薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

秋の夜長なれど早めに床に就く(三宅薬品・生涯現役新聞N0.321)

2021年10月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.321:2021年10月25日発行

表題:秋の夜長なれど早めに床に就く

副題:心身の疲れを取り、免疫力をアップするには睡眠が一番です

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。以下同様です。

  

(裏面)瓦版のボヤキ

    夫婦で若狭湾へ豆アジ釣り

  

 

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秋の夜長は早めに床に就き背筋を伸ばして8時間は仰向け寝を

2021年10月20日 | 健康情報一般

秋の夜長は早めに床に就き背筋を伸ばして8時間は仰向け寝を

 野生動物がもっとも望んでいる、そしてそれが実現によって健康生活がおくれる姿というものは、ただただ食っちゃ寝、食っちゃ寝、です。動物であるヒトも、つい1万年ぐらい前までは、食糧資源がまずまず豊かであれば、そうであったと思われます。ヒトの原始社会では、半世紀前の採集狩猟民の生活実態からして食糧の採集時間は3時間程度、調理と食事時間は1時間程度で、計4時間を食うために使い、これを夕刻までに済ませての1日1食生活。あとはゴロゴロして、そのうち暗くなって寝入る。美味なる果物が旬となったならば、皆でお昼に出かけて行ってつまみ食いし、小腹が膨れたところで昼寝、といったところでしょう。
 ところが、ヒトは数千年前には農耕に伴って文明なるものを発明し、時代が進むにつれてそれをどんどん高度化させ、今日に至っては科学技術の急激な大発展で、何をするにもあっという間に電子機器・機械がこなしてくれるようになりました。食糧入手とその調理に要する時間はせいぜい1時間、場合によっては3分でもう食べられます。実に便利な世の中になったものです。
 ところが、文明の利器のおかげで便利になればなるほどに忙しくなります。どんなことも短時間で済むようになったのですから、普通に考えれば逆じゃねえかと思うも、これはどうしたことでしょう。
 経済学者のE.F.シューマッハーが1973年に次のように言いました。
 ある社会が享受する余暇の量は、その社会が使っている省力機械の量に反比例する。
 半世紀も前の言葉ですが、当時に比べ、現代はますますより便利になったのですが、この言葉どおり余暇の量は減ってきている感がします。日本では当時に比べると、土曜日の半ドンが今は全休になりはしたものの、半世紀前の出張や営業回りは管理職の目が届かないから仕事半分、遊び半分でいけましたからね。これが許されていました。少なくとも小生のサラリーマン時代は。

 なぜだかなんとも小忙しくなった現代です。半世紀前の日本では、通勤電車の中で睡眠不足を補うために、皆、うたた寝したものですが、今は電車の中でスマホを使ってあれこれ情報を得なければならず、うたた寝なんてしていられません。
 脇目も振らず仕事、仕事、また仕事、そして情報収集、これで明け暮れる毎日。こうしたこともあってか、睡眠時間はここ何十年かにわたって少しずつ減ってきているようですし、通勤電車でのうたた寝がなくなった分、ますます
恒常的な睡眠不足に陥っている日本人です。
 この現実に対して、「タオル枕健康法」を著された心神診療室の高木智司先生は、先日このブログにいただいたコメントで、次のように言っておられます。
(以下、引用)
 まず睡眠は、昼間の重力による負担をリセットしてくれます。それを削ってはならないのですが、日本人は仏教の座禅の影響と儒教の影響で、簡単に睡眠を削り、不健康を招いています。ところが米国のマシューウォーカー教授がその著「睡眠こそ最強の解決策である」で断言したように、人間にはふつう8時間の睡眠が必要です。日本人などの東洋人は平均が7時間近く、欧州はすべて8時間を超えて眠っています。「悪い奴ほどよく眠る」という格言?がありますが、西洋人は東洋人に骨身を削って働かせ、自分たちは惰眠を貪っているといっても、過言じゃないでしょう。(引用ここまで。タオル枕健康法は後ほど紹介します。)

