薬屋のおやじのボヤキ

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コレステロールの薬は百害あって一利なし、絶対飲まないことです

2019年11月28日 | 脂質異常症

コレステロールの薬は百害あって一利なし、絶対飲まないことです

 このことについては、過去記事「コレステロール降下剤は毒薬。更年期すぎの女性は飲んじゃダメ!(改訂版)」で詳細に書きましたが、今回、代表的なコレステロール降下剤である「スタチン」の幾つかの毒性、そして疫学調査における血中コレステロール値と血管性疾患の相関の有無についての解説、この2つに関して、下記参考文献などから新たに知見を得ましたので投稿することとします。

 参考文献:2019.9.8 発刊「日本人は絶滅危惧民族 ー誤った脂質栄養が拍車ー 」<裏表紙:糖尿病 慢性腎炎 骨折 脳・心血管病 認知症 少子化の予防を目指して>
(日本脂質栄養学会 食品油脂安全性委員会 糖尿病・生活習慣病予防委員会 編著者:奥村治美)

 まず、高コレステロール血症の人に投与される代表的なコレステロール降下剤「スタチン」には、本書によれば次の4つの毒性があるとのことです。
 一つは「ミトコンドリア毒としてATP産生を抑える」こと。
 ヒトが生きていくには絶え間なくエネルギーを作り続けねばならず、そのエネルギーの素がATPで、これの95%は細胞内小器官ミトコンドリアが担っています。そのミトコンドリアに毒として働くスタチンですから、必要なエネルギー産生に支障をきたすことになります。
 2つ目は「セレン含有抗酸化酵素の合成を抑える」こと。
 ヒトが体内で合成する抗酸化酵素は亜鉛と並んでセレンが重要な役割を果たしています。その一方が合成しにくくなるのですから、様々な免疫力低下を引き起こします。
 3つ目は「ビタミンK1からビタミンK2への変換反応を阻害する」こと。
 ビタミンK2不足は骨粗鬆症を引き起こすほか、動脈にカルシウムが沈着する動脈石灰化(動脈硬化症)を引き起こす大きな要因と考えられています。
 また、ビタミンK2はオステオカルシン(骨の非コラーゲンタンパク質でホルモン様作用を持ち、インスリンの分泌を促進するなど多様な作用を有する)を活性化するという重要な働きがあり、これが抑えられるとなれば、糖尿病の発症などが危惧されます。
 4つ目は「ビタミンD3の合成を阻害する」こと。
 ビタミンD3不足は骨粗鬆症を引き起こしますが、ビタミンD3は全身の臓器で必要とされる重要なもので、不足すれば様々な生活習慣病を引き起こす元にもなります。
 なお、ビタミンD3はオステオカルシンの遺伝子発現を調節し、ビタミンK2と相加的に働きます。

 「スタチン」にこんなにもたくさんの毒性があるとは驚きです。
 となれば、血中コレステロール値が基準値より高いからといって毎日コレステロール降下剤「スタチン」を飲まされる人は、この毒性を大きく上回る効能「動脈硬化症を予防して血管性疾患の発症を防ぐ」ことが保証されねばなりません。

 これが保証に関して、「スタチン」などコレステロール降下剤を長期飲用した群とコレステロール値が高いまま放置した群との比較で、血管性疾患の発症に大きな差が生じ、なおかつ、心配される糖尿病など他の疾病の発生に特段の差はないという結果が出れば納得できるのですが、そうした調査は一切なされていないようです。
 国民の「病から命を守る」施策を打つのが厚労省の重要な仕事であるはずであり、こうした面の大がかりな調査をぜひやってもらいたいものです。

 

