徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

凛々しい女流射手 ~武田流流鏑馬~

2017-10-29 16:50:10 | イベント
 秋のくまもとお城まつりの恒例行事「熊本城流鏑馬」が、昨日来の雨もあがった二の丸広場で行われた。台風の影響もあり、馬2頭、射手4名と例年よりも縮小して行われたが、今年も紅一点の堀さんが射手を務めた。1100年の歴史を持つ武田流流鏑馬は、かつては女人禁制だったが、今では女性にも門戸を開放しており、堀さんに憧れて入門する女性も多いという。高校では弓道、大学では馬術をやっていたという堀さんは、さすが鞍上で鏑矢をつがえて疾走する姿も堂々としている。今日は馬のコンディションがあまりよくなかったと見え、制御に苦労していたようだ。

▼武田流流鏑馬・女流射手の堀さんの騎射





朝鮮戦争と「トコリの橋」

2017-10-28 22:04:51 | ニュース
 今夜テレビをつけたら、テレ朝で「池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル」をやっていて、ちょうど池上さんが朝鮮戦争の説明をしているところだった。それを見ながら、ふと映画「トコリの橋」を思い出した。「トコリの橋」は朝鮮戦争を背景としたアメリカ映画で、僕がこの映画を見たのは小学4年生の頃。朝鮮戦争が停戦となった翌々年、昭和30年(1955)だったと記憶している。当時のハリウッドの大スター、ウィリアム・ホールデンとグレース・ケリーの共演ということや日本でもロケが行なわれたことなどもあって話題を呼んでいた。朝鮮戦争に従軍する空軍パイロットの役がホールデンでその妻をグレイス・ケリーが演じた。他にもパイロットの相棒をミッキー・ルーニー、その恋人を淡路恵子さんが演じていた。
 当時の日本は終戦から間もなかったので、戦闘シーンでは、僕のまわりの大人たち、実体験があったのかもしれない、現実感を伴って語り合っていた姿をよく憶えている。
 今また、朝鮮半島に危機が迫っている。もし、戦争となれば、今度は日本も対岸の火事では済まされないだろう。なんとか開戦だけは回避してほしいと願っているがはたして・・・


グレース・ケリーとウィリアム・ホールデン


東雲節の時代

2017-10-27 23:17:54 | 音楽芸能
 熊本民謡の中にも含まれている東雲節(しののめぶし)別名ストライキ節。年配者の中にはこの歌がふと口をついて出る、なんていう方が結構いらっしゃる。しかし、今ではこの歌の演奏をナマで見たり聞いたりする機会はほとんどない。「ポンポコニャ」や「キンキラキン」などの他の熊本民謡と同様、意外と歌うのは難しいという話も聞く。演奏家の皆さんにも機会があれば、ぜひ披露していただきたいものだ。昭和57年(1982)4月に発行された「熊本県大百科事典」には、この歌について次のような解説が掲載されている。

 熊本とかかわりのある民謡で、のちにストライキ節となって流行する。本来は端唄の一種で、元歌の

〽なにをくよくよ川端柳 こがるるなんとしょ
 水の流れを見てくらす
 東雲の暁の鐘 ごんとつきゃ辛いね
 てなことおっしゃいましたかね―

は、遊客が敵娼(あいかた)とのきぬぎぬの別れを惜しむ情歌だった。それが明治30年代から全国的に起きた娼妓解放運動にひっかけて、次のような替え歌が普及したといわれる。

〽祇園山(花岡山)から二本木見れば 倒るるなんとしょ
 金は無かしま(中島) 家も質(茂七)
 東雲のストライキ さりとは辛いね
 てなことおっしゃいましたかね―

 東雲というのは熊本市二本木遊郭の大店・東雲楼のこと。米相場師中島茂七の経営で、90人の娼妓を抱える御殿のような豪勢さだったが、借金に縛られる娼妓たちの生活にはひとかけらの自由もなかった。しかし全国的解放運動の中で、熊本でも明治33年(1900)10月から12月にかけて110人前後の廃業届が出た。楼主たちはありとあらゆる手段を使って自由廃業を妨害したが、そうした楼主たちの悪どさ、それに廃業した娼妓たちが容易に社会復帰できない哀れな現実を歌ったストライキ節が流行したのである。楼主の名前を巧みに盛り込んだ替え歌は、娼妓と民衆との間の一種の共同幻想の歌といってよかろう。この時期には二本木遊郭での娼妓の集団脱走やストライキの記録は残されていない。
(藤川治水・小川芳宏)



