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少ない燃料と短時間で月に到達できる軌道設計に成功! カオス軌道だと探査機の軌道が予想不可能になってしまうはずだけど…

2024年06月06日 | 宇宙 space
5月30日のこと、三体問題に由来する“カオス軌道”をいくつも渡り歩いていく手法を考案し、地球-月の“円制限三体問題”の最小モデルである“ヒル方程式系”において、地球周回軌道から月周回軌道へ探査機が向かう場合、従来の軌道を上回る、高効率で短時間、なおかつ頑健な軌道を設計することに成功したことを、北海道大学と九州大学が共同で発表しました。

本研究の成果は、北海道大学 電子科学研究所の佐藤讓准教授、九州大学大学院 工学研究院 航空宇宙工学部門の坂東麻衣教授、同・大学 工学部 航空宇宙工学専攻の平岩尚樹大学院生、ブラジル・リオデジャネイロ連邦大学 数学研究所のイザイア・ニゾリ博士たちの国際共同研究チームによるもの。
詳細は、アメリカ物理学会が刊行する物理とその関連分野を扱う学際的な学術誌“Physical Review Research”に掲載されました。
図1.今回設計された、地球から月までのカオス軌道を渡り歩いていく探査機の軌道。従来よりも高効率、短時間、頑健な軌道であることが特徴。(出所: 共同プレスリリースPDF)
図1.今回設計された、地球から月までのカオス軌道を渡り歩いていく探査機の軌道。従来よりも高効率、短時間、頑健な軌道であることが特徴。(出所: 共同プレスリリースPDF)


地球、月、探査機との相互作用

地球、月、太陽のように、3天体の相互作用により生じる運動は複雑な軌道を持つことがあり、古典力学の未解決問題“三体問題”として知られています。

それに対し、3天体のうちの1つが非常に小さな天体で、その重力の影響が他の2天体に対して無視できる場合、他の2天体の軌道は、解を得られる“二体問題”として扱えます。
このような状況では、周期運動する大きな2天体と相互作用する小天体の軌道だけを考えればよく、“制限三体問題”と呼ばれています。

さらに、2天体の軌道が円であると仮定すると、この問題は円軌道を周回する天体から重力の影響を受ける小天体の軌道に関する問題となり、円制限三体問題と呼ばれ、地球、月、探査機の相互作用系がそれにあたります。

でも、円制限三体問題は単純化されているにもかかわらず、それでもまだ解を得ることはできません。

その理由は、探査機の初期位置や初速度によって“カオス”(不規則運動)が生じてしまうからです。

カオス軌道は完全に解けない上に、探査機の初期位置や初速度の極めてわずかな誤差が、長時間後の軌道の大きな解離を引き起こす“初期値鋭敏性”を持ちます。
誤差は実際に必ず生じるので、結果として探査機の軌道は予想不可能になってしまいます。

これだと、人類は月に探査機を送り込むことは不可能なように思えますが、実際には50年以上前から幾度となく着陸機や周回機が送り込まれてきました。

その理由は、円制限三体問題の解にはカオス軌道だけでなく、実は単純な周期軌道も含まれているからです。
“ハロー軌道”のような三体問題の周期軌道がいくつも発見されているので、手に負えないカオス軌道を避け、これまでは主に周期軌道を使った軌道設計がされてきた訳です。


少ない燃料と短時間で月に到達できる軌道

このように、これまでは避けられてきたカオス軌道ですが、今回研究チームは発想を転換。
逆にカオス軌道を活用することで、今よりも燃料を節約したり、月に早く到着できたりするような軌道を設計できる可能性を考察し、力学系理論の立場から軌道設計に取り組んでいます。

今回の研究で扱われているのは、地球-月円制限三体問題の最小モデルであるヒル方程式系における、地球周回軌道から月周回軌道への旅程。
まず、同系においてカオス軌道が集積している領域(カオスの海)の周期軌道を一つ選び、この周期軌道に常に近づいていく状態の集合(安定多様体)と、常に離れていく状態の集合(不安定多様体)を、二体が最も近づく状態(近点)の切断面上で計算しています。

その切断面上で、安定多様体と不安定多様体に囲まれる領域は“ローブ”と呼ばれます。
ある近点に到達してから、次の近点に到達するまでに、あるローブは別のローブに遷移し、カオス的な動力学により変形を受けて複雑に変形していきます。
ただ、ローブに囲まれている軌道はローブの外に出ることはありません。
図2.(左)安定多様体(緑)と不安定多様体(赤)に囲まれたローブとその系列(黄、青)。(右)出発点(▲)から目標点(★)までローブ系列(赤、紫)の間をジャンプ(d1、d2、d3)させる軌道設計法。(出所: 共同プレスリリースPDF)
図2.(左)安定多様体(緑)と不安定多様体(赤)に囲まれたローブとその系列(黄、青)。(右)出発点(▲)から目標点(★)までローブ系列(赤、紫)の間をジャンプ(d1、d2、d3)させる軌道設計法。(出所: 共同プレスリリースPDF)
このようなローブの系列は、出発地点の地球周回軌道と目的地点の月周回軌道の間にあるカオスの海に無数に存在しています。

そこで考えられるのが、いくつかのローブ系列を選んで、あるローブが大幅に変形する前に、次のローブへとジャンプさせていく制御です。
つまり、地球周回軌道から出発した探査機は、選ばれたローブ系列を順に渡り歩くことで、月周回軌道に到達できることになります。