 2つ目は「疫学調査における血中コレステロール値と血管性疾患の相関の有無について」ですが、本書(それ以外に日本脂質栄養学会の発表資料を含む)に幾つかの疫学調査結果が載っていましたので、それを紹介します。
 注目されるのは、「血中コレステロール値が高ければ高いほど、血管性疾患の発症率なり死亡率が高まる」ということが本当に実証されているのか否か、です。
 近年、その大きな根拠となっていたのが、2007年に発表されたNIPPONDATA80-17.3年追跡調査(30歳以上男女9216人)の結果に基づく冠動脈心疾患死亡率のハザード比(相対的危険度)です。この調査によれば、<図1>のとおり血中コレステロール値ときれいな相関関係を示しています。(ただし、脳梗塞については、<図2>の同24年追跡調査のグラフからして相関は全くないどころか、逆相関を示しています。)
 ところが、継続調査したNIPPONDATA80-24年追跡調査(2015年発表)によると、<図2>のとおり、その相関(血中コレステロール値が高ければ高いほど冠動脈心疾患死亡率が高まる)がもろくも崩れてしまい、総コレステロール値260超の集団にだけ冠動脈心疾患死亡率が突出するという例外を除けば、総コレステロール値260以下のグループでの有意な相関関係はないという結果になってしまいました。(なお、総コレステロール値が260超の集団の突出原因は、他の要因の混入であることを後ほど解説します。)

 左<図1>                  右<図2>
 NIPPONDATA80-17.3年追跡        NIPPONDATA80-24年追跡
 (冠動脈心疾患死亡率のみ)        (冠動脈心疾患死亡率と脳梗塞死亡率)

 

 調査規模を「標本数×年数」で示した「人・年」で比べてみると、NIPPONDATA80-17.3年追跡は159千人・年、NIPPONDATA80-24年追跡は221千人・年で、調査規模にたいした差はないのですから、この程度の調査規模では、一つには標本数が十分には大きくなかった、もう一つには追跡年数が十分には長くなかった、あるいは両方が関与して不十分であった、ということになりましょうか。
 (ちなみに<図1>の棒グラフの上に書かれている数字は各群の死亡者数で、全死亡者数は128人となり、さほど大きな数字ではないです。)
 こうした類の調査は、NIPPONDATA80よりも大きな規模のものが他に幾つかあります。例えば、JACC研究(Cui R,2007)は392千人・年、茨城研究(総コレステロールではなくてLDLコレステロールでの調査)では940千人・年です。その結果はというと、<図3><図4>で示す冠動脈心疾患(CHD)死亡率のハザード比のとおりです。
 これらの調査を大づかみすると、NIPPONDATA80-24年追跡調査結果と似たり寄ったりですが、各群のばらつきがけっこう目立ち、類似的な傾向も見られず、結果、どれもこれも「有意な相関関係は認められない」という結論に至ったのです。

 <図3>NIPPONDATA80-17.3年追跡とJACC研究の対比  右<図4>茨城研究
      (冠動脈心疾患死亡率)                (冠動脈心疾患死亡率)

 本書では図表の紹介はないですが、こうした調査は他にもあり、例えば韓国研究(Song YM,2000)及びメタ解析(Alexander DD,2016)でも類似した結果が出ているようです。
(メタ解析とは、独立して行われた複数の調査研究のデータを収集・統合し、統計的手法を用いて解析した統計的総説)
 こうしたことから、「血中コレステロール値が高ければ高いほど、血管性疾患の発症率なり死亡率が高まる」なんてことは、決して言えないことが明らかになったのです。それは、もう何年も前のことで、医学の関係者は皆、知っていていい事実です。

 ところで、総コレステロール値が260超のグループは、3つの疫学調査<図1~3>ともに冠動脈心疾患死亡率が突出し、<図4>の茨城研究(指標はLDL)でも高LDL群では有意に高いです。これは何か原因がありそうです。
 本書では、家族性高コレステロール血症の標本混入がそうさせたと言っています。

 家族性高コレステロール血症とは聞きなれない言葉ですが、遺伝的に若い時からコレステロール値が体質的に高い人のことを言います。深刻なのは両親から引き継いだ場合の「ホモ接合体」で、これは数十万人に1人程度しかいないのですが、片親から引き継いだ場合の「ヘテロ接合体」は案外多くて2百ないし数百人に1人いるとのことです。
(ヘテロ接合体の人の場合、総コレステロール値の平均は320~350程度のようです。)

