薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

中高年の目の健康法は「一に目の周囲のマッサージ、二に目洗い、三に目の暖め」 これで随分と良くなります

2023年04月29日 | 薬屋のおやじの一日一楽日記
中高年の目の健康法は「一に目の周囲のマッサージ、二に目洗い、三に目の暖め」 これで随分と良くなります
 
先日、別立てブログ「薬屋のおやじの“1日1楽”&”2日前”の日記」で次のとおり記事にしました。以下をまずお読みになってください。

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
4.22 ちょっとしたアドバイスをしたお客様から感謝の礼状をいただく
 今月初めのセールでご来店になったお客様、「目が見えにくくなって眼医者に行ったが、治しようがないと言われた。何か目に良い健食はないか。」とのお尋ね。
 「目にいいと言われる健食はあまたあれど、これといって効くものはないです。よって、当店では扱っていません。」と返答。
 どのような症状なのかを聞いてみると、「光視症」か「加齢黄斑変性」の症状のようでもあるが、そうでもないようで、診断に苦しむ。
 まあ、ここは何はともあれ、当店の立場(商品が売れる)からすれば、目洗いが第一。目薬を差してみえるかと問うと、1日1回差しているとのこと。そこで、少なくとも1日2回、できれば何回も、目を洗うことを意識して、今使っておられる目薬を差して目の汚れをとると、良くなる可能性はあるとアドバイス。
 これは、昨年12月17日に、この日記に書いた、我が眼ん玉の健康法である。
 名古屋で自由診療をなさっておられるお医者さんから小生が受けたアドバイスであり、そのときはまだ2か月しか経過していなかったが「光視症」そして「加齢黄斑変性」の症状が、そのおかげで出なくなっていた。それから4か月経つも、全く大丈夫だ。ほんと、この先生には、ときおりツボを得たアドバイスがいただけ、大いに助かっており、感謝しきれないほどである。
 さて、一昨日のことであるが、そのアドバイスを差し上げたお客様から、毎日幾度か目薬を差していたらだんだん良くなり、物が見えやすくなったと、喜びの礼状が届いた。
 まだ2週間しか経っていないが、思いのほか早く改善の兆しが出てきたもんだ。
 こりゃスゴイ! よかったぁ~! 
 礼状をくださったお客様に感謝、そして、なによりも良きアドバイスをくださった名古屋市のお医者さんに感謝、感謝、感謝。
(再掲ここまで)
 
 この「一日一楽日記」では、目薬のことしか書きませんでしたが、小生にアドバイスくださったお医者さんから幾つかの方法を教えていただきました。それをかいつまんで紹介しましょう。
 
 1番のお勧めは、目の周囲のマッサージです。なにせ人類、余りに目が酷使されているので、目の周りの養分・血液まで奪われ、目の周囲のツボは押すと痛いところばかり。
 2番目にお勧めは、目洗い。目洗いで、眼内の毒を流せ落とせることは、証明すみなので、色々とその方法を試行錯誤されるとよいでしょう。
 3番目が、目の暖めです。(これで、血流が良くなるんでしょうね)
 これらに付け加えるとすると、全身の老廃物対策です。
 とのことでした。
 
 要するに、
 中高年の目の健康法は「一に目の周囲のマッサージ、二に目洗い、三に目の暖め」 これで随分と良くなります
 というものです。
 小生もこれを実感しておりますし、当店のお客様には思わぬ即効力を発揮したのです。白内障とて、この健康法を続けていれば、予防できましょう。
 中高年の皆さんに、お勧めの健康法です。
 
<関連記事>
 
 
<備考>「一日一楽日記」に関して
※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
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不食が受け入れられる時代の到来か

2023年04月27日 | 朝食抜き・断食で健康

不食が受け入れられる時代の到来か

 不食とは食べないこと、それでも人は生きていけるようです。
 似て非なるものに、摂食障害の拒食症がありますが、これは若い女の子に多く、神経性やせ症とも呼ばれ、ボディ・イメージへの強迫観念(「自分は太っている」と考えること)から食べ物の摂取に拒否反応を示すというものです。
 また、断食とも違います。断食は、その前後は従前どおりの食生活で、一定期間(何日か)食を断つというものです。もっとも、毎日が朝食抜きという、1日の食事回数を3回から2回、さらには1回に減らし、これを継続するという食生活をなさっている方も多く、これをミニ断食(あるいはプチ断食)ということもあります。

