電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

年末年始と喪中〜私の場合

2023年01月01日 06時00分29秒 | 季節と行事
身内が亡くなると、喪に服するということで、身を慎み旅行など外出を控え、悲しみを表す習わしがあります。服喪の期間は時代によっても異なるようで、古代の中国では宮城谷昌光『晏子』のように戦乱の中で三年間も茅屋に起居する話(*1)が伝わりますが、現代では形式としておおよそ一年間とされることがマナーページなどでは説明されているようです。しかし、実際に一年間も厳格に喪に服することになれば、個人的には職を失い、社会的にはさまざまな社会活動に支障を生じることになるでしょう。そこで、社会的に了解を得ている期間としては、公務員等の忌引休暇の日数が参考になります。この場合、亡くなった人が親であれば7日、子であれば5日、祖父母や兄弟姉妹の場合は3日というように決まっており、葬儀等の行事の準備と後始末を含めて、責任の重さに応じて日数が定められているようです。この期間をすぎれば出勤して仕事につきますが、その他に宴会や旅行、神社等への参拝、年賀を含む祝い事などは行わないとされているようで、このあたりが四十九日あるいは一年間とするのが現代における了解事項となっているのかな、と思います。

ところで、喪中だから慎むべしとされていることの中には、必ずしも納得できないというか、個人的に思うところがあります。それは「肉食と歌舞音曲の自粛」です。ドライアイスなどがなかった時代には、時間の経過とともにどうしても遺体の損傷が進み、死臭が避けられなかった(*2)ことでしょうし、冷凍冷蔵技術と設備のなかった時代には魚肉の腐敗臭は遺体の損傷を思わせる面があったことでしょう。火葬が一般的でなかった時代には土葬が中心だったでしょうし、食中毒による死亡率が高く平均寿命も短かったこともあり、遺族の悲しみの感情を考慮して魚肉を食材とすることを避けるような意味もあったのかもしれません。しかし、火葬が主となった現代においては、このような連想は意味がありませんし、遺族の疲労や元気の回復のためにも、むしろ動物性タンパク質は積極的に摂取すべきだろうと思うのです。

また、歌舞音曲といえば、江戸時代などは芝居小屋や遊郭などに出かけたり、防音性能の低い庶民の長屋の中で音が他人の感情を逆なでする場合もあり、周囲の目(耳)が厳しくなる面もあったのでしょう。現代でも同様の事情はありましょうが、一方でパーソナルな機器で静かに音楽を再生し耳を傾けることで心が慰められる面もあり、一概に歌舞音曲は慎むべし、と決めつけることもできないのではなかろうか。

ということで、この年末年始における私の服喪のあり方は:

  • 年賀状は出さない。道で会った人に「おめでとうございます」は言わず、「昨年はお世話になりました」「本年もよろしくお願いします」くらいにとどめる。
  • 酒席・宴席には参加しない。もっとも、退職とコロナ禍の現状では、こうした機会は激減しています。
  • 「死=穢れ」を嫌う神社への参拝はしない。ふだんから初詣の習慣はありませんので、例年と変わらないのですが。年賀の寺参りも、総代ではありますが今年は他の方々にお願いして自宅で過ごすことといたします。
  • 旅行はしないで自宅とその周辺の雪かきに精を出すことにしましょう。
  • 食事については、普通に魚や肉を使った正月料理をつくり、食べます。仏壇にも、故人が好きだったものを供えます。
  • 音量や曲目は考えるけれど、音楽を聴くことを自粛はしません。

といったところでしょうか。

95歳で亡くなった母は、ふだんから「充分に生きた、満足だ」と言っておりました。私たち夫婦も、母の不在でがらんとなった部屋を見ると一抹の寂しさはありますが、深い悲しみといったものはありませんで、むしろ同居してともに生活し見送ることができたという意味で、良かったと満足感を感じているところです。

(*1): 宮城谷昌光『晏子』を読む〜「電網郊外散歩道」2005年5月
(*2): 香をたく習慣は、おそらくは強い香りで死臭を隠し、故人を悼む人々の感情を妨げないことの意味もあったのではなかろうか。

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