東雲楼随一の売れっ子・東雲(左)とストライキの指導者・夕霧


東雲楼の庭園

古代ロマン「邪馬台国」

2017-10-26 19:16:42 | 歴史
 邪馬台国がどこにあったのかは、江戸時代より九州説、近畿説を中心として、諸説が乱立しているが、いまだに確定できる判断材料はない。九州説の中にも具体的には数十ヶ所があげられており、わが熊本にも十ヶ所以上の候補地があげられている。
 邪馬台国というのは「三国志」の「魏志倭人伝」に記された2世紀後半から3世紀前半の頃の日本にあった最も強大な国で、女王卑弥呼が支配したと記されている。また、卑弥呼の後を継いだのも、台与(とよ)という女性であったと伝えられる。日本にはまだ文字がない時代だと思われ、日本側の記録は一切ない。
 熊本では、菊池地方が古代に繁栄した土地であり、大陸と交流があったことが、菊池川流域に展開する数々の遺跡などから推定され、菊池市の迫間川(菊池川水系)流域にあった「山門郷(やまとごう)」が有力な候補地の一つとされている。
 今後も各地で遺跡発掘が行われ、新しい発見もあるだろうが、邪馬台国は古代ロマンとして永遠に謎のままであってほしい。

▼「肥後國菊池郡山門郷」説の菊池市の迫間川流域




謎の隧道トンカラリン(熊本県和水町)の前で卑弥呼舞を披露する松田真美さん

日吉五町の心意気!

2017-10-25 20:08:59 | イベント
 熊本市南区の日吉地区は、熊本地震で液状化の甚大な被害を被った地区。地盤が沈下し、傾いた家屋が多い。1年半が経過した今も、地盤改良の方法が決まらず、復旧の見通しもまだ立っていないという。復旧をあきらめて転居していく住民も多いという。
 そんな中、河尻神宮秋季大祭がやってきた。820年におよぶ歴史を誇るこの祭りは、氏子組14組の持ち回りで行なわれており、今年は日吉五町の当番。生活基盤の復旧もままならない日吉五町の住民は、それでもこの伝統ある祭りに並々ならぬ決意で臨んだ。先週20日に行なわれたこの祭の呼び物、勇壮な「さがり馬」には、今年は日吉五町が4頭を奉納し、例年どおり多くの観客を沸かせた。この、日吉五町の皆さんの心意気に敬意を表したい。


宇土櫓の復旧工事

2017-10-24 17:58:48 | 熊本
 久々の秋晴れのもと、加藤神社へお詣りに行った。今日は嬉しいことに宇土櫓の復旧工事が始まっていた。まずは崩壊した続櫓からということのようだ。幼い頃から慣れ親しんだ宇土櫓に一番愛着を感じているので、宇土櫓の復旧工事に何よりも早く着手してほしいと願っていた。加藤清正の築城以来、四百有余年の歴史を刻んできたこの宇土櫓が、一日も早く以前の雄姿を取り戻すことを願っている。


宇土櫓


加藤神社



敬愛する先輩の訃報

2017-10-23 20:50:40 | 
 先週、敬愛する先輩の訃報を友人の知らせで知った。高校の2級上の先輩で、済々黌水球部黄金時代を支えた名選手だった。日大に進学後もすぐに頭角を現した。高校時代は中盤の選手だったが、大学からはその闘志とスピードを活かして、攻撃的なディフェンダーとなった。メキシコ五輪とミュンヘン五輪の2回、水球日本代表にもなった。特にメキシコでは日本水球史上初の予選リーグで3勝をあげる立役者となった。
 練習ではとにかく厳しかった。僕ら下級生は皆ピリピリしていた。しかし、なぜか僕はこの人からやさしい言葉をかけてもらった記憶しかない。大学は違ったので試合の時などに会うといつも声をかけてくれた。この人が自陣から敵のゴールをめがけてドライブをかける時のスピードは天下一品で、僕はこのプレーを見るのがいつも楽しみだった。大学を卒業して航空会社に就職された後も、自分の出身大学でもないのに僕のチームの練習を何度も見に来ていただいた。
 桑山博克さん、本当にお世話になりました。来世でまた酒でも酌み交わしましょう! 合掌


メキシコ五輪に出場した熊本県出身の選手・監督・コーチたち
左から競泳の大沢君、水球の米原さん、坂本さん、桑山さん、競泳の合志さん、藤井さん、カヌーの吉野さん、
ボクシングの永松さん、カヌーの白取さん

玉名女子高吹奏楽部 4年連続金賞!

2017-10-22 14:09:00 | 音楽芸能
 本日、名古屋国際会議場で行われた「第65回全日本吹奏楽コンクール」において、玉名女子高校吹奏楽部が見事、4年連続金賞を受賞しました!おめでとうございます!
 次は、11月19日に大阪城ホールで行われる「第30回全日本マーチングコンテスト」において4年連続ダブル金賞を目指して頑張ってください!