 通常「不食とは食べないこと、一切何も口にしない」という意味になってしまうのですが、断食も同様に一定期間一切の食を断つという意味に受け止められるものの、さにあらず。文字どおり水以外は一切何も口にしない断食を本断食といい、昔はこれが多かったものの、近年は、すまし汁あるいは寒天などカロリーがほとんどゼロに等しいものを絶えず補給しながら行うもの、さらには超少食(これも段々あり)を取り続ける方法が、断食の主流になっているようです。朝食抜き、あるいは1日1食のミニ断食も同様で、抜いた食事時にほんの少々何かを口にすることも多いようです。例えば、朝に梅干しとか。
 よって、断食と同様に、不食(読んで字のごとくの行為)も、ときおり、あるいは毎日、カロリーが少ないものを摂取する場合であっても、不食の範疇に含むという扱いがなされています。
 要は食欲という執着から離れることができて「食べても食べなくてもよい」という境地に至ることができれば、それは「不食」なのでしょう。以下に紹介する御3方の不食者、皆、同じようなことをおっしゃっておられます。

 日本で最初に不食の概念が登場したのは、2004年に山田鷹夫著『不食』が発刊されてからのようです。彼が不食の実験に入ったのが2001年7月、50歳のとき新潟の山奥の自宅でのこと。離婚し、定職も辞め、生活が完全に破綻し、自分の人生もこれで終わりかと感じたとき、ふと思いついたのが不食の実験。ご本人の弁では、いちかばちかのどんでん返しを狙ったもの、とのことです。
 で、その結果はというと、思わぬ結論へと導かれたそうです。そのあたりのことを不食者御3方の共著『食べない人たち ビヨンド 不食実践家3人の「その後」』(マキノ出版2015年)から抜粋して紹介しましょう。
 その前にお断りしておきますが、山田鷹夫さんの不食実験は何も食べないというものではなく、微食です。それはどんなものかというと、同著に「しかし、それは人から見ると悪食といわれてもやむを得ないものでした。すべての食材を生で食べたり、腐ったものを食べたり、粉にして食べたり、あらゆるものをあらゆる形態で味わいました。どんな食べ物も食べる量が少なくなればなるほど、おいしくなります。」とあります。

(では、これより以下引用開始)

 (不食とは…)「なんだ、こんなに単純なことだったのか」
 命がけの実験になるかもしれないと思っていたのですが、実際に試すと、不食とは、コツさえわかれば誰にでもできる実に楽しいものだったからです。
 実験を続けていくうちに、それは喜びとなり、最後には笑いとなっていきました。もちろん自嘲の笑いではありません。底抜けに明るい、突き抜けたような笑いです。…
 不食のコツとは、ひとことでいえば、食べないことに慣れていくことです。これは、がまんではありません。時間さえかければ、その人なりに空腹に慣れていくことができるのです。
 しかも、空腹に慣れていくと、食べないことが快感に変わっていきます。…
 …読者がいちばん興味を抱いたのは、また、疑問を抱いたのは、間違いなく、この「空腹に慣れるという感覚」でしょう。あるいは「空腹が快感に変わるという感覚」でしょう。これを今回、「慣れの法則」と名づけて、その仕組みを説明したいと思います。
 頭で考えると、「食べる人」が「食べない人」に変わるのは不可能です。しかし、「慣れの法則」が働くと、「食べる人」が「食べない人」に変わっていきます。非常識が常識へと変化するのです。この不可能を可能へと変える「慣れの法則」の秘密を、私は沖縄の無人島での無為の日々の中で悟ったのでした。
(ひとまず引用ここまで)

 山田鷹夫さんは、2001年の不食実験の後、2014年に無人島で130日間の不食生活(このときは各種小魚を食べたり食べなかったりの微食)をするなかで「慣れの法則」の秘密を悟ったと言っておられますが、その詳細は本書を読んでいただくこととし、小生が“なるほど、これだ!”と感じたのは、次の件(くだり)です。
(再び引用)

 空腹感には、偽物と本物の2つの種類がある…。偽物の空腹感は頭で解釈する空腹感で、飢餓感が伴います。これに対して本物の空腹感は体で解釈する空腹感で、快感を伴います。
 この空腹快感をたびたび経験すると、しだいにおなかをいっぱいに満たすことが不快に感じられ、できるだけ食べない時間を延ばしたくなってきます。そうなったとき、あなたのDNAの空腹快感のスイッチがONになっているのです。もうあなたはあなたのスピードで、そしてあなたのやり方で不食の道を歩きだすようになるでしょう。
(山田鷹夫さんの引用 これにて終了)

