徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

百貫港とハーンの夢

2023-01-31 19:33:14 | 文芸
 玉名に行った帰り道は河内から河内川沿いに登って山越えすることが多いのだが、たまに海の景色が見たくて海沿いの国道501号線を帰ることがある。この道を通る愉しみは、百貫港灯台の近くに車を停め、海を眺めながら休憩をすることだ。ボンヤリと景色を眺めているといつも思い出すのはここから船で長崎を目指したラフカディオ・ハーンのことである。1893年7月、ハーンは百貫港から小舟で沖へ出、散々待たされた蒸気船に乗り換えて長崎へ渡る。ところが長崎のあまりの暑さにほうほうの体で帰ってくる途中、三角港のホテルで「夏の日の夢(THE DREAM OF A SUMMER DAY)」を見ることになる。この時の経緯を友人の東京帝大教授バジル・ホール・チェンバレン宛の手紙で次のように書き送っている。

 三角には、西洋式に建築され、内装された浦島屋というホテルがありますが、――太陽が蝋燭よりも良いように、長崎のホテルよりもはるかに良いものです。また、とても美人で――蜻蛉のような優雅さがあり――ガラスの風鈴の音のような――声をした女主人が世話をしてくれました。車屋を雇ってくれたり、素晴らしい朝食を整えたりしてくれて、これら全部ひっくるめてわずか四〇銭でした。彼女は、私の日本語を理解しましたし、私に話しかけたりもしました。私は極楽浄土の大きな蓮の花の中心で突然生まれ変わったような気がしました。このホテルの女中たちもみな天女のように思えました――それというのも、世界中で最も恐るべき場所から、ちょうど逃れて来たばかりだったからでしょう。それに、夏の海霧が、海や丘それに遠くにあるあらゆるものを包み込んでいました――神々しく柔らかな青色、そして真珠貝の中心の色たる青色でした。空には夢見るような、わずかに白い雲が浮かんでいて、海面に白く輝く長い影を投げかけています。そして、私は浦島太郎の夢を見たのです。

 軍都あるいは国の機関のブランチとして近代化が推し進められていた熊本にハーンは失望することが多かったらしいが、そんな中で唯一の美しい思い出がこの浦島屋での体験だったのかもしれない。


百貫港灯台




三角西港・浦島屋

春は名のみの

2023-01-30 21:38:28 | 
 今日は久しぶりの快晴。風は冷たかったが日差しに誘われて散歩に出た。目的地は市民会館裏の山崎天神。京町から県道303号(旧国道3号線)を歩く。

 不開門(あかずのもん)の下あたりへ来た時、石垣下の無粋な補強が目に入った。10数年前、この補強工事に違和感を感じ市当局に問い合わせたことがあった。昭和初期に城壁下部が膨らんできて崩壊の危険性があったため、当時の陸軍が応急的に補強した跡である。熊本地震前はここを通る度に気になって仕方なかったが、熊本地震で不開門が倒壊、一部の石垣も崩れたままの現状では目立たなくなってしまった。



 市民会館の前には熊本市のシェアサイクルが10台、手持無沙汰に佇んでいた。土・日などにはどのくらい利用されているのだろうか。



 「イチハラヒロコ恋みくじ」で若い女性に人気のこの神社も月曜日とあって参拝者はまばら。



 坪井川沿いの長塀も復旧はなったが、市民憩いの場だった長塀前の河川敷は未だ馬具櫓周辺の復旧工事中で入れない。毎年、春の園遊会で行われていたイベントが懐かしい。


長塀前で行われていた春の園遊会の芸能イベント

50回目の結婚記念日

2023-01-28 19:13:16 | 
 今日は50回目の結婚記念日。あっという間だったような、長かったような。
振り返ればいろんなことがあったが、結果的には妻と歩んだこの50年間は必然だった気がする。
 今日は、百歳の母が目を離せないこともあって特別なことは何もやらず、いつも通りの妻の手料理でささやかに祝った。
 結婚した1973年のヒット曲、高橋真梨子の「五番街のマリーへ」を久しぶりに聴いてみた。2009年に熊本市民会館で行なわれた高橋真梨子のコンサートに二人で行ったことを思い出した。


