徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

高峰秀子さん逝く

2010-12-31 22:44:29 | 映画
 高峰秀子さんが亡くなった。86歳だったそうだ。昭和4年(1929)、5歳のときに子役でデビューしてから、昭和54年(1979)に引退するまでの50年間、常にトップ女優であり続けた昭和の大女優だ。僕は日本映画史上最高の女優だと思う。「二十四の瞳」、「浮雲」、「名もなく貧しく美しく」などを始め、多くの映画で楽しませてもらった。おそらく数的にも一番たくさんの本数を見た女優さんだと思う。彼女の著書「にんげん住所録」の巻末に書かれた一節を掲げて送る言葉にしたい。合掌。

▼私の死亡記事「往年の大女優ひっそりと」
 女優・高峰秀子さんが三ヶ月ほど前に死去していたことが判明した。
 生前「葬式は無用、戒名も不要。人知れずひっそりと逝きたい」と言っていた。その想いを見事に実践したようだ。
 彼女は十八歳の時、盲腸炎の手術を受けて以来、その死までの数十年間、医師、病院の手を煩わすことは全くなく、健康保険証には一字の記載もなかった。故に死因は不明。死亡診断書を認めた医師は「病名はわかりません。強いていえば天寿でしょうね」と言った。
 昭和五十四年にスクリーンを退いたが、その死に至るまで多くのファンの親切と厚意に支えられ、高峰節といわれた達意の文章で随筆集を重ねてファンに応えた。「死んでたまるか」という文章も書いたが、相手が天寿では以って瞑すべし、しあわせな晩年であった。

※この文章を書いたのが8年前、78歳頃と思われるが、はたしてシミュレーションどおりになったのだろうか。

ブログ2010 マイベスト7

2010-12-31 15:02:52 | その他
 今年は1月1日から昨日まで、このブログに366本の記事を書き込んだ。その中で特に印象深い記事を選んでみた。10本とか5本とかキリのいい数字にしたかったが、結局7本という中途半端な数になってしまった。 
 下に時系列で挙げてみたが、さて来年はいったいどんな記事が・・・。
藤田嗣治の幻の作品にやっと出逢う!(2月25日)
 何十年も前からその存在だけは知っていたものの、観たことはなかった大先輩・藤田嗣治画伯の幻の絵を、母校である熊大附小の校長室で観ることができた。
みわの入学式(4月9日)
 僕の初孫であるみわが小学校に入学した。生まれてからのこの6年間は思えばあっという間だった。あと6年後にはどんな姿に成長しているだろう。
“和”文化のロマンを伝える ザ・わらべ子供舞踊団(7月23日)
 昨年その存在を知り注目していたが、なかなか見る機会がなかった子供舞踊団「ザ・わらべ」の演技を今年は何度も見ることができた。メンバーの一人、文乃ちゃんのご両親にはいろいろとお世話になった。
夏の夜の幽玄の世界 ~ 山鹿灯籠まつり ~(8月17日)
 山鹿灯籠踊りはいろんなイベントで見ていたが、まだ灯籠まつりの千人おどりだけは見たことがなかった。今年初めてその幽玄の世界を楽しむことができた。
新幹線が走った日!(8月31日)
 来年3月12日に全線開通する九州新幹線鹿児島ルートの試運転が、8月31日から始まった。当日は太郎迫の撮影ポイントへ出かけてビデオ撮影をした。
谷汲観音様に参拝!(10月23日)
 活人形(いきにんぎょう)師・松本喜三郎の傑作といわれる谷汲観音像が、わが家からも近い浄国寺にあることをテレビ番組で知り、さっそく観に行った。その存在感に圧倒される。
ふるさとのはなしをしよう! ~ 坪井川 ~(12月27日)
 今年はNHKのブラタモリに刺激を受け、古地図を見ながらわが町を探索するというのが新たな趣味となった。やればやるほどその奥深さにのめりこむ。来年も続けるつもりだ。


