徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

雨と桜と熊本城

2016-03-31 19:25:28 | 熊本
 テレビで熊本城の桜が満開と言っていたので、小雨が降り続く中、傘をさして行ってみた。平日、しかも雨天というのに観光客の多さには驚く。残念ながら花見はできないが、あちこちで多くの人たちが、桜と熊本城を背景に記念撮影をやっていた。明後日の土曜日は晴れそうなのでおそらく人出は今日の比ではないだろう。



頬当御門を目指す観光客の傘の波は引きも切らず



桜の薄桃色と、熊本城の黒のコントラストが見事


本丸のこの人だかりはなに? と近寄ってみると


おもてなし武将隊のMCで、佐田の海関をモデルに、床山さんの髷結いの展示が行われていた

鹿本農高郷土芸能伝承部よりのお礼状

2016-03-30 18:56:12 | イベント
 東日本大震災から5年に当たり、去る3月11日に宮城県名取市閖上地区で行われた追悼イベントで、鹿本農高郷土芸能伝承部の皆様が山鹿灯籠踊りを奉納したことを、このブログでご紹介しました。当日、山鹿灯籠踊りをご覧いただいた現地、名取市民の方から鹿本農高の皆様への感謝のコメントが書き込まれましたので、早速、部員の皆様へお伝えしましたところ、同部のN様よりご丁寧なお礼の葉書をいただきましたのでご紹介します。部員の皆様が本当に良い経験と学習をされたことがよくわかります。
 また、当日の模様をブログに写真付きでご紹介いただいた「無題・休題-ハバネロ風味-」様には心より厚くお礼申しあげます。


漱石と童謡

2016-03-29 21:42:55 | 音楽芸能
 ある知人から、「夏目漱石ゆかりの童謡といえば何?」とたずねられた。すぐには思いつかなかったので調べてみた。漱石が、「吾輩は猫である」「坊っちゃん」を発表した雑誌「ホトトギス」の明治38年1月号に、その名も「童謡」と題する詩を発表している(下記参照)。日本で「童謡」なる言葉を使い始めたのはこれが最初ではないかとも言われているらしい。ただ、詩を読んでもおよそ今日の童謡のイメージには程遠いし、当時は、童謡と言っても曲はついていないのが普通だったので、これが漱石の童謡ですと演奏して聞かせることができない。
 そこで、漱石の東京帝大教授時代の門下生に鈴木三重吉という人がいる。漱石門下で中心的な活動をした人で、漱石没後の大正7年に児童文芸誌「赤い鳥」を創刊し、児童の情操教育に童話や童謡を活用しようという「赤い鳥運動」を興した。この運動には、芥川龍之介、野上豊一郎、高浜虚子など漱石ゆかりの人々を始め、多くの文化人がこぞって賛同した。今日では三重吉は日本の児童文化運動の父とも呼ばれる。その「赤い鳥」のパートナー北原白秋が、創刊間もない「赤い鳥」に発表したのが、「赤い鳥小鳥」という、まさに「赤い鳥運動」を象徴するような童謡だった。その意味でこの「赤い鳥小鳥」を漱石ゆかりの童謡の一つとして挙げたいと思う。

▼「童謡」と題する漱石の詩

花嫁の父

2016-03-28 21:34:06 | 
 栗田さんのお嬢さんが結婚された。僕は娘がいないので「花嫁の父」の心境がわからない。他人から聞いた話では、父親にとって娘の結婚というものは、息子の結婚と違って随分と複雑な心境になるものらしい。
 日本映画では、よく小津安二郎監督が好んで取り上げたテーマで、いつも笠智衆さんが父親の微妙な心模様を演じた。
 アメリカ映画でも、スペンサー・トレイシーが父親を演じた「花嫁の父(1950)」という名作がある。娘の結婚に向き合う父親と母親の違いが面白かった。ハリウッドがまだ光り輝いていた50年代初頭の珠玉のコメディである。もっとも、まだ20歳になる直前のエリザベス・テイラーが娘だから、誰しもメロメロになるのは当たり前なのだが。
 それはさておき、栗田さんと娘さんご夫婦のお幸せを祈るばかりだ。


桜花爛漫 今宵の春

2016-03-27 21:21:37 | イベント
 水前寺まつり最終日の今日は、花冷えの水前寺成趣園・能楽殿では舞踊団花童や音の和MUSICなどの出演による華やかな舞台が繰り広げられた。