自転車をめぐるエトセトラ

2023-01-27 20:49:58 | 歴史
 今日、BSプレミアムシネマで「明日に向かって撃て!」を放送していた。1969年の公開時、劇場で見て以来もう何度見たことだろう。中でもバート・バカラックの名曲「雨にぬれても(Raindrops Keep Falling On My Head)」に乗せてブッチ(ポール・ニューマン)とエッタ(キャサリン・ロス)の自転車相乗りのシーンは忘れられない。
 以前、時代背景がこの映画と近い夏目漱石の「自転車日記」と大河ドラマ「いだてん」の自転車揺籃時代の話題をブログに取り上げたことがあった。今日もそのシーンを見ながらブログ記事のことを思い出したので、時系列に整理してみた。

1899年 ブッチ&サンダンスがユニオン・パシフィック鉄道を襲撃
1899年 当時、アメリカも自転車ブームで映画「明日に向かって撃て!」の1エピソードとなる。
1900年 夏目漱石ロンドン留学に赴く
1902年 漱石、下宿先の婆さんに強制的に自転車の練習をさせられる。
1903年 漱石ロンドンより帰国、「自転車日記」を物する。
1909年 演歌師、神長遼月が作った「ハイカラ節」が流行
1910年 「ハイカラ節」が「自転車節」となって流行
1910年 金栗四三、東京高師に入学のため上京
1912年 金栗四三がマラソンで日本人初のオリンピック出場
1913年 金栗四三がスヤと結婚

雨にぬれても(Raindrops Keep Falling On My Head)


漱石が乗せられた女性用自転車


大河ドラマ「いだてん」で「熊本自転車節」を唄いながら自転車を漕ぐスヤ(綾瀬はるか)

「熊本自転車節」

雪道の出来事

2023-01-26 11:56:48 | 
 テレビ各局では、10年に一度という大寒波の襲来と大雪による国内各地での大混乱の様子を映し出している。そんな映像を見ていると、かつて雪道で遭遇した出来事を思い出す。

 40年近くも前のある年の冬、那須高原にあった会社保養所へ同僚の建築担当者を伴って改修の打ち合わせに行った。雪道だったが当時はスパイクタイヤ全盛の頃、何の苦も無く那須高原に登った。その帰り道、雪の坂道で車を停め、困り果てている様子の親子4人連れに出会った。父親と大学生か高校生の男の子二人が、車の脇にチェーンを拡げたものの、どうしていいのか全く分からずお手上げの状態だった。聞けば、横浜から那須高原へ観光にやって来たが、夏タイヤのままなので、もうこれ以上登るのは無理だと、チェーンの装着を始めたのだという。それはさぞお困りでしょうと、僕と同僚の二人で代わりにやってあげることにした。実は僕もチェーンを装着したのはそれまでに2、3回しかなかったのだが、この同僚は地元出身の経験豊富な人で、実に手際よく作業を進め、あっという間に装着が終った。横浜の親子4人は何度も頭を下げながら目的地へ向かって発車した。もし僕一人だったら、おそらく何倍もの時間がかかったに違いないと、走り去る車を見ながら冷や汗をかく思いがした。

 45,6年前、防府に住んでいた頃、幼かった子供たちを連れてよくドライブに出かけた。冬のある日、佐波川上流の徳地町方面を目指して防府天満宮の天神山を越え、下り道に差し掛かった時、路面が前夜の雪でアイスバーンになっていることに気付いた。街中の雪は消えていたのでつい油断していたのだが、そこは山かげ、雪が氷となって残っていたのである。いったん停車し、前方を確認すると50㍍ほど先は明らかに氷が溶けているのが見えた。とりあえずそこまで車を移動させようと思ったのだが、移動中にスリップして停まらなくなるのが怖かったので、子供たちを路肩に降ろし、そろりそろりと車を動かし始めた。10㍍ほど動かした時、4歳の長男が大泣きしながら走って車を追って来るのが見えた。置き去りにされるとでも思ったのだろう。するとキョトンとしていた2歳の次男も泣き出して追っかけてきた。しかたがないので二人を待って車に乗せ、なんとか氷が溶けている地点にたどり着いた。その後、細心の注意を払って下り坂を脱出した。もうドライブどころじゃなくなり、別の道へ迂回して帰宅した。


