徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

夏井いつき先生のご推奨

2015-01-31 20:46:41 | 文芸
 来年の「漱石生誕150年、来熊120年」に関連して熊日新聞に「熊本の漱石」と題する著名人のコラムが連載されている。今朝はその第4回で、今、テレビで人気の俳人・夏井いつきさんが書いていた。MBS毎日放送の「プレバト!!」の人気企画「俳句の才能査定ランキング」における歯に衣着せぬ辛口批評は、毎回痛快である。中でも僕が特に記憶に残る批評が、「あたかも自分の脳から生まれたような錯覚をしている俳句」というもの。これはたしか元AKBの子の作品をバッサリ切り捨てた時のものだったと思うが、その俳句がどうこうというよりも、最近の芸能界全般に当てはまるような気がした。
 それはさておき、コラムの中で夏井さんは、漱石の俳句でいちばん好きなのは、熊本時代に詠んだ「菫程な小さき人に生まれたし」だという。「こういう独白が作品になりうることと、そのかれんな心根に、衝撃を受けました。澄み切った感性が漱石という人間をぴーんと貫く核だったのかと思うと、猫でも坊っちゃんでもない漱石像が見え、惚れ直しました。」と述べている。
 数ある漱石の俳句の中でも、僕の最も好きな一句でもあるので、夏井さんの言葉になんだか嬉しくなった。


ちょっぴり寂しい春まつり・・・

2015-01-30 19:39:37 | イベント
 明日で1月も終り、早くも2月。熊本の街も春まつりのシーズンに入る。しかし、今年はここ3年続けて行われた「城下町くまもと時代絵巻」が計画に入っておらず、ちょっぴり寂しさを感じる。資金的な面などで厳しい状況にあることは重々承知の上だが、次年度以降のできるだけ早い復活を願っている。

▼「城下町くまもと時代絵巻2014」の様子









偉人たちが眠る丘

2015-01-29 20:10:48 | 歴史
 昨日、栗田さんがフェイスブックで秋山玉山のことについて触れておられたので、だいぶ前に撮影したこのビデオのことを思い出した。2年前くらいにアップしているが、実際撮影したのはその数ヶ月前でなかったかと記憶している。
 ここは、熊本市の中心部、住宅街に取り囲まれた150mほどの高さの山、立田山の麓に位置する小峰墓地の一角である。熊本藩校時習館の初代教授・秋山玉山、大河ドラマ「花燃ゆ」にも登場する熊本藩の勤王の志士・宮部鼎蔵、三島由紀夫に影響を与えた神風連副隊長の加屋霽堅、くまもと全国邦楽コンクールにその名を冠する偉大な音楽家・長谷検校らのお墓が集まっている。さらにラフカディオ・ハーンが愛し著書「石仏」にも登場する鼻欠け地蔵があるのもこの一角だ。僕は年に数回ここを訪れ、まとめてお参りするのだが、いつも不思議なパワーを感じる。僕にとってのパワースポットである。


2月は着物で水前寺!

2015-01-28 19:42:35 | イベント
 水前寺成趣園では、2月を「きもの月間」として、着物に関連した様々なイベントが行われます。        
 下のチラシをご覧いただき、ぜひ、お誘いあわせの上、「水前寺成趣園きもの月間」に足をお運びください。

