徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

年末のご挨拶

2023-12-31 18:18:08 | 
 今年も多くの皆様に、当ブログをご訪問いただきありがとうございました。
 厚く御礼申しあげます。
 やっとパンデミックから解放された年越しになりそうですね。
 しかし、かかりつけ医からコロナが再び増勢にあるので年末年始はくれぐれもご用心との
 指示がありました。
 来るべき新年も、気候変動による自然災害や新たな感染症の襲来を予想する専門家もいます。
 皆様方がご息災でお幸せな一年になりますことを心よりお祈りいたします。
 来年も当ブログをよろしくお願い申しあげます。
 
筆主敬白

水前寺成趣園


「今朝の秋」再び…

2023-12-30 17:37:33 | テレビ
 昨日深夜、NHK-Gで「山田太一さんをしのんで ドラマスペシャル『今朝の秋』」が放送されたた。このドラマは1987年に初回放送されたが、その後の再放送も含め観るのは今回で5回目ではないかと思う。個人的には不動の「オールタイム・ベスト1ドラマ」である。初回放送から36年経った今日でも新鮮な感動がある。原作・脚本が山田太一、演出が深町幸男、音楽が武満徹という超一流のスタッフに加え、笠智衆、杉村春子、杉浦直樹、倍賞美津子、樹木希林、加藤嘉、名古屋章、谷村昌彦ほかのキャスティングは絶妙だ。当時、社会問題となりつつあった家庭の崩壊、老いや病いと人生観、老々介護など今日的な問題が丹念に描かれている。
 このドラマの中で僕が最も好きなシーンは、年老いた父(笠智衆)が、癌で余命いくばくもない一人息子(杉浦直樹)を入院先の病院から連れ出し、蓼科の山荘で最後の日々を過ごさせてやるのだが、そこで父と息子が初めてしみじみ語り合うというシーンだ。

息子「病気も悪いことばっかりじゃあないな。元気じゃ、お父さんとこんなこと、絶対ないもんな」
 父「うむ」
息子「忙しがってて」
 父「うむ」
息子「とても、救われたな」
 父「――」
息子「こんな気持のまま、死ねるとは思えないけど」
 父「――」
息子「まだ、きっとジタバタするだろうけど、なるべく、見苦しく、ないように、したいな」
 父「――」
息子「――」
 父「案外、わしの方が早いかもしれんよ」
息子「そんなことはないだろうけど」
 父「多少の前後はあっても、みんな死ぬんだ」
息子「そうだね、みんな死ぬんですよね」
 父「特別のような顔をするな」
息子「フフ、いうな、ずけずけ。しかしね、フフ、こっちは五十代ですよ、お父さんは八十じゃない。そりゃあ、こっちは、少しぐらい、特別な顔をするよ。フフ(顔歪んで、泣いてしまう)」
 父「――」
息子「(泣いている)」
 父「(涙が湧いてくる)」

 息子が寝た後、父親の笠智衆さんが一人手酌で酒を飲みながら熊本民謡「田原坂」を口ずさむのも泣かせる。
※2013.6.10の記事「今朝の秋」ふたたび・・・ を再編集したものです。

ハーン 謎を解く

2023-12-29 20:16:58 | 
 今日、家内を伴って年末の墓掃除とお参りを済ませた。
 わが家の墓は立田山の西麓にある。父の生家があった本籍地は泰勝寺跡の南側(下立田)なので墓地とは400㍍ほど離れている。父の生家の前を通る泰勝寺参道を挟んだ向かい側は小峰墓地となっている。僕は若い頃、父の生家の目の前に小峰墓地があるのに、なぜわが家の墓はだいぶ離れた立田山西麓にあるのだろうと不思議に思っていた。
 数年前、その謎はラフカディオ・ハーンの「石仏」を読んで解けた。


小峰墓地から立田山南麓を見る(右奥の集合住宅辺りに父の生家があった)

