電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉村昭『生麦事件(上)』を読む

2012年05月26日 06時01分52秒 | -吉村昭
生麦事件という出来事は、たしか日本史で習いました。薩摩の殿様の行列と、事情にうとい外国人の衝突事件で、幕末にはよくある事件の一つ、という程度の認識でした。最初は、史実を丹念に掘り起こして物語とする練達の書き手である吉村昭氏が、この事件をどのように描いているのか、という興味で読み始めたのですが、どうしてどうして、事件の歴史的意義はそんなものではありませんでした。今回、再読となる『生麦事件』(上巻、新潮文庫)について、あらすじをたどることは割愛し、感じたことをそのまま列挙することといたします。

(1) 犠牲となったリチャードソンは、実は帰国するばかりになっていたのだそうな。異国でハイキング気分で馬による遠乗りを計画した友人に誘われ、薩摩示現流で二度も斬られ、内臓を露出させながら逃げる途中に落命するという不運。なんとも皮肉な結果です。
(2) イギリスの代理公司ニールと領事ヴァイスの対応は対照的です。当座の感情では、商人たちや領事の感情の爆発は理解できますが、東海道を封鎖せよとか島津久光を処刑せよとかいう要求は無茶です。ニールの対応は、犯人追及と賠償要求で、軍事力を背景に戦争も辞さない強硬なものです。右に左に行動する領事の姿は、慎重なニールよりも信頼できるものに映ったことでしょうが、事態を前に進めたのは、結局はニールの外交交渉だった、ということでしょう。
(3) 薩摩藩側の対応もひどいものです。不逞浪人によるもので薩摩藩は無関係と言い繕い、次は岡野何某という架空の藩士をでっちあげ行方不明と言い逃れようとするなど、およそ責任ある対応とは言い難い。それに比べて、攘夷と事件とを切り離し、賠償金でまず事件の決着を図った幕府の老中格の小笠原長行の論理的で冷静な対応が光ります。
(4) 攘夷を決行した長州藩の現実は、当然のことながら、散々な敗戦でした。現地で戦争の無謀を説いた中島名左衛門の堂々たる論陣は見事ですが、これを面白くなく思い、テロで殺害した藩士たちは、おろかな暴発としか言いようがないでしょう。後に、英米蘭仏の手痛い反撃を受けたとき、中島名左衛門の暗殺を後悔し悔しがっても遅い、ということでしょう。

この上巻では、生麦村で起こったローカルな事件が、長州赤間関での戦闘を経て、いよいよ薩英戦争へと突入する歴史的な事件となる経緯が、実に説得力ある描き方となっています。思わず引き込まれる抜群の面白さです。

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