徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

砂時計/築地魚河岸三代目

2008-11-30 23:24:13 | 映画
 最近見たDVDの中で印象に残ったのはこの2本だ。いずれも人気コミックを原作としているが原作を見たことはない。

■砂時計
 間違ってTVドラマ版を先に借りて見てしまったので、印象がだいぶ影響されたかもしれない。夏帆が出て島根が舞台というと、つい「天然コケッコー」を思い出してしまうが、あちらと比べるととにかく話が暗い。当然だがTV版と違って話がコンパクトになっていて子供時代がない。その分、夏帆の魅力が前面に押し出されていて、クレジットは松下奈緒に次いで2番目だが実質主役は夏帆だ。この子はホントに上手い。映画化にあたっての脚本づくりは難しかったろう。いろいろ言いたいことはあるが、夏帆の魅力と映像の美しさに免じて何も言うまい。

■築地魚河岸三代目
 この作品ってシリーズ化するつもりなんだろうか。何となく先を見て、探り探りやっているような印象を受ける。そう言えば「釣りバカ日誌」も三国さんがだいぶお年を召して、シリーズとして先が見えてきたような気がするし。松竹としては後釜の新しい人気シリーズが欲しいところだろう。結構考えたキャスティングだし、多彩なキャラクターが登場するから話のふくらませ方はいろいろ考えられるような気がする。次があるのか、これっきりなのか要注目だ。


砂時計


築地魚河岸三代目

永遠の恋人 タミー・テレル

2008-11-29 15:23:40 | 音楽芸能
 タミー・テレル、その名前はあのマーヴィン・ゲイとデュエットした女性歌手の中でベストなコンビとして今も語り継がれている。僕が学生だった60年代の後半、ある時からFEN(Far East Network)放送で彼らの歌声をしょっちゅう聴くようになった。あの名曲「Ain't No Mountain High Enough」である。そして続けざまにヒットを重ね、日本ではまだあまり知られていなかったマーヴィン・ゲイも人気を得ていった。しかし、彼女は脳腫瘍という病魔に冒され、24歳の若さでこの世を去ってしまった。もし生きていればダイアナ・ロスをしのぐビッグネームになっていただろう。マーヴィン・ゲイにとってもそうだったろうが、当時モータウンサウンドファンだった僕らにとっては今日でも永遠の恋人だ。
 ちなみに彼女の名前テレルは、経緯はわからないが、当時世界ヘビー級チャンピオンになったこともあるボクサーのアーニー・テレルからもらったという。ちょうど「Ain't No Mountain」がヒットした1967年、彼はモハメド・アリと対戦し、判定で敗れた。この試合は、まだ珍しかった宇宙中継が行なわれ、僕らは寮のテレビに鈴なりになって観戦した。試合前からテレルはアリのことをわざと「カシアス・クレイ」と呼び続け、怒ったアリがテレルのことを「アンクルトム」とさげすんだ。試合中もアリは「What's My Name?」と連呼し続けた。懐かしい想い出だ。

Ain't No Mountain High Enough

紅葉もたけなわ、今年の大銀杏は!

2008-11-28 16:57:36 | その他
 今日やっと日が差してきたので、今日を逃したら撮影のチャンスを逸すると思い、昼飯を食べてすぐ熊本城内の細川刑部邸前の大銀杏を撮りに行った。すでに数人のカメラをかまえた人たちが来ていた。昨夜の雨のせいか落葉が多い。昨年のピークは12月の1、2日あたりだったので3日ほど早いが、黄金色が深まる前に落葉が始まったような感じだ。葉っぱにも昨年ほどのツヤがない。しかし、細川刑部邸の庭のもみじの赤とのコントラストの美しさは素晴らしい。この大銀杏は細川刑部邸が子飼から移築してきてから撮影スポットになったようだが、われわれの子どもの頃はここに化血研があり、あまりイメージの良いところではなかった。もしそのままだったら大銀杏も日の目を見ることはなかったかもしれない。


熊本博物館と細川刑部邸間の道路側から


細川刑部邸内の庭から

ポンパドウル御領店

2008-11-27 18:55:59 | その他
 先日、久しぶりに瀬田熊本線から東バイパスを横切るルートを通ったら、TSUTAYA AVクラブ御領店の前に新しいスーパーがオープンした様子。看板を見ると「フーディワン」の文字が。そう言えばラジオでそんなこと言っていたな。たしかフーディワン浜線店の中にあるパンのチェーン店「ポンパドウル」も一緒に来るという話を聞いたことを思い出した。そして今日ふたたび前を通ったので、さっそく「ポンパドウル」に立ち寄ってパンを買い込んだ。大好きなフランスあんパンが浜線店よりは随分近場で買えるようになったのは嬉しいな。


