徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ソフィア・ローレンの“目ぢから”!

2012-11-30 19:02:03 | 映画
 このブログに相互リンクしていただいている“邦画ブラボー”さんが、自身のブログに三國連太郎さんの若い頃の顔について書いておられた。先日、BSプレミアムで放送された「警察日記(1955)」に出演していた若い頃の三國連太郎さんのけた外れの美男ぶりに驚いたという内容だった。僕も以前、まったく同じようなことをブログに書いたことがある。“邦画ブラボー”さんは「凄い顔」「凄みのある美貌」と表現していたが、昔の映画俳優は、そんじょそこらにはいない美男美女が多かったような気がする。最近の俳優はレベルが落ちたとは言わないが、どうもそんな“凄み”のある顔にはお目にかかれなくなった。
 その傾向は洋の東西を問わないような気がする。下の写真は「失われたものゝ伝説(1957)」におけるソフィア・ローレンだが、まだ23歳ながらジョン・ウェインやロッサノ・ブラッツィらの大物男優にもけっして負けない存在感を示した美貌とその“目ぢから”は凄みを感じさせる。
邦画ブラボーさんのブログ


博多点描(コンピレーション版)

2012-11-29 16:41:57 | 音楽芸能

【博多点描】 作曲:五世杵屋佐吉 作詞:ふじたけし

 「博多点描」は、博多っ子の“命”ともいわれる「博多祇園山笠」の風情を歌い込んだ長唄。9月8日に行われた「熊本城本丸御殿 秋夜の宴」で“ザ・わらべ & こわらべ”が踊った「博多点描」をYouTubeにアップしていたが、実はこの演目は「春の宴」の時も踊っていた。しかし、春の時はYouTubeにはアップしなかった。なぜしなかったかというと、出だしの優亜ちゃんと愛海ちゃんが花道で踊る場面に、隣で見ていた年齢高めの女性の顔がモロにアップで入っていたからだ。踊り全体の出来は春の時の方がよかったように思えたのでボツにするのもしのびなく、今回二つの映像を組み合わせて編集してみた。

 途中で挿入される「博多祝い唄(祝いめでた)」は「伊勢音頭」から派生したものといわれる。

♪祝いめでたの 若松様よ 若松様よ
 枝も栄ゆりゃ 葉も繁る
 エーイーショーエ エーイーショーエー
 ショーエー ショーエー ションガネー
 アレワイサソー エサソエー ショーンガネー

動物の楽園!? 立田山

2012-11-28 20:02:48 | 熊本
 昨日の熊日新聞に極めて興味深い記事が載っていた。それはなんと僕にとって最も身近な山である立田山が「動物の楽園」状態になっているという記事だ。この立田山にはわが家の墓もあるし、細川家菩提寺の泰勝寺跡がある自然公園にもしょっちゅう行く。山林の中こそもう何十年も入っていないが、そんな状態になっているなんて思ってもみなかった。昔に比べると周囲は民家が建て込んできているし、もう動物の住める環境ではなくなったのかと思っていたくらいだ。たしか立田山の中にはオリエンテーリングのパーマネントコースもあったはずだ。僕が小学校の頃、熊大附小の恒例行事である「うさぎ狩り」は立田山でも行われていた。捕まったきつねが体育館にぶら下げられていたのをよく憶えている。また、立田山での「うさぎ狩り」が復活なんてこともあるのだろうか。

かつての偉容を取り戻しつつある熊本城 ~ 馬具櫓の上棟式 ~

2012-11-27 20:00:09 | 歴史
 熊本城の魅力は何と言っても、熊本藩初代として入府した細川忠利公が驚いたという城郭全体のスケール感だ。明治維新後に破却された櫓などの復元が進められているが、3年ほど前に解体され、今年から復元工事が始まっていた馬具櫓が、今日上棟式を迎えたそうだ。櫓の続塀も合わせて完成するのは来年になるが、徐々にかつての偉容を取り戻しつつある熊本城のこれからが楽しみだ。


解体される前の馬具櫓(画:故坂崎健二郎氏作 H21)


 旧藩時代、登城する時は、坪井川に架かった下馬橋を渡り書物櫓(左側)と馬具櫓(右側)の間からクランク状の虎口を通って入る。備前堀下の勢溜りに出るとそこから急な南坂を登り、南大手門をくぐり、頬当御門から本丸に入った。
 明治35年の明治天皇行幸の際に、御料車が渡れるように下馬橋のやや下流側に行幸橋が架けられた。また、坂をなだらかな傾斜にした行幸坂も同時に作られた。

安住アナと熊大附中

2012-11-26 16:58:42 | 音楽芸能
 数日前、わが母校である熊大附中の前を通りかかったら、「第65回全日本合唱コンクール金賞受賞!」の横断幕が掲げられていた。「アレッ?」と思いながら帰ってからネットで調べたら間違いなかった。