 次に、御3方の共著で登場する森美智代(鍼灸師)さんを紹介しましょう。
 森美智代さんの主治医・甲田光雄医師(故人)は、超少食療法で数多くの難病患者を完治させたり、超長期断食で病気治療に優れた効果を出しておられましたが、人体には想像を絶する適応力が秘められている、と言っておられるものの、彼女のような例(1日青汁1杯だけ)=超少食を幾年も続けていっても体重が増えていくのには、驚きを通り越してあきれておられました。

 甲田光雄医師曰く。かような食事は仙人食であり、うちの患者で今までに2人いる。森美智代さんは仙人2号で、別に仙人1号がいる。よくこれだけの食事で生きていけるとは不思議なものだ。
 なお、森美智代さんは、1983年、21歳のときに脊髄小脳変性症という難病に罹っていると診断され、甲田光雄医師のもとで長期断食を幾度も繰り返し、それによって病状が改善するも、普通食に戻すと再び病気が悪化してしまうので、それではと、ずっと1日青汁1杯だけの食生活にしたところ、1988年には難病が治癒したというものです。
 それ以来、変わらずその食生活を続けてこられたのですが(さらには1996年から青汁の材料を4割減らして150gにし、2000年から週1回1日断食)、かような食生活でも体重は増え、ふくよかな体をしておられます。

 その後、森美智代著『食べること、やめました』(2008年)が発刊されて、大きな反響を呼んだところです。この本には副題として「1日青汁1杯だけで元気に13年」がついているのですが、現在(2023年)でもそれを続けておられます。ちなみにこの青汁のカロリーは50キロカロリーほどしかありません。

 以上、森美智代さんの例について、他書からポイントだけを要約して紹介しましたが、御3方の共著のなかで、森美智代さんが述べておられることを紹介しましょう。
(以下、引用)

 私は毎日青汁を飲んでいるように思われますが、実をいうと、ときどき飲むのを忘れてしまうことがあります。…そのとき思うのは、私はもう青汁すら飲まなくても、おそらく平気なのだと思います。変な話ですが、私が青汁を飲んでいるのは、みなさんの常識でもかろうじて納得していただくためであるかもしれません。…
 要は意識の問題なのです。いつまでも意識が医学的な常識にしばられていれば、まわりをうろちょろするだけで、不食の世界へ足を踏み入れることはできないでしょう。その意味で、常識と非常識の間にある少食は実行しやすく、少食こそ不食への王道なのです。…不食を目的にすべきではありません。少食を目標にして、結果的に不食へと近づいていくのが理想です。そもそも不食は、意識を常識から解き放つことが目的で、食べないことが目標ではないからです。
 私の場合も、不食を目的にしたことは一度もありません。摂取エネルギーをへらしていったのは、そうすると体調がよくなるからです。摂取エネルギーをへらせばへらすほど体調がよくなっていったために、結果的に不食となりました。
(引用ここまで)

 最後に3人目の不食者を紹介しましょう。弁護士の秋山佳胤さんです。この方の経歴がスゴイ。東京工業大学を卒業し、きっと成績が良かったのでしょう、大学院へ推薦で入れ、席を置いたものの大学院へは一度も行かずに退学。学部在学中に望んでいた弁護士になろうと司法試験を目指して浪人生活。1年後にはそれに合格し、弁護士になられたという逸材で変人。
 文系の法学部で4年勉強しても容易には合格しない司法試験ですから、理系の者がこれを目指すのは至難の業であり、案の定早々に挫折し、絶望し、どん底を味わい、不規則不摂生な生活を続けるなかで精神も肉体も疲労の極みに達し、生死の境をさまよう状態に。
 彼はそこで“地獄を見た”とのこと。「夢か、それとも幻か…。いや絶対違います。そこは超リアルな闇の世界でした。」と述懐しておられます。
 この“地獄の体験”以降、秋山佳胤さんは、すっかり人が変わったと言っていいのではないでしょうか。すんなりと司法試験も合格し、その10年後の2006年に、彼は、不食の代表的な女性であるオーストラリアのジャムスヒーン(本名エレン・グレーブ)さん(彼女は「自分は1杯の紅茶だけで何か月もいられる」とのこと)が日本で開催された不食のワークショップに参加し、このとき初めて“不食をしてみよう”と思われたとのことです。
 「私はそれから2年も経たないうちに意外と簡単に食べ物も水もほとんどとらない不食の状態に達していたのです。不食とはまったく縁のなかった私が、なぜこんなにもスムーズにその道に入って行けたのでしょうか。おそらく、そこには前段階として、地獄での体験と、そこで悟った極意があったからだと思います。」と、秋山佳胤さんは語っておられます。