 家族性高コレステロール血症の方(ヘテロ接合体の人の場合。以下同じ。)が、若い時からなぜにコレステロール値が高いかというと、一つには“こうでもしないことには心臓の筋肉が十分には働いてくれない”からです。
 それを説明しましょう。
 脳細胞や一般の細胞、そして心筋以外の筋肉の主なエネルギー源はブドウ糖なのですが、心筋細胞だけはLDLによって運ばれる脂肪を主なエネルギー源としているのです。
(コレステロールは食物由来のものの他に肝臓でその数倍量が合成されますが、肝臓から全身へ供給される姿がLDL、全身から不要になったものが肝臓へ戻される姿がHDLで、善悪とは無関係です。なお、正しい表記はLDLコレステロール<LDL‐C>ですが、以下単にLDLと略記します。)
 よって、心筋細胞にはLDL受容体が数多く発現し、スムーズに脂肪を取り込み、24時間休みなく拍動し続けてくれるのです。これが心筋の、他の筋肉と違うところです。
 ところが、この受容体の機能が不完全な方もいるのです。心筋細胞へのエネルギー源の供給がままならないという方です。こうした方を家族性高コレステロール血症と呼ぶのですが、そうした方の体がどう反応するかと言えば、必然的に少しでも多くのLDLを血液中に流し込んで、心筋にいっぱいエネルギー源を送り届けようとするでしょう。
(なお、家族性高コレステロール血症の方のLDL受容体の機能は、正常な人の概ね半分程度のようで、肝臓における取り込みも不活発になりますから、自然にLDL濃度が高くなる傾向にもあります。)
 こうして、家族性高コレステロール血症の方であっても、なんとか心筋にエネルギー源をまずまず供給できていますから、本人は体の異常を何ら感じないのです。
 しかし、家族性高コレステロール血症の方は若い時から、こうした無理をずっと強いられてきていますから、それが積もり積もって、年老いてくれば普通の人に比べて、どうしても心疾患に罹る危険度が高まろうというものです。
 これが、<図1~3>のように総コレステロール値が260超のグループに限って冠動脈心疾患のハザード比が3倍ほどの値を示している原因と考えられるのです。

 なお、家族性高コレステロール血症の方であっても、脳梗塞になる危険度は普通の人と変わりないであろうことは、NIPPONDATA80-24年追跡調査が示していましょうし、他の調査からもそのように言えましょう。
 また、過去の疫学調査では、コレステロール値が高い人は「元気で病気しない傾向にある」という結果も出ていますから、喜ばしいことでもあるのです。
 ついでに付言しておきますが、家族性高コレステロール血症の方がスタチンなどコレステロール降下剤を飲んだらどうなるでしょうか。LDL供給が減りますから、心筋へのエネルギー源供給が不十分になるのは当然のことですし、先に紹介しましたスタチンの場合はその毒性によって、ただでさえ不足しがちな心筋におけるATP(エネルギーの素)産生が抑えらるのですから、これほどひどい治療法はないと言えましょう。
 人間だれしも例外なく死にます。近年は老いると血管性疾患で死ぬ割合が大きいです。小生思うに、脳梗塞では後遺症が残って家族に迷惑をかける恐れが多分にあるのですが、冠動脈心疾患であればピンピンコロリと逝ける確率が高まりましょう。家族性高コレステロール血症の方は、そうした良い面もあると捉えていただいてはいかがでしょうか。

 日本脂質栄養学会の提言にこうあります。
 「コレステロール値の検査は定期健診項目から外すべきだ」と。いたずらに混乱を招いているだけのコレステロール値ですから、早速にもそうなってほしいものです。
 単にコレステロール値が定められた基準(根拠が疑われる低い値)をオーバーしたからといって、コレステロール降下剤を安易に飲むのは百害あって一利なしですからね。

