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食の進化論 第2章 類人猿の食性と食文化

2020年09月27日 | 食の進化論

食の進化論 第2章 類人猿の食性と食文化

第1節 熱帯雨林の植物の不思議
 植食性になると、動物はたいてい大型化してくる。類人猿は霊長類のなかで一番体が大きくなった。熱帯雨林では植食性の食糧が毎日簡単に豊富に手に入り、大きな体でも栄養補給に問題はないことと、植物は特に食物繊維が消化に時間を要するから、胃腸を大きくせざるを得ないこととの両面からそうなったのであろう。
 しかし、熱帯雨林の蒸し暑さは、体が大きくなればなるほど体に熱がこもりがちになり、こたえる。毛がうっそうと生えている類人猿には特にそのように思われる。炎天下へは出ていきたくないであろう。
 もっとも、体が少し小さい真猿類のヒヒたちは、毛をうっそうと生やしたままで熱帯の草原サバンナを住みかとし、炎天下でも平気そうにみえる。ヒヒは、類人猿の祖先に熱帯雨林から追い出され、我慢させられているのであろうか、慣れてしまったのか。
 何にしても、樹木の葉っぱで直射日光がさえぎられた熱帯雨林の中は居心地がいい。
 加えて、植物性の食べ物が有り余るほどにふんだんにあり、餌探しに悩まなくてよい。そして、熱帯の果物の果肉と木の葉っぱを食べれば、どちらも体を冷やしてくれて、誠に好都合でもある。
 だが、熱帯雨林は様々な樹木の混合林であり、隣に生えている樹木は皆、種が異なるというほどに植物にとって生存競争が激しい森でもある。樹木はうず高く背を伸ばさないことには競争に負け、生きていけない。
 そのためには、光合成を急がねばならず、葉っぱは1枚なりともおろそかにできない。葉っぱを動物に食べられては、その分生長が遅れて死活問題になる。また、子孫も激しい競争のなかから育つのであるから、実もたくさんつける必要があり、そのためにも光合成を十分におこなわねばならない。
 よって、樹木は自己防衛のため、その葉っぱと果物の実には毒を含んだものがほとんどである。
 ただし、種(タネ)を動物にばらまいてもらうため、果肉に毒があるものは極めて少ない。多くの動物にとって果肉がごちそうになる理由はここにある。なお、大粒の種はその場で吐きだされて撒き散らされ、小粒のものは飲み込まれて離れた場所に運ばれることになる。
 熱帯雨林以外では毒を有する植物の種類は相対的に少ないし、毒性の弱いものが多い。他種の樹木との競争は比較的少なく、1つの種だけの単一林さえある。草についても同様な群生などの生態がみられる。
 もっとも、こうした植物もアルカロイドなどの特定の物質を持っていたり、特定のミネラルを蓄積するなどして防御態勢をとっており、1つの植物の多食を継続することは、通常その動物の健康を害することになる。
 植物同士の競争が激しい熱帯雨林での偏食は、即、死につながる恐ろしいことではあるが、半面、毒は薬でもあり、熱帯雨林は生薬の宝庫にもなっている。熱帯雨林に居住する種族はそれをよく知っており、数多くを薬として活用している。近代医学においても、医薬品としていくつも利用するようになり、現在ではそれを元にして化学合成し、量産して重宝がられているものが実に多い。
 なお、チンパンジーでさえ、薬になる植物をいくつかは知っているというから驚きである。

第2節 類人猿の葉っぱへの挑戦
 類人猿以外にも熱帯雨林の植物の葉を主食とする動物がたくさん住んでいる。彼らの多くは、特定の木の葉っぱを食べ続ける道を選び、その植物に特有の毒素に対する解毒能力を獲得している。なかには毒が強い果物の種(タネ)のほうをもっぱら食べるものまでおり、その毒に対して格段に強力な解毒能力を持っている。
 動物は一般的に極度な偏食傾向にあり、数少ない特定の種類のものしか食べない種が多いが、例外も当然にしてあり、何でもかんでも少しずつ食ってやろうという道を選んだのが類人猿やヒトの祖先である。
 地球環境は激変の連続であり、今まで食べていたものが急に無くなることは日常茶飯事である。しかし基本的に動物の食は非常に保守的で、飢餓に瀕しても食べたことがないものには決して手を付けない。おかしなものを食べると、それには毒があり、死んでしまうのに違いないと恐れているのであろう。悶え苦しんで死ぬより、餓死を選んだほうが楽だと思っているのかもしれない。
 多くの草食動物は、親から教わらなくても、その生態系に自生する有毒な植物を避ける能力を持っており、決してそれを食べない。極めて性能のいい毒素検知器を舌や鼻に持っているようであり、食性は限られた種類の草に偏っている。
 現在の我々も、見た目に悪い、おかしな臭いがする、変な味がする、といったものは、たとえ飢餓に瀕していても決して食べようとはしない。もし、それらを食べるとすれば、勇気ある誰かが先に食べて、その人が健康を害する様子がないことを確認できてから、一部の者が恐る恐るその後に続くだけであり、最後まで決して手を付けない者も何人かは残る。霊長類は、多くの草食動物のような高性能の毒素感知器を一切持たないから、仲間同士で学習するという、このような不確実な方法しか取り得ないのである。
 これが幸いもする。飢餓に直面したとき、新たな食材を開発できる可能性があるからだ。このまま餓死を選ぶか、食べたこともない物を食べることによって悶え死ぬかもしれないが、これを食べることによって運よく生き延びられる可能性があるかもしれないと考えるのであろう。
 でも、新たな食べ物へのチャレンジは、好奇心が伴わないことには不可能である。ある程度脳が発達した動物はけっこう好奇心を持ち合わせている。特に子どもは学習意欲が旺盛で、好奇心が強いし、類人猿のなかではチンパンジーは大人でも好奇心がかなり強い。ある程度脳が発達した類人猿の祖先が身の回りにふんだんにある柔らかい若葉に好奇心を起こすことは大いにあり得る。
 今まで食べたことがない葉っぱを食べる勇気を持った猿が登場してもおかしくない。勇気ある猿がほんの少し食べてみて、体調に変化はないかどうか考え、異常が感じられなかったら、また次の日に少し食べてみる。つまみ食いを繰り返すのである。何日も繰り返すなかで安全性を確認し、ほかの仲間が真似をする。全てうまくいくということはない。当然、毒の強い物を食べて悶え苦しむ結果となることがあるが、周りの皆がそれを見て、これは毒性が強いから食べてはだめだと学習する。すると、食のレパートリーが少し広がる。飢餓が訪れるたびにその繰り返しをしつつ、だんだんと食のレパートリーを広げていき、ついに熱帯雨林に生えているあらゆる植物の毒性の強弱を知ったことであろう。
 その記憶は子どもに教育され、毒の強いものは決して食べないようにさせる。現生類人猿の子どもが毒の強い葉っぱを口に入れようとすると、母親がパンと払い除ける光景が観察されている。その繰り返しで子どもはこの種類の葉っぱは食べちゃいけないと学習するのである。
 こうして、霊長類のなかで最も賢い、類人猿やヒトに共通する祖先が誕生したのであろう。これは食べていいもの、あれは食べちゃいけないもの、と、絶えず頭を使わねばならず、記憶が最重要なものとなる。脳の一部、大脳新皮質の発達により、記憶容量の増大がこのような食性を確立させた。というよりは、膨大な情報の記憶に迫られ、それができなければ死が待っているから、脳が絶えずフルに働かされ続けて、自ずと脳が発達したと言ったほうがいいであろう。
 類人猿は毒の弱いものを選び、それも毎日少しずつ数多くの種類の植物を食べている。熱帯雨林に住む現生チンパンジーの主食は果物の果肉ではあるが、木の葉っぱもどれだけかは食べており、食用となる約360種もの植物を知っている。食用になるといっても、どれだけかの毒は含まれており、彼らの食事はほんのちょっとずつのつまみ食いである。一見すると実に贅沢な食事をしている。枝をポキンと折ってチョチョッと葉っぱを食べて残りは捨て、すぐに種類の異なる樹木へ移動し、この繰り返しを行なう。
 また、毒があると教えられた植物も念のため少し齧ってみて、どの程度のものか確認しているかもしれない。そして、どんな植物にどんな毒がどの程度含まれているか、新芽は大丈夫か、若葉はどうか、成長した葉っぱはいかがなものかと、熱帯雨林の植物の全てを知り尽くしているのではなかろうか。
 肝臓には様々な解毒酵素があり、それぞれの毒に対応している。したがって、種類の違う少しずつの毒が入ってきても肝臓での解毒を可能とし、また、多種類の小量の毒が絶えず入ることによって肝臓の解毒機能全体の強化も進み、ほんのちょっとずつのつまみ食いであれば完全に解毒でき、やがてそれらの毒に対する耐性ができ、健康体を維持できる体質を獲得するに至ったのであろう。
 エジプトでは昔、王様が毎日、微量のヒ素をなめて肝臓の解毒機能を高め、ヒ素による毒殺を免れたという話は有名である。酒も鍛えれば鍛えるほどに強くなるというふうに、どれだけかの効果はあったではあろうが、王様一人一代かぎりでは、それほどには肝機能が向上するとは思えず、かえってヒ素の体内蓄積で健康を害したことであろう。これは涙ぐましいむだな努力であったと言える。
 熱帯雨林の動物の様々な食性をみたとき、肝臓の解毒機能が動物の種ごとに個別に発達し、世代を重ねることによってその機能がやがてその種全体に獲得されるに至ったようだ。
 つまり獲得形質は遺伝する。そのように考えるのが自然だ。

第3節 進化に関する諸説と論
 フランスの生物学者ラマルクが動植物の観察を地道に続けるなかで発見した「用不用説」と「獲得形質遺伝説」は正しかろう。彼は1809年に「動物哲学」を著し、全ての動物において「使う器官は順次発達し、使わない器官は退化する。その器官の変化がその種に共通であれば次代に伝わる。」と言っており、これは生き物の世界に共通する大原則ではなかろうか。
 1859年に「種の起源」として出版され、あまりにも有名になりすぎたチャールズ・ダーウィンの「偶発的な変異により有利な条件を備えた個体が、その種の間での生存競争に打ち勝ち、適者として生存し、自然淘汰を通して、その子孫だけが選ばれる。」という1個体の優位性に端を発したダーウィンの進化論よりも、ラマルクの説のほうが真理に近いと思えてならない。
 たった1匹のサルが突然に肝臓の解毒能力を獲得し、その子孫だけが生き残って増えていったというより、皆が一緒の食べ物を食べることによって、その機能を皆が揃って順々に高めていったと考えるほうがよっぽど素直であろう。生態学の大御所である京都大学名誉教授今西錦司氏(故人)もその著「主体性の進化論」(中公新書)のなかで「個体の変異からではなく、その種全体の一様な変異により種は進化する。」のではないかと主張しておられる。
 ラマルクの「用不用説」は「用不用の法則」であり、ダーウィンの「進化論」は「進化仮説」であって、ダーウィンは基本的に間違っていると言い切る学者さえいる。
 [参照 生物は重力が進化させた 西原克成著 講談社]
 しかしながら、ダーウィンの進化論は、現在、正しいものとして揺るぎない不動の地位を獲得している。なぜにそのようになってしまったのか、少々長くなるがその経緯を説明することとしよう。
 ダーウィンの進化論は「生存競争」「弱肉強食」「適者生存」「自然淘汰」の概念で貫き通されており、これは、当時、産業革命を近代的に成し遂げた大英帝国にあって、経済学者トーマス・マルサスやアダム・スミスの経済論と全く共通するところであり、大衆が素直に受け入れられやすい理論でもあった。これが、ダーウィンの進化論が強力に支持され続けてきた、その根っこになっていることは間違いないであろう。
[参照 世界の歴史Ⅰ 人類の誕生 今西錦司ほか京都大学グループ著 河出書房新社]
 ダーウィンの生物観察は、広範囲にわたって鋭いものがあり、世界中を広く回って、進化を考えるうえで貴重な財産を数多く残してくれた偉大な人物であることは確かであるが、彼が一般通則をまとめ上げるに当たり、「あたかも生き物のように振る舞う経済」の発展と生物進化とが同じように見えてしまい、見間違ったのではないかと指摘する評論家もいる。
 小生が思うに、ダーウィンは先に挙げた4つの四字熟語をあえて前面に強く押し出すことにより、わざと経済の発展と生物の進化は全く同一であると、皆に錯覚させることにより、自説が広く認められることを狙ったのではないか、そのように勘ぐりたくもなる。
 当時は自然科学の分野においても、キリスト教会がまだまだ絶大な権限を持っていた。人間そして動植物は神が創った不変なものでなければならなかった。だが、ダーウィンは生物観察を通して「人間は猿から進化した」ことを知った。しかし、これをはっきり言うことはとうてい許されざることであることも承知していたから、人間の進化については多くを語ることなく、さらりと逃げた表現にせざるを得なかった。最終的には「多くの光明が人類の起源とその歴史の上に投げられるであろう。」と意味不明な表現にした。
 しかし、全体を読めば類推できてしまう。発表したいが発表できないもどかしさを感じていたところ、教会との論争になったときに強力に支援してくれる実力者ハクスレーが現れ、全面的なバックアップが約束されて、ついにダーウィンは発表を決意し、予想される教会との論争をハクスレーが受けて立つことにしたのである。
 彼がダーウィンの進化論を世に出した陰の功労者であることを忘れてはならない。策士ハクスレーが戦術として目論んだのは公開討論会であり、その場に来た大勢の聴衆を味方に付けようというものである。
 そこで、発表論文は、経済学者マルサスの言葉を何度も引用し、大衆受けしやすい理論を鮮明に打ち出すことにしたのであろう。もう一人の有名な経済学者アダム・スミスからの引用はないが、彼との接触も密接に行っており、その思想も全体の流れのなかに組み込んだのである。
 その論文が「種の起源」として出版されるやいなや、当時の英国でベストセラーとなり、大反響を呼んだ。
 当然にしてキリスト教会から聖書に反するものとして激しい非難を浴びることとなったが、案の定、公開討論会の場においてハクスレーの弁論が圧倒的な聴衆の支持を受け、教会派の学者をみごとに退散させて大勝利を収めたというのが、歴史上の事実である。
 公開討論会に出席していた者の多くは、産業革命の成功により、一介の職人や商人から資本家として頭角を現してきたブルジョアジーであった。彼らにとっては、資本主義経済とはダーウィンの示した4つの四字熟語とぴったり一致する競争原理が働く世界であるとの認識があり、彼らはその勝利者であることから、ダーウィンの進化論を全面的に支持するのは自明のことであったのである。
 ダーウィンの進化論はこうして日の目を見たわけであるが、彼自身は、人類の進化についてはそれでもまだキリスト教会を意識してか、「種の起源」を発表した11年後におもむろに「人間の由来」を出版し、やっと進化論を明確なものにした。
 ダーウィンの進化論は、当時としてはあまりにも画期的であり、加えて、世界を制覇する勢いの大英帝国の学者が知られざる世界の生物を調査して得た結果ということもあって、当時の欧米の考古学者、生物学者たちに大きな影響を与えた。
 もっとも、当初は、英国に対抗意識を燃やす欧州各国の学者は、ダーウィンとは異なる説を出し、学者間での論争が展開された時期があるなど紆余曲折はあったものの、その後に米国の学者が助っ人に入って盛り返し、学界での地位を不動のものにしていったのである。
 なお、ダーウィン自身は、ラマルクの用不用説と獲得形質遺伝説をも認めていたが、その後において、ドイツ人ワイスマンが獲得形質は遺伝しないという実験結果を示し、もって用不用説をも含めてラマルクの説全体を否定し去り、ダーウィンの進化論を単純明快なものにスリム化してしまったのである。
 ワイスマンの実験とは「ネズミの尻尾を22代にわたって切り続けても23代目のネズミに正常な尻尾が生え、何ら変化が求められなかった。よって、獲得形質は遺伝しない。」というものである。
 この実験に、はたして証明力があるのか。あなたなら、この実験結果をどう評価なさるか。私は専門家ではないから判断できないと、決して逃げないでいただきたい。
 
