徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

B. J. トーマスの訃報に寄せて

2021-05-31 15:09:56 | 音楽芸能
 映画「明日に向って撃て!」の主題歌「雨にぬれても(Raindrops Keep Falling On My Head)」で有名なアメリカのカントリー&ポップス歌手であるB. J. トーマスさんが亡くなったそうだ。彼にはエルビス・プレスリーがカバーした「Just Can't Help Believing」などのヒット曲があるのだが、「雨にぬれても」が彼の代名詞となり、この曲によって映画史および音楽史に名を残したといえよう。心からご冥福を祈りたい。

 この「雨にぬれても」について、ブログ友の小父さんk様がとても面白いコメントを寄せて下さった。当ブログに掲載した「熊本自転車節」の歌詞から、「雨にぬれても」を連想されたそうだ。
 「明日に向って撃て!」は1969年に公開されたアメリカン・ニューシネマの代表作の一つとされる西部劇。バート・バカラックとハル・デヴィッドの名コンビによる主題歌「雨にぬれても」はB. J. トーマスによって歌われ、主人公のブッチ(ポール・ニューマン)と相棒サンダンス(ロバート・レッドフォード)の妻エッタ(キャサリン・ロス)が自転車に乗って戯れる印象的なシーンと重なり大ヒットした。
 この傑作西部劇と日本の俗謡「自転車節」が実は同じ時代背景を写しているのである。19世紀の後半頃から、ヨーロッパでは自転車が大流行し、それはアメリカにも伝わった。既に西部開拓時代が終わり、時代に取り残されたブッチとサンダンスが必死に新しい時代にキャッチアップしようとする姿の象徴が自転車だったのである。自転車の流行は日本にも伝播した。しかし、まだまだ自転車は一般庶民には高嶺の花。そこで自転車の時間貸しという商売が生まれ、借料は高価だったにもかかわらず大流行した。明治40年代(1907~)に入り、そんなハイカラ風俗を風刺した「ハイカラ節」が生まれ、「自転車節」として広く歌われるようになった。2019年の大河ドラマ「いだてん」での自転車シーンや唄われた「熊本自転車節」も同じ時代背景を象徴するシーンだったのである。
 小父さんk様が直感的に「雨にぬれても」と「自転車節」を結び付けられたのは、けだし慧眼というべきだろう。


ポール・ニューマンとキャサリン・ロス








大河ドラマ「いだてん」で「熊本自転車節」を唄いながら自転車を漕ぐスヤ(綾瀬はるか)

※2020年9月8日の記事を再編集したものです。

青いドレスのシャーリー

2021-05-30 20:27:55 | 映画
 昨日の深夜、BSPでヒッチコックの「ハリーの災難」を放送していた。10年以上前、やはりBS放送で見て以来の再見。おそらくヒッチコック以外の人が作ったら面白くもなんともない映画になっただろう。ヒッチコック映画おなじみのハラハラドキドキがあるわけでもなし、スクリーミングがあるわけでもない。アメリカ北東部の美しい秋の風景の中で淡々とブラックコメディが展開していく。
 僕の注目はやはり、これが映画デビューとなったシャーリー・マクレーン、当時21歳の魅力。映画衣装のカリスマ、イーディス・ヘッドがデザインした衣装を身にまとっているが、中でもチャーミングなこの青いドレス。役柄としては殺人犯かもしれないこの女性を、この青いドレスがミステリアスながらも清新なイメージを与えているのだ。
 この後、シャーリー・マクレーンはハリウッドのトップスターに昇りつめて行くのだが、数多くの作品で楽しませてもらった。あえて3本選ぶとすれば次の3作品だろうか。
 アパートの鍵貸します(1960)、噂の二人(1961)、愛と追憶の日々(1983)
 彼女はかつて夫婦関係にあったスティ-ブ・パーカーとともに親日家として知られ、愛娘にも日本名をつけるほどだったが、その娘「サチ」が13年前、日本映画「西の魔女が死んだ」にお婆ちゃん役で登場した時は、時の流れに感慨深いものがあった。
※参考記事「西の魔女が死んだ-サチ・パーカー