 ヒトは本来何時間眠らねばならないか、これには明確な答は出ていないようですが、哺乳動物全般を見てみますと、草食動物は睡眠時間が短く、雑食・肉食動物は長い傾向にあります。調査結果はいろいろあって差がけっこうありますが、ネコ科はトラの16時間を筆頭にほとんどが10時間以上のようです。ヒトに類縁のチンパンジーも約10時間。こうした長時間睡眠組は、暇を持て余して惰眠をむさぼっている、とも言えます。草食動物となると食事時間がたいていは半日以上と長くなりますから、どうしても寝る時間が少なくなる、といったところでしょうか。
 でも、ヒトの場合も草食動物と同じ完全な植食性(穀類・芋類も食わない)の食生活に馴染んでくると、睡眠時間はうんと少なくて済むようになるといいますから、たんぱく質・脂肪・でんぷん(三大栄養素)は消化に時間が掛かるうえに、体にかなりの負担になったり、悪影響を起こしたりするようです。
 こうした完全菜食者はまれな存在で、ほとんど全部の人は雑食性ですから、睡眠時間のおおよその目安は、チンパンジーの惰眠をむさぼりながらの約10時間ということになりましょうか。でも、小忙しい現代ですから、チンパンジーの真似はちょっと無理な話ですがね。

 ところで、ヒトは他の哺乳動物と違って極めて特殊な姿勢で生活しています。ヒトは起きているときは少なくとも上半身を直立させていますから、他の哺乳動物には生じ得ない、内臓と骨に地球の強い重力がかかり、それに逆らっての生活となります。その負担は相当なものとなりましょう。
 四足と直立二足の違いは、“洗濯物干し”に例えられます。四足ですと洗濯竿に相当する背骨にきれいに内臓が吊るされ、押し合うことも癒着もありません。それが、直立二足となると、竿を垂直にするものですから、そうなれば洗濯物が下のほうに固まってしまうように、せっかくの背骨の役割が消えてしまい、内臓は押し合い、癒着し、垂れ下がる一方で、臓器はその能力を十分に発揮することができなくなるばかりか、あらぬ疾病も引き寄せてしまうのです。
 ヒトの臓器は、毎日悲鳴を上げているといっても過言ではないでしょう。内臓同士の押し合いへし合い、これによる炎症を取り除いてやるには、毎日、相当な時間を四足動物と同じように背骨を地面と水平に保たねばいかんでしょう。それも腹ばいではだめで、仰向けになることです。これでもって各臓器はやっと地球の重力から解放され、その能力を十分に発揮することができるようになるというものです。
 動物だって、猫や犬、ウサギでさえも室内でペットとして飼われている場合は、安心しきって仰向け寝で爆睡しますからね。うつぶせ寝ではやはり内臓圧迫が起こるのです。
 こうしたことから、ヒトの場合、寝るということは、睡眠をとるという前に、内臓の開放がまずもって重要なことになります。内臓を開放し、癒着を取り去り、炎症を鎮めるために長時間仰向けになる必要性がまずある、ということです。
 骨髄も内臓の一種と捉えていいでしょう。直立姿勢では背骨や足骨の骨髄にも随分と重力負荷がかかります。骨髄の重要な仕事は絶え間なく赤血球や白血球を造ることにあるのですが、重力負荷が掛かっていると思うように造血できず、ヒトの場合、長時間連続して背骨や足を地面と水平に保ってやる必要があるのです。これによってはじめて造血がスムーズに運び、いきいき元気な赤血球や白血球が誕生するのです。そうすれば、酸素も全身にくまなく配給できるでしょうし、免疫力も高まるというものです。
 造血のために必要とする横になっている時間は、西原克成氏の著「究極の免疫力」によると、氏は『健康人であっても1日8時間は寝るべきです。もっとも、8時間ずっと睡眠状態になっていなくてよく、ラジオでも聞きながら横になって骨休めをすればいい。』と言っておられます。