年賀状のシーズン

2008-11-26 20:05:08 | ビジネス
 年賀状のシーズンとなった。毎年この時季になると賀状欠礼のお知らせがパラパラと届き、年末近しを感じさせるが、年賀状の作成依頼が始まるのもこの時季だ。今年もその第1号の依頼があった。今日の依頼者はお店をやっておられるので出状する顧客が約800名。おもての宛名書きだけを請け負った。住所録管理がきちんとできているので楽だ。裏の通信面はDMを兼ねたオリジナルのデザインを印刷発注されるそうだ。中には裏の通信面だけを依頼する方もおられる。だいたいご自慢の写真を貼り付けたりする場合が多い。パソコンが普及する前は、年賀状作成に大変な思いをされる方も多かったが、近年はさすがにそんな話は聞かなくなった。しかし、暑中見舞がすたれてしまった今、はがきを出すのは年に一度という方も多いようで、1年経つとパソコンの使い方を忘れたという方が結構いらっしゃるようだ。

フランク・シナトラ

2008-11-26 00:01:22 | 音楽芸能
 昨日、「ハッピーフライト」を見たせいか、今日は無性にフランク・シナトラを聴きたくなって、朝からYouTubeで探しまくった。彼の代表的な曲はほとんど見つかったが、なかでも好きなのが下の4曲だ。
 最初の「Fly Me To The Moon」はジャズのスタンダードナンバーと言っていい曲だ。他の人ではジュリー・ロンドンやアストラッド・ジルベルト、ナット・キング・コールなどが有名だが、それぞれ個性的なアレンジで甲乙付けがたい。
 2番目の「New York New York」と言えばシナトラと言われるほど彼の代表的な曲で、もともとライザ・ミネリが映画の中で歌った曲でどちらも大ヒットしたが、ヤンキースタジアムなどでかかるのは、なぜかシナトラの方ばかりだ。
 3番目の「Something Stupid」は娘のナンシー・シナトラとのデュエット。最近、ロビー・ウィリアムスとニコール・キッドマンがカバーして話題になった。日本でも竹内まりやと大瀧 詠一がカバーしている。
 4番目の「All The Way」はセリーヌ・ディオンとオーバーダブしている珍しい映像。既に亡くなった人とのオーバーダブは、ナット・キング・コール、ナタリー・コール父娘の「Unforgettable」などが有名だ。

Fly Me To The Moon


New York New York


Something Stupid


All The Way

ベストポスター賞!

2008-11-25 17:58:24 | ビジネス
 先週、東京で行なわれた全国規模の医学学会のポスターセッションで、某病院のスタッフの方が日頃の研究成果を発表された。日頃、統計処理などのお手伝いをしているが、今回も統計分析とプレゼンテーションをポスターにまとめる作業のお手伝いをした。
 このポスターがなんと、精神科ブースでのベストポスター賞に選ばれたそうだ。「とても新鮮」という評価を得たらしい。僕には医学の専門知識はないので、プレゼンテーションとポスターのまとめ方をご提示しただけだが、なんだか自分のことのように嬉しい。会社勤めの頃、プレゼンテーションは度々やる機会があったが、その経験で得たノウハウは、全然違う分野でも使えるもんだなぁと実感した。

ハッピーフライト

2008-11-24 17:31:20 | 映画

 今日は天気も悪そうだったので、家内と映画でも見に行こうと、最初は「石内尋常高等小学校 花は散れども」に行くつもりで電気館の上映時間を調べた。しかし、すでに1回目の上映には間に合わないし、2回目は午後4時からと、どうも按配が悪いのでシネプレックス熊本でやっている「ハッピーフライト」を見ることにした。「花は散れども」もそうだが、「ハッピーフライト」もすでに月刊誌「シナリオ」でシナリオを読んでいたので、それを矢口史靖監督がどういう風に映像化しているのかが楽しみだった。ただ文章で読んだ時にはあまり感じなかったのだが、見終わってまず思ったのは、この映画は矢口監督のオリジナルのシナリオだそうだが、相当エネルギーのいる取材をされたのではないかということだ。国際線旅客機の運航に関わる多くのスタッフを、それぞれの立場から描くためには並大抵の取材努力ではなかったと思われる。まずそのことに敬意を表したい。作品としても1級のエンタテイメントに仕上がっている。おそらく海外でも受けるのではないかと思う。また、主題歌にフランク・シナトラの「Come Fly With Me」を使っているのはとてもお洒落だ。