▼第65回全日本合唱コンクール・中学校部門混声合唱の部
 10月28日(日)鹿児島市民文化ホール
 【金賞】熊本大学教育学部附属中学校

 なぜ「アレッ?」と思ったかと言うと、今年の「NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)」では熊本県大会で銀賞となり県代表になれなかったからだ。同じ年の二つのコンクールで全く違う結果が出ることもあるのだなと驚いた。
 ところで、熊大附中といえば、Nコンファンとして知られるTBSの安住紳一郎アナが、Nコンにハマったきっかけが2008年のNコンにおける熊大附中のコーラスを聴いてからというのは有名な話だ。もっとも安住アナは熊大附中のことを「熊教中」と言い張っているのだが。さて、安住さん、今回の金賞受賞のニュースをどう聞いただろうか。
 安住さんが自身のラジオ番組の中で、熊大附中について熱く語っているポッドキャストが残っている。

▼安住紳一郎の日曜天国(TBSラジオ)
 「にち10ポッドキャスティング

▼安住アナがNコンにハマるきっかけとなった2008年Nコンの熊大附中・自由曲

味取観音堂 86年目の秋!

2012-11-25 19:54:14 | 熊本
 大正15年(1926)4月、山林の堂守暮らしの寂しさに耐えかねた種田山頭火が去ってから今年で86年。味取観音堂は今年の秋も見事な紅葉でつつまれた。昨年の紅葉まつりは27日だったが紅葉が遅く、七分といったところだった。しかし今年は今日がまさにピーク。天気にも恵まれ、朝からカメラをかかえた多くの人たちで賑わっていた。



松はみな枝垂れて南無観世音



しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ



分け入つても分け入つても青い山



年とれば故郷こひしいつくつくぼうし



こゝまで来てこの木にもたれる



みんなかへる家はあるゆふべのゆきき



ほろほろほろびゆくわたくしの秋

ひこにゃんの憂鬱

2012-11-24 21:09:10 | 時事
 Yahoo!ニュース(産経新聞報)の中の次のようなニュースが目についた。

「国宝の彦根城(滋賀県彦根市)が、世界遺産登録候補地の「暫定リスト」入りしてから今年丸20年になる。あとからリスト入りした候補地は次々と登録された。置いてきぼりである。市があの手この手で打開策を図る中、ここへ来て思わぬヨコヤリが飛んできた。天守とともに城の顔でもある堀に自転車の不法投棄が相次いでいるのだ。管理する彦根城管理事務所は「一刻も早くやめてほしい」と訴える。ゆるキャラの王者・ひこにゃんの“家”でもある彦根城だが、不運は続く…。」

 元彦根市民として見過ごしにできないニュースだ。前段の世界遺産登録候補に20年も前からあげられながら、なかなか登録されないというのは何か理由があるはずだから、お気の毒としか言いようがないが、後段の、彦根城のお堀に自転車の不法投棄が絶えないという話はちょっと問題だ。僕が接した彦根市民の人たちはみな、彦根城を愛してやまない人ばかりだった。そんな市民の中に自らの宝を傷つけるような行為をする人がいるなんて・・・。たしかに熊本城とくらべると彦根城のお堀は生活の場に近接しているのであまり慣れ親しんでしまうと貴重な史跡という意識がマヒする面はあるかもしれない。それにしても悲しい話だ。わが“くまモン”の先輩“ひこにゃん”もきっと嘆いているに違いない。


桜の時期はお堀端の桜並木は見ものだ。

「伊勢音頭」トリビア

2012-11-23 19:20:19 | 音楽芸能
 日本の代表的民謡「伊勢音頭」は、江戸時代後期に起こった空前の「お伊勢参りブーム」もあって、日本全国に伝播し、今日では「伊勢音頭」と言っても実に多様なバリエーションが生まれたことは以前にも書いた。
 しかし、どの唄にも「ヤートコセーノ ヨイヤナ・・・」という囃子言葉は共通している。実はこれは、二千年以上も昔から伊勢に伝わる御霊歌の詩なのだそうだ。つまり江戸時代に生まれた「伊勢音頭」よりもずっと昔からあったことになる。そんなことを思いながら聴いてみるとまた違った味わいがある。

彌長久(いやとこしえ) 吉哉な(よいやな) 安樂樂(あらら)
是者伊勢(これはいせ) 善所伊勢(よいとこいせ)




♪ 伊勢にナ~ 行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に 一度でも
  ヤートコセーノ ヨイヤナ アリャリャ コレワイセ コノヨイトコイセー

♪ わしがナ~ 国さは お伊勢が遠い お伊勢恋しや 参りたや
  ヤートコセーノ ヨイヤナ アリャリャ コレワイセ コノヨイトコイセー

「草枕の道」への再挑戦!?