このジャンプで生じる誤差もカオスで増幅されます。
ただ、探査機がローブ内に収まっていれば、次のジャンプの制御に支障をきたすことはないようです。
つまり、不安定なのに、頑健な軌道ということです。
図3.地球-月系における探査機の軌道。地球周回軌道から2つのカオス軌道(赤、緑)を経て月周回軌道へ到達する。地球は青い点、月は黄色の点で示されている。(出所: 共同プレスリリースPDF)
図3.地球-月系における探査機の軌道。地球周回軌道から2つのカオス軌道(赤、緑)を経て月周回軌道へ到達する。地球は青い点、月は黄色の点で示されている。(出所: 共同プレスリリースPDF)
そして、可能なローブ系列の組み合わせを最適化した結果、ヒル方程式系において、既知の旅程よりも少ない燃料で、しかもより短時間で月に到達できる軌道が設計できました。
ローブの動力学を使って、カオス軌道を探査機の軌道設計に役立たせることに成功した訳です。

今回の研究で提案された解析法と制御法は、様々な力学系における高効率な軌道設計に対する一般的かつ有力な方法です。
特に、月周回有人拠点への貨物輸送や、惑星探査機の軌道設計などへの応用が期待できます。


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宇宙はいかにして理論的に期待される複雑な姿ではなく、観測から明らかになった単純な姿を獲得したのか

2024年06月03日 | 宇宙 space
東京大学宇宙線研究所の渡慶次孝気特任研究員は、パリ高等師範学校物理学部門のVincent Vennin主任研究員との共同研究において、初期宇宙の急激な加速膨張(インフレーション)(※1)の過程で、揺らぎ(※2)の量子的な振る舞いが私たちの宇宙を稀な確率で実現した結果、現在のような単純な姿が観測されるに至ったことを明らかにしています。

このことは、初期宇宙の高エネルギー環境から理論的に期待される複雑な姿と、実際に観測されているその単純な姿、という両者の隔たりを自然な理論で解消する重要な成果と言えます。

逆に、将来的な観測が宇宙の複雑な姿の痕跡をとらえた場合に、インフレーションの理論モデルを同定する大きな手掛かりを与えるものです。
※1.インフレーションとは、宇宙が生まれた直後、1000兆分の1000兆分の1秒よりももっと短い時間に起こった急激な加速膨張のこと。インフレーションが終わると、場(※3)のエネルギーが他の粒子の熱エネルギーに変換され、高温・高密度の熱い“ビッグバン”宇宙に接続される。論文や書物によっては、宇宙の本当の始まりのことをビッグバンと呼ぶこともあるので、都度確認が必要。

※2.宇宙がまだ小さかった頃は、全ての物理量は波の性質を持ち量子力学の効果も考える必要があった。このため平均値からのズレが常に存在する。このズレのことを揺らぎと呼ぶ。この揺らぎが元となり、ダークマターの密度の空間的な揺らぎが重力によって成長していく。そのダークマターの重力に引き寄せられた水素やヘリウムが集まり、星や銀河が作られ、網の目状に広がる宇宙の大規模構造を形成してきたと考えられている。

本研究の成果は、アメリカ物理学会の発行するアメリカ物理学専門誌“フィジカル・レビュー・レターズ(Physical Review Letter)”のオンライン版へ、“Why Does Inflation Look Single Field to Us?”として掲載(6月初旬の予定)されることが決定しています。
また、特に重要な研究成果を6分の1の割合で取り上げる“Editor's suggestion”に選出されました。
“稀で単純”な私たちの宇宙。真ん中から始まった小さな宇宙は、揺らぎの影響によって赤線に沿って時計回りに進化する。青線に沿って進化するよりも長時間のインフレーション=大きな宇宙を実現し、極めて単純な様相を獲得する。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
“稀で単純”な私たちの宇宙。真ん中から始まった小さな宇宙は、揺らぎの影響によって赤線に沿って時計回りに進化する。青線に沿って進化するよりも長時間のインフレーション=大きな宇宙を実現し、極めて単純な様相を獲得する。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)


宇宙が生まれた直後に急激な加速膨張

私たちの宇宙は、局所的にみると星・銀河・銀河団といった豊かな構造がある一方で、大域的にみると一様かつ等方であることが知られています。

現代宇宙論は、今日の宇宙がこのようである理由を“宇宙が生まれた直後に急激な加速膨張(インフレーション期)があったからだ”と説明しています。

初期宇宙は現代の加速器をもってしても到達不能なほどの高エネルギー環境を提供していて、これゆえ様々な素粒子の“場”(※3)が存在し、複雑な様相を呈していたことが期待されます。
※3.時空間の各点で値を持つ物理量のことを場と呼ぶ。例えば、温度は測る場所や時刻に応じて値が決まるので、身近な場の例となる。素粒子の性質を扱う場の量子論によると、全ての素粒子は対応する場によって記述される。本記事図中では、インフレーションが一つの場で実現される場合に“単一場”と言い、これと対比して複数の場が寄与する状況を“複数場”と呼んでいる。
一方、インフレーション中に生成された量子揺らぎは、宇宙マイクロ波背景放射(※4)の観測によって、その痕跡が精力的に調べられています。
でも、観測の結果は、極めて単純な物理モデルで説明されています。
※4.宇宙マイクロ波背景放射は、ビッグバン後に発せられた“宇宙最初の光”の残光。宇宙膨張の影響を受けて波長が伸び、現在は電波の波長(マイクロ波)で観測される。どの方角からもほぼ同じ強さで到来している。宇宙マイクロ波背景放射の観測はビッグバン宇宙論の根拠として、また、その強度分布や偏光分布の観測は、標準宇宙モデルの確立に大きく貢献した。
理論的に期待される宇宙の複雑な姿と、観測から明らかになった実際の宇宙の単純な姿との間にある、このような不整合に対して、これまで自然な理解を与えることができずにいた訳です。
これは、現代物理学が抱える原理的な困難の一つと言えます。


