電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

橘みのり『トマトが野菜になった日』を読む

2012年05月24日 06時04分07秒 | -ノンフィクション
子供の頃、トマトは生で食べるものだと思っていました。真夏にトマト畑で物色するとき、まだ青いところがあるものはパスして、真っ赤に完熟したものを選んで食べておりました。井戸水で冷やして食べるトマトは、みずみずしく適度な酸味があって、実に美味しく、トマトは野菜だという区分に違和感を持っておりました。
私が小学生の頃、老母もまだ若かったので、生活改善講習会とやらでトマト料理をいろいろ習ってきたらしいのです。カレーに湯むきしたトマトを入れると美味しくなるという話をしてくれたのに、腹ペコ小学生は早く食べられる方を重視し、「トマトなんかどうでもいいから、早くカレー食べたい~」とせがんだ記憶があります(^o^)/
時は流れて数十年、今ではレトルトカレーにトマトを加えるブログ記事(*1)を書いています。

さて、そのトマトですが、いつ頃どんな経緯で日本に伝わったのか。例によって興味を持ち、橘みのり著『トマトが野菜になった日』(1999年12月、草思社)を読みました。後書きによれば、カゴメ株式会社創業百年を記念して企画された事業のようで、トマトのルーツを尋ねて世界をたどる調査旅行をまとめた本のようです。しかも、あっと驚くような記述が満載でした。

十六世紀前半に新世界アメリカからもたらされたトマトは、旧世界ヨーロッパですんなり受け入れられたわけではなかった。毒がある、媚薬かもしれないといういかがわしい噂から、なかなか食用「野菜」としては認められなかったのである。(p.125)

トマトは、フランス革命時に、南フランスから「ラ・マルセイエーズ」とともにパリに入り、定着したのだそうな。1862年にパリ~リヨン~地中海線の鉄道路線が一本につながると、南仏の豊かな食材がどっとパリになだれこんだ、という背景もあったようです。トマトソースやトマトポタージュなど、レストランでトマト味は割高だったそうです。

また、美食家で有名だったロッシーニは、友人にあてた手紙の中で、

「マカロニ料理がおいしく仕上がるのは、良いパスタ、良いバター、真にすばらしいトマトソースとパルメザンチーズを使った場合だけ。パスタをゆで、混ぜ、供するには、知性が要求される」

と書き残しているそうな。(p.146)

1885年に出版された『クレオール料理』というタイトルの本の中で、著者ラフカディオ・ハーンは、こんなふうに言っているとのこと。

この中でトマトは、あらゆる煮込み料理に使われていると言ってよい。特に、肉の煮込み料理には欠かせない材料となっている。(p.156)

プレーンビーフスープ、ピカントトマトソース、パミセリまたはマカロニスープ、野菜入りトマトソースなどのレシピもあるといいますから、これは興味深いものです。

トマトケチャップは魚醤がルーツというのも驚きでした。たしかに、ケチャップという語は英語的ではない。インドネシア語が語源だという説明は納得できます。

日本では、文久2(1862)年に、横浜の居留地で、ヘボン夫人(ヘボン式ローマ字の創始者の夫人)が、自家菜園にトマト、レタス、セロリなど多種の西洋野菜や西洋果実を作って収穫したという記録があるそうです。(p.192)
このときは、いちご、玉ねぎ、キャベツ、にんじん、ハツカダイコン、ジャガイモなどのほかに、トマトも栽培されていたようです。なんとなく、伝統的な食習慣に対して頑固なご婦人を連想してしまいます(^o^)/

それにしても、おもしろい本でした。これだけ楽しめるのですから、トマトも本望でしょう(^o^)/

(*1):一人暮らしで簡単・美味しいカレーの作り方~「電網郊外散歩道」2008年5月
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