 最後に付言しておきますが、若くして高コレステロール血症で悩まねばならない、家族性高コレステロール血症で深刻な「ホモ接合体」の人(LDL受容体がほとんど働かず、通常、総コレステロール値が450超)が数十万人に1人いらっしゃって、この方々は遅まきながらやっと2014年に難病指定され、様々な治療が行われていますが、高コレステロール疾患に関しては、こうした方々の治療に止めるべき性質のものではないでしょうか。


(備考)
 本稿の多くは、日本脂質栄養学会の書籍や発表資料に基づいていますが、この「日本脂質栄養学会」は信用が置けるか否かですが、これについては下記の記事で小生の受け止め方を書いています。ポイントとなるのは「利益相反開示」です。
 久しぶりに本を買い、食の見識を新たにする
 

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やっぱり「油断」しなきゃ(三宅薬品・生涯現役新聞N0.298)

2019年11月25日 | 当店毎月発刊の三宅薬品:生涯現役新聞

当店(三宅薬品)発行の生涯現役新聞N0.298:2019年11月25日発行

表題:やっぱり「油断」しなきゃ

副題:最新情報 菜種油など植物性油脂は基本的には毒なのです。

 2019.9.8 発刊「日本人は絶滅危惧民族 ー誤った脂質栄養が拍車ー 」<裏表紙:糖尿病 慢性腎炎 骨折 脳・心血管病 認知症 少子化の予防を目指して>(日本脂質栄養学会 食品油脂安全性委員会 糖尿病・生活習慣病予防委員会 編著者:奥村治美)

 この本を購入して読んだところ、いやーあビックリ!
 本題とはずれますが、血中コレステロール値は高くても問題ないことを新たな資料で解説されていますし、これを下げる薬(スタチン)が毒となる作用機序の解説もあります。
 本題の一つは、水素添加植物油脂(マーガリンには今は使われていませんが、ショートニングとして使われています)の害で、従前はトランス型が毒であると言われていましたが、その毒性は弱いものの、反応過程で生ずる化合物が特定され、それに強い毒性があることが立証されたことが書かれています。
 本題のもう一つは、原因物質はまだ特定されていないものの、菜種油など数種類の植物油に、それと同様の毒性があると言います。
 そして、動物性油脂には何ら毒性がなく、安心して摂っていいというもの。
 こうしたことについては、このブログでも近日紹介したいと思いますが、とりあえず本書のポイント(除くコレステロール)を、別の知見をおりまぜながら、当店新聞12月号で解説することとしました。

(表面)↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。

  

関連記事 納豆が体に良い訳は意外な所に(三宅薬品・生涯現役新聞N0.300) 

(裏面)瓦版のボヤキ

    てんぷらが大好物なのだが…

 

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老いも若きも毎日楽しい日記をつけませんか

2019年11月20日 | 薬屋のおやじの一日一楽日記

老いも若きも毎日楽しい日記をつけませんか 

 このブログで、毎日楽しい日記をつけて“心の病から脱却し、心に安らぎを得ましょう”と、何度か記事にしました。小生も実行しています。別立てブログ「薬屋のおやじの“一日一楽”&“2日前”の日記」がそれです。
 そのブログを毎日書いて、もう2619日となりました。最近は少々マンネリ化してきましたので、楽しいことに限定せず、身の回りで変わったことがあれば、普通の日記風に記事にしたりしていますが、意識としては“楽しかったことを書こう”と考えており、そうした普通の日記の中にも極力“楽しかった”ことをおり込むようにしています。

