徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

死刑台のエレベーター

2010-07-31 13:42:52 | 映画
 ヌーヴェルヴァーグの、そしてフィルム・ノワールの名作、あの「死刑台のエレベーター(1957)」が日本でリメイクされ、10月に公開されるという。鬼才ルイ・マルの出世作のリメイクを手がけるのは緒方明。実はこの人の作品は「いつか読書する日(2004)」しか見ていないので、どういう監督なのかよく知らない。ただ、オリジナル版の背景である50年代半ばのフランスの空気感は出せないと思うので、おそらく基本的なプロットをなぞっているだけで、設定も変えられ、全然違う雰囲気の映画になっていると思う。ジャンヌ・モローがやった社長夫人の役を吉瀬美智子、モーリス・ロネのやった不倫相手を阿倍寛が演じるらしい。阿倍ちゃんはリメイクといえば「隠し砦の三悪人」でコケているから大丈夫かな。また、これに合わせてオリジナル版が再公開されるようだ。むしろこちらの方が楽しみだが、はたして熊本で観られるだろうか。


松尾芭蕉が尊敬した俳人 ~ 西山宗因 ~

2010-07-30 21:34:03 | その他
 わが家から上熊本駅方面へ歩いて5分ほどのところに、釈将寺坂という小さな坂道がある。その昔、この坂の中ほどに釈将寺という天台宗のお寺があったことからこの名が付けられたという。この釈将寺は、俳人・松尾芭蕉をして「俳諧の中興開山」と言わしめた談林派俳諧の祖、西山宗因が幼い頃、初めて和歌や連歌に触れ、俳人連歌師への道を歩き始めたお寺である。古地図で見ると、ちょうど釈将寺が建っていたと思しき所の前に道標が立てられ、次のように記されている。
「釈将寺坂・・・江戸時代この上に釈将寺があったのでこの名がある。この附近は武家屋敷が守りを固めた所であり、また有名な連歌師西山宗因はこの寺で学び世に出た。」
 現在、その釈将寺があったと思われる土地にはなんと、フラメンコスタジオが建っている。宗因さん、これを見たらいったいどんな句を詠むだろうか。





釈将寺坂

広島 昭和20年8月6日

2010-07-29 16:31:24 | テレビ
 今年も8月6日がまもなくやってくる。あの日から65年の歳月が流れた。今年の平和記念式典には、史上初めて国連事務総長や駐日米大使らが出席するという。しかし、65年の歳月は否応なしに風化を進行させている。僕は自分自身の中での風化を少しでも食い止めるため、毎年、この時期には太平洋戦争や原爆のことを描いた映画を観ることにしている。今年は、5年前にTBSが制作したドラマ「広島 昭和20年8月6日」を観た。

   『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』

【物語】
 現在、原爆ドームとなっている広島の産業奨励館。かつてこの近くにあった矢島旅館の三姉妹の悲劇的な運命を、今は老いた原爆語り部となった末弟が語る。

【主な出演】
 矢島志のぶ:松たか子
 矢島信子 :加藤あい
 矢島真希 :長澤まさみ
 矢島年明 :冨浦智嗣/西田敏行
 大原靖秀 :玉山鉄二
 重松道昭 :国分太一