どうして宇宙はこんなにも単純な姿をしているのか

インフレーションが実現される理論モデルを考える上では、たった一つの“場”によってインフレーションが起こる“単一場”モデルに限らず、より一般にたくさんの“場”が寄与する“複数場”モデルの可能性もあるはずです。
でも、驚くべきことに、これまでの観測結果は、複雑な要素を必要としない“単一場”モデルで華麗に説明できてしまいます。

では、どうして私たちの宇宙は、こんなにも単純な姿をしているのでしょうか?
この疑問が本研究の主題となっています。

インフレーションは、生まれて間もない小さな宇宙を、現在ほどのサイズにまで急激に大きくしてしまう仕組みです。

宇宙がまだ小さかった頃の現象なので、アインシュタインの一般相対性理論で記述される重力と並んで、量子力学も重要な役割を演じています。

相対性理論では光よりも速く情報が伝わることを禁止し、量子的な揺らぎは宇宙の進化を場所ごとに揺さぶるので、ある点と遠く離れた別の点では、インフレーションの終わるタイミングが揃わなくなってしまいます。


インフレーションが長く続けば続くほど極めて単純な姿に行き着く

ところで、昨今の物価高が私たちの家計を圧迫して久しいですが、わが国が宇宙論的な意味でのインフレーションにさらされると、どうなるのでしょうか。

日本の領土がどんどん大きくなっていく中で、よく見ると、揺らぎの影響で都道府県ごとに拡大の割合が異なっていきます。
例えば、沖縄県が最も大きくなったら、上空からランダムに飛んできた鳥は、他のどの都道府県よりも沖縄県に着地する可能性が高いことが想像できます。

この時、面積拡大のために沖縄県の生態密度(面積当たりの個体数)は、極めて小さくなっていて、もともとあった生態系の多様性は失われているはずです。

図1は、本研究成果を要約するものの一つですが、ちょっとだけ先取りして今のたとえ話を当てはめてみます。

横軸を生態系の多様性と読み替えてみると、短時間しかインフレーションが起こらなかったほとんどの県が右側の黒線に対応し、逆に最も拡大した沖縄県が左側の曲線に対応します。

インフレーションが長く続けば続くほど、つまり県が拡大すればするほど、多様性の分布を表す曲線は左へとズレていき、“単純な”県となっていきます。

本研究では、このような“もっとも膨張して、宇宙の中で最大の体積を占める領域”における場の振る舞いを、確率的な手法を用いて解析しています。

確率的というのは、インフレーション中の場は揺らぎにさらされているので、ちょうど忘年会の帰り道のように揺れ動いているからです(このような運動は、ブラウン運動と呼ばれます)。

その結果、たとえ宇宙が“複数場”の状態から始まったとしても、長時間のインフレーションの過程でほとんどの場が消失し、私たちが観測している局所的な宇宙に至る頃には“単一場”の状態へ…
すなわち、極めて単純な姿に行き着くことを示しました。(図1)

これは、インフレーションが短時間しか起こらなかった場合(図2左)に比べ、揺らぎが場を“回り道”させて(図2右)、インフレーションの期間が延ばされることによって、時間を稼ぐうえで有利な場だけが生き残るためです。
図1.揺らぎの影響でインフレーションが長く続けば続くほど、私たちの宇宙は“単純”になる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
図1.揺らぎの影響でインフレーションが長く続けば続くほど、私たちの宇宙は“単純”になる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
図2.揺らぎによってインフレーションの時間が延ばされ、場が“回り道”をする。時間を稼ぐうえで不利な場がすべて焼失し、私たちが観測する局所的な宇宙は“単純な宇宙”(青い領域)の一部となる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
図2.揺らぎによってインフレーションの時間が延ばされ、場が“回り道”をする。時間を稼ぐうえで不利な場がすべて焼失し、私たちが観測する局所的な宇宙は“単純な宇宙”(青い領域)の一部となる。(Credit: Koki Tokeshi, Vincent Vennin)
本研究の成果は、理論と観測との隔たりが、揺らぎをカギとして解消されることを意味するものです。

また、逆に将来的な観測により宇宙の複雑な姿の痕跡、すなわち“複数場”の状況に限って現れる揺らぎの特徴をとらえることができれば、インフレーションの理論モデルを同定する大きな手掛かりとなるはずです。

なぜなら、それは観測可能な領域においても、単一場に向かうことのない例外的な理論モデルが必要とされるからです。


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マイクロクエーサー“SS433”に付随する分子雲から近紫外線放射を発見! 分子雲とジェットの直接相互作用

2024年05月31日 | 宇宙 space
今回の研究では、地球から約1.8万光年彼方に位置するマイクロクエーサー“SS433”(※1)の相対論的ジェットに付随する分子雲(※2)から、近紫外線が放射されていることを発見しています。

研究グループでは、近紫外線のアーカイブデータと“SS433”に付随する分子雲を比較することで、近紫外線の放射が“SS433”に一番近い分子雲だと特定。
近紫外線の放射領域が、分子雲の広がりと一致しているとことを確認しています。