 こうして、まずは連続して8時間仰向けになっているということが何より重要なことになり、その間に眠りたいだけ眠ればいい、ということになります。
 バタンキューで眠るなり、1時間2時間寝付けなくて深夜に眠りに就いたとしても、朝起きたときにスキッとした目覚めであれば、心身ともに疲れがすっかり取れた証であり、睡眠時間は十分に取れた、ということになりましょう。
 心身の疲れを取り去るための睡眠時間というものはけっこう個人差がありそうです。これは睡眠の質とも関係します。浅い眠りは何時間寝ても疲れが取れません。逆に、良質な眠りであれば、極端な話、3時間でも十分な人もいます。一眠りが約1時間半で、これを2回まわりやれば済んでしまうという、これはきっと爆睡型睡眠でしょうが、こういう人もあるようです。
 一眠りが約1時間半というのは、生まれたばかりの赤ちゃんの哺乳・睡眠のリズムです。これが、その後、成長して大人になっても睡眠のリズムになっているのです。浅い眠りのレム睡眠と深い眠りのノンレム睡眠との繰返しのリズム、これが赤ちゃんの哺乳と睡眠の繰返しリズムと同じ時間になっているのです。
 寝付いて最初と2回目の深い眠り(ノンレム睡眠)が肝腎です。これを爆睡できれば心身ともにばっちりリセットされることでしょう。なお、寝付いて1時間半して目が覚めることがあっても、直ぐに2回目の深い眠りに入られれば全然問題なしです。3回目以降の眠りとなると、時間は少し短くなる傾向にあり、眠りの深さもだんだん浅くなっていきます。普通は、数回これを繰り返した後に、スキッと目が覚めます。6時間でそうなる人もありますし、8時間はかかる人もありましょう。日頃の骨休めが不足がちな人は、休みの日には10時間あっても足りないということもありましょう。
 ですから、何時間眠るのがいいのかは、個人差がありますし、毎日の疲れの程度にも影響を受けますから、一概に何時間だ、とは言えないのです。

 睡眠で何よりも重要なのが、最初と2回目の深い眠りです。これを浅くしてしまうのが、睡眠薬です。なかなか寝付けなくても問題なし。仰向けになっていれば、内臓が開放され、そして造血がどんどん進み始めるのですから、いい骨休めになっているんだ、寝床に就いた目的の半分以上がもう達成されているんだ、とお考えください。床に入ってバタンキューでなくていいのですから、なかなか寝付けない方も、もう睡眠薬に頼るのは止めにしましょうよ。
 ところで、心配事があったり、くよくよ悩んだりしている場合も深い眠りは難しいでしょうね。こうしたストレスをある程度取り去ってから床に就くべし、ということになりますが、その方法の概略を解説したのが、当店発行の生涯現役新聞バックナンバー、このブログにもアップした下記ページです。
 秋の夜長 夜ふかしのすすめ(三宅薬品・生涯現役新聞N0.273)

 床に就いて横になる、ここでもう一つ重要なことがあります。ヒトの直立生活と密接な関係にある背骨のゆがみです。四足動物は背骨が地面と概ね水平になっているのですが、ヒトは日中は背骨を直立させますから、どうしてもゆがみが出てくるのです。前後にゆがみ、左右にもゆがむ。このゆがみは様々な疾病を引き起こすことが分かっています。
 この歪みを床に就いたときに取ってやる、いい方法があるのです。特に前後のゆがみを取る(これによって左右のゆがみもけっこう取れます)簡単な方法をご伝授しましょう。
 小生が実行している方法は別ものでして、それは「平床寝台&硬枕利用」。これは、厚手のベニヤ板の上で仰向けになり、枕は丸太の2つ割りを首にあてがうというもので、西式健康法の一つですが、最初は痛くて5秒ともたない実にハードなマニアックな方法でして、皆さんにはあまりお勧めできません。
 それに対して、誰にでもお勧めできる、やさしくっても十分に効果が期待できる「タオル枕健康法」(冒頭で紹介した心神診療室の高木智司先生発案のもの)があります。
 それは「バスタオルを丸めて紐で縛る」というもので、これを「首腰枕」にするのですが、枕の作り方と使い方
を氏の書から要約して引用します。
・首腰枕の作り方
 バスタオルを2枚用意し、同じものを2つ作ります。
①バスタオルの長い辺を、3~4つ折りにしてたたむ。
②短い辺をしっかりと巻いていき、直径8~10cmの棒状にする。
③両端をひもやゴムで縛って固定する。
※ラップの芯を中に入れて巻くと、硬くなってなおよい。
・首腰枕の使い方
①一つは首枕、もう一つは腰枕として、横になって隙間ができる箇所にあてがう。
②体を左右に軽くゆすり、最も背骨が快適な状態に調節したら、手のひらを上に向けて気持ち斜め下に腕を伸ばし、安静を保つ。
③1回5分を限度として行う。不快な痛みを感じたら枕を外す。起き上がる際は、枕を外してからさらに5分ほど安静を保ち、ゆっくり体を起こす。
 なお、これは就寝直前にやり、そのまま寝入るのが一番効果的です。

