薬屋のおやじのボヤキ

公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。

旅のお供に黄門様の印籠「牛黄」(三宅薬品・生涯現役新聞N0.284)

2018年09月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.284:2018年9月25日発行
表題:旅のお供に黄門様の印籠「牛黄」
副題:どうしようもない疲れでも体力・気力がよみがえってきますよ

牛千頭に1頭程度しか見つからない胆石です。見つかる胆石の大きさは、せいぜいパチンコ玉からゴルフボール程度の大きさです。ヒトにもまれに胆嚢に胆石が見つかりますし、他の動物も同様です。その胆石ですが、牛が抱えている胆石を「牛黄」といい、その薬効がすごいのです。他の動物の胆石には薬効がなく、牛だけに薬効があるから不思議です。昔から「牛黄」は高貴薬と言われているのですが、近年、中国で需要が高まり価格が急騰しています。貴重品となった「牛黄」の薬効の幾つかを紹介しました。

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。裏面も同様です。

  

(裏面)瓦版のボヤキ
    ネズミの引っ越し

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ついに古希を迎えた小生、人生の考え方がまたひとつ変わってきました

2018年09月10日 | やがて訪れる死に備えて

ついに古希を迎えた小生、人生の考え方がまたひとつ変わってきました

 今日は小生の誕生日。年を食うのは実に早いもんです。
 
ぼけぼけしているうちに、小生は今日、とうとう70歳になってしまいました。完全な「年寄り」です。69歳なら、“まだ年寄りの仲間じゃない”と言えるのですが、やっぱり70の大台に乗るとなると、“俺も年寄りになったわい”と、しみじみ感じます。

 ずいぶん昔のこと、まもなく25歳の誕生日を迎えんとなったとき、“四捨五入すれば30歳。青年とはもう言えないじゃないか!”と感じて、ギョッとしました。
 最初に年を感じたのはこのときです。
 次に年を感じたのは40歳を迎えたときです。この少し前に四十肩を患い、それがずっと続いたものですから、“俺もとうとう中高年の仲間入りかあ、もう若くはないんだなあ”と、一抹の寂しさを覚えました。でも、仕事の面では脂が乗り切った年齢であり、体力もまだまだ十分あって、中間管理職としてバリバリ仕事をやり、とても充実していました。
 45歳で県職員を中途退職し、親父(そのとき70歳)が起業した薬屋の跡を継ぎました。人生の一大決心です。当時、県職の仕事はとても充実しており、やる気満々で、とても辞める気など生じませんでしたが、辞める1年前から親父がアップアップの状態になり、“親父を殺してまで県職を続ける意味があるのか?”これを1年間、自問自答し続け、その結論として“おやじ、あしたから楽せえ”の道を選びました。
 退職するにあたり、世話になった先輩に挨拶に行ったら、「体力がもつのは50歳まで。50を過ぎたら体がついていかなくなる。これから5年間しゃにむに薬屋稼業に邁進せえ」と励ましの言葉をいただきました。薬の「く」の字も知らない、経営の「け」の字も知らない役所上がりの小生ですから、最初の1年間は徹夜もいとわず、がむしゃらに働き、勉強もしました。そして先輩の言葉を思い出しだし、50歳までばりばり働いて経営を軌道に乗せ、どれだけかは様になる薬屋の店主として接客にも自信が持てるようになりました。
 さて、こうして迎えた50歳ですが、“人生50年”という言葉があるも、それは昔のことで、なおかつ平均寿命という概念は無意味であると考えていましたから、“長寿の家系なんだから俺の余命は50年、今、人生折り返しの50歳”といった捉え方しかできませんでした。なんせ薬屋稼業に入ってまだ5年経っただけで、これからいかにして商人として自分を成熟させていったらいいのか、それしか眼中になく、気持ちは若造気分で、“精神年齢28歳、まだまだ青春時代”とうそぶき、年を思うなんてこととは無縁でした。