さらに、分子輝線、遠赤外線のデータとの比較からは、近紫外線放射は分子雲の背後、“SS433”のジェットと分子雲の相互作用面から放射されていることを明らかにしました。

この紫外線放射が分子雲や分子雲中の星間ダストを暖め、暖められた星間ダストが遠赤外線で再放射していることも突き止めています。

この結果は、宇宙線の粒子加速や空間的に構造を分解できないクエーサーの物理現象の理解に役立つと考えられます。
※1.マイクロクエーサーは、ブラックホールと星の近接連星系のうち、ジェットを放出している天体のこと。伴星の巨星化などにより、主星の重力圏に伴星のガスが入り込むと、伴星のガスが主星に取り込まれる。こうして、主星に降り注いだガスは、主星の周りにガスの円盤を形成し、そこからジェットを放出する。クエーサーのミニチュア版ということから、マイクロクエーサーと名付けられている。
※2.分子雲は、天の川銀河の主要構成要素の一つ。他には星間ダストと星がある。分子雲の主要構成要素は水素だが、電気双極子モーメントを持たない水素分子は低温下では放射を行わない。分子雲中で水素分子の次に存在量が多く、かつ化学的に安定である一酸化炭素分子の放射を観測することで、分子雲の物理量、性質や運動を調べることができる。一酸化炭素分子は12C160(CO)が主として存在している。その同位体である13C160(13CO)は一酸化炭素分子全体の1~5%程度で、COで観測される領域よりも密度の高い領域を観測することができる。

この研究は、名古屋大学大学院理学研究科の山本宏昭助教、竹内努准教授、石川竜巳博士前期課程学生の研究グループが進めています。
本研究の成果は、2024年4月8日付の日本天文学会欧文研究報告“Publications of the Astronomical Society of Japan”に、“Near-ultraviolet radiation toward molecular cloud N4 in W50/SS433: Evidence of direct interaction of the jet with molecular cloud”として掲載されました。


最も強力なジェットを噴き出すマイクロクエーサー

マイクロクエーサーの一つ“S433”は、最も強力なジェットを出しているマイクロクエーサーです。

“SS433”から噴き出されたジェットは、根元での速さが光速の26%(秒速78,000キロ)に達し、伝搬中に減速するものの、相当な速さで周囲の星間物質に衝突しています。

この速さは超新星爆発よりも速いもの。
ただ、超新星爆発は一過性の現象なのに対し、マイクロクエーサーのジェット、特に“SS433”のジェットは長期間にわたり放出され続けているので、周囲の星間物質に与える影響は超新星爆発よりも大きいと考えられています。

今回、研究グループが見つけたのは、このジェットと直接相互作用していると予測されていた分子雲からの近紫外線の放射でした。(図1)

この領域では、野辺山45メートル電波望遠鏡の観測により発見された分子雲と、“SS433”の主星が星としての死を迎えたときに起こした超新星爆発、その後放出されたジェットにより奇妙な形に変形した電波連続波と、X線で見えるジェットの3つが同じ視線方向に状に存在しています。
図1.近紫外線放射(赤)、電波連続波(緑)、X線放射(青)の強度分布の三色合成図に、分子雲の分布をコントアで描いた図。白丸で囲まれた分子雲が本研究で注目した分子雲。(Credit: Yamamoto)
図1.近紫外線放射(赤)、電波連続波(緑)、X線放射(青)の強度分布の三色合成図に、分子雲の分布をコントアで描いた図。白丸で囲まれた分子雲が本研究で注目した分子雲。(Credit: Yamamoto)


分子雲とジェットの直接相互作用

今回の研究では、この分子雲において、分子雲とほぼ同程度に広がる近紫外線放射を発見しました。
図2は、近紫外線放射領域を拡大したものになります。

分子雲の高密度領域から放射される13CO(J=3-2)輝線(※3)の放射強度は、観測された近紫外線放射の強度と反相関の分布を示していることが分かりました。(図2a)
※3.一酸化炭素分子は永久電気双極子モーメントを持つ。この電気双極子モーメントの回転により、電磁波が放射される。放射される電磁波は量子力学的に許される不連続の準位間の遷移に限られる。基底状態をJ=0とし、J=1、2、3と準位があり、J=3から2へ遷移する際に放射される電磁波ということを示す際にCOの後に括弧書きで(J=3-2)と表記する。13CO分子のJ=3から2への遷移で放射された電磁波の場合は13CO(J=3-2)となる。
図2.近紫外線の放射強度分布(紫→青→水→緑→黄→橙→赤の順に強度が強くなる)に、以下のコントアを重ねた図。(a)高密度分子雲(13CO(J=3-2)、(b)CO(J=3-2)とCO(J=1-0)のピーク温度比、(c)ダストの熱放射。(Credit: Yamamoto)
図2.近紫外線の放射強度分布(紫→青→水→緑→黄→橙→赤の順に強度が強くなる)に、以下のコントアを重ねた図。(a)高密度分子雲(13CO(J=3-2)、(b)CO(J=3-2)とCO(J=1-0)のピーク温度比、(c)ダストの熱放射。(Credit: Yamamoto)
特に、近紫外線放射領域の中央部分では近紫外線放射が弱く見え、そこに高密度分子雲が多く存在していることが分かりました。