犬王の天女舞

2023-01-24 15:17:58 | 古典芸能
 先日、アニメ映画「犬王」をレンタルビデオで見た。今年のゴールデングローブ賞にノミネートされて話題になったあの映画である。古沢日出男さんの原作小説を読んでいたので、それがどのように映像化されているのか興味があった。
 結論的に、僕としては期待外れだった。僕の最大の興味は、誰も見たことがない失われた芸能である犬王の天女舞をどういう風に再現しているのかだったが、犬王の舞はまるでアクロバットというか器械体操といった感じに表現されていた。また友魚の弾く琵琶楽も70年代か80年代のロックミュージックに変えられていた。
 近年、若手の能楽師には現代的なセンスを持った方もおられるし、琵琶楽も気鋭の若手奏者が何人もおられるのでそういう人材の発想と能力を引き出すような舞や琵琶楽で物語を創り上げてほしかった。海外向けという意味でもロックを使えば受けるというものでもないと思われる。いつの日か犬王の天女舞を堂々と再現するような作品が生まれることを願ってやまない。


観世流 能「羽衣」より

玉名女子吹部卒業生のその後

2023-01-23 22:22:06 | 音楽芸能
 昨日、熊本県立劇場コンサートホール で玉名女子高等学校吹奏楽部のニューイヤーコンサートが開かれた。残念ながら今回は会場に行くことが出来なかったが、卒業生たちのバンド「玉名女子ウインドアンサンブル」によるウェルカム演奏のインスタライブ配信を見て雰囲気だけでも味わった。
 ニューイヤーコンサートは過去2回見に行ったが、3年生にとっては最後の晴舞台。感極まる子たちの涙を見ながらいつも思うのは、彼女らはこれからどんな人生を歩んで行くのだろうかということだ。「玉名女子ウインドアンサンブル」で現役時代と同じように演奏する姿を見るとなぜかホッとする。


上の画像をクリックすると「玉名女子ウインドアンサンブル」のインスタグラムへ

名優の微笑ましいエピソード

2023-01-22 22:35:25 | ドラマ
 今日は冷たい雨が断続的に降るという陰鬱な日曜日、家から一歩も出ずに過ごした。
 そんな中、TKUテレビ熊本で郷土の偉人シリーズとして名優笠智衆さんの人生を描いたドラマが放送された。笠智衆さんに扮したのは小日向文世さん、その奥様を松下由樹さんが演じた。これからTVerなどでご覧になる方にネタバレとなってはいけないので内容については省略する。
 ドラマを見ながら、11年前、笠智衆さんの生家である玉名市天水町の来照寺へ母を連れて訪問した時のことを思い出した。その時、ご住職の奥様からお聞きした笠智衆さんのエピソードを再掲したい。
 それは笠智衆さんが亡くなる少し前、「おじいさん 笠智衆写真集」の撮影のため、この生家、来照寺へ帰って来られた時の話。余計な気を使わせまいと何の連絡もせず来照寺へ帰って来た笠さん。ところが、たまたまこの日はご家族全員お出かけで家にも本堂にも入れない。しかたなくガラス戸が締め切られたままの本堂の縁側で撮影をすませたそうだ。それを聞いて写真集を見直してみると、たしかにお寺の縁側で着物姿でくつろいではいるものの、うしろのガラス戸は締め切られたままというなんとも不自然な写真。笠さんのお人柄を偲ばせるエピソードに、あとから笑いがこみ上げてきた。


