徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

五木の子守唄 ~ 日本一悲しいメロディ ~

2011-05-31 23:16:32 | 音楽芸能
 熊本県を代表する民謡の一つ「五木の子守唄」。貧しさゆえに幼くして親元を離れ、子守に出された悲しい境遇の子どもたちを歌ったこの唄は、日本一悲しいメロディと言ってもいいだろう。テレビでアフリカの貧しい子どもたちの実態を見ても、身近な出来事とは思えないが、ほんの50数年前まで日本も同じように貧しかった。幼い頃、父や母方の祖父から聞いた話では、身売り同然で働きに出された子どもは戦後までたくさんいたという。「ザ・わらべ」の妹分、「こわらべ」ちゃんたちの踊りがあまりにも可愛いがゆえに、贈られる歓声と拍手を聞きながら、いっそう複雑な想いを禁じえなかった。


「高瀬裏川花しょうぶまつり」の憂鬱

2011-05-30 20:11:23 | 熊本
 高瀬の町もだいぶ復興してきたように見える。1971年、裏川沿いの商家を借り切り、工場建設要員の仮宿舎としていた頃の本町通りなどは寂しいものだった。あの頃に比べれば、いろんな振興策が功を奏したのか、随分と賑やかになった。かつて全国有数の良質米「高瀬米」の積出港として栄え、立願寺温泉で九州各地から温泉客を集めた高瀬町が、また違った形で復興してくれればこんなに嬉しいことはない。しかし、何かが足りないのだ。どこへ行っても何を観てもすべて中途半端という印象が抜けない。僕にとって高瀬は都合9年暮らした、いわばマイタウン。いっぺんじっくり考えてみたい。


花しょうぶは今日はまだ三分咲き


米を舟に積み込んだ俵ころがし

気になるニュース! ~ 中国・内モンゴル自治区に戒厳令 ~

2011-05-29 23:38:43 | 時事
 中国の内モンゴル自治区で、炭鉱開発に反対していたモンゴル族遊牧民2人の事故死をきっかけに反政府運動が拡大し、中国当局が同自治区の一部に戒厳令を敷いたという。チベット自治区やウィグル自治区などの反政府運動は前からよく聞いていたが、内モンゴル自治区ではそんな話は聞いたことがなかった。もう4年前になるが、内モンゴル出身の馬頭琴奏者リポーさんのコンサートを熊本で開いた時、リポーさんに内モンゴルでは反政府的な運動はないのかとたずねたことがある。リポーさんは「モンゴル族はチベット族やウィグル族のようにはならないでしょう」と答えた。しかし、どこか寂しげだったのが印象的だった。このニュースをリポーさんはどんな気持で聞かれただろうか。


熊本城・本丸御殿「春の宴」 千秋楽!

2011-05-28 23:33:37 | 音楽芸能
 4月1日から熊本城・本丸御殿で毎週末に行われてきた「春の宴」は今夜が千秋楽。当初は出演予定の無かった「ザ・わらべ」も出演し、またしばらく体調を崩しておられた唄方の本條秀美さんも出演すると聞いては見に行かないわけにはいかない。出演者の皆さんも最後とあっていつもより気合が入っているように感じられた。今年の「春の宴」は、東日本大震災のため、他のイベントが軒並み中止される中、予定どおり開催され、観客も予想以上に多かったようだ。熊本の伝統芸能が県内外の多くの人々に知ってもらう機会になったとすれば喜ばしい。総合プロデュースを務められた中村花誠さんを始め、出演者、スタッフ、その他関係者の皆様、本当にお疲れさまでした。


「伊豆の踊子」コンプレックス!?

2011-05-27 21:20:22 | 文芸
 僕らの年配にとって、島崎藤村の詩「初恋」と川端康成の短編小説「伊豆の踊子」というのは青春の通過点であり、多かれ少なかれ、初めて読んだときの甘酸っぱいセンチメンタルな想い出が残っているのではないだろうか。僕は今でもたまに「伊豆の踊子」を読むことがあるが、いまだに僕の心をとらえてはなさない。僕が今、子ども舞踊団「ザ・わらべ」に強く魅かれるのは、そんな「伊豆の踊子」に対する強い憧れ、つまり「伊豆の踊子コンプレックス」とでもいうべきものから来ているのではないかと思うようになった。また、「伊豆の踊子」はこれまで6回映画化されているが、最初の戦前の作品以外は全部観ている。それぞれ少しずつ異なるキャラクターで、どの薫も甲乙つけがたいが、僕の好みから言えば、やっぱり内藤洋子かな。はたして今後7作目というのはあるのだろうか。

  
  

   恋の花咲く 伊豆の踊子(1933、松竹、五所平之助監督、田中絹代・大日方傳)
   伊豆の踊子(1954、松竹、野村芳太郎監督、美空ひばり・石濱朗)
   伊豆の踊子(1960、松竹、川頭義郎監督、鰐淵晴子・津川雅彦)
   伊豆の踊子(1963、日活、西河克己監督、吉永小百合・高橋英樹)
   伊豆の踊子(1967、東宝、恩地日出夫監督、内藤洋子・黒沢年男)
   伊豆の踊子(1974、東宝、西河克己監督、山口百恵・三浦友和)

ヤマの絵 世界記憶遺産に!