 ところで、毎日楽しい日記をつける効果は、他にもあります。
 若い人にとって「自分ほめ日記」ということを意識した楽しい日記を書き続ければ、人生がどんどんうまく回り始めるようになるようです。また、老いた人の場合は「いいことしか書かない日記」を書き続ければ、長寿を全うしてピンピンコロリと逝けるそうです。
 小生が長年購読している新聞「みやざき中央新聞」最新号に、たまたま、これは偶然でしょうが、隣り合わせで「自分ほめ日記」と「いいことしか書かない日記」のことが別々の方からお勧めになっていました。
 それを下に貼り付けましたので、ご覧になってください。
 なお、「みやざき中央新聞」は、月に4回発行される地方新聞。でも、読者は宮崎県内にとどまらず、全国、いや今では世界各国に広がっている、“心温まる、勇気をもらえる、感動した”内容が満載の、ちょっと変わった新聞、です。
 うちでは、1か月分の記事、約30本のなかから、これは、という記事2本ほどを選んで、A4の紙に両面コピーし、毎月のDMに入れています。お客様からも大変好評で、定期購読される方も出てきました。
 皆様にもお勧めします。詳しくは → みやざき中央新聞 紙面サンプル 

 2019年11月18日 第2813号(第2面左上より)
 人生がどんどんよくなる「自分ほめ日記」 村松大輔氏の講演録要旨

  

 2019年11月18日 第2813号(第2面右上より)
 天寿を全うした方に共通して「あること」 高橋好香女史の講演録要旨

  

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人の最適食事量は「腹五分」(三宅薬品・生涯現役新聞バックナンバーN0.213)

2019年11月10日 | 当店発刊の生涯現役新聞バックナンバー

 毎月25日に発刊しています当店の「生涯現役新聞」ですが、これをブログアップしたのは2014年陽春号からです。それ以前の新聞についても、このブログ読者の方々に少しでも参考になればと、バックナンバーを基本的に毎月10日頃に投稿することにした次第です。ご愛読いただければ幸いです。

当店(三宅薬品)生涯現役新聞バックナンバーN0.213:2013年10月25日発行
表題:人の最適食事量は「腹五分」
副題:太古の昔人のように1日1食にするしかないのです。

 ↓ 画面をクリック。読みにくければもう1回クリック。

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今は悪魔の時代ではなく、善魔ばかりの時代になった

2019年11月09日 | 心に安らぎを

今は悪魔の時代ではなく、善魔ばかりの時代になった
(真宗大谷派発行の教化冊子「2020年版 真宗の生活」より)

 本題に入る前に、このことは親鸞の思想とのかかわりが深いので、前置きが長くなるが、親鸞(1173-1263年)が生きた時代はどんなであったか、そして親鸞はどう生きたかについて、大まかに歴史を紐解いてみよう。

 鎌倉時代の始まりは12世紀末(源頼朝が征夷大将軍に就いたのが1192年)で、これでもって平安時代は終わり、王朝国家体制が崩壊した。平安末期の気候は、長く150年ほど続いた温暖期が終わり、地球が急速に寒冷化して、大陸ではモンゴル帝国が南下・西進した時期である。日本列島も寒冷化し、大量に餓死者を出した1181年の「養和の飢饉」(『方丈記』では京都市中の死者4万2300人)が有名である。また、日本のほぼ全域を巻き込み5年近くにわたって続いた「治承・寿永の乱」が同時期に起きている。武家政権の誕生は、この寒冷化が拍車を掛けたことだろう。そして、この寒冷化は50年ほど続いた。