2012-11-22 20:48:11 | 熊本
「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋が淋しそうに庇から吊されて、屈托気にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭が散らばっている。
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 これは有名な、夏目漱石「草枕(二)」の冒頭、「峠の茶屋」の一節だ。この小説の舞台となった島崎町の岳林寺から天水町小天の前田家別邸までの約15kmの山越えの道、別名「草枕の道」を歩いたのはもう3年前の初夏のことだった。今年の春、再チャレンジしようと決心したのだが、グズグズしてまだ実現できずにいる。何とか年内には実現したいものだが、そのためにはもう一度体力づくりをやり直さないとダメかもしれない。


ライブ鑑賞のお初は・・・

2012-11-21 17:48:10 | 音楽芸能
 僕が初めて歌手の生演奏を見たのは菅原都々子さんだ。たぶん昭和27年だと思うが、祖母に手を引かれて行った。場所は熊本市公会堂(現在の熊本市民会館)だった。他にも何組かの歌手が出演していたと思うが、誰だったか憶えていない。その時、菅原都々子さんが歌ったのは「月がとっても青いから」だったと思い込んでいたが、これは僕の勘違いで「月がとっても青いから」がリリースされたのは昭和30年だそうだ。この歌の印象があまりに強かったため、いつからか錯誤してしまったようだ。となるとその時聴いた歌はいったい何だったのか。おそらく「連絡船の唄」や「江の島エレジー」などだったのだろう。とにかくその当時の大スターで会場の大人たちの盛り上がり方も凄かったことを記憶している。先日テレビの「開運!なんでも鑑定団」にゲスト出演してお元気な姿を見せておられた。85歳だそうだ。若かりし頃のお姿をなつかしく想い出しながらテレビを見ていた。
※右の写真をクリックすると「月がとっても青いから」を聞けます。


熊本市公会堂

岡林立哉 「馬頭琴 & ホーミー」ライブ

2012-11-20 20:34:57 | 音楽芸能
 岡林立哉さんの「馬頭琴&ホーミー」ライブが下記のとおり行なわれる。これまで3回聴かせてもらったが、革張りの馬頭琴の柔らかい音色と、モンゴル独特の唱法「ホーミー」の不思議な響きが聴きどころ。「ホーミー」を初めて聞いた人はだいたい、どこから音が聞こえてくるのかとキョロキョロあたりを見回す。おそらく彼ほど本場の「ホーミー」を再現できる日本人はいないだろう。一見の価値あり。


■11月24日(土)
会場 : 熊本市・水前寺 「インド食堂」
開場 : 17:30
開演 : 18:30
チャージ : 2,000円+オーダー
予約・お問い合わせ : 096-371-6528(インド食堂)

■11月25日(日) 
会場 : 熊本市・JR熊本駅前 「熊本森都心プラザ図書館」
開演 : 13:30
チャージ : 無料
お問い合わせ : 096-355-7401(プラザ図書館)

■11月25日(日) 
会場 : 熊本県・西原村 「文化創造館 風流」
開演 : 17:00~
チャージ : ご予約 1,500円(当日 2,000円)/中学生 1,000円(小学生以下は無料)
予約・お問い合わせ : 096-279-4444(吉岡)

成道寺の秋、再び

2012-11-20 17:45:16 | 熊本
 先々週訪れた時、紅葉のピークまであと10日ぐらいかという住職のお話だったので、今日再び、成道寺を訪れた。今日はぶらぶらと歩いて、あちこちで道草をしながら行ったが、車と違って抜け道を通って行ったので意外に早く、わが家から1時間ほどで着いた。お寺の庭はまだ紅葉しきっていなかったが、周囲は見事な秋色が広がっていた。ここは湧水の流れる音がなんとも穏やかな気持にさせる。写真を撮りながら景色を眺めたり、沢村大学のお墓にお参りしたりして小一時間ほど過ごした。帰り道に田圃の畦道の陽だまりで弁当を食べた。周囲を赤とんぼが飛んでいた。途中立ち寄った柿原養鱒場でも見事な紅葉を楽しんだ。


成道寺-1


成道寺-2


成道寺-3


成道寺-4


成道寺-5


成道寺-6


細川家の家老・沢村大学のお墓


秋景色の田圃の陽だまり


柿原養鱒場

自粛していた映像を公開!

