徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

冨重写真所開業150年記念展

2016-09-30 20:11:15 | 歴史
 肥後の里山ギャラリー(肥後銀行本店1F)で行なわれている「冨重写真所開業150周年記念展」を観に行った。
 創立者冨重利平に始まる冨重写真所の数々の歴史的な写真は、熊本地震からの復興を目指す今、またあらためてその価値が見直されている。明治22年に発生した熊本大地震の克明な写真は、われわれに大きな勇気を与えてくれるようだ。
 展示されている写真は、これまでも度々、写真展や写真誌などで目にしたことがあるものが多いが、あらためて原版を見せられると時の経つのを忘れて見入ってしまう。







▼5年前の145周年記念展





ロンドン漱石館の閉鎖

2016-09-29 15:30:21 | ニュース
 夏目漱石の英国留学時代の資料を集めたロンドンの「ロンドン漱石記念館」が惜しまれつつ28日で閉館したというニュースが流れていた。私財を投じて記念館を運営して来られた恒松郁生教授は現在、崇城大学(熊本市西区池田)で教鞭をとっておられるし、漱石は国費留学だが、帰国するまでは熊本の第五高等学校に在籍したままだったという縁もある。「ロンドン漱石記念館」の閉館は残念ではあるけれど、展示されていた貴重な資料を熊本で見る機会を作っていただけるならばこんな嬉しいことはないのだが。



 ロンドン留学中の明治35年(1902)に初めて体験した自転車について、漱石は「自転車日記」というエッセイを書いている。下宿の婆さんから、なかば強制的に自転車を練習させられ悪戦苦闘するが、後には結構遠出もできるようになったらしい。しかし、漱石は帰国後、いっさい自転車には乗らなかったという。
 当時のヨーロッパでは自転車が大流行していた。日本でも明治のなかばには国産車も作られ、輸入も行なわれていたが、まだまだ自転車は一般庶民には高嶺の花。そこで自転車の時間貸しという商売が生まれ、借料は高価だったにもかかわらず大流行した。明治40年代に入り、こんなハイカラ風俗を皮肉って演歌師・神長瞭月(かみながりょうげつ)がバイオリン演歌「ハイカラ節」として歌ったところこれが大ヒット。熊本にも伝わり、お座敷唄の「熊本自転車節」となった。
 ちなみに「坊っちゃん」に登場する端唄「さのさ」も自転車ブームのハイカラ風俗を風刺した歌詞が紹介されている。



パソコンの日

2016-09-28 15:22:07 | 歴史
 FMクマモトを聞いていたら、今日は「パソコンの日」だと言っていた。1979年9月28日にNECのPC8001が発売された日らしい。これが日本初のパソコンというわけではないのだが、今日のIT全盛につながるパソコンブームの火付け役になったということらしい。
 ちょうどこの1年ほど前に東京本社勤務となっていた僕も、社内でOA(オフィス・オートメーション)化が始まり、それまで全く縁のなかったコンピュータに取り組まざるを得なくなったのもこの頃である。社内には既にオフコン(オフィス・コンピュータ)と呼ばれるものが導入されていて、部署ごとの事務処理に使われ始めていた。専門家による社員教育も始まっていたが、当時の教育内容はと言えば「BASIC言語」教育だった。オフコンを動かすには「BASIC言語」を使ったプログラムを開発するしかなかったのである。
 80年代に入り、ビジネス用の新しいパソコンが事務所にどんどん入り始めた。僕が使ったのは富士通のF9450やNECのN5200などだった。F9450にはEPOCファミリー、N5200にはLANシリーズといった業務用ソフトがついていて、それまでのプログラム開発から解放された。
 僕が会社業務とは別に、個人的にパソコンを使い始めたのは1983年、NECのPC8001の後継機種で、後に歴史的な名機となったPC9800からである。
 PC8001の発売から37年が経過した今日、日進月歩を続けたパソコンの世界は、37年前には想像もしなかったような世界が広がっている。