出征する末弟を見送る三姉妹。これが永遠の別れとなった

ベラ・チャスラフスカ ~ 東京五輪の華 ~

2010-07-28 20:50:11 | スポーツ一般
 今日の熊日夕刊の特集記事に、かつてのチェコ女子体操の名花、ベラ・チャスラフスカさんを取り上げていた。僕は東京オリンピックを想い出す時、真っ先に思い浮かぶのはチャスラフスカさんのことだ。東京オリンピックでは三つの金メダルを獲り、その美貌と均整のとれたスタイル、優雅な雰囲気で大会の女王的な存在となった。しかし、その後の彼女の人生には想像を絶するような苦難が待ち構えていた。次のメキシコ五輪を目前にした1968年6月、彼女はチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」に積極的に関わったことによってソ連の弾圧の対象となる。10月のメキシコ五輪には何とか出場でき、大活躍したものの、帰国した彼女を待っていたのは「国家の敵」としてのスポーツ界からの追放、そして社会的な抹殺だった。それは1989年の共産主義体制崩壊まで続いたのである。断片的に伝わってくる彼女に関するニュースを見聞きする度に心を傷めたものだ。どんな酷い目に会おうと、決して信念を曲げることのなかった、そして遂には復権を勝ちとったその精神力の強さに心から敬意を表したい。

鳳城の花嫁 ~ 長谷川裕見子さん(享年85歳) ~

2010-07-27 18:57:48 | 映画
 小中学校時代、この方の出演する映画で随分楽しませていただいた。東映時代劇の全盛期で、本数も数えきれないくらいだ。そんな中で、いつも町娘やお姫様役で花を添えていたのが長谷川裕見子さんだった。中でも忘れられない一本が「鳳城の花嫁(1957)」。当時の東映スターの中で一番好きだったのが大友柳太朗だったこともあって特に印象深い映画だ。この映画で長谷川さんは、若殿様と結ばれることになる町娘、つまり“鳳城の花嫁”となるわけだ。“バカ殿”の原点とも言えるコメディタッチのベタな時代劇なのだが、たしか日本で最初のシネマスコープ映画でもあり、まさに娯楽大作といった印象が残っている。古き佳き時代劇の時代を支えた“鳳城の花嫁”よ、永遠に!合掌。


莉瑠(リル)ちゃん ~ 平成22年7月26日生れ ~

2010-07-26 22:10:15 | その他
 甥夫婦に待望の赤ん坊が今日生れた。女の子で名前は“リルちゃん”。僕の弟夫婦にとっては初孫。母にとっては5人目の曾孫である。この名が付けられた経緯はまだ聞いていないが、僕らの世代にとっては、反射的に津村謙の大ヒット曲「上海帰りのリル」を思い出してしまう。あれはたしか「Little(リトル)」の英語的な発音だったように記憶している。それはさておき、リルちゃんが幸せに、すくすくと育っていってくれることを願うばかりだ。

田中千絵という女優

2010-07-25 22:55:09 | 映画
 「海角七号/君想う、国境の南」という映画が台湾で大ヒットしたという話は何かのニュースで聞いたことがあったので、DVDを借りてきて観た。映画の内容はさておき、主演女優は日本人と聞いていたが、この田中千絵という女優、最初のうちは中国人にしか見えなかった。中国語を流暢に話すし、演技がいかにも中国人っぽい。事前に聞いていなければ、きっと綺麗な中国人女優だなと思ったに違いない。観た後、ネットで彼女のことについて調べてみた。なんと、あのメイクアップアーティストのトニー・タナカさんの娘さんだそうだ。もっとも彼女はそう言われることを嫌って、父親のことを誰も知らない台湾に渡ったらしい。今では台湾では知らない人はいないほどの人気女優だそうだ。今後が楽しみな魅力的な女優さんだ。

へるんさんの秘めごと

2010-07-24 22:24:42 | その他
 現在、熊本市現代美術館で開かれている「へるんさんの秘めごと」展を見に行った。へるんさんこと小泉八雲の生誕160年と来日120年を記念した催し物だそうだ。来日した翌年には第五高等学校の英語教師として熊本に赴任し、3年余りを過ごしているので熊本は八雲のゆかりの地の一つである。ところで、この「へるんさんの秘めごと」というネーミングがとても気になった。何かイケない趣味でもあったかのように聞こえる。おそらく、普段、文学を通じてしか接することのない八雲の趣味や嗜好を覗き見ることによって、作品の裏側にある日本観や世界観を窺い知ろうということなのだろう。しかし、展示物を見ただけでは、その趣旨は今ひとつ理解できなかった。
 展示を見たついでに、すぐ近くの小泉八雲熊本旧居にも立ち寄ってみた。昼食時だったからか客も少なく、入ってしばらくしたら僕一人だけになったので、座敷の真ん中に正座し、ボンヤリと部屋の中や庭を眺めて過ごした。外の猛暑や喧騒からも隔絶されたような不思議なひと時を過ごした。