この反相関の分布から考えられるのは、分子雲による近紫外線の減光が効いていること。
このことは、近紫外線放射が分子雲の奥から放射されていることを意味します。

また、そこではCO分子がよく励起(※4)されていて(図2b)、同じ辺りの場所で遠赤外線放射が強くなっていることが分かります(図2c)。
過去の研究では、この部分の分子雲の温度が約55Kと求められています(Yamamoto et al. 2022)。
※4.J=1、2、3と上の準位に行くためには、その分エネルギーを必要とする。絶対温度10K程度の一般的な分子雲では、J=1やJ=2の準位に多くの一酸化炭素分子が存在するが、分子雲の温度や密度が高くなると、J=3、4とさらに上の準位に滞在する一酸化炭素分子が支配的になる。このため、準位間の遷移によって放射される電磁波の強度の比(ここではJ=3-2の遷移とJ=1-0の遷移の比)が高いところでは、分子雲の温度や密度が高いことを意味する。
一般的な分子雲の温度は10Kから20K程度。
なので、この55Kという温度は、何か外からの熱源による暖めが無い限り達成できないはずです。

これらの結果を総合すると、分子の背後から放射された紫外線が、分子雲を温めていることがが考えられます。

また、分子雲に含まれる星間ダストも同様に近紫外線放射によって暖められ、暖められた星間ダストが遠赤外線で再放射していると考えられます。

この結果から、紫外線放射はジェット分子雲が直接相互作用している、その相互作用面で放射されていると考えられ、図3のような状況になっていると想像できます。

これにより、今回の研究では、分子雲とジェットが直接相互作用していることを確実なものにしました。
図3.近紫外線放射のイメージ図。上図はこの領域の様子を上から見たもの。下図は観測結果で、上図と対応させている。上下の図ともに、青が“SS433”のジェット、赤が近紫外線放射、緑が分子雲の分布を示している。下図のコントアは13CO(J=3-2)輝線の放射強度の分布を示していて、緑で示した分子雲よりも高密度の領域となる。(Credit: Yamamoto)
図3.近紫外線放射のイメージ図。上図はこの領域の様子を上から見たもの。下図は観測結果で、上図と対応させている。上下の図ともに、青が“SS433”のジェット、赤が近紫外線放射、緑が分子雲の分布を示している。下図のコントアは13CO(J=3-2)輝線の放射強度の分布を示していて、緑で示した分子雲よりも高密度の領域となる。(Credit: Yamamoto)


宇宙線粒子を高いエネルギーまで加速できる可能性

本研究では、高速度のジェットと分子雲が直接相互作用している現場を、天の川銀河内で初めて明らかにしています。
同様の例は遠方の銀河では見つかっているものの、遠くにあるので詳しく調べることが出来ていませんでした。

このため、本研究による成果は、遠方銀河におけるジェットと分子雲の相互作用の理解につながると考えられます。

また、ジェットと分子雲の相互作用面では衝撃波が発生します。
超新星爆発では、このような衝撃波面で宇宙線粒子の加速が起きます。

衝撃波面が維持される限り、宇宙線粒子をどんどん加速することができ、どんどんエネルギーを得ることができます。

超新星爆発は一過性の現象なので、衝撃波面を維持できる時間に限りがあります。
このため、超新星爆発で加速できる宇宙線粒子のエネルギーにも限度があります。

一方、“SS433”では長期間にわたりジェットが放出されているので、衝撃面を長期間維持することができます。

これにより、超新星爆発よりも宇宙線粒子を高いエネルギーまで加速できる可能性があり、現在天文学の謎の一つでである、天の川銀河内のPeV(ペタエレクトロンボルト)のエネルギーを持つ宇宙線粒子の起源の一つになり得ると考えられます。

さらに、マイクロクエーサーはクエーサーのミニチュア版になるので、クエーサーの物理現象を近場で観測することができるはずです。

クエーサーは遠方にあるので、現在のどの望遠鏡をもってしても、その構造を分解することができていません。
一方、マイクロクエーサーはその近さのため、周囲の構造を容易に分解して、詳しく調べることができます。

このように、マイクロクエーサーの周辺環境を詳しく調べることは、クエーサーの物理的理解の助けになると考えられます。


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観測開始は2025年! 標高5640メートルの山頂に大型赤外線望遠鏡TAOが完成

2024年05月05日 | 宇宙 space
日米欧で運営される電波望遠鏡群“アルマ望遠鏡”の建設地として知られる南米チリのアタカマ砂漠。
この砂漠にそびえるチャナントール山の山頂(標高5640メートル)に、標高世界一の天文台として建設された“東京大学アタカマ天文台(TAO; The University of Tokyo Atacama Observatory)”があります。

この天文台に、口径6.5メートルの大型赤外線望遠鏡(TAO望遠鏡)のエンクロージャ(望遠鏡など機械設備一式を格納した筐体)を含めた山頂施設が完成したことを、5月1日に東京大学が発表しました。
図1.南米チリのアタカマ砂漠にそびえるチャナントール山。その山頂に建設されたTAO天文台の観測ドーム。(Credit: 東京大学TAOプロジェクト)
図1.南米チリのアタカマ砂漠にそびえるチャナントール山。その山頂に建設されたTAO天文台の観測ドーム。(Credit: 東京大学TAOプロジェクト)


標高5640メートルの山頂に作られた赤外線望遠鏡

東京大学アタカマ天文台は、東京大学大学院 理学系研究科(理学部)の吉井譲名誉教授が代表となり、1998年に立ち上げられた計画です。
当時の吉井名誉教授は、東京大学大学院 理学系研究科/同科付属天文教育研究センター教授でした。

