徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「そうじゃおまへんか節」の系譜

2024-05-13 20:43:19 | 音楽芸能
 ブログ友の「無題・休題-ハバネロ風味-」さんが地元である山形県酒田市の趣のある料亭街などを紹介されていました。その中に街中の路面にはめ込まれた「酒田甚句」のプレートが印象的で、同じ系統といわれるわが熊本の「おてもやん」のことを思い出しました。

 5年ほど前、熊日新聞の連載企画「肥後にわか~笑いの来た道~」に、東海風流プロジェクト(水野詩都子・﨑秀五郎)さんが「おてもやん」の音楽的系譜について寄稿されました。その要点は

――明治20年頃「きんらい節」という曲が流行りました。上方の噺家・初代芝楽が京都から江戸に移り、「きんらい節」を披露し花柳界から瞬く間に全国に届くほど大流行しました。蓄音機ができる10年前ですから、広範囲で流行したというのは凄い事だと思います。曲のおしまいに呪文のような囃子言葉があります。
「キンムクレッツノスクネッポ スッチャンマンマンカンマンカイノ オッペラポーノ キンライライ
 そおじゃ おまへんか アホらしいじゃ おまへんか」
 そして「きんらい節」は「そうじゃおまへんか節」とも言われました。
 この「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」を源流とするといわれるのが
  酒田甚句(山形)、名古屋甚句(愛知)、日高川甚句(和歌山)、男なら(山口)、おてもやん(熊本)などの民謡です。
 これらの唄は、必ず「そうじゃおまへんか節」の旋律が入っています。
  「名古屋名物」では「おそぎゃあぜえも」。
  「おてもやん」では「花盛り花盛り」「それが因縁たい」。
  「男なら」では「オーシャリシャリ(仰る通り)」
  「酒田甚句」では「繁盛じゃおまへんか」「ハーテヤテヤ」
の部分です。――

 「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」に源を発するこれらの唄の中でも、独特な発展を遂げた次の2曲をあらためて聴いてみました。
 なお、昨年1月放送された「民謡魂 ふるさとの唄」(NHK-G)ではこれらの唄について「二上り甚句」系の民謡として紹介されました。

熊本県民謡「おてもやん」

山形県民謡「酒田甚句」

シーボルトのかっぽれ

2024-05-11 21:16:44 | 音楽芸能
 この映像に付けられた音楽は、江戸後期、長崎のオランダ商館の医師として日本へやって来たシーボルトが採譜し、ドイツの作曲家ヨーゼフ・キュフナー によってピアノ曲に編曲された「日本の旋律」という楽曲である。全7曲のうち2曲目に収められているのが、俗にいう「シーボルトのかっぽれ」という曲で「Poco lento (かっぽれ)」という題名が付けられている。「Poco lento」とはイタリア語で「少しゆっくり」という意味だそうで、0:47から2:20までが「Poco lento (かっぽれ)」である。
 この映像を視聴すると、誰しも「かっぽれ」とは似ても似つかぬと思うだろう。


 いったいなぜこんな曲になったのだろうか。
 まず、シーボルトはいつ、どこで、どのような状況で「かっぽれ」に接したのだろうか。この時代、彼がいた長崎出島周辺に「かっぽれ」が伝来するのはまだずっと後の時代。となるとオランダ商館の一員として⽂政9年(1826)に江戸参府した時の道中か江戸滞在中に見聞きした可能性が高いが、シーボルト自身によって書かれた「江⼾参府紀⾏」にはこれについての記述はない。ちょうどこの文政年間、江戸市中で願人坊主たちによる「かっぽれ」が流行り始めた時期だったようだ。シーボルトは江戸市中を歩く機会があり、その時偶然、願人坊主たちの大道芸「かっぽれ」に遭遇したのではないかと思われる。

 「幕末明治見世物事典」(倉田喜弘編 2012年)によれば、「かっぽれ」の起りと流行について次のように記されている。
――早乙女の姿をまねる大坂の願人(最下層の僧侶)が「住吉踊」と称して市中を勧進する。それを見て、江戸の願人も文化年中(1804~18)、同じ格好で万灯傘を持ち出し、「住吉踊」の名のもとに「伊勢音頭」や「深川」などを唄い、また、茶番を演じながら、市中を流すようになった。江戸の住吉踊は天保の改革(1842)で一掃されたが、5年後の弘化4年(1847)には4組15人が復活している。彼らは願人ではなく号胸で「烏万度豊年踊」と唱える、今のところ風教に害はないので見守りたいと、隠密廻りは「住吉踊風聞書」に提出した。住吉踊はやがて「かっぽれ」と改称する。その時期は明らかではないが ――

