徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

寺川綾&入江陵介&鈴木聡美 ~ 価値ある銅メダル三連発! ~

2012-07-31 16:03:47 | スポーツ一般
 2、3時間も寝たろうか。朝方3時半頃から注目の男女100m背泳ぎ決勝があるというので気合で起きた。一番気になっていた女子100m背泳の寺川綾がまず銅メダルを獲得。続いて男子100m背泳の入江陵介が同じく銅メダル、そしてさらに女子100m平泳の鈴木聡美がまたまた銅メダルと、三連続の銅メダル獲得となった。三人とも最後まで粘って粘って、しぶとくもぎ取ったという感じだった。先日の男子400m個人メドレーでの萩野公介の銅メダルも合わせ、これまで日本の競泳陣は4個の銅メダルを獲得したことになるが、僕はこれは1個の金メダルよりもはるかに価値があると思う。いつでもどの種目でもメダルを狙える選手がいるという競技レベルを維持し続けることが大事であり、金メダルは時の運だ。
 思えば48年前の東京オリンピックは水泳日本の低迷期で、最終日の男子800mリレーで銅メダルを1個獲るのがやっとだった。目の前でそのレースを見たが、周囲の外国人の観客から口々に祝福され、嬉しいような恥かしいような複雑な想いをしたことを思い出す。あの時のことを思うと今の日本のレベルは夢のように高い。これも多くの水泳関係者の永年の弛まぬ研究と競技力向上への血の滲むような努力が実を結んだものであり、心から敬意を表したい。

野林祐実 高校総体100mを制する!

2012-07-30 17:08:28 | スポーツ一般
 ロンドン・オリンピックの真最中とあって、すっかり影が薄くなってしまった感のある今年の高校総体「「2012北信越かがやき総体」が、新潟県を中心とした北信越5県で行われている。僕の注目競技、陸上は新潟市で昨日から始まったが、今日行われた女子100mで野林祐実(九州学院2年)が見事優勝した。女子100mの高校記録を持っている土井杏南(埼玉栄高2年)が、4×100mリレーの要員としてロンドンへ派遣されたため、この大会は欠場した。
 野林選手の予選、準決勝および決勝の記録は下表のとおり。今大会の参加資格記録では全エントリー選手の中のベスト10にも入っていなかった野林選手だが、本番で土井選手に次ぐ実力者であることをあらためて証明してみせた。明後日に行われる200mにもエントリーしており楽しみだ。
 高校総体は毎年NHKが大会期間中に中継および録画で放送しているが、今年はオリンピック中継があるため大会期間中には放送されず、大会終了後の8月中旬に録画放送されるという。オリンピック優先はやむを得ないとは思うものの、将来のオリンピック選手候補がこの高校総体出場者の中にも多数含まれており、将来を見据えた育成と言う意味でも、もっと注目しておくべきだと考えるのだが。




加藤清正 生誕450年記念シンポジウム

2012-07-29 20:05:37 | 熊本
 今日は午後から、くまもと県民交流館パレアで行われた「生誕450年記念シンポジウム ~加藤清正 伝説と真実~」を聴講しに行った。会場のパレアホールは立見も出るほどで、おそらく300人は優に超えていただろう。相変わらずの“せいしょこさん”人気だ。基調講演とパネルディスカッションが行われたが、僕自身は初めて聞くような話は少なかった。
 その中でちょっと面白かったのは、加藤家が改易になり、代って細川忠利公が小倉から入封した時の話だ。息子の光尚公へ宛てた書状が残っていて忠利公の清正評がわかる。

【その1】
「我こと、十二月九日に熊本へ城入り申し候、心安かるべく候、ことのほか広き囲いにて候、城も江戸の外にはこれほど広き見申さず候(寛永9年12月10日)」

 私は12月9日に熊本城に入った。安心するよう。思いのほか城郭が広く、江戸城以外でこれほど広い城は見たことがない。
 ※忠利公は江戸城住まいが長かったが、その江戸城と比べても熊本城のスケールの大きさに驚いている。