2012-11-19 22:20:13 | 音楽芸能
 今年の9月15日に行われた「熊本城本丸御殿・秋夜の宴」はちょうど「藤崎八旛宮秋の例大祭」の開催中ということで、祭にちなんだ演目が披露された。その中には昭和30年代に「月の法善寺横丁」などのヒット曲で知られる藤島桓夫さんが歌った「ボシタ囃子」という演目があった。この演目については、イベント事務局から「歌詞の中に不適切な表現がありますが、作られた時代背景を考慮し、そのまま・・・」という断りのアナウンスがあった。僕もその趣旨を尊重して映像をYouTubeにアップするのは自粛していたが、よく考えてみればそれもおかしな話だ。とにかく公開してみてご批判をいただくようだったら、またその時点で考えることにするということで「限定公開」でアップした。


山頭火 何でこんなに淋しい風ふく

2012-11-18 17:29:52 | 文芸
 今日の熊日新聞に種田山頭火を描く映画作りが進められているというニュースが載っていた。山頭火の生誕130年を記念した企画だという。監督を務めるのはハンセン病への偏見や差別を題材にした映画「あつい壁」などで知られる中山節夫監督。社会派の中山監督がどんな山頭火像を描くのか興味津々だ。
 山頭火を描いたドラマとしては1989年にNHKで放送された「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」がある。フランキー堺さんが山頭火を演じているが、これはもともと脚本家の早坂暁さんが、渥美清さんの主演を想定して書いた脚本。健康上の理由で渥美清さんは出演できなかったが、本人は並々ならぬ意欲を見せていたという。山頭火が一時、堂守を務めていた植木町味取の味取観音堂がある瑞泉禅寺に渥美さんがふらっと訪ねて来たことがあるという。これは瑞泉禅寺がご実家の民謡三味線・本條秀美さんから聞いたお話だ。そういえば先日、高倉健さんも「山頭火役のオファーを断ったことがある」とインタビューで答えていた。
 今回の映画がどういう脚本になるか興味があるが、特に妻の咲野さんがどういう風に描かれるのかに最も注目したい。ちなみに1989年のNHKドラマ版では、咲野さんを桃井かおりさんが演じていたが、その咲野さんと息子の健さんが登場するラストシーンがこれだ。

一草庵で
目をとじて倒れている山頭火。
もうイビキもなく―――。
カメラはゆっくり遠ざかる。
「昭和十五年十月十一日
   山頭火
   脳溢血にて死す」
絶叫するような山頭火の声がひびく。

寺で
遺骨を胸に寺の長い階段を上がっていく咲野と健。

本堂で
遺骨を和尚の前に置いて、咲野と健。

咲 野「……この人は、わたしや子どもを養う力はございませなんだが、たくさんの、美しい、優しい、
    心にしみる俳句をわたしらに残してくれました。役立たずといわれるお人でなければ、決して
    見つけることのできない優しい眺めや、美しい心をわたしらに、くれました」
和 尚「(うなずいている)」
咲 野「でも和尚さま。残された句を、読んでみますと、なんと淋しい句が多いのでしょう。……泣き
    ながら、旅をしております。……あたたかい団欒を、人一倍欲しがっておるのに、不器用で
    それをつくれなかったお人の涙が、このたくさんの句だと思います。……結局は帰ってまいり
    ませんでしたが、ずっと待っておってよかったとわたしは思うております。……かわいそうな
    お人でした」
    健も、うなずいた。
咲 野「これが、最後の句です」
    短冊を見せる。
和 尚「……もりもり 盛りあがる 雲へあゆむ」
咲 野「……最後の最後が、力強い句で、ありがたかったです」

雲へ歩む山頭火
   力強く盛りあがる夏の雲。
その雲に向かって歩いてゆく山頭火のうしろ姿。
白いクリーム瓶が一つ、ころがっている。

 もりもり盛りあがる雲へあゆむ


まさに至芸! ~ 舞踊「三輪の神杉」 ~

2012-11-17 17:24:59 | 音楽芸能
 Eテレ「にっぽんの芸能」で11月9日に放送(11月16日再放送)された「舞踊“三輪の神杉”」は、今年、編纂1300年を迎えた「古事記」にも記述された三輪山伝説を題材とした舞踊。この舞踊は人間国宝の藤間藤子さんが昭和27年に振り付けたもので、これを若柳吉優、花柳翫一、泉翔容の三人立ちによる早替りで八役をこなしていく。内容は面売りの三人が、客寄せのために三輪山伝説を演じるという劇中劇。
 三輪山伝説とは、美しい姫のもとに夜ごと男が訪ねる。男の素性を怪しんだ両親は、姫に糸を通した針を男の衣の裾に刺させ、翌朝その糸をたどると三輪山の神社まで続いていて、男の正体が蛇体であったというもの。
 一連の舞踊の中でも僕が絶品だと思ったのは、花柳翫一さんと泉翔容さんによる踊り。姫と男が逢瀬を楽しんでいる間の、姫の侍女と男の従者のやりとりを“おかめ”と“ひょっとこ”の面をつけたコミカルな踊りで表現している。番組解説の藤間蘭黄さんによれば「面をつけた踊りは素面の時よりも大きな動作で表現しなければならない」そうだ。地方の音曲の素晴らしさも合わせ、まさに至芸と言えるだろう。