徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

夏の終りの花たち

2017-08-31 20:36:16 | その他
 8月も今日で終わり。日差しは強いものの、これまでとは明らかに違う涼しい風が吹き渡って来るので熊本城まで歩いて行ってみた。道すがら見かける花々にも、なんとなく夏の終りの寂寥感を感じてしまう。
 海達公子の自由詩からひとつ。
「秋の朝」
  朝顔が 少ししか 咲かんやうになつた
  こほろぎが どつかでないてゐる
  足にさはつた夏水仙の花も しぼんでゐる
(赤い鳥 昭和3年1月号 尋常小6年)


ノウゼンカズラ


朝顔

TEDx kumamotoshi より ~ 中村花誠 ~

2017-08-30 18:49:19 | イベント










 日本の子どもたちは、「しつけ」と呼ばれる独特の伝統的なマナーを両親によって教えられています。熊本の日本舞踊と邦楽の師匠、中村花誠は、熊本の未来は、子供たちが両親の手によってマナーを学びながら育っていく姿を思い描いています。
 また彼女が指導する少女舞踊団花童の素晴らしいパフォーマンスもお楽しみください。

 彼女は熊本市で生まれました。祖母の影響を受けて、彼女は幼い頃、伝統的な日本舞踊を習い始めました。彼女は、伝統的な流派の一つである藤間流の藤間勢珠に師事しました。そして15歳になった時、藤間流の名取りになりました。また、彼女は邦楽囃子方としても中村寿誠に学んでおり、1997年には囃子方中村流の名取にもなりました。こうして彼女は邦楽演奏家であり、また日本舞踊家でもあるという珍しい存在となりました。
 彼女は新しい日本舞踊と邦楽の開発と普及に熱心に取り組んでいます。2001年に少女舞踊団(花童)を創立し、今や、花童は日本各地で多くのイベントに出演し人気を博しています。

※紹介英文のあくまでも個人的な意訳です。

(P.S.)
 藤間勢珠様は平成29年9月2日ご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

玉名女子高校の4年連続ダブル金賞は はたして!?

2017-08-29 21:46:45 | 音楽芸能
 今年も10月の「第65回全日本吹奏楽コンクール」に九州支部代表として出場することが決まった玉名女子高校吹奏楽部。まずは順調に歩を進めているようだ。もう一つの目標「第30回全日本マーチングコンテスト」も控えており、今年、4年連続ダブル金賞を実現できるかどうか目が離せない。
 思えば玉名女子高吹奏楽部のファンになってもう40年以上になる。40数年前、ブリヂストン吹奏楽団久留米を玉名に招いて演奏会を開いた時、玉名のご出身でもある指揮者の小山卯三郎先生にお目にかかった。当時、小山先生の娘婿にあたる森先生が玉名女子高を指導されていたと記憶している。だからブリヂストンと玉名女子高は兄妹弟子ですよというようなお話を伺った覚えがある。それ以来、玉名女子高吹奏楽部にも注目するようになった。その後、当時の校長だった三浦強助先生に、家内が玉名女子高のOGでもあったことからご媒酌をお願いしたりしてますます縁が深くなった。その頃はまだ、全国でもトップレベルの吹奏楽部になるとは思っていなかった。


里山の初秋

2017-08-28 18:40:00 | 音楽芸能
 昨日行われたビエントの「熊本城復興支援コンサート」では12曲が演奏されたが、中でも僕が一番感動した曲が「里の秋」。季節がちょうど初秋でもあり、また今月は終戦記念日や広島・長崎の原爆の日など、戦争を思い出す月だったせいもあるのだろう。出征中の父親を思いやる母子の心情を思うと、いつ聞いても泣いてしまう。



金峰山麓・大将陣の初秋


青々とした稲が風にそよぐ





ビエント 熊本城復興支援コンサート

2017-08-27 20:41:19 | イベント
 昨年の6月に続き、ビエント(Viento)の「熊本城復興支援コンサート」がKKRホテルで行われた。目の前に見える熊本城大小天守は、痛々しい姿を見せていた昨年と違い、周囲に足場が組まれ、復旧の槌音高しといった状況。今日も相変わらずの万里節の語りをはさみながら、下記の12曲が演奏され、詰めかけた満員の観客の感動を誘っていた。