 また、明治から昭和にかけて江戸文化の研究家として高名な三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)が著した「鳶魚随筆(大正14)」の中に「甘茶でカッポレ」という條がある。この中に、「住吉踊り」から「伊勢音頭」や「深川節(吉原通い)」などを取り込みながら「かっぽれ」へと変遷していく経緯などが書かれている。

 このように、シーボルトが見聞きした願人坊主たちの大道芸「かっぽれ」は、彼の耳にはどう聞こえたのだろうか。「かっぽれ」という囃子詞は聴き取れたかもしれないが、今日われわれが聞き覚えのある「かっぽれ」と彼が感受した曲の印象はだいぶ異なっていたかもしれない。加えて、編曲したキュフナー は「かっぽれ」を聞いたことがないわけで、自らの解釈で曲作りをしたのだろう。

 この曲には次のような意味不明の歌詞がローマ字で付記されている。これもシーボルトの耳コピーが断片的で不完全なものだったことを表していると思う。
 Anokomitasani jorekorekorewatosa(あのこみたさにほれこれわとさ)
 siwokakarinana(しおかかりなな)
 Boosunikapore(ぼおずにかっぽれ)

かっぽれ

伊勢音頭

深川節

来春の愉しみな公演

2024-05-06 19:02:25 | 音楽芸能
 先日「城彩苑」で行われた「春の熊本城坪井川園遊会」の「舞踊団花童&はつ喜」の公演を見に行き、終演後、舞踊団主宰の中村花誠先生にご挨拶した際、別れ際に先生が「来年はよろしく!」とおっしゃった。一瞬何のことかと思ったが、すぐに来春計画されている特別公演のことだなと気付いた。舞踊団結成25周年と先生の還暦を合わせて祝う公演の計画は何度か伺っていた。
 どんな公演になるのか楽しみだが、2018年・2019年に行われ、その後、新型コロナの影響もあって途絶えている八千代座での「山鹿をどり」をしのぐ公演になることを期待している。

2019.5.12 山鹿八千代座 第二回山鹿をどり
作詞・作曲:本條秀太郎
   作調:中村寿誠・中村花誠
  笛作調:藤舎元生
   振付:藤間珠寿恵
【立方】 :藤間誠申・はつ喜月若・花童きみか・花童じゅの・麻生朱里
【地方】
  三味線:本條秀太郎・本條秀五郎・本條秀慈郎・本條秀英二
    唄:杵屋六花登・松永鉄文那・松永鉄文智・杵屋弥栄葉
    笛:福原洋音
   小鼓:鬼塚美由紀・花童ゆうあ・花童すず・藤田敬悟・荒木隆幸・山部拓斗
   大鼓:森香代子・竹田奈津子・木村葵・福原千鶴
   太鼓:望月美嘉・花童ここね

今日聴きたいと思った音楽

2024-05-01 22:45:56 | 音楽芸能
あなたの思い出(Memories of You)
 今年に入ってから、送られてくるブリヂストンのOB会報に知人の訃報が多くなった。かつての上司や同僚など、お一人お一人の在りし日のお姿を思い出し、その人と接した場面の思い出に浸っている。




肥薩おれんじ鉄道
銚子大漁節
 先日、熊本県と鹿児島県の間で運行している第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」と千葉県の「銚子電鉄」との間で事業連携の協定を結んだというニュースが流れた。一瞬「?」と首をかしげたが、きっと何かメリットがあるのだろう。いや是非メリットを生み出してほしい。


ブリヂストン吹奏楽団 with 玉名女子高吹奏楽部

2024-04-30 20:01:12 | 音楽芸能
 6月15日、玉名市民会館で「ブリヂストン吹奏楽団久留米 玉名チャリティコンサート2024」が行われる。11年前のこのコンサート以来、この楽団の演奏をナマで聴いていない。久しぶりに聴きに行ってみようかと思っている。思えばこの楽団の防府市公会堂でのコンサートの企画運営を担当してから47年の月日が流れた。そしてこの楽団のメインテーマ曲は昔も今も「どこまでも行こう」。ブリヂストンのCMソングとしてお馴染みの曲である。11年前の玉名公演と同様、今回も玉名女子高校吹奏楽部との共演となった。全日本吹奏楽コンクールにおいて金賞常連の二つの楽団の共演は見もの聴きものである。
  • 開催日:6月15日(土)
  • 会 場:玉名市民会館大ホール