Come Fly With Me

瀬戸内少年野球団~夏目雅子~野村望東尼

2008-11-23 18:22:12 | 映画
 先日、映画「瀬戸内少年野球団」を久しぶりにDVDで見た。久しぶりといっても映画が公開された時以来だから、もう24年ぶりということになる。今ではすっかり日本映画の名作の一本と言えるだろう。この映画の最大の魅力は何と言っても夏目雅子だ。この映画が公開された時は、まさか1年後に他界するなど思ってもみなかった。生きていればもう50歳、どんな女優さんになっていただろうか。
 山口県防府市の中心部、JR防府駅からもほど近いところに桑の山という小高い山がある。この山の東側の麓に大楽寺というお寺がある。彼女はここに眠っている。彼女の夫、伊集院靜氏の実家の菩提寺だ。実は30年ほど前、このお寺から歩いて5分もかからないくらいのところに僕ら家族は住んでいた。当時勤務していた会社の社宅がそこにあったからだ。当時まだ小さかった長男や次男を連れて付近を散歩したり、桑の山に登ったりしたものだ。「瀬戸内少年野球団」を見ながら、そんな自分の想い出もないまぜになって、懐かしさがこみあげてきた。
 ちなみにこの大楽寺から桑の山の麓を南側に回ったところに、幕末の女流歌人、野村望東尼(のむらもとに)のお墓がある。望東尼は勤王の志士たちを支援していたことでも知られている。このお墓の周辺も30年前の僕らの散歩コースだったところだ。

さなえちゃんの結婚

2008-11-22 14:31:49 | その他
 いとこのさなえちゃんがついに結婚した。四十路を過ぎ、もう結婚しないのかと思っていた。聞けば旦那さんとは随分永いお付き合いだったという。いつまでもハッキリしない二人に業を煮やした叔父夫婦が「一緒になるか、別れるかハッキリしろ!」と迫ったらしい。ともかく良かった。優しそうな旦那さんだ。
 彼女が生まれたのは僕が大学2年の年だった。誕生の知らせに、住んでいた川崎の寮から、叔父の家のある御殿場へ駆けつけた。小さな赤ちゃんだった。抱くと両手の中に収まってしまうほど小さかった。人間というより小動物の感じがした。その後、大学在学中や卒業後も何度か御殿場を訪れた。さなえちゃんは同年齢の子どもと比べてとても小さかった。でも自衛隊のレンジャー部隊だった叔父の血を引いているのか活発に動き回った。近所の遊園地でブランコに乗ると、立ち漕ぎでブランコが一周するのではないかと思うくらい大きく漕いだ。ハラハラしながら見守ったものだ。
 2つ違いの妹たえこちゃんは早く結婚した。だから時折、さなえちゃんのことを思い出しては気になっていたが、よけいなお世話だったようだ。それにしてもウェディングドレスに身を包んださなえちゃんは、叔父と結婚した頃の叔母の顔にそっくりだ。


グレン・キャンベル

2008-11-21 19:29:08 | 音楽芸能
 男性アーティストで最も好きな人はと聞かれたら、僕は文句なしにペリー・コモと、このグレン・キャンベルをあげる。今日の午後、降り出したみぞれまじりの雨を眺めていたら、急にカントリー・ミュージック、なかんずくグレン・キャンベルが聴きたくなった。70年代の初めだったか、彼のアルバムをカセットテープが擦り切れそうになるほど聴いていた時期があった。だから僕にとってカントリーと言えば、まずグレン・キャンベルを思い出す。彼は一時期、あのビーチ・ボーイズに在籍していたことでも有名だが、卓越したベーシスト、ギタリストでもある。その彼が、唯一出演した西部劇「勇気ある追跡」は、主演のジョン・ウェインが念願のアカデミー主演男優賞に輝いた作品としても知られている。日本でももっと評価されていいアーティストの一人だろう。


ガルヴェストン


イッツ・オンリー・メイク・ビリーブ


アメージング・グレイス

商品写真撮影

2008-11-21 14:58:53 | ビジネス
 商品写真の撮影は難しい。商品写真は、デジカメで撮った後、必ずパソコン処理するので、一連の作業として撮影から頼まれることが往々にある。僕は写真に関しては全くの素人だし、持っているカメラも妹に買ってもらったCASIOのEX-Z200という一般ユーザー向けのカメラだ。だから商品などのプロの腕が必要とされる撮影は、できるだけお断りしたい。以前、あるお店のホームページを頼まれて作った時、大失敗をしたことがある。そのお店は料理店だったので、撮影するためにはわざわざ料理を作ってもらわなければならない。しかも料理によってはかなり高価なものもある。その時、専門的な知識が何もなかったので出たとこ勝負で撮影し、後でパソコン処理でごまかそうとした。ところがライティングから何から間違ったやり方ばっかりしているから、パソコンで補正しようとしてもどうにもならない。結局、現物のイメージとは似ても似つかぬ珍妙な写真が出来あがった。二度も料理を作ってもらうわけにもいかず、その出来そこないの写真を使うハメになってしまった。その後、ネット上にある商品写真撮影技術を紹介するサイトなどで勉強し、基本的なことは理解できるようになった。しかし、実際に撮ってみると、なかなか思ったとおりには行かない。その商品が食べ物ならば、いかに現物の質感を失わずに美味しそうにみせるか、これからもおそらく試行錯誤の繰り返しだろう。