▼1979年頃使われていたオフコン

山名屋浦里 と 法界坊

2016-09-27 18:41:39 | 音楽芸能
 このブログのアクセス解析によれば、この数ヶ月、検索キーワードで一番多いのが「山名屋浦里」。たしか、3、4回「山名屋浦里」をネタに記事をアップしているが、今話題の落語や歌舞伎の演目なので検索も多いのだろう。
 それはさておき、ブラタモリの吉原ロケの時にタモリが仕入れてきた話を笑福亭鶴瓶が新作落語として発表し、さらにそれをもとに新作歌舞伎として公演されるという一連の展開は早かった。中村勘九郎、七之助の兄弟による歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」における新作歌舞伎「廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)」は概ね好評だったようである。
 さてその「山名屋浦里」だが、実は勘九郎、七之助兄弟の父、十八代勘三郎や祖父の十七代勘三郎が得意とした古典歌舞伎「法界坊(隅田川続俤)」と意外な繋がりがある。法界坊は若い娘に横恋慕したりする破戒僧で、滑稽みのあふれる小悪党なのだが、この法界坊のモデルとなったのが江戸時代後期、 彦根上品寺の僧、法界坊了海。この了海は破戒僧でもなんでもなく、父の後を継いで上品寺の住職となり、上品寺を再興させた立派なお坊さん。諸国を托鉢しながら勧進を行い、江戸吉原では遊女たちからの寄進を受けて梵鐘を鋳造したと伝えられる。この吉原での最大の協力者が、当時吉原随一の花魁、扇屋の花扇だった。
 実は「廓話山名屋浦里」のもとになった原話、いなか侍の江戸妻になりすまし、窮地を救ったという花魁は、この花扇だったのである。
 明治22年に出版された「法界坊実説鐘建立」(柾木素堂著)には、その花扇の人となりについて次のような記述がある。

――当時新吉原の某楼に花扇という娼妓ありけるが、容貌最も麗しくその性信ありて情ふかく、愛敬ある質にて召し使う雛妓は更なり。若者内芸者幇間出入茶屋の小厠にまで懇ろに附合いて心くばりの行届かぬ所なければ知るも知らぬも花扇の事を賞めざるはなく・・・――

 その美しさはもちろんのこと、どんな人にもわけへだてなく接し、細やかな心づかいをする素晴らしい人間性の持ち主だったようである。


トップに立つ女性たち

2016-09-26 21:17:49 | 歴史
 小池百合子東京都知事を、蓮舫民進党代表が表敬訪問して対談しているテレビニュースを見ながら、これからの世の中は女性がリードしていく時代になっていくのだろうかと思いつつ、こんなことを考えていた。

 柳田國男は著書「妹(いも)の力」の中で、太古の昔から女性には霊的な能力が備わった「けだかく」「さかしい」存在であり、その象徴が天照大神や卑弥呼だとして、女性がもともと持っている「けだかく」「さかしい」特性を発揮する時代が、また必ずやって来ると述べている。
 また、折口信夫も著書「国文学の発生(第二稿)」の中で、上古に女帝の多いのは、彼女たちが「神の嫁」である巫女だったからであり、神功皇后がまさにそれであると述べている。
※右の絵は安田靫彦の「卑弥呼」


▼巫女舞

漱石と熊本

2016-09-25 23:24:40 | 音楽芸能
 先週は奇しくも、熊本時代の夏目漱石を描いた舞台劇とテレビドラマを見た。この二つは主題も描き方も違うので随分と味わいは異なるが、ヒューマニスティックな底流は共通していると言える。
 そこで、この二つの作品を見て気になることをいくつか。まず、舞台の方では民謡「おてもやん」が熊本文化を象徴的に表すものとしてさかんに唄い踊られる。福島竹峰さんのキャスティングはまさにそのためとも思われるのだが、そもそも「おてもやん」が永田稲によって作られ、花柳界などで唄われ始めるのは明治30年代半ば以降らしいので、漱石が熊本にいる頃、唄われていたかどうかは微妙なところ。しかし、これはあくまでもフィクションであり、映画などでも時代背景に合わない唄が使われることもよくあるので、目くじら立てるほどのことでもないか。
 熊本時代の漱石は、俳句や謡を嗜んだり、参禅したりして老成したイメージがあるが、弱冠29歳で五高教授として熊本に赴任し、33歳までいたわけだ。現代の若者とは違うとは言っても、もっと若者らしいギラギラしたものはなかったのだろうか。五高のボート部の部長を務めたりもしているし、「坊っちゃん」や「三四郎」の中に出てくるエピソードは熊本時代に経験したことともいわれているので、実際にはもっと熱い青春があったのではないか、といつも思うのである。

▼舞台劇「アイラブくまもと 漱石の四年三ヶ月」


▼NHK土曜ドラマ「夏目漱石の妻」


▼熊本民謡「おてもやん」

天草五橋が開通した日

2016-09-24 19:15:30 | 歴史
 今日はちょうど50年前に天草五橋が開通した日。当日だったかどうかは憶えていないが、学生だった僕は、東京の親戚の子を案内して初めて渡った。まだ、車も持ってなかったので、バスと徒歩で松島あたりまで行ったが、かなり疲れたことだけは憶えている。