   ▼ブリヂストン吹奏楽団久留米

   ▼玉名女子高等学校吹奏楽部

土手券 ~町芸者の歴史~

2024-04-11 22:51:56 | 音楽芸能
 「土手券」と呼ばれた町芸者のことをこれまで何度か記事にしてきたが、きちんと残しておかないと歴史の彼方に消えてしまうように思えたので加筆修正をしてまとめてみた。


坪井川・庚申橋付近

 父が小学六年生の頃、祖母と二人で街を歩いていると向う側からやってきた七十歳前後と思しき老女が急に立ち止まり、「お人違いかもしれませんが阿部さんのお嬢さんではありませんか?」。祖母も一瞬驚いたが、それからなんと1時間にもおよぶ立ち話が続いたという。酒盛りのこと、火事のことなど話題は尽きない様子だったが、その老女は阿部家の酒宴の時によく呼んだ町芸者で「土手券」と呼ばれていたそうである。祖母がまだ娘だった頃、曽祖父が大江村の村長をやっていて、酒宴を開くことも多かったらしく、その時によく呼んだ町芸者が「土手券」と呼ばれて人気があったという。その名の由来は彼女たちは「流長院」の脇を流れる坪井川にかかる「庚申橋」のたもとの土手沿いに住んでいたことから「土手券」と呼ばれるようになったらしい。「券」とは「券番(検番)」のこと。明治から昭和初期にかけて熊本のお座敷文化を支えたのである。
 「熊本県大百科事典」によれば
――明治初期、寺原町(現壺川1丁目)に始まった町芸者は同町土手付近に住んでいたことから「土手券」と総称し、全盛時は市内各所に散在し、数々の人気芸者も生み、手軽で便利なことから一時隆盛を極めたが、これは「やとな」(雇い女の略。臨時に雇う仲居の女)の前身というべきものであろう。――
と説明されている。
 また、昭和4年に発行された松川二郎著「全國花街めぐり」によれば、当時熊本には、熊本券番(塩屋町):101名 旭券番(練兵町):90名 二本木遊廓:60名(娼妓650名)の芸妓がおり、その他町芸者(土手券)という芸者とやとなの中間の存在があると書かれている。
 当時は坪井川の舟運が盛んだったので町芸者も普通に舟を操っていたらしい。地区の祭では坪井川に舟を浮かべ、舟上では土手券たちが音曲を奏でて賑わったという。「土手券」は昭和前期には消滅したと考えられ、その存在を知る人はもうほとんどいないので彼女たちがどんな芸を披露していたか知る由もないが、曽祖父の家で盛んに宴会が行われていたのは明治40年前後と考えられ、明治30年代前半に永田イネによって作られた「おてもやん」はかなり普及していたと考えられる。それはこの唄が明治40年に出版された紀行文「五足の靴」の中で二人の町芸者によって唄われることでもわかる。そして、その数年後に流行ったのが「自転車節」。熊本では「おてもやん」人気にあやかったのか、熊本弁の歌詞を付け加え、花柳界では「おても時雨」と呼んだ。おてもやんが山の向こうに住む恋人「彦しゃん」になかなか逢えない悲哀を唄うので「時雨(しぐれ)」と名付けたのだろう。この「おてもやん」と「おても時雨」は一対の唄として「土手券」たちによって唄われ、お座敷では人気を博したと思われる。




艶やかな踊り ~藤間紫~

2024-04-08 17:58:07 | 音楽芸能
 朝ドラ「ブギウギ」でヒロイン「スズ子」の幼なじみ「タイ子」が母を継いで芸者となり、お座敷で踊りを披露する場面があった。演じた藤間爽子(ふじまさわこ)さんは日本舞踊家としては「三代目藤間紫」として活動している。
 この場面は放送ではわずか数秒だったように記憶しているが、そのフルバージョンがNHKのYouTubeチャンネルで公開されていたのでさっそく視聴した。放送の時はあまりに短かったので気が付かなかったが、曲目は「秋の色種(あきのいろくさ)」だった。だが、フルバージョンと言っても曲の終結部分の一部
 「うつし心に花の春 月の秋風ほととぎす」というフレーズのみ。できることなら本当のフルバージョンを見てみたかった。
 この終結部分の直前が、下に添付した「琴の合方」。「合方」というのは唄は唄わず三味線などの楽器だけで演奏することだが、三味線と筝の掛け合いが見事な演奏となっている。

