徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

城彩苑の賑わい

2024-05-02 20:43:08 | 熊本
 今日は少し距離を伸ばして熊本市民会館辺りまで歩いた。帰りは熊本城の観光施設「城彩苑」 を通り抜けて二の丸広場へ上って帰った。城彩苑は大型連休中とあって大勢の観光客で賑わっている。そして聞こえてくる会話は中国語がほとんどだった。
 帰ってから夕方のRKKテレビのニュース情報番組「夕方Live ゲツキン!」を見ていると、さっき通ったばかりの城彩苑の話題が取り上げられていた。
 それによると、城彩苑の来場客数が過去最多になったという。昨年3月から1年間の売り上げが、前年比では155%、コロナ前の2019年よりも140%だという。来場者数は前年から68万人ほど増え、過去最多の226万2000人、店舗の販売高は去年の1.5倍以上と過去最高を記録したそうだ。好調の要因は、台湾からの観光客の増加だそうで、TSMCの進出効果もあるのだろう。海外からの団体客の4分の3ほどは台湾からで、タイなど東南アジアからの観光客も増えているという。また円安の影響で客単価が増えたそうだ。こうした状況のなかで懸念されるのがやはり「オーバーツーリズム」。食事の予約が取れないという状況も出ているようで、これからさらに観光客が増えることを想定した対策が求められるという。


今日聴きたいと思った音楽

2024-05-01 22:45:56 | 音楽芸能
あなたの思い出(Memories of You)
 今年に入ってから、送られてくるブリヂストンのOB会報に知人の訃報が多くなった。かつての上司や同僚など、お一人お一人の在りし日のお姿を思い出し、その人と接した場面の思い出に浸っている。




肥薩おれんじ鉄道
銚子大漁節
 先日、熊本県と鹿児島県の間で運行している第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」と千葉県の「銚子電鉄」との間で事業連携の協定を結んだというニュースが流れた。一瞬「?」と首をかしげたが、きっと何かメリットがあるのだろう。いや是非メリットを生み出してほしい。


ブリヂストン吹奏楽団 with 玉名女子高吹奏楽部

2024-04-30 20:01:12 | 音楽芸能
 6月15日、玉名市民会館で「ブリヂストン吹奏楽団久留米 玉名チャリティコンサート2024」が行われる。11年前のこのコンサート以来、この楽団の演奏をナマで聴いていない。久しぶりに聴きに行ってみようかと思っている。思えばこの楽団の防府市公会堂でのコンサートの企画運営を担当してから47年の月日が流れた。そしてこの楽団のメインテーマ曲は昔も今も「どこまでも行こう」。ブリヂストンのCMソングとしてお馴染みの曲である。11年前の玉名公演と同様、今回も玉名女子高校吹奏楽部との共演となった。全日本吹奏楽コンクールにおいて金賞常連の二つの楽団の共演は見もの聴きものである。
  • 開催日:6月15日(土)
  • 会 場:玉名市民会館大ホール

   ▼ブリヂストン吹奏楽団久留米

   ▼玉名女子高等学校吹奏楽部

清正公(セイショコ)さんと木遣

2024-04-29 20:19:03 | 歴史
 昨日、加藤神社で行われた「清正公まつり」で「木遣」と「梯子乗り」が奉納された。このまつりで「木遣」を見たのは初めてだったので「オヤ?」と思ったのだが、考えてみれば清正公と「木遣」は縁が深い。なるほどなと思った。

 慶長15年(1610)、徳川家康による名古屋城の天下普請の際、加藤清正は最も難工事といわれた本丸の石垣工事を担当した。この名古屋城築城時の清正公の働きぶりについては江戸時代に書かれた古文書「続撰清正記」に詳しい。これを「肥後史話」(卯野木卯一良著・昭和56年)では次のように解説されている。