 詳細については高木智司著「タオル枕健康法」をお読みいただくのが一番ですが、当店発行の生涯現役新聞で取り上げたことがあり、このブログにもアップしていますから、下記ページをご覧になってください。
 首・腰タオル枕健康法(三宅薬品・生涯現役新聞N0.272)

 季節は秋の土用に入りました。秋の土用とは、秋とこれからやってくる冬の季節の変わり目です。朝晩は冷え込み、日照時間も短くなり、秋の夜長の本番到来です。ここは、早めに床に就き、「タオル枕健康法」で背筋・首筋を伸ばし、8時間は仰向け寝をすることにしてはどうでしょうか。これで健康、健康、健康この上なしとなりましょう。

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人類の直立二足歩行は今でも内臓疾患の元凶となっている

2021年10月12日 | 人類水生進化に起因する疾病

 先日、このブログで今は亡き西丸震哉氏(1923年生まれ、2012年没)が1981年に書かれた「食生態学入門」という書から、その一部を抜粋して紹介しましたが、氏の論調は実に愉快で面白いです。そうであっても、的を得た、これぞ真実といった内容になっています。小生、この本をもう10回周りぐらい読んだと思うのですが、いつもアッハッハと吹き出してしまう面白い箇所があります。それを紹介することにしましょう。

第2章 人類の起源
直立歩行がもたらしたもの
 人間の先祖が直立歩行をはじめて、そのおかげで人間ができあがったことになるが、直立歩行が人間に対して絶大なプラスの作用を与えたと手ばなしで感謝していいかどうか。なんらかの方向に効果があったといえるとき、必ず足をひっぱる面がどこかに発生して、歪となって影響してくるはずである。
 四足で、四つんばいで生活している動物たちの場合には、内臓諸器官はすべて背骨からぶら下げられた、つるし柿のような状態となっているから、それぞれが独自の空間を占めていられて、隣に影響を与えることはなく、内臓の重みや、とんだりはねたりの衝撃のために、つるしている筋がゆるんでもただ下にたれ下がるだけで終わる。駄馬のおなかが下にダブンとたるんだ状態だ。
 ところが背骨が直立したときには、上の臓器は下の臓器をおさえつけ、パパイアの木に実が鈴なりになった形となり、下降を抑える面が当分出てこなければ内臓を支える筋はますます伸ばされてしまう。臓器がみんな下腹にたまって、いわゆる中年の体形ができあがっていく。何十年も地球に下からひっぱられたあげく水滴形ができるのだ。
 胃の次に腸があって、という順序が崩れて、胃はどんどんたれ下がり、胃の検診医がモタモタする。私の胃はもっと下ですよ、もっと、そう骨盤のあたり、ネ、あったでしょ? なんて毎回いわなければならなくなる。
 食事をすると胃がふくれる。そうすると隣から文句が出る。おれは膀胱だが、そう押すなよ、お前だれだ?おれ胃。
 そこで食事をすると小便がしたくなるような反応が出てくる。ふつうは胃に食物がはいると便意をもよおすもので、これを胃・大腸反応というが、胃・膀胱反応なんていう新語も出なければならなくなるだろう。
 この先はもうただの空間というところに肛門があるが、上からやたらと圧迫されつづけると、抵抗しきれなくなって脱肛になりやすくなる。痔疾の原因はそんなものじゃないといわれるだろうが、イヌ、ネコその他四足獣には未だかつて痔で悩んだ個体はないのに、人間だけがこの苦痛を背負わされる根本原因がここにあるのだと考えねばなるまい。
 このほか、急に立ち上がって脳貧血になるのも、1000万年程度の歴史的経過の中では、まだ適応しきれていない面の現われであろう。
(引用ここまで)