森~息吹/花祭り/故郷/海都ムナカタ/おぼろ月夜/
熊本城うたまい絵巻より 戦人&幼なじみ/里の秋/春は曙/花/断崖の翼/コンドルは飛んで行く


竹口美紀さんと吉川万里さん


熊本城大小天守

藤崎八旛宮例大祭・御能組

2017-08-26 19:50:15 | イベント
 藤崎八旛宮例大祭に段山御旅所で行われる奉納能の今年の番組は下表のとおり。今回、僕が特に注目するのは喜多流の能「俊成忠度」で、シテの忠度の亡霊を務める友枝雄人とツレの俊成を務める狩野祐一の共演が楽しみ。
 忠度が詠んだ「さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」という歌が、師・俊成が選者である「千載和歌集」の中で「詠み人知らず 」とされたことに対する忠度の怨念・・・。忠度を題材とした能はこの「俊成忠度」ともう一つ「忠度」というのがあり、「忠度」の方は今年4月、健軍神社の「花の薪能」において狩野了一のシテで見たのだが、「俊成忠度」の方は未見なので、二つの違いが興味深い。





今年4月の健軍神社・花の薪能における「忠度」(シテ 狩野了一)

ゲイテキのはなし。

2017-08-25 22:56:35 | イベント
 ゲイテキとは鯨のステーキのことである。今日、Nさんから「鯨料理を楽しむ会」のお誘いを受けた。だが、僕はわけあってご遠慮申し上げた。それは、若い頃のゲイテキの思い出がトラウマになっているからである。
 僕は昭和39年に大学進学と同時に水泳部の寮に入った。この寮のきまりとして1年生には朝夕の食事当番があった。相撲部屋のチャンコ番のようなものである。乏しい部の予算の中から栄養価の高い食事を作るのは厳しいものがあった。いわんやハードな練習の毎日である部員たちの旺盛な食欲を満たすのは並大抵のことではない。特にたんぱく質の補給が大問題だった。まだ当時の日本は、今日のように普通に肉が食べられる時代ではない。そこで、限られた予算内で良質のたんぱく源をということでよく使っていたのが鯨の肉だった。調理器具といってもガスコンロしかない寮ではフライパンで焼くくらいしかできなかった。ビフテキならぬゲイテキである。部員は30名以上いたのでこれをせっせと焼くのであるが、しまいには臭いが鼻についてくる。しかも、日々のメニューにはどうしてもゲイテキの日が多くなった。大学を卒業する時、鯨肉は一生食わないぞと思ったりしたものだ。そんなトラウマが、僕を鯨料理から遠ざけるのである。

 まあ、この話は話として鯨料理がお好きな方、あるいは興味をお持ちの方はぜひどうぞ・・・
 アトラクションで舞踊団花童が登場します)^o^(




~長谷検校記念~ 第23回くまもと全国邦楽コンクール

2017-08-24 15:04:59 | 音楽芸能
 昨年、熊本地震の影響で開催延期や会場変更となった標記コンクールが、今年は下記のとおり開催される。
 僕は平成23年の第17回コンクールから見始めたが、昨年は残念ながら、日程や会場変更もあって見に行けなかった。これまで5回見たことになるが、いずれの回も素晴らしい演奏家ばかりだった。中でも特に印象に残っている方を3名あげると、まず、初めて見に行った第17回の最優秀賞・佐藤亜美さん(筝曲の部)。何しろコンクール初見のインパクトもあり、最も忘れられない演奏家である。二人目は第19回で優秀賞を受賞した中村仁樹さん(尺八・笛音楽の部)。最優秀賞に選ばれなかったのが不思議な感じだった。三人目は、何度も優秀賞や奨励賞に選ばれている中島裕康さん(筝曲の部)。彼もまだ最優秀賞に選ばれていないのが不思議なくらいだ。この3人は邦楽演奏家として既に第一線で活躍されており、これからの邦楽界を支えていくことは間違いない。なお、中島裕康さんは今年も最優秀賞を目指してこのコンクールに参加されており、彼の念願がかなうことを祈っている。