※クリックして拡大できます




巨匠と食事のはなし。

2015-01-27 19:49:28 | 映画
 今朝のNHK「あさイチ」では「すき焼き」がテーマになっていたが、こんなクイズが出題された。「東京物語」などで知られる日本映画の巨匠小津安二郎監督は、脚本を書く時に定宿としていた神奈川県の茅ヶ崎館で好物の「すき焼き」をよく食べていたらしいが、「すき焼き」のシメとして最後に加えた食材は何か、というもの。「カレー粉」「トマト」「チーズ」の三択問題だったが、「カレー粉」と答えた解答者はいなかった。小津監督が茅ヶ崎館を使ったのは戦前から戦後の昭和30年代にかけて。まぁ僕らの年代にとっては「トマト」や「チーズ」であるわけはないことはすぐにわかるのだが、実は小津監督の「カレーすき焼き」は映画通には結構知られている。
 小津監督と並び称せられる巨匠黒澤明監督の肉好きも有名だが、名作「七人の侍」を作った時、「ビフテキの上に鰻の蒲焼を乗せ、その上にカレーをぶっかけたような映画を作りたかった」と語っている。要するに「これでもか!」というほどのおご馳走だという意味なのだろうが、「ビフテキ」も死語に近いし、現代人はこの三つの組み合わせではたして、もの凄いおご馳走だと思うだろうか。やはり時代を感じさせてほほえましい。
 ちなみに昭和6年、僕の父が初任給をもらって同僚と街に繰り出し、当時一番の八木デパートのレストランで食べた料理がライスカレーだったそうだ。

 

北琵琶湖 竹生島(ちくぶしま)

2015-01-26 21:23:59 | 音楽芸能


 滋賀県の彦根にいた頃、一度行ってみたいと思いながら行けなかったところの一つが琵琶湖の北部に浮かぶ竹生島だ。ある年の夏休みに家族と遊覧船で彦根の沖に浮かぶ多景島に渡った。次の夏は竹生島だなと思っていたら、転勤になってしまい、竹生島はとうとう行かずじまいになってしまった。
 竹生島は古より「神の住む島」と呼ばれた聖なる島。都久夫須麻神社や宝厳寺などの由緒正しい寺社もあり、土日には観光客やお遍路さんたちで溢れる。白洲正子の「近江山河抄」にこんな一節がある。

「竹生島がいつも女性にたとえられるのは、その姿が優しいだけでなく、母なる湖を象徴したからであろう。祀られているのも、ツクブスマという女神で・・・」

 そんな竹生島を題材にした金春禅竹の作ともいわれる能「竹生島」のあらすじは次のようだ。

 延喜帝(醍醐天皇)の臣下が、竹生島の弁才天の社に詣でようと、琵琶湖にやって来ます。臣下は、湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り舟に便乗し、湖に浮かぶ竹生島を目指します。湖春のうららかな景色を眺めるうちに竹生島へ着き、老人は臣下を社に案内します。連れの女も一緒に来たので、臣下は老人に、竹生島は女人禁制ではないのか、と問いかけます。するとふたりは、竹生島は女体の弁才天を祀り、女性をお隔てにならないと返し、島の由来を臣下に語り聞かせます。その後女は、自分は人間ではないと明かして社の御殿に入り、老人は湖の主であると告げ、波間へ消えていきました。
 臣下が社人に宝物を見せてもらい、時を過ごしていると、御殿が鳴動し、光輝く弁才天が現れます。壮麗な天女の姿で、弁才天が夜の舞楽を奏するうちに、やがて月が湖上に澄み輝く頃を迎え、湖中より龍神が現れました。龍神は金銀珠玉を臣下に捧げ、祝福の姿を表します。そして、ある時は天女となって衆生の願いをかなえ、ある時は下界の龍神となって国土を鎮めるのだ、と衆生済度の誓いを現した後、天女は社殿に入り、龍神は湖水の波を蹴立て、龍宮のなかへ飛び入りました。(the能ドットコム)より