※画像をクリックするとYouTube映像を再生します

三味線:今藤和歌美 唄:吉住小美月 踊り:藤間紫


2013.1.2 熊本城本丸御殿 冬のくまもとお城まつり
三味線:今藤珠美と今藤珠美社中
  筝:下田れい子
鳴 物:中村花誠と花と誠の会
振 付:中村花誠
踊 り:ザ・わらべ

チェリーセージと「スカーボロー・フェア」

2024-04-07 20:49:41 | 音楽芸能
 庭のチェリーセージの花が咲きそろってきた。いつものことながら「Parsley, sage, rosemary and thyme」という「スカーボロー・フェア」のフレーズが頭に浮かぶ。セージと言ってもあの歌は食用のハーブを並べたフレーズで、観賞用のチェリーセージとは別物らしい。
 この歌は映画「卒業」の中で使われたサイモン&ガーファンクルバージョンが一躍有名になったが、実は17世紀頃からスコットランドあたりで歌われていた民謡がもとになったものらしい。
 映画「卒業」と言えば、僕が大学を卒業して故郷熊本のカーディーラーに就職し、三菱自動車水島製作所で新人研修を受けていた時、岡山駅近くの映画館で見た。ダスティン・ホフマン演じる主人公ベンジャミンが大学を卒業して故郷に帰ってきたという設定が自分と重なって、主人公に感情移入して見ていた憶えがある。「スカーボロー・フェア」という歌自体は僕の学生時代、「As Tears Go By」などを歌って人気があったアイドル歌手マリアンヌ・フェイスフルも歌っていたので知っていた。



マリアンヌ・フェイスフルが歌う「スカーボロー・フェア」

旅の風/卑弥呼の舞

2024-04-06 22:35:42 | 音楽芸能
 2010年から撮り始めた舞踊団花童(旧少女舞踊団ザ・わらべ)の写真や動画がとんでもない数になっているので少し整理しようと思い、一つ一つ確認しながらの整理作業を進めている。だが、何せ数が多すぎて作業がなかなかはかどっていない。
 写真には撮影した年月日・場所および曲名などをテキストデータとして付けておきたいと思っているが、日時・場所はだいたいわかるのだが曲名がどうしても思い出せないのもある。下の写真もその一つで、2013年11月2日に山鹿温泉さくら湯・池の間で行われた公演だということはわかっているのだが、動画は撮っていないし、何という曲名だったのかわからなかった。そこで写っているご本人(当時:花童くるみさん)にお尋ねしてみた。ご本人も記憶が曖昧だが、「卑弥呼の舞」ではないかというご返事をいただいた。そう言われてみるとたしかに頭の宝冠は「卑弥呼」以外ではあまり使わないなと納得した次第である。これからおそらく同様のケースがいくつも出てくるだろうと思うと少々気が重い。


2013.11.2 山鹿温泉さくら湯・池の間 「卑弥呼の舞」

 別の舞台で花童あやのさんの「旅の風」と花童くるみさんの「卑弥呼の舞」をメドレーで踊っている動画があることを思い出した。この2曲は阿蘇を拠点に活動しておられるデュオグループ「ビエント(Viento:吉川万里・竹口美紀)」さんの作曲・演奏の曲。花童とビエントは何度も共演しているし、花童の演目にビエントの曲は欠かせない。
 この映像は2013年8月21日に熊本市民会館大ホールで行われた「熊本いのちの電話・チャリティ公演」の中の1演目である。


2024年1~3月動画視聴ベスト10

2024-04-01 22:52:10 | 音楽芸能
 YouTubeマイチャンネルの2024年1~3月視聴ベスト10は次のとおりでした。
 昨年暮、「お座敷小唄/芸者ワルツ」のリマスター版をアップしましたところ、12年前にアップした初期版も再び注目していただき、初期版、リマスター版とで視聴回数のトップを競うという今までにない様相を呈しています。

 サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。

1.こわらべ~ お座敷小唄/芸者ワルツ ~(16,939回)


2.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(12,685回)