【実施日】平成29年11月26日(日)
【会 場】くまもと森都心プラザプラザホール
【出場者】



2015年2月に行われた「邦楽新鋭展Vol.4」における筝曲の部の過去の最優秀賞受賞者
左から市川慎(第7回最優秀賞)、佐藤亜美(第17回最優秀賞)、今野玲央(第20回最優秀賞)の皆さん

ナチスのオリンピック

2017-08-23 22:48:48 | 歴史
 毎日新聞の電子版に「よみがえったベルリン五輪」という見出しを見つけた。昨年、毎日新聞大阪本社で、昭和11年(1936)のベルリン五輪の特派員が撮影した約1000カットの写真ネガフィルムが見つかり、このほどデジタル化を終えたという。このベルリン五輪には、49ヶ国と地域から約4000人が参加して開かれた。この大会は「ヒトラーのオリンピック」とも言われ、第二次世界大戦に向かう不穏な時代の中、行なわれた大会の様子を写した写真は鮮明で、80年という時代の流れを感じさせない。
 競技場にへんぽんと翻るハーケンクロイツ(鉤十字)のドイツ国旗。ナチス式の敬礼をする群衆。得意満面のヒトラー等々。今日見れば極めて異様にしか見えないが、当時の選手たちや観衆はどんな気持ちだったのだろうか。なお、この大会で日本は金メダル6個を含む計18個のメダルを獲得した。
 この大会には、僕らの大先輩が出場した。五輪初参加の日本水球チームのゴールキーパーとして出場したのが古荘次平さん(熊本商業→早稲田大学)。名もない平泳ぎの選手から水球のゴールーキーパーに転じ、猛練習を重ねてオリンピックの日本代表に登りつめた立志伝中の人だ。彼が水球のゴールキーパーとして成功した要因の一つは、熊本伝統の小堀流踏水術の心得があったからだとも言われている。僕の高校時代、よくわがチームの練習を見に来られたが、「負けて新聞の見出しになるようなチームになれ!」という激励は今でも忘れられない。(写真はベルリン五輪時の古荘さん)

寂しい生誕101年の日

2017-08-22 23:43:46 | 文芸
 明日8月23日は海達公子の生誕101年にあたる日。昨年は生誕100年ということで荒尾市ではいろいろな行事が行われたが、今年は特に予定はないようだ。加えて、今年5月、海達公子の発掘者である規工川佑輔先生が87歳の生涯を終えて旅立たれたこともあり、一段と寂しい生誕記念日となりそうだ。海達公子の顕彰活動は、荒尾の松山厚志さんを始めとする海達公子顕彰会が引き続き行って行かれると思うが、活動の精神的主柱が無くなったような気がして寂しい。一昨年には、公子の同級生で最後の生き証人だった岩本澄さんも一足先に旅立たれ、今になって、もっといろんなお話を聞いておけばよかったと悔やんでいるところである。


公子の辞世の句碑の前で在りし日の規工川佑輔先生

まつり囃子

2017-08-21 17:05:53 | イベント
 時折、遠くからラッパの音が聞こえてくる季節になった。熊本市秋の風物詩「藤崎八旛宮例大祭」が近づいていることを思い出させる。千年以上の歴史を有するこの祭りは、本来、仏教儀式だった「放生会」を起源とするが、神仏習合の時代、藤崎八旛宮においても重要な祭礼として歴史を刻んできた。420年前、加藤清正が朝鮮出兵から無事帰還できたお礼参りとして始まった随兵行列や飾馬奉納などが主たる行事となり、今日まで続いている。本来、神職が乗るための飾馬を足軽たちが囃し立て、観衆が盛り上がったのが、今日の馬追いへとつながったと伝えられている。ラフカディオ・ハーンや種田山頭火らの文書にも登場し、この祭りの代名詞であり、囃し言葉でもあった「ボシタ!」という言葉は、差別用語として現在、使うことを禁止されている。しかし、ものごころついた頃から慣れ親しんだ僕らにとって、表立って言うことは控えているものの、心の中では今でも「ボシタ祭り」である。





