徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

今年もお世話になりました!

2016-12-31 18:38:47 | 
皆さま今年も大変お世話になりました!
今年は熊本地震という百年に一度あるかないかという自然災害に見舞われ、大変な年になりましたが、来年は平穏無事な年になってほしいものです!
新年も相変わらぬご好誼のほどよろしくお願いいたします!
どうぞよいお年をお迎えください!

▼今日の熊本城の風景です!





漱石 & 熊本 & かっぽれ

2016-12-30 21:21:17 | 音楽芸能
 先週土曜日、城彩苑で出逢った千葉県在住の熱烈な花童ファンのAさんご夫妻。ご自身のブログに、12月17日、東京新宿区の四谷区民ホールで行われた舞台「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」東京公演の克明な観劇レポートを掲載しておられる。花童ファンの一人として大変ありがたい記事であり、ぜひご紹介したい。

     ブログ空はどこから~その後



熊本公演

 Aさんはこの記事の中で、花童の二人(あかね&ゆりあ)が踊った「肥後の通り名」という曲の中に、なぜ熊本とは関係のない「かっぽれ」が含まれるのか疑問に思われたようだ。それは至極もっともな疑問だと思う。
 「肥後の通り名」という曲はこの舞台劇のために作られた曲ではないが、加藤清正の熊本城築城に始まる400年の歴史を言祝ぎ、城下町の移ろいを「通り名」に寄せて唄い踊る。
 一方、「かっぽれ」は江戸時代、大坂の住吉踊りに端を発し、願人坊主らによって大道芸として江戸に伝わり、洗練されて江戸芸として発展した。明治中期には全国で大流行し、祝事には必ず唄い踊られるようになったと伝えられる。漱石の「坊っちゃん」にも登場することをご存じの方も多いだろう。
 漱石が熊本にいた頃、東阿弥陀寺町にあった東雲座(明治21年開業)で鏡子夫人が女歌舞伎を見物したという史実があり、その頃、既に九代目市川団十郎も歌舞伎舞踊に「かっぽれ」を摂取しており、それは当時、熊本で大人気の少女歌舞伎にも当然取り入れられていたであろうことは想像に難くない。当時の世相を表現するのにもっともふさわしい曲だったと言えるかもしれない。


東京公演

BALLAD 名もなき恋のうた

2016-12-29 18:45:24 | 映画
 今日、NHK・BSプレミアムで映画「BALLAD 名もなき恋のうた」が放送された。この映画の熊本ロケにボランティアスタッフとして参加してからもう8年も経つんだと思いながら、久しぶりに再見した。山崎貴監督が登壇された試写会の時とビデオが発売された時、そして今回が3回目だ。以前、くまもとフィルムコミッションに登録していたので、エキストラやスタッフとして3本ほど参加したが、エンドクレジットに名前を載せてもらったのはこの「BALLAD」だけ。そういう意味でも忘れられない1本となった。阿蘇を中心とした熊本ロケは2週間ほど続いたが、僕の仕事は毎日のエキストラの員数を確保すること。他のスタッフとともに、あらかじめ登録されているエキストラ希望者に電話をかけまくった。阿蘇では合戦シーンが撮影されたのでエキストラの集まりが悪い日は撮影も苦労されただろう。「三丁目の夕日」シリーズなどで知られる山崎監督だが、この作品では得意のVFXは極力控えておられたのがとても好感が持てた。
 ところで今夜、その山崎監督を取り上げた番組がNHK・BSプレミアムで放送される。
  「日本のVFXを変えた男 ヒットメーカー 山崎貴の挑戦」10:30~11:30


谷汲観音 & 泉の観音

2016-12-28 19:29:16 | 熊本
 2ヶ月ほど前、無事は確認していたが、本堂の改修工事中だった高平の浄国寺に谷汲観音様を参拝する。奥様の話では、本堂の天井や壁が落ちるなど、それはそれは酷い状況だったそうだが、観音様は奇跡的に無事だったそうだ。数ヶ月にわたる本堂の改修も終り、観音様も以前と同じ位置に鎮座ましましている。対面するのは3回目だ。相変わらずその神々しいお顔を拝見すると、その目がこちらのこころの内などお見通しであるような気がしてしまう。来年の国土安穏を祈りながら手を合わせた。


谷汲観音(松本喜三郎 作)