いたって簡単な実験であり、学術的な予備知識なしで判定が可能だからである。
 生まれてすぐにオスもメスも尻尾を切られて大人になり、尻尾がない者同士で子を作る。生まれた2代目の子どもたちに尻尾が生えたので、その子たちの尻尾を全部切り取る。これを22代にわたって繰り返したが、尻尾のない子が一向に生まれない。この実験結果から何が言えるか。小生は次のように考える。
 22代にもわたってネズミが大怪我をさせられ続けて、皆、悲しみに暮れただけのことであり、23代目のネズミは尻尾を切られずにすみ、ホッとしただけのことである。ただそれだけのこと。これ、何の実験?
 ネズミに「尻尾がない」という「獲得(?)」された「形質」を22代にもわたって受け継がせようと試みたが、23代目のネズミにはその形質が全く獲得されなかったから、獲得形質は遺伝しないのである、との弁。
 こんなバカな話がまかり通ってよいであろうか。獲得とは、例えば四足動物が生後間もなくから絶えず直立二足歩行を強いられて骨格構造が変化(獲得)し、その子も同様に強いられ、幾代もこれが続いた場合に、新たな骨格構造が遺伝するかどうか、という話である。この場合にあっても、進化というものはそう易々と進むものではなく、もう1桁いや2桁以上の世代交代を経なければ遺伝しないであろう。
 ワイスマンの実験はとんでもないものであったのだが、どういうわけか当時の進化論学者はこれを是として認め、ラマルクの説を間違いとして捨て去り、今日に至ってもラマルクは日陰者扱いされたままである。ラマルクがあまりにも気の毒だ。
 百歩譲って、当時、ワイスマンは医学、動物学の大御所であるからして、とても口を挟むことなどできなかったからやむを得なかったと認めるにしても、今日に至るまでの百年もの間、前述の西原克成氏以外にこれを指摘なさった学者はそう何人もいないようであり、何とも情けない話である。
 (ブログ版補記)ラマルクの主張の正確な表現、ラマルク説に対するダーウィンの実際の見解は以上述べた一般的な説明と若干異なります。また、ワイスマンの実験回数にも疑義がでています。詳細は下記の別立てブログ記事で述べました。
 → (追補)進化論:ラマルクの用不用説と獲得形質遺伝説が否定される理由

 その後、20世紀初頭に「突然変異」という現象が発見されたことから、ダーウィンが言った「偶発的な変異」をこれに置き直して「突然変異によって新しい変異が起こり、そのなかの有用なものだけが自然淘汰で残され、それが積み重なって進化が生ずる。」と修正され、進化は「突然変異」に重きが置かれるようになってしまった。
 こうして進化論のスリム化と突然変異という現象によって理論強化されたダーウィンの進化論は、今日、学者は元より学校教育を通して一般大衆にも染みわたり、不動の地位を築き上げてしまっているのである。

第4節 経済は学問を支配する
 当初は単なる説であっても、その時その時の学界の権威者たちが長年にわたり支持し続ければ、それが正論となり、いつしか「アンタッチャブルな永久不変の法則」に格上げされ、「真理」として扱われることになってしまう。これに異議をはさむ者は異端者として葬り去られるのが時代の常であり、悲しことに「経済の原理」の適用をもろに受ける羽目に陥る。
 なぜならば、名誉と高い報酬を受けている学界の権威者にとって、自説が否定されることは失職・失業を意味するからであり、権威者の常として、息のかかった学者や子弟に自説を擁護させ、補強する研究を重ねさせて守りを固め、学界を牛耳ることに心血を注ぐ。学者は、経済的観点に立って持論を主張し続け、もって「経済は学問を支配する」ことになるのである。
 古くは「大陸移動説」を発表した地質学者ヴェゲナーが長年にわたり完全に無視されたり、新しくはのちほど説明するエレイン・モーガンが紹介した「人類水生進化説」が徹底的に叩かれたりしている。
 時の権威者の立場を揺るがすような新説は、十分な根拠がどれだけ呈示されていたとしても、権威者一派による総力を挙げての重箱の隅をつつくようなあら探しの洗礼を受ける。些細な間違いや少しでも根拠薄弱なところがあれば、それが大袈裟に指摘され、それみたことかと痛烈に非難され、もって新説の全体が否定されるに至るのである。それにとどまらず、その後もあらゆる方法を駆使して、その新説を永久に闇に葬るべく画策され、ついには皆に忘れ去らせる。こうして時の権威者に戦いを挑んだ者は冷や飯を食わされ、最後には非業の死を迎えるというのが世の常である。
 進化の法則の真理というものは、ダーウィンの進化論とは全く別のところにあるのであるが、次々と発表される進化学説は強固に否定されたり、あるいはダーウィンの進化論の補強のために吸収されたりしてしまう。
 こうしたことから、ダーウィンの進化論に真っ向勝負し、系統立てて説明し直すバカな学者は誰一人として出てこないであろう。
 もっとも、前掲のとおり今西錦司氏が晩年になって異説を打ち出されているが、当の本人は、2つの説いやもっと多くの説もあってよく、それら皆、認めようじゃないか、とおっしゃっている。これでは、論争放棄で面白くない。唯一例外の真っ向勝負の野武士は、前掲の西原克成氏お一人であろう。氏は、東京医科歯科大学を卒業後、東京大学医学部博士課程を修了し、同大医学部付属病院で長く臨床に携わり、口腔外科講師どまりで定年退官された。人工歯根開発の第一人者である一方、実験進化学、臨床系統発生学を打ち立てられたほか、免疫病治療の画期的な方法を編み出された偉大な方ではあるも、経歴から分るとおり東大医学部から干された人物であり、その業績は完全に無視されている。「歯医者は歯医者の仕事をやっておればよい。天下の東大において外様ごときが他人の仕事に口出しするとは何事ぞ。ど素人め。」である。
 したがって、逆に、開き直って広範囲の研究ができ、好き勝手に物を言える立場にあり、脊椎動物の進化について幾つかの実証実験に成功し、ラマルクの用不用説が正しいものであることを立証できる画期的な証拠をつかまれた。その新しい発見の内容についての紹介は割愛するが、これぞ真理であるという進化の法則の一部を明らかにされたのである。
 しかし、干された立場にあっては、乏しい研究費のもとで孤軍奮闘するしか術がなく、また、氏は免疫病治療の臨床と研究を本職としておられるから、それ以上のことを望むべくもない。誰か氏の後継者が生まれ、進化の法則のさらなる拡大・充実をしてくださるといいのだが、学者というものは教授に少しでも楯突けば出世の道は完全に断たれ、守備範囲以外の学問に口出ししようものなら、周りから総スカンを食うという世界である。皆、我が身可愛さで、異端者にされることに尻込みし、残念ながら誰も後継しないであろう。
 これは、個々の学者が悪いわけではない。異端者覚悟で果敢に立ち向かおうとしても、そうしたことを行なった場合には、研究費は削られ、調査も実験もままならなくなり、加えて出世の道は断たれるという現実を、学者の皆が痛いほど知っているからである。
 長々とくどいほどに進化に関する学界の概況を説明してきたが、それは、我々が学ばされている学問とは実際にはどういうものであるのかを正しく認識しておく必要があるからである。なにもこれは進化に関する学問にかぎらない。あらゆる学問に共通するものである。
 明治維新の青写真を描いた男と言われる実学思想家の横井小楠は「高名な学者の書いた書物を読むことによって物事を会得しようとすることは、その学者の奴隷となることに過ぎぬ。その学者が学んだ方法を研究することが大切であり、学問の第一は、そうしたなかから心において道理を極め、日常生活の上に実現するための修業である。」と言っている。
 [参照 横井小楠 徳永洋著 新潮新書]
 小楠は幕末の表舞台に立ったことがないのでほとんど無名の存在であるが、坂本龍馬が師と敬い、勝海舟が恐れた鬼才である。明治政府樹立後には、木戸孝允、大久保利通らとともに政府の参与という要職に就き、政策立案などで最も重宝がられた人物であるが、残念ながら明治2年に暗殺された。
 小楠の学問は人文科学であり自然科学ではないが、彼のこの言葉は科学全般に共通する指針であると言えよう。
 小楠はことさら実学を強調した。それは、維新という動乱期にあって特別にその要求が強かったからである。しかし、それに続く今日までのいかなる時代においても、科学の目的というものは、単に知識欲を満たすためだけにあるというものではなく、常に世の中にいかに役立てるか、であったはずである。今日、この実学的思想がないがしろにされる傾向が強い。思想のないところに、はたして学問が成立し得るであろうか。
 なお、小生は、小楠が言う「その学者の奴隷となるに過ぎぬ」という言葉に出くわしたとき、身の毛がよだつ思いがした。これは、既存の学問を全否定することになるのではないか、と。
 でも、よくよく考えてみるに、小生の経験でも奴隷にされてしまったことが過去にある。そうした経験も踏まえて、たとえ完璧な理論であると言われているものであっても、これを鵜呑みにはせず、自分なりにじっくり考えてみる必要があろう。それが本当に正しいのかどうかを見極めることが大切であり、小生のような凡人には、おおよそ不可能なことではあろうが、少なくともそれを模索することにどれだけか意義があると思っている。
 そうした考え方でもって、ヒトの食性についての検討を順次進めていくことにする。

第5節 生き物を擬人化することの可否
 通常ならダーウィンの進化論の考え方に基づいて、まず検討を進めるのがセオリーではあろうが、これが正しいのか否かという以前に、正直な気持ちを言うと、小生の肌には合わず、なんとも好きになれない。
 ダーウィンの進化論は「1個体から出発して、その延長に種ができる」という、欧米近代社会の成り立ちと同様な、強烈な個人主義に基づく発想から生まれているからである。逆に、まず社会があって、そのなかに1個人が存在するという、純日本人的にしか考えられない小生にあっては、個人主義というものは、あまりにも重圧感がかかりすぎて押しつぶされそうになり、息苦しくもなり、そうした考え方から逃げ出したくなるのである。
 加えて、1個体の出発が「無方向性の変異をする突然変異から生じた個体の優秀な機能」という単なる機械論的な考え方に立っては、その先どう展開していくのかが何とも頭に浮かんでこないのである。
 特にヒトの食性を考えるとき、ある日突然に熱帯雨林に多く住む蛇を盛んに食う者が現れたり、樹冠にたくさん住んで
いる鳥が産んだ卵を狙い撃ちする者が現れたりしても、いっこうにおかしくないことになる。
 そんなチャランポランなことを頭の中で巡らしていると、つまるところ最後に浮かんでくる言葉は「真理は唯一絶対の神のみぞ知る」であって、完全にギブアップするしかないではないか。これではいたたまらなくなる。
 真理というものは、美しいものであり、単純明快なものである。小生は、そう信じている。自然科学の分野で現在でも通用し、誰も異議を挟むことができない「公理」は皆、美しい数式なり、平易な言葉で著され、素人でも容易に理解できる。こうしたものだけが真理であろう。
 複雑かつ難解な理屈を持ち出さねば説明ができなかった天動説や大陸不動説が完全な間違いであったように、「無方向性の変異をする突然変異から生ずる」などという、気まぐれで美しくもない動機から複雑に進化が進んでいくなどという進化論は、小生には正しいとはとても思えないのである。