遺恨あり 明治十三年 最後の仇討

2010-12-30 22:00:45 | テレビ
 明治13年というから、西南戦争が終って3年経った頃の話だ。この頃は既に仇討は犯罪行為とされていた。公式の記録としては“日本最後の仇討”事件。これがテレ朝でドラマ化されるという。原作は吉村昭の「敵討」(新潮文庫)の中の一篇「最後の仇討」。さっそく蔦谷書店に行って買ってきた。読みながら、時代の変化に翻弄される士族の哀れさが胸を打つ。福岡秋月藩で起きたこの事件の背景には、幕末の動乱そして熊本で起きた神風連の乱に呼応した秋月の乱などがあった。藤原竜也、松下奈緒、小澤征悦、吉岡秀隆、北大路欣也など異色のキャスティング。放送月日はまだ未定のようだが、新春楽しみなドラマの一本だ。

地名のいわれを考える

2010-12-29 19:46:10 | 熊本
 来年の大河ドラマは、戦国時代の北近江の大名、浅井長政の三女・江の生涯を描いた「江 ~姫たちの戦国~」だが、この「浅井」の読みが「あざい」であることは今では僕も知っている。しかし、92年に彦根に赴任した時はまだ知らなかった。その当時、浅井町という町があり、長浜から通勤している同僚が盛んに「あざいちょう」と言っているのを聞いて「あ!あざいと読むのか」と知ったわけだ。現在は長浜市に吸収合併されて浅井町は消滅したが、浅井長政の領地だったことからこの名が付けられたそうだ。だが、実はやっぱり「あさい」が正しいのだとする学説もあるようだ。だとすれば、どうして「あざい」という読みが主流になったのだろうか。僕はこれと似たようなケースを、彦根よりもずっと前に勤務した山口県の防府で経験した。防府の読みは「ほうふ」であることは誰でも知っている。しかし、僕が防府に赴任した76年の頃、地元の年配者の10人が10人、「ぼうふ」と発音したのである。防府という地名ができたのは比較的新しい明治後期の頃だから、浅井と防府を一緒にはできないかもしれないが、どうも地域の方言、なかんずく濁音の発音には各地域くせがあり、それが影響しているのではないかと思われる。
 話は変わって、わが家のすぐ近くにある通り、旧柳川小路。ここは加藤清正が、関ヶ原の戦いで西軍について敗れた柳河立花藩の家臣たちを預かり、住まわせていたことからこの名がついたところだ。この小路の読みは「しょうじ」または「こうじ」が正しいとされている。しかし、熊本市の資料によると「やながわしゅうじ」とルビがふってある。これは明らかに熊本の方言だと思われる。明治17年に城下町で生まれた僕の祖母は、バリバリの熊本弁を使っていたが、「しょ」と「しゅ」や「みょ」と「みゅ」の区別がハッキリしなかった。おそらく本人たちは「やながわしょうじ」と言っているつもりが「やながわしゅうじ」と聞こえ、それが通称になったのだろう。
 こんな風に地名のいわれを考えてみるのも楽しいものだ。


今日の旧柳川小路(東の柳川小路の北部分)


1650年頃の京町絵図に表記された柳川小路
赤い矢印が上の写真の撮影ポイント

楽しみな「JIN -仁-」 第2シーズン!