【その2】
「今年、来年つつしみ申し候はば、我々は金持ちになり申すべく候(寛永10年2月5日)」

 今年、来年と慎ましい生活をすれば、私たちは金持ちになりますよ。
 ※一国一城のお殿様がちょっと下世話な話で微笑ましい。


昨年の秋のくまもとお城まつりの風景

江里口に注目! ~ ロンドン・オリンピック開幕! ~

2012-07-28 17:21:22 | スポーツ一般
 眠い目をこすりながら開会式を見る。アトラクションは事前にメディアで予想が流れていたので、想像した以上でも以下でもなかった。まぁ、ここ数回のオリンピックはどれも手の込んだ仕掛けが当たり前になっているので見る側も見なれてきたというか、むしろ1964年の東京オリンピックの頃のシンプルな開会式が懐かしい。
 さて、サッカーは男女とも幸先良いスタートとなり、他の競技にもきっと良い影響をもたらすだろう。個人的には陸上、競泳などを注目していきたいが、なかでも郷土期待の陸上男子短距離の江里口匡史選手からは目が離せない。9秒台がゴロゴロいる100mの世界のレベルから見ると、正直、予選通過はかなり厳しいと言わざるを得ない。しかし、必ずそこで何か掴むことがあるはずだから、それを4×100mのリレーに生かしてもらいたい。日本のお家芸であるバトンリレーがうまくいけば北京オリンピックに続いてのメダル獲得もけっして夢ではない。

※写真は今年4月の熊本県選手権での江里口選手

「ほめく」日の朦朧とした頭で考えたこと

2012-07-27 18:00:23 | 熊本
 今日も猛烈な暑さの一日だった。こんな日、祖母はよく「ほめく」という言葉を使ってその状態を表現した。祖母は高血圧だったから、僕たちよりも暑さはつらかったのだろう。僕は子供の頃、この「ほめく」という言葉は熊本弁だと思っていた。明治16年、一番被分町(現在の水道町)の旧藩士の家に生まれ育った祖母はバリバリの熊本弁を使った。しかしどこか上品さがあった。それが何だったかは忘れたが、高校1年の古語の授業に祖母がよく使う言葉が出てきた。先生が意味が解るやつはいるかと聞くので、手をあげて祖母がそれを使う意味合いのことを答えた。よく知ってるなと先生に褒められた。
 この「ほめく」という言葉は日常的にはほとんど使われないが、国語辞典にもちゃんと載っていて「ほてる」とか「熱くなる」という意味だと書いてある。ちなみに「江戸東京下町文化研究会」のサイトに江戸言葉が紹介されているが、その中に「ほめきざかり(熱盛)…思春期、色気盛り」とあった。江戸っ子の発想は面白い。
 熱中症だけにはなるまい、しかし節電はやらねばとクーラー使用も控えめにこまめに麦茶を飲みながら、そんなことを考えていた。
※右の絵は「鳥居清長 大川端夕涼み」

寺川綾と田中聡子に見る選手寿命

2012-07-26 14:10:19 | スポーツ一般
 今回のロンドン五輪で僕が最も注目している選手の一人が競泳女子100m背泳の寺川綾選手だ。彼女は19歳の時、前々回のアテネ五輪に出場したが、前回の北京五輪では代表になれず、僕はもう終わった選手だと勝手に思い込んでいた。ところが27歳となった今回、不死鳥のように甦り、見事に代表の座を射止めた。これはひと昔前の女子水泳にはあり得ない話。年齢そのものもさることながら、一度トップから滑り落ちた選手が再びトップにカムバックするというのはライフサイクルの短い競泳では極めて稀なケース。それだけに彼女が今回の大会でどんな泳ぎを見せてくれるか非常に楽しみだ。
 それにつけても想い出すのは、僕が敬愛してやまない田中聡子さん。先日、テレビ熊本で、70歳となった今もなお、世界マスターズ水泳で活躍し続ける田中聡子さんをとりあげたドキュメンタリー番組をやっていた。田中さんは僕の4級先輩で、たまたま彼女が嘉島中時代の先生と同じ先生に教わった縁でコーチングを受けたこともある。その時、彼女は筑紫女学園で既に日本のトップスイマーとなっていた。ローマ五輪の100m背泳で銅メダルを獲ったのは18歳、高校3年の時だ。その4年後の東京五輪では金メダルを期待されたが、アメリカのファーガソンやフランスのキャロンなど若手の台頭の前に惜しくも4位に終った。その後、彼女は結婚し第一線を引退したが、よくよく考えてみれば東京五輪の時まだ22歳。当時と今とでは日本人の基礎的体力も大きく向上し、スポーツ科学も飛躍的に発達するなど事情は大きく異なるのかもしれないが、次のメキシコ五輪まで続けてもまだ26歳、しかも彼女が得意だった200M背泳が種目として採用されたことも考えると、もし現役を続けていれば・・・。この世界にタラレバは通用しないか。