【動画】


老いせぬや 老いせぬや 薬の名をも菊の水 盃も浮かみ出て
友に出逢うぞ嬉しき この友に出逢うぞ嬉しき

よも尽きじ よも尽きじ 萬代までの竹の葉の酒
酌めども尽きず 飲めども変わらぬ 秋の夜の盃

お帰りなさい漱石祭

2016-03-25 17:10:22 | イベント
 明治29年4月13日に漱石先生は、上熊本へ降り立ちました。今年は来熊120年。これを記念して歓迎セレモニーとパレードが開催されます。歓迎セレモニーでは、楽団による演奏や漱石記念年をPRするラッピング市電の出発式などが予定されています。

日 時 4月13日(水)午後1時半から
場 所 【歓迎セレモニー】JR上熊本駅
 ※セレモニー後、人力車で移動
  (新坂→第五旧居→上通り)
【パレード】上通り→新市街

※参加希望者は、当日直接会場へ
※右の写真は、20年前の平成8年に、漱石来熊100年を記念して行われた「96'熊本漱石博」のセレモニーの模様



明治41年2月9日の九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)の記事に、次のような漱石の話が残されている。



漱石が降り立った上熊本駅(池田停車場)の一部は移築され、市電の駅舎として使われている。



漱石が人力車で下った新坂の今日

石は吊ってもつ 吊ってもつ石は

2016-03-24 19:08:07 | 歴史
 先日、某テレビ番組でイースター島のモアイ像の運搬方法を再現していてとても興味深かった。見ながらふと、伊勢音頭の原詩「石は吊ってもつ 吊ってもつ石は 尾張名古屋の城の石」という歌詞を思い出した。
 この音頭の起源については、慶長年間の名古屋城普請のとき、加藤清正が自ら木遣を唄って石曳きの音頭をとり、難工事を成し遂げたという伝説があり、名古屋城には「清正公石曳きの像」なるものまで建てられている。この工事に従事していた岐阜の付知村民は、この音頭を大切に受け継ぎ、伊勢の神木を送り出すときの木遣音頭として今日に至っている。なお、「弥長久(やーとこせ) 世弥成(よいやな)安楽楽(あらら)是者伊勢(これわいせ)是善所伊勢(このよいとこいせ)」という囃子詞は千数百年も昔から伝わる伊勢神宮の御詠歌だそうだ。
 清正は天正16年(1588)、佐々成政改易後の隈本城に入城し、間もなく北側の茶臼山熊本城の建設に着手した。この清正が熊本城を築城する時期の遺構と考えられるものが、現在の国立病院機構熊本・附属看護学校が建設される前の発掘調査で発見されている。それは遺跡東側を南北に通る道路で、古代の官道遺構でも見られる波板状の窪みを入れたもので、南側から緩やかな傾斜で北側に登っており、熊本城建設の際に石材や木材を運ぶために作られた修羅道の可能性があるという。
 熊本城築城に携わった高瀬の大工棟梁善蔵の思い出を聞き書きした「大工善蔵より聞覚控」という古文書には、「材木は阿蘇、菊池、茶臼山周辺、権現山などから切り出しになり、石は六甲山、祇園山、岡見岳、津浦あたりからも取り寄せられた。木馬道から木と石を運んだが、車があったからこそ出来たのである」と記されている。



清正の熊本城築城当時、現在の桜の馬場は白川が流れており、舟運により建設資材を運んだ。


この看護学校の辺りを、材木や石を運搬する修羅道が通っていた。


くっきりと残る修羅道の跡。写真の下側(東側)


香川県小豆島土庄町には、大坂城築城時、清正らが石を切出し運搬した地車などが再現されている。


現在、熊本城の奉行丸申未櫓がある辺りを修羅道が通っていたのだろうか。


▼伊勢音頭/木遣

能に登場するエルビス ~Blue Moon Over Memphis~

2016-03-23 20:24:26 | 音楽芸能
 Theatre NohgakuさんのFacebookに「Blue Moon Over Memphis」という英語による新作能の紹介が載っていた。欧米には能に熱心に取り組んでいる人たちがいるという話は前から聞いているが、この能はなんとあのエルビス・プレスリーを題材にした能だという。僕らの年代は、昭和30年代から40年代前半に小・中・高・大学と過ごしているので、エルビスの全盛期にドンピシャの年代だった。ビートルズが出てくる何年も前のことだ。そのエルビスに!? 生前の彼は、能など日本の伝統芸能の世界とは最も遠い存在と思っていたから、怪訝な思いを禁じ得なかった。
 彼のファンにとって聖地となっているテネシー州メンフィスの、かつての邸宅グレイスランドを訪れた旅人の前にエルビスの霊が現れるという物語らしい。そう言えば、だいぶ前にグレイスランドにはエルビスの幽霊が出るとか出ないとか噂があった。たしかそんなことを歌った歌もあった覚えがある。
 それはさておき、機会があればこの能を拝見したいものだ。
 実は僕は、エルビスが徴兵された1958年頃までの彼はあまり好きではなかった。しかし、2年間の兵役を終えて戻ってきたエルビスは、以前の尖った印象が消え、すっかり好青年にイメージチェンジしていた。G.I.ブルース、燃える平原児、嵐の季節、ブルー・ハワイ、夢の渚など立て続けに映画に出演した。除隊した後の彼の映画はほとんど見に行ったものだ。
※写真はアン・マーグレットと共演した「ラスベガス万才」