 今回はもう一つ思わぬ出逢いがあった。昨年3月いっぱいで閉店した交通センターのセンタープラザで、シンボル的な存在だった泉の広場の観音様と再会したのである。桜町の再開発が終わるまで、ここ浄国寺に一時的な遷座をしていた。泉の広場は待ち合わせの場所となっていただけに想い出のある方もきっと多いだろう。この大理石の観音様も地震で横転したそうだが、不思議なことに傷ひとつ無かったそうである。


センタープラザの泉の広場にあった観音様


2015年3月31日 センタープラザ閉店の日

後朝(きぬぎぬ)の別れ

2016-12-27 19:23:46 | 美術
 かつて西日本有数の遊郭街だった二本木をテーマに絵を描き続けた絵師・古場田博さんが6月にひっそりと亡くなっていた。
 僕は11月頃、福島竹峰さんのFacebookでそのことを知った。6月といえば熊本地震からまだ2ヶ月足らず、まだ落ち着きを取り戻していない頃。新聞の訃報欄も見落としたのだろう。作品展を何度か観に行ったことがあるが、彼が幼い頃に垣間見、そしてずっと胸に抱きつづけた紅燈の街の光と影が見事に表現されていた。彼の作品の中で僕が最も好きな作品が「後朝の別れ」。後ろ髪ひかれる思いで去って行く遊客と見送る遊女の情感あふれる朝の風景である。古場田さんはたしか僕より若かったと思うので残念でならない。
 ちなみに、二本木遊郭でおなじみの「東雲節」にも「後朝の別れ」の風情が唄い込まれている。

〽なにをくよくよ川端柳 こがるるなんとしょ
 水の流れを見てくらす
 東雲の暁の鐘 ごんとつきゃ辛いね
 てなことおっしゃいましたかね

▼後朝の別れ

湖岸道路と近江のお兼

2016-12-26 20:07:10 | 歴史
 滋賀県の彦根で勤務していた頃、よく県内の高校をリクルートして廻った。彦根から琵琶湖の周囲を反時計回りするのが定番だったが、木之本の伊香高校から湖北を回って湖西に出ると、湖岸道路を南下するのが一番好きなコースだった。高島高校から安曇川高校、そしてずっと下って堅田高校という具合だ。湖北から湖西にかけて湖岸道路から眺める琵琶湖はどこから見ても美しかった。
 ところで、鎌倉時代の説話集「古今著聞集」に登場する、暴れ馬を足一本で止めたという怪力女「近江のお兼」は、実は高島の海津に伝わる伝説らしいのだが、歌舞伎舞踊「近江のお兼(晒女)」では、舞台が近江八景の一つ「堅田の落雁」で知られる堅田に置きかえられている。




2016年12月25日 熊本市国際交流会館6Fホール
第52回熊本県邦楽協会演奏会
三味線:杵屋六花登・諏訪佐和子・内山陽子・緒方昌枝・清田敦子
    本田照子・後藤律子・田神和親・濱津和子・緒方敏子・堀内浩子
 唄 :宇野民子・今村梨江子・木庭順子・西なつみ
太 鼓:今井冽
大 鼓:今村孝明
小 鼓:中村花誠・鬼塚美由紀・中村くるみ
 笛 :藤舎仁鳳

2016年 邦楽聞納め

2016-12-25 18:55:20 | 音楽芸能
2016年12月25日 熊本市国際交流会館6Fホール
第52回熊本県邦楽協会演奏会



▼長唄・囃子「元禄花見踊」--- 花と誠の会・蓑里会・うらら会







▼長唄・囃子「五條橋」--- 花と誠の会・うらら会・蓑里会

三味線:杵屋五司郎・杵屋五司雄・杵屋五司幸・杵屋五司紀久・杵屋五司美幸・杵屋五司優
 唄 :杵屋六花登・宇野民子・今村梨江子・木庭順子・杵屋五司城
大 鼓:今村孝明
小 鼓:中村花誠・鬼塚美由紀・中村くるみ・今井冽
 笛 :藤舎仁鳳

花童 2016年舞納め

2016-12-24 21:01:40 | 音楽芸能
 花童の、城彩苑湧々座における2016年舞納めを見届けに出かけた。湧々座前のロビーで声をかけて来る人あり。千葉県の松戸からやって来たという中年のご夫婦。花童が見たくてやって来たとおっしゃる。何で花童をお知りになりましたかと聞くと、YouTubeで見つけてハマっていると。どうも僕がアップした動画をよくご覧になっている模様。花童に関する知識がハンパじゃない。先般の東京での公演「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」も、あかね・ゆりあ見たさに行かれたんだそうな。それが花童をナマで見た最初だったらしく、連休を使ってわざわざ熊本へやって来て、湧々座の公演を昨日今日と二日続けてご覧いただいたようだ。ありがたいことだ。観客が少ないのを残念がっておられた。こんな花童ファンが他にもきっといらっしゃるんだろうなぁ。










