したせいで、ナトリウム・カリウムのバランスが崩れてきて、身体がカリウムを欲する状態になっているからではないでしょうか。
 ナトリウムイオンとカリウムイオンは、細胞から出たり入ったりしながら、対になって生命活動を維持していますから、そのバランスはことのほか重要ですからね。
 こうして、冬に求めた塩味によってナトリウム過剰の体を、春にカリウム摂取で平衡を保とうとする力が働き、味覚が変わると考えるのが素直な感がします。

 次に夏です。夏は苦味を求めることになるのですが、これはマグネシウムイオンの味です。汗をかくと様々なミネラルを損失しますが、そのなかで一番問題になるのはマグネシウムの損失でしょう。これが欠乏すると筋肉の痙攣を引き起こし、限度を越えれば心臓麻痺で命を落とすことにもなります。
 よって、汗をかく夏場は身体がマグネシウムを求め、苦味を欲することになるのではないでしょうか。
 ところで、マグネシウムイオンとカルシウムイオンは、細胞から出たり入ったりしながら、対になって生命活動を維持していますから、そのバランスはことのほか重要です。カルシウムイオンが不足すれば骨を溶かせば容易に調達できるのに対し、マグネシウムは大半を口から補給するしかなく、苦味食品を求めることになるのでしょう。

 次に季節の変わり目である土用。土用に甘味を求めるのは、ミネラルからするとそれはカルシウムと考えられます。カルシウムイオンそのものは、苦味、塩味、エグ味が混ざったような複雑な味のようですが、食塩などに含まれた状態ですと、カルシウムが多いと味がまろやかで甘味を感じたりするようです。
 これを求めるということは、土用に農作業という力仕事をすることによって骨に荷重がかかって骨の発達が進み、つまり骨太になろうとカルシウムを要求していると考えてよいのではないでしょうか。

 最後に、秋に辛味を求めるのはどうしてでしょうか。ヒトが必要とする主要5ミネラル(正確には塩素を含めて6種類になりますが塩素は食塩=塩化ナトリウムとして1つとしてカウントします)は、今までに挙げたナトリウム、カリウム、マグネシウム、カルシウムの4つの他にリンがあります。これで5つとなり、「五行論」と足並みがそろいます。
 リンは他の4つのミネラルと性質が異なっており、対になって働く相手は持ちませんし、多すぎても少なすぎてもいけないミネラルです。
 さて、辛味といえば、唐辛子のカプサイシノイドです。その含有量は、リン酸肥料の施用量に影響を受け、リン酸が欠乏していても過剰であってもその含量は低くなります。つまり、ほどよい濃度のリンが唐辛子に入り込むと辛味が増すのです。
 ということは、ほどよい量のリン摂取の求めが、辛味を欲するという味覚要求になっていると言えるのではないでしょうか。
 少々苦しい説明になりましたが、秋は、食糧が乏しい冬に備えて食欲が増す時期であり、食欲増進のために胃を刺激する辛味を自然に摂るようになったと考えたほうが素直でしょうね。でも、「五行論」にこだわりを持つと、このような説明になってしまいます。

 何もかも5分類する「五行論」を、今まで外野席から冷ややかに見ていましたが、主要5ミネラルの味というものを各季節に当てはめてみましたら、ヒトの身体が要求するものと、あまりにもうまく符合することとなって、正直びっくりしているところです。
 主要5ミネラルを「五行色体表」にはめ込んだものは見たことがないのですが、紀元前に完成をみた「五行論」をアンタッチャブルなものにしておくのではなく、近代科学で新たに得た知見をこうして付け加えるのも面白いと思うのですが、いかがなものでしょうか。
 ということで、小生の新説、珍説をここに紹介させていただいたところです。

(2017.2.3追記) 冬の項について後2文を挿入

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漢方「五行論」に学ぶ味付け法

2016年03月04日 | 漢方栄養学

漢方「五行論」に学ぶ味付け法

 漢方では、あらゆるものを5分類し、それぞれに特徴的な5つの属性(氣)があるうえに、それらが単独で存立するものではなく、相互に影響し合い、それら5つの集合が全体でもって成り立っていると説きます。
 世界には、その多くを3分類や4分類にするという特徴を持った民族がいるのですが、なぜか漢民族は、3でも4でも6でもなく5つに分類してしまいます。それでもって、全てが矛盾なく納まり、全ての説明がつくというスタンスを取っています。
 その分類表(五行色体表)を見てみると、これは偶然にしては出来すぎだが、うまいこと5分類できているではないか、と思わせられます。
 加えて、同一の属性に所属する
物や事象は、全く異質なものであっても互いに関係するといいますから、これまた不思議なことですが、なんとなく当たっている感がします。
 ここのところが「五行論」を興味深くし、何かと実生活への応用範囲が広くて重宝させられます。