 人間は生き物であり、人間は「こころ」の赴くままに行動しようという欲求が強い。その「こころ」の源泉がどこにあるのかよく分からないが、少なくとも脳だけではないことははっきりしている。人間は脳が大きいから「こころ」を持ったわけではないのである。
 人間と人間以外の生き物というものを比較したとき、どれほどの違いもないのであるからして、2つに分けて考えるのではなく、一緒のものと捉えるべきものであり、人間以外の生き物にも「こころ」があって、皆、その「こころ」の赴くままに行動していると考えるのが素直であろう。
 生物の進化においても、その「こころ」を無視して語ることはできないと思われるのである。極端な言い方をすれば、「こころ」が生物を進化させたと言っても、あながち間違いではなかろう。
 真理とは美しいものであり、生物の進化は一見複雑そうに見えても、その真理というものは平易な美しい言葉で著されるはずであるからである。
 先に類人猿の食性の変化がどのようにして起こったであろうかを述べたが、これは小生が類人猿を完全に擬人化し、自分の「こころ」から湧き出してきた想像力で記述したものである。もっとも、この部分を書くに当たっては、河合正雄氏の「サルからヒトへの物語」(小学館ライブラリー)のなかの現生霊長類の食性の説明を元にしつつ、西丸震哉氏が「食生態学入門」(角川選書)のなかで原始部族社会の食文化のあり様について、氏が原始人になりきって、ある習慣ができ上がっていくまでを巧みに想像して述べておられるので、その手法を真似して書いたものである。
 類人猿の食性の変化については一切の証拠がないのであるからして、そうでもしないことには何も書けないからであるが、当たらずとも遠からずの説明になっていると自負している。
 ところで、類人猿を「擬人化」することは、正しいであろうか、間違っているのであろうか。
 ラマルクの2つの説が徹底的に叩かれたその背景には、ラマルクが「生物の要求」とか「生物の努力」といった言葉を多用したことが挙げられる。つまり、生物を擬人化したことにある。人間以外の生き物に「こころ」を持たせることが、欧米の生物学界では極度に嫌悪され、これは今日まで続いている。
 科学史家の村上陽一郎氏がおっしゃるように、欧米においては、自然科学は反擬人主義が尊重され、全ての現象を「こころ」に係わる言葉ではなく、「もの」に係わる言葉で記述することを要求しているのである。このことに関して、今西錦司氏は「主体性の進化論」(中公新書)のなかで、遠慮がちに「動物には擬人主義を多少とも認めて良いではないか。でも植物までに擬人主義は持ち込めないが。」と、おっしゃっている。そして、もう一人、「重力が生物を進化させた」と主張されている西原克成氏は「内臓が生み出す心」(NHKブックス)のなかで「単細胞生物でさえも既に心がある」と、おっしゃっている。
 小生は西原氏の考えを支持する。全ての生き物に「こころ」があると考える。例えば、植物の葉っぱや果物の種に毒があるということは、それを食われたくないという「こころ」があるから、そうなったのではなかろうか。小生が行っている原種のヤーコンの栽培体験からも、植物に「こころ」があることを実感している。
 全ての生き物に「こころ」があるのだ。そう叫びたい。
 キリスト教の精神に基づく欧米人は、人間は神から特別に選ばれた存在であるとの意識が強く、明らかに動植物を単なる「もの」として差別しているのであって、動物愛護運動にあっても上から下への単なる慈善にすぎず、決して人間と動物を対等な生き物とする考えはなく、動物に「こころ」を認めないのである。
 進化学説には、ここで紹介したもの以外にも様々なものがあるが、今西氏は、それぞれ多くの観察や実験を通して打ち出されたものであり、その価値はいずれも計りしれないものがあると、おっしゃっている。
 小生は、その一つ一つに敬意を表しながらも、その全ての説や論に、生き物の「こころ」を付与したところで見直しをしようと思う。
 ラマルクの2つの説は、既に生き物の「こころ」が入っており、「用不用説」は「用不用の法則」に、「獲得形質遺伝説」は「獲得形質遺伝の法則」に格上げし、それを「公理」とし、これに素直に従えばよかろう。なお、西原氏は、この2つの説はともに「法則」であると、別の観点から詳しく解説されておられる。
 その他の説や論については、一々ここでは取り上げないが、随所随所で擬人主義を持ち込んで、小生なりの見方をしていくこととしたい。

第6節 類人猿の食性の拡大
 たびたび脱線してしまって申し訳なかったが、ここて再び類人猿の食性の話に戻す。
 熱帯雨林に生息する類人猿といえども、新たな食材の開発を迫られることが往々にしてある。地球の環境は、地球が誕生して以来、絶えず激しく変化してきている。特に、約5百万年前からしだいに寒冷化が進み、2、3百万年前に本格化した氷河期は過酷なものであった。
 地球の長期にわたる寒冷化は、熱帯地方にも大きな影響を及ぼしたであろう。熱帯雨林は乾燥し、大幅に後退していったと考えられる。湖沼や湿地帯も縮小に縮小を重ね、その多くが消滅したことであろう。逆に、海水面の低下で陸地は多少広がり、その分、熱帯雨林が広がったであろうが、焼け石に水であったろう。
 加えて、植物相の変化も広範囲に起きたであろうから、深刻な食糧難に見舞われ、生態の変更を迫られたに違いない。このとき、チンパンジーやボノボの祖先は、熱帯雨林だけでなく、灌木地帯にまたがる生活域をとったり、たまたま残った水域への進出をしたようである。
 灌木地帯にはマメ科の植物が多く自生しており、チンパンジーの祖先は、このときから新たな食にチャレンジし、様々な豆を食べるようになったと思われる。それも十分に実った硬い豆を。また、水域には柔らかい茎や太い根を持つ水生植物が自生しており、ボノボの祖先は、こうしたものへも食を広げていったのであろう。
 食に対する貪欲さがヒトに次いで旺盛なのがチンパンジーである。現生チンパンジーは植物性の食域の幅も広いし、蜂蜜を好み、アリを釣って食べるほかに、ときどき狩猟を行ない、真猿類をはじめ10種類以上の哺乳動物を食べることが知られている。
 そこで、肉の多食が定着しきっている欧米の動物学者は、次のように考える。
 飢餓に瀕したとき、チンパンジーの祖先は、遠い祖先の食性である動物食を取り入れたのであろう、と。それが今でもときどき狩猟を行なう行動として続いていると考えられ、チンパンジーは人類と同様にずっと前から雑食化への道を歩み始めていた、と。
 一般的な考え方は以上のとおりであり、そして、ヒトも初めから雑食性であった、と言うのである。はたして、これが本当であるのかどうか、そのあたりをじっくりと考えてみたい。

 現生類人猿の動物食をもう少し詳しく紹介しよう。
 オランウータンもアリ食いをし、まれに小動物の狩猟を行なうのが観察されている。
 ボノボはチンパンジーと違ってめったに狩猟を行なわないようである。小さなムササビをまれに捕らえて食べるのが観察されているほかは、水辺の砂をすくって水生昆虫や小さな魚を捕らえて食べることが知られているだけである。(ブログ版追記:近年、わりと大きい哺乳動物の狩猟が観察された事例が1件あり)
 巨漢のゴリラにいたっては、たまに行うアリ食い以外には、動物食は全く観察されていない。
 日本の動物学者のなかには、ボノボも同様であるが、チンパンジーの動物食は、飽食時に行われることから、これは遊びの範疇であるとみる方がいらっしゃる。小生も、類人猿が動物を食べる習慣は、別の観点から見るべきだと考える。

第7節 ゾッとするチンパンジーの子殺し行動
 ここで、なぜにチンパンジーが、真猿類などの動物を捕らえて食べてしまうのかについて考えてみよう。
 類人猿のオスにとって、「食」が第一の欲求であり、食が満たされれば第二の欲求として「性」欲が生ずる。第三の欲求は暇を持て余したときの「遊び」である。
 類人猿のオスは、大人になってもよく遊ぶ。常日頃は寡黙でどっしり落ち着き払っている大人オス・ゴリラであってもそうであり、遊びが類人猿の大きな特徴になっている。類人猿以外の動物の大人オスには遊びがほとんどみられないのであり、類人猿は例外的な存在なのである。(もっとも、極めて生息密度が低いオランウータンの大人オスは群を作らず、完全な没交渉の生活をしているが。)
 さて、チンパンジーの狩猟というものは、欲求第二の「性」と第三の「遊び」の結合から生じたものと考えたい。
 ボノボにはないが、ゴリラとチンパンジーには悪しき「子殺し」の風習がある。ゴリラとチンパンジーは、大人オスがいなくなって群が崩壊したとき、別の群の大人オスが、その群の乳児を殺してしまう。これは、乳児を抱えるメスから乳児を奪い去り、メスの発情を促すためであると考えられる。
 メスは、授乳中には発情フェロモンを分泌しないが、子が死んで授乳しなくなると、過栄養がために(授乳できるということは体が過栄養状態にあり、授乳によって正常状態を維持する)再び発情フェロモンを分泌するようになる。これは、彼らオスはよく知っているし、各種のフェロモン匂を嗅ぎ分ける能力はヒトはあらかた失っているものの、類人猿は十分にその能力を持ち備えている。なお、類人猿同士の個体識別は、姿形の違いを視覚で行うほか、各個体に特有のフェロモン匂によるところも大きいと考えられる。(この段落はブログ版で補記)
 