映画「沈黙 ‐サイレンス‐ 」の公開

2016-12-23 21:33:52 | 映画
 マーチン・スコセッシ監督の映画「沈黙」(遠藤周作原作)が来月公開される。僕が、スコセッシ監督が「沈黙」の映画化に取り組むという記事を初めて目にしたのはたしか10年ほど前。さらにそれから3年ほど経った頃、いよいよクランクインが近い、キャスティングも始まったというニュースが流れた。ベニチオ・デル・トロやダニエル・デイ=ルイスらの名前が上がったりした。しかし、その後これと言った話は伝わらなくなっていたが、IMDb(Internet Movie Database)には2013年公開としてリストアップされたりもした。いろいろトラブルもあったらしいが、10年前に初めて知った時点で、スコセッシ監督は構想10年とか言っていたから、構想して実現するまでに20年以上かかったことになる。やっぱり映画というのは大事業だ。
 さて、映画を観る前にこの物語の時代背景を整理しておくと

1623年(元和9年)  徳川家光、江戸幕府第3代将軍就任
1624年(寛永元年)  スペイン船の来航禁止
1629年(寛永6年)  女舞・女歌舞伎の禁止
1637年(寛永14年)  島原の乱
1639年(寛永16年)  紅毛子女追放令により14歳のお春がバタビアに追放される

 そして、この「沈黙」の物語は島原の乱から数年後という設定である。

▼精霊船に蛍を乗せて異国のお春(じゃがたらお春)に届けたいと唄う「流れ灯」

歴史的な能のトーキー映画「葵上(あおいのうえ)」

2016-12-22 17:26:42 | 
 昭和10年、野上豊一郎監修による能楽映画「葵上」。鉄道省観光客局が日本の文化を海外に宣伝するための国策映画で、初めての能のトーキー映画。英語・ドイツ語・フランス語版が作られた。
 シテを務めたのは金春流・櫻間金太郎(後の弓川)。明治期の肥後能楽の名人・櫻間伴馬の子。ワキは下掛寶生流の寶生新。夏目漱石に謡の指導をしたことでも知られる。他にもアイ狂言や小鼓など、後の人間国宝が5人もいる。
 撮影した能舞台はPCL(東宝映画の前身)のスタジオに、麹町富士見町の細川家の能舞台を模して組み立てられたもの。
 野上豊一郎は大分県臼杵市出身の英文学者、能楽研究者。東京帝大時代に夏目漱石に師事した。能楽の研究や英文学の翻訳など著書は数多い。国内唯一の能楽に関する総合的な研究機関である野上記念法政大学能楽研究所の母体を作った。妻は小説家の野上弥生子。

シ  テ(六條御息所)櫻間金太郎(金 春 流)
ワ  キ(横河の小聖)寶生  新(下掛寶生流)
シテヅレ(巫   女)櫻間 龍馬(金 春 流)
ワキヅレ(大   臣)光本 彌一(下掛寶生流)
ア  ヒ(下   人)山本東次郎(大 蔵 流)
笛          一噌又六郎(一 噌 流)
小  鼓       幸  伍朗(幸   流)
大  鼓       川崎 利吉(葛 野 流)
太  鼓       金春惣右衛門( 金 春 流)
地  頭       金春栄治郎(金 春 流)


▼前編(写真をクリックすると動画を再生します)


▼後編(写真をクリックすると動画を再生します)


【あらすじ】
 光源氏の正妻である葵上は、執拗な物怪(もののけ)に悩まされ、病の床にふせっていました。そこで、朱雀院(すざくいん)に仕える臣下が、照日の巫女を左大臣邸に招き、物怪の正体を占わせます。巫女が弾く梓弓(あずさゆみ)[霊魂を呼び出すのに用いる弓]の音に引かれて、六条御息所の生霊が現れ、皇太子妃だった花やかな昔に比べ、源氏との仲が遠ざかり、顧みる人もいなくなった今の境遇を嘆きます。そして、賀茂の祭に先立つ斎院御禊(さんいんごけい)の日の「車争い」で、葵上一行に辱めを受けて以来、抑えることのできなくなった、尽きせぬ恨みや嫉妬を告白します。ついには、高ぶる感情を抑えきれず葵上を激しく打ち据え、破れ車(やれぐるま)[車争いで壊された車]に乗せてあの世へ連れ去ろうといって姿を消します。葵上の容態の急変に比叡山(ひえいざん)横川の行者が呼ばれ、祈祷(きとう)を始めると、嫉妬と恨みのあまり鬼相となった六条御息所の生霊が再び姿を現します。生霊は行者の法力と激しく戦いますが、御仏の声に祈り伏せられ、ついには悪心を捨て、成仏する身となります。(文化デジタルライブラリーより)