 この時の清正の工事の活動振りは目ざましいものであった。かつて熊本大築城の経験もあり、慶長11年には江戸城の築城にも参加していたので、今度の工事は知れたものである。自ら進んで天守閣の築造を引き受け、寵臣である飯田覚兵衛をして朝鮮陣の当時に習得したという築造法の手腕を振わしめ、その成績は人目を驚かした。そうして巨大な角石などを運搬する時には、ことさらに華々しい装いをして人目をそばだたしめた。まずその大石を赤い毛氈で包み、大きな青色の綱でからげて、その上に突っ立ち上って大音声で、木遣り音頭などを唄われる。5、6千人の老若男女、いずれも華美な衣装に身を飾って、唄に合わせて綱を引く。酒は飲み次第、行商や露店の飲食物を値段かまわず買い上げて、食い放題飲み放題というので、後には見物人も商人も飛び込んで綱にとり付き、手拍子合わせて浮かれながら、えいやら声でみるみるうちに、大石を名古屋に運び着けるという賑わい。こうしてさすがの大工事も同年3月から8月までの間に無事竣成して、9月清正は熊本へ帰国せられたのである。
  「音に聞えし名古屋の城を踏みや馴らいた肥後の衆が
   及びなけれど万松寺の花を折りて一枝ほしうござる」
これは当時、名古屋市中で謡われた小唄である。万松寺というのは清正の本陣で、その寺の庭に大木の桜があったのを、美しい肥後武士によそえて謡った肥後衆賛美のものであるという。

 その時唄われた木遣唄は、伊勢神宮の御神木を曳くときに唄われるようになり、それをもとに伊勢音頭へと発展し、全国に広まったのである。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」 という歌詞はそんな故事にならったものかもしれない。
 なお、名古屋城には「清正公石曳きの像」(上の写真)が建てられている。

続撰清正記「尾州名護屋普請の時、大石引く事」


尾張名所図会「加藤清正石引の図」


清正公石引の木遣唄をもとにした「伊勢音頭」

清正公まつり

2024-04-28 19:59:22 | イベント
 今日は加藤神社の「清正公まつり」が行われたので、参拝後、御神幸の宮出しを見てきた。長く途絶えていたこの祭を昭和50年(1975)に復活させ、今年が50回目だという。1975年と言えば、仕事が最も忙しかった頃で、翌年には転勤で熊本を離れたので、実はこの祭のことは知らなかった。それから約20年後熊本に帰ってからこの祭を知った。子供の頃、加藤神社は京町台の新堀にあり、境内は遊び場の一つでもあったが、戦後30年経ってから復活したこの祭には縁がなかったのである。
 今日は気温が27℃まで上がり、御神幸の参加者、特に子供たちは厳しい道行となっただろう。一昨年まで7月下旬に行われていたこの祭を暑さ対策もあって4月開催に変更した効果もあまり感じられないほどだった。


木遣唄と梯子乗り


巫女たちも御神幸へ


神輿の宮出し(一の宮)


神輿の宮出し(二の宮)

叔母の旅立ち

2024-04-26 20:21:19 | ファミリー
 御殿場の叔母が旅立った。いつ見てもニコニコしている叔母だった。まだ80を過ぎたばかりと思っていたのにあっけない最期だった。叔父(母の弟)は若い頃からずっと御殿場の自衛隊にいたので御殿場で知り合って結婚した。もう60年近くも前になるが、僕は大学生で川崎に住んでいたので、唯一の花婿側親族として結婚式に出席した。初めて叔母を見た時、玉名の叔母(叔父の姉)の若い頃にそっくりだなと思った。叔父にそのことを言ったら、「そうかなぁ」と首をひねっていたが、叔父は無意識に姉上に似た人を選んでいたのかもしれない。僕は学生時代や東京勤務時代に何度も御殿場の叔父の家を訪れた。東京を離れてからは行く機会がなくなった。叔母が健在なうちにもう一度行きたかった。今頃叔母は早世した長女と再会していることだろう。今でも時々、叔父の結婚式で初めて御殿場へ行った時、東横線、東海道線、御殿場線と乗り継いで行った旅のことを懐かしく思い出す。
 叔母への感謝と愛を込めて。