 子殺しは、オス・ライオンが群を乗っ取ったときに必ず行われる行動と同じであり、少数派ではあるものの動物界に広く見られ、特に霊長類において多い。
 なお、チンパンジーのオスによる子殺しは、同一の群の中において行われた例も相当数あり、また、数は少ないものの、メスが実行犯となった例も観察されており、なぜにこんなことをするのか、いまだ謎が多い。
 たぶんこれは、他の群に移籍したメス(チンパンジーの社会は、オスは生まれた群れに残り、生殖可能となったメスが群から出ていく父系)がその群で妊娠し、その後すぐにまた別の群に移籍して、そこで出産したのだろう。そうなると、子のフェロモンはその群の者(移籍してきたメスは除く)と全く異なったものとなり、その子は仲間ではないと感知するのではなかろうか。(この段落はブログ版で補記)
 一方、ボノボはというと、メスの発情が消える期間が極めて短いし、何よりもフリーセ
ックスの社会であるからして、オスは「性」については全く不自由しておらず、このような事態になっても子殺しは一切しない。
 ヒトの祖先にも、このような悪習はなかったと言えよう。今の我々男どもがこんなことをしたら、女性に一生憎まれ続け、性の享受は永遠に遠のいてしまうではないか。ヒトの祖先のメスはいつしか性の表出をしなくなり、現在と同じで発情は隠されてしまっていたであろうし、反対に、ほとんどいつでもオスを受け入れられる態勢になっていたと思われるから、このようなことはあり得なかったに違いない。
 ゴリラの世界においても、子殺しによるメスの獲得率は5割を切っており、亜種によっては子殺しをめったにしないから、彼らにも何らかのブレーキが働いているのであろう。
 もう一つ、ヒトは子殺しをしないと考えられる理由がある。現在の人類の男どもは、戦争という、やたらと殺し合いを行なう凶暴な動物になり下がったが、生来は決してそうではない。それを説明しよう。
 日頃はおとなしい草食動物でも、繁殖期には角や牙でオス同士が壮絶な争いをする種が多い。性の欲求のために、相手が傷ついたり死んだりしてもお構いなしで、相手が退散するまでオスは戦いに明け暮れる。
 類人猿にも牙があり、オス同士の争いに専らこれが使われ、時として相手を噛み殺すことさえある。それに対して、ヒトには糸切り歯が申し訳程度に生えているだけである。歯の化石が出たとき、ヒトであるか否かの判定は、まず犬歯を見て行われるくらいであり、ヒトの祖先は争いのための牙を持っていなかったのである。
 ヒトには角もなければ鋭い爪もない。オス同士の争いに使う武器を放棄したということは、ヒトのオスは争いを好まない、おとなしい性格の動物であったとしか考えられない。こうした性格を持ち合わせているかぎり、子殺しなどという空恐ろしいことは決して考えも及ばなかったであろう。
 加えて、チンパンジーは複雄複雌の群を構成しているのだが、オスはいたって子供に無関心で、邪魔者扱いさえするのに対し、人間の男どもは、他人の子どもであっても可愛いと思う心が強い。目が合えば、つい微笑んでしまうし、何かあれば手を差しのべてあげようという気になり、また、そうするではないか。ヒトは、この点、ゴリラに似ている。群の主のオス・ゴリラは、子どもの良き遊び相手になり、母親が死ねば一緒に寝てやったりもする。
 さて、「子殺し」のやり方だが、ゴリラは、大人オス1頭で乳児を一撃のもとに即死させて放置するだけだが、チンパンジーとなると全く様相が異なる。彼ら大人オスは、子を捕まえたら、身の毛がよだつ恐ろしい行動を取るのである。1頭の大人オスが捕まえた乳児を生きたまま手足を引きちぎって食べ、血をすすり、そこへ他の大人オスが加わってあらかた食べ、あげくの果てには老若男女入り乱れて、残り物のご相伴にあずかり、皮まで引き裂いてクシャクシャと噛むのである。さすがに、その子の親兄弟はこれに加わらないが。
 まさに狂乱地獄絵図が繰り広げられ、現実にチンパンジーたちは異常な興奮状態に陥る。でも、乳児を殺されたメスは何日か後に発情し、大人オスたちのほぼ全員の「性」を受け入れて身ごもり、複雄複雌で連れ添うこととなるというから、人間にはとても理解できない空恐ろしい行動形態である。
 ゴリラとチンパンジーのこの行動の違いは、どうして生ずるかを考えてみよう。
 ゴリラのオスはメスの2倍の体重があり、基本的に一雄複雌の群(単独行動をする大人オスの下に他の群から生殖可能となったメスが順次入ってくる父系)をつくる社会である。また、メスが群れ落ちして単独で暮らすことは、身の危険(生息域にネコ科の猛獣がいる)があることなどから決してしない。よって、メスは、配偶関係を結ぶオスの選択権が制限され、たとえ自分の子を殺した憎きオスであっても、そのオスに保護を求めざるを得ないことが多いのである。もっとも、彼女に恨みが残っているのかどうか定かでないが、別の群が接近したときに、その群に移ってしまうケースが多く、先ほど述べたように、子殺しオスのメス獲得率は5割を切る。
 また、ゴリラの乳児死亡率は5割を超え、原因は何であれ、乳児の死は日常茶飯事であって、いつまでも悲しんでいられないのが現実である。現に、人間の世界にあっても、ニューギニアに住む文明と隔絶された民族は、乳児死亡率が5割を超え、乳児が死んでも3日もすれば母親はケロッとしていると報告されている。多産多死の世界では、人もゴリラも乳児の死に対してはあきらめが早いのではなかろうか。
 一方、チンパンジーは複雄複雌の群をつくり、基本的には乱交社会ではあるが、特定の者同士での配偶関係が相対的に強い場合が多々ある。子殺しという事態が発生した場合に、そのメスは、群が複雄であるからして、配偶関係を結ぶ相手の選択権が当然に幅広くなる。自分の子を殺した下手人である憎きオスとは決して配偶関係を結ぶ気など起きないであろう。
 そこで、手を下したオスは、周りの者たちにも、まだ生きている乳児を食べさせて共犯者を数多く作り、メスの選択権を亡きものにするのであろう。いや、そうとしか考えられない。
 さらに、そのメスも過去に共食いに参加した経験があるだろうし、加えて、我が子が食いちぎられ骨と皮が細かくばらばらに地上にまき散らされて瞬く間にこの世から消滅してしまえば、我が子の死に対してあきらめが促進されるというものである。
 このような習性を持つチンパンジーであるからして、彼らに生活の余裕ができたときの遊びとして、強い刺激を求めて「子食い」に代わる狩猟による動物食の習慣が根づいたのではなかろうか。
 加えて、動物狩りとその祝宴は、メスの獲得のための「子殺し」「子食い」行動の正当化に一役買うことになるのである。なぜならば、狩猟は子殺し行動と同様に大人オスどもが単独または共同で行い、宴会は大人オスどもが中心となるものの、メスや子どももどれだけかはご相伴にあずかれるからである。
 なお、この習慣は飢餓に瀕した場合の代用食とは考えられない。チンパンジーの狩猟は、通常の食事を行なった後で行われているから、腹が減ったから狩りをしようという考えは全くないからである。
 大人オスどもが、彼らの狩猟の対象としている好みの動物と河原ですれ違っても、全く無視するがごとく何事も起こらなかったことも観察されており、チンパンジー社会の何か内的な必然性がないことにはハンティングに踏み切らないことははっきりしている。
 チンパンジーの狩猟は、群によってその頻度が異なっているが、最大で1年に十数回までであり、1回に1匹を仕留め、皆で分け合って食べるのが一般的である。もっとも、仲良く平等にとはまいらず、獲物をしとめたオスに優先権があり、気に入った仲間には多く、気に入らないライバルにはなかなか分けようとしないなど、日頃の個体間の付き合い状態が大きく反映される。
 彼らがもし飢餓に直面したときに、どういう行動をとるであろうかを考えてみよう。
 彼らが最も好む果物が異常な不作となった場合には、休むことなく果物を求めて移動を繰り返すであろう。それが手に入らないとなると、柔らかい木の葉っぱを主食とし、あとは豆捜しである。こうした飢餓のときは、毎日が腹ペコで、朝から晩まで餌捜しで手一杯であり、オスどもの誰にも遊ぶ余裕や気力などこれっぽちも生ずるわけがない。体力も消耗しきっている。
 刺激を求めたくなるのは、食が満たされた、暇で暇でしょうがないときに限られる。我々でもそうである。生活に困窮すれば貧乏暇なしであり、たまにはゆっくりしたいという願望があっても、疲れ切った状態では、刺激がある遊びなど誘われても、とてもじゃないが御免こうむるとなるではないか。
 以上のことから、チンパンジーの狩猟は、強い刺激を求めての遊びとして行われると結論づけてよいと考える。チンパンジーは雑食化への道を一歩、歩み始めたという考えは否定されねばならない。
 チンパンジーほどの高等動物となると、広い意味での「文化」を持っていると言っていい。この動物食行動は、飽食時に細い木の枝で爪楊枝を作ってアリを巣穴から釣って食べる昆虫食行動とともに、彼らの文化として位置づけることができよう。
 チンパンジーの進化の過程で、いつしかこうした「遊びの食文化」を築きあげたということは言えようが、本来の固有の「食性」としては決して位置づけられるものではない。くどいようだが、狩猟は飢餓のときには決して行われないと考えられるからである。ちなみに、食糧資源が豊富な森林に暮らすチンパンジーよりも、食糧資源の乏しいサバンナで暮らすチンパンジーのほうが、狩猟頻度は少ないという調査報告がある。
 なお、ボノボの水生昆虫や小魚取りも同様な「遊びの食文化」と言っていい。そして、ボノボがまれに行うムササビ食いなどは、チンパンジーとの共通の祖先のときに、既に子殺しと動物食の風習があり、種が分かれることによって子殺しをやめる方向に向かったが、その文化は完全には消えなかったと解したほうがよいと考えられよう。

つづき → 第3章 熱帯雨林から出たヒト

(目次<再掲>)
永築當果の真理探訪 食の進化論 人類誕生以来ヒトは何を食べてきたか
「食の進化論」のブログアップ・前書き
第1章 はじめに結論ありき
第2章 類人猿の食性と食文化
第3章 熱帯雨林から出たヒト
第4章 サバンナでの食生活
第5章 高分泌澱粉消化酵素の獲得
第6章 ついに火食が始まる
第7章 ついに動物食を始める
第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明
第9章 ヒトの代替食糧の功罪
第10章 美食文化の功罪
第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
あとがき

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免疫力がアップする「四天王」(三宅薬品・生涯現役新聞N0.308)

2020年09月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.308:2020年9月25日発行

表題:免疫力がアップする「四天王」

副題:日光に当たる・軽い運動・ゆっくり入浴・たっぷり睡眠

 10月に入れば、毎年、そろそろインフルエンザに対応していかねばなりません。今年は、それに加えて新型コロナへの対応が否応なしに求められます。事は一緒で、旧型コロナなどの風邪対策も全く同じ。なんせ、どれもよく似たウイルスなんですからね。
 一番求められるのは「感染すれど発症せず」にもっていくことです。
 毎年のインフルエンザ患者数(医者にかかった人数)は約1千万人で、医者に行かずに治してしまった発症者数も同程度と考えられ、合計2千万人がインフルエンザに罹患(病気にかかる)しています。加えて、「感染すれど発症せず」という方は、その何倍かいます。つまり、大方の人はインフルエンザウイルスにさらされ、「感染」しているのが現実です。
 新型コロナは“自粛規制”しなければ、インフルエンザと同様の状態になるんじゃないかと思われます。さほど恐れる必要のない新型コロナ、インフルエンザとどっこいどっこいと思われますからね。
 でも、旧型コロナにだってかかりたくないですから、それなりの対策をしたいものです。対策はいろいろありますが、もっとも重要なものを4つ取り上げることにした今月の新聞です。

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。

 

(裏面)瓦版のボヤキ

    魚釣り、餌屋探しで5時間のドライブ

 

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食の進化論 第1章 はじめに結論ありき

2020年09月20日 | 食の進化論

食の進化論 第1章 はじめに結論ありき

第1節 定向進化説と生物発生反復説
 地球上の生物はある一定の方向へ進化し続けるという道を歩んできた。これを「定向進化」と言う。もっとも、これは同種と考えられている化石を古い順に並べて骨格の差を比較したり、現生動物を類別に分けて形態を比較するなかから、一定の方向へ進化してきているように見えるからそう言うだけであって、何ら物証はない。
 明確な証拠を示せと言われても、進化というものは、一般的に百万年単位という極めて長い年数をかけて起きるものであるからして、それは全く不可能である。
 そうであるけれども、長年にわたり詳しく動植物の観察を続けておられる学者たちのなかには、動植物は総じて一定の方向へ進化していると言わざるを得ないとおっしゃる方があり、「定向進化説」の支持者も少なからずいる。
 しかし、ダーウィンの進化論の流れを汲み、進化学会の実権を握っている「正統進化論者」たちは、異なった見解を持ち、定向進化の考え方を全面的に否定する。
 なぜならば、進化というものは目的性を全く持たない突然変異によって起きるものであり、進化の系統は迂回したり、途中で脇道へそれてしまうこともあるから、一直線に向かっているとは言えないというものである。
 したがって、定向進化は残念ながら「説」と呼ばれ、日陰者扱いされている。
 でも、定向進化を指し示していると思わざるを得ない動植物の系統樹は、正統進化論者の著書にも堂々と図解として掲げられており、なぜに定向進化が否定されねばならないのか、わけが分からない。
 次に、「個体発生は系統発生を繰り返す」という「生物発生反復説」というものがある。1個の受精卵から成体になるまでの過程(=個体発生)は、30億年以上前とも言われる大昔に誕生した単細胞生物が現在のその個体にまで進化してきた系統をたどるというものである。
 ヒトの胎児も格好がついてきたら魚のように見え、そして尻尾が消えて全身が体毛で覆われた猿になり、最後に人間らしくなって脱毛して生まれてくる。ヒトの胎児のこの個体発生は誰が見たって脊椎動物の系統樹を順々にたどってきているとしか思えないではないか。
 ここでも正統進化論者は、個体発生と系統発生は全く別物であり、個体発生を進化に絡めるのは間違っていると言うが、それは屁理屈であろう。
 人類がどういうふうにして誕生したのかということが化石などからでは十分に分からない現状において、個体発生の道筋が人類進化を類推するうえでとても参考になると考えて何ら差し支えないであろう。
 特に、人類と類人猿の大きな違いとして体毛の有無や汗腺の相違など、化石では全く分からないところは、個体発生から類推する以外に何ら方法がない。
 非科学的と言われようが、これしか人類の歴史を探る方法がないのであるから、定向進化説とともに生物発生反復説も認めようという学者も少なからずいる。
 この2つの説の考え方の元に、正統進化論者から単なる類推とのそしりを受けてはいるが、ヒトの形態変化についてかなり詳細に分かってきた。
 しかし、ヒトは何を食べてきたのか、そして、ヒトに適した食べ物は何であったのかという「食性」については、消化器官が化石として残ることはなく、謎に包まれた部分があまりにも多すぎ、納得のいくような解説をしてくれる学者が一人もいない。あったとしても、一部分を簡単に記述するにとどまっており、明らかな間違いをさも正しいと論ずるものまであるから混乱を招く。
 したがって、ヒトの食性についても、とりあえずは定向進化説と生物発生反復説からの類推に頼るしか方法はなく、何人かの学者が、霊長類について現生類人猿に進化するまでの食性の移り変わりを解説なさっているので、まずはそれを紹介することから始めよう。

