薬屋のおやじのボヤキ

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身長が低い人ほど病気にかかりにくく長生き、これって本当?

2017年08月26日 | よもやま話

身長が低い人ほど病気にかかりにくく長生き、これって本当?

 「独活(うど)の大木」という言葉がある。これは、体が大きいだけで何の役にも立たない者をあざけて言ったもの。他に類例として「大男総身に知恵が回りかね」「大男の見掛け倒し」というのもある。つまり、背が高い奴はろくなもんじゃんねえ、ということ。加えて、対義語として「山椒(さんしょ)は小粒でもぴりりと辛い」とあり、これは小男を褒めた言葉だ。その逆の、ノッポを褒めたり、チビをけなしたりする言葉は見当たらない。もっとも「馬鹿の大足、間抜けの小足、中途半端のろくでなし」という、全否定する言葉があるが。

 どうして、こうしたことが言われるのかはさておき、表題にした「身長が低い人ほど病気にかかりにくく長生き」というデータがけっこう多い。それを紹介しよう。
 2017年07月27日付け人民網日本語版に出ていたのだが、その概略を以下に記す。

①長生きできる
・米国ハワイ大学:8千人以上の日系アメリカ人を50年間追跡調査:身長156cm以下の人が最も長寿である。
・イタリア:身長約162cmの人は身長が162cm以上の人より平均2年長生きする。
・ニューヨークのアルベルト・アインシュタイン医学校老衰研究所:千人以上の95歳以上の高齢者調査:多くは身長が高くない。100歳を超える高齢者の多くは身長が低い。
②発癌リスクが低い
米国の国立がん研究所:身長が高い人の発がんリスクは身長が低い人より高い。
 身長が10cm増えるごとに、女性の発癌リスクは約18%、男性は約11%増加。
 ガンの種別でみてみると、身長が10cm増えるごとに、女性は乳がんリスクが20%、黒色腫リスクが32%増加し、男性は黒色腫リスクが27%、前立腺がんリスクが21%増加。
③女性の場合、脳卒中のリスクが低い
・ノルウェーのトロムソ大学:身長が高い女性は
脳卒中にかかるリスクが高い。
 女性の身長が157cm以下で、かつ標準体重の場合は血栓リスクが約3倍も減少する。

 以上、5つの研究報告がまとめて掲げられていた。他にないかと、ざっとネット検索したら、がんについてしかなかったが次のものが見つかった。
①男性の場合、悪性リンパ腫にかかりにくい
 日本の国立がん研究センター:1990年から16年間にわたる40~59歳の男女約1万5千人の追跡調査結果:身長の高いグループが悪性リンパ腫になるリスクは、低いグループの1.38倍。ただし、これは男性のみに見られる傾向で、女性にはこの傾向はない。
②女性では発がんリスクが低い
 英国オックスフォード大学:1996年から5年かけてイギリス人女性130万人を対象に調査:身長152.5cm以上の女性は10cm背が高くなるにつれてがんの発症リスクが16%ずつ高くなる。
がんの種類によって若干異なり、身長が10cm高くなるごとに大腸がん1.25倍、乳がん1.17倍、子宮頸がん1.19倍、腎臓がん1.29倍、白血病1.26倍。
発がんリスクが低い
 スウェーデン:1938~91年の間に生まれた男女550万人を対象:身長が高いほどがんのリスクは増加する。この傾向は女性で顕著にみられ、身長が10cm高くなるごとにがん発症率が男性で10%、女性で18%高まる。うち、女性の乳がんリスクは身長が10cm高くなるごとに20%上昇、悪性黒色腫(メラノーマ)のリスクは男女ともに30%も増える。

 ところで、身長の低い人のほうが病気になりやすいという、逆の研究報告もある。
 それを以下に紹介しよう。
身長の低い人のほうが脳卒中になりやすい
 日本の国立がん研究センター:1990年から16年間にわたる40~59歳の男女約1万5千人の追跡調査:身長が低いグループの脳卒中発症リスクは、身長が高いグループの1.6倍。(参照:国立がん研究センター発表
身長と循環器疾患発症リスクとの関連
 (先に紹介したノルウェーのトロムソ大学の調査と間逆の調査結果であり、同様の調査結果は欧米にも数多くあるようで、トロムソ大学の調査結果は例外的なもののようだ。ただし、トロムソ大学の調査は女性に限っているから、直ちに間違いと断定することはできないであろう。)
身長の低い人のほうが心臓病のリスクが増加する
 フィンランドのテンプル大学教授ツーラ・パーヤネン氏ら:約3百万人のデータ(52の研究):160.5cm未満の身長の低い人は173.9cm以上の人と比べて、心臓病のリスクが約1.5倍になる。(①の日本の国立がん研究センターの調査では、身長との相関はないとの結果が出ている。)
男性は身長の低い人のほうが認知症のリスクが増加。ただし、女性は逆転。
 英国エディンバラ大学:1994年から2008年にかけ18万人の病歴などを収集分析:身長が170cm未満の男性は認知症になる確率が50%高くなる。
 ただし、身長が170cm以上の女性は背の低い女性よりも認知症のリスクが35%高くなる。女性は身長が8センチ低くなるごとに認知症のリスクが13%減る。