「ややこ・わらべ」芸の伝統を物語る映像

2012-07-25 15:41:46 | 音楽芸能
 明治の中頃から大正そして昭和初期までの40年間にわたり、日本と日本人をこよなく愛し、その姿を撮り続けたバートン・ホームズというアメリカ人の映像作家がいる。彼が遺した映像は日本の民俗史料として大変貴重なものだ。下の映像もその一つで、大正時代のまだ子供と思しき芸妓が大鼓、小鼓、太鼓を、大人の芸妓たちの三味線、箏、笛、胡弓などと一緒に演奏したり舞を披露したりしている。残念ながらサイレント・ムービーなので曲もわからないし、英語のキャプションにも演目や場所などについての記述はない。
 舞はその衣装や所作から推測すると、猿楽、神楽、田楽などに近いように思われる。安土桃山時代に出雲の巫女お国が初めて演じ、歌舞伎の起源になったといわれる「ややこ踊り」もこんな踊りだったのかもしれない。いずれにせよ、今から百年前の大正時代にも古来の民俗芸能がこうして確かに演じられていたのである。
 そして今日も、日本各地で様々な経過をたどった伝統芸能が受け継がれているが、わが熊本の「わらべ」たちもしっかりとその役割を担っている。

 



▼現代のわらべたち
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今朝のサプライズ!

2012-07-24 11:33:15 | テレビ
 毎朝目を覚ますとまず「NHKニュースおはよう日本」を見るのが日課となっている。なかでも杉浦友紀アナのスポーツニュースで前日の主なスポーツの結果を確認するのが楽しみだ。今朝はまず杉浦アナのヘアスタイルが眼についた。それは「風と共に去りぬ」のメラニー役オリヴィア・デ・ハヴィランドを髣髴とさせた。そういえばハヴィランドは不仲の妹ジョーン・フォンテインとともに東京生まれだったなぁなんてことを考えながら画面を見ていると、突然テロップが表示された。「イチロー、ヤンキースへトレード」とある。いっぺんに眠気が吹っ飛んだ。ただ、その後カットインしたニュース速報のアナウンスも不思議に冷静に聴いていた。と同時に「これが3年前だったら・・・」とちょっと残念な気もした。ヤンキースというチームはあまり好きではないが、やっぱりメジャーリーグを代表するチーム。できることならイチローの全盛期にこのチームでプレーさせてあげたかった。
※右の杉浦アナの写真は今日のものではありません。


頓写会(とんしゃえ)の賑わい

2012-07-23 23:09:49 | 熊本
 今日は本妙寺の頓写会。今年は出かけるのがちょっと遅かったせいか、昨年以上の参道の混雑ぶりに閉口した。夏休みに入って最初の大っぴらに夜更かしできる夜を迎えたのか、中高生の溜り場と化した箇所も多かった。でもやはり去年より人出は多いような気がする。例年よりも長く記録的な大雨となった今年の梅雨が明け、鬱陶しかった気分を解消しようという参拝者も多いのかもしれない。いよいよ本番の真夏到来だ。


仁王門への階段


大本堂の万灯供養


胸突き雁木を行き交う参拝者

北川愛菜選手に期待!

2012-07-22 21:56:45 | スポーツ一般
 スポーツシーンで母校熊大附中の名前を聞くことはほとんどない。かつては高校、大学、ノンプロなど野球で名を馳せたOBは何人もいるし、水球のオリンピック選手や国際テニスプレーヤーなどもいたのだが・・・。
 そんな中、いま唯一人、気を吐いているのが陸上女子短距離の北川愛菜さん(熊大附中3年)だ。どうしても応援したくて彼女が出場する競技会はできるだけ見に行くことにしている。昨日からKKWINGで始まった熊本県中学校通信陸上競技大会は彼女にとって来月千葉で行われる全国中学校陸上競技選手権大会への出場がかかった重要な大会。いつものようにたった一人で出場した。200mの参加標準記録は先月行われた熊本県中学陸上選手権大会でクリアしているのだが、100mの参加標準記録12秒55がまだクリアできていない。実は5月に行われた大牟田陸上競技大会で12秒55をマークしたが、この大会は標準記録の対象外。なんとか今回クリアしてほしかったのだが、惜しくも12秒73にとどまった。残されたチャンスは来月5、6日大分で行われる九州中学陸上選手権大会のみとなった。なんとか標準記録をクリアして100、200ともに全国大会に出場してもらいたいものだ。


清正公まつり!!!