 さて、我々が感じる味というものは、単味である場合はまれで、幾つかの味が混ざって感じられ、その相互作用でもって美味しかったり、まずかったりもします。
 ところで、味の種類は幾つあるでしょうか。漢方では当然のことながら5種類だけとなりますが、ヒトの舌に存在するセンサーは、旨味、えぐ味、渋味といったものを感じ取ることもでき、5種類よりずっと多いです。でも、漢方では、旨味は“甘味のなかに含まれてしまう”ようですし、えぐ味や渋味は“これは味にあらず。味には氣があり、それでもって人の臓器の氣を養うものである”として無視してしまうようです。えぐ味や渋味というものは毒であり、また、毒と表裏一体の「下薬(短期間治療に用いる毒性のある薬)」であるといったところでしょうか。

 よって、漢方に登場する味は、酸味、苦味、甘味、辛味、塩味の5つの基本的な味だけです。そして、それぞれの味がそれぞれの臓器に対応し、順番に肝、心、脾、肺、腎と密接な関係にあるとするものです。酸味は肝が喜ぶ、苦味は心が喜ぶ、といったぐあいです。また、季節とも対応し、春、夏、土用、秋、冬と関わりが深いものとなります。つまり、春は肝の季節で酸味がよい、夏は心の季節で苦味がよい、というものです。
 考えてみるに、季節の野菜・果物もそんな感じがします。春は酸っぱい甘夏が旬になりますし、夏は苦味が強いゴーヤが出回り、その昔のキュウリは首の部分が苦かったものです。

 季節ごとの味一つだけを覚えておくだけでも健康に役立ちますが、料理は複数の味がからんできますから、より健康に、そして、より美味しいく料理を作っていただくためには、複数の味の組み合わせを知っておかれるといいでしょう。
 そこで、各季節ごと、さらに、24節気ごとの食材の選択や味付けについて、このブログで紹介(24節気は現在進行形)していますが、本稿で「漢方二味・三味」の組み合わせをまとめて紹介することにします。

 まず、基本となる「漢方二味」は次のようになります。
  春 主:酸味 従:甘味(酢の物、酢漬には砂糖が不可欠)
  夏 主:苦味 従:辛味(ゴーヤ料理には唐辛子をふる)
 土用 主:甘味 従:塩味(鰻[甘味食品]の蒲焼[塩味]

  秋 主:辛味 従:酸味(カレーライスにはラッキョウの酢漬が付き物)
  冬 主:塩味 従:苦味(冬野菜のカブ[苦味食品]の塩漬)

 きちんとルール化された組み合わせになっていて、従味は2つ先の季節の主味になっています。この組み合わせが不思議と美味しく感ずるのです。

 では、「漢方三味」はというと、次のようになります。
 春 主:酸味 従:甘味 添:苦味(酢の物は砂糖を使い、柚子の皮を添える)
 夏 主:苦味 従:辛味 添:甘味(ゴーヤ料理には唐辛子の他に甘味食材も)
土用 主:甘味 従:塩味 添:辛味(鰻[甘味食品]の蒲焼
に山椒の粉)
 秋 主:辛味 従:酸味 添:塩味(カレーは塩味あり+ラッキョウ酢漬)
 冬 主:塩味 従:苦味 添:酸味(カブ[苦味]の塩漬は発酵して酸味あり)

 これもきちんとルール化されていて、添味は直ぐ次の季節の主味になっています。この三味の組み合わせで料理の味に深みが出て、とても美味しく感ずるのです。
 和風懐石料亭はこの五味をご存知でして、上手に三味が組み合わせられています。例えば、酢の物が必ず出ますが、ちゃんと柚子の皮が乗っかっています。