2009年に口径1メートルのminiTAO望遠鏡が設置されて天文台として活動を開始し、標高世界一の天文台としてギネス記録となりました。
ちなみに、すばる望遠鏡などがあるハワイ・マウナケア山山頂は4207メートル、アルマ望遠鏡は約5000メートルになります。

本命となる口径6.5メートルのTAO望遠鏡の本格的な製作が始まったのは2012年のこと。
山頂の天文台施設の建設に向けた道路の本格的な工事(仮設道路は2006年に完成)が2018年にスタート、2020年に山頂の施設の建設が始まりました。
その後、2023年には観測運用棟が完成、2024年にエンクロージャを含めた山頂施設が完成しています。

TAO望遠鏡の最大の武器は、標高5640メートルという高さにあります。
この高さと地理的な条件が相まって、赤外線での観測の妨げとなる水蒸気がほとんどないんですねー
それにより、他の土地の望遠鏡では不可能な、赤外線での鮮明な視界が確保される訳です。

また、気圧が地表の半分ほどしかないという大気の薄さも、大きな武器となります。

天文台スタッフにとっては高山病のリスクがある過酷な環境での観測になります。
でも、この2つの武器により、これまでは軌道上の天文衛星でしか観測が出来なかった0.9~2.5μmの近赤外線波長と、長波長の中間赤外線のうちの40μm弱までがクリアに観測が可能となっています。

これまでの地上望遠鏡でも近赤外線の波長域は観測が可能でしたが、J,H,Kバンドなど、“大気の窓”に分断されてしまっていました。

TAO望遠鏡では、それが連続的に観測可能となるほか、大半の赤外線天文衛星に搭載されている望遠鏡に比べて、口径が6.5メートルと圧倒的に大きく、高解像度の画像が取得されることが期待されます。
図2.TAO天文台山頂施設の全景。(Credit: 東京大学TAOプロジェクト)
図2.TAO天文台山頂施設の全景。(Credit: 東京大学TAOプロジェクト)


初期の銀河を観測する望遠鏡

TAO望遠鏡の観測のメインテーマは“銀河宇宙の起源”と“惑星物質の起源”の2つあります。

銀河がどのように形成されて進化してきたのかを探るには、初期の銀河を探ることが重要となります。
でも、宇宙の膨張により、遠方銀河からの光ほど赤方偏移(※1)するため、発した時は可視光線であっても地球に届くまでに赤外線にまで波長が引き伸ばされてしまいます。
※1.膨張する宇宙の中では、遠方の天体ほど高速で遠ざかっていくので、天体からの光が引き伸ばされてスペクトル全体が低周波側(色で言えば赤い方)にズレてしまう。この現象を赤方偏移といい、この量が大きいほど遠方の天体ということになる。110億光年より遠方にあるとされる銀河は、赤方偏移(記号z)の度合いを用いて算出されている。
そのため、“初期銀河”のようなビッグバンから数億年後に誕生したと予測される銀河を観測するには、赤外線での観測が必須となるんですねー
図3.チャナントール山。TAOは標高5640メートルのチャナントール山の山頂に建設され、大気中の水蒸気が少ないことことや大気の薄さから、他の天文台では観測が難しい波長の赤外線も観測可能なことを特徴としている。(Credit: 東京大学TAOプロジェクト)
図3.チャナントール山。TAOは標高5640メートルのチャナントール山の山頂に建設され、大気中の水蒸気が少ないことことや大気の薄さから、他の天文台では観測が難しい波長の赤外線も観測可能なことを特徴としている。(Credit: 東京大学TAOプロジェクト)
具体的なテーマとしては、初期の銀河が星の材料となるガスをどのようにして獲得したか、ガスから星へと変わる星形成活動と星質量蓄積史、また赤外線銀河やサブミリ波銀河と言った遠方宇宙に見られる銀河種族に対する波長横断的な研究、そしてTAO望遠鏡だからこそ遂行可能な近傍星形成銀河の㎩α輝線観測などが考えられています。

一方、惑星物質の起源については、中間赤外線を用いることで、原始惑星系円盤のダストを直接観測することが可能になります。
TAO望遠鏡は30μm帯の中間赤外線を地上で初めて観測ができるので、円盤の中で惑星たちが生まれる過程を明らかにできると期待されています。

また、TAO望遠鏡では、ダストの直接的な観測以外にも、ダスト供給に重要な役割を果たしている様々な進化段階の星を観測することで、宇宙での物質の輪廻の問題にもアプローチできるとしています。


TAO望遠鏡に搭載される2つの観測装置

さらに、TAO望遠鏡には“SWMS”と“MIMIZUKU”という、2つの観測装置が搭載されています。

“SWMS”は、0.9~2.5μmの近赤外線において切れ目なく観測を行うことができ、9.6分角と視野が広く、2色同時観測が可能。
このことから、サーベイ能力が非常に高いことも特徴としているんですねー
銀河進化や宇宙論観測、あるいは希少天体捜査などで大きな威力を発揮するそうです。

一方、“MIMIZUKU”がカバーしているのは2~38μmという非常に広い波長範囲です。
その中でも26~38μmは、“MIMIZUKU”だけが地上で唯一観測できる新しい波長帯になります。

さらに、“MIMIZUKU”が備えているユニークな機能として2視野同時撮像があります。
この機能は、これまで中間赤外線観測では不可能だった時間変動の検出などにも威力を発揮するそうです。