 25歳で年を感じ、40歳でまた年を感じ、その次、3回目に年を感じたのは、還暦を迎えたときです。60歳定年が定着していましたから、“ばりばり働くのはこれまで。あとは第2の人生をぼつぼつ歩もうぞ。”といった考え方が大勢を占めていました。小生も薬屋稼業に就いて15年、だいぶ板についてきたわい、と感じていたところです。
 でも、“赤いちゃんちゃんこで還暦祝い”を家族が企てているのを知ったとき、“ばかにするな、俺はいつまでたっても体力年齢58歳、精神年齢48歳だ。それ以上には年は食わん。還暦祝いなんぞ無用だ!”と、いきり立ち、一切のお祝いを拒否しました。
 このとき、“俺はだいぶ背伸びしているなあ。60の大台に乗ったことを素直に認めろよなあ。”という、もう一人の自分の声が聞こえてきましたが、その頃は、趣味で研究していた懸案の長大論文「犬歯の退化」(人類進化仮説)を執筆中で、“脳の働きはまだまだこれから冴えていく、何が還暦だ。”という思いが強烈で、還暦になったことを否定したい気持ちがめっぽう強かったです。しかし、そう思うというのは、年をとったことを感じた裏返しの感情でもありましょうから、何とも複雑な気分でした。
 ところで、薬屋稼業への力の入れ方となると、けっこうな共済年金をいただくようになったがために、“食っていけりゃいい。そんなに稼いでどうすんの。”という気分にされられ、利益を上げようという気力がなえてしまい、お客様にいかに感謝されるか、いかにして感動していただくか、ということに重点が移行してしまいました。
 なお、ブログ「薬屋のおやじのボヤキ」を立ち上げたのが62歳になったときです。

 還暦から5年経って高齢者の仲間入りである65歳を迎えました。このときは特別な感情は起きませんでしたが、第2就職した同級生の多くが次々と辞めてしまって隠居生活に入ったものですから、一抹の寂しさを覚え、定年のない自営業者との付き合いを意識的に深めていったところです。
 この頃から1年があまりに早く過ぎ去っていくのをしみじみと感じ、“残りの人生はそう長くはないんだから「飛ぶ鳥跡を濁さず」を少しは頭に置いて日々行動せねばいかんだろうなあ。”と思うようになりました。そこで、ある程度の身辺整理を行ったところです。
 なお、ホームページ「生涯現役をサポート 三宅薬品のHP」を開設したのが66歳になったときで、自分で無理せずできる社会奉仕活動として、無料健康相談に力を入れることにした次第です。

 そして、高齢者の仲間入りをしてからあっという間に5年経ち、とうとう70の大台に乗った今日、冒頭で申しましたように、“俺も年寄りになったわい”としみじみ感じました。
 60代は“まだまだ若い”と感ずるのですが、70の声を聞くと途端に“老人”という言葉に抵抗感がなくなります。不思議な心変わりです。
 “もうばりばり仕事をしようなどという気は全く起きないし、その必要も一切ないではないか。かといって楽隠居を決め込むのは性に合わない。人生に定年なんてぇものはないんだから、死ぬまで一生、生涯現役で通したい。薬屋稼業と百姓仕事に、決して背伸びせず、自然体で、毎日、余力を持って精を出すか。これに限るわい。”
 という心がしっかり固まったところです。これは、2か月ほど前に、3つ年下の女房が治療法がない慢性心不全とわかり、今のところ日常生活にさほど支障はないものの、もはや全く無理が利かない体になってしまったことも大きく影響していましょう。
 なお、女房の体力低下は前からあり、女房が高齢者の仲間入りをした2年前に店の定休日を週2日(日、月曜日連休)としたところです。何年か経てば週休3日、遠い将来には営業日は週1日とするかもしれません。同業者でそうした店がありますゆえ。
 女房も、無理が利かない体と上手に付き合いながら、“暇つぶし”と“ボケ防止”に店をやっていこう、そして店は気の合ったお客様との楽しいコミュニケーションの場、という考え方に変わってきていますので、この先、夫婦で細く長く店はやっていけることでしょう。

