徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

夢・草枕 ~峠の茶屋の花吹雪(あらすじ)

2015-06-30 23:51:28 | イベント
 熊本市西郊の金峰山、峠の茶屋。五高生の一団そして、一人の画工が登って来る。画工は、非人情の旅を求めて、那古井の温泉を予約していた。
 旅館の若女将は、不思議な雰囲気を持った女であった。画工は、いつしか彼女に魅かれて行くのを感じていた。
  
 脱衣場の障子に女の影が映る。その影は着物を脱ぎ始める。境の戸が開き、女の裸身が。画工は「アッ」といったきり、湯槽の中にぶくぶくと沈む。暗い中で「ホホホホホ」と鋭く笑う女の声がだんだん遠のいて行く。

 禅寺の和尚の与えた公案に悩む夜、まさに幻想的な奇妙な夢を見る。暗い中、手燭だけが浮かぶ。火の動き、画工の眠り入ったところへ手燭の火が行く。男が座っている。 

 ときは明治30年春、わずか3日間の出来事である。
(作 半藤一利)


【公演日程】
 新宿公演 8月29日(土) 新宿区四谷区民ホール 昼公演/開演14時 夜公演/開演18時
 熊本公演 9月 2日(水) 市民会館崇城大学ホール 開演18時30分

※詳細はこちらをご覧ください。

吉良さん 念願のトップの座に!

2015-06-29 09:07:30 | スポーツ一般
 昨日、新潟市のデンカビッグスワンスタジアムで行われた陸上の日本選手権最終日、女子400㍍障害で熊本商高出の吉良愛美さん(アットホーム)が57秒92で初優勝した。この種目でずっと二番手に甘んじてきた吉良さんは、日本選手権8連覇を続けていた久保倉里美さん(新潟アルビレックス)にやっと一矢を報いた。
 吉良さんの同年代には、今、マラソンで注目されている前田彩里さん(熊本信愛出)がおり、熊本の陸上競技に活気を与えるためにも、ともに世界選手権や来年のリオデジャネイロ・オリンピックに向けて頑張ってほしいものだ。


▼昨年の熊本県陸上競技選手権において100mHで優勝した吉良選手

花童 遂に国立劇場デビュー!!!

2015-06-28 20:39:13 | 音楽芸能
 舞踊団花童が、遂に念願の東京・国立劇場デビューを果たす。
 舞台となるのは、9月5日(土)、国立劇場大劇場で行われる「第50回 本條流三味線東京公演 本條會 やさしい国に凄んで候」。
 舞踊団花童理事長の中村花誠さんによれば、本條流家元の本條秀太郎さんとは長い交流があり、花童も可愛がっていただいており、今回、本條會の舞台へ出させていただくことになったという。
 都合がつけばぜひ観に行きたいものだが、その前に東京近辺の友人知人へのPRをさっそく始めたい。


6月28日、不知火体育館での九州和太鼓フェスティバル・リハーサルにて


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夏越の大祓え

2015-06-27 19:17:30 | イベント
 しとしとと小雨が降り続く中、藤崎八旛宮・新町御旅所にて行なわれている、新町大祓に出かけた。しきたりに従って茅の輪くぐりをした後、仮拝殿となった能舞台で参拝を済ませた。
 ここは明治10年の西南戦争で焼失するまで藤崎八旛宮が鎮座していた地。お祓い後のお神酒をいただきながら、参拝の人波が続いたというかつての繁栄を偲んだ。たまにはこんな静かな雰囲気でしみじみと参拝するのもいいものだ。




東京オリンピック1964の思い出(1)

2015-06-26 13:38:19 | スポーツ一般
 東京五輪2020のメイン会場となる国立競技場建設の迷走ぶりを見ていると、この一大プロジェクトを統括する人がいったい誰なのかよくわからない。
 思い起こせば、東京五輪1964の時は、自民党の大物・河野一郎氏が建設大臣として強引なまでのリーダーシップで道路や施設の整備を進め、五輪直前にはオリンピック担当大臣に就任して東京五輪を成功に導いた。おそらく当時は国民一丸となって五輪成功をという気運に満ち満ちていたからこそできたことなのだろう。
 その河野一郎氏で思い出すのは、公式記録映画を担当した市川崑監督との「記録性」に関する激しい論争だ。今日では普通のことなのかもしれないが、市川監督の「東京オリンピック」には撮影前に脚本や絵コンテが作成されていて、脚本に沿った映像が十分に撮れていない場合は、五輪後に追加撮影をしたことが当時問題となり、河野担当大臣と市川監督との間で「記録性と芸術性」の論争となったものだ。
 実は僕も、五輪後の追加撮影に参加した一人なのだが、釈然としない気持があったのは事実である。8年前、南都上緒さんという方のサイト「なんとかかんとか」で、この追加撮影のもととなった脚本が存在することを知った。脚本にはこう書かれていた。