 最後に避けたほうがいい味もあります。それをすぐ上に掲げた「漢方三味」に書き添えましょう。
 春 主:酸味 従:甘味 添:苦味 ×:辛味(酢の物には唐辛子は合わない)
 夏 主:苦味 従:辛味 添:甘味 ×:塩味(塩からいゴーヤ料理はまずい)
土用 主:甘味 従:塩味 添:辛味 ×:酸味(鰻の蒲焼に梅干は食い合わせ)
 秋 主:辛味 従:酸味 添:塩味 ×:苦味(苦いカレーなんて食えません)
 冬 主:塩味 従:苦味 添:酸味 ×:甘味(甘い塩漬は、まずいです)

 これもきちんとルール化されていて、避けたほうがいい味は2つ前の季節の主味になっています。このようにバッティングする味もあって、不味くなることもあるのです。
 いかがでしたでしょうか。
 ところで、五味の残りの一味はどうすればいいでしょうか。これは食材に混じりこんでいる場合もありましょうし、自然に任せればいいでしょう。また、それによって美味しく感ずるようでしたら付け足されていいものです。

 以上が、季節折々の「漢方三味」の組み合わせですが、これをあまりに忠実に守り過ぎるのも考えものです。どの味も毎日欠かせないものですからね。
 例えば、春は辛味を避けねばならないとばかり、好きなカレーライスは当分おあずけにしたり、食卓から唐辛子の瓶を追放したりする必要はありません。これらは他の季節よりは控えることを意識するだけで摂りすぎが防げましょう。
 また、肝臓がいつもお疲れさん状態であれば、季節に関わりなく酸味を主体とした料理なり、酸っぱい果物を少し意識して召し上がられるといいです。もっとも酸味が強すぎると、過ぎたるはなお及ばざるが如し、となって逆効果にもなりますから、美味しいと感じる程度に止めてください。
 なお
、肝臓が弱っている方は、日頃から肝臓に差しさわりがある辛味を取りすぎないよう注意なさってください。その理由はのちほど述べます。

 「漢方二味・三味」を暗記しておくのは大変ですから、漢方「五行論」の「相生・相剋」図を下に貼り付けました。これを見て「漢方二味・三味」を拾い出してください。
(注:漢方では塩味のことを「鹹味」といいます。図中「水」の箇所が「鹹」=「塩」です。)
 時計回りの矢印が「相生」で次々と他のものを生み出していくことを意味しますが、味の場合は元になるものを次と次のものが助けることになります。太い矢印は「相剋」で相手方を抑えつけることを意味し、味の場合は避けるべしとなります。

 

 「漢方二味」の場合は時計回りに2つ先のものが助けてくれ、「漢方三味」の場合は1つ戻って隣のものも助けてくれる、そして、太い矢印が差し込んでくる味を避ける、と覚えておかれるといいでしょう。

 さて、この図は「木・火・土・金・水」の基本五行に、体の臓腑や器官、季節や感情そして味が付け足され、それぞれのグループごとに密接な関係を持っていることを意味しています。よって、冒頭で述べましたが、春・肝臓・酸味は密接な関わりを持つのです。
 ここで、五味と五臓の関係を、春に肝臓を十分に働かせようと酸味をとった場合を例にして、少々詳しく説明することにします。

 酸味をとる→肝氣が強まる→相剋関係にある脾氣を抑える→※脾氣が弱まる
 (これでは都合が悪いですから、脾氣を高めねばなりません。よって、甘味を補う)
 ※脾氣が弱まる→相剋関係にある腎氣を抑える力が落ちる→腎氣が強まる→相剋関係にある心氣を抑える→※心氣が弱まる
 (これでは都合が悪いですから、心氣を高めねばなりません。よって、苦味を補う)
 ※心氣が弱まる→相剋関係にある肺氣を抑える力が落ちる→肺氣が強まる→相剋関係にある肝氣を抑える
 でも、すでに酸味をとって肝氣を強めようとしていますから、大丈夫です。
 このように、酸味だけでは五臓のバランスを崩しますから、酸味をとった場合には、これによって弱まる臓器を助ける味を加える必要性があるのです。
 <主:酸味、従:甘味、添:苦味>の組み合わせがこうして生まれます。
 また、辛味でもって肺氣を強めすぎると肝氣を抑えつけすぎますから、辛味は避けるべし、ということも分かるのです。