御殿場から見る富士山 FUJIYAMA DAYS. http://shikinofuji.com/さんより

庭の山椒の木

2024-04-24 20:58:29 | 
 家内と庭の山椒の木の実を摘んだ。葉の中にうっかり手を突っ込むとトゲが刺さるので用心には用心を重ねて実を摘もうとするのだが、やっぱり時々刺さって痛い。古い山椒の木はトゲがなくなるとも聞くが(人間と同じか)、やはりトゲがあったほうが若々しい感じがする。家内が作る「ちりめん山椒」が楽しみだ。
 「庭の山椒の木・・・」と聞くと、必ず思い出すのが宮崎県民謡「ひえつき節」の歌詞問題だ。下の動画を公開してしばらく経った頃、冒頭の歌詞「庭の山椒の木」というのは間違いで、「山茱恪(さんしゅゆ)の木」が正しいというご指摘を数件いただいた。これは一種のフェイク情報で、この唄の発祥地・椎葉村の担当課が「さんしゅうと唄うのは地元の方言で山椒が正しい」というメッセージを発信されてから鎮静化したが、一時は舞踊の指導的立場の方まで「山茱恪」説を唱えておられたと聞く。フェイク情報というのはこうして広まって行くんだなぁと認識させられた経験だった。






自己表現欲求とパソコン

2024-04-23 20:37:25 | PC
 長嶺でパソコン教室を開いていた頃、習いに来ていたMさんが久しぶりにやって来た。いつものように西原村産のさつまいもを抱えていた。全国の品評会でも上位にランクされるというさつまいもで、甘くて美味、本当にありがたい。
 今日の来意は、しばらく離れていたパソコンを再開したい。ついては新しいパソコンを購入したいのでアドバイスをということであった。彼が初めて習いに来たのは2000年頃で、ちょうど国を挙げて「IT革命」などと喧伝している最中だった。彼は当時1級建築士として多忙な頃だったが、CADなど新しい技術には少々乗り遅れ気味だった。パソコンを基礎から学びたいということでExcelやWordなどを教えたと記憶している。それから10数年後、体を悪くして彼は仕事から退いた。そして70歳を過ぎた今、もう一度パソコンで何かやれないだろうかと思い立ったらしい。
 これといった趣味もお持ちでないようで、おそらく年齢的なこともあって「自己表現欲求」が湧いて来たのではないかと思う。また後日、古いパソコンを持って再訪問するそうなので、新しいパソコンに買い替えるかどうかはさておき、目的を明確化し、彼の生きがいにつながるようなアドバイスをしたいと思っている。


熊本城二の丸の老木と点検・手入れをする人たち

山形愛羽選手 今シーズンも快調!

2024-04-22 21:15:36 | スポーツ一般
 日本グランプリシリーズ2024第2戦「吉岡隆徳記念出雲陸上競技大会」が4月13・14日、島根県出雲市で行われた。今春、熊本中央高校を卒業し、福岡大学に進学した女子短距離のホープ山形愛羽選手が期待通りの走りを見せ、100mのA決勝で3位と活躍した。予選では11秒46の自己新を記録、彼女の念願だった11秒4台に突入した。予選決勝を通じ、兒玉芽生や君嶋愛梨沙らのトップランナーに一歩も引けをとらなかった。これからさらに彼女の特長であるピッチ走法と後半の加速を磨いて行けばパリ五輪のリレーメンバーも夢ではないと思う。今年の山形選手から目が離せない。




鏡子夫人の証言

2024-04-21 22:06:24 | 文芸
 漱石夫人の夏目鏡子さんが口述し、娘婿の松岡譲さんが筆録した「漱石の思い出」を読んでいると、関係者しか知り得ない漱石作品の「behind the scenes」を見るようでなかなか興味深い。
 その中の一つ、「草枕」の一節、画工が「那古井の宿」の浴場に入っている時、湯煙の中に「那美さん」が手拭いを下げて湯壺へ降りてくる場面についての鏡子夫人の証言が面白い。
 小説の登場人物は画工と那美さんの二人だけだが、実際には漱石と同行した山川信次郎の二人が浴槽に入っているところへ裸で入って来た前田の姉さん(那美さんのモデル)がびっくりしてあわてて逃げ出したが、実は別の女中さんも裸になりかけていたというのが真相のようだ。また、漱石と山川信次郎は、名士を迎えるために造られたというこの前田家別邸で一番上等の「三番の部屋」に逗留したが、家の人たちはみな「三番のご夫婦さん」と呼んでいたそうで、二人の関係性がうかがわれる。


「三番の部屋」と呼ばれた漱石が逗留した部屋

 小説にはこう描かれている。


松岡映丘筆「草枕絵巻・湯煙の女」


浴槽