ジョン・フォーサイスとシャーリー


1959年頃のサチとシャーリー

近江猿楽

2021-05-29 21:46:18 | 歴史
 三日前の記事「寺社めぐり(4)」の余談になるが、彦根在勤時代、滋賀県内の高校をリクルートして廻った。彦根から琵琶湖東岸を南下し、琵琶湖大橋を渡ると堅田高校や北大津高校を廻って比叡山高校へというルートをとった。その比叡山高校からほど近いところにあったのが山王系神社の総本社日吉大社である。当時は能楽にはあまり興味を持っていなかったが、リタイア後、能楽に親しむようになってから日吉大社が能楽史上とても重要な存在であったことを知り、当時のことがとても残念でならない。日吉大社が鎮座する坂本は近江猿楽の拠点の一つとなっていた比叡座があったところ。天女舞で知られる犬王(道阿弥)は世阿弥の能にも大きな影響を与え、今日、能の重要な要素である「幽玄」は犬王の芸風から始まったといわれる。その後、消滅した近江猿楽を、近江猿楽の拠点の一つであった琵琶湖東岸の多賀大社の地域住民の皆さんが復元活動を行っておられるようで心強い。多賀大社は彦根時代の住まいに近く、初詣や来客の案内もした馴染み深い神社なので、いつか復元された近江猿楽を見に行きたいと願っている。


日吉大社東本宮楼門





天女舞

宇土櫓修復工事 開始近い?

2021-05-28 21:21:00 | 熊本
 熊本地震で大きな被害を受けた熊本城で、国の重要文化財である宇土櫓は倒壊は免れたものの、内部は激しく損傷していて、建物全体が変形していることから部分的な修理では修復できないという。そこでいったん解体したうえで、修復していく方針を決めたとNHKニュースが報じたのは昨年3月のこと。しかし、その後一向に工事が始まる気配はなく1年以上が過ぎた。その宇土櫓がある平左衛門丸西側で来月から発掘調査が始まるという。このことから、やがて修復工事が始まるのではと予想される。
 ただ、倒壊した続櫓下の石垣の孕み出しの修復も必要なため、櫓自体の解体がいつから始まるのかは不透明。
 昭和初期に一度解体修理が行われているが、今回解体されると、宇土櫓の姿が消えるのは僕にとって生まれて初めて。ちょっと複雑なものがある。


修復工事を待つ宇土櫓

おても時雨

2021-05-27 21:47:08 | 音楽芸能
 父の回想録に「土手検」と呼ばれた町芸者の話がある。祖母がまだ娘だった頃、曽祖父が大江村の村長をやっていて、酒宴によく呼んだ町芸者が「土手検」と呼ばれて人気があったという。
 「熊本県大百科事典」によれば
――明治初期、寺原町(現壺川1丁目)に始まった町芸者は同町土手付近に住んでいたことから「土手券」と総称し、全盛時は市内各所に散在し、数々の人気芸者も生み、手軽で便利なことから一時隆盛を極めたが、これは「やとな」(雇い女の略。臨時に雇う仲居の女)の前身というべきものであろう。――
と説明されている。
 「土手検」は昭和前期には消滅したと考えられ、その存在を知る人はもうほとんどいないと思われる。彼女たちがどんな芸を披露していたか知る由もないが、曽祖父の家で盛んに宴会が行われていたのは明治40年前後と考えられ、明治30年代前半に永田イネによって作られた「おてもやん」はかなり普及していたと考えられる。それはこの唄が「五足の靴」に登場することでもわかる。そして、その数年後に流行ったのが「自転車節」。熊本では「おてもやん」人気にあやかったのか、熊本弁の歌詞を付け加え、花柳界では「おても時雨」と呼んだ。おてもやんが山の向こうに住む恋人「彦しゃん」になかなか逢えない悲哀を唄うので「時雨(しぐれ)」と名付けたのだろう。この「おてもやん」と「おても時雨」は一対の唄として「土手券」たちによって唄われ、お座敷では人気を博したと思われる。
(備考)「券」または「検」は検番(券番)のこと。


寺社めぐり(4)

2021-05-26 19:56:17 | 熊本
 一昨日の記事ネタ「吉田如雪の明治十年日記」を読んでいくと、度々「山王」が出てくる。熊本県内には多くの山王系の神社があるが、如雪が言っているのはここ「井芹日枝神社(いせりひえじんじゃ)」のこと。天文8年(1539)に近江の日吉大社のご分霊が勧請されたもので祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)。
 如雪は神社の下を流れる井芹川のことを山王川と呼んでいる。参拝するだけでなく、川で涼んだり魚を釣ったりしていたようだ。おそらく周辺住民(氏子)の尊崇を集め、祭りや時季折々のお詣りなどを通じて地域のコミュニティの拠点として住民の生活に密着した存在であったことがうかがえる。
 この神社には何度かお詣りしたことがあるが、「明治十年日記」を読んであらためて今日訪れてみた。日枝神社の総本社である大津市坂本の日吉大社は、彦根在勤時代何度か訪れたことがあり、この日枝神社も何か縁があるのかもしれない。