第2節 霊長類の食性
 哺乳類に属する、サルの仲間である霊長類の食性には一定の方向性が認められる。霊長類は恐竜が絶滅する少し前の、今から約7千万年前に誕生した。彼らは熱帯雨林で樹上生活をする夜行性小動物として昆虫を常食していたと考えられる。
 現生するキネズミが最も原始的で、名のとおりネズミほどの大きさであり、メガネザルでも20センチ程度しかない。これらの原猿類が霊長類のスタートであり、現在もそのほとんどが夜行性で、熱帯雨林で樹上生活をしながら昆虫だけを食べて暮らしている。
 原猿類が植物を少しずつ食べ始めることによって雑食の真猿類が登場し、中型の霊長類へと進化した。発見されている最古の化石は1千数百万年前のもので、今日、熱帯の草原に生息するヒヒや温帯のニホンザルなどがその仲間であり、オナガザル類に属する。
 さらに昆虫を食べるのを止めて専ら木の葉っぱばかりを食べる植食性のヤセザル類も登場した。ラングールやテングザルが現生する。しかし、不思議と真猿類の古い化石はほとんど見つかっておらず、起源や進化の系統は今もってよく分かっていない。
 大型霊長類である類人猿の起源は古く、真猿類から進化したのではなく、原猿類から直接枝分かれしたようでもあるが詳細は不明である。約5千万年前の地層から真猿類と類人猿の中間的な歯の化石が発見され、約4千万年前の地層からも数多くの類人猿の祖先の化石が発見されている。約2千3百万年前から類人猿はヨーロッパ、アジア、アフリカでたくさんの種が繁栄していたようであるが、約1千万年前に急速に消滅し、現在の生息域に近い形に縮小した。生き残った種はわずか数種である。

 さて、類人猿の祖先たちは何を食べていたのであろうか。彼らの歯の化石と今日の類人猿の食習慣からして、随分前から果物の果肉と木の柔らかい葉っぱを常食する植食性の動物になってきたと考えられている。
 なお、ヒトと類人猿を含めたヒト上科、最近はヒト科と分類され、乳歯20本、永久歯32本で、共通性がある。ついでながら、ヒトの歯の大きな特徴として犬歯の退化が挙げられ、約1千万年前のギリシャのオウラピテクスやトルコのアンカラピテクスにそれが見られるが、ヒトの祖先とは別系統の絶滅種と言われている。
 以上が霊長類の大ざっぱな食性の変化の方向である。もっとも、真猿類の種によって食性は少しずつ違うし、植食性の類人猿にあっても、チンパンジーは果物の果肉が主体で木の葉っぱも常食し、ゴリラは草の葉っぱが主体で果物も食べるというように一様ではなく、また、生息地域の環境によって少しずつ異なっている。
 チンパンジーやゴリラはアリ(蟻)を食べ、完全な植食性ではないとも言える。ただし、彼らのアリ食いは飽食時に行われており、遊びの範疇という捉え方もあり、後から覚えた嗜好品であろうから、本来の食性に加えるべきではないという考え方もある。
 だがしかし、チンパンジーは度々肉食を行なうことが観察されており、雑食性という見方がある。この事実は否定できない。そうすると、食性の方向性が崩れてしまい、定向進化ではなくなってしまう。
 チンパンジーとの共通の祖先から枝分かれして誕生したと考えられる人類は、今やその多くが雑食性である。完全な動物食になってしまった民族まで誕生し、明らかに定向進化の道から外れてしまい、ダーウィンの進化論の流れを汲む正統進化論者からは、定向進化説の間違いの実例として、激しく非難されることにもなる。でも、これは後から覚えた「食文化」である可能性が高い。

第3節 ヒトの食性の通説
 次に、ヒトの食性の通説について紹介しよう。ヒトは最初から雑食性の動物としてスタートを切って今日に至る、というのが欧米の人類学者たちの共通する考え方であり、日本でも一般にこれが支持されている。
 ヒトは、その英知でもって、植物であっても類人猿が食べることを知らなかった芋類や穀類(穀類はごく最近)を新たなエネルギー源としつつ、必須栄養素の蛋白質を動物の「死肉」からあさることを覚えた。もっとも、死肉といっても最初は骨の芯にある骨髄を食べたというものではあるが。
 その後、道具の発明により狩猟を行ない、動物食中心となり、数十万年前からは火の利用を覚え、食糧にできる動植物を大幅に増やした。さらに、寒冷地で好都合な高エネルギー源である脂肪も海洋動物などから得るようになり、生息域を全世界に広げることになった。
 加えて、約1万年前には文明の芽生えとともに穀類栽培という農業を始め、ほぼ同時に動物を飼い慣らして栄養バランスに優れた乳を生産するまでになり、さらに乳を発酵させた乳製品を発明した。
 ざっと、こんな説明がなされている。
 なお、ここで小生は「動物食」という言葉を使った。参考とした文献にはいずれも「肉食」とあり、これでは現在の我々の通常の食生活と同様に動物の「筋肉」だけを食べることになってしまい、未開の狩猟民族の食習慣の実態とは大きく異なる。彼らは、筋肉だけではなく内臓、血液をはじめ、食べられる所は全て食べ、そして、忘れてはならないのは、腸内に残っている半消化の植物までもその一部を食べているのが実態であるから、誤解を招かないように、そう表現した。
 これを「一物(いちもつ)全体の法則」と言う。漢方から生まれた言葉である。一つの生き物の全部を食べないと栄養バランスが整わないというものである。
 また、前節のチンパンジーの肉食についても、血をすすり、脳味噌を食べ、皮もかんでいることが観察されていることから、正しくは動物食である。
 ヒトの食性についての通説は以上で全部であり、極めて簡単に説明が終わってしまう。
 これは、欧米の食生活をベースにして、肉食文化を正当化しているだけと言っても過言ではなかろう。なんせ欧米各国の栄養学で、第一番目に記述される栄養素は「蛋白質」なのであるから。

第4節 ヒトの食性の通説への疑問
 日本では、栄養学ができて以来、第一に掲げられてきたのは「炭水化物」(ただし、最近は欧米にならって蛋白質が第一に掲げられるようになった)であり、人間が活動するために必要なエネルギー源となるものを最重要視してきた。明治以降、つい最近まで皆が朝から晩まであくせく体を動かさねばならない社会であったし、何といっても米食文化であったからである。
 生粋の日本人がヒトの食性を論じたら、全く違った文章ができあがるであろう。小生も若かりし頃は、通説が肯定できたが、中年となった現在では蛋白質や脂肪の消化能力が落ちて、「とてもそんなくどいものは食えんぞ。ご飯と味噌汁にしてくれ。俺は毛唐(けとう=毛むじゃら外人)とはちゃう!」と、つい息巻いてしまう。
 自家製の有機野菜が何といってもおいしく感ずるこの頃であり、肉はそんなに食べたいとは思わなくなったし、魚介類が少しでも食卓にのれば大変なご馳走となる。
 そんなことから、日本の医学・栄養学界では、ヒトは完全な植食性に適しており、動物食はいまだ適合しておらず、したがって動物性蛋白質は摂るべきではないと主張する老年の学者も少なからずいる。
 また、米国政府は、近年、肥満者などに対して生活習慣予防のために肉食を大幅に制限し、限りなく植食性に近い食生活を推奨するようになってきており、牛乳もほどほどにせよ、とのことである。肉は少量(今の日本人が摂っている量の3分の1以下)に抑え、それも魚主体とし、悪くても鶏肉に変えよというのである。
 小生がこれを知ったとき、“ほんまかいな?”と思わず口に出てしまった。これでは精進料理に毛が生えた程度の和食になってしまうからである。こうした米国政府の健康指導もあってか、米国の東海岸の都市では日本食が根強いブームとして拡大してきており、また、一歩進んでベジタリアン(菜食主義者)が大変多くなり、牛乳の代わりに豆乳を常飲する者まで現れてきているとのことである。
 英国においても、菜食主義者であるヒンドゥー教徒のインド人がかなり移民してきており、彼らの影響を受けてか、狂牛病問題の発生を契機にベジタリアンが急増しているとのことである。もっとも、菜食主義者のヒンドゥー教徒であっても牛乳は飲んでよいことになっているが。
 健康に関するこれらのことを考えると、ヒトは完全な植食性で誕生し、それが相当な長期間にわたって続き、いまだに動物食には適応できていないと言えるのではなかろうか、という疑問が湧いてきた。

第5節 洋の東西での思考方法の違い
 小生が薬屋稼業に入って、はや13年の歳月が流れた。この間、「食」と健康との関連に興味を抱き、それなりに勉強してきた。(ブログ版追記 現在、薬屋稼業に入って26年になるも、まだまだ勉強が足りません。)
 人間の手が加わっていない「自然の生態系に暮らす動物は病気しない」と言われる。これは、彼らに固有の食性が保証されているからであろう。
 そこで、ヒトにも固有の食性があるはずであり、それを守れば病気しない健康体を維持していけるのではなかろうかと考えた。しかし、残念ながら、ヒトは誕生して以来、何を食べ、そして、今、健康を維持する上での最適の食はどういうものか、これを調べれば調べるほどに、さっぱり分からなくなってしまった。
 そのなかで、小生が感じたのは、欧米の学者の物の考え方に少しずつ疑問が湧いてきて、言っていることが何となく鼻に付きだし、嫌気がさすようにまでなった。
 後から分ったことであるが、それは生活環境と文化の違いからくる思考方法の相違に根差しており、欧米人の心の奥底にある一神教に基づく世界観と日本人が持つ多神教と仏教が混在した世界観がそれを大きく隔たったものにしてしまっているようである。
 もっとも、明治以降、欧米の文化が日本に入り込んできて文化融合し、段々と日本人が欧米的思考に慣らされてきており、戦後においては、より欧米的思考が受け入れやすくなってきているとのことである。
 確かにそうであろう。ただ、これにも個人差がある。
 いくつかの宗教を多少とも齧ったことがある小生は、一神教の世界観を全く持たないどころか、これを完璧に拒否する立場をとっており、欧米的思考にはとても着いていけず、したがって、おかしなことをまだ言っている古い日本人なのかもしれないし、きっとそうであろう。
 加えて、日本人の心の中にはいまだに根強く欧米崇拝が残っており、特に欧米発の近代的自然科学は絶対に正しい真理であると思ってしまう傾向が強い。そんなふうに思い込むのは日本人ぐらいであって、一神教の世界観を持つ欧米人は、それが真理であるなどとは決して思っていないとのことである。このあたりのことを我々日本人は頭にしっかり置いておかねばならないであろう。
 欧米人にしてみれば、真理は神のみぞ知る、であって、自然科学というものは、誰か暇人(学者の語源)が単に「私には物事がこう見える」と主張しているに過ぎないという感覚で受け止める傾向があるとのことである。
[参照 森林の思考・砂漠の思考 鈴木秀夫 NHKブックス]
 まして、考古学というものは確たる証拠が不完全であり、これらに関する全ての論文は想像の産物であって、まさに暇人のお遊びであり、真理とはほど遠いものとして受け止められてもやむを得ない。
 米国の一部の州で、ダーウィンの進化論を学校で教えるなと主張されるようになったのは、何もゴリゴリのキリスト教徒が神の創造説に凝り固まっているだけではなく、一般人にも進化「論」と言えども単なる「説」としての受け止め方があることから、その主張が大いに支持される傾向があるのであろう。
 欧米の自然科学というものがそういう受け止め方をされるものであることから、ヒトの食性について気楽に語ることが許される半面、古代人の確たる証拠が全くといっていいほどないために、欧米の科学者には「私には物事がこう見える」ということすらできず、食性論も食性説も全く登場していないのではなかろうか。
 何か言えば、それは全くの空想の産物として、その学者は笑いものにされるのがオチであろう。
 事実、ヒトの化石と一緒に動物の化石が発見されることが多いが、初めはヒトが動物を食った証拠であると、ある学者が発表しても、後から調べた学者が、ヒトの頭蓋骨に動物の歯形が付いており、一緒に発見された動物(ヒョウ)の歯の化石とぴったり一致するから、ヒトが動物に食われたものであると発表し直されたりする。
 そもそも化石というものは、洪水などで多種類の動物が一緒に流されて溺死し、泥に埋まってできることが多く、食ったり食われたりの証拠にはなかなかならない。せいぜいヒトの歯の化石から臼歯が極端に磨り減っている場合には、砂混じりの食べ物を食べていたな、ということが類推されるだけである。
 時代が新しくなり、洞窟にヒトの化石とともに砕かれた大量の動物の骨の化石が発見されたときには、動物を食べていたな、骨が焦げていれば火を使っていたな、と想像されるだけである。その一例として北京原人の周口店遺跡が有名であるが、この遺跡については、焦げた骨は見つかっておらず、様々な骨は肉食動物が運んできたもので、灰らしきものは灰ではないと主張する学者もいるから、本当のことは何も分かっていない。ましてや、芋や葉っぱとなると一切証拠が残らない。化石として残り得るものは、動物の骨や歯、植物の花粉など、ほんの一部しかないからである。