 天草五橋が開通してからの天草の発展は目を見張るものがあるが、それまでの天草がどういう地域だったかについて、父が備忘録の中に書き遺している。昭和10年に大矢野島の上村小学校への転勤が決まり、祖母はまるで父が島流しにでもなったかのように嘆き悲しんだという。熊本市に最も近い大矢野島でさえ、行き来するのは船しかない時代。今では阿蘇と並び熊本観光の代名詞となった天草も、当時はほとんどの地域が貧しい寒村だったのである。

 同じ昭和10年に熊本市で開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブック「くまもと」には、天草について次のような解説が記されている。
 
 切支丹殉教の歴史に色どられる天草は、熊本県の西南部に散在する、数十の群島と、大矢野島、上島、下島の三島から成っている。
 この島は、上古天草国造を置かれたところで、早くから史上に見え、中世時代には、瀬戸、上津浦、大矢野、栖本、志岐の豪族が夫々領有していた。豊臣秀吉九州を平定した後も、各地に反旗を翻えす者があったので、小西、加藤の両氏これを征服し両氏の領有となった。
 寛永14年の天草一揆、すなわち切支丹殉教の騒乱起るや、当時の領主、寺澤氏は、本島を没収せられ天領として、幕府直轄の下に、代官制度を布くことになった。明治維新、廃藩置県の後、一時長崎に属したことがあった。間もなく八代県に編入され、さらに明治6年熊本県に属し、爾来今日に及んでいる。現在熊本県の支庁を設け郡治を統括されている。
 天草は、風光美を以てなり、肥後松島と称すべきところ、気候温和で、魚族が多く、保養地としても理想の地である。
 総面積57方里37で、4町58ヶ村を有し、戸数35,200、人口195,400を擁している。


▼世界遺産「三角西港」の向こうに見える天草一号橋




▼天草の俗謡「牛深三下り」
「牛深三度行きゃ三度裸、鍋釜売っても酒盛して来い」とハイヤ節で唄われるように、寄港する廻船の船乗りたちにとって絶海の楽園として知られた牛深湊の妓楼などで、ハイヤ節の前唄として唄われた。


唄:本條秀美  三味線:本條秀美社中  鳴物:中村花誠と花と誠の会  踊り:ザ・わらべ

草枕絵のロケハン

2016-09-23 19:16:13 | 美術
 夏目漱石記念年の事業の一つ「草枕美術展」として「草枕絵」の募集が行われている。「草枕絵」というのは小説「草枕」の情景を描写した絵画のことだが、今回が最後の募集ということなので思い切って応募してみようかと思う。12月初めの受付まではもうしばらく期間があるので、絵のイメージをふくらませるために今日は、草枕の道の前半部分のロケハンをした。鎌研坂はもう何度も歩いて様子は分かっているので今回は省き、「鳥越の峠の茶屋」から「石畳の道」の入口までを車と歩きで観て回った。



鳥越の峠の茶屋



鳥越の峠の茶屋から田園風景を眺めながら芳野方面へ



金峰山神社を通り、芳野の追分へ



いよいよ石畳の道に入る

民謡「唄と三味線の会」30周年記念大会

2016-09-22 16:52:51 | 音楽芸能
 民謡三味線の本條秀美さん(熊本市植木町在住・本條流直門師範)が主体となって実施してきた植木町文化協会・民謡部文化祭が30周年を迎えるに当たり、今年は熊本県芸術文化祭参加事業として盛大に記念大会が行われることになりました。

 本條秀美さんは本條流師範として後進の指導にあたるかたわら、植木町ゆかりの民謡「田原坂」の保存と普及、そのための全国大会の開催にも尽力して来られました。また、山鹿灯籠踊りでは唄と三味線の指導を、さらに舞踊団花童を唄と三味線で支え、新曲の提供も行なうなど、全面的なサポートをして来られました。
 今回の記念大会は、そんな本條秀美さんと本條秀美会の、これまでの集大成ともいうべき公演となります。ぜひ多くの皆様のご来場をお待ちしています。




▼本條秀美さんが唄う熊本民謡「田原坂」



▼本條秀美さんが唄う熊本民謡「鹿北茶山唄」



▼師匠・本條秀太郎さんが邦楽指導を担当した平成11年のNHK大河ドラマ「元禄繚乱」(中村勘三郎主演)に
 出演した時の本條秀美さん(右から二人目)。


アイラブくまもと 「漱石の四年三ヶ月」

2016-09-21 19:03:41 | 
 夏目漱石が熊本の五高教師として過ごした4年3ヶ月を描いた舞台劇。池田停車場に着いた赴任した日から始まり、鏡子夫人との結婚、流産、入水事件、長女の誕生などを織り交ぜながら、同僚や学生たちや熊本の人々とのふれ合い、前田ツナとの出会いなどを経て、英国赴任のため熊本を旅立つまでを淡々と描く。漱石を演じる浜畑賢吉さんにとって母の故郷でもある熊本に対する強い思いが感じられる。
 漱石についてちょっと知識のある方なら、「あゝあのエピソードね」と微笑ましい気分になるが、漱石に疎い方にははたしてどうなのだろう。それと、後方の席では台詞が聴き取りにくかったのは残念だ。
 東雲座の娘踊りのシーンでは花童のあかね&ゆりあのコンビが12分を超える「肥後の通り名」を見事に踊り切り、観衆の驚きにも似た喝采を受けていた。







「熊本城絵巻」 新シーズン!