 いかがでしたでしょうか。
 この「漢方三味」と、その組み合わせに加えることを避けるべき味を覚えておかれると、高級和風懐石料亭の味が楽しめるでしょうし、季節折々の正しい食養でもって心身ともに健康になることもできるのです。
 なお、薬膳料理とは、本来はこうしたものをいいます。
 そして、薬食同源(近年は間違って医食同源と名を変えてしまいましたが)の本来の意味は、“命は食にあり、食誤れば病いたり、食正しければ病自ずと癒える”であって、「心身を癒してくれる薬」と「美味しい食べ物」とは同じものであり、それは全て食べ物に源を発すると言っているのです。例えば、味噌汁だって季節折々の具材を上手に組み合わせれば、美味しくて立派な煎じ薬になるのです。
 
 さあ、皆さん、今日から旬の薬膳料理をお作りになって、毎日が高級和風懐石料亭へ行った気分に浸りませんか。

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西式健康法を顧みる

2016年03月01日 | 健康情報一般

西式健康法を顧みる

 西式健康法は、西勝造氏(1884年生まれ、1959年没)が、1927年(西氏44歳)に創始し、戦後間もなくして集大成されたものです。
 傍から見れば、これは戦前の衣食住をベースにしたものであり、せいぜい三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)が普及しだした1950年代後半までの健康法であって、当時の衣食住は現代とはまるで違うから、こんなものは時代遅れであって何ら役に立たない、西氏の没とともに終った、となってしまうことでしょう。
 しかし、どうしてどうして、現代においても十分に通用し、いや、現代であるからこそますます重要性を帯びてきたのが西式健康法と言えましょう。
 現に、西勝造氏の意を汲んだ「西会本部」が、今日でも活発に活動しておられますし、西氏の教えを請うた医師の活躍も目覚しいです。

 西式健康法とはどんなものか。
 たまげます。小生がこれにふれたのは10数年前のことですが、感想を一言で言えば、そのようでした。
 手元にある「[原本]西式健康読本」(1949年発刊のものを1979年に復刻:ただし字体、仮名づかいを書き改め)に添えられた解題(※)「わが家の健康づくりと西式:
早乙女勝元」の中に面白い記述がありますので、先ずは、それを紹介しましょう。
 (※)解題とは、書物の著者・成立事情・内容・発表の年月、他に及ぼした影響などについての解説のこと
(以下引用)
 西式健康法との出会いは、うちのカミさんと知りあったところからだから、かれこれ20年にもなろう。(1950年代終わり頃~)
 私はまだ20代のなかばで、その頃からフリーの小説書きだった。…
 ある日、彼女(のちのカミさん)の家へあそびにいって、びっくり仰天した。
 …大きな家だったが、つい遅くまで話しこんでしまい泊まらせてもらうことになったら、風呂は水風呂で、敷ぶとんは板、枕も桐の木だという。私は最初ききちがいではないかと思わず目を張り、こんな風変わりな家がほかにあるだろうか、と思ったものだ。しかし小説書きのはしくれは子どもとおなじようなもので、なんでも目新しいものや、変わったことに興味が向く。郷に入れば郷にしたがえで、せっかくのおもてなしなら、ものはためしでお受けしよう、という気になった。
 浴槽は水だけかと思ったら、その片方にもう一つ、こちらは湯気を立てている。交互に入って、最後は水で仕上げるのが決まりらしい。水は1分とあらかじめきいて、砂時計を眺めながら、まず湯にたっぷりとひたって勇気をつける。水槽の表面に浮いている温度計をひょいと取り上げてみれば、16度である。ああ、こりゃ寒中水泳の気がまえなくしては無理だとつぶやき、それでも気合いもろともざんぶり飛びこんだ。
 砂時計が、目の前でサラサラと砂を落とす時間の長いことといったらなかった。やっとのこと1分が過ぎた。水と湯を何度も交互にということだったが、これは1回きりで結構である。1回でも、よくぞ耐えられたと思う。自尊心が大いに鼓舞されたうえに、身体が内部からほてってくるのが、なんともいえず壮快だった。つぎは板の寝床である。これは、どんなものだろう。
「あのう、板に寝るというと、上も板?」おそるおそる聞けば、彼女はぷっと吹きだして、
「まあ、それじゃお棺だわ」
「上はふとんか。そりゃ助かった」
「決まっているじゃないの。常識で考えても」
「だって、この家は、ちょっと常識はずれだものな」
「あら、それもそうね」
「では」
ということで、私は客間の寝床にもぐりこんだが、板のほうはなんでもなかった。こちらは、いつも同じようなせんべいぶとんに寝ていたから、それほどの違和感はない。
 熟睡できて、朝になった。朝食はヌキだという。かわりにスイマグ(※)と称する少量の白い液体を、コップ1杯の冷水に薄めたものを飲まされた。便通によいとやら。…食うべきものを食わしてもらえないと、妙に腰が落ちつかなかったが、なんだったら機械をどうぞという。(※)スイマグ:水酸化マグネシウムのことで下剤に使われる
 隣室に行くと、タヌキ汁のタヌキの格好よろしく手足をしばって震動させるのや、首吊り自殺用にもってこいみたいなメカニックな機械が、いろいろとならんでいる。念入りに一通りかかると、午前中いっぱいかかるというのに、私はまたまたキモをつぶした。それではなんのために生きているのかわからない。ほうほうの体で逃げかえってきた…
(引用ここまで)
 これは、1950年代後半に西式健康法の一部を初体験された方の感想ですが、現在と全く変わりない感想でしょう。小生もこれを読んだとき、すでに朝食抜きは実行していましたが、ほかのことは初耳でして、冒頭でいいましたように、たまげました。
 ここで2つ補足しておきます。まず「温冷交替浴」ですが、初めての人に
は無理ですが、最初に冷水風呂に入るなり冷水シャワーを浴びるのが決まりです。2つ目は「平床寝台」(板の寝床)ですが、早乙女氏は半世紀以上前の20代男性ですから大丈夫だったのでしょうが、今の中高年であれば背骨・腰骨が痛くてとてもじゃないが寝られないでしょう。なお、「硬枕」(桐の木:半円形の筒)を首に当てて寝るのですが、現代人であれば若い人でも痛いでしょうし、激痛が走る方も多いようです。これは、現代人はその多くが骨格に彎曲がみられるからです。