第6節 数十万年より前のヒトの食性は不明
 したがって、ヒトの食性はどうであったかかは何も分からないのであるが、小生には、人類の遠い祖先である猿人や原人たちが「死肉あさり」などという、おぞましいことをやっていたとはとうてい考えられず、いや、考えたくもなく、これを否定したい。
 欧米の学者たちの根拠として、動物の化石のなかには骨が砕かれて骨髄が取り出されたであろうと思われる形跡があるものが発見されており、ハイエナやハゲワシが食べ終わった後、骨だけ拾ってきて、腐りにくい骨髄を石器で砕いて食べたのではないかと想像している。
 そこら中からそんな骨ばかりが発見されればいざしらず、こんなものは何かに驚いてゾウやサイが小走りし、散らばっている骨を踏みつければ簡単にできてしまうのではなかろうか。それらを拾ってきた可能性がある。
 明らかに石器を使ったと考えられる、傷がついた骨も見つかっているが、動物の骨は木の棒っ切れに勝る農具であり、拾ってきた骨から芋掘り農具を作ろうとした失敗作が山積みされて放置されたと考えてもよかろう。
 こうした土掘りに使って磨り減ったと考えられる骨の化石が見つかっているが、それは極めてまれである。使い古して用を足さなくなったら、当然にして原野に捨てられ、腐食・風化してしまって化石として残らないからであり、動物の骨を農具として使ったのはまれであったなどとは決して言えない。
 欧米の考古学者は、ヒトの遠い祖先の道具として、木や骨・牙・角を軽視し、石器に重点を置きすぎる傾向があまりにも強いと言っている日本の学者もおられる。加えて、欧米の考古学者の考える石器の使い道は、動物の解体に凝り固まっているが、小生が思うには、時代の新しいものは別にして旧式の石器は樹木の伐採や農具づくりに適したものと考えた方が素直な解釈であるという気がしてならない。
 図をご覧ください。あなたならどう考えますか。なお、この図は日本人の考古学者の手によるものです。

 
 
ヒトが動物を食べるようになったと考えられる確たる証拠は、人類の歴史からすれば比較的新しく、最古の狩猟の証拠として、やっと40万年前のものがドイツで発見されているにすぎない。松の枝で作った槍(やり)であり、それを使って殺したときに傷ついた骨も一緒に発見されている。魚を食べるようになった証拠はさらに新しく、年代の特定はできていないが、14万年前から7万5千年前までの間のいつ頃かに始まったことが分かっている。南アフリカのブロンボス洞窟で魚の骨が多く発見され、これが最も古い証拠である。貝を食べていた証拠も、他の場所で同様な年代から発見されている。
[参照 人類進化の700万年 三井誠 講談社現代新書]

第7節 ヒトの食性が不明でも追及したい
 証拠からすれば、ヒトの動物食は比較的新しい年代になってからということになる。日本人の学者のなかにも、死肉あさりに疑問を持つ方がみえ、小生がそうであるように宗教観に根差した日本人的思考によるものであろうが、だからといって、これを否定できる証拠もないし、また、植食性の証拠もなく、残念ながら学者の方々には何も物が言えない状況にある。
 学者のなかには真剣にこうしたことを研究しておられる方が一人や二人はおられると思うが、そんな絵空事を発表でもすれば学者生命を失うことになりかねないであろうから、内に秘めたままで終ってしまい、決して日の目を見ることはない。何年経っても、何十年、何百年経っても事態は一向に変わらないであろう。
 それを世に出す方法が一つだけあるのであるが、そうした方がはたしておやりになるかどうか。
 研究生活から引退し、もはや失うものがなくなったときに、論文としてではなく、「随筆」として、冥土へ旅立つときに、置き土産として、この世に残していただければいいのである。
 しかし、そうした随筆なるものを気長に待っている時間的余裕は小生にはない。もう58歳であるから。
(ブログ版追記 現在もう72歳になりました。)
 ヒトの食性というものが、いつどのようにどの程度変わってきたのかを知ることは、現在の我々の健康維持に最も的確なアドバイスを与えてくれるだけにとどまらない。差し迫った問題として食糧危機を乗り越える方策にもつながり、ひいては世界平和を達成できる道しるべにさえなる、極めて重要な課題でもある。
 なぜなら、自然界に生息する野生動物は、それぞれの種に固有の食性を守ることによって平和共存しており、人類もその一員であるからだ。
 あまりに大上段に振りかざした物言いをしてしまい、誠に恐縮ではあるけれども、現在の日本のこの飽食時代にあって、我々がつい忘れがちになってしまう「食」というものは、健康に生きるための全てであると言ってもいいくらい重要なものであることを皆さんの肝に銘じておいていただきたいからである。
 この世の学者に今すぐその答えを求めるのが不可能と分かったとき、それじゃあ、ズブの素人ではあるが、自分なりにこれを調べ、自分なりに考え、当たらずとも遠からずの、まだ誰も発表していない「ヒトの食性に関する進化論」なるものを「随筆」としてまとめてみようじゃないか、という意欲がフツフツと湧いてきた。
 欧米人的立場に立てば、暇に任せて好き勝手にしゃべっているのが学者であるのだから、素人がちょこちょこ調べで論文を書いても、学者と素人の差は、神との差よりもうんと小さく、誠に気楽である。学者じゃないから、たとえ読者に笑われても何てことはない。
 古臭い日本人の立場に立てば、学問とは真理の探求ということになり、専門の学者が確たる証拠を手間暇かけて集め、重箱の隅までつついて絶対に間違いがないものに仕上げねばならない。日本における学問というものはそういうものである。欧米化したといえども、学問に対する日本人の捉え方は昔と変わっていない。
 小生には、これはとうてい不可能なことであり、ちょこちょこ調べでは、ど素人の出しゃばり者め、と、論文の中身も見ずにゴミ箱へ捨てられてしまうのは必至である。この世の学者のみならず、一般の方の見方もそうであり、この本を手にしたあなたにもまじめに読んでもらえそうにない。
 ここはひとつ心を広く大きくお持ちになって、ぜひ欧米人的な考え方に立って、拙論は全くの素人談議で申し訳ありませんが、何とぞ最後までお付き合いをお願いしたいです。

第8節 インド哲学からの挑戦
 何も分からないことをどうやって調べるのだ。
 確かに従前どおりの欧米的な思考で調査研究したところで何も出てこないであろう。じゃあどうするか。
 日本人的思考方法は、これは本当かどうか分からないが、紀元前の仏教誕生前夜のインド哲学に類似したところがあるという話を聞いたことがあるので、これを少々かじってみたところ、なかなかどうして奥深いものがあり、論理的でもあり、納得がいくではないか。半面、動物でも植物でも生き物というものは理屈だけでは理解しがたい面があり、無意識とか深層心理とか、つまり隠された「こころ」で感ずるところに真理があると言っているようでもあり、非論理的でもある。ここのところは非常に難解ではあるが、知らず知らずのうちに全て理詰めで考える欧米的思考に毒されている小生にはほんの一部しか会得できていないし、間違った受け止め方をしているかもしれない。なお、般若経や華厳経を勉強するとよいということであり、友人からすすめられもしたが、これらはあまりにも難解で、小生の頭脳からしてはとうてい理解できそうにもなく、初めから逃げ腰であり、永久にその門を叩くことはないであろう。
 泥縄式のにわか勉強ではあったが、インド哲学の本質は、この世に存在する「いのち」というものを実に的確に捉えている気がしてならない。今後とも、こちらの勉強を暇をみては続けていきたいと思っている。
(ブログ版追記 その後、もう少しインド哲学や仏教哲学を齧ってみたが、難解な部分が多くて残念ながら遅々として前へ進まない。)
  欧米的思考はキリスト教の精神に基づいていることは間違いない。「神の下に人がおり、その下に物がある。動物も植物も土も水も、全部、物である。」という一方向の捉え方である。欧米人の場合、キリスト教は嫌いだという人であっても、それは教会や聖職者に嫌気をさしているだけであって、あらかたの人は「唯一絶対の神」の存在を信じており、その考え方に支配されていると言える。
 一方、古代インド哲学は、唯一神という超越したものを否定し、「人も動物も植物も土も水も、全部、生き物である。」という上下や方向性のない思想に根付いているように小生には思われる。
 この違いからか、欧米的思考は全ての面で殺伐とした物の考え方となって現れてきているような気がする。特に、動物生態学においては顕著であり、同一現象の事実認識が日本人学者が捉えるのと正反対となることも往々にしてあり、議論もすれ違いやすい。
 そのどちらが正しいのか、それを断言することはできないし、どちらも正しいとも言えよう。人間中心主義で全ての物事を動かしていこうとすることに徹すれば、欧米の考え方で正しいのであり、人間は単に生き物の一種すぎないという平等主義に立てば、当然に違った考え方が出てくるのであって、三つ子の魂百までであるからして、小生には後者の考え方しか取り得ない。
 古代インドの哲学者は、宇宙の真理の探究を、自然界で変わりゆく万物の観察と断食による瞑想を通して行なっているのであるが、深き森の中でじっと瞑想していると、植物が呼吸していることまでが分かるという。これは少々眉唾ものに感じられはするが、少なくとも当時の人は現代人より感性が鋭敏であったことだけは間違いないであろうし、自然観察力は現代人より格段に高く、「生き物」の本質をかなり高レベルのところで把握していたに相違ない。
 文明が高度化すればするほどに自然や事象との直接的な接触の機会が減ってしまい、かような能力は鈍感になってしまう。現在の我々に至っては、全く素性の分らない権威ある御仁の発する情報に全てを頼り切らざるを得ない状況にまで達しており、「自らが知覚する」ことを完全に放棄してしまっているとすら言える。
 その結果、感性はますます鈍感になるばかりか、ホントがウソになり、ウソがホントと教え込まれ、残念ながら真理探求の道はもはやほとんど閉ざされてしまったと思えてならない。
 小生が紀元前のインド哲学者たちの真似をすることはとうてい不可能であり、真理は遥か彼方の遠い遠いところにあるのではあろうが、インド哲学をベースにして思索にふければ、当たらずとも遠からずの何か結論めいたものが出てくるのではないかと、暇に任せてキーボードを叩きはじめることとした次第である。
 予備知識として、栄養学・医学とは異なる分野である食生態学、文化人類学、動物学、環境考古学、地質学、宗教学など、わずか20数冊程度の書物ではあるが新たに買い求め、暇をみては紐解くことにした。
 そのなかで、興味ある、小生にとっての新発見にいくつも巡り合うことができた。もっとも、その多くは既知のことがほとんどで、小生の知識が足りなかっただけのことであり、本来は何千冊、何万冊もの書物や論文を読まないことには「ヒトの食に関する進化論」などと大上段に振りかざした論文など発表できるものではないが、そこは先にも述べたようなことでお許し願いたい。
 この論文をまとめるに当たっては、とりあえずは目を通した書物から感じ取ったままに整理し、足らず前はインターネットで論文を検索して理解の一助としながら、また新たに本を買い求めて知識を増やし、行きつ戻りつ原稿を打ち直し、不可解な部分や間違っていると思われる部分は自分勝手に独断と偏見と憶測でもって置き直し、当然にして未知の所が多々出てきたが、それは、小生の知識不足だけのこともあろうが、自分の想像力で埋めることとした。
 かなりの長文となってしまい、お読みいただくのに随分と時間を取らせることになりますが、どれだけかは真理に近づくことができたのではないかと自負している。
 本論では、人を「ヒト」とカタカナで使うことが多いが、生物学的に動物として見る必要があるので、そうさせてもらった。なお、ヒトが高度な文化を持つに至った後のその文化的な行動においては、「人」と漢字で表記することとした。「オス・メス」、「男・女」も同様である。