『 水球。決勝。水中撮影で選手たちの下半身の激しい動作、それに伴う水の乱れを捉えたい。』

 たった1行のこの文章のために、僕らの大学の水球チーム全員が東京体育館のプールに呼び出された。いつも試合を行なう大プールは水深が2㍍余りしかないため、水中撮影が十分な深さまで潜れる飛込プールを使って撮影が行われた。僕らは何度か疑似ゲームを繰り返し、それを水中カメラマンが3~4㍍の深さから撮影した。
 しかし、公開された映画にはこんなシーンはない。南都さんにもおたずねしてみたが、このシーンはオリジナル版(劇場公開版)、ディレクターズカット版ともに入っていないと。つまりカットされたわけだ。東京オリンピックで銅メダルを獲った男子バレーボールチームも後日、追加撮影をしたそうだが、結局使われたのは金メダルを獲った東洋の魔女チームだけだったと、男子監督だった松平康隆さんが著書で述懐していたそうである。
 この映画の脚本は和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎、市川崑の四人による共同執筆である。谷川さん以外はすでに鬼籍に入っておられるが、このシーンの部分を書かれたのはいったいどなたなのだろう。
 ちなみに、追加撮影のエキストラの仕事が僕らのチームに回って来たのは、谷川俊太郎さんのお父さん、谷川徹三先生が当時僕らの大学の総長だったからではないかとにらんでいる。当時はアマチュア規程が厳しかったので、僕らの出演料は撮影後、一流中華料理店での食事だけだった。その4年後のメキシコオリンピックの記録映画には、この脚本さながらのシーンがこれでもかというほど入っている。


夢・草枕 - 峠の茶屋の花吹雪 -

2015-06-24 16:55:41 | イベント
 今朝の熊日新聞に、来年2016年の「漱石記念年」を前に、プレイベントとして創作舞台「夢・草枕 - 峠の茶屋の花吹雪 -」(半藤一利脚本)が上演されることが発表された。1996年の漱石来熊100年記念イベント以来、2回目の上演となる。

※下のパンフはいずれもクリック拡大してご覧ください




三年坂のはなし。

2015-06-23 18:42:58 | 歴史
 ここは京町台から寺原や坪井に通じる瀬戸坂(狭門坂)に接続する坂で、その昔、「三年坂(さんねんざか)」と呼ばれていたそうだ。もっとも僕の子どもの頃に「三年坂」の名を聞いたことはない。むしろ、ここは加藤清正が、関ヶ原の戦いで西軍について敗れた柳河立花藩の家臣たちを預かり、住まわせていたことから「柳川小路」とか「柳川丁」と呼ばれた一角であり、そちらの呼び方は祖母など年配者からよく聞いていた。
 なぜ「三年坂」と呼ばれたのかその由来についてははっきりしないらしい。「三年坂」といえば、熊本には安巳橋通りにもあるし、京都清水寺近くの「三年坂(産寧坂)」を始め、全国至るところにある。「その坂で転ぶと三年で死ぬ」という伝承は共通しているようだ。なぜそんな縁起でもない伝承が生まれたかというと、古より坂は、この世とあの世の境界という考え方があり、それが伝承のもとになっているようだ。
 さて、熊本の「三年坂」についていうと、安巳橋通りの方は、加藤清正が三年かかって坂を造成したことからこの名がついたという伝承もある。現在では繁華街の真ん中で、坂道であることも気付かないほどだが、清正が肥後に入国した頃、「三年坂」の辺りは白川の川底。たしかに三年もかかるであろう難工事だったに違いない。一方の京町の「三年坂」は瀬戸坂との関係からこの名で呼ばれるようになったのではないだろうか。坂を下りきった地点を瀬戸口というが、瀬戸際などという言葉もあるように、まさに異界との境界ととらえていたのではあるまいか。一説によると瀬戸口と似たような意味合いで「水門瀬(みとせ)」という言葉があるが、この「水門瀬」が「三年(みとせ→さんねん)」と読みかえられたのではないかとういう説も、あながち根拠のない話とは言い切れないような気がする。


三年坂を下り切って瀬戸坂に接する地点を瀬戸口という。




水前寺の謎!?