 ハーンの「石仏」冒頭に次のような一節がある。

 この文章から、ハーンは小峰墓地から立田山を眺めている様子がうかがえ、ハーンの視界には父の生家も入っていたであろう。父の備忘録には幼い頃(大正初期)、この下立田は11軒の民家が、ここに1軒、またここに1軒という具合に点在している寂しい集落だったらしい。さらに「石仏」には、この小峰墓地が今では使われていないこと、この集落の墓地は離れた場所に移されたらしいことが書かれている。この記述に基づき文献を調べてみた。明治4年、鎮西鎮台(後の熊本鎮台)が熊本に置かれると、小峰墓地は陸軍の戦没者慰霊施設用地となる。そしてそれまでにあった集落の墓が移動を余儀なくされ、この時、小峰墓地から立田山西麓へ移されたものと考えられる。
 ハーンのこの一節がなければ謎のままで終わっていたに違いない。


ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)

フォトジェニック2023

2023-12-27 21:46:36 | 写真
 ただでさえ年齢とともに行動範囲が狭くなっているのに、寒い季節になるとますます限られた範囲でしか行動していません。それに伴いブログネタにも事欠くようになり、このところ、下書きしたままほったらかしにしていた記事や一度はボツにしたネタなどを再び引っ張り出している有様です。
 今日の「フォトジェニック2023」も数年前からネタ候補ではありましたが、なかなかイメージに合う写真がなく、いつの間にか忘れていました。今回なぜか思い出し、ムリヤリ3点の写真を選んでみました。いずれも初出しの写真です。


2023.3.18 熊本城二の丸広場「春のくまもとお城まつり」から「チアダンスDAY!」における九州学院ミリアムズ


2023.5.4 「代継宮 曲水の宴」から女性歌人に扮した後生川凜アナ(RKK)


2023.10.29 夏目漱石内坪井旧居「漱石気分で秋を楽しむ」より舞踊団花童(かな・あかり)の舞踊

野口雨情と熊本

2023-12-26 22:25:06 | 音楽芸能
 一昨日の記事「加勢川と『五足の靴』」に、ブログを通じて交流させていただいている「油屋種吉の独り言」様からコメントをいただいた。記事の中に北原白秋の名前があったので、野口雨情のことを連想されたらしい。お住まいの栃木県や野口雨情の生誕地・北茨城などには雨情ゆかりの施設がある。
 明治末期から昭和前期にかけて詩人、童謡・民謡作詞家として活躍し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情。昭和初期、「新民謡」づくりが一つのムーブメントになり、雨情も日本全国をまわって数百曲という新民謡を作った。熊本でも県内各地を回って20数曲を残しているが、代表作が下記の三曲と言っていいだろう。野口雨情は熊本県民にとって忘れることのできない作詞家の一人である。

▼よへほ節(山鹿灯籠踊り)
 明治初期からお座敷唄として唄われていた「よへほ節」。昭和初期、温泉町としての輝きを失いつつあった山鹿を再興させたいと願う旦那衆が、「よへほ節」を「ご当地ソング」とすべく大作詞家・野口雨情に改作を依頼した。今では全国的な祭りとなった「山鹿灯籠祭り」を象徴する唄となった。



▼五十四万石
 この歌が世に出たのは昭和10年1月、コロンビアレコードから藤本二三吉の歌で発売された。熊本市ではその年の3月から5月にかけての50日間、水前寺公園北郊で「新興熊本大博覧会」が開催されており、それにタイミングを合わせた発売だったのだろう。まさに新興熊本の勢いを示す「ご当地ソング」となった。野口雨情の詩に曲を付けたのはコンビを組むことが多かった大村能章。



▼火の国育ち
 昭和9年に野口雨情と大村能章という「五十四万石」のコンビで作られ、伊藤久男の歌唱でレコードが発売された新民謡。この歌も「新興熊本大博覧会」に向けて作られたようだ。熊本の名所めぐりのような歌だが、長崎県民謡「高島節」がもとになっていると思われる。歌っている伊藤久男は「イヨマンテの夜」などで知られる昭和の名歌手だが、3年前のNHK朝ドラ「エール」で山崎育三郎が演じた人物のモデルとして話題になった。