3.伊勢音頭(歌詞付)(9,531回)


4.おてもやん(歌詞付)(6,874回)


5.南部俵積み唄(5,904回)


6.花童 ~ 肥後のタンタン節 ~(5,447回)


7.こわらべ ~ 江津湖音頭 ~(4,607回)


8.ひえつき節(4,454回)


9.花童 ~ 絵日傘/数え唄 ~(4,380回)


10.幸若舞「敦盛」(4,130回)

ハモる邦楽「大和楽」

2024-03-06 16:11:49 | 音楽芸能
 昨夜、Eテレで放送された「先人たちの底力 知恵泉」は大倉喜八郎を取り上げていた。
 大倉喜八郎とは、明治維新から大正に至る激動の時代、政府、軍部の物資調達を始め様々な事業で商才を発揮し、一代で大倉財閥を築き上げた稀代の実業家である。
 大倉財閥といえばホテルオークラや大成建設などの企業群や札幌の大倉山ジャンプ競技場などを思い出すが、僕が大倉喜八郎の名前を知ったのは、実は二代目の大倉喜七郎を知ってからである。喜七郎はつとにその名を知られた趣味人で、新邦楽「大和楽(やまとがく)」の創設者。自ら楽器を開発したり、作詞作曲も手がけたという。
 「大和楽」についてはYouTubeマイチャンネルにアップした舞踊団花童の演目の中に「大和楽」が数多く含まれていたことから知った。
 そもそも「大和楽」とはどういう音楽かというと、「大和楽公式ホームページ」の説明からその要点をあげてみると
  • 「大和楽」という古式ゆかしい響きとは裏腹に、昭和8年に生まれた新しい楽派であること。
  • 創始者は、大倉財閥二代目の大倉喜七郎男爵であること。
  • 邦楽の系統の中で「三味線音楽」と呼ばれるジャンルに属すること。
  • その「三味線音楽」の中でも「語り物」にも「唄い物」にも分けられないこと。
  • 伝統的な邦楽に現代的な音色をまとわせて、人々により親しまれる楽曲を創りだそうというコンセプトであること。
 「大和楽」には、洋楽の発声法やハーモニー、輪唱、ハミングなどの演奏法も採り入れられており、女性主体の楽派であることも特徴のようだ。
 その「大和楽」を4曲、舞踊団花童が踊る演目の中から選んでみた。

2012.3.31 熊本城二の丸広場 くまもとをどり2012

2013.10.5 熊本城本丸御殿 秋夜の宴

2015.5.2 水前寺成趣園能楽殿 水前寺をどり

2015.5.2 水前寺成趣園能楽殿 水前寺をどり

伝説のビート

2024-03-04 22:31:02 | 音楽芸能
 水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト熊本公演」を観てからやがて3年経つ。能楽の頂点といわれる「翁」をナマの舞台で観たのは初めてだったのでいまだに感動冷めやらない。熊本ゆかりの友枝昭世師(人間国宝)による「翁」もさることながら、主役とも言える「三番叟」の「揉みの段」「鈴の段」は農耕儀礼に始まる日本の芸能の原点を感じさせて印象深かった。 


「翁プロジェクト熊本公演」における三番叟(山本則重さん)

 その三番叟の舞を見ていると、鼓が刻むリズムの中にどうしても思い出すリズムがある。下の映像の1分40秒あたりから注目して聞いていただきたい。

野村萬斎さんの三番叟

 5年前に世を去ったアメリカの名ドラマー、ハル・ブレインがザ・ロネッツの「Be My Baby」のイントロで刻むビート「thump-thump-thump-crack」は「伝説のビート」といわれ、ブレインが音楽史に残した足跡の一つとされている。僕はそのビートを聴きながら「三番叟」のリズムを連想する。ブレインの死を報じたニューヨークタイムズがこのビートをいみじくも「心臓の鼓動」と表現しているがそれはまさに800年も昔に始まった「三番叟」にも言えるのではないかと思うのである。