井芹日枝神社


山王橋と神社との間に西環状道路が建設中。


山王社の神使は猿


社領にはクスノキやカシノキやムクノキなどの巨木が繁り、夏は絶好の涼み場所

「荒野の決闘」とスイカズラ

2021-05-25 21:27:21 | 映画
 YouTubeにジョン・フォード監督の傑作西部劇「荒野の決闘(My Darling Clementine)」がアップされていたので久しぶりに観た。映画館での初見はたしか高校1年の時だったと思うのでもう60年前のことになる。以来、映画館でさらに2回、レンタルビデオやTV放送を合わせると10回以上は間違いなく観ている。僕にとってオールタイムベスト3には入れたい映画だ。
 好きなシーンはいくつもあるが、その中の一つが「スイカズラ」にまつわるシーン。ワイアット(ヘンリー・フォンダ)、モーガン(ワード・ボンド)、ヴァージル(ティム・ホルト)のアープ三兄弟が、日曜の朝の礼拝へ急ぐ開拓民たちをホテルのポーチから眺めている。ヴァージルが「スイカズラの匂いがする」と言う。ワイアットが答える。「俺だよ。床屋でな」。ワイアットが散髪をした後、スイカズラの香りのスプレーをたっぷりかけられていたのだ。そのシーンの後、今度はワイアットとクレメンタインが同じくホテル前のポーチに立つ。クレメンタインが「お花の匂いがする」。ワイアットは再び「私です」と答える。この繰り返しが面白い。ジョン・フォードはひょっとしたらスイカズラの甘く爽やかな香りをクレメンタインのイメージとして表現したのかもしれない。この後二人はぎこちなく腕を組み、ゆっくりと礼拝場へ歩いて行く。聞こえてくるのは讃美歌「まもなくかなたの(Shall We Gather at the River)」と鐘の音。日本では「タンタンタヌキの」で知られた曲だ。そしてやがて、有名なフォークダンスシーンへと・・・。
 この動画を観た後、ちょうど今頃、スイカズラの咲く季節であることを思い出し、昨年見た立田山の某所へ行ってみたがスイカズラは見つけられなかった。


「荒野の決闘」のワンシーン


スイカズラ(Honeysuckle)

京町濱田屋はどこ?

2021-05-24 22:28:57 | 歴史
 先日、ブログ「津々堂のたわごと日録」さんが、旧熊本藩士吉田如雪が書き残した「明治十年日記」を再び取り上げられ、熊本城天守閣が焼け落ちた明治10年2月19日の「朝飯後四時過京町濱田屋ノ湯ニ行ク」という「京町濱田屋」とはいったいどこにあったのだろうかと疑問を提されていた。京町の住人としては確かめておきたいという思いが湧き、僕らよりも年長の知人に聞いてみたり、当時の町絵図がどこかに残っていないか調べたりした。しかし、年長者と言ってもせいぜい僕らよりひと回りくらい上の人しか残っていないし、町絵図も見つからない以上、位置を確定するには未だ至っていない。
 ただ、生まれた時からこの町に住む僕の勘が正しければ、下の写真の10階建てのビル辺りがどうもあやしい。ここは、京町2丁目の交差点。旧国道3号線とその昔、牛縊坂(うしくびりざか)と呼ばれた坂道とが交差する地点だ。わが家から歩いて5分ほどのところにある。現在はなだらかなS字カーブとなっている旧国道3号線はかつてクランク状になっていた。戦略上のねらいで加藤清正がわざとクランク状に造った道のうちの一つだった。そのため、交通事故の多発地点で、植木方面から来た車が直角のカーブを曲がりきれず、正面の家に突っ込む事故がよくあった。その家に住んでいたのが、かつて「ファジー理論」で世界に名を馳せた、同級生の山川烈君で、子どもの頃はよく遊びに行った。その家の筋向いが現在ビルが建っている、当時竹屋旅館があった場所だ。
 吉田如雪の文章によれば「京町濱田屋」は三階建て。ただの湯屋とも思えない。旅館か料亭だったのか、はたまた妓楼だったのか。天守閣から上がった火の手が見える方角も合っている。引き続き調査を続けたい。




吉田如雪の日記に添えられた京町の絵図(赤〇がビルの地点)