加勢川と「五足の靴」

2023-12-24 21:40:40 | 文芸
 今日は久しぶりに県立図書館で文献探しをした。目的に沿う文献は見つからなかったので、図書館裏の加勢川沿いの道を散策した。水前寺から流れ出て来た水は相変わらず青く澄んで、ただ眺めているだけで時の経つのを忘れてしまう。
 川面を泳ぐマガモを見ているとふと「五足の靴」を思い出した。「五足の靴」というのは、明治40年7月から8月にかけて、歌人与謝野寛が、まだ学生だった木下杢太郎、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を引き連れ、九州を中心に各地を旅した時の紀行文「五足の靴」のことである。その中で「勢舞水楼(せんすいろう)」という料亭から屋形船に乗り、江津湖の涼を楽しむくだりがある。僕が川面を眺めていた場所がかつて「勢舞水楼」があった辺り。船上には二人の町芸者が呼ばれ、民謡「おてもやん」を披露する。そんな場面を空想しながらひと時を過ごし、あくまでも青く澄んだ流れを後にした。 


清流を泳ぐマガモたち


水草の上にたたずむサギ


「密着!中村屋ファミリー」を見ながら

2023-12-23 19:21:56 | イベント
 昨夜放送されたフジテレビ系ドキュメンタリー「密着!中村屋ファミリー」のシリーズ最新作を見ながら思った。もし、2016年の熊本地震なかりせば、熊本城でも「熊本城歌舞伎」が行われていただろうと残念な気持が再び湧いて来た。昨夜の内容は今年5月に世界遺産の姫路城で行われた平成中村座公演を中心に密着取材したものだった。
 今から10年前の2013年に熊日新聞に発表され、熊本の歌舞伎ファンの期待を集めたのが「熊本城歌舞伎」。熊本地震により実現の可能性が遠のいたものの、実現に向けて再度動き出してほしいものだ。

▼2014年2月の熊日新聞記事


≫≫≫ これまで熊本城で行われた歌舞伎や創作舞台の中から ≪≪≪

▼坂東玉三郎特別舞踊公演(2008.4.30)
 熊本城築城400年を記念して復元された本丸御殿落成記念イベントの目玉として、「坂東玉三郎特別舞踊公演」が熊本城二の丸広場で行われた。開演前から座席指定券を取れなかった観客も会場を取り囲み、異様な熱気に包まれた。午後7時、加藤家の蛇の目紋と細川家の九曜紋の陣幕と、ライトアップされた熊本城をバックに坂東玉三郎が登場。『長唄 君が代松竹梅』と『長唄 藤娘』が披露され、およそ1万2千人の観客が玉三郎さんの華麗な舞いに酔いしれた。



▼創作舞台「清正公 新春の言祝ぎ」(2008.1.3)


▼城下町くまもと時代絵巻エピローグ(2014.3.21)

雪の季節に聴く一曲(邦楽編)

2023-12-22 20:32:13 | 音楽芸能
 日本各地で大雪に見舞われているらしい。まずは被害が出ている地域の皆様にお見舞いを申し上げたい。熊本も大雪警報が出ていたけれど今のところ粉雪がパラついた程度。
 これまで住んだことのある地域の中では那須や彦根の冬は雪がよく降った。その時の思いをすれば、熊本で雪が降ってもたいしたことはない。
 雪にちなんだ音楽は数多あるが今日は邦楽の中から選んでみた。1曲目は﨑秀五郎さんの端唄三味線で「淡雪」。詞章を読むと想像がつくように、新内節の「明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)」に材をとったいわゆる「明烏もの」。2曲目は三味線音楽の大御所、本條秀太郎さんが「山中節(石川県民謡)」をモチーフに創作された「俚奏楽 雪の山中」。いずれも雪の季節に聴くと一層味わい深い。

〽淡雪と 消ゆるこの身の 思ひ寝に 浮名を厭ふ 恋の仲 乱れし ままの 鬢付きや
 義理といふ字は 是非もなく 夢かうつつか 朝がらす


今年忘れられない風景(3)