 その能「竹生島」をもとにした長唄が下の長唄「竹生島」で、詞章もほとんどそのまま使っている。



弥生半の海の面、霞わたれる朝ぼらけ、長閑に通ふ船の路、うき業となき心かな
此の浦里に住みなれて、明けくれはこぶうろくづの、数をつくすや釣人の、誓の船に法の道
比良の根颪吹とても、沖漕ぐ船はよもつきじ、旅の習のおもはずも、
雲井のよそに見し人も、同じ小船になれ衣
あれ竹生島も見えたりや
船が着きて候、御上り候へ
不思議やな、此の島は女人禁制と承り候に、あれなる女人は何とて参られ候ぞ
それは知らぬ人の申す事にて候、
忝くも此の島は、九生如来の御再誕、
そりや言はいでも住の江の、松のひじやうも妹と背の、そのあひ中はあるものを、
弁財天は女体にて、結ぶ縁の糸竹に、道も守りて新たなる、天女と現じましませば、
女子に隔てなみならぬ、深き心の願事も、利生は更におこたらず
何の疑ひ荒磯の、島松影のあま小舟、乙女の姿忽に社壇の扉へ入るとよ見えしが、
又釣人も立帰り、波間に入らせ給ひけり
実に/\かゝる有様に、信ずる心弥勝る、神の示現を松のかげ
御殿頻に鳴動して、光り輝く日月の、山の端出る如くにて、現れ給ふぞ忝けなき
抑々是は此の島に住んで臣を敬ひ、国を守る弁財天とは我が事なり
虚空は音楽数々の、花降り下る春の夜の、月に輝く乙女の袂、かへす/\も面白や
夜遊の舞楽も時過ぎて/\月澄み渡る海づらに、波風頻に鳴動して、下界の龍神あらはれたり
龍神湖上に出現して/\
光も輝く金銀珠玉、彼のまれ人に捧ぐるけしき、有難かりける奇特かな/\

華やかに邦楽の宴開く! ~第50回熊本県邦楽協会演奏会~

2015-01-25 20:01:51 | 音楽芸能
 第50回熊本県邦楽協会演奏会が、くまもと森都心プラザホールに於いて行われました。今回は協会創立50周年記念とあって特別プログラムの「越後獅子」など、例年にも増して華やかな演奏が繰り広げられました。



花と誠の会(1)


花と誠の会(2)


花と誠の会(3)


花と誠の会(4)


特別プログラム「越後獅子」の制作について語る杵屋五司郎さん


▼特別プログラム「越後獅子」




50年来の友 「青ガエル」の引退

2015-01-24 17:23:22 | ニュース
 今朝の熊日新聞に「青ガエル」の引退のニュースが載っていた。「青ガエル」とは熊本電鉄の5000形車両のことだ。現在、熊本電鉄には2両の「青ガエル」が稼働しているが、そのうちの1両が老朽化のため2月下旬で引退するという。もう1両も来年3月までの予定だそうだ。
 僕が「青ガエル」と初めて出逢ったのは50年前。1964年に上京して大学進学したが、通学の交通機関として利用したのが、元住吉・渋谷間の東急東横線。そしてその頃、東横線の主力車両としてバリバリ活躍していたのが「青ガエル」だった。以来、4年間の通学にお世話になった。大学を卒業してからは東横線を使うこともなくなり、「青ガエル」を見ることもなかった。それから30年後、僕は郷里の熊本に帰って来たが、なんとそこで、「青ガエル」と再会したのである。僕が熊本に帰る10年ほど前、「青ガエル」は東急電鉄から熊本電鉄が譲り受け、第二の人生を送っていたのである。上熊本・北熊本間という僕にはほとんど縁のない区間だが、僕の家からは毎日、打越橋の上を走る「青ガエル」が見える。旧友が相変わらず頑張っている姿を見てホッとするような、そんな気持になったものだ。その「青ガエル」もいよいよ役割を終える時期が近づいてきたようだ。言いようのない寂しさがこみ上げてくる。引退セレモニーも予定されているようなので、その時は精一杯ねぎらってやりたいものだ。


友枝昭世の至芸 ~枕慈童~

2015-01-23 23:24:22 | 音楽芸能
 昨夜の放送と今朝(1/24)は録画と、既に2回見る。能について浅薄な知識しか持たない僕にはどう表現していいかわからないが、あの気品ある美しい舞に引き込まれてしまう。これが人間国宝の芸なのだろう。

■1月21日記事「友枝昭世と喜多流のことども」参照





枕慈童あらすじ
 古代中国、魏の文帝の時代、テッケン山の麓から薬水が流れ出るというので、勅使がその源を訪ねる。勅使は、菊の花の咲き乱れる山中の庵で異様な童子に出逢う。勅使が問うと「私は周の穆王に仕えていた侍童だ」と答える。周は七百年も前の世。童子は、穆王に召し使われていたが、誤って王の枕をまたぎ、その罰でこの山に流罪になったという。しかし、童子を愛していた穆王は、四句の偈(げ:法華経の経文)を書いた枕を与えた。その偈の経文を菊の葉に書いておくと、その葉より滴る露は不老不死の薬となり、七百年もの間生き伸びたのだという。そして童子は楽を奏し、舞を舞ったあと、寿命を帝に捧げ、そのまま山中の仙家へと帰ってゆく。

鬼塚雅(みやび)さんの快挙!