頓写会(とんしゃえ)に行く

2010-07-24 08:37:34 | その他
 昨夜は加藤清正の菩提寺である本妙寺で行われた「頓写会」に行った。近くに住んでいながら、なぜか今まで足が向かなかった。出店の呼び込みをやっていた知人によると、これでもかつての賑わいと比べればだいぶ人出が減ったというが、それでも参道は歩きにくいほどの賑わい。法要が営まれている浄池廟拝殿までの階段を登りきったのは何年ぶりだろう。昔はもっときつかったように感じていたが、2年前に行った金毘羅さんに比べれば随分楽だ。この寺は法華経だが、僕自身もそうであるように、拝んでいる人たちは多分、宗派には関係なく、加藤清正に拝んでいるのだろう。


すっかり寂れてしまった門前町も今日ばかりは人の波


階段を登り、山門(仁王門)をくぐる


写経が行なわれている大本堂

“和”文化のロマンを伝える ザ・わらべ子供舞踊団

2010-07-23 11:45:50 | 音楽芸能
 昨日の熊日朝刊に、子ども日本舞踊の「ザ・わらべ」の紹介記事が載っていた。「ザ・わらべ」とは、日舞や邦楽を通じて、和の文化を伝承して行こうという熊本の子供演舞団だ。平成12年から活動しているそうだが、ある催しで彼女たちの踊りを一度見てすっかり虜になった。見るからにしっかりと稽古を積んでいるなと思わせる彼女たちの踊りは、ほのかな色気さえ感じさせる。最近は人気者になって、いろんなイベントに引っ張りだこのようだ。その後、見るチャンスを逃していたが、来月8日に熊本市古桶屋町で行なわれる「くまもと城華まつり」に出演することがわかったので、なんとしても見に行きたいと思う。


龍馬がグラバーと初めて会ったのはいつ?

2010-07-22 17:52:42 | テレビ
 昨夜のNHK「歴史秘話ヒストリア」は「さよなら 愛しの故郷 ~長崎・グラバー邸 親子2代の物語~」と題して、明治維新の“陰の立て役者”トーマス・B・グラバーが建てた「グラバー邸」に秘められた、グラバー父子の数奇な運命を描いていた。グラバーは坂本龍馬を裏で操った黒幕とも言われているが、そもそも龍馬がグラバーと初めて出会ったのはいつなのだろう。先日放送された「龍馬伝」では、神戸の海軍操練所が閉鎖され、勝海舟の計らいで薩摩藩の世話になることになった龍馬たちが、薩摩へ赴く途中、蒸気船を貸してくれとグラバー邸に押しかけた時が初対面のように描かれていた。しかし、実際には龍馬はその前に勝海舟のお供をして長崎に行っている。海舟日記によれば、元治元年(1864)3月21日に築地居留洋館を見に行ったと記されている。おそらくこの時、龍馬も同道しただろう。築地居留洋館からは目と鼻の先にあるグラバー邸(一本松)が見えなかったはずはない。そしてちょうどその頃、勝海舟と長崎海軍伝習所で同窓だった薩摩藩の五代友厚がグラバー邸に身を寄せていたことも海舟は知っていたはずだ。築地居留洋館から五代を慰問する名目でグラバー邸を訪れたと考える方が自然だ。従って、その時に龍馬とグラバーの面識ができたのではないだろうか。つまり、それこそが維新という大舞台の役者が揃った瞬間だったのではないだろうか。海舟がこのことを日記に記していないのは、彼の当時の立場としては当然のことだろう。