第9節 類人猿の食性の概略
 随分と本題から外れた話ばかりを長々と続けて申し訳ない。食性の話に戻すこととする。
 まず類人猿の食性の概略を見てみよう。類人猿は小型類人猿のテナガザルと大型類人猿の2つに大別されるが、本論では小型類人猿にまでは言及せず、大型類人猿に絞ってみていくこととする。よって、単に類人猿と表記したものは全て大型類人猿を指すと考えてほしい。
 類人猿はオランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボの4種からなり、ボノボは姿形がチンパンジーに似ていて以前ビグミーチンパンジーと呼ばれ、チンパンジーの亜種の扱いを受けていたが、別の種に分かれているようであり、また、ピグミーは差別用語であることからボノボと呼ばれるようになった。元々は同一種であったが、熱帯雨林を流れる大河ザイール川(旧名コンゴ川)で生息域が分断され、長く生活環境を異にしていたために個別に進化し、異なる種になったとされている。類人猿は皆、非常に近い種ではあるが、均等に近いわけでもない。なお、ヒト以外は、その祖先が誕生して以来ずっと熱帯雨林とその周辺に生息している。
 彼らの食性はほぼ完全な植食性であり、基本的には果物の果肉(果物と言っても原種であるがゆえ商品価値のあるものはほとんどなく、人間が口にできるものはごくわずかしかない)と木の柔らかな葉っぱを常食している。ほぼ地上生活者となったゴリラは、木の葉っぱよりも草の葉っぱ、茎や根が中心となっている。
 チンパンジーは果物の果肉を好み、そのほかにマメ科の植物の実も少し食べている。なお、熱帯雨林の消失で灌木地帯に取り残されたタンザニアなどのチンパンジーは、乾季にはマメ科の植物の実が主食になっており、彼らに欠かせない重要な食糧になっている。
 年中湿潤な熱帯雨林を生息域とするボノボはチンパンジーと類似した食性ではあるが、沼地に生える草の茎や葉っぱもよく食べ、また、マメ科の植物の実も好んで食べている。
 類人猿が必要とする栄養素はヒトと全く同じである。カロリー源の炭水化物は、果物に多く含まれる果糖、ショ糖のほかは、葉っぱに少しばかり含有している澱粉質から賄っており、豆からもかなり摂取できている。
 主食が果物や葉っぱであるがために、蛋白質や脂肪の摂取は少ないが、それで十分事足りている。
 なお、小量であっても豆を食べれば、蛋白質も脂肪もけっこうな量が摂取できるのであるが、この食性は後から加わったのであろう。豆を優先して食べるわけではないので、果物や葉っぱが欠乏したときの代替食糧として取り入れたと思われるからである。
 1千万年を超えて蛋白質の摂取を必要最小限にしてきたであろう類人猿は、他の霊長類の皆が持っている「尿酸酸化酵素」を失くしてしまった。尿酸は、蛋白質が分解される過程で産生され、弱いが毒性を有するから尿酸酸化酵素で無害なアラントインに変性させる必要があるのである。蛋白質の摂取が少なく、尿酸の産生がごくわずかなものであれば健康被害はなく、その酵素を作り出す機能を失うのも必然である。必要がない機能は退化するしかない。したがって、ヒトを含めて類人猿は尿酸を尿中へ排出している。
 次に、ビタミンやミネラルであるが、これらは果物、葉っぱ、豆からバランス良くたっぷり摂取できており、何ら問題がない。なお、ビタミンCは、多くの動物が体内で合成できるが、ニホンザルなどの真猿類と類人猿そしてヒトは、その合成酵素を失ってしまった。これは、植食性の食べ物を恒常的に摂ることにより、ビタミンCは十分に口から入るので、その酵素を必要としなくなってしまったのが原因している。
 6番目の栄養素として食物繊維が挙げられるが、これは果物や葉っぱから多量に摂取でき、直接的な栄養とはならないものの、腸内環境を良好に保ってくれている。食物繊維は腸内細菌の餌となり、その細菌が繁殖することにより、宿主にとって有用な酵素やビタミンを製造してくれたり、免疫力を向上させてくれるなど重要な働きを持っている。加えて、腸内細菌による食物繊維の発酵が進むと、各種有機酸が生成され、これがエネルギー源となり、類人猿は大なり小なりこれに依存しており、特にゴリラにおいて顕著である。これを後腸発酵といい、草食動物ではウマがそうである。なお、ウシなどの場合は前胃発酵(胃がいくつかに分かれ、その中で細菌発酵させ、各種有機酸を得る)と呼ばれ、この形でエネルギー源を得ている霊長類もいる。
 これら6大栄養素はヒトと全く同じであり、体内で全く同じ働きをする。栄養素の消化吸収と体内での代謝の仕組みは、百万年やそこらでは何ら変わるものではないことが知られている。基本的な仕組みは1千万年もの間、不変であるとも言われており、ヒトと類人猿の食性は本質的には同じと考えねばならないと言えよう。
 類人猿のこうした食性は、ヒトに対しても極めて体に優しいものであるようだ。現代医学では治療法がないと言われるような難病も、類人猿と似たような食事で完治させているお医者さんが何人もいらっしゃる。
 多量の葉野菜、根菜と少量の玄米を全て熱を加えず、生で食わせるというものである。果物の果肉に代えて玄米にするところが類人猿の食と異なる点である。
 [参照 断食療法50年で見えてきたもの 甲田光雄 春秋社]
 果物の果肉は、果糖、ショ糖主体の炭水化物が主成分であり、消化が不要でそのまま吸収できてしまう利点があるが、果物全般に、特に熱帯産のものは体を冷やしすぎ、低体温にしてしまうという欠点があって、温帯に住む我々日本人にはあまり適さない。
 玄米は、炭水化物である澱粉が多く、消化酵素を多量に必要とするが、ヒトは類人猿以上にその酵素を唾液と腸の消化液にたっぷり持ち合わせているので、生であっても小量であれば完全な消化吸収が可能であるかもしれないし、不可能であっても腸内細菌が発酵してくれる。また、玄米には蛋白質、脂肪、ミネラルがバランス良く、とても多く含まれていることから、治療食の一つとして組み入れられているのであろう。
 こうしたことから考えるに、ヒトの食性はかくあるべし、という結論がもう出てしまった感がする。
 これではあまりに素っ気ないし、面白くもない。これが本当なのか、なぜにヒトは澱粉消化酵素が多量に出せるようになったのか、ヒトはもっとほかの食べ物にも適応能力を付けているのではなかろうか。湿潤な熱帯雨林に比べ、熱帯の乾燥地帯や温帯さらには寒冷地では植物相がまるっきり違うし、そこにもヒトは長く住んでいるのだから、何かあってもいいはずである。様々な角度から、これを探っていきたいと思う。

 つづき → 第2章 類人猿の食性と食文化

 

(目次<再掲>)
永築當果の真理探訪 食の進化論 人類誕生以来ヒトは何を食べてきたか
「食の進化論」のブログアップ・前書き
第1章 はじめに結論ありき
第2章 類人猿の食性と食文化
第3章 熱帯雨林から出たヒト
第4章 サバンナでの食生活
第5章 高分泌澱粉消化酵素の獲得
第6章 ついに火食が始まる
第7章 ついに動物食を始める
第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明
第9章 ヒトの代替食糧の功罪
第10章 美食文化の功罪
第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
あとがき

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「食の進化論」のブログアップ・前書き

2020年09月13日 | 食の進化論

 2007年5月に「食の進化論」と題して、小生の処女論文を発表した。発表といっても、ワープロ打ちしてコピーした手作り出版物であり、知人友人100名ほどに配っただけのものであるが。
 それから13年も経ち、もうこれはお蔵入りにし、他の論文のようにブログアップするのはよそうと思っていた。その論文の一部は勉強不足で、通り一遍の中身のないものになっており、将来の食については断片的にしか取り上げていない。これが原因だ。
 ところが、新たな論文(テーマはまだ未定)を書くようにと、幾人かからケツを叩かれ、今、模索し始めた。処女論文とも関りがありそうな雰囲気もある。よって、その論文を一度精査し、改訂版としてブログアップしておいたほうがいい感じがしてきた。
 というようなわけで、初版物はワープロ打ちでフロッピーディスクに収められており、それもどこへやら行ってしまったので、1冊保存してある手作り出版物を眺めながらパソコンのキーボードをこつこつと叩き、改訂版を作り上げていこうと思い立ったところである。
 ブログを何本も立てている小生である。「食の進化論」をどのブログに載せようか迷ったが、このブログ「薬屋のおやじのボヤキ」は食学に重点を置いているので、ここが座りが良かろうと思い、カテゴリーを1本新設して掲載することとしました。
 読者の皆様に、どれだけお役に立てるかわかりませんが、興味ある方はお読みいただけると幸いです。
 なお、できるかぎり毎週日曜日に1章ずつブログアップしたいと思っています。

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 永築當果の真理探訪
     
 人類誕生以来ヒトは何を食べてきたか
 <2007年(平成19年)4月30日 第1刷発行>
 <2020年9月 一部改訂> 

目次
はじめに(このページに収録)
第1章 はじめに結論ありき
第2章 類人猿の食性と食文化
第3章 熱帯雨林から出たヒト
第4章 サバンナでの食生活
第5章 高分泌澱粉消化酵素の獲得
第6章 ついに火食が始まる
第7章 ついに動物食を始める
第8章 人口増加が始まった後期旧石器時代そして人口爆発させた古代文明
第9章 ヒトの代替食糧の功罪
第10章 美食文化の功罪
第11章 必ず来るであろう地球寒冷化による食糧危機に備えて
あとがき
雑記編1日本・中国・韓国の食文化の違い
雑記編2世界の食糧難を救った作物はなぜかアンデス生まれ、そしてこれからも
雑記編3「大陸=力と闘争の文明」VS「モンスーンアジア=美と慈悲の文明」の本質的な違いは食にあり
雑記編4 肉は薬であり、麻薬なのです。ヒト本来の食性から大きくかけ離れたもので、これを承知の上で食べましょう。
雑記編5 人はどれだけ食べれば生きていけるのか?毎日生野菜150g(60kcal)で十分!!

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(製本した論文の知人友人への送付書 2007年5月)
拝啓 野に山に新たないのちが芽吹いて人に生気を授けてくれる季節となりました。
貴方様におかれましても益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

小生は団塊の世代の生まれです。近年、我々の2、3年先輩たちが定年退職されるに当たり、人生の中間決算として自費出版で書物を世に出すのが一つの大きなブームとなっています。それら先輩と同様に、小生も57歳になって直ぐに、どういうわけか無性に本を書きたくなりました。そして、去年の3月に、40ページほどの詩の雰囲気を持たせた随筆「ヤーコンの詩」という小編ものを処女作として発刊しました。ヤーコンというアンデス原産の芋の栽培記録を元にしたものです。これを農業をこよなく愛する方などほんの一部の関係者にのみお送りしたのですが、思わぬ激励をたくさんいただいたものですから、がぜん自信が湧いてきて、本格的な物書きをやってみようという気にさせられてしまいました。

そこで、小生が13年間の薬屋稼業をするなかで最も関心を持ち続けている、人の「食」について、一般的に正しいと言われているもののなかに、あまりにも間違っていることが多すぎると感じられるものですから、そもそもヒトは何を食べてきたのか、そしてヒト本来の「食性」とは何かを深く切り込んで調べ、つまり、真理を探訪し、それを書物にまとめようという気になってしまいました。
早速に関連する本を買いあさって読みふけり、また、インターネットで調べたり、前から持っている本を読み返したりしながらワープロ打ちに入りました。
全体を打ち終えてからも、論理的飛躍があったり、根拠薄弱であったりする部分が多々あり、再びそれらに関することをインターネットで検索し、出てこなければ新たに本を取り寄せて補強作業を続けました。稼業の合間にこれを行ない、1年かけてやっと作り上げることができました。
こうして完成したものを読み返してみて、本筋では当初から自分で思っていたことが正しかったと確信した次第です。全くの独自の理論となってしまい、世の常識と外れるものではありますが、皆様に「食」というものを正しく再考していただく一助になれば幸いと考えております。

なお、「ヤーコンの詩」の第1刷に誤字が4つもありました。それをご指摘くださった同期のN君にこの場をお借りして感謝申し上げます。本書についても当然にあります。ページ数からすると誤字脱字が何十個と出てきそうです。加えて主語述語の関係がおかしかったり、修飾語の係りが不明であったりする文章もあったりして大変読みにくい所が多々あろうかと存じますが、国語能力に落ちる小生のこと、何とぞお許しいただきたくお願い申し上げ、処女論文送付のご挨拶とさせていただきます。            敬具

                                        永築當果こと三宅和豊
 2007年5月吉日

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食の進化論

はじめに

 肉は麻薬である。牛肉、豚肉、鶏肉そして魚の肉に至るまで、それは麻薬である。
 麻薬は人間を幸せな気分にしてくれる実に有り難いものです。
 ただし、はまると強い習慣性が生じて、心身ともに害するから恐ろしい。アヘン、コカイン、これらは今日では麻薬として世界中で禁止されています。でも、アヘンはアヘン戦争で有名ですが、当時の清王朝の貴族のたしなみとして愛用されていたもので、アヘン中毒に陥る者は少数であったそうです。
 コカインとてアメリカインディアンの儀式で飲まれていたものですが、それがコカ・コーラという清涼飲料水として米国で発売されました。当然にして常飲する者が現れ、中毒症状を呈して、コカインを入れてはだめとなりましたが、名前だけはそのまま使ってよいというから、米国文化は面白いです。コカインの害はたいしたことないとの背景があったのかもしれません。

 大麻から作られるマリファナという麻薬があります。日本では所持しているだけでも厳罰に処せられますが、大麻は習慣性が比較的少ないという屁理屈で、オランダなどでは容認されています。
 酒も麻薬です。イスラムの世界では絶対に飲んではならない麻薬です。かつて仏教においてもそうでした。また、タバコに含まれるニコチンも麻薬の一種で、習慣性がかなり強いものですが、どういうわけか程度の差こそあれ、喫煙は世界中で認められています。
 日本の法律で成人に認められている麻薬であるからといって、酒はやはり飲まないほうが健康的でしょうし、タバコを吸わないというのは絶対的な健康法でしょう。でも、この2つを小生から取り上げたら、ストレスが溜まりすぎて発狂すること間違いなしです。酒とタバコなしの生活をするくないなら死んだほうがましだなどと息巻いたり、屁理屈をこねたりして家族を黙らせています。酒に弱い小生ですから、たいして飲めるわけではないので、毎日たしなむ程度の晩酌は全く問題ないと考えていますが、タバコに関してはヘビースモーカーでもあり、自分でも何とかしなくてはと、ちと心配しています。
 でも、止めるのはとても無理です。この2つは明らかに麻薬です。正真正銘の麻薬であるアヘンと何ら変わりはありません。程度を超えて習慣化すると、必ず心身を壊すのが麻薬です。したがって、麻薬であろうが心身に良い物であろうが、法律でだめだからだめとか、国が推奨しているからもっと積極的に摂取しようとか、そうした観点から善し悪しを決めるのは的外れとなる危険があります。もっとも、覚醒剤を推奨するわけではありませんので誤解のなきよう。今日のストレス社会にあっては、一度はまったら止められなくなるのが覚醒剤の怖さであり、決してアヘンを時折吸っていた清の貴族のようにたしなみでは済まなくなりますから。