 いかがでしたでしょうか。
 「胃が骨盤当たりまで下がる」なんて冗談だろうと思っていましたが、EPARK病気スコープの解説によると「胃を支える筋肉の低下などさまざまな理由によって…胃が骨盤の位置まで下がってくることもあります。」とあり、ウソではないです。
 その原因として、同解説では「痩せすぎにより、腹壁の筋肉や脂肪が少なく、腹部の圧力が低下するためにおこるといわれています。体質的な理由のほかに、悪い姿勢や動作によって内臓が下がり、不自然な腹圧がかかることによって胃が下がるともいわれています。出産経験を多くしている人にも多くみられます。妊娠によって緊張していた腹壁が出産によって緩んでしまうことから胃下垂がおこります。」とのこと。

 よって、同解説で「胃下垂だけではとくに病気というわけではありません。」と言わしめてしまっているほどに、人間の内臓はいまだ直立歩行に伴う“パパイアの実”状態なんです。

 直立歩行する人間と四足動物の違いを別のたとえで解説したものがあります。どなたが言いだされたのか知りませんが、これも面白いです。
 四足と二足の違いは、“洗濯物干し”に例えられます。四足ですと、洗濯竿に相当する背骨に、きれいに内臓が吊るされ、押し合うことも癒着もありません。それが、竿を垂直にすると、洗濯物が下に固まるように、背骨の役割が消えてしまい、内臓は押し合い、癒着し、垂れ下がる一方で、臓器はその能力を十分に発揮することができなくなるのです。

 病の器といわれる人間の、そもそもの原因は、どうやら直立したことによるようです。この構造的欠陥は四足に戻らないことにはどうしようもない、もう無理ですが。


(関連記事)
2012.5.16 直立二足歩行する裸の猿・ヒトは人類水生進化説に基づき的確な健康対策を

2012.2.3 人は病の器であり、その最大の原因は直立二足歩行

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日本という高度科学技術文明社会で生きていくにはどうすればいいの?

2021年10月05日 | よもやま話

幾本か立てているブログの過去記事に目を通していて、このブログの趣旨にも合うものがアメブロにありましたので、それにこのブログの過去記事の一部をつぎ足し、皆様に紹介することとしました。かなりの長文で申し訳ありませんが、ご一読いただけると幸いです。

日本という高度科学技術文明社会で生きていくにはどうすればいいの?

 「食生態学入門」という書があります。1981年発刊ですから、もう40年が経っており、随分と古い本ですが、現代にもずばり当てはまり、興味深いものがあります。著者は亡き西丸震哉氏(1923年生まれ、2012年没)で、氏が58歳のときに書かれたものです。
 なお、食生態学という学問は、氏が建てられたもので、その経緯を次のように語っておられます。
(以下、本書より引用)
 日本でただ一つの国立研究所官能検査研究室を私が担当したとき、守備範囲を単なる統計的手法による、人間に好まれる食品の開発にとどめず、動物としての人間とエサとの関係、あらゆる条件下での人間の思考と行動の範囲と限界の追究にまで進めた。
 そしてこの分野に食生態学という呼称を与えることにした。今ではこの名の講座をもつ大学もあるようになったが、残念ながら「食」にこだわりすぎている。食を基本とする人間そのものの研究、人間はいかに生きてきて、現在の様相がどの程度に良いのか悪いのか、将来どうあればよいのかというあたりまでを徹底して考えるようにしなければ、ほんとうの人間の存在に役立つものとはならない。
 自分の土俵にこだわり、他の分野から割り込んでくる勢力を警戒し、排他的であるのは自分の無能をさらけ出していることである。恩師の論説には指一本触れられない涙ぐましい師弟愛は人類にとって有害でしかない。
 人間社会も科学も人生も、すべては未知の部分を知りたい、より良い路線がどこにあるのかを、より適確に模索しつづけることで意味をもつ。そのためには探検精神がいつもあふれていなければならない。
 幸いにして食生態学には既成の土俵がなく、恩師も見当たらない。自分が水を飲みたければ自分で井戸を掘るしかない。…だれかが先に掘ってくれて役立つ井戸の水はありがたく頂き、よその庭の井戸も活用させてもらい、悪い水だったら悪いと言い、甘露だったら褒めそやし、自分の好みの水が欲しいときや、いい井戸が掘りたくなったら、みずからは井戸堀人夫になる。
(引用ここまで)

 ところで、氏は、農水省の異色官僚(中途退官)、エッセイスト、探検家、登山家など幅広い分野にも精通していた「変人」といってもいいでしょう。特に、ニューギニアの食人種族と生活を共にする調査に入られたのは圧巻である。
 以下、「食生態学入門」から、その一部をそのまま抜粋します。