 食べるのはほんのわずか、というのは、ここに紹介した御3方に共通している(といっても秋山佳胤さんの食は極端に少なさそう)のですが、山田鷹夫さんも森美智代さんも水分補給だけは毎日なさっています。でも、秋山佳胤さんは水も飲まない日が多いのにはびっくりさせられます。
 しかし、これは事実として受け止めねばなりません。秋山佳胤さんは御3方の共著の序文で次のように述べておられます。
(以下引用)

 私個人について述べるなら、2008年以来、食べ物はおろか水もほとんどとらない生活を続けています。…特許案件を専門とする弁護士として、充実した日々を過ごしています。…頭の中は常にクリアで、…疲れを感じることもほとんどありません。登山やマラソンも普通の人と同じように楽しんでいます。…
 不食になると、食事に時間をとられることがないので、1日が72時間くらいあるような気さえします。…睡眠時間も極端に減って、現在は1日に2時間も眠ればじゅうぶんです。…
 …世の中の常識からすれば、信じがたいことでしょう。私自身、いまだにその不思議さに驚くことがあるのですから、無理からぬことです。
 2013年の11月、パレスチナ・イスラエルの平和の旅に参加したとき、私は現地で開催されたマラソン大会に急きょ参加することになりました。…その日は暑く、しかも砂漠地帯なので空気はカラカラに乾燥していました。それにもかかわらず、一滴の水も飲まない私が全身に汗をかき、しかも、のどは一切渇きませんでした。それどころか、口の中は適度に水分で潤っていたのです。
(引用ここまで)

 これにはあっけにとられます。でも、これは事実。現代医学も現代栄養学も通用しない、そうした現実世界がちゃんとある、と認識するしかないです。腸内細菌や皮膚常在菌との共生論を持ち出してきたところで説明できるものでもないです。ましてや水を全然飲まないとなると1週間なり10日で人間は命を落とすのは必至とされていますから、秋山佳胤さんの体はどうなってんの?(毎日たった1杯の紅茶しか飲まれないジャムスヒーンさんの体もどうなってんの?)です。現代物理学でも説明がつかない。これは、体の奥深くどこからともなく水が湧いて出てくるから? そんなこと有り得ないのですが、これまた事実。
 高度に科学技術が発展した現在ではありますが、最新の自然科学とて自然界の現象のごくごく一部のことしか解明できていません。それどころか、解明できて“これが正しい”とされるものであっても、“それは間違っていた”と将来訂正されることが往々にありましょう。自然科学の歴史がそれを如実に物語っていますから。

 読者の皆さん、「不食で生きていける」という事実、これを素直に受け止めようではありませんか。
 最後に、私見を述べさせていただきます。小生は「不食で生きていける」というのが、すんなりと腑に落ちてしまいました。
 というのは、もう10数年、いやそれ以上になりましょうか、小生は1日1食(夕食のみ)の食生活を続けており、それがために小生の体は空腹感というものを全く感じない体になってしまっています。2日断食や3日断食(断食日の前2日は減食、その後3日も減食)を何度かやってみた(断食中に丸1日あるいは2日、百姓仕事をすること多し)のですが、普段よりスタミナが若干落ちる傾向にあるように思われるも、空腹感は一切生じなかったです。子供の頃、腹が減って腹が減って夕飯が待ちきれず箸で茶碗を叩いて叱られた、あの頃の空腹感、それを体が思い起こしてくれないものかと期待して、複数日断食を試みるも、あにはからんや一切の空腹感が生ぜず、がっかりしたものです。
 こうした体験から、俺だって長期断食はなんなくできるだろうし、ここに紹介した御3方と同様に不食の生活にすんなりと入って行けるのではなかろうかと。

 でも、いまさら、不食の生活なんてまっぴらごめん、です。なんせ今年、後期高齢者になる小生、余命幾ばくも無い、残りわずかな人生ですから、毎日の楽しみといったらグルメを味わうことしかない。男の三大楽しみはすでに卒業(というより、どれも不得手で早々に退散)して、残すは食うことのみ。「うまいものを食うことが我が人生なり」となってしまっているからです。