2011-05-26 18:22:35 | 時事
 福岡県筑豊の炭坑を描いた山本作兵衛さんの絵が、ユネスコの「世界記憶遺産」に日本で初めて登録されることになったそうだ。作兵衛さんの絵を初めて見たのは2年前、荒尾の万田炭鉱館に見学に行った時だった。三池炭鉱三川坑で炭鉱マンとして働いていた岩本繁徳さんから詳しい話を聞いた後に見た風呂場の絵のリアルさに驚嘆した。どんな写真よりも当時の状況を生き生きと描写しているのではないかと思った。実は僕が働いていたタイヤ工場の大先輩に聞いた話では、タイヤ工場の風呂場も、戦後間もない頃までこの絵と似たような状況だったらしい。その先輩が新入社員の頃、作業が終って風呂場に行くと、湯舟の縁にずらっと倶利迦羅紋紋のおあ兄さんたちが座っていて、恐くて入れなかったそうだ。また、この絵の説明と同じように、カーボンで汚れまくったまま、湯をかけることもなく湯舟に飛び込んでいたらしい。それは一つの例に過ぎないが、労働安全衛生環境が極めて劣悪な状態でみな働いていたそうだ。しかし、それが日本の戦後復興と今日の繁栄を支えたのは間違いない。その意味でも今回の「世界記憶遺産」登録は大きな意義があると思う。


熊本の風景今昔 ~ 安巳橋・小泉八雲「橋の上で」 ~

2011-05-25 16:27:59 | 熊本
 お抱え車夫の平七が、熊本の町の近郊にある有名なお寺へ連れて行ってくれた。
 白川に架かっている、弓のように反った、由緒ありそうな橋まで来たとき、私は平七に橋の上で停まるように言った。この辺りの景色をしばし眺めたいと思ったのである。夏空の下で、電気のような白日の光に溢れんばかりに浸されて、大地の色彩は、ほとんどこの世のものとは思われないほど美しく輝いていた。足下には、浅い川が灰色の石の河床の上を、さざめきながら、また音を立てて流れていて、さまざまな濃淡の新緑の影を映していた。眼前には、赤茶けた白い道が、小さな森や村落を縫うように曲がりくねり、ときに見えなくなったり、また現れたりしながら、その遙か向こう、広大な肥後平野を取り囲んでいる、高く青い峰々へと続いているのだった。背後には、熊本の町が広がっていた――おびただしい屋根の甍が遠く青味がかって渾然とした色合いを見せている――なかでも、遠くの森の岡の緑を背にして、お城の灰色の美しい輪郭がくっきりと見えていた……。町の中から見れば、熊本の町はつまらないところだ。けれども、あの夏の日に私が眺めたときのように遠望すれば、そこは靄と夢で出来たおとぎの国の都である……。
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 これは小泉八雲が熊本時代の思い出をもとに書いた短編小説「橋の上で」の冒頭の部分である。そして、この小説に出てくる橋が安巳橋、通称安政橋(あんせいばし)だ。白川に架かった橋としては長六橋の次に古く、安政4年(1857)に架けられた。小説ではお抱え車夫の思い出話の形をとっているが、安巳橋は八雲が熊本に赴任して最初に住んだ家から目と鼻の距離にあり、地元の住人などからそんな話を聞いていたのかもしれない。熊本の街も今ではビルが建ち並び、この小説に描かれたように、橋のたもとからは東の肥後平野も、西の熊本城や金峰山も眺めることはできない。


今日の安巳橋


大正 or 昭和初期?の安巳橋

エース登場! ~ 原発事故の徹底究明を! ~

2011-05-24 21:32:07 | 時事
 この方がやっと登場した。東電の福島原発事故発生以来、いつ登場するのかずっと注目していたが、今日、政府は事故について検証する第三者機関「事故調査・検証委員会」を設置し、委員長に畑村洋太郎・東大名誉教授を起用すると発表した。ちょっと遅きに失した感は否めないが、今後の活動を注目したい。畑村教授を知ったのは、5年ほど前にNHK教育TVで放送された「知るを楽しむ」シリーズの中で「失敗学 - だから失敗は起こる-全4回」が放送された時。その理論はいちいち頷かされることばかりで、その後、著書も読ませてもらった。畑村教授によれば「あり得ることは必ず起こる」と言う。エレベータの圧死事故、プールでの吸い込まれ事故、シュレッダーでの指切断事故、回転ドアのはさまれ事故、校門のはさまれ事故、サッカーゴールの圧死事故等々、誰もが普段から何となく「危なそう・・・」と感じていた事故は必ず起こっていると言う。畑村理論で原発事故を徹底的に究明してもらいたい。これなくして日本の今後の原子力政策は決められないような気がする。