 …すべての動物を責めさいなんできた最大の苦痛は飢えであった。この飢えから逃れるためには、動物はどんなことでも血相をかえて努力しないではいられない。
(ここで引用を一時ストップし、同著の中で、動物そして人間の食餌行動の解説がありますので、それを要約して以下引用します。)

 自然界では、餌の量は、良くてギリギリ、通常は不足するのが当たり前。
 人間ないし動物の生きる姿を生体維持の観点から眺めれば、
   休息ーー興奮ーー労働ーー食事ーー休息
という順序で事が進行し、この方式で少なくとも1千万年が経過した。このくらいの時間があると、動物の生理機構は、この順序どおりに進行するときにうまく機能するように適応させられていて、順序を変えると調子が狂い、生理機構が乱れ、天寿を全うできない。
 身体を生活の糧とする力士は、この順序どおりにしないと調子が狂う。夜は、休息であり、朝、たたき起こされてビックリという興奮を味わい、直ぐに稽古という労働が始まり、それが終わると食事が摂れ、その後、昼寝の休息時間となる。理にかなっている。
 ところで、先の順序は理想型であって、餌にありつけないことも多く、
   休息ーー興奮ーー労働ーー[食事×]ーー休息
という失敗型を常時体験していたから、この型も生理機構は正常として組み込まれていると考えて良い。丸1日絶食しても、どってことないのである。
 人間の原始社会では1日にどちらかの型を1回まわり取っただけであったが、農耕社会に入ると理想型が安定して取れるようになり、歴史時代になって分業化社会になると生活に余裕が出てきて、これを2回まわり取ることができるようになった。つまり、昼食と夕食の2食を摂るようになったのである。
 平和で豊かになると、さらに生活にゆとりが出てきて、今は、1日3食摂るのが普通になっている。1日に3回まわり理想型が取れれば、それで良いであろうが、はたして、その順序どおりに行っているか疑問である。特に、第1クールに問題がある。
 休息(睡眠)-興奮(目覚時計)-[労働×]-食事(朝食)ー[休息×]-労働(出勤)
 これでは、順序がメチャメチャで生理機構に合わず、体調を崩すのは当たり前である。   
 ここは、失敗型を採用して、朝食抜きにするしかない。
 なお、歴史的にみて、1日3食摂るようになったのは、ごく最近のことであり、1日2食へ戻すことによって、より生理機構に合う方向へ修正すべきであり、できることなら、1日1食ときどき断食して、生理機構を正常化すべきである。
(挿入した要約引用はここまで。以下、そのまま抜粋に戻します。)
 