この天文台に、口径6.5メートルの大型赤外線望遠鏡(TAO望遠鏡)のエンクロージャ(望遠鏡など機械設備一式を格納した筐体)を含めた山頂施設が完成したことを、5月1日に東京大学が発表しました。

今回、山頂の天文台施設が完成したことが発表されましたが、TAOの科学観測開始は2025年の予定。
いろいろと特徴を持った観測装置による成果が届くのは、もう少し先になりますね。


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中性子星の自転が突然速くなる現象“グリッチ”の起源を探る! 中性子星内部の量子流体による量子渦に着目

2024年05月02日 | 宇宙 space
今回の研究では、中性子星の内部の量子流体(※1)が導く巨大な量子渦ネットワークの持つ統計性を、世界で初めて発見しています。
※1.量子流体(超流動体ともいう)は、20世紀初めに冷却したヘリウムで発見された量子的な状態。量子流体は揃っている位相を持つので抵抗を持たない(粘性がない)流体という興味深い性質を持つ。類似的な状態として金属の超伝導(電荷もつ量子がつくる量子流体)があり、そちらは電気抵抗がゼロで電流が流れるので、応用上非常に重要。中性子星の量子流体は、Migdal(1960年)や玉垣‐高塚ら(1970年頃)による先駆的な研究を初めとして、現在も世界中でかっぱすに研究されている。
中性子星は、太陽の10~30倍程度の恒星が、一生の最期に大爆発した後に残される宇宙で最も高密度な天体です。

原子から構成される恒星とは異なり、主に中性子からなる天体で、ブラックホールと異なり半径10キロ程度の表面が存在し、そこに地球の約50万倍の質量が詰まっています。
高速な自転に伴う数ミリ秒から数秒程度の特徴的な電磁波パルスを放射し、一般に強い磁場を持つものが多い天体です。

中性子星の自転が突然急激に加速することがあります。
これは“グリッチ”と呼ばれ、中性子星の放射する電磁波のパルス周期が瞬時に短くなる現象です。
でも、なぜ起こるかは謎でした。

今回、研究チームが見つけたのは、中性子星の二つの異なった種類の量子流体による量子渦(※2)が、巨大なネットワークを形成することでした。

この巨大な量子渦ネットワークが形成される規模を数値シミュレーション計算で調べることで、モデルの詳細によらず、天文学で観測されているグリッチの統計性を説明することに成功しました。
※2.量子渦は、量子流体が回転することによって生じる紐状の(1次元的な)結果。渦の中心部は通常の流体だが、そこから遠く離れると量子流体になる、という空間的な構造を持つ。量子渦は高いエネルギーを持つ状態だが、トポロジーの性質を持つので安定に存在することができる。

この研究は、日本大学 文理学部のGiacomo Marmorini ポスドク研究員、広島大学 持続可能性に寄与するキラルノット超物質国際研究所の安井繁宏ポスドク(現・二松学舎大学 国際政治経済学部・準教授)、同・新田宗士特任教授(慶応大学 日吉物理学教室 教授/自然科学研究教育センター所員兼任)たちの共同研究チームが進めています。
本研究の成果は、イギリスのオンライン総合学術誌“Scientific Reports”に、“Pulsar glitches from quantum vortex networks, Giacomo Marmorini, Shigehiro Yasui, Muneto Nitta, Scientific Reports 14, 7857 (2024)”として、2024年4月3日に掲載されました。


自転が突然急激に速くなるという現象

中性子星は、太陽の10~30倍程度の恒星が、一生の最期に大爆発した後に残される宇宙で最も高密度な天体です。
高速な自転に伴う数ミリ秒から数秒程度の特徴的な電磁波パルスを放射していることから、中性子星は1967年にパルサーとして発見されました。

原子から構成される恒星とは異なり、中性子星は主に中性子からなる天体で、ブラックホールと異なり半径10キロ程度の表面が存在し、そこに地球の約50万倍の質量が詰まっています。

そのため、中性子星を理解するためには、中性子の量子(※3)としての性質が重要となります。
※3.ミクロな世界で粒子は点としての性質だけではなく波の性質も併せ持ち、これを量子という。代表的な量子として電子、原子、核子(陽子、中性子)などがある。量子は量子力学という法則に従うことが知られている。
また、回転速度はとても速く、速いものでは1秒間に千回転にも達することに…
さらに、一般に強い磁場を持つものが多く、地球の磁場の一兆倍にもなるんですねー

このため、中性子星は地上には存在しない究極的な物質を研究する対象として、世界中の天文学者や物理学者たちの興味を集めると同時に、この小さな天体には長年に渡って未解決の問題がありました。

それは、中性子星の自転が突然急激に速くなるという現象のメカニズムです。

私たちの地球は一年の間休むことなく規則正しく自転しています。
これに対して、中性子星の場合は自転の速さは徐々に遅くなる中で、ある日突然速くなることがあります。
このような現象は“グリッチ”と呼ばれています。

それでは、なぜ中性子星の自転は突然速くなるのでしょうか?