 「ほうほうの体で逃げかえってきた…」とおっしゃる早乙女氏なのですが、その後、少しずつ西式健康法に引きずり込まれていきます。初体験で良かった感想は冷水風呂のあとに感じた壮快感だけですが、実は、スイマグに効果があったのです。そのあたりのくだりについて再び引用します。
(以下引用)
 …それでもみやげにもらってきたスイマグは、ありがたかった。
 当時私は、…ひどい痔で悩んでいた。…野菜などほとんど口にしたことがなかったから慢性的な便秘に悩ませられ、やがて痔になった。ところが、その便秘を解消するために、スイマグはなんの副作用もないのがいい。…スイマグ欲しさに、…彼女の家に足げく出入りすることになった。
 そのうち、スイマグとともに、あまりかわいらしくもないその娘も一緒についてきて、これで一人身の自由が奪われてしまった、という次第である。しかし、この間に私は、健康についてさまざまな知識を得た。
(引用ここまで)

  早乙女氏がその後において多くの西式健康法を取り入れられることになったのは、カミさんの父親が戦前に西勝造氏の秘書を6年間しておられ、戦後において印刷会社を興すも様々な西式健康法を家族ぐるみで毎日実践しておられたからです。そして、結婚後の出産、子育ても積極的に西式健康法を導入しておられます。

 現代ますます重要性を帯びてきた西式健康法の一端を紹介しましたが、その全体はどんなものかというと、次のようになります。

 「[原本]西式健康読本」の中に次の記述があります。
 …私の健康法は、…初め私はこれに別段名前は付けなかったのであるが、人が西式健康法と名付けた。…私は私の独創の理論と、7万3千余の文献の裏付けによって人間の健康が皮膚、栄養、四肢、ならびに精神の4つの因子に支配せられることを知った。これを私は西医学健康法の四大原則…と称えているが、これらはそれぞれに完全であってはじめて正しい健康が保たれるのである。しかしてまた、相互に緊密に影響し、因果の法則(善因善果、悪因悪果)によって厳密に健康が支配させられるのである。
(引用ここまで)
 というように、西勝造氏ご本人は「西式健康法」ではなく「西医学健康法」と称しておられますが、「西式健康法」という呼称が定着していますので、それによることとします。
 ここで、西氏の略歴を同著から要約して紹介しておきましょう。
 1884年(明治17年)に生まれたが、生来の病弱で慢性胃腸炎に悩まされ続け、16歳のとき、医師から20歳まで生きられないかもしれないと言われた。つまり、医学に見放されたのであり、ここ4年間が生涯を決すべき大切な年であると考え、まずは今までの医師の指示と反対のことを一つやってみることにした。これが奏して次々と正反対のことを実行したところ、2、3年するうちに、すっかり回復し、心気も断然爽快となった。
 なお、進んだ道は医学ではなく、土木工学を修めた。
 そして、24歳となったとき(1907年)には、もうたいていの病気は自己流で簡単に治せる自信がついてしまった。こうなると、私の生来の追及癖がもくもくと頭をもたげ、この自己流の方法が正しいものであることを古来の文献によるか、新たなる研究によって立証されなければならなくなり、これはだんだん科学的に文献的に立証せられていった。
 私の周囲には幾多の病人がいて、医者にかかっても治らないばかりか悪くなっていく者も多い。そうした人が、見違えるほど丈夫になった私に相談に来る。そこで、私のやった方法を説明してあげると、皆の病気が治っていき、健康を回復するのである。
 こうなると、だんだんに私の周囲から遠くまで広がっていき、私の健康法の普遍性が順次立証されていった。