In the Heat of the Night ~ Ray Charles ~

2010-07-21 23:58:17 | 音楽芸能
 連日のこの暑さにはまいる。母は体調がおかしくなった。88歳の老躯には辛かろう。数日、激しい夕立が必ず来るが、降りやむとまた一段と蒸し暑さが増すようだ。いったいいつまで続くのだろうか。夏は暑いに決まっているのだが、地球温暖化の影響か、近年の傾向を見ると、いつか人間の我慢の限界を超えるような気がしてならない。茫っとした頭の中に、急にレイ・チャールズの「In the Heat of the Night(夜の熱気の中で)」のメロディが聴こえてきた。


エリザベス・テイラーの半生を映画化!?

2010-07-20 20:20:42 | 映画
 マイク・ニコルズがエリザベス・テイラーの半生を映画化しようと目論んでいるらしい。いわゆるバックヤードものとしては、ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り(1950)」やジョセフ・L・マンキウィッツの「イヴの総て(1950)」などの名作があるが、はたしてリズ・テイラーをどう描くのだろうか。さてそのリズだが、僕らの年代にとっては美人女優の代名詞的存在だった。際立つ美少女だった「緑園の天使(1945)」や「若草物語(1949)」の頃から、美人女優へと変貌していった「花嫁の父(1950)」や「陽のあたる場所(1951)」。でも僕は、彼女が本当に美しかったのは「ジャイアンツ(1956)」の時がピークだったと思う。あらためて確認してみると、その時なんとまだ23歳だ。その数年後、「去年の夏 突然に(1959)」を見た時、あゝリズも容色が衰えたなと思った覚えがある。今から思えば、まだ27歳だったのに。ところで、エリザベス役にはアンジェリーナ・ジョリーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズが候補に挙がっているというが、はたしてどんな映画になることやら。

もうすぐ夏休み!

2010-07-19 17:45:51 | その他
 三連休を利用して、久留米の次男一家が行楽ついでにやって来て、二晩泊まっていった。てっぺいは一週間後に満3歳となるので、ちょっと早めのバースデイプレゼントをした。前からほしがっていた天装戦隊ゴセイジャー関連のおもちゃ。とにかくひと時もじっとしていない。一日つきあうだけでヘトヘトだ。1年生のみわはもうすぐ夏休み。早くも宿題の自由研究の相談。夏休みに入ったら、またすぐにやってくるだろう。それまでにこちらも彼女が楽しんで取り組めるようなテーマをいくつか考えておこう。「爺バカか!」

 

龍馬の歩いた道を歩いてみよう!

2010-07-19 01:00:47 | テレビ
 NHKの「龍馬伝」も第3シーズンに突入したが、どうも最近、「へぇ、そうなの!?」というより「んなわけねぇだろ!」というシーンが多くなって、視聴をスルーしてしまう週もある。いくらフィクションとはいえ、やはりある程度は納得性がないとなぁ。そんなわけでドラマより、最近は実際のところどうだったんだろうということが気になりだした。そこで今度、龍馬が1864年に熊本を訪れた際、勝海舟の遣いで、宿舎となった熊本城下の本陣から、横井小楠のいる沼山津の四時軒まで歩いた道、約12kmをなぞってみようかと思う。そんなイベントも行なわれているらしいが、ブラタモリよろしく古地図片手に自分の眼で確認しながら歩いてみたいものだ。おおよそのコースは推測できる。今、一新幼稚園がある新町の本陣跡を出発し、船場橋で坪井川を渡る。そこから南下して、当時、白川にかかる唯一の橋だった長六橋を渡り、御船口で木山往還に入る、といった按配だ。ただ、当時の道は無くなっている箇所もあるかもしれないので、実際に歩いてみたらどうなるか楽しみだ。早速準備に入ろう。