これまで中性子星のグリッチについては、天文学の多くの観測実験によって報告されています。
でも、グリッチが起こるメカニズムは大きな謎のままでした。

中性子星のグリッチの重要な特徴の一つは、統計性としてスケーリング則解(※4)を持つことです。(図1)
※4.スケーリング則は、フラクタルに代表されるように階層性と構造安定性を兼ね備えた複雑系に広く見られる現象で、平均値のような明確な尺度を持たないことが大きな特徴。スケーリング則の有名な例として、地球上の地震の規模の分布(グーデンベルグ‐リヒターの法則)や、経済における企業の規模や人々の収入の分布(パレートの法則)がある。パレートの法則にしたがうと、社会全体の8割の財産が2割の人々に集中することが知られている(2:8の法則)。
これまで蓄積された研究の結果、エネルギーEを持つグリッチの確率的な分布は、スケーリング則P(E)≈E^(-α)に従うことが分かりました。
さらに、最新の観測データを含めると、今回の再解析によってスケーリング則の指数はα≈0.88±0.03だと分かりました。

これまでも“渦糸の雪崩的ピン止め外れ”説などが提案されていましたが、このスケーリング則を説明することは難しい研究課題でした。
図1.観測された中性子星のグリッチのスケーリング則。(出所: 広島大プレスリリースPDF)
図1.観測された中性子星のグリッチのスケーリング則。(出所: 広島大プレスリリースPDF)


複雑に絡み合う中性子星内部の量子渦

今回の研究では、中性子星のグリッチのスケーリング則を解明するため、中性子星の内部の性質として量子流体による量子渦に着目しています。

量子渦は、水中にできる渦と同じような構造を持ちます。
ただ、水中の渦は通常すぐに消えてしまいますが、量子渦はトポロジー(※5)という性質を持つので壊れずに安定に存在し続けます。
※5.数学で発見された概念で、トポロジーは空間や物体が連続的に変形しても変わらない性質を表す。トポロジーを表す有名な例として、“穴の空いたドーナツ”と“持ち手のついたマグカップ”の形状が、トポロジーとして同じものであることが知られている。飲む・食べるといった機能性を忘れて“形状”だけに着目すると、ドーナツを連続的に変形していってマグカップに変えることができ、逆方向の変形も可能なので、両者は穴がひとつ空いているという意味で同じとなる。
中性子星の内部には、1019本という莫大な数の量子渦が一つの回転方向に揃って並んでいて、隣の渦同士はおよそ1マイクロメートル(1ミリの千分の1)という近距離のため、ぎっしりと詰まっている状態です。(図2)
図2.(a)これまで考えられていた中性子星の内部の量子渦の構造。(b)今回、新たに提案された整数渦(IQV)および半整数渦(HQV)の構造。(出所: 広島大プレスリリースPDF)
図2.(a)これまで考えられていた中性子星の内部の量子渦の構造。(b)今回、新たに提案された整数渦(IQV)および半整数渦(HQV)の構造。(出所: 広島大プレスリリースPDF)
量子流体は粘着性がゼロなので、永遠に回り続けるという不思議な性質を持っています。

中性子は、二つずつ対を組むことで量子流体になります。
その際、S波対とP波対(※6)と呼ばれる二種類の組み方があり、中性子星の内部の外側(クラスと)ではS波対、内側(コア)ではP波対という二重構造を持ちます。
※6.中性子はフェルミオン(粒子の入れ替えに対して反対称)のため、対を組むことによってボソン(粒子の入れ替えに対して対称)となり、量子流体になることができる。(金属の超電導では、電子が対を組む)この時、“お互い回っていない対(S波対)”と“お互い回っている対(P波対)”の二種類が存在する。今回の研究には直接関係がないが、P波対はトポロジカル超流動・超電導という著しい性質を持っている。
今回、研究チームが着目したのは、“S波対は1本の量子渦(整数渦)を作る”と“P波対は2本の量子渦(半整数渦)を作る”という二つの異なる性質でした。
その結果、S波対の量子渦とP波対の量子渦が複雑に絡み合うことを見つけています。

クラスととコアの違いに着目して、両者がどのように絡まるのか見てみると。

クラストからコアに向かって、S波対の1本の整数渦からP波対の2本の伴整数渦に別れます。
このような構造はブージャムと呼ばれています。
反対側でコアからクラストに向かうと、この2本の伴整数渦が再びくっつくことになります。
でも、多量の量子渦が存在するので、他の2本の伴整数渦の一方とくっつく場合があります。

このため、量子渦は隣同士で絡み合った状態になる訳です。

このようなことから研究チームでは、量子渦は中性子星全体において複雑で巨大なネットワークを形成するという理論仮説を立てています。(図3)
そして、この巨大なネットワークの回転の勢いがコアからクラストへ突如移行することで、中性子星の自転が突然速くなってグリッチが起こると考えました。
図3.整数渦(IQV)と反整数渦(HQV)が作る量子渦ネットワークの模式図。(出所: 広島大プレスリリースPDF)
図3.整数渦(IQV)と反整数渦(HQV)が作る量子渦ネットワークの模式図。(出所: 広島大プレスリリースPDF)
本研究では、実際に量子渦のネットワークの分布について、数値的にシミュレーション計算を実施。
すると、期待されていたスケーリング則を見つけ、その指数としてα≈0.8±0.2という値を得ています。
この値は、天文学の観測データに基づく値であるα≈0.88±0.03に非常に近いものでした。

このように量子渦による巨大ネットワークは、中性子星のグリッチを自然に再現することが示されました。

今回の発見の重要なポイントは、物質や模型のパラメーターの詳細によらず、単純な仮定からスケーリング則およびその指数を理論的に導き出すことができたことです。

本来、電子などのミクロな系のみに現れると思われていたトポロジカルな量子現象が、天体のようなマクロな系にも表れるというのは大変興味深いことです。

全く異なる大きさの二つの世界が、トポロジーを通してみると表裏一体である。
このような考えは、私たちの自然観の新たな基盤になるかもしれません。


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