花童と肥後六花

2017-08-19 20:39:03 | 熊本
はなわらべ 嬉し装い 黒留の 柄は華やぐ 肥後六花撰(拙歌御免)




デザイン:崇城大学・芸術学部・美術学科・日本画コース(中村賢次教授)の皆さん

肥後六花:肥後椿、肥後芍薬(しゃくやく)、肥後花菖蒲(はなしょうぶ)、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花(さざんか)の六つ

エルビス・プレスリー と 能

2017-08-18 13:33:28 | 音楽芸能
 一昨日はエルビス・プレスリーの没後40年だった。時の流れの早さに感慨を新たにした。
 僕が初めて彼の歌「ハート・ブレイク・ホテル」に触れたのは、たしか小学3年か4年の頃だから60年以上も前のことだ。終戦間もない頃育った僕らにとってアメリカ音楽の影響は極めて大きい。けれども彼の歌は、それまで聞いていたどのアメリカ音楽とも違った。正直、中学生の頃まで僕は彼の音楽に馴染めなかった。彼に対する見方が変わったのは、彼が2年間の兵役を終えて西ドイツから帰って来てからである。以前の尖った印象が消え、好青年に変身していた。「G.I.ブルース」「燃える平原児」「ブルー・ハワイ」「ラスベガス万才」等々、次々と映画に出演し、音楽もよりポップス調のものに変わって行った。当時の彼の映画はほとんど見に行ったものだ。その後、彼は再び音楽活動に戻って行くのだが、僕もやがて社会に出て忙しかったこともあって、42歳の若さで突然亡くなるまでの情報はほとんど知らない。
 没後しばらくしてから、彼のファンにとって聖地となっているテネシー州メンフィスの、かつての邸宅グレイスランドにエルビスの幽霊が出るとかいう噂が立ったことがあった。これに着想を得たのか、グレイスランドを訪れた旅人の前にエルビスの霊が現れるという物語が、なんと外国人の手によって能になったと聞いて驚いた。日本文化とは対極にあると思っていたエルビスが能になることなど考えたこともないし、いまだに腑に落ちるところまでは行っていない。シテ方喜多流能楽師の大島衣恵さんは「エルビスの能など日本人の発想にはないが、言語が違っても“能”として成立していれば・・・」とグローバルな能の可能性について期待感を語っている。

▼アンチェインド・メロディ
 死の6週間前に出演した最後のテレビ番組で、ピアノを弾きながら歌う「アンチェインド・メロディ」は、能の謡の中にも引用されている。




▼ブルー・ムーン・オーバー・メンフィス 能 エルビス・プレスリー
 

山鹿湯籠踊り ~山鹿灯籠まつりによせて~

2017-08-16 21:05:11 | イベント
 今夜、クライマックスの「千人灯籠踊り」を迎える「山鹿灯籠まつり」によせて、俚奏楽「山鹿湯籠踊り」を久しぶりに通して聴いてみた。
 この俚奏楽「山鹿湯籠踊り」は、日本の三味線音楽の大御所・本條秀太郎さんが、山鹿の古謡を掘り起し、新しい感覚でアレンジしたもので、5つの曲で構成される組曲。
 出端(プロローグ)に始まり、「いらんせ」、「古調よへほ節」、「山鹿ねんねこ節」、「山鹿盆踊り」、「よへほ節」、そして入端(エピローグ)で終わる。また、出端も「でたげなたん」という山鹿の古謡がベースとなっている。
 今日ではほとんど歌われなくなった唄もあるが、「山鹿灯籠おどり」で主に踊られる「よへほ節」は昭和8年に野口雨情によって改作されたもので、その原曲である「古調よへほ節」の違いは特に興味深い。こうして山鹿の古い文化が甦るのはとても意義深いことだと思う。