加藤神社創建百五十年記念「和魂祭」

2021-05-22 21:04:48 | イベント
 今日、加藤神社境内で創建百五十年記念「和魂祭」が行われました。熊本も新型コロナ「まん延防止等重点措置」適用のさなか、本当に開催されるのだろうかと心配しましたが、多くの方がこの目出度い日を祝いました。
 明日は本妙寺で同じ新作狂言が開催されますので、内容についてはまた後日ということにして、今日の演目について大まかに記載しておきます。

1.「雅楽の調べ」コンサート
  出演:東儀秀樹・東儀典親
  舞楽「登殿楽」/越天楽(笙・篳篥)/はなみずき(篳篥)/ 三ツ星(笙・竜笛)/
  炎・鬼滅の刃より(篳篥)/ジュピター(笙・篳篥)/仰げば尊し(笙・篳篥)

2.狂言「末廣かり」
  出演:野村萬斎・野村裕基・野村又三郎
 (囃子方)相原一彦・久田陽春子・河村凛太郎・加藤洋輝
 (後 見)深田博治

3.清正公国づくり狂言「熊本三獣士」
  出演:大蔵基誠・野村又三郎・茂山忠三郎・野口隆行・加藤神社子ども会
 (囃子方)相原一彦・久田陽春子・河村凛太郎・加藤洋輝
 (後 見)奥津健太郎・藤波徹


新作狂言フィナーレで挨拶する野村又三郎さんと出演者の皆さん

謡曲「檜垣」のはなし。

2021-05-21 21:26:31 | 文芸
 一昨年、熊本市歴史文書資料室で謡曲「檜垣」の詞章を調べたことがある。謡曲「檜垣」といっても、有名な世阿弥の「檜垣」ではなく、寂心さんの大クスで知られる鹿子木寂心(親員)が作ったという謡曲。資料室の所員さんにも手伝っていただいて探したが、結局見つからなかった。
 ところが先日、昭和初期に発行された「熊本市史」を見ていたらこれが載っていた。それが下記の詞章である。
 世阿弥の「檜垣」のもとになったともいわれるが、もし、鹿子木寂心の作であるならば、寂心は世阿弥より後の時代の人だから、むしろ世阿弥の「檜垣」に影響を受けた作品なのか、それとも世阿弥より前の時代の別の人の作品なのか。ナゾは残ったままだ。

思ひも深き小夜衣の、袂の露の玉だすき、
影しらかわの月の夜に、底澄む水をいざ汲まん。
釣瓶の水に影落ちて、袂を月や登るらん。
いや增りする思ひの色、くれなゐの涙に身をこがす、
つるべのかけ縄くり返し、憂き古へも、紅花の春のあした、
紅葉の秋の夕ぐれも、一日の夢とはやなりぬ。
               ― 謡曲「檜垣」―



檜垣媼が草庵を結んだ白川の辺


檜垣の塔(蓮台寺)

四海波静かにて

2021-05-20 20:43:46 | 伝統芸能
 朝飯を終えてパソコンデスクに移ると、隣の部屋のテレビから笛のヒシギと、「四海波静かにて 国も治まる時津風・・・」という謡いが聞こえてきた。「この謡いは何だっけ?」としばらく考えた後、「高砂」の一節であることを思い出した。そういえば、朝ドラ「おかえりモネ」で登米能(とよまのう)の場面があるとか言ってたな、と思い出したが、昼の再放送で見ることにしてそのままパソコン操作を続けた。
 「高砂」と言えば、先般、水前寺成趣園での「翁プロジェクト」熊本公演でも観たが、後場の住吉明神の舞を中心とした半能だったので、フルバージョンで観たかった。

【高砂のあらすじ】
 室町時代に能を大成した世阿弥(ぜあみ)の代表作ともいえる能「高砂」の主人公は、阿蘇神社二十六代宮司・阿蘇友成。醍醐天皇の時代に友成が京に上る途中、播磨国(兵庫県)の高砂の浦で老夫婦に出会います。友成は、この老夫婦に、「高砂にある松と対岸の摂津国(大阪)住吉にある松は、離れているのに、なぜ相生(あいおい)の松と呼ばれているのか」と尋ねます。老夫婦は「自分は住吉の松の精、妻は高砂の松の精である。離れたところにある松でさえ相生の松と呼ばれるように、人は夫婦であれば、離れていても心通い合うものだ。」と教え、沖へ去る、というのが高砂のお話。
 阿蘇神社の境内にある「高砂の松」は、友成が持ち帰った高砂の松の実を植え、育てたものといわれ、現在も、縁結びの願をかけに多くの人が訪れています。(週刊メールマガジン「気になる!くまもと」より)