2010-12-28 22:45:34 | テレビ
 ドラマ「JIN -仁-」の第2シーズン放送がTBSからアナウンスされた。それに先駆けて昨日今日と第1シーズンが再放送されている。第1シーズンの終り方に釈然としない面もあったので、第2シーズンでどんな展開になるのか楽しみではあるが、TBSではこれが完結編だといっており、原作がまだ続く中での終り方は、結構難しいものがあるかもしれない。また、映画化も考えていないというが、最近の映画を見ると、題材としてどうなの?と首を傾げたくなるような作品もよく見かけるので、これを映画化しないのはちょっともったいない。それはさておき、4月17日(日)から前回と同じく11話放送されるそうだ。はたして前回同様、われわれ視聴者を惹きつけてくれるだろうか。

ふるさとのはなしをしよう! ~ 坪井川 ~

2010-12-27 22:18:05 | 熊本
 ブラタモリの影響もあって、最近、自分が生まれ育った熊本の歴史を調べることが趣味になった。調べ始めると「へぇ~!」と驚くようなことが多くて実に面白い。中でも熊本市の中心部を流れる坪井川はわが家から近く、子どもの頃から身近な存在だったので興味深い。先日、所用で同級生のSさんの家にお伺いした時、お父様(だいぶ前に亡くなられている)が19歳の時(昭和10年)にまとめられたという熊本市京町の歴史についてのノートを拝見した。興味深い記述が続くノートの間に、一枚の地図が折りたたんで挟まれていた。広げてみると大正5年(1916)に発行された熊本市の地図だった。どうしてもまずわが家の周辺に目が行く。94年前の道路はほとんど今と同じだった。ところが坪井川の形状が全く違う。加藤清正以来、坪井川は治水や熊本城の堀として利用するため、度々流れを人工的に変えてきた歴史があることは知っていたが、大正時代になってもまだ、現在とはこんなに違った姿だったことは新鮮な驚きだった。また、坪井川は他の川もそうだったように昔は水量豊かで水運に利用されていた。特に城下町を流れる坪井川は物流の大動脈だったらしい。わが家から直線距離で500mほど北に行ったところに舟場(ふなば)という地名がある。いわゆる船着場という意味だが、今ではバス停の名前として残っているだけだ。だが、この地図を見ると確かに坪井川の支流が描かれているので、この当時はまだ、舟が上って来ていたのかもしれない。今では雑草が生い茂り、流れが残っているかどうかすら判然としない。まだこれからも新しい発見がありそうだ。


この道の左側が舟場


個性豊かな氷の妖精たち ~ 女子フィギュアスケート ~

2010-12-26 22:42:59 | スポーツ一般
 今夜は久しぶりに女子フィギュアスケートにハマった。多くのファンがそうであったろうと思うが、最大の注目は浅田真央の復活なるか、ということだった。結果は2位だったが、完全復活とまではいかなくても、その兆しが確かに見えたのはとてもよかった。加えて、優勝したのが3歳年上の安藤美姫だったことは、浅田真央にとっても勇気をもらったのではないだろうか。それにしても、テレビを通じて会場の観衆の、浅田真央を心配そうに、そして愛おしげに見る雰囲気がビンビン伝わってきた。彼女がいかにみんなから愛されているかがよくわかった。今、日本の女子フィギュアは若い芽がどんどん伸びてきている。村上、庄司、西野、大庭などなど。みんな個性的でそれぞれ雰囲気を持っている。安藤や浅田らもうかうかしてはいられない。こんな切磋琢磨が続く限り、当分の間は世界のトップレベルで日本選手の活躍が期待できそうだ。


龍馬ブームと言いながら・・・

2010-12-25 17:21:06 | テレビ
 大河ドラマつながりで言えば、先日「龍馬伝」の年間視聴率が公表されていたが、年間平均視聴率が18.7%と意外に低かった。歴代の大河ドラマ49作中、「風林火山(2007)」と並んで39位に甘んじている。龍馬人気もあって「龍馬伝」ほど、始まる前から期待が大きかったのは今まであまり無かったように思うのだが、この結果はいったいどうしたことか。NHKのドラマは昔の方が視聴率は高かったからなぁという人もいるが、あれは朝の連ドラの話で、大河ドラマに限ってはそれは当らない。ベストテンには、80年代、90年代の作品が8本を占めているし、2000年以降で最も視聴率の高かった「篤姫(2008)」が17位につけているのに対し、1963年の「竜馬がゆく」は14.5%と下から2番目の48位だ。「龍馬伝」が国民的な龍馬人気というアドバンスを生かせなかったのは、やっぱりドラマづくりに問題があったのだろう。僕も1クールが終る頃までは毎回観ていたのだが、途中からどうも人物描写の薄っぺらさが気になりだし、段々飛び飛びになり、随分観ない期間があって最終回を観たという感じだった。さて、来年の「江~姫たちの戦国~」はどうなるだろう。最近では最も視聴率の高かった「篤姫」の脚本を担当した田渕久美子さんの原作・脚本というのが期待をもたせるのだが。

