電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

豊富過ぎると大切にされない

2012年05月18日 06時04分56秒 | 手帳文具書斎
モノがあまり豊かでない時代に育ったせいか、物を粗末にすると、なにか悪いことをしているような後ろめたさを感じます。愛用の品をとことん使うというのは、私のような世代にとってはまことに望ましいスタイルです。ところが、子供や子供の同世代の人たちを見ていると、どうも必ずしもそうではないらしい。

例えば文具です。子供たちは、プラスチック製の安価で華奢な作りの文具を豊富に持ち、カラーやシリーズで統一したりして楽しんでいるようです。ところが、これらの製品は壊れやすいのか、安いからと大切にしないのか、忘れる・失くす・探さない・名前も書かない、という具合で、我が家の子育ての不備なのかもしれないとは思いつつ、ヲジサン世代には想像を絶する事態です。クリップが取れたシャープや、キャップを失くして書けなくなったボールペンなど、使えなくなった子供の文具類をごっそり捨てるとき、ちょいと心が痛みますが、まだまだ使える筆記具を惜しげもなく捨てるのとは違い、壊れたものを捨てるのだから仕方がないと割り切ることはできます。

考えてみれば、モノが貴重だった時代には、それ一つしかないのですから、大事に使うしかない。ところが、モノが豊富で安価であれば、壊れたり紛失したりしたら、また買えばすむわけです。大事に使うという発想が出てこないのかもしれません。

普及すれば有り難味が薄れる。豊富過ぎると大切にされない。音楽の録音も、1960年代のステレオ録音が次々にパブリック・ドメインとなり、公共の財産として広く提供されるようになったとき、大切に聴かれるのでしょうか。書籍も、某中古書店の棚を眺めていると、つい同様のことを考えてしまいます。

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