徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

おきなの夜

2020-08-31 19:00:49 | 伝統芸能
 昨夜の「古典芸能への招待」(NHK-Eテレ)は、2017年1月に国立能楽堂で行われた「萬(よろず)狂言特別公演」から。最初の演目「翁」の「三番叟(さんばそう)」の部分は六世野村万之丞の襲名披露ということで、2017年2月に同番組で紹介された。その時はシテ方喜多流の人間国宝・友枝昭世師が「翁」を演じた部分は放送されなかったので、いつかぜひ見たいと思っていたが、3年越しにやっと実現した。
 「とうとうたらりたらりら」という謎の呪文で始まる「翁」は「能にして能にあらず」といわれ、能の中で別格の存在だ。友枝昭世師は「どうどうたらり・・・」と発音していたようなので喜多流のしきたりなのだろう。露払役の千歳は当時まだ14歳の野村眞之介が演じていたが、下掛りの喜多流では狂言方が務めるらしい。白色尉の面を着けた瞬間から翁は「神さび」に入る。天下泰平、国土安穏を祈って荘厳にゆったりと舞い、三番叟に「後はよしなに」とばかり後を託して退場する。五穀豊穣を祈る三番叟は、野村萬斎がよくゾーンに入ると言うように、狂言方冥利に尽きる華やかな舞が繰り広げられる。当時まだ20歳の野村万之丞は若さにあふれたキレを見せる。古より人々は三番叟に夢中になり、三番叟は様々な芸能へスピンオフして行った歴史をあらためて思い起こさせた。


「翁」を演じたシテ方喜多流の人間国宝・友枝昭世


「翁」白色尉の面を着けた友枝昭世


「三番叟」揉ノ段で軽快な烏跳びを見せる野村万之丞


「三番叟」鈴ノ段で黒式尉の面を着けた野村万之丞

〇〇50周年!

2020-08-30 14:54:23 | 歴史
 今年はメディアなどで「50周年」の文字を見ることが多い。これはとりもなおさず、1970年(昭和45年)に大きな出来事が多かったということである。
 ちょうど半世紀を経過した主な出来事をあげてみた。
  • 大阪万博開幕(3月)
  • よど号ハイジャック事件(3月)
  • 新日本製鐵誕生(3月)
  • プロ野球黒い霧事件発覚(3月)
  • ビートルズ解散(4月)
  • アポロ13号事故(4月)
  • ワールドカップメキシコ大会 ブラジル3度目の優勝(6月) 
  • 歩行者天国始まる(8月)
  • 映画「ひまわり」公開(9月)
  • 三島由紀夫自決事件(11月)

 この1970年は個人的にも、転職して人生のターニングポイントとなった思い出深い年。これらの出来事の思い出と重なって、より鮮明な記憶が残る。


水前寺二題

2020-08-29 17:38:08 | 熊本
▼出水神社の鳥居
 4年前の熊本地震で倒壊した水前寺の出水神社社殿前の鳥居がヒノキ造りで甦った。昨日、除幕式の様子がテレビニュースで流れていたのでさっそく拝観しに行った。阿蘇郡西原村の出水神社所有の山林で育ったヒノキだそうである。この出水神社は細川家初代の藤孝公を始め、歴代の当主およびガラシャ夫人を祭神とする神社。真新しい扁額の文字は十八代当主細川護煕氏(元首相)が書かれたものだという。これから風雨に曝されながら徐々に趣ある風合に変わっていくのだろう。あとは表参道の鳥居復活が待ち遠しい。


真新しいヒノキの鳥居


熊本地震で倒壊する前の石の鳥居


▼水前寺競技場の屋根撤去
 昭和35年(1960)に開催された熊本国体の主会場となった水前寺競技場のメインスタンド屋根が老朽化し、倒壊の危険性があるとして、熊本市は屋根を撤去することを決めたという。もっとも国体開催時には屋根は無く、その20年後に付けられたものだが、それでも40年経過すれば劣化も進むのだろう。屋根を再び付けるかどうかは決まっていないようだが、この競技場は熊本の戦後復興のシンボルの一つでもある。今後も大事に残して行ってほしいものだ。


老朽化した水前寺競技場のメインスタンドの屋根

今日聴きたくなった2曲

2020-08-27 21:12:00 | 音楽芸能
 昨日、gooブログ内でフォローさせていただいている「cosmophantom」さんが 「ナンシー・シナトラ」と彼女のアルバムについて紹介されていた。あらためて言うまでもなく彼女は往年の大スター、フランク・シナトラの娘さんで、自身も歌手、女優として活躍した。「レモンのキッス」や「シュガータウンは恋の町」など60年代を中心に多くのヒット曲がある。今日、ブログ記事を読みながらふと思い出し聴きたくなったのは、映画の007シリーズ第5作「007は二度死ぬ」の主題歌「YOU ONLY LIVE TWICE」だった。007シリーズで唯一、日本が舞台となりロケも行われた作品だったこともあり、印象深い1曲だ。