2016-09-20 19:40:40 | イベント
桜の馬場 城彩苑・湧々座で行なわれている「熊本城絵巻」が継続開催されることになりました。

【期日】 平成28年10月1日(土)~ 平成29年3月25日(土)の土日祝日が中心
【場所】 桜の馬場 城彩苑 歴史文化体験施設 湧々座「2階ものがたり御殿」
【時間】開場17時15分
    開演17時30分
【料金】全席自由
    大人1,000円 子ども(小中学生)500円
    就学前の幼児料金無料(席なし)
【チケット販売場所】
    桜の馬場城彩苑 総合観光案内所
    歴史文化体験施設 湧々座 ほか

加藤清正公の家臣や町人の暮らし・賑わい・彩りを舞台で華やかに展開。
舞踊団「花童」と湧々座スタッフによる特別ステージです。






“さわり” の はなし。

2016-09-19 17:13:49 | 音楽芸能
 三味線音楽のカリスマ、本條秀太郎さんのオフィシャルサイトで紹介されていた「三味線語り」という著書が面白そうだったので入手して読んでいる。その中に著名人との対談を収録したものがあり、江戸文化研究家で法政大学総長の田中優子さんとの対談が興味深かった。その中で三味線独特の音「さわり」について語り合っている。
 「さわり」について「上駒は一の糸だけ駒からはずれていて、さわり山という部分に触れると、基音と同時に上の倍音がなるようになっていて、この雑音のようなさわりの使い方が三味線の勘どころ」だと説明している。僕は三味線にはさわったこともないのでよくわからないが、映画や小説、音楽などで、中心となる見どころ、聞きどころのことをよく「さわり」と言う。この言葉は、実は三味線音楽である義太夫節の、一曲の中で一番の聞きどころという意味から始まった言葉だという。
※右の絵は鈴木春信の「三味線を弾く娘」



▼義太夫節

段山御旅所・奉納能 ~藤崎八旛宮秋季例大祭~

2016-09-18 17:18:49 | イベント
 昨年とはうってかわって、夜来の断続的な雨の中、段山御旅所まで出かけて奉納能を見る。番組途中からの観能となったが、テントが張られた客席は既に満席状態。空席を一つ見つけて座る。後半の4番組を観る。
 初見の「玉葛(たまかずら)」では、後シテの玉葛の霊が、乱れた鬘をさわるシーンはちょっとゾクッとする。狩野了一は相変わらず、しなやかで品格を感じさせる。また同じく初見の「猩々」だが、舞踊では散々見ているので、「老いせぬや。老いせぬや。薬の名をも菊の水。」など詞章を覚えている部分が多く、とても見易かった。



能「猩々」 金春流 シテ方:秋山純晴



半能「玉葛」 喜多流 シテ方:狩野了一



半能「田村」 金春流 シテ方:田中秀美

昨日今日のテレビから

2016-09-17 21:15:23 | テレビ
◇にっぽんの芸能「没後120年・樋口一葉の世界」
 昨夜の「にっぽんの芸能」(Eテレ)では、24歳でこの世を去った明治の女流作家・樋口一葉を取り上げ、西川鯉三郎作の「樋口一葉」「たけくらべ」「お力」という3つの舞踊が放送された。一葉といえば、やっぱり代表作の「たけくらべ」。大和楽の演奏に乗って美登利に扮した中村梅のお侠な踊りが目を惹いた。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろどぶに燈火うつる・・・」という「たけくらべ」の書き出しを思い出し、また読んでみたくなった。



◇ブラタモリ「高尾山」
 今夜の「ブラタモリ」(NHK総合)は「高尾山」。通算10年を東京で暮らし、ずっと中央線通勤だった僕にとって、とても懐かしい名前。ところが、実は寝過ごして高尾駅へは何度も行ったけれど、高尾山には登ったことがない。けっして山登りが嫌いだったわけではなく、山登りというと、なぜか青梅の御岳山の方へ足が向かった。最近、テレビで高尾山が取り上げられることが多く、一度登っておけばよかったなと後悔することしきり。