 西式健康法のスタートは以上のようですが、西氏の本業は土木技師であり、1927年に営業を開始した日本最初の地下鉄である銀座線の設計責任者を務められ、そして同年に西式健康法を創始されています。この年から先が、健康法の研究、普及活動が本業となったようです。
 ここまで随分と前置きが長くなりましたが、西勝造氏がどんな人物であり、どのような方法で研究されたのかを先ず知っておかねば、西式健康法の本質を知ることもできないし、正しく評価することもできないと思いますので、その概略を述べさせていただきました。
 これより西式健康法の概要を「[原本]西式健康読本」から小生なりに理解したことをかいつまんで紹介することにします。

・西医学とは、人間の皮膚、栄養、四肢、精神の4つのものを一者と観じ、おのおのこれに過不足なく、常に生々たる元気をもって、天寿を全うする科学である。心身一者たる健康は、色沢、五官完全にして、現在意識及び潜在意識ともに健全たる全機を有し、他人によって観測せられ、また自認し、四肢は対蹠的に均衡を具え、常に粗食を美味と感ずるものでなければならない。
・西医学健康法の四大原則
 人間の健康は皮膚、栄養、四肢、精神の4つの因子に支配せられ、相互に緊密に影響する。

Ⅰ 皮膚の健康
 皮膚は呼吸しており、包みすぎないようにし、厚着の習慣は極力避けねばならない。そして次の療法を実行すること。
 → 温冷交替浴:入浴の際、水と湯に交互に浸かり、水で始め水で終る
 → 風療法:裸体、着衣を何度も繰り返す

Ⅱ 正しい栄養
 通常人の食事にあっては、主食は玄米飯か七分搗き米飯、副食は野菜三分、肉類三分、海藻三分、果物一分とし、主食・副食は同量がよい。
 野菜は皮をむかず、ひげ根などもすり潰したりして食用にすること。果物もなるべく皮のまま食べること。肉類は、大きな動物や小さすぎる魚は避けるがよい。
 火食するのは人間だけであり、自然の法則に反するから、野菜は極力生で摂るのが理想的である。
 → 完全生菜食:生野菜(不足すれば生の玄米追加)だけの食事で栄養は事足りる
 → 生水の飲用:1日2~3リットルの清水をチビリチビリ飲むこと
 → 柿の葉の煎じ汁でビタミンCを補給すること
 → 朝食廃止の1日2食:午前中は毒素の排泄の時間であり、食を断つべし
                 理想は午後3、4時の1回だけの食事
 → 2週間に1回程度、塩抜き野菜粥で体の塩抜きを行うこと
 → 病気に冒されたときは断食の実行

Ⅲ 四肢の補正
 ヒトは直立二足歩行するようになったがゆえに、骨格に歪みが生じやすい。特に、足は人体の基礎であり、足の故障をまず是正せねばならぬ。そして、脊柱である。
 → 足先の扇形運動、上下運動
 →①平床寝台の使用
 →②硬枕の利用
 →③金魚運動の実行
 → 下肢柔軟法の実行

Ⅳ 精神の健康
 皮膚、栄養、四肢は健康上重要なる因子であるが、これを統率するのは精神である。したがって精神上の障害も、皮膚、栄養、四肢に影響を及ぼす。
 精神の安定を保つには、体液が酸性やアルカリ性に傾くのを防止し、生理的生化学的平衡状態を招来させ、体液を中性に保つよう努力せねばならぬ。
 そして、体液が中性となったとき「良くなる、能くなる、善くなる」と思うことである。
 →④毛管運動の実行
 →⑤合掌合蹠の実行
 →⑥背腹運動の実行