 さて、残りの人生を小生はどういう心構えで生きるか。先に申しましたように小生は長寿家系の生まれ、おふくろもおばあさんも100歳近くまで元気でして、最期はピンピンコロリと逝きましたから、自分の余命も30年、現役で通せるのも30年、と考えねばいかんでしょう。
 日本人が世界に誇っていい「武士道」の精神文化に「一瞬に生きる」というものがあります。武士道を極めた剣術の達人ともなれば、刺客にいつ襲われてもおかしくなく、いつなんどき瞬時に命を奪われるかもしれぬ、そうした宿命を背負って日々を過ごしていくことになりましょうから、「一瞬に生きる」ということになるのでしょう。
 これに関しては、不治の病の病床に就いた正岡子規が見つけた武士道の解釈として「生への執着もなく、諦めもなく、生かされている今という一瞬一瞬を、平気で生きること」というものがあり、子規は残り少ない命をそうした心構えで日々過ごしたといいます。
 この文化は、万人に受けいられるかどうかは別にして、少なくとも小生は素直に従うことができ、この年になって、残りの人生はこれしかない、とつくづく思うようになりました。もっとも、「一瞬に生きる」「一瞬を生きる」となると、緊張感が高まって息が詰まりそうになりますから、ここはうんとゆったりした時間感覚を持ち出し、言葉を変えて、人生は「今
、ここを生きる」「一日一日を坦々と生きる」、その繰り返しでいく、そう観念したところです。
 なお、ブログ記事は気が向いたときにぼつぼつ書き、健康相談もそれなりに受け、読者の皆様にどれだけかはお役に立てたらうれしい、そんなふうに思っております。

 さーて、この先、5年はあっという間に過ぎて、直ぐに後期高齢者となります。そのときに、またまた年を感ずるのか否か、今時点では何ともわかりませんが、今日、心したことを大事にしていきたいと思っております。

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9月がん征圧月間に考える(三宅薬品・生涯現役新聞バックナンバーN0.223)

2018年09月10日 | 当店発刊の生涯現役新聞バックナンバー

 毎月25日に発刊しています当店の「生涯現役新聞」ですが、これをブログアップしたのは2014年陽春号からです。それ以前の新聞についても、このブログ読者の方々に少しでも参考になればと、バックナンバーを基本的に毎月10日頃に投稿することにした次第です。ご愛読いただければ幸いです。

当店(三宅薬品)生涯現役新聞バックナンバーN0.223:2013年8月25日発行
表題:9月がん征圧月間に考える
副題:がんは医者に頼らずに治るもので自然治癒力を高めることです

 この記事は2013年5月12日に投稿した「がん患者の相互扶助でがんを自然治癒させてしまうNPO法人「いずみの会」「いのちの田圃の会」に驚愕!」をかみ砕いて要約し、図表を追加するなどしてまとめたものです。
 がんは「①抗がん剤投与、②放射線照射、③手術という三大療法」で“征圧”するものではなく、がん治療の第1ステップとして「病院に行くことをやめる」ことであり、極論すれば「がんは放っておけば治る」ということに気付くことです。
 この記事では書きませんでしたが、がんは「生き方を変えれば治る」という、心因性の、いわば心身症の一種と言っても過言ではなく、がんの治し方は思わぬところにあることを知っていただきたいです。
 これに気付いた米国では、すでに三大療法から代替療法へ舵を取っているのですから、日本もそろそろそうしてほしいものです。もっとも、患者自身、個々人がそのように動くことが先決でして、そうした方が増えてきて初めて医学界や政府も方向を変えるのです。欧米人にはそうした
個人主義がしっかり根付いていますから、こうした改革ができるのですが、日本人は自分では何も考えず全て他力本願で安住したいというムラ社会で生きてきていますから、資本主義社会にあっては、これ幸いとばかり営利活動の餌食にされてしまうのです。

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