2015-06-22 21:58:01 | 熊本
 熊本城と並び、熊本市の代表的な観光スポットの一つ「水前寺成趣園」。ところが、水前寺といいながらも、園内にお寺はない。このことについて、昭和10年に開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブック「くまもと」には次のような説明が記されている。

 寛永9年、細川忠利公が豊前小倉から肥後に入国された時、耶馬溪羅漢寺の僧玄宅は、公に従って肥後に来たり託摩原に水前寺という一寺を建て、ここに住んだ。その後、成趣園という御茶屋が設けられた。
 然るに、成趣園と水前寺が、混同されるので、水前寺を玄宅寺と呼ぶことにしたが、成趣園は今日に至るまで依然として水前寺と称している。

 実は、水前寺という名前は既に平安時代からあった。奈良時代、肥後の名国司と謳われた初代国司・道君首名(みちのきみのおびとな)が亡くなった後、肥後の人々はその遺徳を偲んで、道君首名の住居の跡にお寺を建て、水前寺と名付けた。しかし、この寺は平安時代末期に焼失し、今では玄宅寺の南側に礎石を残すのみである。






肥後細川藩と能楽

2015-06-21 21:15:32 | 歴史
 熊本県立美術館では、7月11日(土)~10月4日(日)の間、「細川コレクション展 第Ⅱ期〈特集〉能の世界」が行われる。

 江戸時代、能は武家の「式楽」として幕藩体制の中に組み込まれ、幕府や諸大名の保護を受け隆盛した。年中行事や儀礼の場において、公式の舞楽として能が上演されたため、幕府や諸大名は演能に備えて能役者を召し抱え、膨大な数の能道具を収集する必要があった。細川家では代々能を愛好し、近世以来収集された数多くの能面・能衣裳が今日まで伝来している。

 能研究家・竹本幹夫氏(早稲田大学教授)の論考「江戸時代諸藩における能役者の身分」では、熊本藩を例に引き、武家社会において能楽および能役者の果たした役割がよくわかり興味深い。
江戸時代諸藩における能役者の身分」(竹本幹夫著)


出水神社薪能

こんな夢を見た

2015-06-20 22:04:48 | 
「こんな夢を見た」
 これは夏目漱石の「夢十夜」の書き出しであるが、数週間前、こんな書き出しをしたくなるような不思議な夢を見た。
 僕はとある街を歩いている。何の目的でそこを歩いているのかはわからない。歩きながら、なぜかふとそこが坪井の辺りであることがわかる。しばらく気ままに歩いて行くと、お墓が並んでいる場所に差し掛かり、その先に川が見えた。心の中で「あ、坪井川だ!」とつぶやく。川岸まで近寄って流れを眺める。水量豊かな清流が滔々と流れている。時々魚影も見える。再び心の中で「坪井川ってこんなに綺麗な川だったんだ!」とつぶやく。ところが僕が立っている岸辺から数十㍍下流の辺りから、川は急激に右へ湾曲している。「流れが今とは全然違うんだな!」とつぶやく。しばらく川の流れを見入っているうちに夢から醒めた。
 起きてから、そこがどこら辺だったのか気になって地図で坪井川の流路を見てみたが、もちろんそんな場所は見当たらなかった。そこで江戸時代の「熊府之図」(熊本城下の町図)がネット上にあったので見てみた。すると夢で見た川のイメージにピッタリの地点が見つかった。下の図の中央部、坪井川に架かる庚申橋と流長院がある辺りの川の形状が夢の通りだった。この図から見ると僕はどうも庚申橋たもとの左岸から見ていたようだ。お墓が見えたのは流長院のお墓だったのか。もちろんそんな風景は生まれてこの方見たことがない。そこでふと思ったのは、ひょっとして僕が夢で見たのは先祖の記憶ではなかったのかと。そんなことがあるのだろうか。