2023-12-21 18:26:26 | 熊本
 3月21日、「古謝美佐子・熊本城島唄コンサート」のラストコンサートが熊本城二の丸広場で行われた。2001年に始まったこのコンサートは、熊本地震や新型コロナなどで中止された年もあったが、20回目を数える今回で幕を閉じることとなった。雨が降りしきる中、「熊本節」「春の唄」「花」「童神」などお馴染みの曲が次々と演奏され、詰めかけたファンから盛んな拍手が送られた。僕は2010年から見始め、今回が10回目だった。その2010年に竹の丸で行われたコンサートも雨が降ったが、この年に初めてゲスト出演した舞踊団花童は今回まで毎回出演し、島唄に踊りを添え、舞台を華やかに盛り上げた。
 演奏曲の中で最も人気が高かったのがやはり「童神」で、ほかに戦時中、この熊本城にあった第六師団に沖縄から徴兵されてやってきた多くの若者たちの心情を唄った「熊本節」などが思い出に残る。島唄ファンの一人としてこのコンサートが終わるのはやはり寂しい。
▼思い出の場面


第20回熊本城島唄コンサート(2023.3.21)ラストコンサート


第18回熊本城島唄コンサート(2019.10.12)


第14回熊本城島唄コンサート(2014.10.17)

   ▼最も人気が高い「童神」

第57回熊本県邦楽協会演奏会

2023-12-20 17:49:43 | 音楽芸能
 本條秀美さんのホームページに「第57回熊本県邦楽協会演奏会」のお知らせが載せられていた。前回が都合で見に行けなかったので今回は何としても行きたい。今回、本條秀美さんの秀美会は、本條秀太郎さん作詞・作曲の「俚奏楽 民謡七福神(舞踊付)」、またトリの「蓑里会・うらら会・花と誠の会」共演による「花見踊り(舞踊付)」など楽しみな演目が並ぶ。



【過去の舞台より】
2019.1.20 熊本市国際交流会館7Fホール
第54回 熊本県邦楽協会演奏会
蓑里会・うらら会・花と誠の会


2015.4.4 熊本城本丸御殿 春の宴
舞踊団花童 ザ・わらべ(くるみ・あやの)


2016.1.10 熊本市国際交流会館7Fホール
第51回 熊本県邦楽協会 演奏会
うらら会・花と誠の会

昭和レトロの街 ~子飼商店街~

2023-12-19 22:36:21 | 熊本
 3週間前の話で恐縮ですが、藤崎宮に朔日詣りをした後、久しぶりに子飼商店街を歩いてみたくなりました。午前中だったからか人通りもあまりありませんでした。廃業した店や廃屋も散見されました。僕らが子供の頃の活気溢れたさざめきはもうないのでしょうか。ここは昭和の薫りただよう街としてメディアでもよく取り上げられますが、かつては松雲院通りと呼ばれた通りでした。その名の由来は今も残る松雲院という臨済宗の大きなお寺があったからです。松雲院は細川家の重臣だった松井家の墓所としても知られています。この通りの途中に南に入る小路がありますが、かつての細川刑部邸への入口です。刑部邸が熊本城三の丸に移築された後にはマンションが建っています。明治時代、そんな通りを人力車に乗ったラフカディオ・ハーンや夏目漱石らが毎日、五高(今の熊大)へ向かいました。ここは歴史豊かな通りなのですね。


買い物客や大学生らが通る子飼商店街


午前中だからか人通りも少ない


賑わう時間帯はこんな感じ(10年ほど前の様子)


商店街から南に入る小路がかつての細川刑部邸への入口


通り名の由来になった松雲院


子飼商店街出身の水前寺清子が歌う「三百六十五歩のマーチ」

年賀状の季節に思うこと

2023-12-18 16:22:13 | 音楽芸能
 そろそろ年賀状をと考えている今日この頃、日本郵便のCMで今田耕司が「今年も出します年賀状」と歌いながら「あの人にはもう出さんでええか」と愛犬に同意を求めるが、愛犬は首を横に振って同意しない。という場面にものすごく共感する。「年賀状じまい」をされる方が年々増えているようで、自分もそうするかなと毎年思うのだが、年に一度の年賀状だけで辛うじてつながっている方も多く、もし年賀状を待っていてくださる方がいらっしゃるかもしれないと思うとなかなか踏み切れない。逆に、自分への年賀状が全く届かなくなったらそれは随分寂しい正月になるに違いない。