 もう一度言いますが、人間にとって肉は麻薬である。
 たまに食うと体は温まり、気力が湧いてきて滋養強壮薬として最高のものです。必須アミノ酸がバランス良く摂取できるからです。ヒトの体は蛋白質でできており、蛋白質を分解したものがアミノ酸です。ヒトの体を構成する蛋白質と極めて類似しているのが肉であり、これを食べれば、それが消化されてアミノ酸になり、ヒトの体にとって不可欠の蛋白質をいとも簡単に体内で再合成できるからです。
 江戸時代には生類憐みの令があって犬の肉を食べることはご法度でしたが、薬と偽って食べていたという記録があります。四足動物の肉をまず食べたことがない江戸時代にあって、病人にとって漢方で肝臓の滋養強壮になるとされている犬の肉は、朝鮮人参に勝る薬であったことでしょう。
(ブログ版追記 まれにしか獣肉を食べなかった江戸時代、俳人小林一茶がこれを「薬食い」として俳句を詠んでいます。→ “行く人を 皿でまねくや 薬食い”(小林一茶)の“薬”とは? 何と“肉”なのです!
 植物性の蛋白質からでは何種類もの食品をバランスよく摂取しないことには、必須アミノ酸を十分に摂取することは容易ではありません。随分と多くの量の植物を摂らないことには追い付かな
いからです。そんなことは病人にはとても無理です。ここに肉の有り難さがあります。
 ただし、はまると強い習慣性があり、心身ともに健康を害するようになります。我々はこれに気づかない。皆がはまっているから、これで正常だ、健康だ、と思い込んでいるだけです。加えて、動物性蛋白質は体に良いと教え込まれていますから、体調を崩しても原因は別のところにあると考えてしまう。

 紀元前の大昔に、既に肉は麻薬であることを知っていた節があります。
 それは、一部の原始宗教のなかから推察されます。彼らは肉は麻薬であるとは言っていませんが、決して常食することなく、儀式に伴って食べるだけという文化を持っているからです。
 日本人の食文化は、今や肉を常食するようになってしまいました。おいしいものがいつでもどこでもたらくふ食べられる飽食の時代を満喫しています。豊かで平和な時代が続いています。輪をかけるように農林水産省は、畜産振興がためにやれ肉を食え、牛乳を飲め、卵を食えと大号令をかけ、水産振興がために肉より魚が良いから魚をもっと食えと言い、農業振興がために米をもっと食え、野菜は倍食べろとくる。加えて、厚生労働省や文部科学省は、朝昼晩1日3食きちんと食べないと体に悪いと、子どもから大人までしっかり教育する。
 そんなに食ったら体がどうなるか。健康を害するに決まっています。
 ついに、厚生労働省は、昨年(2006年)「メタボリックシンドローム」なる、舌を噛みそうな言葉を登場させました。メタボリックとは代謝のことですが、分かりやすいように「内臓脂肪症候群」と訳されています。もっともこれは、もう20年前に「死の四重奏」として、肥満、高血糖、高脂血症、高血圧が重なると命が危ないと警鐘が鳴らされたことと同じ内容で、何も目新しいことではないのですが。
 何にしても食べ過ぎであることは間違いありません。それも、おかしな食べ方をしているから、そうした危険が出てくるのです。

 原因の一つとして、食欲煩悩というものは自己努力だけでは容易には抑えられない、ということがあります。人間は、新たな食の誘惑には滅法弱いものです。
 その最たるものが、朝食をとるという習慣の定着です。
 歴史時代を通して、ほとんど世界中が朝食をとらず1日2食でした。西欧社会においては、古代から平和が長く続くときには富裕層が朝食をとり、ひどい生活習慣病を患うという繰り返しが起こり、朝食は体に悪いという考え方が定着し、今日の西欧では朝食は口寂しさを紛らす程度に消化のいいものをほんの軽く食べるだけにしています。
 それが日本ではどうでしょうか。
 徳川家康の時代までは、一部例外があるも総じて上から下まで1日2食でした。徳川政権が安定して平和が続き、まず武家が朝食をとるようになり、これが江戸町人にも普及しました。相前後して、米を精米し白米を多食するようになって、江戸患いという脚気に悩まされることになったのですが、農民や地方の商人はずっと1日2食で通し、雑穀米を食べていました。
 そして、明治維新を迎えました。明治新政府が富国強兵のため兵隊募集のキャッチフレーズに使ったのが「1日3度、白い飯が食える」でした。訓練中の兵隊が次々と脚気にかかることから、原因は白米にあると気づき、早々に麦飯に切り替えたので脚気を防ぐことができましたが、その後「募集要項」を復活させた陸軍は、日清・日露戦争で、戦死者の何倍もの脚気による病死者を出すという悲劇を生んでしまいました。ちょっとした食の誤りが大変な健康被害をもたらした一例です。
 兵隊に始まった庶民の1日3食は、あっという間に全国民に広がったようです。兵隊が郷里に帰って、1日2食では口が寂しいからと1日3食にするのは食欲煩悩からして自然の流れです。そうして全国民に1日3食があっという間に定着してしまいました。
 でも、たいていは麦飯に味噌汁と漬物という粗末な朝食でしたから、西欧のようには明確な生活習慣病は発生しませんでした。しかし、たっぷりと朝食をとった後に、すぐに体を動かすわけですから、胃での消化と筋肉運動を同時に行うことにより、胃に十分な血液が回らず、胃は酷使され続けます。
 以来、日本人は「胃弱の民族」になってしまいました。
 典型的な例が、東南アジアでのコレラの発生時に見られます。旅行者のうち西欧人は滅多にコレラに感染しないのに、日本人は多くが感染します。コレラ菌は酸に弱いですから、胃が丈夫であれば胃酸で死んでしまい発病しないのです。世界一朝食をたくさん食べる民族、日本人の弱さがここに顕著に現れています。朝食は、胃弱と食べ過ぎを招くだけで、健康上何の御利益もないないことを知るべきです。
 小生の健康法で大きな成果を上げているのが朝食抜きです。さらに一歩進めて昼食も抜いています。もう一段上が断食です。「ときどき1日断食」に取り組んでいますが、これは慣れてもけっこうきついです。毎日の食事に気を付ければいいんだから、そこまではせんでおこうと妥協している今日この頃です。
 朝食を抜くとは何と不健康な。昼食まで抜くとはあきれて物も言えん。あんたは痩せすぎで、あと5キロは太らなあかん。その体で断食するとは何事ぞ。
 多くの方々から、そのようにご心配いただいておりますが、様々な健康法を勉強し、試したりするなかから、これがきっと健康にいい方法だという結論に至り、女房ともども体験した結果、やはりよかったと実感できましたので、ここに紹介した次第です。すでに3年にわたりこれを続けており、お陰で心身ともに快適な生活を送らせていただいております。
(ブログ版追記 その後10年間、夕食だけの1日1食を続けましたが、女房も高齢となり、昼食に何か軽く口にしたいと言いだし、小生の体重増加希望もあって、昼食におにぎり1個食べるようになり、3年経ちます。でも、昼食のおにぎりは義務的に食べているだけで体重減少も防ぎ得ないです。なお、3日断食にも何度か取り組みましたが、空腹感も生ぜず、その間に農作業もしましたが、ほとんど平気であったものの体重減少が大きすぎて、数年前から1日断食さえやっていません。)
 これ(朝食抜きのミニ断食)は万人向けの健康法ですが、素人考えで取り組むと逆に健康を害することがあり、朝食抜きはやはり体に悪いということになってしまいます。それみたことかと朝食支持派に大々的に発表されたりして、朝食抜き健康法は劣勢にあり、どれだけも広がりをみていません。誠に残念なことです。
 腹も空いていないのに朝食を食べないかんという観念から無理に食べておられる方は、一度お試しになってください。早い方で2週間、遅くても2、3か月で習慣づけされ、体調が良好になったことを自覚できます。体重が少なくとも2キロ減ることでしょうし、確実に体脂肪が落ちます。
(参照 朝食抜き、1日2食で健康!昔は皆がこれで驚くほど元気だったんですがねえ…

 もう一つの日本人の胃弱の原因が、時代の移り変わりとともに食習慣がヒト本来の食性から段階的にどんどん離れていき、それが民族により大きな差が生じてしまって、健康で生きていける食の許容範囲に明らかな違いが付いてしまったことに起因しています。
 日本人が西欧人の食をそのまま取り入れると健康を害するまでに、生物としてのヒトの食性が異なってきています。胃袋の厚みや腸の長さが違い、消化酵素の出の良さ悪さに差があり、これはそれぞれの民族に生まれつきのものです。数千年から数万年の経過でそうなったと思われます。
 蛋白質は胃で半分消化されます。肉を食べると胃は重労働をしなければなりません。胃袋を長時間動かし続け、消化酵素をたっぷり出さねばなりません。これを何万年も繰り返していれば、胃は丈夫になります。日本人に比べドイツ人の胃袋の厚みは3倍あるという研究結果も出ています。
 半面、日本人は西欧人に比べ、腸の長さは5割も長いと言われます。これは、玄米、雑穀や芋の多食を繰り返してきた結果です。これらの主成分は炭水化物・食物繊維であり、胃はふやかすだけが仕事で、消化は主に腸が受け持っているからです。
 これ以外にも民族による違いがあります。脂肪の消化酵素がよく出るかどうか、牛乳に多量に含まれる乳糖を分解する消化酵素を持っているか否かということが日本人には大きな問題になります。
 加えて、日本人が好んでよく食べる魚は蛋白質と脂肪が主成分ですが、これを多食するようになったのも最近のことです。はたして、これに対応できる胃袋を持っているのか、体内に吸収された後に代謝されときに何ら問題はないのかも疑問です。肉に代えて魚なら良いとは安易には言えないのです。
 ここは、原点に立ち返って、抜本的に検討し直さねばなりません。
 室町時代に西欧から日本に布教に訪れたキリスト教宣教師が異口同音に日本人の類いまれなる体の丈夫さと頭の賢さに驚きの声を上げています。これは、食によるところが大変大きいのです。
 日本は世界でもまれにみる豊かな自然環境の生態系に恵まれています。
 ヒトが誕生して以来、探し求めてきたあらゆる動植物が野にも山にも湖沼にも海にも豊富に自生しています。そして、それらを大切にし、神として敬い、四季折々にその恵みを神様から少しずつ頂戴して、自分たちが住んでいる自然と共存を図ってきたからに他なりません。
 木を切った後に植林するという文化はずっと昔から日本にはありましたが、明治初期にこれを知った欧米人は、なぜにそのようなことをするのか、全く理解し得なかったというから驚きです。
 これは、日本人が自然を「恵み」と考える文化を持っているのに対し、西欧人は自然からは「収奪」すればよいとしか考えない文化を持っていることによる差です。
 加えて、日本人は食事時に「いただきます」「ごちそうさまでした」という、世界に誇れる生き物を敬う挨拶文化を持っています。「もったいない」の語源も同様でしょう。
 飽食時代の今日にあっては、我々はこうした食の有り難さをつい忘れがちになってしまっています。歴史上、戦後の混乱期まではそのようなことはなく、おまんまが食えることに深く感謝していました。
 我々日本人は、少なくとも戦後の混乱期以前、できれば徳川家康の時代まで立ち返って、「食」を真摯に受け止めねばならないでしょう。

 拙論は、歴史を大きくさかのぼり、人類誕生時からの「食」がどのようなものであったかを探訪しようとするもので、「ヒトの食性」を明らかにしようと試みたものです。
 そうしたことから、その大半は数百万年前の猿人や原人の食性に始まり、古代文明前の食性に多くを費やさざるを得なくなりましたが、ヒトの消化器官の形態や機能、そして代謝機構というものは、千年やそこらでは容易に変わり得るものではなく、基本的には百万年単位の時間を必要とするからです。
 したがって、随分と基本的な内容ばかりを追い求めることになってしまい、今日、即応用できるような食については触れておりません。その点ご容赦くださるようお願いします。
 「食」は健康の源です。「食、正しければ病なし」です。自然の生態系のなかで暮らして
いる野生動物は病気しないと言います。人間もそうありたいものです。
 小生の力不足で、本論はその一部しか明らかにできていませんが、「食」の基本にはどれだけか迫ることができたと思っています。
 皆様方に、正しい「食」とはどういうものかについて、今一度じっくりお考えいただき、明日からの食生活改善の参考にしていただければ幸いです。

   2007年4月
  (2020年9月 一部追記)

つづき → 第1章 はじめに結論ありき

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漢方五味で秋の健康食を(三宅薬品・生涯現役新聞バックナンバーN0.199)

2020年09月10日 | 当店発刊の生涯現役新聞バックナンバー

 毎月25日に発刊しています当店の「生涯現役新聞」ですが、これをブログアップしたのは2014年陽春号からです。それ以前の新聞についても、このブログ読者の方々に少しでも参考になればと、バックナンバーを基本的に毎月10日頃に投稿することにした次第です。ご愛読いただければ幸いです。

当店(三宅薬品)生涯現役新聞バックナンバーN0.:2011年8月25日発行
表題:漢方五味で秋の健康食を
副題:秋食は、主=辛味、従=酸味、添=塩味が美味しいですよ。

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