来照寺境内に立てられている出演映画の看板

神話の里・高千穂

2023-01-21 22:59:25 | 歴史
 今日のブラタモリは「神話の里・高千穂」編。
 僕は隣町の五ヶ瀬町には仕事で何度も行ったが、高千穂町には足を踏み入れたことがない。10年ほど前、懇意にしていただいている松田真美さんが、アメノウズメを祀った荒立宮で奉納舞をされた映像を拝見したりして、ぜひ一度高千穂神社と荒立宮にはお詣りしたいと思っているがいまだ実現しない。
 今日のブラタモリについてはまとめるには時間が足りなかったので、キーワードを羅列しておき、後日まとめてみたい。
天安河原、アマテラス、スサノオ、天の岩戸、岩戸隠れ
高千穂峡、柱状節理、エンタブラチュア、真名井の滝、玉垂の滝
阿蘇大噴火、火砕流、ASO4、ASO3
高千穂大橋、観光地百選、554社の水神、天保の大飢饉、高千穂版お遍路
山腹用水路、棚田



アメノウズメに始まる岩戸神楽を題材にした創作舞踊

新世界の復活

2023-01-19 21:11:22 | 熊本
 昨日、熊日デジタルニュースで次のような記事を目にした。

 熊本市中央区手取本町の熊本パルコ跡地で進められてきた新ビルの建設工事が20日、完了する。名称は「Shinsekai(シンセカイ)下通GATE(ゲート)」。3~11階は星野リゾート(長野県軽井沢町)の都市型ホテルが入居。地下1階~地上2階にはパルコ(東京)が新業態の商業施設をオープンさせる予定で、春の開業に向けて内装工事を進める。

 僕が映画少年だった頃、あの場所には洋画の映画館「新世界」があった。下通入口を挟んで市役所側には同じく洋画の「大劇」があり、新作映画の公開で張合っていた。大劇の経営者が僕の母の知り合いだったこともあって大劇に行くことが多かったが、それは当時の洋画配給会社のメジャーどころが大劇がワーナー・ブラザース、パラマウント、MGM、20世紀フォックス、コロンビアと多かったのに対し、新世界の方はユニバーサルやユナイテッド・アーティスツなどとやや劣勢だったことにもよる。どちらの映画館も忘れられない名作があったが、大劇は「ベン・ハー」や「風と共に去りぬ」「シェーン」など。新世界は「アラモ」や「ウェストサイドストーリー」などが忘れられない。
 新世界の名前が復活したことは僕らの世代には嬉しいニュースだと思う。


1953.6.26 大水害直後の「通町筋電停」付近の様子(前方に鶴屋百貨店や新世界映画館が見える)

夏目漱石内坪井旧居 公開再開

2023-01-18 23:06:36 | 熊本
 2016年4月の熊本地震で被災し、以来ずっと閉館が続いていた「夏目漱石内坪井旧居」(熊本市中央区内坪井町)の復旧工事が完了し、いよいよ来月2月9日(夏目漱石の誕生日)に公開が再開される予定です。これまで県内外から訪れる旅行者が館外から覗き見る場面に何度も遭遇することがあり、何か申しわけないような気がしていましたのでホッとしました。


庭園から


正門から


映画「うつくしいひと」の1シーン。漱石内坪井旧居の玄関前で(石田えりと橋本愛)

今年の能・狂言は…

2023-01-17 22:21:35 | 伝統芸能
 昨年はとうとう能を見る機会がなかった。仕舞や舞囃子は何度か見たのだが、装束を着けた正式な能は見ることができなかった。今年も正月の松囃子は藤崎八旛宮の初詣の時に見たのだがどうなることやら。
 今月は大江幸若舞や久留米座能など見たい催しが続くのだが、百歳の母が目を離せない状態なので行けそうもない。
 今思えば、2021年3月に水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」は、コロナ禍の中、よくやってくれたなと思う。「翁」は前から最も見たかった演目で、これまで一度も見たことがなく、生きているうちに見るチャンスはあるだろうかと思っていたので「翁プロジェクト」が予定通り開催されたことは何よりも嬉しかった。
 コロナ禍もいまだ油断できない状態が続いているし、先の見とおしも予断を許さないが、せめて1年に一番でも能を見ることができれば嬉しいのだが。


西の魔女が死んだ-サチ・パーカー(再掲)