 その阿蘇神社は、5年前の熊本地震で楼門や拝殿が倒壊、その他の社殿も甚大な被害を受けた。いま復旧工事の真っ最中である。社殿の多くが既に復旧が終わり、あとは拝殿が今年6月の完成、楼門は令和5年12月の復旧完了予定だそうである。


阿蘇友成が持ち帰ったという伝承のある阿蘇神社境内の「高砂の松」


   ▼四海波


   ▼高砂や

父と天草

2021-05-19 22:09:31 | 
 今日は21回目の父の祥月命日。父は生前、自分史のようなものを書き残している。これまで何度もこのブログのネタにさせてもらったのだが、いろんなエピソードの中でも最も印象深い一つがこの話。
 戦前の昭和11年、天草・大矢野島の上村小学校に勤務していた頃、貧しい家の少女たちが、「からゆきさん」として中国や東南アジアなどに売られて行った悲しい思い出である。そんなこともあってか父は天草をことのほか愛した。まだ元気だった頃はよく家族で天草旅行に行ったものだ。
 命日に当たって今一度読み直してみた。




2012.4.7 熊本城本丸御殿中庭~桜の宴~ 少女舞踊団ザ・わらべ「愛の南十字星」

「からゆきさん」として異国に売られて行った天草の少女たちの悲しい運命を描いたラジオドラマ
「ぬれわらじ」(木村祐章 作)をモチーフとして、長唄三味線の今藤珠美さんが作曲した舞踊曲。

世間ばなし

2021-05-18 20:43:25 | 友人・知人
 散歩の途中、近所の森さんという老舗の米屋の前を通りかかると、コワモテのご主人の顔が見えた。ヒマそうにテレビを見ておられたので久しぶりにご機嫌をうかがって行こうかとガラス戸を開けて中に入った。帽子とマスクのままで入ったがすぐに僕だとわかったようだ。通り一遍の挨拶の後、さっそく世間話が始まった。僕の高校の大先輩でもあるので、高校時代の剣道部の先生や先輩の思い出や大会で活躍した話などがしばらく続いた。その後、航空自衛隊のパイロット時代の思い出話などを次々と語られた。時々知っている名前が出てくるので相槌を打つと、ますます話は膨らみ、あっという間に30分以上が過ぎた。ほとんどが初めて聞く話ではないのに面白い。先日、どこかでこの話を他の人にも聞かせたいなと思い、熊日OBの同級生に話したところ、熊日の連載コラム「私を語る」に推薦してくれた。採用されるかどうかわからないが、採用されればきっと面白い話が聞けると思う。
※参考記事「米屋とパイロットときりしたん(2020.12.25)」 


寺社めぐり(3)

2021-05-17 22:31:10 | 熊本
 昨日訪れたのは、京町台地の東側崖下にある湧水で、熊本県平成名水百選の一つ「年神さんの湧水」の脇にひっそりと鎮座する「年神社(としのかみしゃ)」。周辺は熊本市の条例で環境保護地区に指定されているそうだが、今日では斜面に民家が建て込んだ住宅域の一角となっている。年神社の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)で、水神でもあるという。「おおなむちのみこと」と言えば古事記などでは「大国主命」と同一視されている。
 今回初めて訪れて、わが家からそう遠くないところにもこういうスポットがまだあるのだと新鮮な驚きがあった。


京町台の崖下から水が湧いている


「年神さんの湧水」として「熊本県平成名水百選」の一つに選ばれている


繁った木々の奥に隠れるように鎮座する「年神さん」


青木繁の代表作の一つ「大穴牟知命(オオナムチノミコト)」を思い出す。




熊本城長塀前の早期開放を!

2021-05-16 19:46:07 | 熊本
 坪井川に沿った熊本城長塀(国指定重要文化財)は5年前の熊本地震で倒壊した。全長242mの塀の東側の約80mが倒壊し、塀を支える石の控柱も多くが破損した。復旧工事は昨年末には終わり、今では以前と同じ美しい姿を見せている。
 しかし、かつて市民の憩いの場であり、「坪井川園遊会」などのイベントにも使われていた長塀前は、馬具櫓などの復旧がまだ手付かずのため、いまだに立入規制されたまま。厩橋から行幸橋まで長塀前の芝生で多くの人々が憩う風景が早く戻ることを願っている。


復旧した長塀


かつて市民の憩いの場だった長塀前


毎年7月長塀前で行われていた坪井川精霊流し


昭和14年頃の長塀前



2010年3月長塀前特設舞台で行われた「坪井川園遊会」の芸能イベントより「おてもやん」


出演の少女舞踊団ザ・わらべは当時、中1と小6(写真提供:田尻善裕氏)