漱石記念年閉幕に思うこと

2017-10-20 20:48:37 | 文芸
 先週14日、東京の新宿区立四谷区民ホールにおいて、漱石記念年のグランドフィナーレが行われ、漱石の没後100年(2016)と生誕150年(2017)、熊本については来熊120年(2016)も合わせた2年間の記念行事が幕を閉じた。
 熊本地震という思いもかけない災害に見舞われ、20年前(1996)の記念年とはかなり異なる状況の中に閉幕を迎えることになったが、また、20年後の記念年を期待しよう。生きていれば・・・
 当初計画に上がっていたと聞く「漱石と能楽」の行事が諸事情により行われなかったことが何よりも残念だった。


昔この那古井の里に
長良の乙女といふ美しき娘あり
長き黒髪つややかに
つぶらなる黒き瞳 珊瑚の唇
げにまこと海棠の
露をふるふその面影 嬋娟たり。

   (新作能「草枕」よりクリの謡)

日本文化への期待

2017-10-19 20:58:39 | 日本文化
 今年の訪日外国人は9月15日時点で既に2000万人を超え、年間では2500万人に迫る勢いだ。最近は単なる観光から日本文化に興味を持って来日する外国人が多くなったと聞く。おそらくこれまで以上に文化交流が盛んになって行くだろう。
 先日、昨年他界された喜多流能楽師の狩野琇鵬さんの著書「生死の境を歩む」を読んで、とても心に残る一節があった。それはだいぶ前のことだが、琇鵬さん一行が伝統芸能のフェスティバルに参加するため渡欧された時のこと。琇鵬さんたちの他にもう一つ別の団体が参加していた。琇鵬さんたちは古典をそのまま演能されたそうだが、もう一つの団体は、現代的な新しい解釈を加えた演目を出した。結果、琇鵬さんたちが大受けだったのに対し、もう一つの団体は全く受けなかったという。
 外国人が日本文化に期待するものが何なのか、読み違えると大失敗をしてしまうという示唆に富んだお話だ。
※右の写真は欧州公演時の狩野琇鵬さん(アテンドした森浩さんの提供)

GET IN LINE

2017-10-18 21:01:59 | 音楽芸能
 気分が沈んだ時、必ず聞きたくなるのがこの曲。兵庫県立高砂高校のジャズバンド部「BFJO(Big Friendly Jazz Orchestra)」が演奏する「GET IN LINE」だ。
 BFJOは2004年にヒットした映画「スウィングガールズ」(矢口史靖監督)のモデルの一つになったジャズバンド部としても知られている。もともとこの学校は女子高だったらしく、バンドメンバーの多くが女子で占められている。この曲を聴いていると、女子高生でもこんなレベルの演奏ができるのかという凄腕にいつも感心する。とにかくこの曲の疾走感がたまらない。




遠い日本のお家芸復活

2017-10-17 21:36:17 | スポーツ一般
 日本陸連の瀬古利彦長距離マラソン強化プロジェクトリーダーが、またまた日本陸上界の駅伝偏重体質を嘆いているというニュースを目にした。瀬古さんは随分前から、この体質が変わらない限り、日本のマラソンが再び世界のトップレベルに戻ることはないという持論をお持ちだ。瀬古さんのようなレジェンドでさえ、日本陸上界の体質を変えることは難しいのだろうか。
 かつて、日本のマラソンは多くの名選手がオリンピックやその他の国際大会で活躍し、日本のお家芸とも言われていた。1964年の東京五輪では、陸上競技の日本のメダル獲得はマラソンの円谷幸吉の銅メダルのみ。その次のメキシコ五輪でもマラソンの君原健二の銀メダルのみという、まさにマラソンが日本陸上を支えていた。しかし、今の日本マラソンのレベルは上位入賞にはほど遠い。
 陸上競技は世界のスポーツ。常に世界を意識し、目指して行かなければならない。一方、駅伝は、世界から見ればローカルなスポーツでしかない。ローカルなレベルでトップになることにうつつを抜かしていて世界のレベルに届くわけがない。駅伝で優勝することで自分は満足だという選手ならそれでいいだろう。しかし、世界を目指すべき資質を持った選手が埋もれてしまってはいないだろうか。瀬古さんの念願がかなうことを祈ってやまない。

舞のはなし。

2017-10-15 21:19:13 | 音楽芸能
 先週放送されたNHK・Eテレの「SWITCHインタビュー 達人達」は黒柳徹子と京舞井上流の家元・井上八千代の対談だった。人間国宝である井上八千代を取り上げた番組はこれまでも何本か見ている。京舞の基本「おいど(お尻)をおろして、かかとを上げる」という話もいつものように話題になった。
 また、京舞井上流には「動かんやうにして舞ふ」という教えがあるらしい。京舞名取の名匠・井上佐多の話をまとめた「佐多女芸談」に出て来るらしい。これは世阿弥の「風姿花伝」と並ぶ伝書「花鏡」の二番目の章に出てくる「動十分心、動七分身」という教えと同じ意味だと思われる。つまり「心を十分に動かして、身を七分に動かせ」というのは、「その動きの意味を十分理解し、熟達した上で、その七分くらいを表現するくらいでちょうどよい」という意味なのだろう。能の観世流との関係が深い京舞井上流であればこそという気もするし、能から発展した日本舞踊の歴史を再認識するような話でもある。


舞妓さんたちに稽古をつける井上八千代師