(備考) ①から⑥の6つが、西式健康法の六大法則と呼ばれるものです。
 西氏がおっしゃるには、「これらの行法は、例えて言えば、宗教における一種の戒律であって、日常これを実行せねば健康にならない、病気も治らない」とのことです。

 小生が取り組んだ西式健康法はリンクを張ったものですが、中には三日坊主で終ったものもあり、「日常これを実行せねば健康にならない」とのことですから、何をやっとるか、と西氏からお叱りをこうむるところでしょう。
 でも、次のものは毎日実行しており、これによって以前よりも体調が順次良好になったと自覚できていますから、部分的に取り組むのもよし、だと思っています。
 温冷交替浴:入浴の際、水と湯に交互に浸かり、水で始め水で終る
 朝食廃止の1日2食:午前中は毒素の排泄の時間であり、食を断つべし
 平床寝台の使用硬枕の利用

 西式健康法は先に述べましたように1927年に創始されたのですが、その後、1947年に西氏が学説を集約された「西医学健康法」を著され、主としてその実用面を取り上げた書が1949年発刊の「[原本]西式健康読本」となります。
 その読本のなかで、西氏は次のように言っておられます。
 私の西医学は、今後なお30余年の講義によって、その全貌を尽くすものであるから、その途中においては、幾多説明の不備は免れない。それらは、他日の発表によってはじめて完全となるものであるから、実践者は私の講義を忠実に聴講せられ、正しく実行することが必要である。理論が理解されてからやるのでは、今後30余年を待たなければならない。その間に、多くは疾病にかかり、または健康を害して、私の講義を聞くことすらできないことにならないとも限らない。
 私は実効のともなわないものは、たとえ少しのことでも発表せず、また文献のないものも極力発表しないようにしている。しかしながら、今後講義の進行につれて、文献の探すこともできない独創的事項も決して少なくない。これらに対しては充分なる実績を把握して発表するのであるから、諸士は何の疑いもなくこれを実行してさしつかえなく、これによって得られる諸士の効益は、けだし甚大なものがあると信ずる。(引用ここまで)

 このとき西氏は65歳。その10年後、1959年に75歳という若さでで他界されました。その10年間に、どんな独創的健康法が発表されたのか、気になるところですが、小生はそれを知りません。また、西氏が短命で逝かれたその原因を小生は知らないものの、若い頃は病弱で医者に見放され、また戦中戦後の混乱期をくぐり抜けられ、戦後においては日夜健康法の研究や普及活動に邁進しておられたのですから、きっと命がそう長くは持たなかったのでしょう。類稀なる真の医学者のあまりに早い逝去が残念でなりません。
 しかし、西氏の教えを受けて自ら実践し、また、医師として治療に当たられた幾多の方々が西式健康法に磨きをかけ、普及を進めてこられました。
 その先頭を走られたのが甲田光雄医師(1924年生まれ2008年没)です。甲田氏は特に断食療法の実践、普及に多大の功績をあげられています。甲田氏も若い頃は西氏と同様に病弱で休学を繰り返し、1950年にとうとう医者にも見放されて、一か八かの断食療法に取り組まれ、そのなかで西医学断食法に初めて出会い、甲田氏は「目からウロコと思えるほどに開眼の書となった」と言っておられます。その甲田氏も84歳で他界されました。難病治療と西式健康法の普及活動に生涯現役を貫かれた激務がきっと寿命を縮めたことでしょう。

 さて、この西式健康法の数々、どこまで正しいのか。天の邪鬼である小生は、一つひとつ疑いの目をもって見ます。解題を書かれた早乙女勝元氏も同様のようで、次のようにおっしゃっておられます。
 …世の育児書のなかに、ごくあたりまえのように書かれてあることも、うのみにしてはなるまい。常に自分の頭で考える批判精神がないと、とんでもないことになる。…
 …病気を初期のうちに未然にふせぎ、健康を維持することでは、西式に負うところはかなり大きいように思う。
 ただし、西医学の信念に徹して実践していれば、すべての病気はコロリとなおる、みたいないいかたはまちがいである。「事業成功の鍵は西医学の実行にある」という1行が西勝造氏の著書にあるが、健康ならば事業もはかどることはわからないではないが、健康と事業を直結させては、せっかくの原理が泣く。真理は常に絶対なものとなったとたんにドグマになり、真理でなくなるのを忘れてはならないのだと思う。
 …私たち一家は大いに西式健康法の恩恵によくしてきたわけで、私はこんにちの時点で、あらためて見なおすべき人間的価値が本書の中にもたっぷりあると思う。しかし、人間が社会的な存在であるかぎり、その健康もまた社会性をヌキにしては考えられない。西医学の創始者西勝造氏が去ってから、私たちの国は高度経済成長の公害によって毒され、人間の人間らしく生きてある存在を危うくするようなさまざまな毒素が、巷にあふれてきた。こんにちを生きる私たちは、その健康を破壊するものとのたたかいなしに、生命を守り育てることができなくなってきた現実を真摯に直視すべきだろう。
 そうした社会的感覚なしに、西勝造氏の偉業を受けつぐことは不可能なのである。
(引用ここまで)