隠れた人気動画

2024-02-25 19:40:28 | 音楽芸能
 YouTubeマイチャンネルの投稿動画数は現在、公開・非公開合わせて826本となっている。その中で月次視聴分析でアクセス数の上位にランクされることはほとんどないにもかかわらず、根強い人気を持つ動画がある。そんな動画の一つが「秋田県民謡 喜代節」。これは7年前にアップしたものだが、この曲は秋田県仙北市角館あたりでお祝いの席で唄われるお座敷唄である。ゆったりとしたメロディで舞う地味な印象だったので、アップした時はあまり多くの方には視聴していただけないだろうと思っていた。ところが、アップ後しばらくしてから意外と反響が届き始め、それに伴いアクセス数も伸びて行った。
 先日、ネット上の歌詞検索サービス大手の「歌ネット」で、この動画を紹介していただいていることを発見した。根強い人気の要因の一つは「歌ネット」だったのかもしれない。

「歌ネット」の「喜代節(秋田県民謡)」


角館・武家屋敷通りのしだれ桜(PHOTO-ACさんより)

  • 二人のはつ喜流名取が舞う。振付は中村花誠(はつ喜流月花)さん
  • 歌うのは本條秀太郎さんを通じご縁の高橋キヨ子さん。

花のお江戸の文化発信

2024-02-22 16:17:55 | 音楽芸能
 大衆文化の発信地が「花のお江戸」になったのは文化・文政期(1804〜1830年)だそうである。それまでの京都中心のいわゆる上方(かみがた)にとって代わった。江戸から離れた地方にもファッション、書物、絵本、食、芸能等々の江戸の文化が伝えられた。もちろん今日のような通信メディアやコミュニケーションツールはないから、専ら地方と江戸間を往来する人々によって伝えられたので時間はかかった。熊本にも江戸の文化が伝わった事情について、「肥後史話」(昭和56年発行 卯野木卯一良著)には次のように記されている。

 お江戸上りの侍や足軽達は参勤交替の長い旅から熊本へ帰ると、いつも得意で、江戸の流行歌を家中の朋輩などの間で歌って聞かせたものである。すると熊本にはまた熊本の芸術家が居って、早速、その悠暢なリズムに一味のユーモアを加えて、更に第二の歌謡を作り出す。面白い/\、肥後独特の郷土味があって素敵だ、などと宴会ごときの場合には、すぐ首打ち振りながら歌い出す者が出るという始末、こうして文化の中心江戸の歌謡は、それら参勤交替の御供の人々の間から、数年越しに田舎の熊本あたりまでも輸入されたものであった。博多や長崎などの様に、海運交通の便利にも余沢にも恵まれていない純然たる封建城下町の熊本市は、一、二特別の場合を除くの外、あらゆる中央の文化的要素を、この参勤交替の御供の人々の土産物として貰い且つ喜んだものであった。

 東海道第一番目の宿場として整備された品川宿は、参勤交代や旅人など多くの人々が行き交う場所で、多くの旅籠や飯売旅籠や水茶屋が立ち並び、飯盛女500人を置くことが公認されていた。また、品川宿周辺には御殿山の桜、海晏寺の紅葉、品川沖の潮干狩りなどの行楽地があり、江戸でも屈指の文化発信地であった。


東海道五拾三次之内 品川(歌川広重、部分)

 江戸の文化を研究している「江戸東京下町文化研究会」というサイトがある。今から11年前、舞踊団花童(当時はザ・わらべ)が踊る「品川甚句」の映像を江戸文化の一例として紹介したところ、このサイトに快く掲載していただき今日まで多くの方に見ていただいている。

2012.5.26 熊本城本丸御殿 春の宴
振付:中村花誠
立方:ザ・わらべ(中村くるみ・上村文乃)
地方:藤本喜代則・中山康子・中村花誠と花と誠の会・本條秀美社中

On The Sunny Side Of The Street

2024-02-17 21:39:24 | 音楽芸能
 雲一つない好天に誘われて今日は熊本城二の丸広場から護国神社周辺を歩いた。京町の本通りを歩いていると、日なた側の歩道と建物沿いの日陰の歩道とでは全く気温が違う。慌てて日なたの方へ移動。思わずあの曲のメロディが浮かんできた。

 二の丸広場は明日に迫った熊本城マラソンのゴール会場設営に大わらわの状態。明日も今日と同じような天気になってくれれば観る側にとってはありがたい。過去何度か雨中のレースがあったが、沿道で傘を差して応援するのも結構つらいものがある。

 護国神社の梅園に近づくと梅の花の甘い香りがただよい、爽やかな気分になる。明日のマラソンはすぐ下の上り坂を通るので今年もこの梅園から観戦することにしよう。


熊本県護国神社・梅園


熊本城二の丸広場