阿波徳島のはなし。

2016-12-21 21:25:16 | 
 今夜の「ファミリー・ヒストリー」(NHK総合)は北野武の登場。ルーツが徳島だというのはちょっと意外。
 徳島といえば、家内と二人で四国一周ドライブ旅行をしてから8年が過ぎた。この旅行の主目的が、天才少女詩人・海達公子のルーツである徳島県美波町を訪ねることだった。ノープランのいい加減な旅だったのだが、現地の方々のご親切に助けられて目的を達成することができた。撮影しそこなったポイントは、後日、わざわざ現地へ出向いて撮影した写真を送っていただいたり、追加資料を送っていただくなど、阿波の人々の温かさは一生忘れられない。
 江戸時代、14代284年にわたって徳島を治めたのは蜂須賀小六を祖とする蜂須賀家。子どもの頃よく読んだ豊臣秀吉の伝記に登場する野盗の頭目が蜂須賀小六。荒々しい大男のイメージが定着しているが、これは後世の創作で実は小柄で頭の切れる参謀タイプだったらしい。尾張国蜂須賀郷の生まれで、秀吉の四国攻めで功を挙げ、阿波国を与えられた。それまで近江、播磨、阿波と領地が変わったらしい。「ジャパンブルー」といわれる「阿波藍」や前任地の播磨から技術移転した製塩など産業振興にも力を発揮した。
 ちなみに蜂須賀家の家老中村右近の側室の子が、歌舞伎の初代中村勘三郎であり、能楽の肥後金春流中村家とともに尾張国中村を本籍とするそうだ。


かつて日本全国はおろか、朝鮮・中国まで販路を開拓した阿波の海産物行商人「阿波のいただきさん」

防府と細川幽斎公

2016-12-20 17:27:13 | 歴史
 今から40年前、2年半暮らした山口県防府市。社宅があった石ヶ口地区から目と鼻の先に鞠生(まりふ)という地区があった。昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」に登場した楫取素彦・美和子夫妻ゆかりの鞠生幼稚園なんていうのもあったが、この鞠生が実は昔の海岸線。干拓による新田開発が進められて今では海岸線はずっと南の方に移動したが、その名残りとして、鞠生には松林が多く残っている。
 天正15年(1587)7月、この鞠生を、肥後細川家の祖・細川幽斎公が訪れている。九州平定のために出陣した関白秀吉を福岡・筥崎宮で陣中見舞いした後、瀬戸内を船で帰る途中、山口見物をし、萩往還を通って周防国府(現在の防府)に入っている。この旅の様子は「九州道の記」に次のように記されている。

―― 十日、山口を出で、国府天神へ著きて、まりふの浦近き田しま迄、船のまはるを待ちて休み居たるに、當社の供僧圓楽坊、発句所望ありて、一面なりとも連ぬべしとて興業あり。入相の時分より初まりて、夜半過ぐるほどに百韻満じける。其時船著きたる由注進あり。天神の御計らひとて、衆徒喜ばれける。
 色わけよまつこそ風の手向け草
田しまの港にて、まりふの浦を見るに、網の多く掛け干してあれば、
 真砂地にあみ張り渡しもて遊ぶまりふの浦の風もたえつゝ ――

 乗船する船が田島の港に着くまで鞠生の浦で休んでいたが、防府天満宮の供僧の申し出で連歌の会を催し、夕方から夜半過ぎまで百句を連ねた頃、船がやって来たようだ。幽斎公はやはり相当名高い歌人だったと見え、旅の各地で歌を所望されている。


2年半暮らした防府市石ヶ口の社宅


海岸線の名残り、鞠生の松林



細川幽斎公(水前寺成趣園)

西原村の“絹おとめ”

2016-12-19 17:15:04 | 熊本
 今日、知人が阿蘇・西原村特産のブランドさつまいも「絹おとめ」を持ってわが家を訪れる。毎年「絹おとめ」をいただいているのだが、今年は4月の熊本地震で西原村にも激震が襲い、さつまいも畑の畝が崩壊、室の損壊も多かったと聞くので、今年は「絹おとめ」にはお目にかかれないかと思っていた。それだけに例年と変わらぬ甘さを味わえたことはこの上ない喜びである。