2015-01-22 19:35:21 | スポーツ一般
 関東に住んでいた頃、冬場はスキー・スケートをよくやっていたが、ウィンタースポーツの事情については明るくないので、雅さんのスノボー世界選手権での優勝のニュースを聞いても「ヘェ~」と思った程度だった。ところがこれが実は大変な快挙のようなのだ。まずこの競技で弱冠16歳の日本人の女の子が優勝することは奇跡的なことらしい。しかも雪とは縁遠いわが熊本の高校生である。彼女の天賦の才能はもちろんだが、裏には尋常ではない本人の努力と家族のサポートがあったであろうことは想像に難くない。
 そしてもう一つ。雅さんのケースを見て強く感じるのは、環境が与えられさえすれば能力を発揮するであろう人材が、まだまだ多く眠っているのではないかということだ。2020年の東京オリンピックに向けて、若い人材を発掘するプロジェクトが始まったというニュースも流れていたが、普通はウィンタースポーツでトップレベルを狙うことはまずない南国の熊本に雅さんのような人材がいたということは、人材発掘のやり方も発想を転換する必要がありはしないだろうか。
 僕の姉妹ともにルーテル学院(旧九州女学院)の出身なので雅さんには余計親近感を覚える。 




友枝昭世と喜多流のことども

2015-01-21 16:05:00 | 音楽芸能
 今週金曜日(1月23日)の「にっぽんの芸能」(NHK-Eテレ)は「能を見る 友枝昭世の至芸」と題して、喜多流シテ方で人間国宝の友枝昭世による能「枕慈童」が放送される。
 友枝昭世の曾祖父にあたる友枝三郎は、肥後細川藩の喜多流能楽師で、明治維新後、大名というスポンサーを失って廃れかけた能楽を、金春流の桜間伴馬とともに支えた。また、祖父・為城、父・喜久夫いずれも名人の名にふさわしい能楽師である。というわけで当代の能楽師を代表する一人である友枝昭世は、肥後の能楽の誇りでもあるのだ。
 今回演じる「枕慈童」は昨年10月の熊本城薪能でも演じられたが、あいにく台風の襲来で二の丸広場から手狭な本丸御殿大広間へ急遽会場変更となり、見づらい状態で不満足感も残ったので今回の放送でじっくり見直したい。
 また、熊本城薪能の時、シテ方を演じた喜多流初の女性能楽師・大島衣恵さんを取り上げたBS-TBSのミニ番組「世界人」が1月24日(土)夜8:54~9:00に放送されるのでこちらの方もチェックしておきたい。

◆友枝三郎
 天保14年(1843)9月19日~大正6年(1917)5月26日。能楽師。現熊本市に肥後本座の幸流小鼓方牧野又三郎の三男として生まれる。6歳で友枝仙吾に入門。10歳のとき父の死亡に際し、その天才的資質を惜しむ友枝源重が養子とした。藩命により江戸で十二世宗家喜多六平太に入門。明治3年(1870)帰熊後、苦しい状況のなかで肥後能楽の保持振興に努める。大正天皇御大典能では宗家後見を務めるなど、「能聖」と呼ばれた。九州喜多流演能会で「雨月」を舞い終わって倒れ、死去。長男に為城がいる。(熊本県大百科事典より)


本妙寺塔頭・妙心院の友枝三郎の墓



信長が舞った「敦盛」はコレだ!