 以上、なんとも眉唾ものの調査研究が多いような気がするのであるが、身長の高低との相関関係がたとえ統計学的に有意であっても、因果関係ありとすることは決してできない。
 たとえば、一番最後の「男性は身長の低い人のほうが認知症のリスクが増加。ただし、女性は逆転。」の場合を例にとってみてみよう。
 チビの男は何かと不利な人生を歩んできたであろうから、老後もつまらない人生をおくることがままあって、認知症になりやすいのかもしれない。逆に女性の場合はノッポだと不利になり、男と真逆になるだろう。こうした場合、「老後に有意義な人生をおくっているか否か」と「認知症の罹患率」の相関関係を調査したほうがいいことになるのである。

 ところで、米国のある科学者は、次のように主張している。(人民網日本語版による)
 人間はその生存に最適な身長が存在し、男性は165~168cm、女性は159~162cmである。身長が高い人は生き残るためにより多くのエネルギーや水分、酸素の摂取が必要となり、それにより各器官に与える負担が増える。一方、身長が低い人は日常的なエネルギー消費が比較的少ないため、必要とする栄養素も少なく、体の耐力が比較的強い。
 ということだそうだが、これも眉唾の説明に聞えてくる。
 所詮「馬鹿の大足、間抜けの小足、中途半端のろくでなし」であって、健康と身長との関係にあんまり振り回されてはいかんでしょうなあ。無視したほうがいいでしょうね。

 「飽食せず、小まめに体を動かし、ストレスを上手に抜き、充実した毎日をおくり、感謝を忘れない」といった生活、これしか健康を維持することはできないのではないでしょうか。
 小生はチビ(身長157cm)で若い頃はコンプレックスを持っていましたが、今ではなんとも思っておらず、「飽食せず」以下の前2行に掲げた生活でもって、すこぶる健康です。
 本稿はつまらないよもやま話になってしまい、失礼しました。

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暑い時期はお湯を飲むべし(三宅薬品・生涯現役新聞N0.271)

2017年08月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.271:2017年8月25日発行
表題:暑い時期はお湯を飲むべし

副題:漢方医学の本場、中国人たちが教えてくれています

(記事から部分的に抜粋)
 ガンガンに冷やしたお茶をがぶ飲みしたり、氷を浮かべたジュースをゴクゴク飲む。こんなことをすると大変なことになります。異常に冷たい水が胃を素通りして腸に入り、腸をうんと冷やしてしまいます。すると、腸壁の対細菌防御センサーが機能停止して雑菌や腸内細菌が体内侵入し、血液で運ばれ全身にばら撒かれるのです。これら細菌が体の細胞に入り込み、寄生を始めるのです。これが繰り返されますと、だんだんエネルギーが横取りされるようになり、本来の生命活動に支障をきたすのです。冷蔵庫文化の定着とともにアトピーや花粉症が発生しだしたのは、ここに原因しています。…
 お隣の中国でも都市部において冷蔵庫が普及してきていますが、日本人のような飲み方をしません。それを紹介しましょう。

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。 

 

(裏面)瓦版のボヤキ
    海の日、山の日、釣りの日?

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野菜は何もかも煮物にする日本文化、でも肉を食べるときに生野菜を食べるのはなぜ?

2017年08月22日 | 食養

野菜何もかも煮物にする日本文化、でも肉を食べるときに生野菜を食べるのはなぜ?

 近代医学が発展するなかで、ヒトの食に関して酵素の重要性が次々と明らかになり、植物が持っている様々な酵素を生きたままで取り入れる必要性が各方面から強く言われるようになった今日です。このブログでも、ヒトが健康でいられ、難病を治療するにも、生菜食ほど肝腎なものは他にない、そのような記事を幾つか書いてきました。

 ヒト本来の食性は動物と同様に「火食」にあらず。 「火食」つまり煮たり焼いたり蒸したりして熱変性させた食べ物は死んだ食べ物であり、酵素の多くは変性して活性を失うし、ビタミンやフィトケミカル(必須栄養素ではないが、ヒトの健康に好影響を与える植物由来の化合物全般)の一部も同様である。よって、野菜は生食すべし。