お引越し ~ 山田洋次監督が選んだ日本の名作百本から ~

2011-05-23 18:01:03 | 映画
 一昨日のブログ記事「キャンドルナイト」の中で、田畑智子のことを書いたら、K・Yさんからメールをいただいた。このK・Yさん、僕の高校の大先輩で、電通時代、なんと田畑智子のデビュー作「お引越し(1993)」の制作に関わった方だった。また、仕事を通じて知り合ったこの映画の相米慎二監督(故人)とは大学の先輩後輩でもあったそうだ。そしてクライアントのE製菓とともにYテレビにプロモートした企画が「お引越し」だったそうである。主役のレンコはオーディションが行なわれ、8千名を超える応募者の中から、相米監督が惚れ込んで選んだのが田畑智子だったという。そんなエピソードが、京都東山、南禅寺の撮影現場でのスナップ写真とともに送られてきた。
 残念ながら相米慎二監督は早世されたが、田畑智子はその後も映画やテレビドラマで活躍、その独特な存在感は、僕の大好きな女優の一人である。
 BSプレミアムで放送されている「山田洋次監督が選んだ日本の名作百本」の中にこの「お引越し」が含まれている。放送日はまだわからないが見逃すわけにはいかない。


「お引越し」のロケでの田畑智子(当時13歳)

金曜の夜は「にっぽんの芸能」だ!

2011-05-22 19:42:45 | テレビ
 最近、金曜の夜の楽しみはEテレの「にっぽんの芸能」だ。日本の伝統芸能に興味を持ち始めた僕にピッタリの番組と言える。第一部の檀れいさんが出演する「花鳥風月堂」では歌舞伎や能、文楽などの見方や用語を初心者にもわかりやすく解説してくれるし、第二部の南野陽子さんが出演する「芸能百花繚乱」は、一流どころが本モノの芸を見せてくれる。先々週の歌舞伎俳優、尾上松也と中村壱太郎の舞踊「汐汲」と「雨の五郎」、そして先週の女性日本舞踊家の尾上紫と尾上京の「鷺娘」と「鐘ヶ岬」いずれも若手の勢いとしなやかさを感じさせる素晴らしい芸にちょっと感動した。


キャンドルナイト

2011-05-21 22:33:30 | 熊本
 キャンドルハウスさんのブログによれば、夏至の日、今年は6月22日は「キャンドルナイト」と言って、「夜8時から10時の2時間、電気を消してキャンドル(蝋燭)の灯りで過ごしましよう!」という運動の日だそうだ。東日本大震災による福島原発事故の影響で日本は現在、電力不足に陥っており、節電が国民的課題となっているが、そうした面からもキャンドルの価値が見直されているようだ。もともと熊本県は肥後藩の時代からハゼノキから作った蝋燭が藩の経済を支えてきたという歴史があり、今でも日本一のハゼ蝋の産地でもあり、蝋燭とはゆかりが深い県だ。また、キャンドルの炎には、ただ照明の役割だけではなく、人の心を掻き立てる何かがあるようだ。これまでもいろんな映画の中で、キャンドルの炎が重要な小道具となってきたが、僕が最も印象に残っているのは、「大停電の夜に(2005年)」と「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年)」の2本だろう。前者は、人と人の心を繋ぐ媒体として使われ、観る者の心をホッコリさせてくれる。この映画は多くの登場人物が交差する、いわゆる「グランドホテル」型の物語だが、裏の主役は小さなキャンドルショップを経営する不思議系の女の子(田畑智子)と数々のキャンドルたちだと思う。後者は、伊勢正三のヒット曲「22才の別れ」をモチーフにした、まさにせつないラブストーリーで、そのせつなさを象徴するのが臼杵竹宵の竹灯篭だ。ファンタジックな映像美は大林宣彦監督ならではという感じだ。
 ともかく、6月22日の「キャンドルナイト」には参加してみよう。