 一方、若い読者の皆さんは、まだまだやることが山ほどありましょう。1日24時間では足りない。倍あってほしい、といったところでしょうね。不食生活によって秋山佳胤さんは「1日が72時間くらいあるような気さえします」と言っておられますが、1日1食生活に馴染んでしまった小生の経験では、1日が30時間ぐらいに伸びました。朝昼2食をとらないと、食事の時間と食休めの時間がゼロになり、仕事が食事で中断することがなくて作業がスムーズにはかどりますし、体にスタミナもつきますから小休止を時々入れるだけで連続作業もこなせます。加えて、頭はクリアになり、仕事の処理スピードがグンと上がります。さらには睡眠時間が短くて済むようになり、かつ、朝の目覚めスッキリです。いいことずくめです。
 どうです、不食への道を歩んでみませんか。

 最後に、日本における不食の先駆者、山田鷹夫さんの不食道へのお誘いを紹介し、本ページを閉じることにします。
(以下、御3方の共著より引用)

 …不食者の定義には幅があります。…
 不食の人には、食べ物も水もまったくとらない人もいれば、水だけは飲む人、少し食べる人、青汁だけの人、果物だけの人、不食と微食をくり返す人など、いろいろなタイプがあります。さらに、現在は不食できていなくても、それをめざしている少食の人たちも、その定義の中に含まれます。不食の意識を理解できる人であれば、定期的に断食を行っている人たちも不食者のグループに入ります。不食で大切なのは、形ではなく、その意識なのです。
 おそらく、本書を読んでいるかなり多くの人たちが、この不食の定義に含まれるでしょう。そして、あなたの不食がこれからどこへ向かうかは、あなたが決めるのではありません。あなたにできるのは、計らい(左脳の判断※)を捨てて、すべてをゆだねることです。私たちの背後で私たちを動かしている大いなる意識にすべてをまかせて、不食の道をあわてず、楽しんで進んでいきましょう。不食の道はあなた独自のものです。
(引用ここまで)

<備考>
 ※印「左脳の判断」について少々補足解説(別ページでの山田鷹夫さんの弁)
 空腹感が起こってくると、人はその空腹感を満たそうとします。…しかし、その前に知らなければならないのは、その解釈が体でなされているのか、頭でなされているかです。私にいわせれば、体で解釈する空腹感は本物の空腹感で、頭が解釈する空腹感は偽物です。
 その証拠に、おなかがすいていないときでも、「おいしいもの」を見せられると、人は空腹感を覚えます。その場合の空腹感は頭がつくりだす偽物の空腹感です。…
 ぜひ知っていただきたいのは、ほとんどの人は偽物の空腹感にだまされて、本物の空腹感を覚えにくくなっていることです。頭(左脳)で考えることばかりしているため、体で感じる力が封じ込められているのです。本物の空腹感を知らないといってもよいでしょう。
 その結果、偽物の空腹感にすぐにだまされて、本当は体がいやがっているのに、どんどん食事をさせられてしまいます。…
(引用ここまで)

 本稿は久しぶりにかなりの長文となりましたが、読者の皆様には最後までお付き合いいただき、感謝申し上げます。

(参考文献:小生の蔵書より)
 ・不食者御3方(秋山佳胤、森美智代、山田鷹夫)共著『食べない人たち ビヨンド 不食実践家3人の「その後」』(マキノ出版2015年)
 ・森美智代著『「食べること、やめました」1日青汁1杯だけで元気に13年』(マキノ出版 2008年)
 ・甲田光雄著『断食療法 50年で見えてきたもの』(春秋社2003年)
 ・甲田光雄著『奇跡が起こる「超少食」』(マキノ出版2007年)
 ・渡辺正著『朝食をやめて健康になる』(知恵の森文庫2003年)

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ストレス回りを良くしましょう(三宅薬品・生涯現役新聞N0.339)

2023年04月26日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.339:2023年4月25日発行

表題:ストレス回りを良くしましょう

副題:五月病、悩み、不安…等々、心のモヤモヤ解消法をご紹介

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。以下同様です。

      

(裏面)瓦版のボヤキ

    銀行へのコイン入金ができなくなった

   

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4.19 久しぶりに測定してみた自分の血圧と血流

2023年04月20日 | 薬屋のおやじの一日一楽日記

(別立てブログ“一日一楽日記”で投稿した記事をこのブログに再掲しました。)