2012-07-21 21:30:53 | 熊本
 昨夜来の雨も上がって今日から加藤神社の「清正公まつり(せいしょこまつり)」。今夜が前夜祭で明日が神幸祭。例年、前夜祭はあまり見に行ったことはないのだが、今年は加藤神社が熊本城内に再び遷宮してちょうど50年という特別の年というので夕食後見に行った。境内では特設ステージや多くの夜店の前に人がギッシリ。前に進むのもひと苦労といった有様だった。ステージではちょうどDOYO組の童謡コンサートが行なわれて大いに盛り上がっていた。明後日の月曜日には本妙寺の頓写会(とんしゃえ)も行われるし、熊本県立美術館では「加藤清正生誕450年展」も始まった。しばらくは清正公づくしの日々が続く。


紫のはなし

2012-07-20 13:39:48 | 美術
 僕は「江戸紫」が好きだ。と言っても三木のり平でおなじみの某社の「のりの佃煮」のことではない。日本の伝統色の中の一つのことだ。パソコンでの色塗りはカラーコード「#745399」を使えばいいので今は楽だ。この「江戸紫」とよく比較されるのが「京紫」。同じ紫でも青味が強い「江戸紫」に対し赤味が強い「京紫」。「粋の江戸紫」と「高貴の京紫」とも評される。
 5年ほど前放送されたNHKスペシャル「歌麿 紫の謎」という番組が先日再放送された。喜多川歌麿の浮世絵を400枚も所蔵するアメリカ・ボストン美術館のスポルディング・コレクションを高精細デジタル画像で観ることができた。極めて保存状態がよく、変色や退色を免れた江戸時代の色彩が鮮やかに甦った。紫色を多用し「紫屋」とも呼ばれた歌麿。番組ではこれらの浮世絵の中に使われている紫色をどうやって表現したのかについて迫っていた。そしてこの紫の原料には露草が使われたらしいという。紫色の着物を着ることは江戸の女性にとって憧れだったそうだが、現代においてもそれは変わらないらしい。「ザ・わらべ」がたまに着る江戸紫(?)には一種独特のトキメキを感じさせるものがある。

 


第2の黒糖ドーナツ棒になれるか!?

2012-07-19 18:25:31 | 熊本
 今、わが家のお気に入りスイーツはこの「黒糖シュークリーム」。クリームの原材料となっている沖縄産黒糖の香ばしさとコクのある甘さが絶品。最近、口コミでその人気が広まりつつある。また、黒を基調とした“くまモン”のパッケージもチャーミングだし何と言っても1個50円という安さが嬉しい。製造販売しているのは菊池市七城町蘇崎の工業団地内にある「洋菓子工場直売店アウトレットプラス」。わが家では、たまに七城温泉に行ったり、コッコファームに卵を買いに行くついでによく買うようになった。熊本のお菓子では「黒糖ドーナツ棒」が女子サッカーなでしこリーグのチャンピオンチーム、INAC神戸レオネッサのユニフォームスポンサーになったこともあって、今や全国区のお菓子となった。はたして「黒糖シュークリーム」はそれに続くことができるだろうか。

新潟県の柏崎にまつわるエトセトラ

2012-07-18 19:41:40 | その他
 このgooブログの編集ページには「あの年の今頃、何してた?」という企画があり、過年度の同じ時期にアップロードした記事の写真をサムネイルで表示してくれる。今朝見た時は5年前の2007年7月の写真が表示されていた。その中でどうしても思い出せない写真が1枚あった。気になったので2007年7月の記事を確認してみた。するとそれは下記のとおり、柏崎刈羽原発の事故についての記事で、写真は刈羽原発を上空から見た「Google Earth」の画像だった。記事を読みながら、最近話題の政府が行なっている「エネルギー政策に関する意見聴取会」のことを思い出した。そして日本は昨年、未曽有の大災害を経験しながら、5年前と何も変わっていないような気がした。
 それはさておき、柏崎は僕が高校3年のインタハイ前、水球の夏合宿をやった思い出の地。現在、柏崎には高校や大学のチームの他、社会人のチームまである「水球の町」として市をあげて振興を図っている。大いに期待する一方、わが熊本の水球事情を振り返ると寂しい思いが交錯した。