▼能「Blue Moon Over Memphis」


▼監獄ロック

菊池水源 ~ “うつくしいひと” & “精霊の守り人” ~

2016-03-22 21:15:32 | テレビ
 昨日から、行定勲監督がメガホンをとったくまもと映画「うつくしいひと」がネット上で公開されている。熊本県内の有名観光地が次々と背景に映し出されるが、なかでも菊池水源は特に印象深い場面で登場する。



くまもと映画「うつくしいひと」公式ホームページ
http://kumamotoeiga.com/


 菊池水源と言えば、先週土曜日から始まった綾瀬はるか主演の連続ドラマ「精霊の守り人」(NHK総合)でも重要なシーンで登場した。おそらく第2回以降も何度か登場するだろう。
 ロケ地に選ばれた作品が相次いで公開され、注目されることは間違いないので、今年は観光客も増えるに違いない。


花の薪能 ~健軍神社~

2016-03-21 20:51:08 | イベント
 益城町文化会館で行なわれた「伝統文化にふれる会」を見に行った。この会のことについては後日あらためて触れることにして、会の終了後、帰りに近くを通るついでに健軍神社に立ち寄った。この神社には随分久しぶりにお参りした。立ち寄った目的は、4月6日にこの神社の境内で行われる毎年恒例「花の薪能」のパンフレットをもらうためだ。この能は前から見たいと思いながら、いつも他の用事と重なってまだ一度も見ていない。今年こそは見ることができるだろうか。

※クリック拡大






▼伝統文化にふれる会(後日あらためてご紹介)

孫娘の卒業

2016-03-19 18:33:04 | ファミリー
 孫娘のみわが小学校を卒業した。
 僕には男の子しかいなかったので、12年前に孫娘が誕生したことがことのほか嬉しかった。彼女がこのブログに初めて登場したのは、今から11年前。もうやがて1歳の誕生日を迎える頃(下の写真)だった。正月休みにわが家へやって来ると、僕のパソコンデスクの周りでほふく前進したり、伝い立ちをして、置いてあるものを何でも手に取った。可愛くて仕方なかった。まわりから見れば「爺バカ」そのものだったにちがいない。
 子供の成長は本当に早いものだ。思えばこの12年があっという間だった。4月になれば中学生。彼女にとって楽しいことばかりではないだろう。いろいろ大変なこと、辛いこともあるに違いない。これからも、できる限りの応援を続けなければと思っている。

日本女子水球の行方

2016-03-17 19:26:54 | 水球
 32年ぶりにオリンピック出場を決めた男子水球に続けとばかり、女子水球チームが、来週からオランダで行われる世界最終予選に参加することになった。日本を含め12ヶ国が参加し、上位4ヶ国がオリンピックに出場できる。まず、2グループに分かれて予選ラウンドが行われるが、日本が組み入れられたAグループには、ロンドンオリンピックのチャンピオン、アメリカを始め、カナダ・ギリシャ・スペイン・南アフリカと強豪ぞろい。この中で上位2チームに入るのはかなり厳しいと言わざるを得ない。
 昨日、TBSのニュースで日本女子チームの秘策は「パスライン・ディフェンス」と言っていた。これは僕らの時代にもやっていた「アウトサイド・ディフェンス」のこと。欧米の体が大きくて力が強いフローター対策として、またカウンターを狙う攻撃的な守備として一つの方法ではあるが、実はこれがなかなか難しい。ジャストパスを入れられたらアウトだし、カウンター攻撃につながらなければ意味がないし、ディフェンダーは今まで以上に俊敏さとタフさを求められる。
 まぁ、今回は協会にせっかくチャンスを与えてもらったのだから、日本女子水球の将来のために、世界のギリギリの戦いの場を体感してきていただきたい。それは必ず生きてくるだろうし、また生かさなければならない。

▼2015日本選手権 女子水球決勝戦