 「養和の飢饉」のとき、親鸞は京都に住んでいて8歳であり、もうそのときは寒冷気候であった。その親鸞は若くして比叡山延暦寺(天台宗)の僧侶となり、厳しい修行を20年間積むも、29歳のとき自力(自らの力で悟りを目指す)仏教の限界を感じ、山を下りて浄土宗の開祖・法然の下に弟子入りし、他力(念仏)仏教の道を歩むこととなった。
 法然(1133-1212年)は親鸞より40歳年上だが、同じ道を歩んでおり、比叡山を下りて1175年には浄土宗を開宗し、順次弟子を抱えて京都では浄土宗がだんだん力を増した。これに脅威を感じた延暦寺は後鳥羽上皇を使って弾圧に踏み出し、1207年に法然と親鸞らの弟子7名が流罪(他に4名が死罪)となり、親鸞は4年間も越後で過ごさせられた。
 親鸞が赦免されて直ぐに法然は死に、親鸞は3年の空白期間を置いて、41歳のときから20年間ずっと東国に出かけ放しで布教し、この間に念仏仏教を大きく広げた。
 親鸞が東国布教を始めてしばらくまでの間が寒冷期であり、布教の途中から温暖期に入り、それはその後80年間ぐらい続くのだが、それまでの約50年もの長かった寒冷期において冷害や旱魃で民百姓は随分と苦しめられ、餓死の危機が去った温暖期に入っても、まだまだ心は荒んでいたことであろう。
(蛇足ながら、今日、温暖化の危機が特に日本において騒がれているが、平安時代がかくも長く続いたのは長期の温暖期(過去2千年間で最大:鹿児島県の屋久杉の年輪の炭素同位体分析による)があったからであろうと思われ、近い将来、寒冷化したらゾッとさせられる。今、やっと平安時代後期の温暖期と同等のところへ入りかけただけであり、もう一段暖かくなってほしいものである。)

 平安末期から鎌倉初期にかけての、こうした時代背景があったからこそ、南無阿弥陀仏と念仏を唱える大衆仏教が広まったと考えていいと小生は思っている。
 親鸞の教えはその後に浄土真宗となったが、法然が開宗した浄土宗と本質に変わりはない。法然は「凡夫(ぼんぷ)=煩悩にとらわれた存在、普通の人間」の救済に重きをおいたのだが、親鸞はそれを一歩進めて「悪人正機(あくにんしょうき)」をも説いた。その「悪人正機」は随分と誤解されているのが実情だ。

 随分と前置きが長くなったが、「凡夫」「善人」「悪人」(これらは仏典に登場し、釈迦が説いたと考えていいであろう)そして親鸞独自が説いた「悪人正機」について、分かりやすく解説されたものが、真宗大谷派発行の教化冊子「2020年版 真宗の生活」に出ていたので、これらと密接な関係にある、表題にした『善魔』(これは仏典にはないが、面白い言葉であるので)と併せて紹介しよう。
 なお、これらの言葉は現代の日本人にもずばり当てはまり、なかでも『善魔』は現代日本社会をありありと指し示しているのではなかろうか。

(「伝記 親鸞聖人」:東本願寺出版より)
◆他力本願
 「他力本願」といえば、現代ではよく「他人の力をあてにする」という批判的な意味で使われていますが、親鸞聖人がおっしゃる「他力本願」の意味はまったく違います。
 「他力」に対するものとして「自力」という言葉があります。この「自力」とは、自分の思いや行動によって、何かを成しとげようとする力を指します。それは一見立派なことのようですが、そこには無意識に“自分こそが正しい”とするごう慢さがひそんでいるのです。
 親鸞聖人の言われる「他力」とは、この自力にとらわれて、他者を踏みつけ、自分も悩み苦しんでいる私だと気づかせる仏さまのはたらきのことをいいます。そのような私たちにどこまでも寄り添い、そのままで救いとろうとする仏さまの大きな願いを「他力本願」というのです。
◆悪人正機
 「悪人正機」は、親鸞聖人の教えのなかでもっとも有名で、またもっとも誤解を受けているものかもしれません。「悪人正機」とは、「善人であっても往生をとげることができるのだから、悪人が往生できないわけがない」という意味です。
 この「悪人」を、世の中でいう泥棒や犯罪者と受け取ってしまうと、罪を犯したら救われるということになります。果たして親鸞聖人が教えられた「悪人正機」とはそのようなものなのでしょうか。
 人間は悲しいかな自力でしか生きることができません。その事実を気づかせるのが仏さまのはたらき(他力)ですが、自身の事実に気づかないままに、自分でどうにかなると思っている人を「善人」といいます。一方、「悪人」は、仏さまのお心にふれ、善人とはいえない自分の身の事実に気づいた人のことをいいます。世にいう犯罪者のことではないのです。
 聖人は、この他力によって生きる悪人こそ、まさしく浄土へ生まれ往く機(対象)なのだといわれているのです。