 今日、BSのプレミアムシネマで「追想(1956)」が放送された。ロシア革命後の皇女アナスタシアの後日譚で、イングリッド・バーグマンとユル・ブリンナーが共演している。実はこの映画、本編は見ていない。中学時代にほかの映画を見に行った時、予告編を見たことを憶えている。だから今日初めて見たことになる。だが、この映画の主題歌「Anastasia」は、パット・ブーンのLPレコードで聴いて昔から大好きな曲だった。サウンド・トラックではないが、ヒロインを演じたイングリッド・バーグマンもパット・ブーンの歌が大好きだったと聞く。


随兵の季節も今年は寂しく…

2020-08-26 20:53:52 | 歴史
 夕方、ツクツクボウシが鳴いていた。晩夏いや初秋を感じさせる。毎年この時季になると聞こえてくるアノ音が聞こえない。どこかの広場で藤崎宮のおまつりに備え馬追いの囃子を練習する鐘太鼓やラッパの音だ。今年は随兵などの中止が早々に決まり、なんとも寂しい秋になった。
 今日、江戸前期の天和3年(1683)に肥後藩士が記した「歳序雑話」を読んでいたら、藤崎八旛宮祭礼の話が書かれていた。当時は藤崎宮は今の藤崎台球場のところにあるので、随兵と言っても御旅所となる段山の行在所までだから距離的にはごく短い道中だ。ただ、新町の勢屯りでは奉納する供乗馬をだいぶ暴れ回らせたらしい。「クモの子を散らすように…」と表現しているので、勢屯りの中は無秩序に馬が走り回り、馬に蹴られて死者も出ていたようだ。そんな様子が島田美術館の「藤崎八旛祭礼絵巻」に見てとれる。
 来年は随兵が復活してくれればいいのだが。


随兵に供奉する神馬



江戸時代の藤崎八旛宮例大祭の様子   島田美術館蔵 「藤崎八旛祭礼絵巻」 松岡敬廉



かつては馬に蹴られて死者も出ていた

人吉旅館 復興プロジェクトは あと4日になりました!

2020-08-25 22:08:27 | 熊本
 7月の豪雨災害で甚大な被害を蒙った「人吉旅館」復興支援のクラウドファンディングは、今日現在920名の皆様の賛同を得、1384万円のご支援をいただきました。
 募集終了までいよいよ残すところ4日となりましたが、復興にはまだまだ多くの支援が必要です。皆様のご理解とご協力を重ねてお願い申しあげます。



    人吉旅館 復興プロジェクト(ご支援のページ)



中学生時代の堀尾嘉恵さん(少女舞踊団ザ・わらべ)

川の名前のはなし。

2020-08-24 20:50:36 | 歴史
 熊本市北部の改寄町を源流とし、八景水谷水源の湧水などを集めて熊本市内を貫流する坪井川。江戸時代は熊本城の内堀として、また物流の大動脈として熊本の人々にとってなくてはならない川だった。経済や生活に密着した存在だった坪井川を、流域の人々はそれぞれの地域にふさわしい名前をつけて呼んだ。
 上流の寺原田畑あたりでは、坪井川に灌漑用の堰「呑吐(どんど)堰」があり、地域の人々は坪井川のことを「どんど川」と呼んだ。京町台地のへりに沿って下り、熊本城下に入ると、御厩(おうまや)があった現在の熊本市役所あたりでは「厩川(うまやがわ)」と呼ばれた。今では「厩橋(うまやばし)」の名が残る。さらに下り、物流の拠点でもあった船場に至ると、人々は「船場川」と呼んだ。そしてさらに下り、古くから高橋の津と呼ばれた港町、高橋に至ると人々は「高橋川」と呼んだ。さらに西へ下った坪井川は百貫石を過ぎて有明海へ注ぐ。
 このように地域ごとに呼び名が変わる河川の例は多い。


呑吐(どんど)川


厩川(うまやがわ)