映画「252 生存者あり」

2008-11-19 22:58:17 | 映画
 「252 生存者あり」の試写会に行った。会場のシネプレックス熊本に着いたのは5時45分くらいだったろうか。受付カウンターに行くと、前の方の席は既に満席で、後の方の左右端っこしか空いていないという。上映開始1時間以上も前なのに、しかも前の方が埋まっているなんて、いつもの試写会とはなんか様子が違うなと思った。ロビーで待っている人もほとんど女性でいつもとはなんか熱気が違う。6時半の開場になって中に入ってみてやっとその理由がわかった。今日はスタッフ・キャストの舞台挨拶があるという。水田伸生監督を始め、主役の伊藤英明さんと原作の小森陽一さんが来ていた。気付かなかったが、事前に舞台挨拶があるということはオープンになっていたらしい。皆さん、要するに伊藤英明を見るのが目的だったのだ。司会のアナウンスで登場した3人、ひときわ背の高い伊藤英明が姿を表わすと、周りの席を埋め尽くした、やや年齢高めのお姉さん方が一斉に歓声をあげながら手を振る。その迫力にちょっと圧倒された。
 映画の方はというといわゆるパニックムービーで、ハリウッド映画に負けまいというその意欲は買う。ツッコミどころ満載だが、それはあえて言うまい。

電子入札システム

2008-11-19 16:29:28 | ビジネス
 電子入札システムの導入をお手伝いしたクライアントさんから依頼があったので、実際に熊本市の電子入札に応札する現場に初めて立ち合わせていただいた。ほとんど入札金額を入力するだけで、えらく簡単に作業が終了した。拍子抜けした。既に10社ほどが応札していた。その名前を見ながらクライアントさんが言った。「このうち本気で応札しているのはほんの数社です。」と。そこで尋ねた。「ということは既に談合しているってことですか?」「残念ながらそうです。」そして付け加えた。「実はうちにも先日、談合に乗るよう誘いがありました。でもうちは一切乗りません」と。
 いったいこれって何なんだろう。電子入札の大きな目的の一つが談合防止じゃなかったのか。ただ入札手続きがネット上でできるようになっただけで、実態は何にも変わっていないということか。何だかなぁ・・・

西の魔女が死んだ-サチ・パーカー

2008-11-18 17:25:51 | 映画
 さて今夜は映画「西の魔女が死んだ」の上映会が電気館で行なわれる。数ヶ月前、この映画が公開された時はそれほど興味はなかった。主役のサチ・パーカーという名前に、どこかで聞いた覚えがあるなとは思いながら、それっきり忘れていた。ところが先日、あるサイトで彼女がシャーリー・マクレーンの娘だと書いてあるのを見て一瞬で記憶が甦った。何としても今回の上映会に行きたいと思った。
 僕が中学生だった1960年頃、ハリウッドの大スターだったママ、シャーリーは映画情報誌「スクリーン」に度々登場した。そして愛娘サチと一緒に写ったスナップも何度か見た記憶がある。当時は僕にとって洋画の情報源といえば、この「スクリーン」誌しかなかったから、隅から隅まで貪り読んだものだ。だから当時の記事で克明に憶えているものがいくつもある。サチのパパとママは有名な親日家だった。パパはママと離婚した後、たしか日本人女性を後妻にもらったと記憶している。その頃はハリウッドスターが家族と一緒に写ったスナップがよくスクリーン誌を飾った。今でもよく憶えているのは、チャールトン・ヘストンの息子、フレイザーくん、トニー・カーティスとジャネット・リーの娘、ジェイミー・リーちゃん、ジョン・ウェインの娘、アイサちゃん、そしてシャーリー・マクレーンの娘、サチちゃんなどだ。くんやちゃん付けをしているが、いずれももうオッサン、オバサンになっている。
 余談はさておき、今夜の映画の内容はともかく、サチ・パーカーのお婆ちゃんぶりが見ものだ。


1959年頃のサチとシャーリー