 小生も早乙女氏がおっしゃるとおりだと思います。
 本稿において引用した西氏の言葉
「諸士は何の疑いもなくこれを実行してさしつかえなく」ほか、読本には「信じて行え」といった類の表現が随所に出てきて、辟易させられます。“そんなことは自分で考えるわい”と言いたくなります。
 そして、西式健康法の一つにある「生水の飲用:1日2~3リットルの清水をチビリチビリ飲むこと」がドグマになってはいまいか、と小生には思えます。
 時代は変わりました。1戸建てで井戸水なり水道水を直接飲むという住環境から、集合住宅の屋上タンクからの給水や冷蔵庫の中からペットボトルを取り出して水を飲むという住環境への変化です。
 西氏は、この点については「水はその季節の温度で飲むのが正しい飲み方である。したがって、夏季氷をもって冷やした水は有害である。」とおっしゃっていますが、今日の水事情の様は想定外のことでしょう。
 例えば冬季の「水はその季節の温度」というのは昔であれば井戸水などけっこう“温かい”水であったことでしょう。それが今日の集合住宅となると屋上タンクや配管が外気で冷やされて“冷たい”水になっています。これを「朝、少なくともコップ1杯の水を飲む」というのはいかがなものでしょうか。また、逆に夏であれば「水はその季節の温度」となると昔であれば“冷たい”と感ずるものの今日では“生ぬるい”となってしまい、どの家庭にもある冷蔵庫ですから、つい庫内のペットボトルを手にとって飲み、“冷たくて生きた心地がする”となります。
 これが「冷蔵庫文化の落とし穴」であり、日本人は年がら年中「冷たい物中毒」にかかっているのではないかと、小生には思われてなりません。
 現代社会は水温に要注意であり、冬季は「朝、熱い白湯で湯呑1杯を飲む」が正しいのではないでしょうか。胃が喜んでくれるようでして、小生はそうしています。もっとも、これは小生が高齢者であり、少々低体温化してきたからではありましょうが。
 冷蔵庫の普及と時を同じくして発生してきたアトピー性皮膚炎と花粉症です。その原因は「冷たい物中毒」としか考えられないと小生は思うのです。
 参考までに、その記事は次のものです。
 アトピーの本質的な原因について考える(その2):冷蔵庫文化による冷たい物中毒

 西式健康法を多少冷ややかに批評してしまいましたが、西医学の本髄は「体液を酸性にもアルカリ性にも傾かせることなく、中性に保つこと」にありそうな感じがします。
 戦前のことだから、その頃の生化学は幼稚なものだろうと当初は無視していましたが、今回、何年かぶりにその部分をじっくり読み直してみましたら、“なんだ生化学の肝腎なところは今日に至ってもちっとも進歩していないではないか”
と、先ず感じました。
 ここの部分を自分なりに理解したら、次は実践です。西式健康法の六大法則の5番目と6番目の「合掌合蹠」と「背腹運動」の実行です。この2つは相当に奥深さがあり、これを極めたら素晴らしく健康なる心身が得られそうです。
 こうして、小生の心は「天の邪鬼」と「信者」を行ったり来りして揺れ動いています。

 久し振りに今回は長文の記事となってしまい、読者の皆様には延々と最後の最後までお付き合いいただき深く感謝申し上げます。
 今日、あまたの健康法が巷にあふれているなかで、これは格段にスゴイという健康法がきっと西式でしょう。小生はまだその入り口に入っただけの状態ですが、今、小生が毎日実践している3つの健康法は、読者の皆様にも自信をもってお勧めできるものです。ご自分で取り入れられやすいものから少しずつ実行されてはいかがでしょうか。

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