「加藤清正」の大河ドラマ化は実現するか!?

2010-12-24 23:17:36 | テレビ
 今朝の熊日新聞地域面の片隅に、「加藤清正の大河ドラマ制作・放映要望署名提出」という小さな記事が載っていた。これによれば、加藤清正公生誕450年・没後400年記念事業実行委員会のメンバーが、県内外で集めた署名をNHK熊本放送局に提出し、これで昨年から始めた署名数が合計15万4千人に上ったという。かくいう僕も昨年署名した一人だが、はたして大河ドラマ化は実現するだろうか。これまで文禄・慶長の役が、対韓国との関係上ネックになっているという話を聞いたことがある。しかし、幸山熊本市長によれば、現在それは全然問題にならないと言う。先日たまたま出会った加藤神社の氏子のおじさんの話では、それよりも加藤清正の物語には女ッ気が少なく、ドラマになりにくいのだというご説であった。実際のところは、現在まだ他の題材に比べてNHK内部での優先順位が低いというだけなのかも知れない。熊本では横井小楠を大河ドラマにという運動もあるようだし、大河ドラマが数年のうちに終わるということも考えにくいので、過度な期待はせず、気長に待つことにしよう。

「にっぽん紀行」で思ったこと

2010-12-23 21:45:33 | テレビ
 昨夜は久しぶりにNHK総合の「にっぽん紀行」を見た。見たかった理由の半分は、ウォン・ウィンツァンのテーマ曲を聴きたかったからなのだが。昨日は、愛媛県八幡浜市真穴のみかん農家に、収穫時期になると各地からやって来る若者たちと農家の親方との触れ合いの話だった。1ヶ月間、ひとつ屋根の下で寝食を共にすることで、いつしか家族のような絆が生まれてくる様子を密着取材していた。見ながら思った。彼ら、つまり日本全国を転々としながら収穫時期などの短期アルバイターとして働く若者たちのことだが、いったい全国にどの位の人数がいるのだろうか。そして彼らの将来はどうなるのだろうか。実は以前、ヒッチハイクをしながら移動しているそんな若者の一人を車に乗せたことがある。運転しながらいろんな話を聴いたが、その時も彼の将来はどうなるのだろうかと、他人事ながら気になったものだ。奇しくも今日の深夜、RKK熊本放送で映画「深呼吸の必要」が放送される。この映画もそんな若者たちの話だ。前に見た時とは違った視点から見てみよう。
※写真は「深呼吸の必要」の長澤まさみ

残念! 「ひまわり」の上映中止

2010-12-22 17:04:24 | 映画
 先日発表された、来年の「第2回 午前十時の映画祭」上映作品のうち、「ひまわり」が上映中止となったそうだ。来年のラインナップのうち最も期待していた一本だけに残念でならない。中止の理由は劇場上映権について関係国間で問題が発生したためだそうだ。もともとこの「ひまわり」は、監督のヴィットリオ・デシーカ、製作のカルロ・ポンティ、主演のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニなど、基本的にはイタリア映画である。しかし、フランスの制作会社やロケ地のソ連(現在のロシア)などが絡んでおり、しかもアメリカの大プロデューサー、ジョセフ・E・レヴィンやアーサー・コーンらの資金的なバックアップがあって初めて製作が可能になったと言われており、当初から複雑な権利関係が存在するという話は聞いていた。40年ぶりに大画面でニュープリント版が見られると喜んでいたので本当に残念だ。ぜひ問題をクリアして、いつの日か上映をしてもらいたい。