刈羽原発(2007.7.18)
 新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発は3号機の火災が発生したが、その後も次から次にその他の事故の発表が続き、耐震性の設計に問題があるのではないかと指摘されている。記者会見における東電側の対応もしどろもどろと言った感じで、地域住民に不安を与えているようだ。要するに設計上の想定を大幅に上回る地震が来たということなのだろうが、見通しが甘いのではないかとの記者からの質問に、東電の担当者も何か奥歯にモノが挟まったような感じだ。勝手に解釈すると、建設時に想定している地震の強さは「強くてもこのくらいでおさまってほしいなぁ」という希望的観測のレベルではないだろうか。それ以上の耐震強度を要求するとイニシャルコストがかかり過ぎて採算がとれない・・・おそらくそんなことなんじゃないかな。それが答弁の歯切れの悪さになっているのだろう。これからは人間の想像を絶するような自然災害が度々起こるような気がしてならない。そんな時、どんな建物や構造物も絶対安全ということはあり得ないと心しておかねばならないだろう。

清少納言の父 清原元輔 ~ 肥後の名国司 ~

2012-07-17 20:03:55 | 熊本
 JR熊本駅近く花岡山の麓に鎮座する北岡神社。その境内の北側、民家が続く一角に小さな鳥居と祠がある。ここが平安時代に肥後国司を務めた清原元輔(きよはらのもとすけ)を祀った神社である。「枕草子」で有名な清少納言の父であり、自らも「小倉百人一首」の歌人の一人として名高い。この清原元輔について郷土史家の鈴木喬先生は「ふるさと寺子屋塾(熊本県観光連盟主催)」の講演で次のように述べている。
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 肥後の国司として、また平安時代の歌人として名を馳せた人が清原元輔です。清原家は代々和歌を善くし、学問を指導する家柄でした。祖父深養父(ふかやぶ)は歌人、またその娘清少納言は皆様ご存知の『枕草子』の作者です。また清原家の子孫が肥後藩主細川幽斎(ゆうさい)であり、学問や和歌を学んでいます。
 元輔は天暦年間(947~957)に大中臣(おおなかとみ)の能宣(よしのぶ)らとともに和歌所寄人(わかどころよりうど)となり、『万葉集』の読み方を記す訓点を施し、『後選和歌集』の選者を命じられました。当時の和歌の名人達は梨壺(なしつぼ)の五人と称され、元輔もその一人に数えられています。
 元輔は寛和2年(986)に肥後の国司となり、妻の周防命婦(すおうみょうふ)を伴って赴任してきました。この時元輔は79歳。元輔の国司としての業績は記録にありませんが、その歌集『元輔集』の中に藤崎宮で子(ね)の日遊び(若い松の木を根ごと採ってきて植える行事)をしたときに詠んだ歌が残されています。

   藤崎の軒の巌に生ふる松 今幾千代の子の日過ごさむ

 元輔と親交を重ねた人物に女流歌人の檜垣(ひがき)がおり、歌を詠み交わしています。檜垣についての記録は、そのまま史実を反映しておらず、歌語りの世界が色濃く映し出されています。また檜垣は架空の人物という説もありますが、熊本の蓮台寺に住み、岩戸観音を篤く信仰したと伝えられています。
 元輔は永祚(えいそ)2年(990)6月に83才で亡くなります。熊本市北岡神社の北側にある清原神社は、元輔を祭神としており都に帰れなかったその霊を慰めた跡と伝えられています。
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 なお、清原家の子孫である肥後細川家の始祖・細川幽斉公の嫡男・忠興公の夫人、玉子(ガラシア)に仕え、キリシタンの洗礼を与えたとされる清原マリアにとって幽斉公は大伯父にあたる。なんだか凄い一族だ。