 飢えから開放されたとき、身体は休息をとりたくなり、心は安らぐ。…
 飢えからの開放が一時的なものではなく、おそらく永続的にその心配がなくなったと期待できるとき、…安楽追求へと動き出す。エサを求めてかけずりまわることがごく当たり前のときは、かけずりまわることを苦痛とは意識しなかったが、労力を減らしてもエサが入手できるようになると、もはや労働を苦痛として受けとめるから、こんどは労働という苦痛から逃れようとする。
 安楽の追求とは、ひとくちでいえば横着をきめこむことで、人間の現在の文明化という路線は、横着を徹底して追及しようとする願望にほかならない。…
 人間が横着をしたいとき、使われる側よりも使う側のほうが楽であるから、使う側にまわりたがる。職員は役員に、庶民は貴族になりたがり、なにもしないで生きていける立場に自分を置きたいと考える。
 文明の方向には理念の追求や、精神面の開拓、芸術、美術などいろいろあるが、これらすべて、ひまができてはじめてその存在を認識できる。しかしいちばん人間にもてはやされるものは、横着を助長することを保証する科学文明という方向であった。…
 人間が生物としての基本的労働をやめて、余った力を自分の好みの方向に使うことになるかというと、楽になったところでとどまって、スポーツは見る側にまわって自らは動かず、旅行とは乗り物が動きまわるものとなり、ケーブルカーが山登りするのに便乗し、…スキーは登りをやめてしまって滑るという後半だけのものとなった。
 洗濯は洗濯機、それに脱水機がつけば新しいものに切り替えなければ気がすまず、かつては下僕にやらせ、後進国での宗主国人ならば土着民を雇ってすませたような仕事は、今の文明国では労働力がないので、しかたなしに機械にその肩がわりをさせることで埋め合わせをする。
 はじめのうちの機械は人間の能力のほんの一部でしかなかったから、御主人がそれにつきそって働かされていたが、ついにはワンタッチですむようにまで横着化は進んだ。ひと声命令すれば下僕が動くところまで、もう一息だ。
 何十人かの下僕にかしずかれた王様が、まったく自分では動く必要がなかったのにくらべると、返事をするかしないかのちがいだけで、労力的には王様と少しもちがわないことをやってもらえる大衆が存在するようになった。
 日本人の1億の大多数が王様であるなら、もしその下にかしずく下僕がいたら、日本の国土には何十億の人間がひしめくことになる。それがいなくてすむだけでもたいへんな幸せだという考え方ができる。…
 日本に住む1億人は、使用人は人間でなくとも、まちがいなく1億人の王様だ。…
 まわりじゅう王様ばかりなのだから、やたらとまわりが気になって、体面維持は容易なわざではない。むかしのほんとうの王様のまわりには王様などはどこにもいなかった。
 日本人から見ると、アメリカ人あたりは自分たちより王様ぶりがよく、キング・オブ・キングスがやたらと住んでいるから、せめてあの程度にならなくちゃあと考える。…
 日本人は野次馬根性がとくに強く、オッチョコチョイだ。他人のよさそうなところを、自分とのちがいを深く考えることなく直輸入して、その結果がおかしくなったとしても、気にしない。日本人にとっていちばん気になるのはアメリカ人の生活である。
 …低級な味のものをパッと食べることができるシステムを近代的だと信じ、カッコいいという気になると、それを食べなければ時代から取り残されるようなあせりを覚えて、まずくてもまずいと思えず、これで幸せなのだと自分を納得させ、そのあげくうまさの感覚をも自分でたたきつぶしてしまう。
 使い捨てが現代人のすることだと、だれかが叫ぶと、自分の収入がどうであれ、…景気よく捨てることで満足した気になれる。…こういうやり方をすれば、あくせく働いて…買い込まねばならないから、ゆとりを作る方向ではなくて、ますますかけずりまわって人よりよけいに働かねばならず、ゆったり遊ぶ気持ちも出てこない。その遊びも、一流文明人はこういう遊びをやるものだといわれると、自分の趣味がどうであれ、いっせいにその遊びに突進して、血相かえてレジャーに取り組む。日本人には、この路線が身動きできない終点に着くまでは、絶対に心の平静が訪れなくなった。…
 モノに取りかこまれ、人にもっていかれないようにいつも気を配り、人情がうすれ、そして人間の究極の幸せとはこれなのだと、だれかに断言されれば、なるほど自分は最高の幸福をつかんだのだと満足して死んでいける。こういう日本人と太刀打ちできる民族はどこにもないだろう…
(引用ここまで)

 西丸氏は、このように科学技術文明というものはどういうものかをとても面白く表現しておられます。“日本人1億人みな王様”とは恐れ入りました、です。本書が書かれてから40年が経っているのですから、それから随分と便利になった現代です。その当時は、ポケットベルを企業の営業マンが持ち始めた頃で、まだ全国で100万台しか普及していませんでしたし、テレホンカード式公衆電話はその翌年から設置が始まったという時代でした。
 現代は、携帯電話はすでに古く、スマホの時代になり、格段に便利になりましたが、それによってゆとりができたかというと、そうではなさそうです。
 40年前、電車の中では日本人は世界的に例がないことですが、多くの人が目を閉じて仮眠し、休養を取っていました。それが今では、スマホとにらめっこし、フェイスブック(いや、これは古い)、LINE(これも古そう)、最近はTwitter(ツイッター)、Instagram(インスタグラム)といったソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で交友関係を持つ諸々の輩どもと頻繁に会合をもっておられる。電車内は様変わりし、居眠りする人がほとんどいないという世界標準の風景になりました。
 こうしたものを一切やらない小生。“皆さん、お忙しいなあ。家に帰ったらきっとパソコンも叩かねばならないだろうに。寝る時間を削るしかないのでは?”と心配させられます。
 皆が王様になって、煩わしい仕事を何もしなくてもよくなったであろうにもかかわらず、忙しくて寝る暇もない現代。40年前より格段に便利になったにもかかわらず、くつろぐ時間がうんと減ってしまった現代。どうなってるんでしょうね。この先が案じられます。
 そこで思い出しました。経済学者のE.F.シューマッハーが1973年(48年前)に言った名言を。