ビアンカ・ライアン ~ クリスマスを歌う ~

2010-12-21 18:02:43 | 音楽芸能
 次世代ディーバとして将来を期待しているビアンカ・ライアンちゃんも今年16歳になった。天才キッズの一人として日本のテレビに初めて登場したのはたしか11歳の時だったから、月日の流れは早いものだ。車の中のラジオからも街を歩いてもクリスマスソングが聞こえてくる季節になったが、ゴスペルも歌うビアンカは、クリスマスソングも得意なジャンルの一つ。オリジナルの「Why Couldn't It Be Christmas Every Day?」とクリスマスの定番「サンタが街にやってくる」を聴いてみた。
●前回の記事
●前々回の記事

Why Couldn't It Be Christmas Every Day?


サンタが街にやってくる

嗚呼! 廣瀬中佐

2010-12-20 19:31:19 | テレビ
 今年の「坂の上の雲・第二部」があっけなく終った。今年は4回しかなかったのでよけいそう感じるのかもしれないが、また1年待つのか、なんだかなぁ・・・(去年も同じ感想だったが)。第二部のエピソードの白眉はやっぱり軍神・廣瀬中佐だ。僕も戦後教育なので廣瀬中佐のことは学校では教わらなかったし、唱歌「廣瀬中佐」も歌わなかった。しかし、幼い頃から祖母や父が何度となく話してくれたし、唱歌も歌っていた覚えがある。「杉野はいずこ」という歌詞は、そのエピソードとともに忘れることはない。豊後街道の熊本と大分の県境を越えたらすぐの竹田市出身であることも親近感を抱いていたのかもしれない。目覚しい武勲をあげたわけでもなく、部下思いだった軍人が軍神として祀られる、日本てなんと素敵な国じゃないか。それにしても、秋山兄弟といい、廣瀬中佐といい、演じる役者よりも本人たちの方がいい男だというのも面白い。


邦楽の次代を担う子どもたち!

2010-12-19 20:51:17 | 音楽芸能
 今日は午後から「熊本県邦楽協会演奏会」を見に行った。こんなにじっくりと邦楽を堪能したのは初めてだ。NHK教育で時々やっているが、テレビではほとんど見たことがない。歌舞伎を見ても、どうしても玉三郎や勘三郎の方に釘付けで音楽はBGMという感覚でしかなかった。今日あらためて日本の伝統芸能の奥深さと日本人にとって大切な共有財産であることを感じ、これを守っている人たちがいることに尊敬の念を抱かずにはいられない。「ザ・わらべ」の子たちも、いつもの舞っている姿と異なり、囃子として小鼓や大鼓や太鼓などに一生懸命取り組んでいる姿が新鮮だった。この子たちが邦楽の次代を担っていくのだと思うととても頼もしく見えた。



シェール ~ わが青春時代のアイドル ~

2010-12-18 15:44:07 | 音楽芸能
 まだ観ていないが、シェールが久しぶりに出演した映画「バーレスク」が評判のようだ。たしか僕らと同年代だから、64歳になっているはずだ。映画のスチールなどを見ても、今や“怪女”といった様子だが、ちょうど僕が大学に入った1964年、ソニー&シェールとして出した「アイ・ガット・ユー・ベイブ」が大ヒットした頃は可愛らしかった。その後、ひとり立ちして映画にも進出。1987年の「月の輝く夜に」では、名監督ノーマン・ジュイソンの腕もあって、アカデミー主演女優賞を受賞した。1998年にリリースした「Believe」が大ヒットして、グラミー賞を受賞、アメリカにおける映画と音楽の2大栄冠を受賞した珍しいスターとなった。わが青春時代のアイドルの一人である。