船場川(洗馬川)明治時代中期の頃


高橋川

セイコーゴールデングランプリ陸上

2020-08-23 18:12:23 | スポーツ一般
 今日は「セイコーゴールデングランプリ陸上2020東京」をテレビ観戦。例年だと、この時季までに3回か4回は競技場へ出かけて陸上を観戦しているはずだが、今年は競技会が中止になったり、無観客になったりでまだ一度も観ていない。テレビ観戦とはいえ、久々に陸上競技を味わった。
 会場となったのが、完成までにいろいろあった新国立競技場。学生時代や東京在勤時代に度々足を運んだ旧国立競技場との比較をしたいと思ったのだが、無観客ではよくわからない。放送された競技では見るべき記録が出たのは女子の1500mのみ。今や中長距離のエースにのし上がった田中希実選手が14年ぶりとなる日本記録更新を果たした。彼女はまだまだポテンシャルを秘めているようなので今後ますます期待できそうだ。目玉種目の男子100mは日本のトップクラスが勢ぞろいしたが、いずれも調子は未だしという感じだった。来年に延期されたオリンピックもはたして開催できるかどうか微妙な情勢なので、各選手ともモチベーションの維持が難しいのだろう。


新国立競技場で無観客の大会となったセイコーゴールデングランプリ陸上2020東京


女子1500mで14年ぶりに日本記録を更新した田中希実選手

Viento & 花童

2020-08-22 18:47:44 | 音楽芸能
 阿蘇を拠点に活動するインストゥルメンタル・デュオ、Viento(ビエント)のファンになってやがて15年になろうとしている。初めて彼らの音楽に触れたのは2005年12月のこと。当時、玉名市で会社時代の同僚・吉﨑氏が営んでいた料亭「はなつばき」で行われたクリスマスコンサートだった。以来その独特の世界観とサウンドにすっかりハマり彼らのコンサートやライブ演奏会などによく足を運んだ。
 それから4年ほど経った頃、僕は少女舞踊団ザ・わらべに出会った。こちらは心の琴線に触れるような懐かしい音楽に合わせて日本髪を結った少女たちが舞うまるでおとぎ話のような世界で僕はそのトリコになった。
 それからさらに4年経った頃、この二つのグループが舞台で共演するようになった。僕にとっては夢のような世界だった。そんなことを思い出しながら、彼らが共演した舞台を懐かしく振り返った。


2016.6.26 熊本城復興支援チャリティコンサート(KKRホテル熊本)

 
「クリスマスコンサート」料亭はなつばき 2005.12.24   「料亭はなつばき10周年記念コンサート 」肥後民家村 2006.10.29


【 Vientoと花童 共演の舞台から 】

   ▼本丸御殿(Viento作曲)

2013.4.6 熊本城本丸御殿 春のくまもとお城まつり


   ▼福連木の子守唄(天草民謡 Viento編曲)

2013.4.6 熊本城本丸御殿 春のくまもとお城まつり


   ▼細川ガラシャ(Viento作曲)

2014.4.6 水前寺成趣園 水前寺まつり

石仏と中将姫

2020-08-21 21:38:54 | 歴史
 おきまりの散歩コースである中坂の登り口に坐す石仏。どなたか近所の方がいつも花を供えていただいているようだ。この石仏、いつからここに坐しておられるのか誰も知らない。中坂を少し登った専念寺さんにお聞きしたことがあるが、どなたかが防空壕の中にあった石仏をここに移したと聞いているが詳しくは知らないという。この場所はかつて加藤神社の別当を務め、民謡「ポンポコニャ」にも唄い込まれたほど栄えた金剛寺があったところ。明治維新の廃仏毀釈により一時衰退したが、現在は新屋敷で再興されている。金剛寺は別名「中将姫」として広く知られている。中将姫と言えば、奈良の当麻寺に伝わる「当麻曼荼羅」を一夜で織ったとされる、伝説上の人物。折口信夫の代表作「死者の書」に登場する藤原郎女(ふじわらのいらつめ)その人でもある。
 散歩の途中、度々、この石仏に手を合わせていると、ひょっとしてこの石仏はかつてこの地に祀られ、そして去らねばならなかった中将姫の身代わり仏ではないかと思えてきた。


金剛寺(熊本市中央区新屋敷)

伝統芸能紹介(WEB SOUBUNより)

2020-08-20 22:08:21 | 伝統芸能
 「2020こうち総文(第44回全国高等学校総合文化祭)」の参加校の中から、僕が気に入った演技をいくつかご紹介したいと思います。
 今日は「郷土芸能部門」から

 岩手県立北上翔南高等学校鬼剣舞部の「鬼剣舞」と
 富山県立南砺平高等学校郷土芸能部の「越中五箇山民謡」

 各地で伝統芸能の継承が難しくなっている話を聞きますが、高校の部活で終わることなく、ずっと続けていただき、地方伝統文化の継承と振興に貢献していただきたいと願っています。