4.19 久しぶりに測定してみた自分の血圧と血流

 当店には血圧計と血流計が置いてある。希望したお客様を測ってあげたり、血管系に障害がありそうな方の診断・アドバイスに使っている。十数年前までは、積極的にこれを用いて顧客の拡大、売り上げ増大に大きく貢献させていた。
 それが、年々欲がなくなり、面倒にもなり、今ではほこりが被った状態にある。年に1回使うかどうかといった状態まで落ちてしまった。
 この血圧計、電池切れしていないか? この血流計、今でも動くか? である。
 今日は女房が出かけ、一人で留守番だ。客は来ないし、実に暇。
 そこで、久しぶりに自分の血圧と血流を測定してみた。
 その結果は次のとおり。
  血圧(上)126 (下)76
  血流計 評価E(年齢換算<※自分で勝手に決めた物差し>70歳)
(注 ※ BCチェッカーを使用 その測定結果の見方によると、「E」は「70歳以上の人の標準」とされている。)
 

 最初に血流評価。
 自分は今74歳だから、年相応となる。10数年前は実年齢60歳に対して、30歳か40歳の血流年齢であった。これは、その頃までは店内でけっこう忙しく動き回っていたから、血管が若々しい状態に保たれ、血液がかなりスムーズに流れていたからであろう。
 ところが、今では営業日は椅子に腰かけてじっとしており、携帯の万歩計の示す歩数は2千歩台であるゆえ、たとえ週2日の定休日に百姓をやれども、血流はどんどん悪くなってきて、年相応になってしまった、といったところだ。
 ここ数年、年に1回ぐらい血流を測っていると思うが、ずっと評価はEで、年相応のままである。加齢とともに血管の動脈硬化が進んで、血流は悪くなる一方になってしまっているのは致し方ないといったところであろう。

 次に、血圧の評価。
 上の血圧は「年齢+90」あってよい。これも、加齢とともに血管の動脈硬化が進んでいくから、十分な血流量を生み出すためには、心臓が生み出す拍動をだんだん強くして、つまり血圧をアップさせねばならないからだ。
 で、自分はと言うと、74+90=164あってよい。血圧も年に1回ぐらい測っていると思うが、記憶では140台のことが多い。126と、こんなに低いのは、今日は数時間じっと“安静”にしていたからだろう。血圧は日変動も激しい上に、体の動かし方の程度でいくらでも増減するから。
 問題は、血圧の(上)(下)の比率である。上を110に固定してみてみると、
  126:76=110:66
 理想は「110:70」である。合格範囲は「110:65~75」(※これも自分で勝手に決めた物差し)で、「110:60以下」なり「110:80以上」(これは西式健康法で西勝造氏によって指摘されている)となると、気を付けねばならない。
(注 ※ 西勝造氏によれば、「110:60~80」までが安全範囲とされているが、アメリカ人の健康体の標準は「110:74」付近にあり、日本人についてのそれは「110:64」を示しているとのことである。そうしたことから、理想値と危険値の真ん中を取って、小生は、合格範囲を「110:65~75」としたところである。)
 小生の場合、67歳のときの測定値では(上)137、(下)84で、比率は「110:67」となっており、72歳のときの測定値では(上)141、(下)79で、比率は「110:62」となっており、今回の測定値も、同様に血圧(下)が相対的に下がりすぎている傾向にある。
 ところで、10数年前までは、百姓仕事もあって体を良く動かしていた夏場(誰しも冬より夏は低い傾向にある)は、血圧(上)110台、(下)70台であった。これは、老若にかかわらず狩猟採集民のたいていの人の血圧「(上)110、(下)70」に近いものであって、毎日十分に体を動かし、粗食で腹八分を通していれば、こうした値となる。
 その当時、”どうだ、俺は素晴らしい血圧だぞ!”と威張っていた。
 でも、もう威張れなくなった。逆に今日の測定値は、「年齢+90」の164に遠く及ばない、たったの126しかない小生ゆえ、心臓が生み出す拍動が弱々しくて、総身に血液(特に酸素)が行きわたらず、特に脳が酸欠状態になってはいまいかと、心配になる。これでは、ボケ街道まっしぐら、となるからだ。
 “もっと血圧よ、上がってくれ!”と叫びたくなる、我が虚弱な心臓である。もっとも、今日は非日常の生活状態にあるから、我が心臓が少々サボっていても、まあまあ許されるということになろうが。

(備考)「一日一楽日記」に関して
2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。

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