2023-01-16 22:06:50 | 映画
 今夜、BSプレミアムで映画「西の魔女が死んだ」が放送された。この映画を見たのは15年前になるが、ブログ記事にした憶えがあった。懐かしくなってその記事を再掲してみた。
▼初掲(2008年11月18日)
 さて今夜は映画「西の魔女が死んだ」の上映会が電気館で行なわれる。数ヶ月前、この映画が公開された時はそれほど興味はなかった。主役のサチ・パーカーという名前に、どこかで聞いた覚えがあるなとは思いながら、それっきり忘れていた。ところが先日、あるサイトで彼女がシャーリー・マクレーンの娘だと書いてあるのを見て一瞬で記憶が甦った。何としても今回の上映会に行きたいと思った。
 僕が中学生だった1960年頃、ハリウッドの大スターだったママ、シャーリーは映画情報誌「スクリーン」に度々登場した。そして愛娘サチと一緒に写ったスナップも何度か見た記憶がある。当時は僕にとって洋画の情報源といえば、この「スクリーン」誌しかなかったから、隅から隅まで貪り読んだものだ。だから当時の記事で克明に憶えているものがいくつもある。サチのパパとママは有名な親日家だった。パパはママと離婚した後、たしか日本人女性を後妻にもらったと記憶している。その頃はハリウッドスターが家族と一緒に写ったスナップがよくスクリーン誌を飾った。今でもよく憶えているのは、チャールトン・ヘストンの息子フレイザーくん、トニー・カーティスとジャネット・リーの娘ジェイミー・リーちゃん、ジョン・ウェインの娘アイサちゃん、そしてシャーリー・マクレーンの娘サチちゃんなどだ。くんやちゃん付けをしているが、いずれももうオッサン、オバサンになっている。
 余談はさておき、今夜の映画の内容はともかく、サチ・パーカーのお婆ちゃんぶりが見ものだ。


1959年頃のサチとママ シャーリー

草の芽の 便りきいたか

2023-01-15 22:47:28 | 文芸
 春の便りを聞きに、井芹川沿いへ行ってみた。咲きそろい始めた草花を見ながら、天才少女詩人と謳われた海達公子が幼い頃に詠んだ「すみれ」と題する詩を思い出した。

 あしもとのすみれ ふまんでよかつた

 少女の純真で可愛らしい心情が表現されている。

 平成29年に他界された規工川佑輔先生は、海達公子を愛し、生涯をかけて顕彰し続け、最後の最後まで公子のことを忘れることはなかった。先生の遺作はまるで公子の詩に応えるかのような歌だった。

 県道を渡れる脚を持たざれば春野にはこべら踏むこともなし

 最晩年は自らの足で歩くことが出来なくなった自分を客観視しながら、公子の詩に対するオマージュが込められていると思う。




稲穂のかんざし

2023-01-14 22:54:04 | 日本文化
 日本では古代から神に仕える巫女の冠の巾子(こじ)を止める髻華(うず)は後に簪(かんざし)となって、女性が髪を結う時に使う伝統的な装身具となった。
 京都の花街では正月に芸舞妓さんたちが稲穂のかんざしで髪を飾る習慣がある。これは関西で松の内とされる15日までの間だそうだ。なぜ正月に稲穂のかんざしを使うかというと、年の初めに当たり、その年の五穀豊穣ひいては商売繁盛を祈る意味と、実るほど頭を垂れる稲穂の謙虚さを失わないという意味もあるという。一般的に舞妓さんが髷の右側、芸妓さんが左側に付けるそうで、こうした風習が全国の花街にも伝わっていったといわれる。
 舞踊団花童は主宰する中村花誠先生が京都生活が長かったこともあり、基本的に京都方式のようで、花童の子たちは右側に、名取りを許された卒業生は左側に付けているようだ。
 ちなみに花童の稲穂のかんざしは、花童ゆりあのお祖父様が、京都の舞妓さんが付けているのをTVでご覧になり、自ら育てた稲穂で孫娘の髪を飾りたいという発想から始まったそうだ。そしてゆりあママ手づくりによるかんざしが花童全員の髪を飾ることとなったそうである。
(過去記事を再編集したものです)