江戸中期(?)の「熊府之図」に見る坪井川の流路。図の中央部に流長院と庚申橋が見える。


今日の坪井川に架かる空壺橋の上から上流を眺めた風景。左は壷川小学校、向うにみえるのが庚申橋。

昭和37年 岡山国体

2015-06-19 14:23:47 | スポーツ一般
 高1の時の会津若松国体と高3の時の山口国体は今でも鮮明に思い出すことができるのだが、なぜか高2の時の岡山国体の思い出が薄ぼんやりとしている。おそらくわがチームが不本意な結果に終わったことや、都会地の大会で印象的な風景に出会わなかったことなどが影響しているのだろう。憶えているのは女子競泳で中学生の木原美知子が彗星のごとく現れたこと。名産のマスカットが美味しかったことぐらい。
 ところが皮肉なことに、社会人になって最初に縁があったのが岡山。三菱自動車水島製作所で2週間ほどの研修を受けた。間の休日では同僚と一緒に、岡山駅近くの映画館で公開されたばかりのアメリカ映画「卒業」を見たり、海水浴に行ったりした楽しい思い出がある。
 今日たまたま、昭和37・38年の岡山県ニュースの映像を見つけ、53年も前の岡山国体の雰囲気を懐かしく思い出しているところだ。


一般女子100M背泳 1位の田中聡子(福岡)と3位の木原美知子(岡山)


あの日あの時 ~ 熊本城築城400年祭 ~

2015-06-18 21:11:26 | イベント
 熊本城築城400年祭が終ってからもう7年が過ぎた。あらためて記念誌を眺めていると、平成18年の年末に始まり、平成20年の5月まで、約1年半にわたって実に様々なイベントが行なわれたことに驚く。しかも、そのうちのごく一部のイベントしか見ていないことに気付き、返す返すも残念な気持で一杯だ。
 次にこんな大きなイベントがやって来るのはいつになるだろうか。


平成20年1月 創作舞台「清正公 新春の言祝ぎ」


平成20年5月 渡辺貞夫と子どもたち「Share the World in Kumamoto ―こころつないで―」


平成19年3月 観桜坪井川園遊会


平成20年4月 坂東玉三郎・特別舞踊公演


平成20年1月 迎春・華舞台

〽花の京町 中坂越ゆれば金剛寺

2015-06-17 18:27:49 | 歴史
 今では人通りも少ない狭い急坂にすぎないが、かつては豊後街道の一部として華やかな参勤交代の御行列が通り、また、本妙寺の参道として参拝客の往来が絶えなかったという。登り口には加藤神社の別当として隆盛を極めた金剛寺があった。熊本民謡「ポンポコニャ」にも唄い込まれておなじみの一節である。

〽花の京町 中坂越ゆれば金剛寺 オヤポンポコニャ
 揚弓カッチリ 信濃の善光寺 少し下がればナ オヤ ほんまの二十四拝
 オオーサポンポコ ポンポコニャ


 明治維新で大名家はなくなり、廃仏毀釈など時代のうねりで衰退した金剛寺が、崖崩れの危険性もあってここを去り、明治24年には九州鉄道の開通に伴って新しい馬車道、新坂が通ると、中坂の歴史的役割は終わった。
 たまに散歩でこの中坂を通るのだが、横道の春木坂に入る辺りでひと休みしながら耳を澄ますと、行き交う往時の人々の話し声や馬の蹄の音などが聞こえてくるようだ。










映画「合葬」 異色のコラボ!

2015-06-16 19:44:06 | 映画
 今年は、漫画家で江戸文化研究家だった杉浦日向子さんの没後10年だそうである。実は僕は杉浦さんの漫画はほとんど見ていない。NHKの「コメディーお江戸でござる」などのテレビ番組で彼女が語る江戸文化の話が大好きでよく見ていた。没後10年を期してということなのか、今年は彼女の漫画作品が相次いで映画化される。1本は既に公開されたが、原恵一監督のアニメ映画「百日紅(さるすべり)」。浮世絵師・葛飾北斎の娘で、同じく浮世絵師として活躍したお栄の姿を、江戸の風俗を背景に描いた作品。そしてもう1本が今年の秋に公開予定の実写版「合葬」。慶応4年、徳川幕府の解体に反対し、最後まで戦った「彰義隊」に入隊した三人の若者の姿を描いた作品だ。
 そして、僕の注目ポイントはこの「合葬」の脚本を、映画「ジョゼと虎と魚たち」「天然コケッコー」「メゾン・ド・ヒミコ」、テレビドラマでは「火の魚」「その街のこども」、そして朝ドラの「カーネーション」などでおなじみの渡辺あやさんが担当するということ。しっかりした時代考証がベースとなっている杉浦日向子の漫画を、独特の語り口が魅力の渡辺あやがどう表現するのかとても楽しみだ。
 未読の原作を事前に読んでおこうと、さっそく「百日紅」と「合葬」を市立図書館にオンラインで予約した。

※左の写真は渡辺あやさん