 「ある社会が享受する余暇の量は、その社会が使っている省力機械の量に反比例する。」

 このとおりでしょうね。将来、ますます余暇の量は減っていくことでしょう、日本の王様たち。
 もう一つ、西丸震哉氏の同著「食生態学入門」から、その一部を抜粋します。

 人間の心ーー適量の人数よりもはるかに多数が一定空間に生息すると、共同生活ができず、ぶつかりあってお互いにいらいらしてカラカラの世相となる。
 じつはこれは人間社会だけのことではなく、水槽内のグッピーの社会をみると、一定数になるまではふえつづけるが、限界を超えると親が子を追いかけまわして食うようになり、一定数以下になればこの闘争はやむ。…
 地球上に40数億人の人間が生存している…
 あまり聞かれない表現で、…人権を無視したと思われそうな方法だが、目方に換算してみると、約1億7000万トンとなる。単一の種の動物が地上にこれだけ生きているということは、生物の歴史のなかでごく当たり前のことだったかどうか。
 …クジラ類だが、…かつてもっとも多かったときにどのくらいの量になったかを推算してみると、全海洋で4500万トンぐらいであったと考えられる。つまり、人間の4分の1くらいでしかない。…
 (人間は)穀類を大量に作るようになったおかげで人口を増大させることが可能になって、これほどの人間量になったのだが、生物界でこれほどの量になるとき、その種の異常大発生という表現をする。イナゴやネズミの異常大発生は、一地域での特異的なものだが、今回の人間は全地球での同時大発生であるところにより大きな異常さがある。…
 …先進国が、さわぎとなるはるか以前に、人口を増やして、さんざん植民したあげく、後進国に人口を抑制しろといっても、その身勝手は反感をつのらせるばかりである。
 教育レベルを高めた大衆を保有する先進国で、その大衆が自発的運動として産児を減らそうとする傾向が増大するとき、人口増加率は減るが、人口が減るまでには20年以上を必要とし、…。
 後進国は生活レベルを上げながら、人口の増加率を落とすような器用な方法はなく、教育レベルを上げる努力が基盤にないかぎり、人為的に人口を調整することはできない。…
 人間の異常発生がもとで農業という作物の異常発生を極度に進め、病害虫の異常発生を起こし、農薬の異常多用によって人間の寿命にはね返らせるという循環によって、人間の異常発生が抑圧される段階が次に起こることになる。
(引用ここまで)

 西丸氏は、増えすぎた世界人口を「人間の異常大発生」と表現しておられます。そのとおりですよね。グッピーの社会と同じ。人間も一定数以下になればこの闘争はやむ、ということになりましょうが、中東やアフリカなどでの内戦は、とてもじゃないが一定数以下になりそうになく、永久に終わりそうにありません。
(なお、「農薬の異常多用によって人間の寿命にはね返らせるという循環」は、西丸氏の別の書「41歳寿命説」で述べられていますが、これは単なる警告であって、当の本人もそこまでのことは思ってみえなかったようです。)
 日本社会においても、ますます大都市への人口集中、つまり「人間の異常大発生」によって、「適量の人数よりもはるかに多数が一定空間に生息すると、共同生活ができず、ぶつかりあってお互いにいらいらしてカラカラの世相となる。」という現実があります。
 それに輪をかけているのがSNSで、これが人々の生活に深く入り込み人間関係をより複雑化し、ぶつかりあってお互いにいらいらさせているようでもあります。
 日本における「人間の異常大発生」の状態は永久に終わりをつげないでしょうから、日本人の精神疲労も相当なものになりましょう。

 これからの世の中、日本の王様たちが幸せに生きていくためには、いったん王様を止め、SNSを全部切ってしまい、過疎地へ逃げ込んで自給自足の生活でもするしかなくなってきたようです。そこまでのことはなかなか無理な相談ですが、少なくとも高度科学技術文明に振り回されるのではなく、それを最小限に上手に使いこなす、そうした生活を目指すしかないでしょうね。

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