 その西原村を拠点に活動する音楽デュオ、ビエント(Viento)さんもご自宅が損壊し、避難所暮らしをしながら、演奏活動を続けられたと聞く。一日も早く、従前のような生活が戻ることを祈るばかりである。


▼本丸御殿でのビエント演奏(2013年春のくまもとお城まつり)

作曲:ビエント(Viento) 作調:中村花誠

2016年邦楽聞き納め

2016-12-18 21:01:39 | 音楽芸能
 今週末は「第52回 熊本県邦楽協会演奏会」。今年の邦楽聞き納めになるだろう。

◇と き 平成28年12月25日(日)13:00開演
◇ところ 熊本市国際交流会館6Fホール
◇入場料 1500円

【曲 目】
 1.長唄・囃子  元禄花見踊・・・・・・・・・花と誠の会・蓑里会・うらら会
 2.小唄     よさこい時雨/河岸の柳・・・堀の会
 3.三曲     楫枕・・・・・・・・・・・・若菜会
 4.肥後琵琶   菊池くずれ・・・・・・・・・教演会
 5.長唄     小鍛冶・・・・・・・・・・・蓑里会
 6.都山流尺八  平和の山河・・・・・・・・・都山流尺八楽会
 7.俚奏楽・端唄 隅田の流れ/さのさ・・・・・秀椿会
 8.小唄     十六夜清心/権現堂・・・・・堀の会
 9.長唄     晒女・・・・・・・・・・・・うらら会・花と誠の会
10.三曲     夕顔・・・・・・・・・・・・都山流尺八楽会
11.俚奏楽    椿慕情・・・・・・・・・・・秀栄会
12.筑前琵琶   坂崎出羽守・・・・・・・・・熊本旭会
13.琴古流尺八  雲井獅子・・・・・・・・・・若菜会
14.長唄・囃子  五條橋・・・・・・・・・・・花と誠の会・うらら会・蓑里会   


▼第50回熊本県邦楽協会演奏会(2015.1.25 くまもと森都心プラザホール)より

なんて年だ! 2016年!

2016-12-17 21:02:34 | 
 2016年という年は、わが一生の中でも最も忘れられない年になるかもしれない。
 今年は年初からなぜか、熊本が全国的な話題になることが続いた。全国で唯一現役として残っていた熊本電鉄の「青ガエル」の引退。行定勲監督による熊本キャンペーン映画「うつくしいひと」の公開。NHKの人気番組「ブラタモリ」熊本編の放送。さらには、夏目漱石の没後100年、来熊120年という記念年にあたり、全国的な漱石関連行事が行なわれた。
 ところが、これらを遥かに超える話題となってしまったのが、4月に発生した熊本地震。震度7の地震が連続して発生するという前代未聞の出来事に「前震」「本震」なる言葉が広く知られることとなった。茫然自失の状態から、下半期に入りやっと本格的な復旧復興が始まり、テレビでは熊本とその象徴である熊本城の復興を取り上げる番組が多くなった。また、熊本地震がなければ見ることはできなかったかもしれないイベントも数多く催され、被災者のこころの復興に与って力があったと言えよう。



2月14日 青ガエルの引退



2月15日 くまもと映画「うつくしいひと」試写会



3月19日 NHK「ブラタモリ」で熊本編放送



4月4日 熊本城の桜も満開



4月13日 夏目漱石来熊120年「お帰りなさい漱石祭」



4月13日 夏目漱石来熊120年「お帰りなさい漱石祭」


熊本地震!!!(前震4/14 本震4/16)



4月18日 熊本地震本震(4/16)でマンション崩壊



4月19日 重要文化財の熊本城北十八間櫓も崩壊



6月8日 部分崩壊した百間石垣もまだ手付かずのまま



7月14日 「英雄の選択」(NHK・BSプレミアム)熊本および熊本城復興を絡めた番組が多くなる。



7月18日 熊本復興支援 野村万作・野村萬斎の狂言



7月29日 熊本復興支援 佐渡裕 指揮 スーパーキッズ・オーケストラ



9月3日 熊本復興ねぶた



9月16日 飾り卸し 開催が危ぶまれた藤崎八旛宮秋季例大祭は予定どおり挙行された。



10月2日 熊本地震復興支援「内海桂子と輝く仲間たち」