大停電の夜に(2005年)源孝志監督


22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年)大林宣彦監督

ザ・わらべ ~ 春の宴・人吉をどり「菊の舞」 ~

2011-05-20 23:39:17 | 音楽芸能
 熊本城本丸御殿の「春の宴」も今夜を含めて今年はあと4回。「ザ・わらべ」の出演は今夜が最後となるので見逃すわけにはいかない。今夜は「人吉をどり」ということで人吉とその周辺に伝わる伝統芸能が披露された。実は僕は人吉のことはあまり知らない。仕事で通ったことはあるが、じっくり観て回ったり、泊まったりしたことがない。知っていることと言えば相良藩の城下町だったこと。球磨川が流れていること。国宝の青井阿蘇神社があること。「小京都」と呼ばれていることぐらいか。この「小京都」と呼ばれる町は全国至るところにあるが、「小京都」の定義というのがあるらしく
 ・京都に似た自然と景観
 ・京都との歴史的なつながり
 ・伝統的な産業と芸能があること
という三つの条件をクリアしなければそう呼べないらしい。九州では人吉のほかに、秋月、小城、島原、日田、臼杵、飫肥、知覧などが「小京都」と呼ばれているそうだ。
 それはさておき、この「菊の舞」も青井阿蘇神社のお祭の時に踊られるもののようだ。今度ゆっくり人吉にも行ってみたいものだ。


昭和11年3月、天草上村で・・・

2011-05-19 14:01:19 | その他
 今日は父の11回目の祥月命日。先日、母を連れて、かつて父が赴任していた上天草市の上小学校を訪問したが、その後、父の古いアルバムの中に、その当時の写真があるのを発見した。当時の上村尋常高等小学校の教職員の集合写真だった。昭和11年3月撮影と記されていた。ということは父が24歳、教員になってから既に5年ほど経った頃のようだが、真ん中で腕組みをしているところを見ると、結構生意気な若手教師だったのかもしれない。すぐそこに戦争の影が忍び寄っている頃だが、皆さん、その後どんな人生を送られたのだろうか。父の手記の中に、この写真について下記のようなメモが書かれていた。


 これは本校の裏庭です。当校には他に野釜(離島)、賤之女分校がありました。この写真にはそれらの職員(3名)も加わっています。本県では昭和8年教職員の標準服が制定されました。そしてそれは当時、学習院型とか海軍将校型とか言われたものです。これを一着持っていれば、常時はもちろん当時の三大節(四方拝・紀元節・天長節)の儀式もこれで済まされたので経済的ではありました。この写真に見るように、この頃までは男職員が多かったのですが、昭和14年頃から兵役に召集される者が多くなったために次第に男女の比率が逆転していきました。

團伊玖磨の名曲 ~ 花の街 ~

2011-05-18 18:28:56 | 音楽芸能
 昨日は昭和を代表する大作曲家、團伊玖磨さんの没後10年に当る日だった。團さんはブリヂストンの石橋家の姻戚でもあったので、僕が本社に勤務していた頃、何度かお見かけしたことがあった。團さんは幅広いジャンルの音楽を作曲されていたが、僕はやっぱり吹奏楽の作品が忘れられない。なかでも「祝典行進曲」は日本の行進曲の中でも名曲中の名曲だろう。今日はなぜか童謡の「花の街」が聴きたくなって、最近撮った蕎麦畑の映像に当ててみた。この歌の叙情性と倍賞千恵子さんの伸びやかな歌声が実によくマッチしていると思う。


歌:倍賞千恵子 作詞:江間章子 作曲:團伊玖磨

  ♪ 七色の谷を越えて
   流れて行く 風のリボン
   輪になって 輪になって
   かけていったよ
   春よ春よと かけて行ったよ

  ♪ 美しい海を見たよ
   あふれていた 花の街よ
   輪になって 輪になって
   踊っていたよ
   春よ春よと 踊っていたよ

  ♪ すみれ色してた窓で
   泣いていたよ 街の窓で
   輪になって 輪になって
   春の夕暮れ
   ひとりさびしく 泣いていたよ

熊本の風景今昔 ~ 行幸橋(みゆきばし)の上から ~

2011-05-17 19:54:14 | 熊本
 いずれも熊本城に登る行幸橋の上から坪井川の上流(熊本市役所方面)を眺めた写真だ。昔の市役所、長塀沿いにギッシリ植えられた桜の木々、坪井川の川幅などに70~80年の時の流れを感じさせる。一つ下流の橋が桜橋、左手が桜の馬場というだけあって、やっぱり桜の名所だったことがわかる。この行幸橋は明治35年(1902)、明治天皇の二度目の熊本行幸の際、御料車が渡れるように、それまであった下馬橋に替えて架けた橋である。ちなみに一度目の行幸はその30年前、信頼していた西郷隆盛を従えての旅だった。世の無常を感じる。


今日の眺め


昭和初期の頃の眺め