岩手県立北上翔南高等学校鬼剣舞部「鬼剣舞」



富山県立南砺平高等学校郷土芸能部「越中五箇山民謡」

廃れ行く村祭り

2020-08-19 10:37:21 | 日本文化
 コロナ禍が拡大の様相を見せているが、全国各地で伝統の祭りの中止が相次いでいる。古来より農村共同体の産土神に五穀豊穣を祈ったり感謝したりする村祭りは、農村人口の減少や高齢化、少子化などを背景として、祭りの担い手が減少。祭り存続は危機的状況に立たされている。そんな中でのコロナ禍による中止が、祭りを廃滅へと追いやることが懸念される。
 千年を超える歴史を有する玉名市の梅林天満宮で毎年11月25日に行われる梅林天満宮例大祭も今年は中止が決まった。この祭りで行われる流鏑馬神事は「ヤクサンドン」と呼ばれ、江戸時代前期には既に始まっていた記録が残っている。この流鏑馬は、梅林地区内の津留、安楽寺、下の3地区の氏子が輪番で取り仕切る「節頭」を務める。かつては当番の地区が費用も負担していたが、現在では住民の積み立て制度が取り入れられている。しかし、この祭りも今では担い手の減少に悩まされている。かつては各村々の神社祭礼等で奉納されていた流鏑馬が今なお残る希少価値の高い梅林天満宮流鏑馬。現下のコロナ禍で廃滅への道を進まないことを祈るばかりである。
※梅林天満宮流鏑馬(熊本県指定重要無形民俗文化財)






那須岳の思い出

2020-08-17 19:24:57 | ファミリー
 こうも暑い日が続くと栃木県の那須にいた時代が思い出されてならない。1983年の春から3年3ヶ月暮らした那須は、わが生涯の中でも最も思い出深い地のひとつである。春夏秋冬それぞれの季節に、美しい日本の風景を見ることが出来た。なかでも一番の思い出は夏の涼しさだ。夏の時季に那須から東京や九州へ出張することもあったが、那須塩原駅に帰り着いてホームへ降り立つと生き返ったような思いがしたものだ。
 ある年の夏、父母が夏休みを利用して那須へやって来た。那須高原にあった会社保養所にうちの家族とともに宿泊した。二日目だったか、父と僕と息子たちは那須岳に登った。頂上に登ってからカメラを持って来ていないことに気付いた。当時はまだデジカメも存在せず、アナログのカメラは持っていたが、使い勝手が悪く、出かける時にいつも携帯する習慣はなかった。せっかくの記念写真が撮れないなぁとあきらめかけていると、父が他に数人いた登山者の一人と交渉を始めた。その人のカメラで撮ってもらい、後日プリントしたものを郵送してもらおうという相談だった。その人は快く承諾し、数日後、熊本に戻った父宛てに写真が送られて来たそうである。律儀な父のこと、お礼状とともに謝礼の品を贈ったのはいうまでもない。


那須岳

2020こうち総文(第44回全国高等学校総合文化祭)

2020-08-16 18:57:12 | 伝統芸能
 コロナ禍のため、今年度の熊本県高等学校総合文化祭は中止となりましたが、現在、高知県を会場として全国高等学校総合文化祭が開催されています。といっても当初予定していた全国からの参加者や観客が集う通常開催ではなく、史上初のWebでの開催、「WEB SOUBUN」として行われています。Web開催となったことで、いつでも、誰でも、全国の演奏や発表、作品、メッセージなどを見ることができます。ぜひ多くの皆様に全国高校生の文化の祭典を味わっていただきたいと思います。

 郷土芸能部門には熊本から熊本県立鹿本農業高校郷土芸能伝承部が参加しており、「肥後民謡」を披露しています。


鹿本農業高校郷土芸能伝承部


肥後民謡(田原坂/おてもやん/よへほ節)

玉音放送の日

2020-08-15 19:28:47 | 歴史
 今日も暑かった。ちょっと用事で外出したが、あまりの暑さにほうほうの体で帰宅した。
 75年前の今日も暑かったらしい。わが家はラジオの前に揃って正座し天皇陛下の玉音放送を聞いたという。

朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。

という切り出しで始まった玉音放送だが、父も最初は意味が分からなかったそうだ。しかし、次第にポツダム宣言を受諾し、戦争を終わらせる、つまり敗戦を受け入れるという意味なのだとわかり、悔しさとともにホッとしたという。
 その父も他界して今年で20年。戦争を知る年代もどんどん減って行く。日本はこの敗戦から学んだ教訓を、次世代、次々世代へと繋いで行けるのだろうか。


今日の阿蘇山(京町台より)