2015-01-20 20:21:29 | 音楽芸能
 数年前から見たかったのだが、いつも最も寒い時期で二の足を踏んでいたみやま市の国指定重要無形民俗文化財「大江幸若舞」を初めて見に行った。室町時代初期に始まり、中世から近世にかけて、能と並んで武家に愛好された芸能といわれるが、今ではここ大江でしか見ることができない。数人の見学者と言葉を交わしたが、僕も含め、みやま市外から見に来た人が多いようだ。舞というものの、この古典芸能の面白味は朗吟を聞くことにあるようだ。舞は独特の前傾姿勢で両手を広げ、反閇と禹歩を繰り返す。宗教色の強さを感じる。
 見物客のお目当てはやはり「敦盛」のようだ。映画やドラマでおなじみ、桶狭間の戦い前夜、織田信長は清洲城で「敦盛」を謡い舞い、出陣していくシーン。脚色されて能仕立てになったり、舞踊まがいになったりすることがあるが、実際に信長が舞ったのはこの「幸若舞」がホンモノ。これからも幾度となくこのシーンが演じられるだろうが、こちらの見る目が厳しくなるだろう。


大江天満神社(みやま市瀬高町大江1488)


幸若舞堂の茅葺の屋根も今年が見納めだとか・・・


次代を担う人材に育ってほしい小学生たち


   ▼敦盛

熊本県邦楽協会創立50周年記念演奏会

2015-01-19 19:00:32 | 音楽芸能
 熊本県邦楽協会(釼虚霧洞会長)は創立50周年を迎え、来る1月25日(日)くまもと森都心プラザホールに於いて記念演奏会が開催されます。
 熊本の邦楽界は、全国で唯一の総合的な邦楽コンクールである「くまもと全国邦楽コンクール」を開くなど邦楽の普及と発展に努め、全国をリードしています。たまには、日本伝統の音楽である邦楽のしらべをじっくり聞いてみませんか。



▼昨年度演奏会の模様

永遠のヒーロー 安らかに

2015-01-18 14:05:53 | ニュース
 昭和33年(1958)の選抜高等学校野球大会で優勝した済々黌チームのエース城戸博さんの訃報が今朝の熊日新聞で報じられた。
 僕らの5級先輩で、優勝当時、僕はまだ中学1年生だったが、小学生の頃から城戸さんのことは知っていた。僕が通っていた熊大附小と城戸さんがいた京陵中学校のグラウンドは道路を挟んで隣接していて、当時は塀などはなく京陵中の土手に登ればいつでも野球部の練習を見ることができた。中学時代から城戸さんは目立っていた。左腕から繰り出す速球とドロップ、そしてバッティングセンスはまだ野球好きの小学生に過ぎなかった僕にもひときわ光って見えた。済々黌に進んだ城戸さんはすぐに中心選手になった。その頃から僕は高校野球のシーズンになると、母が作った弁当を持って水前寺球場へ足繁く通った。そしてあの昭和33年春の選抜大会がやってきたのである。済々黌が勝ち進む度に受ける城戸さんのインタビューを見るのが楽しみだった。城戸さんは必ず、「次は負けま~す!」と言っていたのを想い出す。最近ではこんなにあっけらかんとインタビューを受ける高校生を見たことがない。甲子園から凱旋した済々黌チームを迎えるため、数万人の市民で埋まった熊本駅前の光景を僕は決して忘れない。僕らの永遠のヒーロー、どうぞ安らかにお眠りください!合掌

中村花誠とわらべ達 ~ メディア露出の記録(1) ~

2015-01-17 20:02:53 | 音楽芸能
▼2010年10月 くま経プレス



▼2013年10月 すぱいす



▼2014年12月 くまにちあれんじ



▼2012年2月 TKU テレビ熊本「ぴゅあピュア」



▼2012年10月 TKUテレビ熊本「ぴゅあピュア」



▼2013年7月 熊本日日新聞



▼2013年8月 TKUテレビ熊本「かたらんね」



▼2014年2月 KKTくまもと県民テレビ「テレビタミン」



▼2014年9月 RKK熊本放送「西日本宝くじ抽せん会」



▼2012年1月 すぱいす



▼2014年3月 BS朝日放送「ふるさとバンザイ!」



▼2010年9月 西日本新聞



▼2014年3月 KAB熊本朝日放送「駅前TV サタブラ」