 (荒山信:名古屋教区惠林寺住職の法話)
 親鸞聖人は縁によって生きる者を「凡夫」と教えてくださっています。「縁」とは条件です。つまり条件次第で何をしでかすか分からない者を「凡夫」といいます。そして自らがその「凡夫」であることに深く気づいた者を親鸞聖人は「悪人」とおっしゃいます。また、自分の意志に従って、どのようにも生きていけると思っている者を「善人」とおっしゃいます。そして南無阿弥陀仏のいのちは「悪人」の大地となり、悪人こそ支えきろうとしてくださるのだと親鸞聖人は教えてくださっています。
 私自身、忘れられないことがあります。それは私が親しくさせていただいている中学校の先生からお聞きしたことです。不登校の生徒さんが、家族から言われて一番つらくなる言葉は、一番は「がんばれ」、二番は「気にするな」、三番は「強くなれ」だそうです。つまり元気になってもらおうと、こちらが良かれと善意で言ったことが相手を逆に追いつめていく言葉になるのだそうです。私はその話を聞いた時、本当にドキッとしました。つまり身におぼえがあるからです。子どもが学校で何かあって落ち込んで帰ってきた時に「がんばれ、気にするな、強くなれ」と言ってきたからです。
 それは、私自身、人間は自分の意志でどのようにでも生きていけるという答えをもっていたからです。まさしく「善人」の姿です。その答えを子どもにおしつけていくのです。親は善意でしているつもりでも、子どもからすれば「善魔」になるのでしょう。善意が相手を追いつめる悪魔となるのです。悪魔ではなく善魔です。
 ある先輩は、「今は悪魔の時代ではなく、善魔ばかりの時代になった」とおっしゃっていました。確かに「がんばれ」という言葉は、力のある言葉であり、ある意味、万能な言葉です。病人を見舞いに行く時なども「がんばってください」と励ますことがあります。しかし、人間は条件次第で、いくらがんばろうとしても、がんばれない時もあります。
 少し変な言い方をするようですが、「がんばれないあなたを大切にしたい」という言葉を、案外子どもは待っているのかもしれません。つまりこちらが「善意」で相手に関わろうとする時があぶないのです。なぜならば、人間は悪意でしたことならば反省できるということもありますが、善意でしている時の、その自分自身は、なかなか反省できないからです。
 ある研修会がひらかれた時でした。最後に、講師の先生にお礼をお渡しし、「先生、本当にお礼が些少(さしょう)で申し訳ありません」と言ったその時です。先生に「いらんことを言わんでもいい、それが善人の言葉なんです。わたくしは精一杯のお礼をいただいたと思っております」と、これも忘れられない言葉です。へりくだったり、謙遜するという形で、実は自分をたてているのです。それで結局は、相手を信頼していないのです。わが身の姿を、その先生に見すかされたようで本当に恥ずかしくなりました。と同時に、私のことを、私以上に、私よりも深く知ってくださっている世界があるんだというおどろきがありました。その世界を「南無阿弥陀仏のいのち」というのでありましょう。
 自分一人では自分のことはわかりません。人とのかかわりあい、つながりの中で自分がみえてくるのです。凡夫の大地になろうと、南無阿弥陀仏のいのちは、歴史を越え、文化を越え、言葉を越え、私の中にはたらき、願いかけてくださっているのです。

(関連記事)真宗大谷派発行の教化冊子「真宗の生活」バックナンバー抜粋
 2018.11.08 太古の思想家=釈迦の教えは現代に通ずる
 2015.11.18 “坊主もたまにはいい話をする”と言っては失礼に当たりましょうか。ゴメンナサイ。

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