 アメリカのポップスやジャズのスタンダードナンバーに「手紙でも書こう」(I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter)という曲がある。
 これは恋しい人から自分あての手紙を自分で書こうという切ない曲なのだが

    「腰をかけて自分宛に手紙でも書こう
     そして君からその手紙が来たつもりになろう」   と歌う。

   ▼ポール・マッカートニーの歌で

   ▼ニューオリンズ・ストンパーズの演奏で

忘年会シーズン

2023-12-16 19:47:26 | 季節
 昨日は年末の親戚挨拶回りをした。ある親戚の家を訪れるとちょうどご主人がほろ酔い気分で帰って来られた。同級生仲間と忘年会をやったのだという。そう言えば家の外での忘年会などとはすっかり縁遠くなってしまった。会社員の頃は温泉旅館に泊りがけの忘年会もよくやった。那須勤務時代の塩原温泉や鳥栖勤務時代の嬉野温泉、熊本勤務時代の菊池温泉などが思い出深い。宴会ではコンパニオンを呼んだりして飲めや歌えの乱痴気騒ぎになったこともある。そんな宴席でよく聞いたのがお座敷唄の定番「お座敷小唄」や「芸者ワルツ」など。11年前にYouTubeにアップした「こわらべ」が踊る「お座敷小唄/芸者ワルツ」を久しぶりに視聴していたら、当時、急いでアップをしたと見え、画質の粗さが気になったのでリマスターして再アップした。

お座敷小唄/芸者ワルツ

今年忘れられない風景(2)

2023-12-15 20:27:59 | 熊本
 肥後熊本藩初代藩主・加藤清正公の廟所があることで知られる本妙寺。この寺のシンボルとなっているのが大正9年(1920)に建てられた正面幅13㍍、奥行6㍍、高さ15㍍、鉄筋コンクリート造りの仁王門(国登録有形文化財)。2016年4月の熊本地震で天井・壁に亀裂が走るなど甚大な被害を被り、地震以来通行できなくなっていた。2年前から始まった修復工事が昨年11月に完了。やっと通行が可能になった。そして今年は4年ぶりに行われた3月の「桜灯籠(はなどうろう)」、そして7月の清正公御逮夜の「頓写会(とんしゃえ)」では熊本地震前年の2015年以来8年ぶりに大勢の市民が仁王門をくぐった。また参道の出店が復活し、夏の一夜を賑わせた。


8年ぶりの頓写会に仁王門をくぐる市民


門前町の参道を続々と仁王門へ向かう市民の群


本妙寺大本堂の灯明と参拝者


2023年師走 熊本小ネタ集

2023-12-14 17:36:09 | 熊本
消えた風車
 京町台から阿蘇中岳を眺めると手前の俵山の斜面に沿って並ぶ風車がお馴染みの風景だった。ところがいつからか風車が消えた。聞けば、熊本地震で損壊した風車が修復不可能となり全面的に建て替えを行なうらしい。現在、全基撤去され、来年度から建設工事が始まるという。1基当りの性能を増強し、5基に減らして3年後から再稼働の予定だという。


現在の阿蘇中岳と俵山の風景


2019年12月の阿蘇中岳と俵山の風景(この年10月に中岳が噴火。俵山には10基の風車が並ぶ)
素屋根に覆われた宇土櫓
 熊本城宇土櫓(国指定重要文化財)は素屋根に完全に覆われてしまった。年明けにはいよいよ解体工事が始まる。約2年をかけて解体し、その後の再建工事を経て、宇土櫓が再び姿を現すのは10年後。それまでは何とか見たいと願っているが。


素屋根に覆われた宇土櫓
桜のひこばえ
 桜の名所でもある熊本城には倒木の恐れがある老木が多く、現在撤去が進められている。来年度も
150本ほどの桜が撤去される予定だという。行幸坂や監物台周辺の桜吹雪もしばらくは見られないかもしれない。熊本市では補植やひこばえ(切り株から新たに生える芽のこと)によって美観を失わないよう努めて行くとしているが、ひこばえとはまた随分と気の長い話だ。


埋門前の山桜の切株とひこばえ