 というものです。加えて、水についても、煮沸した水は水分子の物理的結合状態が自然界にない状態に構造変化しており、生水を飲むべし、と言われたりします。
 たしかに生菜食&生水でもって難病が治癒する例が非常に多いですから、これは一理あると言えましょう。普通の人にとって玄米菜食は素晴らしい健康食ですが、火を通したものであっては難病を治癒させる力はないようで、玄米は生を粉にしたもの、野菜は全部ジューサーで細かくしてドロドロにしたもの、これを食することで治る効果がグーンとあがるようですから、やはり、「生」の力は相当なものがありましょう。

 しかしながら、まず最初に「生水がいいかどうか」を考えてみますと、全ての水は煮沸して飲むというインド人の食文化、これであっても超健康が維持される(例えば、煮沸した水だけ飲んで411日間も断食できたインド人が2人いる)のですから、生水でなければいけないとは決して言い切れません。
 そして、芋類については生のままではベータ・デンプン(※)ゆえに消化ができず、煮たり蒸したりしてアルファ・デンプンに変性させて初めて容易に消化できるようになり、火食するのが大前提となります。
(注)※ベータ・デンプンはヒトの消化酵素では分解できないとされていますが、現実には思いのほか消化できるようです。参照→http://www.kaiten.jp/syokuji/beta.html 
 ほとんど芋しか食べないニューギニアの高地民族なのですが、すさまじいほどの“芋力(いもぢから)”でもって、重い荷物を背負っていても駆け足で山を登っていくのですから、これには驚かされます。その彼らの日常の食事は、芋に時々野菜を少々加えて蒸した貧相なもので、完全な火食であって生菜食しないのです。なお、彼らは豚を飼っていますが、これは冠婚葬祭のときに丸焼き(蒸し)にして食べるだけです。果物が少ない土地柄ですから、生食は全くしないと言ってもいいです。
 これは多くの採集狩猟民にも当てはまり、ほとんどが火食です。なお、通常、彼らの動物食は全体の3割程度で、芋が主食となっており、野菜は少々といったところで、いずれも火を通しています。その彼らが皆、イキイキ元気なのは申すまでもありません。もっとも、果物やウリ類が採れる場合は生食しているようですが、これは生水代わりでしょう。

 さて、日本人はどうでしょうか。日本列島に2万年前に最初に住みついた縄文人は、この地の野山に堅果類が極めて豊富でしたから、ドングリから始まってその後クリやトチを煮て食べるのが主食になったと考えられます。縄文後期の第2波の渡来では陸稲・豆類・里芋の持込で雑穀や芋を煮て食べる文化が入り、弥生時代初期の第3波の渡来で水稲技術が持ち込まれ、雑穀米を煮たり蒸したりして食べる文化となりました。
 この間、主食は一貫して火食であり、野草や野菜も煮て食べていたことでしょう。どれだけかの動物食も煮たり焼いたりしていたに違いありません。
 米作が大きく広がった弥生後期以降は穀類のうち米の占める割合が増えただけで、これといった食文化の変化はなく、その後、塩の流通で漬物文化が生じて野菜の一部を生で食べるようになったぐらいなもので、ほとんど火食し、これが戦後の食文化の欧米化前まで続いたのです。
 小生の子供の頃の記憶でも、昭和30年頃に生で食べる野菜は、塩漬や酢漬の野菜のほかは、夏限定のキュウリやトマトの塩振り、塩を振って作るナスもみ程度のものです。キャベツやニンジンは栽培していましたが生食した記憶はありませんし、レタスやサラダ菜はお目にかかったこともありませんでした。ただし、鶏を飼っていましたから、生卵は時折ご飯に掛けて食べていました。それ以外の生食は、夏のスイカ、メロン、秋の柿といった果物類だけです。

 日本人の食文化で、特徴的な生食は、魚を刺身にして食べ、刺身のツマとして生野菜を食べることです。ここで注目したいのは、「生肉+生野菜」の組み合わせです。
 なぜ刺身にツマがついてくるのか。
 殺菌効果だとか何だとか、もっともらしい説明がなされていますが、ようするにこれは、単に“何となく一緒に食べたくなる”ということではないでしょうか。
 話を全く別のところに振りますが、チンパンジーは時折狩猟をして動物を食べます。彼らの食性は、主食が果物で、果物が十分に手に入らないときは、木の葉っぱを少々食べたりします。それが、狩猟するときは、たいてい食糧が豊富なときで木の葉っぱなんぞ食べる必要がない状態にあるのですが、動物の肉・内臓・脳味噌を食べるとき、必ず木の葉っぱも食べるのです。日本人の刺身の食べ方と同様に「生肉+生野菜」の組み合わせとなるのです。これも“何となく一緒に食べたくなる”ということではないでしょうか。
 肉食中心の西欧人の食文化も同様なことになりましょう。日本人と違って肉は完全に火を通すことなく、半分生の状態で食べるのが普通です。そして、生野菜のサラダをぱくぱく食べます。これも“何となく一緒に食べたくなる”ということでしょう。

 こうしてみますと、「生肉+生野菜」の組み合わせは必須ということになりましょう。
 どうして、そういうことになるのか。
 日本人の野菜の食べ方として、「野菜によってはアクが強いから、水に浸し
たしたり、湯がいて煮汁を捨てる」という料理法がけっこう多いです。そのアクは、たいていポリフェノールなどのフィトケミカルのようですが、アルカロイドの場合もあります。今日では、これらは重要視されていますが、昔の日本人には不要であったことでしょう。
 一方の生肉ですが、こちらは正体不明なるものの何らかのアクが含まれているのではないでしょうか。だから、日本人は、肉は完全に火を通してアクを殺して食べる、ということになると思われるのです。加えて、肉を煮込んで前処理する場合には、鍋に浮いたアクをすくって捨てるという調理法を取ったりします。
 アクは何もかも捨てることを大前提とする日本料理、そう言えましょう。
 そして、少々飛躍するのですが、生肉も生野菜も、そのアクは別物ではあるものの、「生肉のアクを、生野菜のアクでもって打ち消す」ということになりはしないか、小生にはそのように思われてしかたないです。
 この「生肉+生野菜」の組み合わせの発展系として、日本人は火を通した肉を食べるときにも、まだ肉のアクが残っているのでしょうか、生野菜を一緒に食べるという食習慣が身に付いているように思われます。
 一つは洋風朝食の「ハムエッグ+生野菜」です。もう一つは「焼き肉+チマサンチュ(サラダ菜)」で、韓国で普及していますが、これは駐韓日本人が生み出した食文化です。

 ところが、生野菜は体にいいという社会通念がまかり通っているのでしょう。やたらと生野菜が食卓にのぼります。昨日は温泉宿で朝食を摂ったのですが、和風料理であって、肉と言えるものは小さな鮎の一夜干しを焼いたものしかないのにもかかわらず、野菜サラダが付いてきました。日本中の旅館は皆そうしたものです。こうした料理では、ちっとも食べたくない野菜サラダです。朝食に飛騨牛のステーキでも出てこないことには野菜サラダなんて食べたくならないのです。よって、ホウ葉味噌(飛騨地方特有の料理で、ホウの葉の上に味噌を乗せ、これをコンロに乗せ、個体燃料で焼く。味噌に刻みネギが乗っている)に生野菜を混ぜ込んで、味噌煮の形にしていただいたところです。

 食文化というものは、長い長い歴史の積み重ねのなかから培われてきたものです。そのときそのときに入ってきた新たな食材をどう調理し、他の食材にどの程度加えるか、そして食べる量はいかほどがいいか、これが試行錯誤するなかで、ほど良い状態を見出してきたのです。
 そのときに発揮される最大の物差しは何と言っても味覚でしょう。現代においては、栄養があるとか、体にいいとかといった科学的根拠でもって語られることが多いのですが、科学的根拠なるものは往々にして覆される性質のものであり、あてになりません。
 動物の舌は鋭い味覚感覚を持っています。主に毒か否かを見極めるために使っていますが、ヒトという種は不思議なことに多くの毒に耐性を持っていて、その味覚感覚は今ではもっぱら美味しいかどうかを判断するために使われていますが、その昔は体にいいかどうかを無意識的に発揮していたように思われます。
 ですから、昔ながらの日本料理、家庭料理ではおふくろの味と言われるものが、日本人にとって最善の健康料理となるのでしょう。
 そして、戦後の獣肉の大幅な普及にあたっては、これもヒトが本来持ち備えている味覚感覚でもって、生野菜を一緒に摂る、という食習慣が定着してきていると思われます。

 焼き肉屋へはここ20年来とんと行ったことがない小生ですが、焼き肉をぱくぱく食べるのであれば、駐韓日本人が一昔前に編み出した食文化「焼き肉にチマサンチュ(サラダ菜)を巻いて食べる」のがよろしいのではないでしょうか。
 ひょっとして我が家でも焼き肉をやることもあろうと、毎年畑にチマサンチュを1畝作付けしているのですが、本来の食べ方は年に1回程度しかなく、多くはゆでて味噌和えにしたりおひたしにしたりという火食の和風料理仕立てにしてしまう我家です。肉はほんの少々使うだけで、それも野菜と一緒に炒め物や煮物にしてしまいますから、そうした料理に生のチマサンチュを添えても全く合わない、かえって生のチマサンチュのアクが体に良くない、そう味覚が教えてくれているような気がします。

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